第一四七話 死闘
「久しぶり、元気してた?」
「………」
まるで友達にでも話しているかのように気安く声を掛けてくる刹那だったが、その顔はニタニタと歪んでおり、視線は粘着物を含んでいるかのように纏わり付いてくる。
「相変わらず無口な子ねぇ。お姉たんにあんな仕打ちをしておいてタダで済むとは思っていないわよね?」
軽口を叩く刹那であったが、既に彼女の力は解放状態へと以降しており、臨戦態勢に入っている。
―(前回のような様子見は無しか)
最初から全力で熾輝と戦うつもりの刹那に対し、熾輝もまた腰を落としての構えを取る。
その一方で、彼女のとなり・・・先程から腕を組み、傍観を決め込んでいる男へと視線を向ける。
見た目は高校生くらいの容姿をしているが、式神である彼等の容姿=実年齢とは限らないので当てにはならないが、なんとなく雰囲気から感じ取れる精神年齢的に容姿と変わらない印象を受ける。
とはいっても一言の会話もしていない男に対して熾輝の直感だけで思っているだけだ。
―(2対2・・・増援まで持ちこたえられればこちらに分があるか?)
現状、戦力として熾輝と左京が目の前の2人を相手取ることは必須だ。
前回の戦いで刹那の力は概ね把握できている。
正直、彼女を相手に勝ちを上げるのは至難の業だが、今の熾輝は以前とは比べ物にならない程に力を付けている。
仮に熾輝が100%のパフォーマンスを発揮出来れば、互角に渡り合える程に―――だが、今回は彼女だけが相手ではない。
左京との2人組で何処まで戦えるか、皆目見当もつかない。
しかし、現在彼等の視界から隠れるようにして咲耶たちに連絡をとっている可憐によって増援が見込める以上は、危ない橋を渡る必要はなしと考えていた。
「安心しろ、俺は刹那の監督役だ」
「…どういう意味だ?」
刹那を正眼に治める一方で、男への警戒を怠らず、どんな状況にも対応できるように構えていた熾輝に男が声を掛けた。
「言葉のとおりだ。主からは刹那がお前を殺さない様に監視する命を受けている」
「お前は手を出さないと?」
その通りだと、言葉に出さず男は首肯して熾輝の問いに応じる。
その一方で、彼等の不可思議な行動に何の意味があるのかと思考する。
「その言葉を信じろというのか?」
出来るだけ彼等の狙いを引き出そうと男との会話を引き延ばし、時間を稼ぐ。
「別に信じなくてもコチラは一向にかまわない。それ自体に意味などないからな――」
「ちょっと、いつまで喰っちゃべっているのよ!いい加減、始めるわよ!」
熾輝と男の会話に業を煮やした刹那が、彼らの会話を強制的に切り、地面を思い切り蹴った。
―(戦いの合図をわざわざ自分から告げる―――なんて親切な式神なんだ)
別に刹那を愚かと嘲る訳ではないが、兵法という言葉は彼女の辞書には無いのだと理解した熾輝もまた、心と体を臨戦状態へと変化させた。
熱き闘争心を内に宿し、頭脳は冷たくクリアになっていく。
心と身体が完全に切り離され、余分な力みが取り払われていく。
「ぜああぁ!」
掌が猛獣の如き掻爪を思わせる刹那の一撃をしっかりと見極めて攻撃を外す。
「なにっ!?」
同時に彼女の側面へ体を捌くと、大地を思い切り踏みしめた全力の拳が天へと向かい放たれる。
「螺旋!天翔拳!」
身体の各部位を螺旋状に連動回転させ、運動エネルギーを拳の一点へと集約させる事により、突きの威力を爆発的に上昇させる。
更には力の流れに従い、インパクトの瞬間に集められたオーラを拳に乗せた必殺の一撃
―(一撃で沈める!)
