第一四四話 始まりの物語
マンションの屋上、そこに佇む少年は、眼を閉じて、精神を集中させながら構えをとっていた。
そして、十分に気が満ち足りたところで、鋭い突きを放つ――。
パンッ!
目の前に用意された板が小気味よい音と共に割れる。
「お見事です!」
その様子を見守っていた少女…の容姿をした式神が拍手をして感嘆する。
熾輝が突き出した手には、卵が握られており、板を割ったにも関わらず、卵の殻は割れずに原型を留めていた。
「………よしっ!よしっ!」
よほど嬉しかったのか、彼にしては珍しく、小さなガッツポーズをして喜びを表現している。
それもそのハズ
先日、街にやってきた昇雲から言い渡された修行方法を続け、いったい卵を何個無駄にしたことか。
グールを討伐した報奨金の半分近くがこの修行(卵代)で消え、毎日のように続く卵料理が最近では苦痛に感じ始めていた。
だが、これで卵から解放される。
「へぇ、変わったトレーニングをしているのね」
と、そこへ先程の修行風景を見ていたアリアがやってきた。
当然、その隣には咲耶が居て、本日は可憐と燕も一緒だ。
「……みんな、おはよう」
「「「「おはよう」」」」
先ほどまで、ガッツポーズをして歓喜していたとは思えない程の変わり身の速さで、いつも通りの落ち着いた様子で挨拶を交わす。
彼女らも、あえてその事には触れずに挨拶をしてくれるのは、彼がたまに見せる感情の高ぶりをからかうと、暫く落ち込んでしまう事を知っている故なのかもしれない。
◇ ◇ ◇
「―――それじゃあ、真白様にも敵の所在は判らないの?」
「うん。真白様の話だと、上手く隠形?しているから、探知できないらしいの」
申し訳なさそうに語る燕に対して「燕が気に病む必要はないよ」と、優しく声を掛ける。
現在、彼等は場所を変えて、熾輝の部屋で今後の事について作戦会議を開いていた。
「だけど、困りましたね。相手の居場所が判らない以上は、手の打ちようがありません」
「でも、ほとんどの魔導書がこっちにあるのなら、もしかして、相手の方が諦めて渡して来るかもよ?」
咲耶の言葉に希望的観測が入っているのは、彼女の性格的に仕方が無い事かもしれない。
しかし、前にも一度、彼女たちに相手の式神の事を話している熾輝としては、それは有り得ないと確信している。
「…まぁ、どちらにしろ、現段階でこちらから仕掛けるのが難しい以上は、常に2人以上で行動するようにしよう」
彼が一番恐れていることは、今の話から判るとおり、万が一にも敵側が力を持たない可憐や燕を狙ってきた場合、確実に敵の手中に落ちてしまうという事だ。
ただでさえ以前の刹那との一件で弱みを晒しているのだ。
神経質と思われるくらいに慎重になるくらいが丁度いい。
「そうね、暫く下校するときは、咲耶か熾輝が傍に居るようにした方がいいかもね」
「あ、じゃあコマさん達にも協力してもらうように頼んでおくね」
「おそれながら、双刃もおります故、お忘れなきよう」
神使である彼らの手を借りれるのであれば、戦力的に問題ない。
そして、双刃もこういった護衛に向いている式神だ。彼女は、複数の能力を隠し持つという式神としては破格の力をもっている。
「わかった。それじゃあ明日からの下校は、複数人での帰宅と言うことで」
「りょうかいだよ」
「わかりました」
可憐と燕からの返事をもらったところで、テーブルに置かれていた紅茶に手を伸ばし、喉を潤す。
「そういえば…」
話は変わるけどと、前置きをして、おもむろに話しだす。
「咲耶が魔導書を収集する事になったのは、なんでなの?」
「「「・・・・・」」」
今更、というより、最後の最後になって、その質問か?といった視線が注がれる。
「あ、そういえば私も聞いたこと無かった」
同調するように燕も話に乗っかる。
「え~っと、本当に今更な感じはするけど……話してもいい?」
