第一四八話 死闘の果てに、そして…
熾輝たちが刹那と出会っていたのと時を同じくして、咲耶もまた敵対関係にある男と遭遇していた。
ここにおいて、咲耶達と表現しなかったのは、今現在、咲耶が単身であることを意味している。
熾輝との約束を違えての単独行動をしていた訳では決してない。
気が付けば燕や右京と離れてしまい、目の前に敵が現れてしまったのだ。
ただ、2人と離れ離れになったのは、咲耶の不注意ではなく、目の前の男によって分断させられていたのだ。
「初めまして、結城咲耶さん」
男は初めて会ったにも関わらず自分の名前を知っていた。
ただそれだけの理由で、目の前の男がアリアを攫った張本人であると直感した。
だから、単刀直入に男へと問いを投げる。
「あなたがアリアを攫った人ですね?」
彼女にしては、物怖じせずに言葉が出てきたと思う。
同年代ならまだしも、目の前の男は明らかに成人に達していると、外見上から窺える。
にも関わらず、これだけハッキリと自分の考えを口に出す事が出来たのは、彼女にとってアリアが掛け替えのない存在である事を示している。
そんな彼女の姿を見て、男はキョトンと目を丸くしたのは、彼が知る結城咲耶という少女を考えれば想像すら出来なかった事を示している。
「答えて!アリアはどこ!」
「…少し落ち着いてください」
語気を荒げる咲耶に対し、男は落ち着かせるように言葉を紡いでいく。
「彼女は無事です」
一方的な咲耶の直感による問いただしであったが、男はあっさりとアリアを攫った事実を自白した。
もしも、男がのらりくらりと煙に巻いてしまおうと思えば出来ただろう。
しかし、そうしなかったのは、その必要性を感じなかったからだ。
「ならアリアを返して!」
「もちろんです。元々、私に彼女を害する意思はありませんから」
そう言った男は、立っていた場所から少し身体を横にずらした。
「ア、リア―――?」
「…咲耶」
いつから男の影に隠れていたのかは定かではないが、少女の目の前には、ずっと探し続けていた彼女の姿があった。
「アリアッ!」
彼女の姿を目にした瞬間、咲耶は溜まらず駆け出していた。
男の存在を忘れ、一目散にアリアへ向かって走り出し、そして抱き着いていた。
「アリア!アリア!心配したんだから!」
「ごめん、ごめんね咲耶」
アリアの腹部に顔を埋めている咲耶の目からは、とめどなく涙が溢れて落ちる。
「本当に、…ごめん」
「いいの!アリアが無事ならそれだけで」
「ごめん、ごめん、ごめん―――」
ひたすら謝罪を口にし続けるアリア
その声は、僅かに震えていた。
そして―――
「咲耶、……本当にごめんなさい」
「え――?」
その言葉を最後に、咲耶の意識がボンヤリと遠のいていく。
視界の端には、なにやら淡く光る円が彼女を中心に包み込んでいた。
それは、馴染み深い魔法の光
その式を発動させたであろう彼女をボンヤリとした眼で見上げると、とめどない涙を流しながら少女の顔を見下ろしていた。
「アリア、…どうして―――?」
少女が精一杯に絞り出した声は、虚空に溶け込み、アリアの耳に届く事は無かった。
◇ ◇ ◇
アリアは己の腕の中で眠る少女の顔を見ながら泣いていた。
これから自分たちがしようとしている事に対する罪悪感から彼女の表情には雲が掛かっていた。
「アリア、申し訳ないけど時間が差し迫っている。刹那たちからも連絡がない」
アリアの心を他所に男は急かすように声を掛ける。
「…わかってる」
アリアの反応を見て、男は浅く溜息をつくと、ポケットから携帯端末を取り出して、画面を操作すると、呼び出し口から彼の式神の声が届いた。
