第一五四話 許せないこと
バチバチと音を立てて轟くスパーク音、目の前を眩い光が過ぎ去っていく。
少年は、自身の名を呼んだ少女の声に導かれるように、駆け抜ける。
駆け抜けて、駆け抜けて……振り返る事もせず、ただ一点を見つめていた少年は、視線の先に彼女の姿を捉えた。
そして、…
◇ ◇ ◇
目をつむり、少年の名を叫んだ刹那、熾輝がローリーの攻撃をはじき返した。
一拍おいて、燕がおそるおそる目を開くと……
「熾輝、…くん?」
呆然と熾輝の背中を見つめ、掠れた声が漏れた。
首だけを後ろに向け燕の姿を一瞥した少年は、相対する男へと視線を向ける。
彼の顔には、いつも付けているハズの眼帯が無く、白く濁った眼を隠すように片目だけ閉じていた。そんな事を思っていたのも束の間――
次の瞬間、全身からオーラを漲らせローリーへと襲い掛かった。
「っ――!」
互いの距離を一息で潰し、放たれた拳が男の顔面にメリ込む直前、急造で展開した障壁が熾輝の攻撃を阻む。
男が反応できたのは、偶然だった。
直感的に危険を察知して、障壁を張ったのだ。
初撃を防いだ事により、ローリーは内心でホッと胸を撫で下ろした瞬間・・・
「うおおおぉぉおおおっ!」
「ッッ!?」
ありったけの力を込めた一撃が障壁を破壊し、男の顔面を捉える。
ローリーは攻撃の勢いそのままに吹き飛ばされ、地面を滑走した。
「下がっていてくれ。…乃木坂さん、燕を頼む」
熾輝が倒れ込んだローリーを見据えながら、後ろに立つ燕と…可憐に向けて言った。
「判りました」
「か、かれんちゃん!?」
声のする方に顔を向けた燕が呆然する。
そこには、翼を生やした少女……乃木坂可憐が空を飛んでいた。
「燕ちゃん、こちらへ」
「え?え?」
可憐はゆっくりと空中を滑走するように地上へ降り立つと、燕の手を引いて熾輝から距離を取る。
突然の急展開に我を忘れる燕だったが、可憐に促されながらハッと我にかえり、熾輝と可憐を交互に見つめた。
「だ、だめ可憐ちゃん、あの人は、普通じゃない」
先ほどまで戦っていた燕がローリーの危険性を一番理解している。故に避難することに難色を示す。
「大丈夫です。熾輝くんを信じましょう。私たちは―――」
と、燕を説得しようとした直後……
「・・・く、くはははははは!まさか、まさか本当に現れるなんて!」
ローリーが嬉々とした様子で笑い声を上げた。
むくり、と起き上がった彼は身体に付いた砂埃を払いながら熾輝へと視線を向ける。
「八神熾輝、…まさか彼女の言ったとおり、本当に現れるなんて。それにしても、どうやって異相空間から脱出した?彼女の羽と関係があるのかな?いや、しかし助けに来たとしても、私に勝てるとでも思っているのかな?」
己の優位を確信しているかに思える今の状況に酔っているのか、ローリーが綽綽と語った。
見れば先程、熾輝から受けた攻撃の痕など無く、綺麗な顔がそのまま残っている。
「僕は、…仲間を連れ戻しに来た」
「仲間?くくくッ、そうかいそうかい、どうやら君は結城咲耶の…いや、彼女達の騎士様を気取っているようだね?でも残念、それは叶わない。何故なら君の目の前に立つ私こそ、あの古の大魔導士エアハルト・ローリーその人なのだから」
―(エアハルト・ローリー?この男、やっぱり―――)
男の言葉に熾輝は眉を潜めた。と、同時に今まで足りなかった情報が次々にハメ込まれていく。
「驚いたかい?臆したかい?戦う前から敗北を悟ったかい?君がいくら足掻いた所で、私には絶対に勝てない。何故なら私は、最高にして最匠、魔の頂点に立つ存在なのだから!」
すると、燕がムッとした眼差しでローリーを睨んだ。すぐ隣に立つ可憐も同様の視線をローリーに向けている。