「まぁ、いいんじゃない?」
「私もいいと思います」
詳しく聞いた事は無かったが、魔導書を集めるきっかけとなる際に彼女たち3人が関わっていた事だけは、何となくだが聞いている。
「それじゃあ話すけど、落ちとか期待しないでよ?」
別に話の落ちを期待している訳でもないので、熾輝と燕は黙って頷きをを返す。
そして、一泊置いたのちに、アリアが語り始める。
「・・・あれは、2年近く前になるかな?私は、この街にくるまでは、とある魔術結社に身を置ていたのよ」
「魔術結社に?」
「ええ、……そもそも魔導書はローリー亡き後、ずっと私が守っていてね、狙ってくる連中から身を守るためにも、そういった組織の力が必要だった」
彼女が語る話を聞いて、個人の力で魔導書を守り抜くなんてことは不可能だという事は、理解できる。
しかし、この話を始めたアリアの表情には、うっすらと影が差し込んでいた。
「でも、その組織内でも魔導書の奪い合いが始まった。それにローリーと共に戦ってきた知性を持った武器である私も人間の姿になる事を禁じられ、宗主の象徴として扱われていたわ」
思っていたよりも重い話に、熾輝と燕はアリアの境遇に対して、憤りを感じていた。
「そして、事件は起きた。…当時、組織は、とある魔術の媒介を巡って、戦争を仕掛けたのよ」
そこまでの話を聞いた熾輝には、思い当たる節があった。
アリアが居た組織―――
魔術の媒介―――
たったこれだけのキーワードだったが、そもそも熾輝が魔導書の封印をする切っ掛けは、五月女清十郎が潰した組織【暁の夜明け】が保有していたローリーの書を回収するためだ。
であるならば、魔導書をずっと守ってきたアリアが居た組織とは、自分を誘拐しようとしていた【暁の夜明け】であることは、間違いないだろう。
正直に言うと、初めてアリアと出会ったとき、魔導書を守ってきたと聞かされた時点で、もしかしたらという考えもあるにはあった。
しかし、確信が持てなかったため、その考えに蓋をしていたのだ。
「―――結果から言って、組織は戦争を吹っ掛ける相手を間違えたわ。相手の力量も知らずに戦いを挑んで、敗北……私は、宗主が倒れたあと、ようやく人型に戻る事が出来たけど、戦いの影響で、魔導書の中身は龍脈に紛れてこの街へ……」
そこまで語り終えたアリアからは、若干の疲れが見て取れた。
「その後、私とアリアが出会うことになるんだけど―――」
アリアの様子を気遣って、語り手は咲耶へとバトンタッチされた
「アリアはね、最初、一人で魔導書を収集しようとしていたの。でも、魔導書が妖魔に取り込まれているとは知らずに、襲ってきた妖魔に返り討ちにされたの」
この街に来た頃の熾輝も最初は驚いた。
まさか霊体である妖魔に魔導書が取り込まれているとは、誰も思わないだろう。
「そして深手を負った私は、力を振り絞って、SOSの念話を街中に送ったわ」
「念話…でも、それって――」
「熾輝が思っている魔術としての念話ではなく、私の能力と思ってもらっていいわ」
魔術にも念話というものはある。
しかし、これはお互いに同種類の魔術を発動させることによって回線が繋がる。
いわば糸電話みたいなものを想像して貰った方が理解は早いだろう。
「私のテレパシーは、私と波長が合う相手限定で贈られるものだけど、それでも魔力の潜在能力が高くないと交信する事は出来ないわ」
「…なるほど」
「話が脱線しちゃったわね」
魔術の話になると、見境なく興味を示してしまうのは、熾輝の悪い癖である。
「あのときは、私も急に頭に響いてきた声にビックリしちゃった。…でも、苦しそうな声を聴いて、助けなきゃだめだと思ったら、声のする方に向かって歩いていたの。そしたら、倒れていた綺麗な人を見つけて・・・」
「それがアリアさんだったのですね」
可憐の答えに首を立てに振って応える。