携帯端末は、ビデオ電話機能がONにされており、画面上に少年の姿が映し出された。
「やぁ、久しぶりだね、八神熾輝―――」
画面を通してみる少年の目が見開き、男は愉快そうに口元を歪める―――
◇ ◇ ◇
突き出された携帯端末越しに若い男の顔が映し出される。
男は「久しぶり」だと語ったが、熾輝は電話先の男とは初対面のハズ
しかし、この男の声を忘れるハズがない。
「以前は刹那が世話になったね。おかげで解呪に掛かりきりだったよ」
3カ月前、…つまりは熾輝が初めて刹那と対峙した時、会話をした男が画面越しに映し出されている男だ。
あの時は、弱みを握られ刹那を捕獲し損ねた。
当時は音声のみのやり取りだったが、今回はわざわざ画面越しではあるが姿を晒しての登場となる。
「そんな下らない話は、どうでもいい」
熾輝は男との会話を煩わしく思い、切り捨てた上で、キッと睨み付ける。
「アリアは何処だ?」
「…やれやれ、せっかくの邂逅だというのに、君もアリアの事ばかりかい?」
「君も、だと?」
男の口振りに熾輝の中で最悪のシナリオが頭を過った。
鋭くさせていた目を一転させ、僅かに目を見開く熾輝の様子を目ざとく見て取った男の口元がフッ、と歪む。
「心配しなくてもアリアも…そして彼女も無事だ」
そう言って、男は体を横にずらす。
「っ!?」
「咲耶ちゃん!アリアさん!」
携帯電話に映し出されたのは、まるで眠っているように崩れ落ちた咲耶と、膝枕をするように咲耶を介抱するアリアの姿だった。
その様子を見せた男は、直ぐに画面を切り替え、再びビデオ電話のレンズを自分に合わせる。
「見てのとおり、アリアも結城咲耶も無事だ」
「……咲耶に何をした」
画面越しでは彼女の安否は確認できない。
しかし、少なくともアリアが傍に居るという事は、無事なのだろうという希望的観測を己に言い聞かせる。
ただ気がかりなのが画面越しのアリアの様子だ。
うまく言語化できないが、熾輝は彼女に対しても言い知れぬ不安を抱えていた。
「危害を加えるような事はなにも……ただ、少しの間、眠ってもらっているだけさ」
咲耶の安否について男は、あっさりと無事だと答える。
だが、仮に熾輝が男の立場でも同じ事を言うだろう。
なぜなら、万が一にも生死に関わるような状況にあるとしても、生きているという印象を与えておけば、彼女には人質として利用価値が生まれるのだから・・・
「それにしても、君は学習しないね?」
「…なに?」
「だって、そうだろう?以前にも私と交渉した時も彼女たちを交渉材料にされて、むざむざ刹那を引き渡したじゃないか」
当時の事を思い出したのか、男は愉快そうにクツクツと笑う。
「今回は、多少戦える戦力を割り振ってはいたみたいだけど、意味がなかったね」
男がそう言い終えたところで、対峙していた刹那が動き出した。
彼女はゆっくりとした足取りで、熾輝との距離を詰めてくる。
「わかっていると思うけど、抵抗はするなよ?私も彼女に手を出したくはないんだから」
依然、男との通話は続いている。
刹那が突き出す携帯端末から聞こえる男の声は、終始愉快そうで、それが返って熾輝の心を逆撫でする。
「くっ、……アリア!」
画面越しだが、映し出されていたアリアには一見して外傷は認められなかった。
であるなら、彼女は咲耶を連れて逃げ出す事だって可能なハズだ。
「咲耶を連れて逃げろ!」
今、咲耶の元へ駆け付ける事が出来ない以上、頼れる仲間は彼女しかいない。
「ぷっ、…あはははははは!」
だが、思ってもみない者からの笑い声が響き渡り、熾輝は目を細めて声の主を睨み付ける。
「アンタ、なぁんにも判っていないのね!」
