第一五〇話 降臨術
時間は遡り、咲耶と共に行動していた燕・右京は、アリアを捜索する中で動きを分断され、気が付けば咲耶を見失ってしまっていた。
「右京、咲耶ちゃんは見つかった?」
「ダメ、何処にもいない」
お互いを守るために組まれた人選だったが、まさか離れ離れになってしまうとは思ってもみなかった。
「お嬢、コレはおかしい。離れて間もないのに、咲耶の気配を感じない」
「それって、どういう―――」
右京の言葉を受けて、嫌な予感がする
「もしかしたら、敵の罠にハマったかも」
「うそ!だって、何の兆候もなかったでしょ!?」
「ワタシが感知できない様に術を行使できる手練れ……そう考えれば、不思議じゃない」
通常、術者は魔術発動に伴う事象改変の揺らぎを知覚する事が出来る。しかし、この揺らぎは高位の術者であれば、気付かれない程に小さくする事が可能だ。
「ど、どうしよう!咲耶ちゃんに何かあったら――」
「落ち着く。…熾輝たちに連絡をとる」
「そ、そうだね!」
右京に促されるままに、携帯端末を操作する手が僅かに震える。
「っ!?―――うきょう、だめ」
「どうしたの?」
「繋がらない」
端末のディスプレイを見れば、通信圏外を示す表示
「…街中でありえない。いよいよヤバくなってきた」
「こんな事って―――」
「可能。携帯の電波を混乱させる術式があるって、熾輝が前に言ってた」
つまりは、今なお敵の妨害魔術が発動中ということになる。
右京は、意識を研ぎ澄ませ、場の揺らぎを探る。
「微弱…意識しなきゃ判らない程に小さな揺らぎを感じる」
「ど、どうしよう!このままじゃ咲耶ちゃんが!」
「………いちど、神社に帰る」
「そんな!咲耶ちゃんはどうするの!それに、もしかしたら熾輝くんや可憐ちゃんも危険かもしれない―――」
「お嬢!」
帰還を促す右京の案を肯定できず、慌てる燕に一喝する。
「…落ち着く。こういった場合、熾輝はなんて言ってた?」
「うぅ―――まずは、身の安全を確保」
「そう、この状況での悪手は、下手に動いて私たちも敵の手中に落ちること。そうなれば、誰が熾輝たちを助ける?」
「………」
「まずは、神社に戻って、真白様に御知恵を貸してもらおう」
「わ、わかった」
状況が全く分からないまま動けば、事態を余計に悪くする。
この様な経験がまったくない燕には、右京の話の半分も理解出来ていない。
だが、ここは従った方がいいという事だけは、直感的に理解していた。
◇ ◇ ◇
捜索を打ち切って、土地神のお膝元、法隆神社へと帰還した燕と右京
今現在、彼女等は境内の奥……一般には解放されていない本殿で事のあらましを真白様・コマに報告していた。
もっとも、報告は状況の理解が追いついていない燕ではなく右京が担っている。
「―――なるほど。状況は理解した……真白様」
右京からの報告を受けたコマが、本殿に祀られている憑代に視線を向けて、間もなく……
『こちらでも状況を把握しました。街の中から熾輝と可憐の気配が消失しているわ』
「っ!?そんな!」
虚空から響く真白様の報告に燕が不安の声をあげる。
『それに、左京の居場所が判らない程に弱っている。…今は回復に努めているみたいだけど、今は動けそうにないわ』
「左京!どうにかして助けてあげられないの!」
「落ち着け、お嬢。まだ三人がどうなったも判っていないんだ」
「でも!こんなの普通じゃない!」
聞かされる報告は、ハッキリ言って良くない物ばかりだ。
そんな事を聞かされて、年端もいかない少女が平静を保てるハズもない。
『大丈夫よ燕、二人の縁は、まだ繋がっているわ』
「ほ、本当!?」