「最初は、すごく驚いちゃった。だって、アリアは大怪我をしているし、呼びかけても気絶して応えないし」
「病院には連れて行かなかったの?」
「連れて行こうとしたんだけど・・・」
普通は、大けがを負って倒れている人を見かけたら救急車を呼ぶものだが、口ごもる咲耶を見て、そうする事が出来ない理由があったのだろうという考えが過った。
そして、答えは直ぐにもたらされた。
「そこで、私も人の姿を保っていられなくなって、杖になっちゃったのよ」
「「・・・・・」」
「あのときは、本当にビックリしたんだから」
魔術を知らない者・・・知っていても、目の前で人が杖になれば誰だって驚くだろうと、熾輝と燕は心の中で突っ込みを入れていた。
「結局、その時は何が起きたのか、訳も判らないまま杖になったアリアを家に落ち帰って、1人であたふたしていたの」
「…それでよく家に持ち帰ろうなんて思ったね」
多分だが、普通の人は、杖に姿を変える者を家に持ち帰ったりはしない。・・・だって、恐いもん。
「ははは、…でね、いろいろ考えていたら疲れて寝ちゃって、朝起きたら金髪の女の人が一緒のベッドに寝ていて、更にビックリって感じで…」
「「そりゃそうだ」」
今更ながら思ったが、咲耶はどこか抜けているところがある。
「んん、…まぁ、そこでアリアが目を覚まして、事情を聞いたら魔術の事や魔導書の事を話してくれて―――」
「ちょっと待って、アリアさんは怪我を負っていたんでしょ?大丈夫だったの?」
「あぁ、私って、魔力さえ補給出来れば大抵の怪我は時間を掛けずに治っちゃうのよ」
「「…え?」」
ここへ来ての新事実だった。
アリアいわく、怪我の程度にもよるが、魔力補給によって、キズを完治させる事が可能らしい。
言われてみれば、彼女はローリーが存在した時代から生きている。
であるならば、彼女の身体が魔力を基にしたもので、怪我どころか寿命すら魔力に依存する事になる。
「…………ということは、インテリジェンスウェポンは概念的な存在で、―――」
「おーい、シキーー、戻ってこーい」
またしても変なスイッチが入った熾輝が思考の海に潜りかけたところで、アリアが強制的に引き戻す。
「と、とにかく!アリアから魔術の存在を聞かされたとき、物凄く感激したの。…だって、魔法って、誰もが憧れる力だから、私も魔法少女になれるかもって……」
「魔法少女?」
当時は、…というより、今もなのだが、咲耶は俗に言うところの夢見る乙女である。
そんな彼女がアニメなどに登場する魔法という非現実的な力に夢見るというのは、自然なことであり、自分もそれが扱えると聞かされれば、興味を持たない訳がない。
「ま、まぁ、そんなこんなで、私は咲耶に魔術師として、凄い才能が眠っていると気付いて、ローリーの書を収集する手伝いをお願いしたのよ」
そのときの咲耶の答えは、考えるまでもなくYESだった。
ただでさえ、夢物語の魔法が使えると聞かされたのだ。自分がそれを手にできると聞かされれば、大抵の人間は食付くだろう。
「ただ・・・あの時の私って、結構な人間不信に陥っていたから、最初は咲耶のことを利用してやろうと思っていたかな」
「アリアさんが!?……信じられない」
普段の彼女を見ているせいか、燕はアリアの言葉を受けて、心底驚いていた。
「でもでも!アリアの過去を知ったら、それは仕方が無いって思うよ!」
咲耶は、…当時はどうだったか知らないが、今はアリアの過去を知り、まるで自分の事の様に弁解する。
「ありがとう、………それで、咲耶の魔力を開放したあと、私が返り討ちにあった妖魔のところへ行ったんだけど・・・」
「え?いきなりの実践?」
「ん~、まぁ、熾輝の言いたい事は判るわ。だから、結果を言うと見事に惨敗。しかも咲耶にトラウマを植え付けるおまけ付き」
「「・・・」」
ただでさえ恐がりの咲耶が、生まれて初めて妖魔なんて言う化け物を相手にしたのだ。そりゃあ、トラウマを抱えてもしょうがない。