それでも男の弁舌は止まらない。
「さぁ、子供の遊びはここまでだ。後ろの二人を連れてとっとと家に帰りなさい。君には、結城咲耶を取り戻す事なんて出来やしないの―――ッ!?」
「咲耶だけじゃない」
得意げに喋り続けるローリーだったが、その言葉は不意に断ち切られた。
突然、熾輝が闇に溶け込んだように姿を消したのだ。
かと思えば、次の瞬間にはローリーの眼前に迫っていて―――
「なにッ!?」
『ッ――!?』
ローリーは反射的に魔術を発動しようとして杖を構えたが、それよりも早く熾輝の手が彼女へと伸びた。
「やっと捕まえた――」
「貴ッ、離せ――ッ!?」
アリアに触れた瞬間、ローリーの視界が逆転した。
天と地が入れ替わり、続く衝撃によって、再び吹き飛ばされる。
威力は先ほどの比ではない。地面を転がり、ようやく停止したかと思えばローリーは沈黙し、その手からは杖を奪い取られていた。
そして、―――
「アリア、姿を見せてよ」
『………』
熾輝は、手の中にいる彼女へと語り掛けた。
すると、杖が金色の光に包まれ、姿形を変えていく。
次第に収束する光の中から、彼等が良く知る女性の知るシルエットが浮かび上がってきて・・・
「……熾輝」
ブロンドの長い髪を靡かせ、深い碧眼の女性が彼等の記憶と変わらない姿で現れた。
その姿を視界に治め、熾輝は微苦笑を浮かべる。
彼の後ろでは、可憐が涙を浮かべていた。しかし、隣に立つ燕だけは、困ったように釈然としない顔をしていた。
「アリア、―――」
「来ないで!」
アリアに向かって一歩を踏み出そうとした直後、彼女は両手を突き出し拒絶を示した。
彼女の態度に、後ろから少女たちの悲しみの視線が注がれる。
それを視界の隅で捉えたアリアは、唇の端を噛みしめた。
「何をしに来たのよ。まさか、あれだけ言ったのに、まだ私が攫われたと思った?何かの間違いだと思った?残念でした。私は自分からローリーの元へ行ったのよ。アンタたちを裏切って、咲耶を裏切って、……それとも私をぶっ飛ばしに来た?言っておくけど、私はどんなに痛めつけられたところで、死ぬ事なんてない。私は私の目的のために戦う。アンタと戦う。咲耶は渡さない!」
溜め込んでいた感情をぶちまける様に喋り続ける。
熾輝は、そんな彼女の目を真直ぐに見つめ返した。
「――だから、邪魔をしないで!」
熾輝の眼前に展開される魔法式が一瞬にして臨界を迎えた……
「やめて、アリアさんッ―――!」
警告なしに放たれる魔力弾が、至近距離に居た熾輝に直撃する。と同時、爆風で巻き上げられた砂埃が熾輝の姿を覆い隠した。
とてもではないが、手加減をしたようには見えない。
そこには、彼女の覚悟が現れているかのように・・・
「熾輝くん!」
アリアの攻撃を目の当たりにした燕から、叫びにも似た声が漏れた。
隣に居た可憐もアリアの行動に驚き、両手で口元を覆っている。
「だから、言ったじゃない……来ないでって―――」
覚悟を決めたアリアの攻撃、…しかし、彼女の身体は僅かに震え、明らかに動揺が見て取れる。
とうとう自分の目的のために、仲間だった少年を手に掛けてしまったという自責の念に苛まれていた彼女だったが・・・
「何を言われたって、…僕は、諦めない」
巻き上げられ、視界を覆い隠していた砂埃の中から少年の声が響く。
「なん、で―――?」
大気に散らされ、晴れていく視界の先に、熾輝は僅かに俯き…しかし、2本の足でしっかりと立っていた。
衣服の所々がアリアの攻撃の影響で破け、頭部から僅かな血が滴り落ちる。
「言っただろ?仲間を連れ戻すって」
顔を上げた熾輝は、射抜く様な視線をアリアへ向ける。だが、それは威圧だとか、怒りと言った感情ではなく、純粋に彼女を助けたいのだと言う優しい眼差しだった。