持久戦を思考していた熾輝だったが、怒りで我を忘れ、彼を弱者と決めつけていた刹那の油断が仇となった。
数々の戦闘経験を経て、攻め時を見極める目を養ってきた熾輝は、彼女の隙を完全に突いた形となった。
「舐めるんじゃあ、ないわよォ!」
完全に捉えたと思った熾輝の攻撃が、不自然なまでに加速した刹那を捕えることなく空を抉る。
「舐めていない、こちらも全力だ」
「っ!?」
攻撃を避けたのも束の間、着地した刹那に向けて白い影が襲い掛かった。
ズドンッ!と、刹那もろともブロック塀に突っ込んだ巨大な白い物体が、身を起す。
『やりすぎた?』
「いや、これぐらいで片が付けば楽なんだけど…」
人語を操る白い物体は、巨大な犬に姿を変えた左京だった。
姿を変えたとは言ったが、この巨大な犬の姿こそが彼女本来の姿だ。
『アイツ、真白様を酷い目に遭わせたヤツの仲間?』
左京の問いに、熾輝は「あぁ」と短く肯定する。
『食べていい?』
己の主を害した者の仲間と聞かされ、右京の目がキッと吊り上がった。
「食べちゃダメ、お腹を壊すよ」
実際に、神使である左京が霊体である刹那を食べる事が出来るのかと言う疑問が浮上したが、今はどうでもいい事だ。
現実世界で一般民家の塀を破壊してしまった事については、後ほど家の所有者に修理代を支払う形で賠償はするつもりだ。
今の熾輝の通帳には、先のグール討伐で得た報奨金がたんまりあるので、金銭的な心配は無用だろう。
「やってくれるじゃない」
と、そこで瓦礫を掻き分けて姿を現した刹那が、ジロリと睨んでくる。
熾輝としてもあれくらいで終わったとは思っていなかったので、常に意識は刹那に向けており、左京も敵意の篭った視線を彼女へと向け続けている。
「正直驚いたわ。3ヶ月前とは見違える程に動きがよくなっているんだもの」
「こちらも色々と修行を積んでいるんでね」
身体に纏わり付いた砂埃を払いながら、刹那は熾輝へ称賛の声を送る。
だが、そんな彼女の様子からは、どこか余裕を感じさせられ、熾輝としては、それが不気味に思えてならない。
実際、あれ程の攻撃を受けても、刹那の身体には掠り傷一つとして付いていない。
熾輝は油断する事無く、構えを取り、再び刹那を正眼に納める。
「うふふ…まだまだ楽しめそうね」
まだまだ余裕を見せる刹那は、ペロリと唇を舐め熾輝と左京に向かって踏み出した。
◇ ◇ ◇
路地裏に身を隠した可憐は、目の前で戦う熾輝を窺い見ながら携帯電話を耳元に当て、別行動をする咲耶たちに連絡をとっていた。
―(咲耶ちゃん、お願い早くでて)
しかし、呼び出しのコール音は鳴るが、一向に咲耶と連絡が取れない。
彼女と一緒に行動している燕にも連絡をしたが、やはり咲耶同様、反応がない。
―(まさか、お二人の身に何かあったんじゃ…)
熾輝と可憐の目の前に突如現れた敵の式神
そして、連絡の取れない咲耶と燕
タイミングからいって、別行動をとっている二人の元にも敵が現れたのかもしれないという考えに至るのは自然な事だ。
不安に押しつぶされそうな気持をグッと堪え、可憐は何度も二人へと電話を架け続ける。
その間も敵の式神と懸命に戦う熾輝の姿が彼女の目に入って来る。
戦況は、戦いの素人である可憐の目から見ても分が悪いのは明らかだ。
2対1という状況で、熾輝と左京は明らかに刹那に翻弄され続けている。
刹那の動きが洗練されているという訳では決してない。動き一つをとっても、熾輝の動作は、刹那に比べても流麗で力強い。
左京も獣特有の俊敏な動きをしている。
だが、刹那の動きに追いつけていない。
可憐から見ても刹那の動きは武術を収めている者の動きとは異質な…いうなれば自己流の出鱈目に近い動きだ。
そんな彼女が圧倒的に勝っているのは、単純なスピード
不自然なまでに…まるでテレビを倍速で見せられているような錯覚すら覚える。
―(これって、まさか魔術を使っているの?)