『えぇ、それに左京は法隆神社自慢の神使よ。この程度で消滅するような子ではないわ』
燕を落ち着かせるため、真白様は優しい声色で語り掛ける。
縁の繫がり、それは神である真白様が知覚できる感覚の1つ。
いかに仙術を極めた円空と言えど、その感覚だけは開眼するに至っていない。
『ただ、居場所までは判らないの。それに…2人の気配が絶たれた代わりに、アリアの気配が街に現れた』
「なんと!…して、場所は?」
『今も移動を続けているわ。けどこの方角は………』
街の気配を探る真白様の言葉を待つ燕たち
『白岡小学校、…燕たちが通う学び舎よ』
「え!?」
「なぜそのような場所に」
「罠の可能性あり?」
思いもよらない場所に彼等の間で様々な憶測が飛び交う。
『敵の狙いは定かではない…けれど、彼女と一緒に咲耶の気配もある』
「咲耶ちゃん、無事だった!」
咲耶の安否を聞いて、胸のつかえが取れる燕だったが…
『だけど、良くない状況よ』
「どういう意味ですか?」
『…2人の傍に邪悪な気配が3つ……いえ、これはもう1つ?』
「?――真白様でも知覚できない……何者ですか?」
『なんとも言えないわ。もしかしたら私の気の所為かも』
曖昧な事を口にしてしまったと己の失言に反省をするが、早々に気を取り直すのは、流石は神様である。
『コマ、こちらの戦力は?』
「はっ、申し上げにくいですが、現状、双刃と我々以外の戦力は見込めません」
『たしか、葵さんは外の街へ出張中………双刃は、まぁ大丈夫でしょう』
現段階で、可能な限りの戦力は少数。この戦力で事に当たらなければならない。
真白様は一考したのち、神託を授ける。
『ヤドリギを彼の者に託す時が来たのかもしれません』
「真白様、では―――」
『はい。街に厄をもたらす不届き者に神罰を下しましょう』
「「はっ!」」
真白様の言葉に士気が上がる神使、そして……
『燕、今回は、貴女にも働いてもらいますよ?』
「え?で、でも私なんかじゃ足手まといになるんじゃ―――」
働いてもらう…遠回しな言い方をしているが、彼女の力の本質上、それは表に立って戦う事を指している。
『あら?自信がありませんか?それともコワい?』
「うぅ……正直、どちらもです」
意地を張らず、己の弱音を吐露する少女。…そんな彼女を真白さまは、姿は見せずとも、微笑みを浮かべて愛おしい眼差しを向ける
『素直な子は好きですよ。でも、このままでは、何も得られないままです』
「え?」
『私は人の縁を結ぶ力を持った神です。…しかし、これは人の持っている可能性をほんの少し照らしているだけにすぎません』
「真白様?」
真白様が何を言わんとしているのか、燕は測りかねていた。
『前に言っていましたね。「彼の隣に立ちたい」あの言葉を嘘にしていいんですか?』
「違う!嘘じゃないもん!でも、恐いの……熾輝くんが居なくて、咲耶ちゃんと可憐ちゃん、それに左京までが居なくなって、私だけじゃ―――」
『独りじゃありまえんよ』
考えただけで震えだす体を、自身の腕で抱きしめる小さな女の子
だけど、少女を包み込む温もりが、確かにそこにはあった。
『私たちが付いています』
「真白さまぁ―――」
顔を上げれば彼女の前には、いつも傍に居てくれた家族が居た。
幼い日より、彼女を影ながら守り続けてきた家族の顔がそこに―――
そして一泊、少女が目を瞑り、深く呼吸をしたのち、開かれた眼に強い意志が宿っていた。
「やる!私がみんなを助ける!」
少女の言葉を受けた神は、ニコリと笑い、付き従う神使たちへと神命を言い渡す。
『では、参りましょう。この戦いにおいて、誰一人として犠牲には致しません』
古から街を守護してきた神と守り人が遂に戦いの渦中へと身を投じる。