「ッ!・・・なんと言われようと、私は―――」
「あっれ~?なんか面白い事になってるじゃん」
熾輝の眼差しに当てられたアリアが尚も拒絶を示そうとした時、不意に後ろから届く声があった。
そこに居たのは、ローリーの式神である刹那、そして剛鬼の姿だった。そして・・・
「熾輝さま!」
「お嬢――!と…二人とも、無事だったか」
ほぼ同時に少年たちもの元へとやって来た双刃とコマだった。
双刃の小脇には、獣化した右京が抱えられており、その姿を見た燕から不安が込み上がる。
「御心配なされるな。深手は負ったものの、命に関わるものでは御座いません。」
「右京……よかったぁ」
右京を燕の傍で、そっと下ろした双刃は、この場に居た熾輝へと視線を向け、無事な姿を確認できた事に感涙しそうになったが・・・
「ちょっと、ちょっとぉ~。何で、この子達が此処に居るのよぉ?…しかも動いてるし―――」
「彼等は、アリアと結城咲耶を我々から奪いに来たようだ」
駆け付けた刹那が熾輝と可憐を目にして、納得がいかないとばかりに声を上げる。すると、先ほどまで地面に倒れていたローリーが、ゆっくりとした動作で立ち上がった。
―(この男、やっぱり振りをしていたな)
熾輝の攻撃を受けても飄々とした様子のローリーを見ても動じる事はしない。何故なら、先ほど殴った感触に違和感を覚えていたからだ。
「どういう手品を使ったかは知らないが、これで戦力は整った。もはや君たちに万が一にも勝ち目は無い」
魔術と言わなかったのは、熾輝たちが異相空間から脱出し、落雷と共に現れた現象の正体が魔術では無い何かだと、ローリーには判っていたからだ。
そして、現状において圧倒的優位に立ったローリーを除いた他の2人は、ニタニタと弛緩した顔つきになっている。
「だが、ここで余興を終わらせるのも勿体ないな―――」
フムと、ワザとらしく考える素振りをしたローリーは、熾輝へと視線を向ける。そして・・・
「…アリア、彼は君が始末するんだ」
「「!!?」」
熾輝の殺害を命令をするローリーの言葉に燕と可憐は耳を疑った。だが、それを受けてもアリアの表情に一切の変化が無い。
「えぇ、判ったわ」
「アリアさん!お願い、やめて下さい!」
「そうだよ!何で、あんな男の言いなりになっているの!」
魔法式の展開を行い、淀みなく熾輝へと照準を合わせる。
そんなアリアの行動を制止すべく、可憐と燕が必死に声を掛け続ける。
流石にこの状況を看過できなくなった双刃も、熾輝を守るために小太刀を握りしめ、刃を引き抜きかけて・・・
「双刃―――」
たった一言、…名を呼ばれた双刃は、その意図する事を汲み取り、難しい顔を覗かせるも、小太刀の刃を鞘に戻す。
静かに納められた小太刀の鯉口が、カチリと鳴る。
「皆さま、ここは手出し無用で願います」
「そんな!今のアリアさんは、あの男に操られているんだよ!」
せっかく仲間が駆け付けたのに、熾輝一人にアリアを任せるという双刃の言葉を燕は信じられないと言わんばかりに抗議する。
「燕ちゃん、大丈夫です」
「可憐ちゃんまで―――」
双刃に賛同する可憐の言葉に耳を疑った燕だったが・・・
「熾輝くんは、約束してくれました。必ず咲耶ちゃんもアリアさんも助けてくれると」
だから、熾輝を信じようと説得するが、燕は難色を示す。
何故なら、つい先ほどまで彼女はローリーと戦っていたからだ。
だから知っている。どんなに言葉を尽くしても今の彼女には決して届かないと―――
だからこそ、力尽くでもアリアをこちら側に連れ帰ろうとした。
そんな心情が湧き上がる中・・・
「燕―――」
熾輝は、少女の名を呼んだ
