第一五三話 繋がる
「あ、あああぁ、あああぁあああぁぁ!」
可憐の慟哭がセピア色の世界に木霊する。
どんなに泣き叫ぼうとも、どうする事も出来ない。
誰もが諦めかけたその時・・・
『―――泣かないで』
まるで母の腕の中に居る様な安らぎを与える声が響き渡った。
「ッ!誰だ!」
熾輝は、ヨタヨタとした足取りで立ち上がると、何処からともなく聞こえて来た声に警戒を強め、可憐を守る様に立ち塞がった。
だが、ふとした瞬間、聞こえて来た声に既視感を覚えた。
『可憐を守ったのですね、八神熾輝―――』
「?……この声、真白様?」
語り掛ける声の主が法隆神社に祀られている土地神である事に気が付いた熾輝は、警戒を解き、ホッと息を吐いた傍らで、同様に声の主に気が付いた可憐が姿の見えない真白様に縋る。
「真白様!お願いします!咲耶ちゃんとアリアさんを助けて下さい!」
異相空間に幽閉されている2人は、現実世界に戻る手段の無い現状で、頼れるのは真白様しか居ない。
真白様は、神社の普及によって参拝客や街の住人たちから集まった信仰心によって、力を取り戻している。
で、あるならば、今の真白様ならば咲耶たちを救い出す事も出来ると考えたのだが・・・
『申し訳ないけど、それは出来ません―――』
「そんな!どうしてですか!?」
唯一の希望である土地神の返答に、可憐は尚も食らいつく。
『なぜなら、たった今、私は敵に敗北しました。』
「え――?」
真白様がもたらした答えに、可憐だけでなく、熾輝も驚いた。
今、目の前に居る土地神は、敗北したと確かに言った。
神である真白様が現世のイザコザに手を貸した事も驚きはしたが、なにより、土地神と言えど、神が敗北したのだ。
今まで、熾輝は敵の戦力を過小評価する事はしなかった。尚且つ、師である円空に与えられた試練、やってやれない事は無いと何処かで高を括っていたのかもしれない。
しかし、神が負けたと聞かされて、勝てるビジョンがこれっぽっちも湧かなくなった。
「そんな、……じゃぁ、咲耶ちゃんが、…このままじゃ……」
絶望的な状況を再認識させるかのような真白様の言葉に足元から力が抜けていく感覚に襲われ、ストンと地に膝を着く。しかし…
『諦めてはいけません。この現状、唯一覆せるのは、可憐……貴女なのですよ』
友を失うかもしれない恐怖に怯えていた少女に向けて、真白様が放った言葉は、まさに青天の霹靂であった。
しかし、真白様の言葉に聞き捨てならないとムッとしながら、熾輝が言葉を返す。
「馬鹿な、…彼女は一般人だ!真白様、いくら励ますためとはいえ、乃木坂さんに妙な期待を持たせるのはやめて下さい!これ以上、彼女を傷つけて何にな―――」
『偽りのない事実です。この子は、既に力の片鱗を見せています。――ただ、周囲の者も…本人ですら気が付いていないだけ』
何を言っているんだと眉を潜める。
仮に可憐が何らかの力を発現させていたのであれば、感覚に鋭い自分が気が付かないハズがないと、自身が有する察知能力に自信のあった熾輝が疑念を抱く。
「真白、さま…本当に、…本当に私にそんな力があるんですか?」
『えぇ』
「なら!どうすれば良いのですか!もし、私に力があるのなら、その力で咲耶ちゃんやアリアさんを助けたいです!」
藁をも掴む思いで、差し伸ばされた神からの啓示を必死に手繰り寄せようとする。
しかし、可憐の想いに先程まで聞き流していた熾輝は・・・
「いい加減にしろよ」
「熾輝、くん―――?」
怒った様に重たい声―――
思わず聞き逃してしまう程に小さな音声ではあったが、それは不思議と可憐の耳へと鮮明に届いた。
「なんで、裏切ったヤツの事なんかを気に掛けるんだよ。」
「それは、きっと何かのっぴきならない事情が―――」
可憐の気持ちがどうしても理解できない。