◇ ◇ ◇
「――まったく、手間のかかる娘だったよ」
「ローリー!なんで待ってくれなかったの!」
一切の躊躇もせず、燕に魔術を放った男…エアハルト・ローリーに対し、アリアが非難のの声を上げる。
目の前には黒い球体が浮かんでいる。
つい先ほどまで少女が立っていた場所にだ。
「すまない。けど、勘違いをしないでくれ。彼女には時がくるまで大人しくしてもらっているだけだ」
「……害は無いのね?」
アリアの質問に「あぁ」と短く答える。
「それよりも、刹那と剛鬼が役目を果たせていないという事は、あちらに神使が現れたという事だろう。」
「…コマ、右京―――」
「まぁ、2人の敵ではないが、これ以上余計な邪魔が入るのは、私としても好ましくない。面倒だが私が行って―――」
『行かせませんよ――』
今も集まらない2人の式神を迎えに、ローリーが動こうとしたとき、声が響き渡った。
その声は先ほど、魔術で無力化したはずの少女……そう、細川燕のもので間違いない。
音源を探り、黒い球体へと振り返ったその刹那、男が行使していた魔術に亀裂が入った。
「なに―――?」
声を上げたのも束の間、魔術は音を立てて崩壊し、中から現れた少女を見て、思わず息を飲む。
姿形に変化がある訳ではない。
それなのに、彼女が纏う雰囲気は、およそ人が漂わせる物とは全く異質な力―――
その雰囲気は、まるで別世界の生き物。
余りにも現実離れし過ぎている彼女を前に………
「神々しい―――」
そう表現する以上に言葉が見つからない。
「………君はいったい、何者だい?」
目を奪われていた……そう認識した男は、ハッと我に返り問いただす。
「我が名は、真白ノ神」
「真白ノ神だと!?バカな!」
ここへきて、男は初めて驚愕を表情に出した。
「街に厄をもたらす邪悪なる者よ、懺悔の時間ですよ」
神々しき力を身に纏い、細川燕……の中の真白様が流麗な動作で一歩を踏み出す。
彼女からは、明らかに闘う意思を感じる。
その敵意に男から先程までの驚愕の表情がスッと消え去り、代わりに苦々しい顔が表に出る。
「チッ、……アリア!」
神気を纏った少女に対し、畏怖を覚えたローリーは、アリアへと手を伸ばした。
「で、でもローリー、あの子は――」
「いいから杖になれ!このままじゃあ、私たちの悲願も果たされないんだぞ!」
「だけど―――!」
「また独りになりたいのか!」
「っ―――!!?」
脅迫とも言える恫喝に、アリアは無言で頷くと、人型から杖へと形状を変え、男の手の中に納まった。
「……なるほど、そうやって彼女の心を操っているのですか」
目の前でのやり取りを見ていた真白様の目が、スッと細められた
「失礼な言い方はよしてくれ。私と彼女の事を何も知らないくせに―――」
「判りますとも」
「…なに?」
他人が余計な口出しをするなと言う男の予防線に対し、彼女はお構いなしにそれを踏み越える。
「私は縁を司る神です。あなた達の間に結ばれた縁は、依存と利用……まるで呪いのように縛り、押し付け、苦しめる。そのような悪縁は、神の名の下に断ち切ってみせましょう」
悪しき縁を終わらせるべく、真白様が纏う神気が膨れ上がった。
「土地神風情が調子に乗るな!また、あの時のように…いや、今度こそ確実に滅ぼしてやろうか!」
「出来るものならやってごらんなさい。言っておきますが、私をあの時と同じと思っていたら、滅ぼされるのは彼方の方になりますよ?」
「ぬかせ!大魔導士と呼ばれた私の力を舐めるなああぁあ!」
互いの力が臨界に達した瞬間、激しい閃光が屋上を照らした。
古の時代から街を守護する神と古の大魔導士の戦いの火蓋が切って落とされた。