「…どういう意味だ?」
「フフフ、どうして居なくなったハズの女が主の傍に居ると思うの?」
「それは、ぉ……」
それは、お前たちが攫ったからだろうと言いかけた熾輝の脳裏に最悪のシナリオが瞬く間に組み上げられていく。
「あの女、…アリアはねぇ」
やめろ、…少年の中で否定しようにも、現状が物語っている。
「アンタたちを裏切って、私たちの側に付いたのよおおおっ!」
「「っ―――!?」」
最悪の状況を突き付けられ、熾輝と可憐の表情が驚愕に染まる。
そんな彼等を見て、足を止めた刹那が心底嬉しそうに笑い続けている。
まるで狂ったかのように、腹を抱え、笑い続ける。
「そんなの嘘です!」
「あははは!は、は……はぁ?」
熾輝の中でそれが事実であるかもしれないという考えに至り、否定する事が出来ない状況で、彼女だけは否定の声を上げた。
「アリアさんが私たちを、咲耶ちゃんを裏切るなんて絶対にあり得ません!」
「……はぁ」
刹那は、可憐の言葉を聞いて、深い溜息を吐いた。
「ちょっと、アンタからもこのお嬢ちゃんに言ってやったら?」
「………」
説明するのが面倒臭いのか、それとも自分が言っても理解は得られないと思ったのか、いずれにしろ、刹那は己の口から全てを語る気は無さそうだ。
熾輝も否定材料を頭の中で探しているが、いくら考えても一つの結論に行きついてしまう。
「うそ、…嘘ですよね!熾輝くん!」
「っ、―――」
「熾輝くん!」
押し黙る熾輝の腕を縋るように握る可憐
「はぁ、……このままじゃあ、らちが空かないわね。こっちもアンタたちに時間を掛けていられないのよ。私的には、そこのガキンチョを殺すくらいの気持ちだったんだけど、そうすると、主が色々と煩いから殺さない程度に無力化するってのが命令だったのよねぇ」
刹那は、聞いてもいない事をペラペラと話し始める
そんな話をするのは、アリアの件を話されても尚、熾輝の警戒が緩んでおらず、臨戦態勢を続けているからだ。
彼女からすれば、このあとに待つ計画のため、邪魔者は可能な限り潰しておきたいのだろう。
だから、刹那は電話口の相手へ向けて一方的に話し始める。
「ちょっと、そこの女に話させてよ。私のいう事を信じようとしないから、直接本人の口から言わせたいのよ―――」
電話口で先ほどの男と会話を始める。
スピーカー機能は、いまだに生きているようで、電話向こうから男が了承する声が熾輝の耳にも届いていた。
そして、間もなく・・・
『―――熾輝、可憐』
「アリアさん!」
電話口から聞こえるアリアの声……しかし、その音声は、いつもの彼女からは想像も出来ない程に重たく冷たい雰囲気を纏っていた。
そして、次に彼女の口から出てきた言葉に、二人は耳を疑った。
『お願い、二人とも抵抗はしないで』
「え――?」
端的に述べられた言葉、されどこの一言が決定的だった
『そっちに居る2人は、命までは奪わないって約束しているわ』
「アリアさん?」
『だから、おとなしくしていなさい。抵抗すれば、怪我じゃ済まなくなるわ』
「まって、待って下さい!」
『咲耶は大丈夫、眠っているだけ……傷付けられるような事はされないから』
「アリアさん!」
裏切られた。―――彼女が発する言霊が鋭い刃になって、二人の心を切り刻んでいく。
『こんな形でゴメン、………さようなら』
そう言ったっきり、アリアは応えなくなり、姿を映さなくなった。
可憐が何度も彼女の名を呼ぼうとも・・・
「はぁ、…これで判ったでしょ?あの女は、私たちの主に乗り換えたのよ」
刹那は再度、深い溜息を吐いて熾輝たちに対し、残酷な事実を告げる。