「それから、数日の間は、魔術に対しての恐怖心が強くて、魔導書の回収が出来なかったわね」
「ちょうど、そのときでしょうか、私と咲耶ちゃんがお友達になり始めたのは」
「…ん?二人は元々仲良しじゃなかったの?」
可憐の言葉を聞いて、熾輝が疑問の声を上げる。
以前、クラス委員長である空閑遥斗から聞いた話では、彼女ら…咲耶・可憐・燕は、同じクラスだったと記憶している。
ならば、クラスが同じ以上は、自然と友達になっているものだと思っていた。
「お恥ずかしい話ですけど、昔の私は、皆さんと距離を取っていて、親しいといえる友達が居ませんでした」
「乃木坂さんが?……信じられない」
自身が知る乃木坂可憐という少女は、社交的で人当たりも良く、物事を冷静に考え、小学生とは思えない大人な雰囲気を感じさせる少女だ。
だから、友達が居なかったと言われても想像が付かない。
「わたしの仕事上、学校を休む事が多くて、どうしてもクラスの輪に入りづらかったという事もありますが……実は、今の学校には、3年生のときに転校してきているんです」
「転校?」
転校の話は、初耳だったが、少女たちの顔を見て、熾輝以外は知っているのだと悟った。
「それで、……言いづらいのですが、私は、前の学校の友達と不仲になってしまいまして」
「……」
不仲と彼女は表現したが、なんとなく…あくまで熾輝の想像だが、おそらくイジメのような事があったのだと思い至った。
クラスの中では人気者で、男女からも好かれている彼女が、どうして?と、心の中で当時の彼女を快く思わなかった見知らぬ相手へ恨みの念が湧き上がる。
「そんなに恐い顔をしないで下さい。もう、昔の話ですから」
「でもっ、………ごめん」
「それに、私にも原因があります。仕事が忙しいのをいい事に、学校へ行かず、クラスメイトとも距離を置いていましたので」
彼女の中では既に終わった事として処理されている。
それを他人が蒸し返す無意味さを理解してはいるが、知らず知らずに怒りが顔に出てしまっていた熾輝を可憐が窘める。
「そういった経験があって、友達を作るのが怖かったのです。でも、今では咲耶ちゃんや燕ちゃん、熾輝くんのような素晴らしい友達に巡り合えて、私は幸せ者です」
彼女は昔の話だと言っていたが、………なるほど、可憐が友達と遊ぶとき、いつも咲耶が一緒にいたのは、心のどこかで昔の辛い記憶があるが故、咲耶と一緒にいる事で安心を得ていたのかもしれないと、熾輝の中で答えが導き出された。
「話を戻しますが、そういった理由から当時の私は、友達を作ろうとしていなかったのです。ですが、クラスメイトの中に、いつも元気にしていた女の子が、ある日突然笑わなくなってしまって、気になって声を掛ける事にしたのです」
「それが咲耶ちゃんだったんだね?」
「えぇ、…咲耶ちゃんは、最初、何でもないと笑っていたのですが、それが無理をしている事は、直ぐに判りました」
可憐は、日本を代表する子役だ。
そんな彼女を相手に作り笑いを向けたところで、直ぐに見破られてしまうのは当然だ。
「あのときは、可憐ちゃんに声を掛けてもらって、すごく嬉しかったよ。……けど、『わたし魔法使いになっちゃった』何て言えるわけもなく…」
「まぁ、そうだろうね。普通の人に言ったところで、ヤバイ人と思われるから」
「はは、…それでも、可憐ちゃんは深く理由を聞こうとしないで、私を元気づけようとしてくれたの」
当時の事を思い出すように語る2人は、お互いに見つめ合い、2人だけの世界を構築し始めている。
「そ、そっか…つまりは、そのときから2人は仲良しになったのかな?」
「そうだね。私も魔法については話が出来なかったけど、可憐ちゃんとは、前から友達になりたいと思っていたから、色々な話が出来て、すっっごく楽しかったし、恐いことも、その時だけは忘れていられたかな」