◇ ◇ ◇
屋上から放たれる眩い発光が、学校全体を照らしている。
「どうやら始まったようだな」
「チッ、派手にぶっ放しやがって。こちとら結界もまだ張れていないって言うのによぉ」
「やれやれ」と溜息を吐くのは、エアハルト・ローリーの式神である剛鬼だ。
「ならば急ぎ結界を張るといい。この戦いに一般人を巻き込む訳にもいかないからな」
待っていてやると、凛とした姿勢を崩し、腕を組むは、真白様の神使であるコマだ。
「よく言うぜ。いきなり現れたくせに・・・」
剛鬼は、突然現れたコマに対し、先ほどまで警戒をしていた。
単純な地力では、圧倒的に勝っているハズ…しかし、彼の直感がヤツは危険だと言っている。
なにせ、雑魚だと思っていた少年に手を焼いていたのが、つい先ほどの話だ。
単純なパワー以外に、この神使には何かあると感じるのは、彼の気のせいでは決してない。
だが、思いのほか仕事の邪魔をしないと語るコマから武威が霧散したのを感じ取り、剛鬼は、最後の仕上げに取り掛かる。
魔力を陣に流し込み、あらかじめ学校の至る所に設置していた魔道具とのリンクが完了すると同時、広大な敷地を覆う程に巨大なドーム型の結界が完成した。
その一部始終を見ていたコマから、浅い溜息が吐かれたのは気のせいではない。
「なんだよ、折角準備が整ったんだ。勝手に萎えているんじゃあねえぜ?」
「…いや、すまん。何せ貴様の様な者を再び目にする日が来るとは、思ってもみなかったのでな」
「あん?」
何を言っているのか、理解できないと言った表情が浮かぶ。
「魔術を行使する式神……熾輝から話を聞いた時は、まさかと思ったが、どうやら貴様の主は、とんだ外道のようだな」
言葉の節々に棘がある。
剛鬼の存在に心当たりがあったと語るコマの表情は、冷静そのものだが、それがかえって彼の感情を読みずらくしていた。
「はっはっは!主が外道なのは確かだ!だけど、お前は俺達の事について知っていたのか?アイツ曰く、失われた禁呪法って言っていたが?」
己が主への侮辱をまるで気にしていない様に笑い飛ばす剛鬼に対し、コマはただ黙って見つめていた。
そんなコマの冷ややかな態度に、「格好つけやがって」と内心で吐き捨てる剛鬼から闘気が膨れ上がる。
「まぁ、難しい話はどうでもいい!こっちも時間が押しているんだ。早い所始めようぜ!」
剛鬼は、両手に鉄球付きの鎖を出現させると、構えをとった。
「…いいだろう」
そう言ったコマも無手による構えを取る。
「おいおい、武器を使ってもいいんだぜ?それとも背中のソレは飾りか?」
言って、剛鬼はコマが背負っている布袋を顎で指す。
布の形状から言って、中には1メートルを超えるであろう棒状の何かが入っていると観察できる。
「気にするな。これは、ある人物への届け物だ。それに、私は元より無手での闘いを得意とする」
「へぇ、……まぁいいか」
場の空気が一瞬にしてピリピリとした緊張を帯びる。
そして、緊張状態が臨界を迎えた瞬間
「いくぜえええぇええ!」
「来い!」
2人の戦いもまた、開始されたのだった。
◇ ◇ ◇
場所は変わって、校舎内・・・
刹那の行く手を阻むように、1人の神使が廊下のど真ん中に立っていた。
「あらあら~♪誰かと思ったら、神社の犬っコロじゃない。こんな所で何をしているのかしらぁ?」
嘲りを含んだ笑みを浮かべながらコマへと言葉を投げかける。
そんな刹那の態度に目をスッと細め、苛立ちを孕んだ視線を向けた。
「お前に聞きたい事がある」
「…何かしらぁ?」
「熾輝と可憐、そして私の片割…左京に何をした?」