明らかに自然に反する動き。
だが、この現象は、以前に見た覚えがある。
「…アクセル」
彼女の口から漏れた魔術名
それはローリーの書に収められた魔術の一つ
対象の動きを一定時間ごとに加速させていく魔術だ。
刹那が魔術を使える式神だという事は、あらかじめ熾輝から伝え聞いていたが、もしも自分が思っているとおりなら、彼女はローリーの魔導書を持たずして魔導書の魔術を発動している事になる。
しかし、自分が考えている可能性であるならば、実際に刹那と戦闘を繰り広げている熾輝が思い至らないハズがない・・・
◇ ◇ ◇
「―――アハハハ!どうしたの!全然遅いわよ!」
「くっ!」
まさに防戦一方、戦闘開始直後は刹那の動きに対応できていたハズの熾輝と左京であったが、気が付けば身を固く守りながら刹那の攻撃から身を守り続けていた。
―(この術式は、アクセル!…まさか魔導書無しに術を使ってくるなんて)
予想を超える敵の力に対し、熾輝は今後の戦闘展開を必死に模索する。
熾輝の眼から見て、刹那が起動させている術式は、間違いなくローリーの魔導書に記されているアクセルで間違いない。
本来、魔導書に記されている様な術式は一個人が起動させるには、膨大な量の式を把握し、それに伴い消費する魔力量も桁が違う。
一時的に敵の手中にあった魔術とは言え、それを使いこなせる人間がいるとは考えられない事だった。
もしも、仮に魔導書に記された魔術を自在に操る人間が居るとすれば、それは魔導書の生みの親であるエアハルトローリーだけだ。
だが、ローリーは千年以上前の故人である。であるならば、刹那がアクセルを使っている理由については、何かしらのカラクリがあると推察される。
―(この現状で、それを紐解く余裕なんて無い!)
彼女が魔導書の魔術を使うカラクリよりも、今はどうやって攻略するかの方が重要だと、頭を切り替える。
「左京、少しで良い、時間を稼いでくれ」
『わかった』
熾輝からの依頼に即答する左京
躊躇いなく自分を信じてくれる神使に対し、僅かばかりの驚きを感じたが、それは、本当に一瞬のこと。
熾輝もまた左京の信頼に応えるために、力を切り替えた。
「どういうつもり?」
先ほどまでオーラを漲らせていた目の前の少年から一切の力が霧散し、代わりに内に眠る魔力が迸る。
「また妙な事を考えているわね?…でもさぁ」
不気味な笑みを張り付けていた刹那の顔から表情が抜け落ち、一変して怒りの形相へと豹変した。
「バカにするんじゃあねえええぇ!」
彼女の怒りのボルテージが一気に臨界へと達した。
ある意味、熾輝の行動は彼女のトラウマを呼び起こしたといえる。
もっとも、恐怖といった感情のトラウマではなく、怒りを向けるべきトラウマだ。
熾輝は魔術が使えない。そう思って戦い、前回は痛い目を見た。
なにせ酷い呪いを受け、3カ月もの間、眠り続けていたのだから。
だからこそ、前回はその油断を突かれた訳なのだが、まさか今回の戦いにおいて、熾輝が同じ手を使ってくるとは思ってもみなかった。
故に、同じ手が二度通用する相手だと思われた事に怒りを感じたのだ。
『お前の相手は私』
「邪魔すんなああぁ!」
二人の間に割り込む左京に猛進する刹那
そのプレッシャーに一瞬目を丸くするも、気圧されないのは、流石は神使といったところか。
左京は、熾輝を護る様に2人の間に体を割り込ませ、迫る刹那を迎え撃つ。
獣特有の俊敏な動き、そして牙と爪を駆使して刹那に襲い掛かる。
「遅い!」
「チッ、」
だが、魔術によって自己スピードを加速させている刹那に触れる事すら敵わない。