熾輝は以前、咲耶の部屋に入ったとき、壁と天上を埋め尽くしていた可憐のポスターの事を思い出す。
だから、彼女が可憐と仲良くなりたがっていたと聞いて、物凄く納得した。
「それから暫くの間は、可憐ちゃんと遊ぶようになったの。そのあいだは、魔術もアリアのことも考えないようにして……だけど、そのせいで可憐ちゃんが怪我を負うことになったの」
「怪我……もしかして、魔導書が原因?」
「うん。私とアリアが最初に戦った妖魔は【ゴーレム】……この前、熾輝くんが倒した時と比べれば、すごく小さいけれど、それでも現実世界に来れるくらいには、力を蓄えていたの」
ゴーレムというのは、岩で出来た人形を指す。古来より魔術師はゴーレムを召使として扱っている。
「そのゴーレムが可憐を襲って、あろうことか異相空間に連れ去っちゃったのよね」
「「えっ!?」」
アリアがぶっ込んできた新事実に熾輝と燕は、揃って驚きの声を上げた。
「わたしは物凄く後悔したの……だって、もしも私が魔術とちゃんと向き合って、ゴーレムを封印していれば、可憐ちゃんを危ない目に合わさずに済んだし、怪我もさせなかったから」
「でも、それを切っ掛けに、咲耶は魔術師としての一歩を踏み出したのよね」
「だって、だって、あのときは可憐ちゃんを助けなきゃって、思っていたから!」
3人の間では、もはや当時の事件は、探られて嫌な思い出ではなく、笑い話になりつつあるのか、語り手である彼女らに遠慮がない。
「あのときの情熱的な告白、今でも忘れないわぁ―――」
「わーーーっ!わーーっ!アリア、ストップ!ストーーーーップ!」
一言一句を記憶していると豪語するアリアの言葉を遮った咲耶の顔が真っ赤に染まっている。
彼女にとっては、よほど恥ずかしい台詞なのだろう。
「なによ、いいじゃない。咲耶の良さを皆に知ってもらおうとしたのに」
「お、お願いだからやめて~!恥ずかしいから!」
「ふふふ、咲耶ちゃんたら、そんなにも情熱的に私のことを・・・」
おそらく演技だろうが、可憐は頬を赤く染めてうっとりする。
「まぁ、そんなこんなで、可憐を連れ去った妖魔を追って、私と咲耶は力を合わせて戦い、見事に可憐を救って、魔導書も封印したってわけよ」
「わたしも、そのとき咲耶ちゃんが魔法少女だったことを知りました」
「正確に言うと、あのとき咲耶は魔法少女になったんだけどね」
先ほどから連呼される魔法少女という呼称について、色々と突っ込みたい熾輝ではあるが、目の前で魔法少女と呼ばれ、恥ずかしさのあまり悶えている咲耶を見ているのも悪くないと、少し意地悪な気持ちが芽生えている。
「つまりは、そういった出来事があったからこそ、咲耶は魔導書の回収をするようになったと?」
「うん、まぁ、そうだね。あのときは、可憐ちゃんを助けたい一心だった。…けど、放っておいたら、誰かが妖魔に襲われるかもしれないでしょ?それは、知らない人かもしれないし、もしかしたら私の知っている人かもしれない。…そう思ったら、私がやらなきゃって思ったの」
「…なるほど」
話を聞いてみて、実に彼女らしいと思った。
咲耶は基本的に怖がりだ。…だけど、自分以外の誰かが傷つく事を酷く嫌う。
責任感とかそういった類のものとは少し違うが、彼女は、人の痛みをまるで自分の事の様に受け止める優しさを持っている。
その優しさこそが、彼女の強みでもあり、いざという時の心の支えとして、勇気を振り絞る事が出来るのだろう。
「それに、魔導書は、アリアとローリーさんの大切な思い出が詰まっているから」
咲耶が最後に囁いた言葉は、以前にも聞き覚えのあるものだった。
彼女が誰かのために魔導書を封印するのは、嘘ではない。
だが、心の根底には、大切な人の大切な思い出を守りたいという想いの方が強いと感じた熾輝であった。
◇ ◇ ◇
熾輝たちが今後の方針についての話し合い(殆どが昔話になったが…)を終えて、お互いに帰路へ着く事となった。