「信じて、…必ずアリアを連れ戻す」
言葉足らずは相変わらず。しかし、熾輝の言霊には、相応の覚悟が乗せられいた。
彼女は、思う……絶体絶命の状況で、この場に駆け付けてくれたのは誰か―――
絶対に来れない場所から奇跡の様に現れて、自分を助けてくれたのは誰か―――
紛れもなく、目の前に居る少年ではないか。ならばと・・・
「わかった、熾輝くんを信じる!」
彼を信じてさえいれば、必ずアリアを連れ戻してくれると、燕は信じて疑わなかった。
「お喋りは、終わった?」
先ほどから魔法式を展開させていたアリアが問いかける。
既に魔法式の光は臨界を迎え、いつでも攻撃が出来る状態だ。
親切にもトリガーに指を掛けた状態のまま、熾輝たちの事を待っていてくれたようだ。
敵対すると言っておいて、律儀に空気を読もうとする彼女に対し、自然と笑みが零れる。
しかし、熾輝の笑みを眼にした彼女は、それが挑発だと受け取ったのか、顔に青筋を浮かべ、展開していた魔法式のトリガーを引いた。
「何が可笑しいのよ!」
展開された魔法式は5つ、内1つの魔術が起動し、熾輝へと襲い掛かった。
「ぐっ」
初撃よりも威力の乗った攻撃。それが熾輝の身体に衝突すると苦悶の声を漏らし、後方へ吹き飛ばされた。しかし・・・
「な、何で避けないのよ…」
撃っておいて、避けないのかと問うのは矛盾している。
だが、普段から行動を共にしていたアリアには、この程度の攻撃であれば熾輝は容易く避けていた事は判っていた。
にも関わらず、避けずにワザと攻撃を受けた様に見えたのは、彼女の気のせいではない。
しかも、吹き飛ばされたにも関わらず、熾輝は倒れていない。
「どうしたの?…この程度じゃ、僕は倒せないよ」
知っているだろ?とでも言いたいように、熾輝はアリアの目を真直ぐと見つめた。
「っ!このおおおぉぉおお!」
音声と共に待機させていた4つの魔法式から攻撃が放たれた。
威力は更に増し、無防備に立っている熾輝に目がけて次々と着弾するが・・・
「―――全然足りないよ。……僕を倒すのには、まだまだ全然っ!」
まるで、殺す気で来いとでも言っているかのように、熾輝は両手を広げ、全て受けてやると体で示す。
「な、なんなのよ・・・アンタは!」
無防備を晒す行動の意味が判らないアリアは、再び魔法式を展開させる。
お互いに距離はあるが、熾輝ならば魔法式が展開するまでの間に、間合いを潰すには十分な時間だ。
にも関わらず一歩も動こうとはしない。
「決まっているだろう。………友達だ!」
己の願望を叶えようとする彼女は、再び展開させた魔法式から攻撃を放った。
◇ ◇ ◇
目の前で繰り広げられる一方的な戦い。
一人は次々と展開する魔術を放つ。
対するは、少年の身でありながら、それら全ての攻撃を受け続ける。
こんなものは、もはや戦いとは呼べない。
しかし、そんな光景を見せつけられているにも関わらず、少女たちは決して動こうとはしない。
目を逸らしたくなるような光景でも、2人の少女は手を繋ぎ、目の前の少年を信じて見守り続ける。
―(熾輝くん、信じています―――)
少年は約束してくれた。必ず連れ戻すと・・・
無力に打ちひしがれて、ただ泣く事しか出来なかった自分に希望の光を照らしてくれた。
だからこそ、きっとアリアにも光を照らしてくれると信じて・・・・
◇ ◇ ◇
「いいかげん倒れろおぉおッ!」
次々に放たれる魔力弾が熾輝に当たる度、まるでマリオネットの様に身体を揺らす。
もう、何発撃ったのかさえも判らない。
目の前には、ボロボロになりながらも決して倒れようとしない少年が、彼女の前に立ちはだかっていた。
「ハァ、……ハァ、……なんで、倒れないのよぉ」