圧倒的速度で接近した刹那から放たれる打撃が左京の身体にダメージを蓄積させていく。
「ぐぅ、」
「いぬっころがぁ!」
接近してきた刹那に対し、爪を振るうもスルリと躱される。
戦況は、圧倒的に不利だと言わざるを得ない。
「左京!」
と、ここに至り後方で何かしらの準備を整えていた熾輝から合図が送られた。
その合図に呼応して左京が横に跳んだ。
熾輝と刹那の間に遮蔽物はなく、魔術照射を行うに当たり絶好のタイミングと言える。
「はっ!出来損ないの魔法なんて、私に通じると思っているの!」
まるで撃って来いとでも言っているかのように、彼女は熾輝が魔法を発動するまで動かなつもりだ。
挑発的な刹那に対し、熾輝はあくまでも冷静に事を進める。
左京が稼いでくれた時間によって、既に魔法式が完成され、彼の目の前に浮遊する5枚の護符から放たれる光によって巨大な五芒星が形成されている。
―(陰陽系統の魔術?魔法陣自体はスタンダードな物だけど、…効果が判らないわね)
腰を落とし、魔術放射に備える刹那。
そして、1陣の魔法式が起動した。
左京が身を引いて、ここまで1秒弱
「んなっ!?」
熾輝の眼前に用意されていた魔法式の光が臨界へと達し、彼女が魔法攻撃が来ると反応しようとした矢先、思いもよらない方向からの攻撃を受けた。
予想外の事態に対し、刹那は驚愕の声を上げる。
「こ、これは!?」
彼女は、自分に何が起こっているのか、直ぐに理解した。
眼前の魔法……ではなく眼下、正確には彼女を中心とした広範囲に渡り、陣が敷かれていたのだ。
「目の前の魔法式はこのためのフェイク……クハッ!」
魔法陣の影響か、不可視の力が刹那を大地に拘束する。
「この魔術……重力魔法か!」
「ご名答」
刹那の答えに対し、単的に解を示す。
「アクセルは、自己の速度を加速させる魔法。身体強化のように肉体に作用する効果ではないから、一度拘束してしまえばお前の力で振り解くことは出来ない」
「くっ、…アクセルの効果を理解しているからこその策ってわけか」
恨めしそうに睨み付ける刹那に対し、熾輝はまるで気にしていない素振りを通す。
「しかし、判らないわね。出来損ない、…魔術を使えないハズのアンタが、どうして、これ程強力な魔術を発動できる、の?」
断続的な語り口調になっているのは、彼女を拘束する重力の影響によるものだろう。
「答える義理はない」
「チッ―――」
熾輝は彼女の問いをバッサリと切り捨てる
しかし、彼女も幾多の戦闘を経験しているのは伊達ではない。
先ほどまでの熾輝との戦闘を分析し、僅かの間、思考したのちハッとした表情になった。
熾輝の眼前に浮遊する護符、しかし通常の護符とは異なり、内包する力が尋常ならざるモノだと、彼女は今になって気が付いた。
「魔道具…そうか、魔法陣の各所にそれ等を配置して、補助道具としていたの、…か、グッ!」
重力に耐えかねた刹那は、遂に膝を折り、地面に四肢を付ける。
答えを導き出した今、彼女が視る魔法陣には等間隔に設置されている護符が浮かび上がって見え始めた。
「これだけの量の護符を配置させていた事に気が付かないなんて」
「力の偽装は、昔から叩き込まれてきたからね。もはや得意分野だと自負しているよ」
忌々しいといった表情を覗かせる刹那にたいし「さて、」と言葉を漏らした熾輝は眼前で待機中の魔法式に意識を向けた。
「終わりにしよう」
言って、五芒星の魔法式が回転しながら彼女の頭上へと設置された。
そして次の瞬間、「押し潰せ!」という掛け声と共に五芒星が刹那へと落下し、彼女を圧倒した。