大切な……信じていた者に裏切られたと言うのに、危険な目に合わされたと言うのに、どうして彼女はそこまでして、アリアを助けようとするのかが、熾輝には判らなかった。
「アリアは、アイツは僕たちを裏切ったんだ!咲耶の事も敵に売った!そんなヤツ、もう放っておけよ―――!」
「そんな事は、出来ませんっ!!」
熾輝も、…そして可憐も普段は感情的に声を荒げる事はしない。
だが、今の彼等は、珍しく感情的になって衝突している。
その様子を傍らで見つめる真白様は、間に入ろうとはしない。
「そんな、…そんな悲しい事を言わないで下さい」
「悲しい?…違う、僕は―――」
「裏切られたら、もう敵ですか?嘘を付かれたら敵ですか?熾輝くんにとって、アリアさんは、大切な人ではなかったのですか?」
ポロポロと大粒の涙が可憐の頬を伝う。
彼女の一言一言が、まるで言霊の様になって熾輝の中に入っていく。
「大切、…だったさ。だけど、僕たちと敵対する道を選んだのは、アリア自身だ」
大切、…それは熾輝にとってとても重要な意味を持つ。
感情を失って以降、彼の心に宿る唯一にして純粋な他者への想い。
その想いを踏みにじられ心の傷は、ある意味において可憐よりも深いのかもしれない。
他者への想いは、良くも悪くも表裏一体。相手を思いやる気持ちが強い程、その気持ちが裏切られれば、たちどころにマイナスへと転化する。
愛しむ心は、憎しみへと簡単に変わってしまうのだ。
熾輝の心は今、アリアに対する憎しみの心で満たされようとしている。
「なら、私が熾輝くんを裏切ったら、私を憎みますか?燕ちゃんが裏切ったら燕ちゃんを恨みますか?咲耶ちゃんだったら?」
「そんなのっ―――」
そんな事は想像するだけで恐ろしかった。
自身の大切にしている者に裏切られるなんて、…アリアに裏切られただけでも心が張り裂けそうなのに―――
「そんな質問は、卑怯だ。……想像したくもない」
「ごめんなさい。…でも、私は仮に熾輝くんや咲耶ちゃん、それに燕ちゃんに裏切られたとしても、絶対にみんなを信じます」
彼女の話は、所詮タラれば、…仮定であって、意味など無く、重みも無い。
しかし、ここで自分は、裏切ったりなんかしないと返すのは、それこそ空々しく思えて、言葉を呑み込んだ。
そして、泣きながらも自分の目を真直ぐ見て言葉を紡ぐ可憐に対し、熾輝もまた言葉を紡ぐ。
「どうして、……そこまで信じられるの?」
可憐がアリアに対し、信じ続けられる理由を知りたかった。
もしかしたら、その答えによっては、熾輝もアリアを信じられる気がしたから……もう一度、信じてみたいと思ったからなのかもしれない。しかし・・・
「理由なんてありません」
彼女から出てきたのは、熾輝が思っていたものと、最も程遠い答えだった。
「私が信じたいから信じるのです」
「……裏切られたのに?」
聞き返すように問う熾輝に「はい」と即答して可憐は応える。
「裏切られても、裏切られても、何度騙されたって、私は信じます」
「そんな、……バカみたいじゃないか」
騙され続けて、それで何の意味があると言うのだ。
損をするのは、自分じゃないかと、呆れの混じった失笑が口から出かけたとき・・・
「だって、それが好きって事じゃないですか」
「ッッ―――!!」
衝撃を受けた。
彼女が放った言葉は、決して小難しい理屈や理論立てた物ではない。
単純で、それでいてシンプルな・・・
だが、それが不思議と熾輝の心にストンと落ちた。
心の中に渦を巻いていた靄が一気に晴れていく気がした。
「だから、熾輝くん―――」
可憐は、熾輝の手を取り、キュッと力を込める。
「信じて…とは、もう言いません。だけど、…きっとアリアさんは苦しんでいるハズです」
「………」
苦しんでいると、彼女は言った。
