第一三四話【逃走中ⅩⅧ】
逃走中は、今回で終わります
ベリアルの出現によって、フランス聖教は手痛い打撃を被った。騎士団の機能停止、多宗派からの責任追及等々、上げればきりがない。
そして、フランス郊外で起きた大規模な武装集団によるテロ、犯人達はゾンビのような不死性を有し、国民に襲い掛かるも、突如現れた男によって沈静化。この出来事は翌日のニュースで取り上げられ、フランス全土のみならず、世界を震撼させた。
そして、各国の代表達もこの事件に対し、様々な思惑を巡らせる―――
「大統領、先日のフランスで起きた事件についてペンタゴンのxファイルチームから報告が上がってきました」
男から渡された報告書に目を通す。しばし書類を舐めるように読み上げると、コメカミを揉みながら深い溜息をつく
「邪神の出現か……まさか現代でそのようなファンタジーな存在が現れるとは」
「表向きには、フランス聖教の使徒が討った事になっているようですが……」
「実際はそうではないと?」
「はい。」
そう言った男は、大統領室の外に待機させていた者を呼び入れる
「失礼するぞ大統領」
「……シリウス・ブラッドレイ将軍、貴公がなぜここに?」
「そんなの知れたこと。アンタ等がこそこそと嗅ぎまわっている件について情報を持ってきたまでだ」
そう言ったブラッドレイ将軍は、1本のUSBメモリーを渡した。
大統領は、それを受け取ると、控えていた男に手渡し、中身を開かせた。
「これは、軍の探査衛星が捉えた映像だ」
映し出された画像はお世辞にも鮮明とは言えないが、ベリアルに対峙する1人の男の姿がかろうじて判る程度には映し出されていた。
「黒髪…東洋人か?」
「名は佐良志奈円空」
「サラシナ……どこかで聞いた名だな」
「当然だろう、日本の五柱の1人だ」
「っ!?実在していたのか!」
ブラッドレイの報告に大統領が驚愕する
「将軍、この情報は確かなのか?」
「あぁ、ワシの友からの情報だ。間違いない」
「友?」
「エージェントjと言えば、アンタでも判るだろう?」
「j……なるほど、彼からの情報なら間違いないか」
jという人物について2人が共有している信頼度は、相当なものなのか、言われて直ぐに納得してしまった。
「それとな、これはjからの忠告だ。佐良志奈円空にちょっかいを掛けるな。国が滅ぶとな」
「…たった1人の人間にそこまでの力があるとは思えんが、現に邪神を打倒した事実がある以上、どこの国も下手に手出しは出来んだろう」
「あぁ、それこそ国と引き換え…いや、世界をチップにした賭けだ。損失の方が大きすぎる。今回はたまたまフランスに…というよりも1人の少女に肩入れした結果、世界が救われた。別にフランスやフランス聖教が佐良志奈円空という力を手にした訳ではない。」
「今後、どこぞの勢力に組する可能性は?」
「天地がひっくり返ってもないと言い切っていた。だが、アレは天災みたいな存在だからな。気まぐれで力を振るう事もありうる」
「なるほど。まぁ佐良志奈円空については放置で構わないだろう」
「それが賢明だ」
「しかし、ここへきて7人目の使徒が現れるとは」
「あぁ、フランスはシルバリオンの存在を隠していたみたいだが、既に大国には情報が知られている。だが、ステイシー・ゴールド…あの少女に使徒としての力が覚醒した以上、世界のパワーバランスは僅かに傾きを見せ始めるだろう」
「貴公の話からすると、佐良志奈円空が肩入れしたのは、その新しい使徒に対してなんだろう?だったら他国も安々と手は出さないハズだ」
大統領の脳内では、新たなる使徒の出現によって発生する世界への影響と国益に結び付けるための計算が現在進行形で行われていた。
「まぁ、ワシ等はアメリカを害する敵が現れた際にいつでも殲滅する準備だけは、出来ている」
「………そうさせないようにするのが私の使命だ。武力とは抑止力でなければならない。その力が振るわれることになれば多くの国民の血が流れる事になる」
「ならば気張ってくれよ。アメリカ大統領」
「無論だ。アメリカが誇る使徒殿」
両者は不敵に笑い互いの領分を再認識するように別れた。
「7人目か………」
大統領は、室内に備え付けてある金庫の中から古めかしい書物を取り出し、難しい顔を覗かせる。
「世界に邪悪が顕現したとき、12人の使徒がそれを迎え撃つだろう……か」
それは、歴代大統領が受け継いできた予言書の一説