「それじゃあ、燕は僕が送り届けるけど、乃木坂さんは・・・」
マンションの前では、先ほど話し合ったとおり、決して1人にならないよう行動するため、各人に護衛役を割り振っていたときのこと
「お嬢様、お迎えに上がりました」
黒塗りの車をマンション前に乗り付けて、スーツ姿の外国人女性が声を掛けてきた。
「キャロルさん、お迎えは……頼んでいましたっけ?」
声を掛けられたのは、もちろん可憐だ。
熾輝たちは、マンションに乗り付けられた車に彼女が乗っている姿を何度か目撃したことがある。
しかし、友人同士で遊ぶ際、いつもなら可憐は車を使ったりせず、普通の子供同様に徒歩で会いに来ている。
もちろん、仕事が控えていれば話は別だが、今回に限っては、どうやら違うらしく、確認の意味も込めて尋ねた。
「いいえ。…ですが大旦那様がご帰宅されたため、奥様から迎えに行くよう頼まれました」
「まぁ、おじい様が?」
大旦那…つまりは可憐の祖父が家に帰ってきているとの知らせを受けて、彼女の表情はパット晴れやかなものになっていた。
彼女の祖父は、実家が経営している会社を息子に引き継ぎ、一線を退いてからは、世界各地を巡って老後を謳歌しているらしい。
それゆえ、日本にいないときの方が多いと彼女から聞かされたことがある。
「すみません、みなさん。そういう訳ですので…」
「オッケーオッケー。お迎えがあるのなら、こっちは安心よ」
「久しぶりにお爺ちゃんと会えるんだもんね、楽しんできてよ」
「また来週に会おうね」
帰宅する可憐にそれぞれが声を掛ける中、1人迎えに来ていた女性をジッと見る者が居た。
「……あの、何か?」
視線に気付いたキャロルは、自分を見つめる少年に声を掛ける。
「いえ、…いつもの人とは違うんだなぁと、思いまして」
「あぁ、キャロルさんは、新しく私のマネージャーになった方ですの。以前のマネージャーさんは、結婚を機に辞めてしまったので」
「へぇ…」
可憐の説明に相槌をするも、熾輝のキャロルを見る目に疑念がこもっていた。が、いつまでも引き留めておくわけにもいかず、キャロルから視線を切り、可憐に向けて他の者同様に別れの挨拶を済ませると、走り去る車を見送るのだった。
「・・・・熾輝って、ああいうのが好みなの?」
「は?」
不意に水を向けてきたアリアに対し、間の抜けた声で答える。
しかし、聞き捨てならない者がここには居た。
「え!?し、熾輝くん、そうなの!?ああいうクールビューティーな女性がタイプなの!?」
まるでこの世の終わりの様な表情で燕が詰め寄ってくる。
確かにキャロルという女性は、クールで仕事の出来そうな印象を受けた。
おまけに、そこいらの男性の目を惹きつける容姿を兼ね備えているとくれば、女性陣からの疑いは避けられないだろう。
「そういうつもりで見ていた訳じゃ…」
燕に詰め寄られる形になった熾輝は言葉に詰まっていた。
なぜなら、先ほど目にした彼女からは、裏世界の住人特有の臭いを感じていたからだ。
鍛え上げられた身体の線は、スーツの上からでも伺い見る事ができたし、動きの一部に何らかの武術特有の体重移動が備わっていたのだ。
しかし、オーラを纏っているかと聞かれればそうでは無い。彼女から感じ取れるオーラは、一般人のそれと変わらないし、かといって魔術師としての魔力も感じる事はなかった。
だから熾輝は、視た。
仙術によって彼女の心の色を・・・しかし結果は、彼女が白だったと言わざるを得ないものだった。
もしも、オーラや魔力を偽装しているのであれば、心に何かしら誤魔化しの色が映るハズだったのだが、そういった色は認められなかった。
「それじゃあ、何か気になる事でもあった?」
彼女の言ったとおり、気になる事はあった。
だが、それは総合的に判断しても自分の思い過ごしであり、勘が外れた形となっている。
