第一五九話 無力
暗闇を明るく照らす満月の夜、本来なら誰もが寝静まり街を静寂が支配しているハズだった。
街の一角…小高い丘の上に建てられた子供たちの学び舎、日の高い時間には生徒達が勉学を学び、遊び、互いの友好築く。
だが、今このとき、子供たちの学び舎は、戦場と化していた―――
校舎の中から響く轟音、教室を仕切る壁も子供たちの机も生徒たちが築いた功績を示すトロフィーも……全てが心無い力によって破壊されていく。
「ヒャッハー!イイッ!イイねええぇええ!やっぱり戦いは、こうでなくっちゃ!」
戦闘狂の如く、奇声を上げながら剛鬼が羅漢に襲い掛かる。
拳が撃ちだされる度に、威力と速度が上がっていく。
「殴る!蹴る!絞める!投げる!刺す!切る!打つ!ルール無用の殺し合い!それだけが血肉を持たない俺ら式神に現実を体感させ、魂を振るわせる!アンタもそう思うだろッ、オッサン!」
闘いを楽しみ、この世の生をも喰らう…もはやそれだけが存在意義だとでも言いたいかのように剛鬼は喜びに…そして不気味に表情を歪ませている。
浴びせられる言葉と力……漢は黙し、その全てをただの一度も躱すことなく真っ向から受けて立つ。
十字に交差させた腕によって作り上げる十字防御、…その隙間から窺うように鋭い眼光が剛鬼を射抜く。
増幅し増長する剛鬼は、やむ事のない攻撃を浴びせ続け、ギアを上げている。
しかし、この状況…はっきり言ってしまえば連打を繰り出す剛鬼に手も足も出ないまま、サンドバック状態になっている様にしか見えない。
にもかかわらず、不気味に歪んでいた剛鬼の顔が僅かに引き攣り始めていた。
いくら攻撃を放とうとも、まるで岩を殴っているかのような感覚…ビクともしないと、拳から伝わってくる手応えが剛鬼に焦りを生じさせる。
「チィッ―――!オッサン!どうやら防御には自信があるようだな!だけどコレならどうだ!」
一向に崩れない羅漢から距離をとる。
虚空から鎖付きの鉄球を取り出し、頭上で振り回す。
およそ建物内部で使用するには不向きな投擲武器…しかし、剛鬼が振るう鉄球が校舎の遮蔽物に当たる度、それらが粉々に砕け散っていく。
「喰らいな!オッサン!」
怪しく光る鉄球…しかし、ただの投擲武器に非ず。
内包されるは、古の大魔導士が創り上げた秘術、粉砕―――
触れた物体に伝わる衝撃を増幅、反発する力と力がぶつかり合う事によって、内部から破壊する。
いかに頑強な鎧も、強固な城壁も、等しく粉々に砕け散る。
出鱈目な防御力を誇る羅漢も例外ではない……ハズだった。
「な、んだと――?」
まるで夢でも見ているかの様な光景に、発狂していた剛鬼を一気に正気に引き戻した。
鉄球が直撃する直前、十字防御を解いて受け止める体勢に入った羅漢―――
ここまでは、剛鬼も彼がとった行動の無意味さに余裕の表情を浮かべていた。
その直後、…受け止めた鉄球によって粉々に砕かれるハズだった漢は、しかし一切の破壊の痕跡もなく、無傷のまま、その原型を留めてそこに立っていた。
代わりに…羅漢を中心とした足元の地面が粉々に砕け散り、円形の浅い窪みを作っている。
「これがお前の切札か……種さえ判っていれば、どうという事はない」
「なッ――オッサン、何をした?」
己の主砲とも呼ぶべき必殺技を今日、初めて使った相手…しかも粉砕の効果も判っていなかったハズの漢が初見で打ち破った。
どんな手品を使ったのかも判らない。だがこの一撃で十分に理解した。目の前の漢は、一級品の式神であると……己が本気を出すに相応しい相手であると―――
「どうという事はない。有体に言えば、攻撃を受け流した」
「は、はは…あり得ねぇッ―――!!?」
大した事ではないと語る羅漢に対し失笑が漏れる。…そんな剛鬼を直後、強烈な力に引き寄せられるかのような引力が襲った。
手にしていた鎖を逆に引っ張られ、一直線に羅漢へと引き寄せられる。
目先の漢は拳を握り、可動範囲ギリギリまで腰を捻らせた。
―(来るッ―――!)