遥未来に起きる大災厄が記された書物
しかし、いずれの章には難解な暗号化が施され、部分的な解読しか行われていない
「6年前の神災、そして今回の邪神復活……次は――――」
一見、暗号文としか思えない文字列を前に、アメリカ大統領は深い溜息を吐く。
果たして次も今回の様に人類は生き延びる事が出来るのだろうかと―――
◇ ◇ ◇
「――――そして見事邪神を討ち果たしたワシは、フランスのみならず世界をその魔手から救い、今へ至るという訳じゃ!」
所変わって、ここは日本のとある街にあるマンションの一室
邪神から世界を救った男は、己の武勇伝を子供たちに語り聞かせていた。
ドヤ顔で語る円空の話をキラキラとした目で聞き入る少年、八神熾輝、パチパチと拍手を送る結城咲耶と細川燕、疑わしい目を向けるアリアと乃木坂可憐、そして……
「それで?言いたい事はそれだけですか?」
「………」
笑顔を張り付かせている東雲葵…しかし目が笑っていない。
「申し訳ありませんでしたああああぁぁああ!」
冷え切った視線に耐えかねて、ついに円空が見事なスライディング土下座を決めた。
その美しすぎる土下座は視る者を魅了し、また呆れさせたという………
そんな円空を眼下に収め、ハァ と溜息を漏らす
「まったく、私たちに何の断りもなく熾輝くんの情報を売った挙句、国外逃亡…果ては血まみれのフランス聖教の聖騎士を送り込んでくるなんて、呆れて物も言えません」
頭に幻痛が走っている葵は目頭をモミモミとほぐしながら、室内に居る客人に目を向ける。
現在、葵の自宅には、御馴染のメンバーの他にフランス聖教の聖騎士長であるシルバリオン、シスターであるステイシー・ゴールドがパーシアを迎えに来ていた。
ただ、不思議な事に治療を終えて完治したハズのパーシアは、呪具で拘束されて身動きが取れないでいる。
「本当にスミマセンでした。…だから、その、お嬢ちゃんを解放してあげて下さい」
「………逃げませんか?」
「は、はい!もちろんです!」
どうやら、パーシアは円空にとっての人質だったらしい。
そんな一悶着を終えた葵は、熾輝に視線を送った。それを受け、熾輝は苦笑いを浮かべながら厳重に拘束していたパーシアの呪具を丁寧に外していった―――――
パーシアの拘束を解いたあと、葵は子供たちに席を外すよう言い聞かせると、室内には円空、葵、シルバリオン、ステイシー、パーシアの5人だけとなった。
「それで?法師はこれからどうするつもりなんですか?」
「どう、とは?」
「仮にもフランス聖教と共闘して邪神を打倒したんですから、それなりの機関では法師がフランス聖教と手を組んだと勘ぐっているハズです。」
葵の危惧は、あながち間違ってはいない。実際、各国ではフランスに対して探りを入れ始めている状況だ。
「ただでさえ、法師の存在は埒外なんですから、その余波が万が一、弟子の熾輝くんを巻き込む形になったら………許しませんよ?」
「わ、判っておる。小僧はワシの弟子でもあるんじゃ。アヤツが独り立ちするまでは、降り掛かる火の粉は責任を持って払う」
それが師の務めだという円空の言葉を受けて、くれぐれもお願いしますよ と念押しをした葵は、それ以上、円空を責める事はしなかった。ただ、「ところで…」と室内で静かに佇む3人のフランス教徒を視界に収めた葵が、何かを言いたそうにしている事を察したシルバリオンが姿勢を正して言葉を紡ぎ始めた。
「改めて、お初にお目にかかります。私はフランス聖教の騎士団を束ねる聖騎士長、シルバリオンと申します。この度は、急な訪問に加え、我が部下に対する手厚い治療のほど、誠に感謝いたします。」
葵家に訪れた際に簡単な挨拶は済ませていたが、改めて礼を尽くした挨拶を行うシルバリオン。その脇ではステイシーとパーシアの両名も首を垂れて礼を尽くしている。
「頭を上げて下さい。私は医者として当然の事をしたまでです。そのように畏まられると、こそばゆくなってしまいますわ」
「痛み入ります」
朗らかに微笑を浮かべるシルバリオン。しかし、その表情の隙間からは僅かに憂いの色が差していた――――
◇ ◇ ◇
時間は遡り、数日前、円空がベリアルを倒した翌日のこと。教会の応接室に備え付けられたソファーに黒髪の僧侶、佐良志奈円空と聖騎士長シルバリオンが腰を下ろしていた。目の前には、ワインのボトルと少しだけボリュームのある摘みが用意されている。