倒れてさえくれれば、これ以上戦わなくて済むのに。
倒れてさえくれれば、こんなにも辛い想いをしなくてもいいのに。
とっくに覚悟を決めたハズのアリアから「倒れてくれ」という勝手な想いが募っていく。
だが、倒れてはくれない。…アリアは息を切らせながら、今尚、立ちはだかるだけで戦おうとしない熾輝を睨み付ける。
「アンタ、何のつもりよ?何がしたいの?」
「……言った、ハズだよ…連れ戻すって―――」
「それが余計なお世話だっていってんのよ!これは、私が選んだの!だから放っておいてよ!」
ただ立ちはだかるだけで、先ほどから戦おうとも、ましてや対話しようともしない熾輝に対し、困惑と苛立ちが込み上げてくる。
「選んだ、か・・・」
「なによ、文句でもあるの?」
ようやく言葉を紡ぎ始めたが、既にその身体はボロボロで、口を聞くのも精一杯と言った様子だ。
正直、次に攻撃を放てば倒れてしまうどころか、死んでしまうのではといった不安の方が大きくなってしまい、アリアは撃てずにいた。
「言っておくけど、私はアンタがどうなろうと構わない。もう覚悟を決めたの、だからこれ以上は、時間の無駄。何をどうしようと、私の決意を変える事なんて出来ないんだから――――――」
まるで自分に言い聞かせるように、そして、これ以上は、やめてくれと叫んでいるかのよな彼女の言葉は、不意に遮られた。
「じゃぁ、…じゃぁ、何で、そんなに辛そうにしているの?」
「辛そう?わたしが?…あり得ない!わたしは、もう、1人になるのが嫌で、孤独にならないために、ローリーに付いて行くって決めたんだから!」
己の決意を否定され、これまで溜め込んでいた物が爆発した。
「何も知らないヤツが勝ってな事を言うな!わたしを止める言葉も持ち合わせていない奴が知った風な口を聞くな!戦わないのなら立ちはだかるな!所詮、わたしは誰にも理解なんてされない!判ってくれるのは、ローリーだけだ!」
激情に任せたまま、アリアは魔法式を展開させた。
その照準は、目の前の熾輝へと向いている。
「確かに、何も知らない。何も判らない」
「だったら、これ以上、わたしの邪魔をするな―――」
「だけどッ!」
アリアの言葉を遮って、熾輝は叫んでいた。
「だけど、咲耶は違ったハズだ!何も知らない僕なんかと違って、彼女はアリアの事を判ろうとしてくれていただろッ!知った上で受け入れてくれただろッ!だからアリアも咲耶の事を大切に想っていたんじゃあ無いのかよ!」
説得する言葉を持ち合わせている訳でも、ましてや説き伏せられるとは、最初から思っていない。
だが、言わずにはいられない。
まるで、誰も自分を理解する事など出来ないのだと思い込んでいる目の前の女に対し、目を覚ませと……ありったけの想いを口にする。
「うるさい!黙れ!」
「唯一無二のパートナーだって言っていたじゃないか」
「うるさい!うるさい!」
「咲耶が自分にとっての希望だって、救われたって―――」
「うるさああああああぁあああいッ!」
これ以上は、聞きたくない。聞く耳を貸してはいけないと…怒鳴り散らすようにして、熾輝の言葉を遮る。
そして、展開中だった魔法式がより一層の光を放つ。
「これ以上は、何を話しても無駄だ!」
「アリア、どうして――」
「言っておくけど、次の一撃は、今までとは比べ物にならないわ!」
嘘では無いと示すように、…明確な死を孕んでいると示すように、…魔力光が臨界を迎える。
「当たれば確実に死ぬわよ!それが嫌なら早く立ち去りなさい!」
最後通告を言い渡すアリアだったが…
「退く訳にはいかない」
仁王立ちのまま腕を広げ、立ちはだかる。
「何をッ―――、アンタたちも見ていないで、早くコイツを連れて、どっか行ってよ!」