それは、アリア自身が自分の行いに罪悪感を感じているのだと、信じて…いや、確信しているような言い方だった。
信じて欲しいとは言わない代わり、可憐が熾輝に願う事は、たった1つだけ……
「どうか、…どうかアリアさんを助けて下さい」
助けてと、…今もアリアを信じる可憐が熾輝に願った。
祈る様に―――
「・・・・・・」
熾輝の中で、黒く渦巻いていた感情が彼女の言霊によって晴らされていく。
大切だと、守りたいと思っていた。それが簡単に憎む気持ちへと変わった。
しかし、どうだろう…今の彼女の言葉を聞いて、それでも自分はアリアを敵だと割り切る事が出来るだろうか。
大切だと口で言うのは、簡単だ。だけど、一度や二度、裏切られた程度で揺らぐ気持ちが真に大切だと言えるのか。
―(薄っぺらいな、僕は・・・)
己が気持ちと向き合い、本当にそれで良いのかと問い続けた少年は、自身の答えを導き出す。
そして、解へと辿り着いたと同時、自嘲染みた笑みがこぼれる。
「まったく、僕はとんだ大馬鹿野郎だ」
頭を掻きながら、自身の狭量を恥た少年は、一拍置いた後に目の前の少女へと視線を向ける。
その瞳に、もはや先程までの憎しみの色は無くなっていた。
「助けよう、アリアも咲耶も…それでもって、2人を酷い目に遭わせたヤツは、必ずぶちのめす!」
「――はい!」
助けると、確かに言った少年の言葉に、可憐の頬に再び涙が伝う。
しかし、今度のそれは、喜びの涙である事は、誰の目から見ても明らかだった。
そして、彼女の祈りが少年に届いたとき、それは産声をあげる様に目覚めた―――
『始まりましたね』
「っ!これは!?」
可憐の身体が突如として輝きを放った。
それはオーラ覚醒の際に生じるエネルギーの放出に告示している。
ただ、違う点を上げるのであれば、オーラの質、そして・・・
「熱っ!」
可憐の胸元、正確に言うと心臓に最も近い一部から強烈な力の奔流が放たれている。
「乃木坂さん!真白様、これはいったい!」
『案ずる必要はありません。これこそが彼女の本来のチカラ―――』
「チカラって・・・まさかっ――!」
熾輝は知っていた。数ヶ月前、とある国家で起きた事件。そして、それに関わったとある人物が見せた人を超えた奇跡の力を・・・
『そう、彼女こそが世界に12人しか存在しない神の子、その名も―――』
「使徒―――」
荒れ狂う力の本流を前に、熾輝は愕然とする。
まさか、身近にそんな奇跡のような存在が居るだなんて、誰が予想できただろうかと・・・
「っ、しき、…くん―――」
呻くように声を漏らす可憐が少年の名を呼ぶ。
見れば可憐から放出されているエネルギーが完全に制御を失い、空間に穴を穿ち始めていた。
―(これは、…まずいよな?異相空間を破壊して現実世界に戻れるとか言う話じゃないぞ)
次々と空間に穴を空けていく莫大なエネルギー・・・しかし、これを好機として捉えるならば、それは大きな間違いである。
なぜなら、熾輝たちが今居る異相空間とは、次元が固定された場であり、世界としても安定している。
しかし、可憐が次々にぶち抜いている空間の穴は、言うなれば異次元空間・・・つまりは、何処の世界と繋がっているかも判らず、下手をすれば次元の狭間に永遠に閉じ込められる危険性を孕んでいる。
「くっ、今行く―――!」
『お待ちなさい!』
力の制御が出来ず、苦しんでいる可憐へ駆け寄ろうとする熾輝を真白様が止めた。
「真白様!乃木坂さんは、力を意識して使った事がないんですよ!このままじゃ彼女が――!」
如何に使徒と言えど、力の制御を誤れば、その莫大な力に身を破壊される。
ならば、自分が力に干渉し、制御を試みる他に手は無いという熾輝の考えを言わずもがな、真白様は否定する。
『無理です。今の彼方に、使徒が持つ聖痕を御する事は叶いません』
「っ、ならどうしろと―――!」