そして、事実を突きつけられた可憐の頬を幾粒もの涙がポロポロと零れ落ちていく。
そして、顔を俯かせたままの熾輝は―――
「………おい、聞こえているか?」
「「っ、―――!?」」
突如として降り注ぐ威圧、まるで頭を何者かに押さえつけられているという錯覚すら覚える。
いや、そんな生易しい感覚ではない。
この場にいる熾輝以外の思考が、まるでインクをぶちまけられた様に真っ黒に染まり、背中をムカデか何かが這いずる幻覚に襲われる。
「お前だよ…」
『・・・・・』
純粋な殺気
未だ俯いたままの熾輝の表情は、窺い知れないが、明らかに逆鱗に触れてしまった。と、認識させるには十分だった。
そして、一滴・・・ポタリと僅かな粘度を含んだ赤い液体が地面を汚した。
「っ!し、しきくん!」
ゆっくりと顔を上げた熾輝の右眼、・・・白い眼帯を赤黒く染め上げて、彼の眼から血涙が流れ出る。
「前に言ったよな?」
『・・・・・』
流血に気付いていないのか、それとも、あまりの怒りに痛みを認識していないのか…今は、そのどちらも判らない。
ただ一つ言えることは、これほどまでに邪念の篭った負の念をたかだか10年やそこらを生きた子供が纏えるはずがないという事だ。
「彼女たちに手を出したら殺すとっ!!」
内から湧き上がるどす黒いオーラが荒れ狂い、空間を震わせる。
「黒い、…これが、オーラ?」
能力者でない可憐にも、熾輝から迸るオーラが目に見えて認識出来た。
ただ、そのオーラは黒と表現するには、余りにも汚れている様に視える。
まるで、この世に存在する負の力を集めたかのような不気味さを感じさせるほどに。
「っ!?――なんなのよ!アンタは!」
熾輝の余りの変貌に悪寒が走る。
目の前の少年から発せられる力は、彼女にとっても異質なものだった。
―(コイツ、ヤバすぎる!だけど、……)
対峙する少年の異常性を察し、即座に撤退を開始するべく身を翻そうとする刹那であったが、その判断は、彼女自身によって否定された。
―(このまま放置すれば、必ず私たちの目的の障害になる)
熾輝をこのまま野に放ち、後の障害足りえる危険性と、この場で対処する危険性を天秤に掛けた彼女は、手にしていた携帯端末を放り投げ、代わりに大鎌を握り直す。
「チッ、…来なよ、ボコボコにしてやんよ!」
得体の知れない力を纏った熾輝を睨み付け、刹那は戦う事を決断する。
「………」
「………」
どす黒いオーラに覆われた少年と刹那の視線が交差する。
視認出来る程に可視化したオーラは、熾輝の姿を覆い隠し、お互いの視線が交差しているのかすらも怪しい。
だが、直感で判る。…今現在、相対している者同士の視線がぶつかり合っているのだと。それと同時、熾輝は我を忘れているのだと――――――
「―――――――――ッ‼‼」
声にならない音声がその場に木霊した瞬間、得体の知れない少年が動いた。
「くっ!」
相手の力が判らない、…それ以上に力の不気味さに気圧されて、刹那がバックステップを踏む。
一度キャンセルされたアクセルを再び起動して、スピードで翻弄する作戦のようだ。
だが、…
「迅っ!」
間合いを外すために後ろへステップを踏んだ刹那との距離が一瞬で潰される。
少年が身に纏う黒いオーラが右手に集中し、負の念を孕んだ一撃が刹那へと向けて放たれる。
―(殺ら―――)
殺られる!そう認識する間際、鈍い光を帯びた物体が横合いから飛来した。
「ッ―――――!⁉」
物体は襲い掛かる熾輝の身体を捉えると、衝撃音を響かせて、そのまま民家の外壁へと激突した。
「………遅いわよ」
顔を引き攣らせたまま硬直した刹那の視線の先、…鎖付き鉄球を手にした男へと声を掛ける。