もっとも、二人で談笑していた訳ではなく、静かに、ある人物が来るのを待っているといった状態だ。
「失礼します」
静寂が支配する部屋のドアを部下がノックし、入室を求める声に反応してシルバリオンが許可を出す。
「……親父殿」
「あぁ、シルバー」
親子の感動の再開……とは、どうしても行かない。なにせクロッツォは世界を破壊しようとした大罪人だ。しかし―――
「待っておったぞ、ささ、座ってくれ。酒も用意してある」
その様なシガラミを忘れろと言わんばかりに円空はクロッツォに対して着席を促す。
「…では、失礼します」
クロッツォは促されるまま、席に着くと目の前の円空と視線を交わしたのち、頭を下げはじめ・・・
「この度は―――」
男は謝罪の言葉を口にする寸前、眼前に差し出されたグラスに下げようとしていた頭を止められた。
「今日は、お主と一献交わそうと思ってな。極上の酒を用意した。ホレッ!お主も何を突っ立っておるんじゃ!早よ座らんか!父親に酌ぐらいせい!」
「は、はい。いえ、しかし…」
円空の申し出に困り顔を浮かべるシルバリオン、そしてクロッツォも…。無理もない、シルバリオンは聖騎士長として、クロッツォは大罪人としてこの場に来ている。
聖騎士長はてっきり取り調べを行う物と思い、クロッツォも同じように考えていたため、お互いが不思議な感覚に陥っていた。
「エンクウ殿、取り調べを行うのではないのですか?」
「えぇ、私もてっきりそう思っておりました」
「そんなもん、酒の席でも出来るじゃろう」
いやいや、出来ませんから という2人の声がハモる。
「いいから、太古の昔から酒は人を饒舌にさせると言うじゃろう。それに………親父さんは長くはない」
円空の言葉にシルバリオンは僅かに目を細める。…事件後、部下からの報告で判っていたことだ。人間が邪神を顕現させるために贄となったのだ。本来ならば生きているはずが無い。しかし、クロッツォは今もこうして生きている。
「はは、差し詰め、最後の晩餐ですな」
「――っ‼」
父親の言葉に胸を締め付けられる思いが込み上げてくる。ともすればシルバリオンは意を決して席に着き、ボトルを掴み取ると注ぎ口をクロッツォに向けた。
「シルバー・・・」
「ほれ、お主も」
息子の憂いを含んだ顔を見て、クロッツォもまた、差し出されたグラスを受け取り、息子からの酌を受けると、今度はクロッツォが息子のグラスにワインを注いだ。
「酒はいきわたった様じゃな。では……乾杯!」
「「乾杯」」
何に対しての乾杯なのかは、敢えて聞かない。暫くの沈黙が続く酒の席…だがその沈黙も長くは続かない。
円空が言っていたとおり、酒は人を饒舌にさせる魔力があるかのように、クロッツォは己のことや、ステイシーの祖父であるジュラルミンゴールドと色々な夢を語り合ったことを話し始めた。そして、シルバリオンを引き取ってからのことなど・・・
こうして話を聞いていると、やはりクロッツォが大罪を犯すような人物にはどうしても思う事ができない。だがしかし、大罪を犯したと、他の誰でもない彼自身が認めているのだ。そして、その悪事も全て暴かれている・・・そう思っているのは、シルバリオンを始めとした騎士団やフランス聖教の面々だけだ。
「ところで、お前さんに聞きたい事が幾つかある」
そう言った円空は、懐から1つのロザリオを取り出した。そのロザリオは、水晶で出来ているが、透明度は皆無といった物であり、どす黒い穢れを孕んでいた。
一応、円空によって厳重に封印処理が施されているため、穢れが漏れることはないが、それでも、目の前のロザリオを直視するだけで嫌悪感を覚える程だ。
「呪詛の黒曜石……またの名をダインスレイブ。これはベリアルの体内から出てきた物だが、お前さんはコレを知っているな?」
「………」
僅かな沈黙、しかしクロッツォはゆっくりと話し始めた。
「私が所持しておりました」
「…これを何処で手に入れた?」
「5年程前に、ある男から……その男の名は存じ上げませんが、彼はオーガと名乗っていました」
「オーガ……鬼、か」
「はい。当時、私は前教皇であるジュラルミンと言い争いになる事が多かった。原因はカルト集団が度々、我らの庇護下にある教会を襲っていた事から、、こちらからも打って出るべきだと言う私の意見と対立してしまい、私の心は徐々に闇を抱えるようになった」