『先ほど言ったハズです。案ずる必要は無いと・・・』
熾輝が狼狽える一方で、姿なく声だけを伝えていた真白様の真意を測りかねていた。
『乃木坂可憐、…その力は、常に貴女と共に在りました―――』
「っ、―――!」
聖痕を押さえながら蹲る可憐に真白様は、言葉を紡ぎ、可憐は苦しみながらも全力で耳を傾ける。
『思い出しなさい…貴女が最も力を発揮できる物が何なのかを』
可憐は、自身に問いかける。
神の言う、『共に在り…最も力を発揮できる物』とな何なのかを…
『その力は、決して傷つける刃にはなり得ない。…変幻自在に形を変えるけど、形のないもの―――、』
まるで、謎かけ……しかし、神が散りばめる言霊が、彼女にとっては、天啓の様に降り注いでいた―――
「っ、…もう我慢できない!僕は乃木坂さんの元へ行きます―――!」
依然として、激流のように荒れ狂う力を前に、耐えかねた熾輝が動こうとした。
その時・・・
「―――、――――、――――・・・・」
歌が響き渡った―――
「これ、は―――?」
まるで、天使の歌声と表現するのは、幼稚だろうか?
しかし、それ以外に言葉が見つからない。
冷静を欠いていた熾輝は、一瞬にして歌に引き込まれ、彼女の歌声に聞き入っていたのだ。
彼女の歌声が空間に響き渡った途端、荒れ狂う力は制御を取り戻したかのように、ゆったりと…可憐へと集まっていく。
「羽―――?」
空間を満たしていた力は、次第に形を得て、少女の背中へと収束する。
それは、まるで天使を思わせる純白の羽―――
今もなお、歌い続ける可憐に呼応する力―――
その歌に聞き入っていた熾輝の身体に刻まれた傷が塞がっていき、不思議と力が湧いてくる。
『癒しの歌、ですか―――』
「癒し、……これが乃木坂さんの力ですか―――」
歌を聞いただけで、気力・体力を回復させる・・・対象者の治癒力を高めている訳ではない。
歌そのものに宿る力が熾輝の身体を癒し、体力すらも回復させている。
「オーラや魔術とは異なる法則―――」
『そう、それこそが使徒の力、…奇跡を内包する神力です』
目の前で起こる現象に唖然とする一方で、歌がやむ―――
「熾輝くん、わたし・・・」
自身が起こした奇跡に可憐本人にも理解が追いついていないのか、不安の表情を浮かべている。
「乃木―――」
『見事に力を制御しましたね』
「乃木坂さん」と声を掛けようとした熾輝であったが、傍らに居た真白様に遮られた。
『貴女の力は、歌う事によって奇跡を起こす力――』
「歌で、ですか?」
『えぇ、…歌詞に反映された奇跡が起こせる。冠するなら、そうですね……』
可憐の能力名を考えているのか、暫しの間、真白様がウネッタ声を上げ、一拍・・・
『聖歌…でどうでしょうか?』
「せいか、ですか?」
どうでしょうか? と言われても、未だ自身に起きている状況に追いついていない可憐は困った顔を浮かべている。
「真白様、今はそんな事よりも――」
『あら、名前は重要ですよ?力を覚醒させたばかり、しかも今まで魔術やオーラといった力に触れてこなかった可憐は、力のイメージを固めなければ直ぐに暴走するかもしれませんから』
「た、確かに」
真白様の意見も一理あると、渋々納得を示した熾輝は、チラリと可憐に視線を向ける。
「えっと、…難しいことは良く判りませんが、私の歌……聖歌が咲耶ちゃん達の力になるんですか?」
聖歌と言う部分を僅かに躊躇いながら口にした可憐は、これからどうすれば良いのかを真白様に問いかけた。
『なります。…ただ、それには熾輝の協力も不可欠です』
「僕、ですか?」
訝し気に真白様へと視線を向ける熾輝
それもそのハズ、現状において、異相空間からの脱出は不可能……熾輝は結論づけていた。
ただ、神である真白様の意見だ。聞く価値はある。