言われて、「あぁ」と思い出すような仕草で刹那が両の手をポンッと打つ
「あの3人なら始末したわよぉ。とは言っても、殺しては居ないけど…」
刹那の言に内心で胸を撫で下ろす。主の事を疑っていた訳ではないが、3人の生存は真白様の力で確認済みだ。
裏付けとして直接対峙したであろう目の前の女の口から「殺していない」と聞けただけでも彼女の精神は幾らか和らいだ。
しかし、続く刹那の言葉で表情が凍り付く事となる。
「でもぉ、少年と犬っコロは、どうなるか判らないなぁ」
「!?―――どういうこと?」
表情を僅かに歪ませた右京の変化を見て、ニヤリと嫌な笑みを浮かべた刹那が不安を煽るように続ける
「子供の方は、生命力を根こそぎ奪ってやったから、下手したら死ぬかもねぇ」
「なん、だと」
「フフ、…それに犬っコロの方も深手を負っているわん♪あれじゃあ、自己再生も出来ないでしょうから、消滅も時間の問題よぉ♪」
「貴ッ―――!」
「貴様!」と叫ぼうとした右京を嘲笑うように、刹那は口元を引き裂かんばかりに広げて笑い出す。
「あはははははははは!いいわねぇ!その表情!不安と絶望の入混じった顔!特にあなたの様な清廉そうなヤツがグシャグシャに歪めていく様を眺めるのが堪らなあああい――――♪」
狂ったように笑いだす刹那
狂おしい程に右京の絶望感を愛でるその様は、狂人のそれである。
しかし、笑い狂う彼女の背筋に悪寒が走り、一瞬にして意識を戻さざるを得なくなる事態が発生した。
『ならば貴様の首を刎ねて、救出に向かうまでの事―――』
静かで、それでいて重みのある声
純粋な殺気のみを纏わせた深い音声が響き渡った瞬間、刹那の首筋に向けて一刃が閃いた。
「んなっ!!?」
殺意を感じ取った瞬間、刹那は跳んだ。
何処からの声なのか、そして何処から攻撃が来るのかと言うのが判っていた訳ではない。
殆ど直感で跳んだのだ。
しかし、その直感に彼女は救われたと言わざるを得ない。
回避行動に移った刹那の首筋を刃が掠める。
一瞬でも躊躇していようものなら、首から上が切り離されていた所だ。
「っ!――――アンタ!」
地面を転がり、すぐさま体を起こした視線の先には、熾輝たちと同い年くらいの背丈をした1人の少女が居た。
「知らせを受け、急ぎ駆け付けたが遅かったッ―――!」
一撃を躱された事よりも別に、彼女は主の危機に対し、傍に居れなかった後悔の念を吐き出している。
「フタバ―――」
忠実なる八神熾輝の式神……双刃を目にした右京が彼女の名を漏らす。
「何よ、誰かと思ったら、あの出来損ないが従えている式神……いいえ、式神にもして貰えていない只の亡霊じゃない」
「……貴様、いま何と言った?」
刹那の言葉を受け、双刃の眼がゆっくりと、大きく見開かれた。
その瞳には殺意の灯がユラユラと、だが決して弱くない光として蠢いていた。
「きゃははは♪怒っちゃった?でも、式神として認めてもらっていない以上は、そこら辺の亡霊と変わらない雑魚でしょう―――♪」
「誰を出来損ないと言ったあああぁあああっ!」
ビリビリと鼓膜を震わせ、校舎の廊下に並ぶ窓ガラスが一斉に揺れた。
刹那の言葉を強制的に切り、放たれた音声だけで単一の攻撃と誤認する程に・・・
「~~~ッ‼・・・・・うるっせええなあああっ!大きな声を出すんじゃあないわよ!」
今度は、思わず耳を塞いでいた刹那が怒鳴り声をあげる。
廊下の傍らでは、耳を塞ぎ損ねた右京がクラッと頭を揺らしていた。
「貴様に熾輝さまの何が判る!」
「知らないわよ!あんな生意気なガキの事なんか!」
「ぬかせ、この阿婆擦れが!」
「何ですって!アンタこそ、チンチクリンな形して!ガキの趣味に合わせてたりする訳ぇ!」