「そこに付け込まれたか」
首肯して応えるクロッツォの表情は、後悔の念に苛まれている様に弱弱しかった。
「あるとき、私の目の前にオーガが現れ、ダインスレブを差し出し言ったのです」
『これ以上、無辜の命を奪われるままでいいのか?また、あのときのような悲劇を繰り返すのか?子供たちは泣き叫び、恨みと怨嗟にまみれながら悪魔の贄となる事を良しとするのか?』
『違う!私は、私は守りたいだけだ!』
『それが出来ないのは、お前に力が無いからだ。もしも、本当に守りたいと思うのならば、受け取れ。コレは子羊を守るための力だ』
「私には、男の言葉がまるで天啓のように聞こえた。……しかし結果はどうだろうか、ダインスレイブを手にした瞬間から私の闇は際限なく膨れ上がり、悪を良しとして思うがままに行動するようになった。……そして、そんな私の暴挙に気が付いたジュラルミンから叱責を受け、気が付けば毒殺していた」
当時の事を今でも鮮明に覚えているのか、クロッツォの手は震えながら己の過ちを悔いていた。
「なるほど、ならば嬢ちゃん…ステイシーを幽閉してからのことは?」
「彼女には、天から授かった能力が備わっていた。それが息子と同じ使徒としての力だと気づくのに時間は掛からなかった。ただ、使徒の力が目覚めてしまえば手に負えないと考えた私は、使徒になる前に彼女の能力を利用する事を考え付いたのです」
「それがエギルとか言うヤツが持っていた聖剣か」
「はい。いかに私個人が力を手に入れたとして、数の前にはどうしても限界がある。そんなとき、ステイシーさんが大霊災の収仏を行ったと報告を受け、調べ上げました。彼女の能力の正体を・・・」
ステイシーゴールドの能力、それは【神聖力】 物質に奇跡を内包させ、魔術に用いれば絶大なる力を発揮する。
「彼女の力さえあれば、宝具を量産することも可能。…しかし使徒として力を覚醒させていない状態では、たかが知れていた。僅かな奇跡を内包させたとしても、発現させるには3・4発がいいところ、威力も宝具と呼ぶには些か役不足でした」
「フム、…付け加えるならば、嬢ちゃんの力は他と協力する事で力を発揮するタイプのもの。いかに嬢ちゃん1人を研究したとしても真の底までは辿り付けん」
「彼女にも悪いことをした…そんな言葉で片づけられないと判った上で、佐良志奈殿、どうかこの老骨の願いを叶えてもらえないだろうか?」
クロッツォは涙を浮かべながら、真っ白な白髪頭を垂れた。
「どうか、彼女の声を取り戻してやって下さい。私にはどうすることも出来なくとも、彼方なら…古の時代から語り継がれる仙人の力を持つ彼方ならもしかすると出来るのではないですか?」
その問いに、円空はいつもの調子で「任せろ、大丈夫だ」とは言えなかった。
「………嬢ちゃんの声は、出来る事なら何とかしてやりたい。ただ、医術としての心得がワシには無いんじゃよ」
残念ながらと語る円空の表情も、影が差している。
「古の時代から、万能薬とされていた霊薬も存在しない。その錬成方法も未だ解明されていない」
「彼方の力を持ってしてもですか?」
「あぁ、ワシは目が見えない。この眼を何度、治そうと試みたことか……しかし、結局のところ、万能薬と呼ばれる霊薬にも不可能だった」
その言葉に、我が事の様に落胆するクロッツォは、己の罪を再び噛みしめる。
「だが、今の魔導医の技術は、古の時代などよりもズバ抜けて優秀だ。希望を視るならば、伝手を頼ってみるつもりだった」
「なんと!……しかし、フランス聖教が抱える魔導医ですら匙を投げたと聞いておりますが?」
「うむ、…実際に診てもらわねば何とも言えんが、極東…日本にワシと同じく五柱の一柱に魔導医の者がおる。あの娘ならばもしかすれば……」
五柱の魔導医と言えば、もちろん東雲葵の事を指しているのだろう。しかし、彼女の名を口にするのは、今の円空にとって些か勇気のいる事だった。
「どうか、どうかお願い申し上げます」
そんな円空の気持ちを知らずに、クロッツォは最後の遺言のように願いを口にする。
「…わかった。なんとかしてみよう」
その言葉にクロッツォは安堵の表情を浮かべた。そして、共に居るシルバリオンへと視線を向ける。
「シルバー、私の知る限りの情報は話した。……おそらくは、間もなくして私は死ぬだろう」
「親父殿」