ハズだった。
「たくっ、お前は目先の事に捕われると視野が狭くなる……昔からの悪い癖だ。いい加減に治せって」
そう言ったのは、先ほどまで傍観を貫いていた男の声だった。
「…手は出さないんじゃなかったか?」
「それを信じたってか?」
男は放たれた魔法陣を頭上に掲げた片手だけで受け止めながら応える。
魔法の威力が低いということは決してない。にも関わらず、男からは余裕が窺えた。
「まさか、僕もそこまでめでたくはない」
男の底知れぬ力に内心で驚愕しつつも、ポーカーフェイスを張り付けたままに次の行動を起こす。
ショルダーホルスター内に治めていたスコーピオン・シルバーのグリップを握る。
万が一に備え、常備していた銃火器をジャケットの内側から引き抜くと、流れる様な動作で男へと照準を合わせる。
「ふ~ん、それがお前の切札か?」
「………」
男の問い掛けに応えることはせず、両手に握られた拳銃が火を噴いた。
異相空間ならいざ知らず、現実世界…それも現代において銃器の所持及び使用は法律で固く禁じられている。
にも関わらず熾輝がこの2丁を常備していたのは、先の戦いにおいて刹那の実力に自分が遠く及ばないと理解した上、そしてアリアの失踪を切っ掛けに少女たちを守る覚悟を決めたが故だ。
運がいい事に人払いは敵が勝手にしてくれた。
広範囲に向けた探知にも人の気配はない。
であるならば、第三者による目撃の心配を考えることもなく、心置きなく、そして確実に敵を滅する覚悟の元、トリガーを引き絞るのみだ。
しかし、今度こそ熾輝の表情が驚愕に染まる。
「なっ……!」
「なんだ、もう終いかよ?」
頭上の魔法を防ぎ、重力魔法による縛りを受けている男の目の前に現れた鎖……正確には鉄球に鎖を繋げた投擲武器。
その鎖部分に熾輝が放った弾丸が全て防がれていた。
「…磁力か」
「へぇ、一目で看破したか」
吐き捨てるように漏らした熾輝の言葉に、男は不敵な笑みを浮かべて肯定を示した。
不自然に浮遊する鎖に張り付いている弾丸、しかも弾道すらも捻じ曲げて、全ての弾が吸い寄せられるように鎖にくっ付いている。
「悪いが、こっちも時間を取られる訳にはいかないんでね……終わらせるぜ?」
そう言った矢先、男は「ぬんっ!」と気合を込めた掛け声と共に手に持つ鉄球を頭上へと撃ちだした。
その瞬間、2人を圧殺するべく発動していた魔術がガラスを砕いた様に破壊される。
「くっ、……なんて馬鹿力!」
本来なら十分な強度を持たせていたハズの魔術が一瞬で破られたことに、驚愕と共に忸怩たる思いが漏れ出る。
「はっはああ!喰らいな!」
最高天へと達した鉄球が空中でピタリと停滞したと同時、熾輝は鉄球から放たれる魔力光を確かに視た。
「まずいっ!」
術式を読み取った瞬間、バックルの両脇に収められた護符をグシャリと鷲掴み、虚空へと放つと同時、振り向くこともせずに後ろへと駆けだした。
「逃がすかよっ!」
「シキ!」
攻撃の合図と同時、危険を察知した左京が男に向かって飛掛る。
「邪魔だ」
「ッッ――!」
襲い掛かる左京に目もくれる事もせず、男は上空に打ち上げた鉄球とは反対、もう1つの鉄球をマグネットを駆使して左京へと叩きつける。
「左京!―――クッ!」
駆け抜ける熾輝の後ろで左京が鉄球の餌食になり、民家の中へと姿を消す。が、今は足を止める訳にはいかない。
熾輝の行動から逃走を企てたと思った男は、上空へと撃ちあげた鉄球を力の限り引っ張り込み、地面へ向けて撃ち下ろした。
「並列高速演算技!!」
―(間に合えっ!)