「悪い、再生に時間が掛かった。」
声の主、…それは、先ほど熾輝に倒されたハズの男が無傷の状態で立っていた。
「熾輝くん!」
「おっと、お嬢ちゃんは、こっちだ」
「きゃああっ!」
男の放った鉄球をもろに喰らった熾輝の身を案じ、駆け寄ろうとした可憐の身体に、一瞬にして男の鎖が巻き付き、彼女の動きを封じた。
「………っ!?乃木坂さん!」
衝撃によって意識をボンヤリとさせていた熾輝であったが、可憐の悲鳴を聞き、一気に覚醒した。
そして、瓦礫を掻き分けて現れた熾輝の身体からは、先ほどまで纏っていた黒いオーラが完全に消え去っている。
「うわっ、アレを喰らって無事とか、どんな身体してんのよ」
這い出てきた熾輝を目にして、目立った外傷が無い事に驚きを覚えつつも、その異常なまでの耐久力を目の当たりにして、「気持ちわる!」と吐き捨てる。
「お前っ!彼女を離せ―――!」
「おっと、動くんじゃあねぇぜ」
可憐を救出するべく動こうとした熾輝の挙動を男が制する様に、鎖を巻きつけられた少女を引き寄せ、喉元に指を添える。
「動けばどうなるか…わかるだろう?」
添えた指にほんの少し力を入れて、熾輝に対し警告を示す。
「い、や…やめ、て」
男に喉元を抑えられている可憐の声が恐怖で震えている。
「っ、卑怯者め」
「はははぁ~、俺を責める前に力のない自分を恨むんだな。」
恨めしそうに非難の声を吐き捨てる熾輝に対し、男は口元を歪ませて応える。
「…マグネット、クラッシュ、そして再生の魔術。どれもローリーの書に記されている魔術ばかりをこれ程までに自在に使うなんて」
「へぇ、気付いていたか」
男が使った魔術、その威力は紛れもなく本物。
そして、あれ程の高度な魔法式を一瞬とはいえ、眼にした熾輝が見間違うハズが無い。
「どんな手品を使ったかは判らないが、お前たちの異常さを見誤った僕の失態…潔く負けを認めよう」
「随分と素直になったじゃねぇか。やっぱり、このお嬢ちゃんたちがお前にとっての弱点なんだな」
「・・・・・」
「何を今更」と心の中で吐き捨てる熾輝であったが、彼の脳内はこの状況を如何にして切り抜ければいいか、そればかりを考えていた。
そして一か八か、未だに習得出来ていない力……仙術を使う道を考察し始めたとき
「おっと、下手な真似はやめておけよ?そうやって、会話を引き延ばすのは、良からぬ事を考えている証拠だ」
「っ、―――」
「へへ、図星のようだな。言っておくが、少しでも妙な動きをしたら、大事なガールフレンドの喉に傷が付いちまうぜ」
喉、それは彼女にとって大切なもの。
歌手になるという夢を歩むために欠かせないファクターだ。
そんな夢を知っているからこそ……いや、知っていなくても、彼女を人質に取られた段階で、熾輝に選択の余地は最初から存在していない。
「……判った、彼女に手を出すな」
そう言った熾輝の身体から完全にオーラが霧散する。
構えを解き、無防備である事を男に示す。
「へへ、いい気味だな…おい」
「わかってるわよ」
人質を取って優位にある男は、熾輝の態度を見て、引き裂くような笑みを浮かべる。
そして、声を掛けられた刹那が熾輝の前に歩み寄った。
「坊や、喧嘩を売る相手を間違えたわね」
「……約束しろ」
「なに?」
「絶対、彼女を傷つけないと」
絶対的不利な状況で、条件を突きつけられるほど、熾輝の立場は強くない。
しかし、それでも……例え力が及ばなくても、彼女を無事に家に帰さなければならないという使命感のようなものが、彼の中で渦巻いていた。
「……いいわ。坊やがこれ以上、抵抗しないのならね」
「判ってる。好きにしろ」