攻撃の予兆を認識したときには、剛鬼の顔面を超ド級の一撃が突き刺さる。
防御する暇も与えられず、首から上が弾け飛び、残った胴体は遥後方へと盛大に吹き飛んだ。
校舎の壁を破壊し、投げ捨てられるように校庭の土に転がる死鬼神の身体……その成れの果てを追って、コツコツと足音を鳴らしながら漢も校舎から外に出る。
「立て、憑代には傷一つ付けていない。再生がある限り復活は容易だろう」
言って、頭の吹き飛んだままの剛鬼を見下ろす。すると…
「…いやはや、そこまで知っていたか」
身体だけの状態で起き上がった剛鬼の頭が瞬時に形を得て、元の憎たらしい表情が復元した。
「知識共有というヤツだ。私と八神熾輝との間に出来た繋がりによって、お前の攻撃パターンは理解している」
知識共有…羅漢はそう冠したが、実際のところ共有されているのは熾輝の知識だけであり、羅漢から熾輝へ知識の受け渡しは出来ない。
「へぇ、誰の下にも付かないって言っていたアンタがよくもまぁ、あんな役立たずに従属したなぁ?やっぱりあれか?元の飼い主の忘れ形見ってだけで心が動いた口か?」
羅漢がこの街に、…というより彼等の前に現れたのは、今日が初めての事だ。にも関らず剛鬼は羅漢の正体を見破っていた。
だが、それも当たり前だ。何故なら、彼等は熾輝がこの街に来た時に熾輝に関するあらゆる事を調べ上げていた。
ならば当然、彼の両親が使役していた式神に付いても知っていて然るべきである。
「私は、誰の下にも付かない」
「付いているじゃねえぁよ!実際!」
「お前と一緒にするな。私が漢と認めた友と戦う…ただそれだけだ」
「男、…男ねぇ」
羅漢の言葉に余程の違和感があるのか、剛鬼は異議あり気に言葉を返す。
「あの餓鬼が本当に男らしいと思うのかい?いきがってはいるが、遥斗には到底敵わない。力の差は歴然だ。負けるのは目に見えているのに無謀な戦いを続けている。それがオッサンの言う漢なのか?」
下らないと…吐き捨てながら剛鬼はヤレヤレと肩をすくめてみせる。
「漢は、強くなければならない。でなければ何一つ守る事が出来ないからだ」
「はッ!アイツは弱えよ!遥斗より、そして俺ら死鬼神よりも!」
「お前の言う通りだ。八神熾輝は弱い」
「おいおい、それを認めちゃうのかよ?ははは!こりゃあいい、自分の式神にすらバカにされるってか!…なら何でだオッサン、何で自分より弱いヤツの式神になった?」
力の差は歴然…それは、羅漢だけでなく、おそらく双刃にも判っていること。
にも関わらず、彼等は敵の親玉を熾輝に任せ、目の前の死鬼神の相手をする事を選んだ。
そして、羅漢はそんな熾輝を選んだ。何故ならば…
「それは、八神熾輝が漢になったからだ」
「…はぁ?」
「男は、最初から漢ではない。守るべき者の為に立ち上がり、己が全てを掛けて戦いぬく。そして、守り抜いた者の数だけ漢の背中を強く、大きくする。奴の背中が…信じる少女等が、八神熾輝を漢にしたのだ」
1年前、…件の神災後、八神熾輝を見た羅漢は、落胆と同時に後悔していた。
まるで抜け殻…あの純真無垢な子からは、善も悪も喜びや悲しみといった感情が一切感じられなくなっていた。
友の忘れ形見…その事だけを想い、暫くの間、少年と一緒に過ごした。
結果、僅かに取り戻した感情は、酷く歪で男としても人間としても不完全なものだった。
何故、自分は守れなかったのだ―――友も…そして、その子供すらも・・・
友の選択を信じる一方で熾輝に対する落胆が大きくなるばかり、・・・一度、彼の元から離れるべきだと考えに至った羅漢は、熾輝の前から姿を消した。
そして、現在・・・
「意味わかんねえよ!それが何だって言うんだ!」