何を言っても退いてはくれない熾輝の態度に業を煮やし、見守っていた少女たちへと意識を向けるが…その眼には、少年と同じ覚悟が宿っていた。
「ッッ―――!な、なによ、なんなのよ―――!」
訳が判らないと言いたげに、癇癪を起すアリア…そこに、あの男の声が届く
「アリア、悪いけど、これ以上は待てないよ」
「ッ、ローリー…」
「私も本当は、こんな事はさせたくなかった。だけど、他の2人に君の覚悟を見せるためには、仕方がなかったんだ。だから、……どうか、私のために撃ってくれないか?」
自分がやらせている行いを正当化しようとする男は、彼女を後押しする言葉を投げつけた。
その言葉には、麻薬のような作用があるのか、先ほどまで荒れ狂っていたアリアの心の波が静かに鎮静化を始め……
「…わかった」
一切の感情を切り捨てたかのように、アリアの瞳から色が消え、魔術発動のトリガーがゆっくりと引き絞られる。
「残念だったね、八神熾輝。アリアには、私と共に歩む道以外は、存在しない。君に我々を阻む事など出来はしないの―――」
「最初から、説き伏せようとは思っていない」
「…はい?」
「僕は、気持ちを言葉にするのが苦手だ。いくら言葉を尽くしても、心を動かせるとはおもっていない」
「…なら、どうするつもりだった?」
言葉で分かり合う以外の方法でもあるのか?と言いたげにローリーは眉を潜めた。
そして、熾輝が「決まっているだろう」と言葉を紡いだ次の瞬間、己が体を覆う一切のオーラを霧散させた。
「…正気か?」
目を疑いたくなる熾輝の奇行に、ローリーだけでなく、魔力弾を放とうとしていたアリアにも動揺が走った。
「漢は、…言葉で尽くすよりも、態度で示すものだろうが」
唯一の護りを捨てた熾輝は、眼前で魔法式を展開しているアリアへと歩み始める。
「ッ、―――!」
ゆっくりと、一歩一歩を踏みしめる様に・・・
「何をしている。撃てば終わるだろう?」
「…で、でも」
撃てば終わる…確かにそのとおりだ。
自ら護りを解いた熾輝に魔力弾を撃てば、これ以上邪魔されることは無い。
ただし、熾輝の死によってだ。
「いいよ。撃っても」
「ッ―――!?」
「アリアも覚悟して、ここに居るんだろう?…僕だって覚悟を決めて此処に居る」
「と、止まりなさい!何を考えているの!次の攻撃は、さっきみたいな半端な威力じゃないのよ!そんな状態で受けたら、いくらアンタでも絶対に助からない!」
「…オーラを纏った僕なら助かったと?」
「そ、それは……」
覚悟を決めたハズ、目の前の少年を排除してでも目的を遂げる。
ならば撃てるハズだ。…そうやって、己が心に言い聞かせて来たアリアの心に矛盾が生じた。
「僕は、人の心を理解するのが苦手だ。…だけど、アリアの攻撃を受け続けて判った事がある」
「だ、黙りなさい」
「あぁ、手加減されているんだって、直ぐに判った」
「お願いだから黙って!」
「あんな攻撃じゃあ、いくら撃っても僕を倒す事はおろか、殺すことも出来ないのは、アリアが一番よく知っているだろう?」
「うるさいいいぃいいい!」
黙れ、黙れと繰り返し続けるが、それでも熾輝は止まる事はしない。
「結局、アリアは優しすぎるんだよ。…どうしようもない程にお人好しで、本当は誰も傷付けたくなんかないんだ」
「黙れ黙れぇえええぇぇ、判った風な口を聞くなッ!………お願いだから、もう消えてよぉ―――」
魔法式を構築するために突き出していた手が震え始め、涙が浮かぶ。
熾輝へと照準を合わせていたハズの狙いが定まらない。
だが、熾輝はもう至近距離にいる。これならば、絶対に外しようがない。
絶対に当たる。当たれば死ぬ。殺したくない。殺さなければ、目的が果たされない。