ぎゃーぎゃーと言い争いを始める2人……
「あああもうっ!アンタと喋っていても埒があかないわ!いい加減うっとおしいから掛かって来なさい!アンタなんか瞬殺よ!」
「言ってろ!我が紅桜の錆にしてくれる!」
互いの殺意がジリジリと火花を散らせる。
「フタバ、加勢、感謝」
怒りと不安に呑み込まれ掛けていた右京であったが、目の前で繰り広げられる2人の言い争いを見て、冷静さを取り戻す事ができ、双刃の隣に立つ。
「右京殿、この無礼者を即刻倒し、貴女を左京殿の救出に向かわせてみせます」
「…感謝、でもそっちも熾輝のこと―――」
「心配無用でございます。我が主にとって、あの女が言う様な死線など日常茶飯事、己の身の守り方も心得ていましょう」
そう語る双刃の顔には不敵な笑みが張り付いていた。―――しかし、それがやせ我慢である事は、彼女には直ぐに判った。
だけど、今は目の前の敵に集中せざるを得ない。
正直、刹那相手に右京だけでは、厳しい事は判っていた。
だが、何の策もないまま強敵に挑むほど、右京もそして真白様も愚かではない。
―(どっちにしろ、今は時間が必要)
窓の外に覗き見える校舎の時計を一瞥した右京は、双刃と共に強大な敵へと挑むのであった。
◇ ◇ ◇
所変わって小学校の屋上で閃光が瞬き、光の中から出てくる2つの影…
「チィッ!土地神とはいえ、まさか神を相手にする事になるとは!」
校舎から飛び出た男、エアハル・トローリは、即座に魔法式を展開させ、己が背に魔力で編んだ翼を形成する。
舌打ちをした男の心情は、焦りや畏怖よりも苛立ちといった不快感的な感情の方が色濃く窺えた。
『あれが燕?……でも、人間に神が降りるなんてこと、ありえるの?』
宙を飛行する中、ローリーを追って屋上を飛び出したもう1つの影、燕を視界に入れたアリアからは、驚愕の声が上がる。
「まさかとは思うが……いや、間違いない」
目の前の現象に心当たりがあるのか、ローリーは苦虫を噛み潰した表情を浮かべる。
「あれは、【降臨術】―――」
『コウリンジュツ?』
男の漏らした声を聴き逃さず、アリアが聞き返すと、「あぁ」と短く答える。
降臨術―――神の力の一端をその身に宿し、神威を顕現させる能力
『そんな能力をあの子は、隠し持っていたって言うの―――』
戦う力を持っていない。神使を顕現させ、神との交信が可能なだけで、ただの女の子だと思っていた少女の力を目の当たりにして、驚愕する一方、不安が立ち上る。
『でも、ただの霊体を憑依させるとは次元が違う……そんな力に人間が耐えられるの?』
「まず無理だろうね。高位の霊体、それも神ともなれば器が耐えきれず、死んでしまう」
『っ!?そんな危険な力を使うなんて!』
「だけど、彼女を見る限り―――!?」
目の前の少女を分析する男へ向かって、一筋の光が放たれた。
思わぬ攻撃を急旋回で躱した男の言葉が強制的に切られる。
『お喋りとは、ずいぶんと余裕ですね』
「いえいえ、私とて神を前に余裕は見せられません―――よ!」
常に距離を取る様に飛行を続ける男の後方に魔法陣が展開され、そこから光が放出された。
その攻撃は、散弾銃のように放出され、後を追う燕の目の前に、まるで雨の様に降り注いだ。
それに対し、地上へと急降下をしつつ、まるで踊る様に襲い来る魔力弾の弾道から外れる。
「はは、まるで舞踊を見ている気分だ」
すごいすごいと拍手を送るローリーは弾幕を張り、魔力弾を躱しながら再び上昇を開始した燕を視界に収めつつ、学校の各所に散った式神の様子を魔力探知によって伺い見る。
―(神使が2人…これは彼の式神か)