虚空へと放たれた護符が熾輝が駆け抜ける軌跡に沿って、規則的な間合いで並べられる。
それと並行して、鉄球の軌道予測に従い並べられる護符
幾重にも重ねられた護符から魔力光が放たれると同時、起動式に従って魔術が発動した
「ゴフッ!」
瞬間、熾輝の身体の至るところからミチミチと肉が壊れる音が聞こえ、せり上がる吐血感を堪えようとしてせき込んだ。
明らかに許容限界を超えた魔術の行使に身体が危険信号を発している。
だが、今の熾輝に悲鳴を上げる肉体へ回す配慮など微塵も無い。
空中で展開された魔術を次々と破り、鉄球が地上へ向けて落下する。
「熾輝くんっ!」
影に隠れて様子を窺っていた可憐が、事の異常さに気が付き声を送る。
その間も鉄球は、重力に従い落下を続けている。
「伏せろっっ!!」
空に放たれた全ての魔法式を粉々に打ち破り、遂に地面へと到達した鉄球の鈍い音が響き渡る瞬間、熾輝が全力で跳んだ。
「きゃっ!」
影から身を出していた可憐に覆いかぶさるようにして倒れかかったと同時、凄まじい轟音、衝撃が二人を襲った。
「っっっっっ!!!」
声すら出せず、何が起きたのか判らないまま、可憐は自分に覆いかぶさる熾輝の身体を強く掴んだ。
衝撃が伝わってくる最中、僅かに開いた彼女の目には、熾輝が発動させた何らかの魔法式が次々に瓦解し、音を立てて弾ける光景だった。
◇ ◇ ◇
「……やり過ぎちまったか?」
付近をキョロキョロと見回して、男は頭をボリボリと掻く。
見渡せば、鉄球を打ち付けた地面を基点にアスファルトがめくり上がり、住宅の壁が砕かれ、近隣の家屋の外壁に亀裂が入っている。
まるでミサイルを撃ち込まれた爆心地の様な惨状だ。
これ程の威力を孕んだ攻撃を受けたのだ。たとえ直撃を避けたとしても小さくないダメージを負っているに違いない。
「ばっか!何やっているのよ!」
「痛って!」
余りにも酷い有様に刹那は男の後ろから頭を引っ叩いた。
「今ので、結界に綻びが出来たわ。目撃される前に戻るわよ―――」
引き揚げを決断した刹那の目の前、男の攻撃によって砕かれた壁の瓦礫がガラガラと音を立てて崩れた。
「……チッ、しぶといわね」
瓦礫の下から出てきたのは、先ほどまで彼女が戦っていた少年、八神熾輝と乃木坂可憐だ。
頭部と口からから僅かに血を垂れ流しながらも、身を挺して可憐を守った熾輝。
外見上は、それ程の怪我を負っているようには見えなかったが、魔術の連続行使の影響は、身体の内側に蓄積されていた。
魔道具の補助があったとはいえ、前準備のない魔術行使は熾輝の身体を確実に蝕む禁じ手なのだ。
「簡単に逃げられると思うな」
「はぁ!?戦況を理解した上で言っているの!?」
この場から撤退を決めていた刹那達に対し、絶対に逃がさないという決意を込め、敢えて挑発するような言い方で彼女らを足止めする。
現状、熾輝が彼女等に勝利するのは難しい。
そんな事は、十分に理解している。
だけど、ここで二人を逃がせばアリアへと繋がる最後の希望を失う事になってしまう。
故に・・・
「アリアを返せ…」
大切な仲間を取り戻すために少年は切札を切る。
「その、弾丸は…」
熾輝の手に握られた一発の弾丸、通常の弾とは異なり漆黒に染められし呪いを内包した弾丸
刹那自身、視るのは初めてだ。しかし、その弾丸から放たれる禍々しい力を身をもって知っているからこそ、直ぐに理解した。
付加の弾丸…熾輝の切札の一つ。
特殊な製法によって生成された弾丸に超自然エネルギーを蓄積させることによって、熾輝の劣化魔法の威力を劇的に向上させる。
ただし、超自然エネルギーの扱いを会得していない熾輝がタグに力を蓄積させるには、1年という歳月を要する。
加えて特殊な製法で生成された弾丸である以上、数に限りがあり、無駄弾を撃てないというデメリットが存在する。
通常ならば、確実に敵を撃ち抜けるという状況下でしか使用しないという制約をしていたが、それを推しても通したい意思が熾輝を突き動かした。
「アリアは、大切な仲間なんだ」
白銀に輝く自動式拳銃…シルバーの遊底を引き、薬莢の排出口から直接弾丸を装填する。
「気を付けて、アレに当たればタダでは済まないわ」
「お前を倒したという武器か…」
ゆらりとした動作で銃口を向けられ、二人は身構える。
引き金に掛けた指を徐々に引き絞り、撃鉄がキリキリと音を立てて起き上がる。
そして次の瞬間
「付加の弾丸」
乾いた炸裂音と同時にシルバーの銃口が火を噴いた
と同時に刹那達は射線上から外れるように回避を行った
「馬鹿め!当たるかよ!」
本来であれば敵の隙を作ってから撃つ必殺の弾丸なのだが、撃つ動作を見られている上に隙を作る策すら労していない。
そんな事すら気が付かづに無暗にタグを撃った熾輝を嘲るように笑う男
案の定、弾丸は二人の間を虚しく通過する…かに見えた
―(術式解放!)