言わんとしている事が判らず、イラつき、怒鳴り声を上げる。
「判らないか?」
漢は、見た……少年を信じる少女たちの姿を……何かを守るため、必死に抗おうとする姿を……それら全てが少年の、八神熾輝の背中に重くのしかかり、強く、大きくしたのだと―――
「漢を賭けるには、十分な理由だ」
強く…そして硬く握られた拳は、彼が新たに認めた友のために振るわれる。
その直後、彼等から離れた場所で火柱が上がった。
◇ ◇ ◇
爆炎が天を貫かんばかりに燃え盛る。
その熱量は、あらゆる存在を灰へと還す程の威力を孕んでいる。
全ての者を燃やし尽くす炎、…しかし、その爆炎に晒されながら2人の少年少女は、依然と存在し続けていた。
だが、それも長くは続かないだろう・・・
「燕、もういい…君だけでも逃げるんだ」
「ダメ!熾輝くんを置いてはいけない!」
彼等の周りをドーム状の光が覆い、灼熱の炎から2人を守っている。
術を行使しているのは、燕だ。…神気を宿した彼女は、残りの力を使って爆炎から熾輝を守っているのだ。
「僕は、これ以上は動けない。…でも、燕だけなら逃げられるだろ!」
度重なる戦闘によって、満身創痍の状態に陥った熾輝は、ここから逃げるだけの体力が残っていない。
身体中アザだらけ、外傷だけに留まらず体内の怪我も相当なものだ。
加えてリミッターを外した事によってオーラ残量も極僅か・・・
「それでも!私は逃げない!熾輝くんを守る!」
「燕、……どうして、…どうしてそこまで―――」
絶対に熾輝を見捨てないと心に決めていた彼女の心を動かす事は、今の彼に出来るハズが無い。
彼女の心を理解出来ない今の熾輝には・・・
「…熾輝くんは、いつも私たちを守ってくれた。傷ついても、何度倒れても、何があっても守ってくれた」
「それは、…」
約束したから―――と、口に出そうとして言葉が詰まった。
『守ってあげて―――』
かつて彼の師、東雲葵と交わした約束
しかし、本当にそれだけが理由なのだろうかと、いつからか考える様になった。
なんの制約もない、たわいない只の口約束だ。
いかに師との約束だからといって、頑なに守る程の物でもない……そう思っていた。
そう思っていたハズなのに、いつからか彼女たちの存在が日を増す毎に熾輝の中で大きく、掛け替えのない者になっていった。
「でもね、私は守られているだけじゃ嫌なの。……ううん、きっと咲耶ちゃんも可憐ちゃんもそう思っているハズだよ」
だから彼女はチカラを手に入れた。
元々の素養が備わっていたにしても、この短期間にこれ程の力を付けるには、並大抵の努力では足りない事は、想像に難くない。
それに、その気持ちだけは熾輝にも少しは理解できた。
守るために強くなろうと努力した。
努力して努力して努力して・・・・そして今の熾輝があるのだから―――
「私も熾輝くんを守りたい。守られてばかりじゃなく、私も熾輝くんの隣に居たい。だから―――ぅぁ、」
燕の想いは本物だ。
熾輝の背中に隠れる自分ではなく、隣に並び立つ女の子になりたかった。
一緒に肩を並べて歩く女の子に―――
しかし、無情な炎は、そんな彼女の想いすらも焼き尽くす勢いで燃え盛り、神力の結界に亀裂を入れる。
「燕ッ!たのむ!頼むから君だけでも―――」
「ごめん、ごめんね…」
逃げてくれと懇願する熾輝の言葉を遮った彼女の膝が僅かに折れた。
「わたしも咲耶ちゃんみたいに熾輝くんのとなりに立ちたかった」
「燕、なにを――」
「となりに立って、護りたかった」
「いい、…もういいから―――!」
「守れなくて、ごめん・・・」
亀裂が結界全体へと広がっていく。
少女は、喰いしばり結界を維持しようとする。しかし、限界などとっくに迎えていた。