なにせ、今は神力に目覚めた可憐が居るのだ。何か方法があるのかもしれないと思っていたが・・・
『はい。神足通を用いて、異相世界から脱出します――』
「無理です」
間髪入れず即答した。
「神足通は、仙術における秘儀です。今の僕には、…というより僕が一生を費やしても会得できるか判らない代物です。それを―――」
『理解していますよ。だからこそ、可憐の力が必要なのです』
神通力が如何に困難な代物なのかを説こうとした熾輝であったが、真白様はそれを承知の上で語り始めた。
「……乃木坂さんの聖歌が―――?」
『はい。可憐、あなたは先程の歌を何処で?』
「え?…えっと、今まで聞いた事がありません。というより、不思議なんですけど、まるで降ってくるように歌が頭の中に浮かんできて……」
知らなかった歌を歌った。……そう語る可憐に対し、真白様は満足そうに微笑んだ。
『おそらく、あなたが真に望む願いが曲となったのでしょう』
「私の願いが、……じゃあ、ここから出たい、出口を作りたいと私が望めば―――!」
『それは、難しいでしょう』
可憐は一筋の希望を見た。しかし、それは直ぐに否定された。
『空間に干渉する……たぶん無理でしょう。おそらく可憐の聖歌の効果は、聞き手に干渉する類のものだと思います』
「そ、そんなぁ・・・」
真白様の推測はおそらく正しいと熾輝も思っていた。
如何に神力といえど万能ではない。人間が持ちうるオーラとは異なる力でも何らかの制約を受けるのは、以前、フランス聖教の使徒という存在と邂逅したときに円空から聞き及んでいた。
『しかし、あなたは素直にここから出たいと願えばいいのです』
「え?…だけど―――」
先程、空間干渉は出来ないと言った真白様だったが、可憐の想い事態を否定した訳では無い。
『出口を作るではなく、ここから出たい…であれば、自ずと彼に力を与えてくれるハズです』
姿の見えないハズの真白様から視線を感じた熾輝が僅かに眉を潜める。
真白様は、出来ると言いたいらしい。しかし、現実問題、熾輝は無理だと思っていた。
なぜなら、仮に聖歌によって熾輝の能力が引き上げられたとしても、神足通を使える自信が無いからだ。
ある程度の練度があり、出来る技術を底上げしてくれると言うのなら話は判る。
しかし、仙術・・・こと神足通に対して、熾輝は全く扱えない。
0に何を×ても答えは0だと熾輝は思っている。
「わかりました!わたし、頑張ります!」
熾輝の想いに反し、可憐はやる気を見せる。
そして、期待を込めた眼差しを熾輝へと向けると…
「…わかった。やるだけやってみよう」
浅く溜息をついて、作戦を実行する事を了承した。
目を閉じて、意識を集中させていく―――
自然界に存在するエネルギー、その微々たる量を少しずつ、ほんの僅かを体内に取り込み始める。
少しでもコントロールを誤れば、致死量を超えて、自然エネルギーが熾輝の身体を破壊してしまう。
針の穴を通すような精密なコントロールを維持しつつ、体内のオーラと自然エネルギーが徐々に混ざり始める………そして、熾輝の許容限界一杯まで、体内に自然エネルギーを取り込み終えた。
ここまでは、普段の修行と変わらない。問題は…
―(ここからだ。ここから、気配を探る訳だけど・・・)
神足通は、空間を渡る能力だ。しかし、この能力を発動させるには、移動先の明確な座標を認識する必要がある。
だが、ここは異相空間…現実世界とは異なる空間に存在する。
どんなに熾輝が鋭敏な感覚を有しているからといって、次元の異なる空間にまでその探知は及ばない。
傍らでは、祈る様に手を胸の前に組む可憐が、歌が降りる瞬間を待っている。
もし仮に、彼女の能力が発現したとして、どういった力を自分に付加してくれるのかと言う考えが過る。