「………いや、いい筋肉しているなぁって」
たっぷりと間を置いて出てきた言葉がそれであった。
「………むっつりめ」
「熾輝くんのえっち」
熾輝としては、鍛えられた肉体という意味で言ったつもりだが、彼女達には女体としての意味で伝わっている。
それ故、2人からの非難の声を浴びせられていることについて、おや?っと思い、自分の言動を振り返る。
そして失言だったと気が付きはしたが、あえて訂正しなかったのは、一々言い訳をするのが面倒臭かったと言うのが理由だ。………しかし
「うっ…うっ」
彼の言葉を受けて、嗚咽交じりにポロっと涙を流す少女が1人いた
「え?……えええ!?つ、ツバメ!どうしたの!?」
「し、熾輝くんが、ほかの女のひとに・・・」
まさかのマジ泣きである。
これには、流石の彼も狼狽を禁じえなかった。
そして、あたふたとする熾輝の横では、ニヤニヤとしながら・・・・
「あ~、なーかした、なーかした。しーきくんが、なーかした」
「うっ、うるさいよ咲耶!」
いつもならオロオロとするのは、咲耶の役回りなのだが、今回に限って、その役は熾輝に配役が回ってきたのだった。
◇ ◇ ◇
―――キャロル視点―――
私の名前はキャロル・マルティーヌ・・・
栄えあるフランス聖教騎士団が1人…といっても聖騎士見習いにすぎぬ若輩者です。
私が日本に来たのは、今から3カ月ほど前に遡る。
我らが長であるシルバリオン聖騎士長の命を受け、使徒と思しき者の監視の任についている。
おぼしきと言ったが、フランス聖教の女教皇と聖騎士長の2人には、既に使徒が誰かと言う事が判っているのだが、末端の自分たちには教えられていない。
理由は、他組織が我らの動向に気が付いた際、私含め4人のエージェントが監視をしている少年少女たちの誰が使徒なのかを気取られないためだ。
そして現在、私は使徒候補である少女…乃木坂可憐嬢の監視を継続している。
任務に当たって、彼女は日本の芸能事務所に所属する子役だったため、マネージャーという役職を利用し、近づくことで監視を滞りなく進めていた。
がしかし、数週間前に突如として現れたグールとの接敵…そのさい、あろうことか監視対象である少女に助けられ、あまつさえ通りがかった漢に救われえるという失態を犯してしまった。
本来ならば、役立たずの烙印を押され、祖国への帰還命令も有り得たハズなのだった。……いや、帰還命令ならまだいい。
昔の聖騎士長が相手なら、私は多分、首を切られていた(物理的に)
しかし、今の聖騎士長の温情によって、今も乃木坂可憐嬢の監視の任に付いている状況だ。
そして先日、私にとってまさかの事態が起きた。
事態と言っても事件的なものではない。むしろサプライズの部類だ。
何故か先日の失態を逆に評価され、プリエステス自ら十字架を賜った。
これは、我ら騎士にとって勲章の様なものに値する。
しかもこのロザリオは、宝具の一種で、退魔の力が備わっている他に、魔力やオーラをコントロールせずに覚醒前のそれと帰する効果が付与されている。
つまりは、一般人と変わらないという事だ。
なおかつ、精神干渉を妨害、偽装するという、おおよそ魔術で再現困難と呼べる奇跡を内容している。
話によれば、このロザリオにはプリエステスの使徒としての力、【神聖力】が内包され、そういった効果を発現させているらしい。
もしもこの先、私に子供ができたら自慢して、末代まで受け継がせる家宝にしよう。
・・・話が逸れてしまいましたが、そういった経緯から、私は未だに乃木坂可憐嬢の監視を続けている訳なのです。
しかし先ほど、お嬢様をお迎えに上がった際、1人の少年と出会いました。
名前は八神熾輝…われらフランス聖教の恩人にして、世界の守護者であらせられる聖仙佐良志奈円空様のお弟子様にして、可憐嬢のご学友です。
なんでも、日本では彼の少年は、数年前の神災の生き残りらしく、縁あって円空様が弟子にされたとかなんとか・・・