「っ!?」
「なんだとっ!?」
魔術の発動を念じた熾輝に呼応するように、二人の中間に到達したタグに内包されていた魔法式が起動した。
「バカな!魔術の遠隔操作だと!?」
驚愕に染まる一方で、既に発動した術式が空間を黒く浸食する。
バスケットボール大の大きさに膨れ上がった球体が一瞬、膨張したように鼓動を打つ。
完全に予想外の魔術によって回避に移る余裕のない2人に向かって、黒い球体から触手のような腕が飛び出した。
「ちいぃっ!」
「ちょ――!」
反応が遅れた男の身体に複数の触手がベタベタと張り付き、動きを封じる。
「ちょっと!何やっているのよ!」
その傍らで叫ぶ刹那、だが彼女の身体に熾輝が放った魔術の攻撃は届いていない。
「お前は、脆いからな。俺の後ろに居ろ!」
「ふざけんな!あれぐらい避けられたし!」
「そうかよ」と苦笑して応える男。…魔術が発動した瞬間、迫る黒い腕から刹那を守るべく、男は手に持つ鎖をマグネットにより操作し、無理やり回避させていたのだ。
「へへ、こんなもの直ぐに引き剥がしてやる………!?」
身体に付着した黒い触手を引き剥がそうと、鷲掴みにして引っ張り始める男
しかし、彼に付着した魔術はグニグニと不気味な弾力を有しており、引き剥がすことも引き千切ることも出来ない。
「な、なんだコレ!クッソ!取れねぇ!」
「落ち着けって!精神に異常を感じないなら、あの時のような呪いとは別物よ!」
彼等にとって未知の魔術を目の当たりにし、次第に焦りを覚えつつも、攻撃の魔手から逃れた刹那が術式の分析を行う。
「そのとおりだ」
しかし、そのような分析を行う暇を八神熾輝が与えるハズがない。
「術式解放――」
真言を唱えた瞬間、男を中心に魔法陣が描かれた。
「なにぃ!?」
不覚!とでも言いたげに顔を歪めた彼の眼下
正確には地面に散りばめられた5つの弾丸が弾頭を天に向け、一斉に起き上がった。
「魔弾!?いつの間に!」
気が付けば、そこいら中にばら撒かれていた弾丸。
これは、熾輝が大量の護符で術式を展開させる際に、地面にばら撒いた罠だ。
この罠に気が付かれないようにするため、熾輝は敢えてタグを刹那達に見せ、意識を集中させたのだ。
前段階に護符を使った奇襲を掛けている以上、大砲をチラつかせ罠の存在に気付かせないのは、常套手段だろうが、今回、それが見事にハマった形となった。
「這いまわれ!」
そして、紡がれる魔術発動の鍵言
即座に呼応する5つの弾丸
異色の光がユラユラと立ち上り、男へ向けて収束していく。
「ぐあああああぁぁぁああああっ!!!!」
光が男の身体に纏わり付く。
その輝きは、目に見えるとおりの色合いからは想像もつかない程の呪を孕んでいる。
身体中を這い回る魔が、男の表皮を瞬く間に焼く
また、肉体へと浸透し、彼の内側から破壊していく
「なんだ!なんだコレはあああ!」
攻撃を受ける直前、…そして今も身体を破壊しにかかる魔術から逃れようと、防御術式を展開するも、ことごとく術式をすり抜けてしまう。
「既存の魔法障壁、物理障壁に引っ掛からない!?…法則性そのものが違うって言うの!?」
刹那は、目の前でもがき苦しむ男を前に助け出す事も出来ず愕然とする。
そして、男の命を刈り取る死神の声が響き渡る。
「終わりだ……そういえば、最後まで名前を聞かなかったな」
あまり興味を持っていなかったかのように告げる。
「クソッ!クソッ!くそおおおおおおぉお―――――!」