一つは、現実世界に対する探知を付加された場合、……例え座標が判っても、神足通を発動する事が出来るだろうかと言う不安
もう一つは、神足通が出来るようになる力を付加された場合、……この場合、座標が判らない以上、神足通を発動させる訳にはいかない。
どちらが欠けても熾輝は神足通を使う事ができない。ましてや、覚醒したばかりの可憐の能力がそこまで万能とは思えない……
『可憐を信じなさい』
まるで熾輝の心を読んでいた様なタイミングで、真白様からの声が掛かった。
『間もなく、可憐に聖歌が降りるでしょう。……彼方は、あの子を信じて準備を進めるのです。そうすればきっと道は開けます』
「……神託ですか?」
『いいえ、これは、わたくしのカンです』
神ともあろう者がカンなどという曖昧な言葉を口にした事に、僅かに失笑が漏れる。
『あの子は、彼方たちを一番近くで見てきました。そして、何も出来ない事に心を痛める優しい子です』
真を突く真白様の言葉に、熾輝は耳を傾けた。
『そんな子が、ようやく彼方たちの力になれると知って、覚醒した力…使徒という訳の判らない力に怯えることもなく、前を向いて立ち向かっているのです』
確かに、今まで間近で非日常に触れて来たとはいえ、己が身に起きた現象が怖くないハズがない。
にも関わらず、彼女は懸命に役に立とうとしている。
―(そんな彼女に僕は、…応える事が出来るのか―――?)
不安なのは、彼女の能力以前に自分の力、例え彼女が上手く能力を発現させたとはいえ、自分に神足通を使う事が出来るのだろうかと、不安が過った瞬間、可憐に変化が起きた…
『―――、―――――、――――――。―――――――――、―――――』
まるで彼女の想いに応えたかのよに能力が発現したのだ。
そして、歌を紡ぐ可憐……
『可憐は、成功したようです。次は、彼方の番ですよ、八神熾輝』
「わかって、います」
自信無さげに答えながらも、意識をより一層深く沈める。
感覚を研ぎ澄ませ、異相空間と現実世界の境界を探る―――
探る、探る、探る――――
―(ダメだ、見つからない!)
いくら探しても、現実世界へと繋がる道筋を探し当てる事が出来ず、焦りが生じる。
『落ち着きなさい、探すのは空間の境ではなく、現実世界にいる存在です』
「そんなの!それこそ、空間との境界が判らない以上、見つけようがない!」
焦りが次第に熾輝の心を乱していく。
可憐の聖歌は、何らかの効果を熾輝に付与しているのは確かだ。
現に心を乱して尚、取り入れた自然エネルギーが暴走する事が無いのだから。
しかし、いくら可憐の聖歌が成功しても、当の熾輝に仙術を扱うに見合うだけの力が無い以上、神足通を成功させる事ができない。
そして、己の無力を痛感した熾輝は……
「やっぱり、僕には無理なんだ―――」
力なく俯き、諦めかけた
『では、咲耶もアリアの事も諦めますか?』
「諦められる訳がない!でも、僕に彼女たちを救うだけの力がないんだ!」
大切なのに…失いたくないのに…力が無いと言うだけで、何もできない。
今も懸命に歌い続ける可憐に応える事ができない。
理不尽が熾輝から何もかもを奪っていく。
目を逸らしたくなるような現実を目の当たりにして、熾輝の足元から力が抜けていく感覚が襲い、気が付けば膝を折っていた。
『……立ちなさい、立つのです、八神熾輝!』
「………」
沈黙する熾輝にとって、今は真白様の声ですら煩わしく聞こえてくる。
『わたくしが、可憐が、彼方を信じているのです。それに………』
激を飛ばすように捲し立てる真白様が一瞬ためらいを見せるが、意を決して話を続ける。
『燕だって、あなたを信じて待っているのです!このままでは、燕が危険です!』
「……ツ、バメ?」
今も現実世界に居るハズの少女…しかし、何故?燕は戦えない…であるならば、彼女は安全な場所に居るハズではないのか?