相手が約束を守るとは限らない。
だが今の熾輝には、相手の感情を出来る限り荒立てず、無抵抗を示して従う他に術はない。
そんな様子を愉快そうに眺めた刹那は、舌なめずりをして、彼の頬に両手を添えると―――
「それじゃあ、遠慮なく♡」
「っ―――!!?」
従順であることを示した次の瞬間、熾輝の口に刹那の唇が押し当てられた。
その行為は、傍から見ればただのキスである…が、実際は違う。
【吸収】、ローリーの書に記されている魔術で、その名のとおり対象の生命力を吸収する。
「ん、―――んく―――ん―――――ぷはぁ♡」
ゴクゴクと、喉を鳴らしながら生命力をたっぷりと吸収すること数分、…刹那は、満足した艶のある笑みを浮かべ、ようやく熾輝を解放した。
途端、力なく地面に倒れ込む彼の顔色は、土気色に染まり、殆ど生気を感じる事が出来ない。
「熾輝くん!」
「へへ、ざまあねぇな」
熾輝が戦闘不能になった事を確認した男は、鎖で拘束していた可憐を解放した。
彼女を束縛していた鎖が解けたことから、すぐさま地面に倒れ伏している熾輝に駆け寄る。
「熾輝くん!しっかりしてください!」
「……ぁ、……ぁ、ぁ……」
意識は辛うじてある。
だが、生命力を根こそぎ奪われた彼にはもう、立ち上がる力はおろか、喋る事も出来ない。
「やれやれ、ようやく大人しくなったか」
「っ!こ、来ないでください!」
もはや力尽きた状態の熾輝に近づこうとする男を見て、可憐が精一杯の勇気を振り絞り、少年の上に覆いかぶさるようにして彼等から守ろうとする。
「勘違いするんじゃあねぇよ。戦えなくなったソイツに、もう興味はねぇ」
「ただ、保険は必要よねぇ♪」
生命力を奪って余韻に浸っていた刹那は、足元に転がる熾輝に向かって手を翳す。
「っ!?やめて!これ以上、熾輝くんに酷い事をしないで!」
「…安心しなさい。こっちも約束は守るわよ☆」
そう言った刹那の掌から魔法式が展開し、徐々に輝きを増していく。
「あぁ、そう言えばガキ…俺の名前を聞いていなかったって言っていたな?」
「………」
地べたに横たわったまま、熾輝の視線だけは男へと向けられている。
「俺の名は剛鬼……まぁ、二度と会う事は無いと思うが、お前に屈辱を与えた男の名を心に刻んでおきな」
そう言った剛鬼の言葉を最後に、刹那が展開する魔法式の輝きが臨界へと達した途端、熾輝と可憐の世界が割れる様に音を立てて崩れ去った。
「……さて、邪魔者も排除した事だし、私たちも行きますか」
先ほどまで死闘を演じていた場所には、刹那と剛鬼の2人だけが立っており、熾輝と可憐の姿は消えていた。
「あぁ、これ以上時間を掛けたら、主に何を言われるか判ったもんじゃあねぇ」
そう言った2人は、足早に現場を後にした。
人払いの結界が完全に払われ、徐々に人々の気配がこの場所にやってくる前に。
2人が去った場所には、ミサイルを撃ち込まれたような被弾痕が刻まれており、周辺民家にも少なくはない被害が出ている。
その荒れ果てた現場の片隅に、弱弱しく、しかし生きようと脈動する一個の存在が横たわっていた。
―――(だ、れか――――だれでも、いい―――たす、けて―――)
その者は、今にも消えそうな存在を必死に現世に繋ぎとめて、助けを呼ぶ
ひたすらに―――されど、応える者はいない。
―――(たすけ、て―――たすけて―――)
その者を構成する力が徐々に消失を始め、もはや自力で現世に留まる事が出来ない。
―――(おねがい――――ともだちを――――たすけて―――)
虚しく響く願いは、誰の耳にも届かない。
そして、自身の消滅がコツコツと足音を立てて、直ぐ傍まで近づいて来るのが理解できた。