つまり、件の少年も円空様同様に人の心を知る術を有していると見て間違いない。
目の前で注視されたときは、こちらの正体を見破られないかとヒヤヒヤしましたが、どうやらロザリオの効果が効いたのか、疑いの目を向けられても、やり過ごす事ができました。
とにかく、今後は、お嬢様を監視する以上は、八神熾輝との接触は避けられないため、細心の注意が必要になります。
しかし、お嬢様たちは、定期的に集まって何をしているのでしょうか?――――
◇ ◇ ◇
「―――しっかし、燕ったら本当に泣き出すとは……ぷっ」
「もぅ、アリアったら面白がってからかい過ぎだよ?」
「だって、熾輝のあの慌てっぷりったら、可笑しくって」
現在、咲耶とアリアは熾輝たちと別れ、帰路に着いていた。
話し合いのとおり、2人以上で行動することになっているが、この2人は住んでいる家が同じため、何ら問題がない。
そして、何事もなく2人は家に辿り着いた。
「あっ!」
玄関のカギを開けて、屋内に入る最中、咲耶は突然声を上げた。
「なに?どうしたの?」
「お夕飯の買い出し…」
「忘れたの?」
アリアの問いに黙して首肯する咲耶
「しょうがないなぁ、私が買ってくるから、咲耶は準備を進めてて」
「ごめん。お願いしてもいいかな?」
「おっけー、今日はパパさんの帰りも速いから、急いで買ってくるわ」
そう言ったアリアは、自宅からさほど離れていないスーパーマーケットへ走り出した―――
「あちゃー、何で急に雨が降ってくるのよ」
買い物を終えて、スーパーから出た矢先、先ほどまで雨が降る気配の無かった空に、どんよりと分厚い雲が覆い、ポツポツと雨が降り始めていた。
「ん~、……まっ、いいか」
もちろん傘なんて持ってきていない。
しかし、自宅までの距離を考えれば、この程度の雨に打たれても、さして問題ないと思った彼女は、急ぎ足で自宅へと向かった。・・・・その帰宅途中のことだった。
「きゃっ!」
自宅にほど近い住宅街の路地を曲がったところで、誰かとぶつかってしまった。
完全な出会い頭とはいえ、確認もせずに走ってきたアリアに非があるのは明らかだった。
「ご、ごめんなさ・・・・」
故に、ぶつかった相手方に謝罪を申し入れるのは、当然であるのだが、そこで不意に彼女の言葉が途切れた。
「そそっかしいのは、相変わらずだね」
ぶつかった相手は、アリアとは知り合いの様に言葉を紡いでいる。
彼は、艶のある革製のレインコートに身を包み、両手には漆黒の手袋をハメている。
身長は180センチに届くくらいで、オールバックの髪が雨に濡れて、毛先から雫がポタポタと落ちている。
「う、そ…なんで?」
まるで幽霊でも見ているかのように、アリアの表情は驚愕に染まっている。
だが、目の前の男は、それが可笑しいのか、表情を緩め、柔和な笑みを浮かべている。
「決まっているだろう。もちろん、君を迎えに来たんだよ」
その言葉を聞いた彼女の目からは、自然と涙が溢れだし、いつもの明るい顔がぐしゃぐしゃに歪められていく。
そんな彼女の手を取り、男は引き寄せ、強く抱きしめた。
「長い間、寂しい思いをさせて済まなかった。……これからは、ずっと一緒だ。もう、君を離さない」
男の囁きが、震えるアリアの中へと入っていく。
その言葉には、まるで魔法が掛かっているかのように彼女のこれまでの孤独や悲しみを吹き飛ばす威力があった。
「わたしも、私も逢いたかった!……ローリーッ!」
突然目の前に現れた男は、彼女の記憶の中にあるエアハルトローリーと同一の容姿をしており、彼女自身が本人だと認めている。
そんな古の大魔導士との再会によって、彼女の運命は大きく動き出す。
そして、この日、彼との邂逅は、彼女の千年にも及ぶ孤独を開放させた。
しかし、この後、彼女は咲耶が待つ家に帰る事は無かった。