次々に疑問が浮かぶ最中、真白様が端を切った様に話しを続ける。
『あの子は、可憐同様に能力に目覚めていました。そして、熾輝たちの危機を知り、敵に立ち向かったのです』
「な、にを―――?」
『先ほど、わたくしは敵に敗北したと言いましたよね?それは、燕の身体に降りて敵と戦っていたのです―――』
意図的に黙っていたのか…真白様の言葉から最悪の状況が次々に飛び込んでくる。
ならば、今、燕は、何の戦う力も持たない状態で敵の前に晒されている事になる。
『お願いです。八神熾輝、もう一度立ち上がって下さい。今、あの子を救う事が出来るのは、彼方だけなのです!』
身勝手な願いを口にする神に対し、熾輝は……
「うあああああぁああッ!!」
ありったけの激情を乗せた音声が響き渡った。
失うかもしれない…それは、文字どり死を連想させた。
咲耶の傍にはアリアが居る以上、心の何処かで危害を加えられる事は無いと思っていたのかもしれない。
しかし、燕は?……もしかしたら、殺されるかもしれない。
そう思っただけで熾輝の心の中に恐怖が込み上げてきた。
「燕!何処だ!何処にいる!」
異相空間に居ない事は百も承知。
だが、叫ばずにはいられなかった。
感覚を研ぎ澄ませ、必死に少女を探す。
先ほどまで致死量ギリギリに取り込んでいた自然エネルギーの許容量を更に上げての探知………
しかし、どんなに叫ぼうと、どんなに感覚を研ぎ澄まそうとも燕の存在を認識するには叶わなかった。
「なんでだっ!なんで、僕に力が無い!助けたいのに!今すぐに駆けつけたいのに!僕は―――!」
いつもそう、守る事ができない。
魔界で出会った少女のときも―――
粉砕の妖魔と戦ったときも―――
可憐がグールに襲われたときも―――
そして、今も――――
何もかも失ってしまうのかと、己の無力に再び打ちのめされそうになったその時だった……
―(――――私はここだよ!)
声が聴こえた。
一瞬、幻聴かと耳を疑ったが・・・
―(助けて!助けて!熾輝くん―――!)
間違いなく彼女…細川燕の声だ。
「燕?…燕!何処だ!」
応じる様に、熾輝もまた彼女の名を叫ぶ
しかし、声は返って来ない。
「呼んでる…燕が、僕を―――」
蜘蛛の糸を手繰るように、耳を澄ませる……
「頼むッ!もう一度、もう一度だけでいい、僕の名を呼んでくれ……燕ッ!」
熾輝は直感的に理解した。
おそらく彼女が自分を呼び寄せようとしてくれているのだと。
「失いたくない…失ってたまるか!……守りたい……じゃない!護るんだ―――ッ!」
熾輝の中で確固たる決意が…執念にも似た何かが燃え上がる。
そして……
―(八神熾輝――――ッ!!)
「ッ!―――神足通、―――」
声が聞こえた瞬間、熾輝は燕の存在を知覚した。
そして、傍らで歌い続ける可憐の手を取ると、まるで、少女の声に呼び寄せられる様に少年は、一歩を踏み出すと、空間と摩擦を起こすようにスパークが轟き、次の瞬間には、熾輝と可憐の姿は異相空間から消えていた。
『あとは、頼みましたよ―――』
2人を見届けた土地神の気配は、再び神社へと戻って行った―――