男の断末魔を最後まで聞くことなく、少年は「パンッ!」と拍手を打った。
途端、彼に纏わり付いていた光が一際の輝きを放つ。
例えるなら、ロウソクの炎が如く、最後に見せる一瞬の煌めき。
あれ程までに男を苦しめていた光……引き剥がそうにも纏わりついて離れなかった魔術が嘘のように散らされている。
最後に残ったのは、徹底的に破壊された仮初の肉体の残骸だけだった。
「マジかっ――!」
見るも無残な姿になり果てた相方の姿を前に、刹那の表情が苦悶に染まる。
が、その表情には何処か危機感が薄くしか出ていない様にも感じられた。
「あとは、お前だけだ」
男の残骸を一瞥したのち、傍らに控える刹那へと視線を向ける。
「随分と余裕を見せているようだけど、私1人になら勝てると思っているのかしら?」
戦い馴れをしているせいか、はたまた熾輝が感じた余裕にも似た感覚が当たっているのかは、定かではない。
しかし相方が倒されても、冷静さを失わない彼女に対し、内心驚きを禁じ得ない。
彼女の性格上、心理戦に持ち込めれば、勝機はあると踏んでいたのだが、当てが外れる形となってしまっている。
事実、1対1では彼女に勝つ可能性は限りなくゼロに近い。
更に先ほど男の攻撃を受けた左京の気配から、身動きが取れなくなっている事は明白。
付け加えるなら、熾輝が持ちうる切札は全て切ってしまっている。
味方の増援が期待できないこの状況で、彼の後ろにいる可憐を守りながら戦うのは、客観的に見ても得策ではない。
「試してみるか?」
だが、熾輝は一歩も退いてやる気はない。
例え切札を失っていても、魔術行使による肉体のダメージが大きかろうと
この期を失えば、アリアへの手がかりが消えてしまう予感がしたから・・・
「このッ、………本当に生意気なガキね」
青筋を浮かべて睨み付ける刹那
彼女の手には、いつの間にか取り出された大鎌が握られていた。
「死んでも知らないからね」
「最初から殺すつもりで来ていたヤツの台詞か」
互いが放つ殺気がぶつかり合う。
可憐には、まるで空気がピリピリと震える錯覚すら感じられる。
そして、お互いの緊張が臨界に達しようとしたその時・・・
どこからともなく、甲高い電子音が響き渡った。
お互い意識を向け合いつつ、音源の元を持つであろう刹那が小さく舌打ちをし、熾輝から視線を外すことなく距離をとる。
臨戦状態のこの空気の中、彼女が懐から取り出したのは、携帯電話だった。
殺るか殺られるかの緊張状態で、よくもまぁ電話に出る余裕があるものだと飽きれている一方で、隙あらば攻撃をしてやろうと思っていた熾輝だったが、流石にそこまでの隙を晒してはくれないようだ。
裏を返せば、彼女にとっては電話を掛けてきた相手からの連絡は、今この場よりも優先するべき案件なのだと言える。
そして、携帯端末を耳に当てていた彼女の口元が一瞬だけ吊り上がると、今度は熾輝に向けていた殺気を収めてのだ。
―(何のまねだ?)
彼女の行動に不信感を抱きつつも、決して油断を見せることはしない。
だが次の瞬間、刹那は構えを完全に解き、手にしていた携帯端末を操作して熾輝に向けた。
自ら隙を見せ、尚且つ臨戦態勢を解いた刹那の奇行に面食らい、熾輝の思考が僅かに止まる。
そして、熾輝の意識を呼び起こすように、一人の男の声が耳に滑り込んできた。
「やぁ、八神熾輝」
それは数ヶ月まえ、刹那との戦いで聞いた男の声音と同じものだった。