「その前にお前にどうしても言いたかった事がある」
そう言ったクロッツォは、あの日、シルバリオンの元へ初めて現れた時の様に優しい表情を浮かべていた。
「すまなかった・・・そして、ありがとう。君が私の息子になってくれて、とても幸せだったよ―――」
「っ!!」
まるで根性の別れの様な台詞の後、クロッツォは責込み、吐血した。
「親父殿!…父さん!エンクウ殿!父を!父を助けて下さい!」
「………」
「エンクウ殿!」
シルバリオンの叫びに、しかし円空は動かない。否、もはやどうする事も出来ないのだ。その事はシルバリオンにも判っているハズだ。だけど叫ばずにはいられない。
「よしな、さい、シルバー」
掠れた声で、耳を近づけなければ聞こえない程に弱弱しい声でクロッツォは、息子に語り掛ける。
「もう、私は、終わる……最後に、最愛の、息子の腕の中で逝けるのだ。これ以上の幸福があ、るだろうか」
「ダメだ!父さん!俺は、…僕はまだ彼方に何も返せていないのに!」
「返す必要なんか、ないんだよ。受けた幸せは、誰かに分けてあげなさい。それは、巡り巡って世界を少しずつ幸福にしてくれる」
「父さん!誰か!誰か医者を!」
「泣いて、は、いけないよ。これは贖罪…野心のツケは、支払わなければ、ならない」
「父さん!」
「あぁ、私の人生…きみに出、会えたことが、最大の幸福だっ、た・・・・」
そして、クロッツォは静かに命の灯を消した。
◇ ◇ ◇
時間は戻り、現在
結局、葵家において円空は長時間にも及ぶ説教を受けたあと、ステイシーの声について相談したところ、昔、彼女の師が完成させた霊薬ならば治療が可能だという事がわかった。しかし、葵の師は突然姿をくらまして、失踪してから久しい。が、その錬成に必要なレシピは弟子の葵がしっかりと受け継いでいるため、治療は可能だろう。
だが、そのために必要な素材は、希少な物ばかりだ。結局、その素材を集めるために、円空は再びステイシーと共に世界を飛び回る事になるのだが、それはまた別の話だ。
そして、現在、フランス聖教に帰還したステイシーは、自室でシルバリオンとパーシアを交えて、お茶をしていた。
「ところでステイシーゴールド、日本に居た子供…気付いたか?」
シルバリオンの問いに、ステイシーは僅かに逡巡して首肯する
「なんの話ですか?」
「我らの同胞……使徒が居た」
「っ!?」
その驚愕の事実にパーシアは、飲みかけの紅茶をブハッ!と、吹きかけた。
「じ、事実ですか!?」
「あぁ、まだ覚醒していないのだろう。しかし近いうちに目覚める」
「え、エンクウ殿は、その事を―――」
「知っているだろうさ。何しろエンクウ殿だ。知らないはずが無い。でなければ、我らを引き合わせたりしないだろう」
「あの人はまたああああ」と叫びたい衝動に駆られるパーシア
だが今後、円空と付き合うのならば、そんな事は日常茶飯事であると覚悟して然るべきだ。
「とにかく、あの幼子が今後、狙われる可能性が出てきた以上、手を打つ必要が出てくる。我らの様な想いをさせないために」
そう言ったシルバリオンの言葉に、ステイシーも同意の意志を宿した瞳を向ける。
「差し当たっては、騎士団で信頼の置ける人物を日本に派遣しようと思うのだが、どうだろうか?」
シルバリオンが差し出した書類に目を通すステイシー。そして暫し、思案した後に彼女の机から調印を持ってくるよう、パーシアに合図を送ると、淀みなくサインを書いたのち、印を押した。
再び返ってきた書類を受け取って、シルバリオンは、スクリと腰を上げた。
「もう行くのですか?」
「あぁ、やらねばならない仕事が山済みだ。それに、新たに教皇になった小娘だけでは、我がフランス聖教の信徒も不安でしょうがないだろうからな」
「なっ!?聖騎士長!それは不敬ですよ!」
パーシアの叱責に冗談だと返すシルバリオン。それを判っているのか、室内には僅かな笑いが込み上げる。
「……ではな、女教皇ステイシー・ゴールド」
(はい、聖騎士長シルバリオン)
お互いに挨拶を交わし、シルバリオンは立ち去った。
部屋に残ったのは、ステイシーとパーシアの2人きり
室内に僅かな静寂が訪れるも、女教皇の近衛隊長であるパーシアが静寂を打ち破る
「それにしても、今頃エンクウ殿は何処に居るのやら」
(さぁ、でも、あの方の事だもん。また世界を飛び回って、困っている人を助けているのかもよ?)