真白様から離れた時点で、彼女……細川燕という小さな女の子の器は、悲鳴を上げ続けていたのだ。
それでも、…無理を推してでも力を使い続けたのは―――
「熾輝くん、……大好きだよ」
終わりを悟った少女は、想いの丈をたった一人の少年のためだけに贈る。
そして遂に限界を迎えた結界が無慈悲な力に食い破られた。
『君には誰も守れない』
遥斗に言われた言葉が熾輝の中で反響する
「うああああぁああああッ!!!!」
己の無力が許せず…何よりも大切な人を守れない事が悲鳴となって響き渡る。
少年は少女の想いに応えることも、護ることも出来ない。目頭が熱くなり自然と少年の目からは涙が零れていた。
己の無力が許せず叫び声を上げる。・・・しかし、彼等を襲わんとする爆炎が、少年の慟哭さえ燃やし尽くす。
瞬間、少年の時が止まったかのように、心が凍り付いたかのように、世界が制止したかのように、八神熾輝という存在が停止した――――――――――――
◇ ◇ ◇
真っ白な空間に独り、ポツンと突っ立っていた。
己が身に起きた現実を前に、少年は俯き、思考する事を辞めていた。
目に溜まっていた涙が視界を揺らし、世界を歪めている。
『僕は、…無力だ…』
少年を支配していたのは、自責や悔やみといった様々な後悔の念―――
大切な人も護れない、…その人の想いにすら応えることも出来ない。
―(僕は、出来損ない…僕はいつだって虚ろ――)
後悔の念は、己の存在否定へと変化する―――
―(僕の存在は虚ろで、…なにも無い)
たゆまぬ努力は、圧倒的力の前には、無いに等しい。
敵は、自分を脅威とも感じていなかった。無いものとして…見られてすらいなかった。
―(僕は、部品の掛けた人形のよう…人間になりきれない壊れた人形……欠陥品)
心を失った、ただの入れ物……人間の形をしたなにか別の生き物…
あの想いは、偽物で…自分の全ては嘘…あると思い込んでいた……なにも無い
八神熾輝は、無―――
―(それでも、護りたかった……例え偽物でも、存在そのものが無意味でも、…護りたかった……………それすら出来ない自分に意味があるの?)
自身の存在が消えていく感覚が次第に大きくなっていく。
心と身体から力が無くなっていく。
―(こんな自分なんか、………いらない)
何も考えず、何も出来ず、何も守れない自分・・・全てを捨てて、何もかもを諦めた少年の前にソレは現れた…
『ナラバ、我ガナリカワロウ――』
「・・・・」
『我ハ、汝デ、汝ハ、我』
「・・・・」
『アマネク冒涜ヲ省ミヌモノ二等シク滅ビヲ与エル者』
「滅、び…」
『汝ノイカリヲ解キ放テ』
目の前に浮かぶソレ・・・
黒い球体が少年を誘う―――
ソレが球体をしているのか、黒い穴なのか…存在が曖昧――
しかし、判る……いや、感じる……ソレは、紛れもない力―――
少年が最も必要とする、敵を滅ぼす事の出来る力だと―――
『汝ノモノヲ奪ウ者ハ、誰ダ?』
「…あいつ、だ」
熾輝の瞳の奥に彼の大切な者を奪おうとする敵の姿が映し出される。
『汝ノ願イハ何ダ』
「あいつを殺す…滅ぼす力が欲しい」
己が願いを口にした瞬間、ソレの影が足元から這い寄ってきた。
熾輝に到達した黒い何かは、少年の足元からよじ登ってくる。
その現象は、この場に限らず、現実の熾輝へと影響を与え、彼のオーラを黒く染め上げると同時、白濁した瞳に暗い漆黒を落とし血涙が滴り落ちる。
『ソノ願イ、叶エテヤロウ……全テノ敵ニ滅ビヲ―――』
這い寄る力が熾輝を侵食し、その存在を呑み込んだ……かに思えた
「そちら側に行っちゃあ行けない。戻れなくなるよ、坊や―――」
聞いたことも無い女性の声が木霊したと同時、熾輝の肩に誰かの手が掛けられた―――