彼女の中で、様々な思いが渾然一体となり、逆に自身の行動を縛っていった。
「撃ちたいなら撃てばいい。この距離なら絶対に外さない」
「ぁ、…ぁ、……」
「僕はアリアを行かせない。邪魔なら殺す以外に方法は無い」
「あぁ、あ、…ぁあ、あ、あああああああああああああああぁああああああぁあああッ!!!!」
叫びと共に蓄えられた魔力光が煌めき、視界が光によって埋め尽くされた。
臨界を迎えた魔法式が起動したと誰もが思った。……しかし、魔術発動による衝撃や爆音は一切なく、次第に光が収まっていく。
眼を眩ます程の光は、やがて消え、その場に居た者達の目に映し出されたのは、変わらず立っている熾輝と…戦意を失って、泣き崩れる様に膝を着いたアリアの姿だった。
「熾輝くん!アリアさん!」
「熾輝さま!」
アリアの戦意喪失によって、事の終結を悟った双刃たちが駆け寄ろうとしたのも束の間…
「チッ、…アリア何をやっている。このままだと、私たちの悲願が叶わない―――」
「もう、!もう、私には出来ない!もう、無理だよ!」
涙を流しながら訴えるアリアに対し、ローリーは青筋を浮かべながら舌打ちをした。
もはや、苛立ちを隠す気は無いようだ。
だが、次の瞬間には目に見えて明らかだった彼の怒りが、スッと引いて…
「そうか、…残念だよ」
「ローリー待っ、――――!」
瞬く間に起動した魔法式、殺傷性の強い砲撃が2人向けて放たれた。しかし…
「おやおや、…まさか、まだ抗うだけの力が残っていましたか」
間一髪、アリアと砲撃の間に影が割り込んだ。
顔を歪めながら嘲り笑う男の砲撃をボロボロになった熾輝がオーラを放出して防ぐ。
「おまえぇ、何のつもりだあッ!」
激情を顕にした熾輝は、今も尚つづくローリーの攻撃を防ぎ続ける。
「決まっているだろう。ゴミ掃除さ」
「ローリー!お願いもう止めて!」
魔力砲に晒されている熾輝の傍らで、アリアが懇願する。しかし、攻撃は一向に止むことは無く、逆に威力が上がっていく。
「ぐううぅッ!」
「ローリー!もういいの!私の望みなんて叶わなくても―――」
「はぁ?何を言っているんだ?」
「え――?」
アリアの叫びを遮り、ローリーは可笑しな物を見るような目を向け始めた。
「あれ?ひょっとして、私が君のために今回の事を計画したと思っているのかい?」
「だ、だって、…私を孤独から解放してくれるって……」
「あぁ、はいはい、解放するよ。ただし・・・」
一拍、言葉を切ったローリーの口元が引き裂いたように歪んだ。
何とも言えない邪悪な表情が浮かび上がると、端を切ったように笑い、言葉を続ける。
「一切の心を消してだけどねええぇ!」
「そ、んな…」
「あはははははは!まさか、私がお前のような尻軽女をそのまま傍に置いておくとでも思ったのかい!あり得ないね!言う事を聞かない欠陥品、意思を持った武器に価値なんて無い!」
狂ったように笑う男からは、もはや気品の欠片も感じられず。傍に控える式神同様に狂人のそれである。
「この際だから教えてやるよ。お前が大切にしていた彼女…結城咲耶との融合では、人格は完全に塗りつぶされ、私だけのものになる!何で手間を掛けて君をこちら側に引き込んだかって?それは、魔導書に隠された術式を起動させるには、君と言う存在が必要不可欠だったからさ!」
聞きもしていない事をペラペラと喋り続ける男は、自身の勝利を微塵も疑っていない様子で、酔ったように話し続ける。
「アリアぁ!君は本ッ当に哀れだ!最高に哀れで、どうしようもなく愚かなピエロだなぁあああぁあ!」
「あぁ、…そん、な…ローリー…どうして――!」