―――(お嬢――真白様、コマ様―――――――右京、――ご、めん)
彼女、………清廉にして堅実なる法隆神社が神使、左京は一滴の涙を流して、暗い闇の中に意識を沈め始める。
彼女に迫る消滅の足音が傍らでピタリと止まり、黒い服に身を包んだ人物が手を伸ばす。
『シニ、ガミ――――?』
「………違う」
朦朧とする意識の中で、左京が発した声に否定を示す。
ただ、彼女にはそれが限界だった。
もっと伝えなければならない事があったのに、せっかく応えてくれる人物が来たのに、彼女は何一つ伝える事が出来ないまま、深い闇に意識を呑み込まれた。
「J!待って下さい!………って、何ですかソレは?」
後方から走ってきた女性は、息を切らせながら同僚の漢を追いかけてきた。
そして追いついた彼の腕の中に眠る、弱弱しくも儚い存在が抱えられているのを認めた。
「犬……の霊?こんなにも清らかな霊体なんて、初めて見ました」
「彼女は、神使だ」
「シンシ……って、例の神社の!?」
彼女の疑問に漢は首肯して応える。
「どうやら状況が変化したらしい。エンジェルの位置は掴めるか?」
漢の声にハッとした彼女は、所持していた携帯端末を起動させ、位置情報アプリを起動させる。
「………ダメです。この場所を最後に完全に消失しました」
画面を見つめる彼女の顔に焦りが生まれる。
破壊された現場の状況から見て、何者かに襲われたであろう事は容易に想像が付く。
しかも、魔力の残滓から見ても敵は魔術師である事は一目瞭然。
如何に達人の弟子である件の少年が傍に居たからと言って、所詮は11歳の子供だ。
人よりも秀でたモノがあるからと言って、その力はたかが知れている。
「ジェイ、お嬢様は、もう―――」
「狼狽えるな」
可憐の身に起きたであろう最悪のシナリオを口にしようとした彼女……キャロルの言葉を遮る。
「未確認の状況が多すぎる。まずは他の仲間と急ぎ連絡を取り、情報の収集だ」
「りょ、了解です……しかし――――」
現段階で、自分たちが成すべきことを的確に指示する漢に彼女は努めて応じる。
だが、やはり可憐の安否が気にならないと言えば嘘になる。
そんな冷静さを欠いているキャロルの耳に、漢の声が鮮明に響く。
「案ずるな。曲がりなりにも最強を自負する師匠連合の弟子が傍に居る」
「そう、ですよね………すみませんでした!まずは隠れ家に戻り、情報を集めましょう」
ジェイの言葉に気持ちを切り替えたキャロルは、身を翻した。
「―――ジェイ?」
「………」
先行する彼女は、同僚の漢が今も動かずに明後日の方向を見上げている事を疑問に思い、声を掛ける。
彼の視線の先には、電線で羽を休める小鳥や塀の上に佇む数匹の猫がいた。
奇妙なのは、その小動物たちは一様にこちらを窺っている様な視線を向けていることだろうか。
不思議に思った彼女も彼等に意識を向けてみたが、これといって不審な感じは受けなかった。
もしも、仮に何者かが放った使い魔の類であるならば、少なからず魔力を感じるハズなのだが、それすら感じられない。
つまりは、こちらを窺っている様に見えるのは、偶然であり、彼女の思い過ごしである。…そう結論付けざるを得なかった。
「急ぎましょう」
「あぁ」
ジーっとこちらを見つめてくる小動物たちの視線が気がかりではあったが、いつまでもここに留まっている訳にはいかない故、彼女はジェイに声を掛け、共に移動を開始した。
そして、2人が去った場所では、彼等のことをまるで観察でもしていたかのように見つめていた小動物たちもまた、示し合わせたかのように各々動きを開始した。