「……本当は一緒に行きたかったのでは無いですか?」
パーシアの問いにステイシーは僅かに憂いを孕んだ表情を覗かせる。
(仕方ないよ、女教皇として選ばれた以上は、おじいちゃんが守ってきたフランス聖教を今度は私が守らないと)
「…無理をしてはいけませんよ?私たちも全力で貴方を御守りしますから」
(ありがとう)
そう言って、パーシアは一時、部屋からでると、室内にはステイシーだけが残された。
「・・・・・・・・」
静寂が続く―――
この数日間、まるで映画のヒロインになったかのような、現実離れした出来事が頭の中を今も駆け巡る―――
(エンクウさま、今頃なにをしているのかなぁ)
だが、彼女の頭にあるのは、円空のことばかり―――
命を助けられ、絶望に打ちひしがれる中、助けに来てくれた―――
自分に進むべき道を照らし、手を取って共に歩んでくれた―――
遭いたい
ただ、遭って話したい
想いが募れば募る程、胸が苦しくなる
(エンクウさまぁ・・・・逢いたいよぉ)
気が付けば頬に一筋の涙が伝っていた・・・・そのとき
「呼んだか?」
「ッ!!!!!?」
突如、室内に現れた僧侶、聖仙こと佐良志奈円空の登場に、女教皇ステイシーゴールドは余りの驚きに、一瞬心臓が止まりかけた。
(え、エンクウさま!?どうしたんですか!?)
「ちょっとルーマニアで困った事が起きた」
(困ったことですか?)
「あぁ、大昔にボコボコにしてやった吸血鬼が力を付けて、世界征服を企んでるんじゃ」
「きゅうけつき……ヴァンパイアですか!?」
「おうよ!アヤツの能力は、ちと厄介でな。タイマンなら勝てるんじゃが、あの野郎、とんでもない数の眷属を作りやがって、どうにも手が回らん!済まんがお嬢ちゃんの手を借りたい!」
「さぁ、一緒に行こう」と言っているかのように、円空はステイシーに手を差し出す。
「ステイシー様、間もなく枢機卿たちが謁見に―――」
丁度、そのタイミングで入室してきたパーシアが円空の姿を目にして、茫然とする。
「な!?え?エンクウさま?」
「よう、嬢ちゃん!悪いがお嬢ちゃんを借りるぞ!」
「はあああぁああ!?」
何を言っているのか理解できないパーシアが、「ま、待ちなさい!だ、駄目ですよ?ステイシーさま?」と行かないことを願う眼差しを向けてくるが・・・・
(ごめんね、パーシア)
ペロッと舌をだして、円空の手を取ると、一瞬にして姿を消してしまった。
残されたパーシアは、「まったく、しょうがない人ですね」と笑って虚空を見つめ・・・・・・・・・・・・たりはせず
「あのクソじじいいいいいぃ!またやりやがったあああああぁぁああ!」
と呪詛が籠った雄叫びをあげる。
教会内に響き渡ったその声は、「魔王の再来か!」と一時教会内部は騒然となった。
かくして、フランス聖教の延いては、世界の平和は守られた!
だが、新たなる敵!ヴァンパイアを倒しにルーマニアへと旅たった佐良志奈円空とステイシーゴールドを待ち受けるものとは!?
驚天動地!奇々怪々!極東から現れた聖仙、佐良志奈円空の物語は、これにて終焉!
本当は、逃走中を7話くらいで終わりにしようとしていたのですが、気が付けば18話分も使ってしまった。
次回からは熾輝たちの物語に戻ります。