「そうやって、私に縋ろうとする君を操るのは簡単で、思わず何度も笑いを堪えてしまったよ!手前勝手な欲望のために仲間を裏切り、君を守ろうとしたクソガキが目の前で私に殺されそうになっているんだから、笑いが止まらないよおおぉ!」
「や、…いやだよ、ローリー、…やめてよ…どうして、どうしてーーッ!」
どうしてだと、泣き叫ぶ。しかし、彼女はどうして裏切ったのだとは口にしない。出来ない。
自身の行いを棚に上げてローリーを非難する資格なんて彼女には無いからだ。
ただ一人を除いて―――
「それが、お前の本性か」
重く、深い、怒りを宿した声が響き渡る。
今も尚つづく砲撃に晒されて尚、熾輝は倒れず、男を睨み付けた。
「あはははは!ずいぶんと怒っている様だけど、もうお前には何も出来ない!何故ならこのまま私に成す術なく殺されるんだからなああああぁああッ!」
「ぐッ、あああぁぁああぁあッ!」
ローリーの砲撃が威力を増した。
目の前で攻撃を防ぎ続ける熾輝の息の根を確実に止めるために。
「潰れちまえええぇえええッ!」
押し寄せる魔力砲撃が熾輝を圧し潰すかに思えた瞬間…
―(制限解除、…獅子奮迅、游雲驚竜―――)
時間にして一瞬、まさに刹那的な煌めきと呼ぶべき力の爆発が、今まさに熾輝を圧し潰さんとする圧倒的な力を打ち砕いた。
「なにガッ――――!!?」
完全なる勝利を確信していたエアハルト・ローリーの顔が驚愕に染まる前に、彼の顔が物理的に歪められた。
「お前だけはあああぁああッ!」
ローリーの認識を超えて、撃ちこまれる拳!拳!拳!拳!拳のラッシュ!
肉体の制限を外した事によって得られた爆発的な身体能力の向上!
細胞の一つ一つから溢れるオーラ、その精孔を無理やりこじ開けて出力の制限を取り払う!
肉体とオーラ、その二つのリミッターを解除する事により、一時的に強大な力を発揮する熾輝にとっての禁じ手!
「絶対に許せるかあああああぁあああぁああッ!!」
怒りの咆哮が響き渡る
身に宿す憤怒が熾輝のリミッターを次々に外していく
激情を乗せて撃ち込まれる拳の嵐がエアハルト・ローリーという魔導士の形を破壊していく。
そして、ありったけのオーラと自然界に存在するエネルギーが拳に集まっていく。
「秘拳ッ―――!」
まさに全身全霊…熾輝の持ちうる全てを拳に込める
「鳴鳳決殺ッ―――!」
聖仙より授かりし必殺の一撃が古の大魔導士を捉えた瞬間、エアハルト・ローリーの身体を吹き飛ばした。
何度も地面を転がり、校舎に激突したと同時、外壁を破壊してガラガラとコンクリート片が崩れ落ちる。
「……やったの――?」
凄まじい攻撃の瞬間を目の当たりにした者達は、静まり返り、燕が不意に声を漏らした。……その時だった―――
「痛いなぁ…」
「「「「ッ!!?」」」」
その場の誰もが耳を疑い、声の方角へと視線を向けた。
「今のは、流石の僕も危なかった…って、…あ~ぁ―――」
ガラガラと音を立てて、コンクリート片を掻き分けて姿を見せたエアハルト・ローリー
しかし、彼の身体の至る所にヒビが入り、顔面には穴が空いている。
まるで、陶器を割った様に・・・
「貴重な霊装が台無しだぁ」
崩れていく彼の身体……
しかし、中身が殆ど空洞になっている。まるで中身を守るための外装であるかのように、1人の少年が姿を現す…
「うそ、でしょ?」
「なんで、あなたが―――」
その素顔を見た燕と可憐は目を疑った。なぜなら、エアハルト・ローリーの正体……いや、古の大魔導士を偽っていた者の正体が彼女らが良く知る人物だったから
「やっぱり、お前だったか………遥斗」
夜空に浮かぶ月が世界を照らした時、彼らの目の前に現れた少年が不気味な笑みを浮かべた。
「やぁ、こんばんは。早速だけど死んでくれるかな?」