コマ・右京が居るのは判る。しかし、なぜ八神熾輝の式神がこの場に姿を現したのかが理解できない。
なぜなら、熾輝と双刃には主従の契約が成されておらず、お互いの位置や危機を察知するといった式神としての基本的な力は備わっていないハズ・・・
そんな彼女がタイミングを計ったかのようにこの場に現れるものだろうかといった疑念が生まれる。
『先ほどから余所見が過ぎますよ?』
「――っ!」
考えに没頭していた隙を見逃さず、ローリーに向けて閃光が放たれる。
だが、その攻撃はローリーに当たる直前に黄金の光によって防がれた。
『ローリー!余所見しないで!』
「あぁ、申し訳ない。つい考え事をしてしまって」
正直、今のは危なかった。
考えに没頭するあまり、敵から意識を外すなど、あってはならない。
万が一にも直撃していれば、流石のローリーもただでは済まなかっただろう。
『お仲間が心配ですか?』
目の前の敵にではなく、己が式神へと意識を向けていたローリーに真白様が問いかける。
「心配?面白い事を言うね」
『おもしろい…ですか?』
「フフ、…神ともあろうものが、敵の力を見誤っているとは」
不敵な笑みを浮かべ、ローリーはやれやれと溜息を吐く
「私の式神は、そこらの雑魚とは訳が違う。その気になれば、あの程度の神使、瞬殺ですよ。そして………貴女もね」
『………』
振りやまぬ魔力弾の雨が一層強くなり、自然と真白様の回避速度も上がっていくが、徐々に躱しきれなくなってきた。
「最初は驚かされたが、ここまでだ。貴女の力はだいたい理解した。私の攻撃に防戦一方になっている時点で、勝ち目など存在しないのさ」
『わたくしの、わたくし達の力を理解した、……ですか』
魔力弾による攻撃から逃げ回る真白様は、学校の敷地内を縦横無尽に飛び回る。
ローリーの言った様に、防戦一方な状況を強いられているのは事実。
しかし、彼女は既に勝ったと言っている男に向け、口元を緩ませる
「……気に入らないね。何がそんなに可笑しい」
『いえ、別に可笑しくなどありませんよ。ただ―――』
一端言葉を切った真白様は、魔力弾による攻撃の目を縫うように一刃の攻撃を放った。
「っ――!?」
予想だにしていなかった攻撃にローリーは、魔法壁を展開させようとする。
しかし、間に合わない。
心の中で「しまった!」と叫ぶよりも速く真白様から放たれた攻撃は、ローリーへと到達し、彼の頬を浅く切り裂いた。
『古の大魔導士殿でも、力を見誤るのですね』
「……貴様ぁ、よくもやってくれたなぁ―――」
今の攻撃によって、ようやく攻撃が止んだ。
その代り男から怒気が込み上げる。
一方、真白様は変わらない佇まいでローリーを視界に収め、荒れ狂う彼の言葉を切る。
『誓約を受けていた我が子等を前に、勝った気でいたみたいですが、ここまでです』
「……なにぃ?」
真白様の言葉を受け、腑に落ちないと言った表情を浮かべる。
心中穏やかではない彼は、どうせ張ったりだろうと心の中で吐き捨てるも、次の瞬間にはその考えが誤りであったと認識せざる負えなくなる。
『既に神域は完成しました』
両腕を大きく広げた神は、一泊置いたのち、拍手を打った。
乾いた音が学校の敷地内を駆け巡り、邪を祓うかの如く、空間の質が一変―――
まるで空気が浄化されたかのような清涼感が場を支配したかと思えば、空間内を駆け巡る様に敷かれている光の道が浮かび上がる。
「なんだ、これは…」
縦横無尽に敷かれている光の道筋―――
その道の終着点に佇むは、街の守護神たる真白ノ神―――
彼の神は、悪しき存在に告げる―――
『さぁ、彼方の罪を懺悔なさい』
言葉と同時、神威が奔流となって邪悪なる者へと押し寄せた。




