第一二七話【逃走中Ⅺ】
突如、教会を中心に巻き起こった大規模な破壊。大地の裂け目から噴出した暗黒の力が教会一帯の生きとし生けるものを呑み込み、更地へと変えた。
半径1キロ四方の大地が抉られ巨大なクレーターが出来上がっている。そんな状況を視界に収めている者たちは、いったい何が起きているのか理解が追いついていない。
「…いったい、何が…我々は今まで教会の前に居たハズ…それに何だ、あの巨大な穴は」
その言葉は、フランス聖教の聖騎士長から発せられたが、その答えは目の前の男が直ぐに答えてくれた。
「緊急事態だったからな。あの場の全員をチョイと空間転移させた。」
さらりと言ってのけたのは、もちろん聖仙こと佐良志奈円空その人である。
「空間転移!?バカな、未だ成功すらしていない魔術を使ったと言うのか!?」
現状を把握するのに精一杯だった他の騎士たちからは、「有り得ない!」等の声が挙げられるが、円空は、それらの声を意に介さずに大地に出来たクレーター…その中心地にある大穴を見据えている。
「まさか、あんなところに隠されていたとは…大地に溶け込むよう、巧妙に術式を構築していたのか…まったく、手の込んだ仕掛けを――」
小言の様にブツブツと独り言を漏らす円空の言葉を、この場に居る誰もが聞き取ることが出来ない。
「あの大穴は、まさか…奈落への入口?」
「知っているのか?」
ボソリと呟いたパーシアの言葉にシルバリオンが反応して疑問を投げかける。
「いえ、確証があるわけでは、ありませんが。」
「それでもいい、何か知っているのなら話してくれ。」
「えっと、私自身お伽話かと思っていたのですが、先代の教皇様の近衛を務めていたときに聞かされた話です。何でも大昔、魔人を封印した奈落へ通じる大穴がフランス聖教の教会の何処かに隠されていると」
「…サラティガの伝説か」
「はい、信じられないことですが」
サラティガの伝説、それはフランスに住む者ならば知らない者は居ない程に有名なお伽話だ。今日では、伝説の僧侶の物語として絵本にもなっている。
だからだろう、この場に居る誰もが、子供の時に親から読み聞かされた絵本という架空の物語が実在したことに、大きな衝撃を受けると共に、目の前の事態にどう向き合えば良いのか動揺を隠しきれない。
そんな彼らの動揺を他所に、事態は動きを見せる。
「なっ、なんだ!あの光は!」
騎士の一人が大穴を指さしながら叫んだ。
突如、大穴から黒い光が湧き上がり、かと思えば次の瞬間、天空に向けて巨大な暗黒の光球が放たれた。
光球は雲に届く手前で、弧を描くように一泊置いて大地に着弾した。
「…何も起きない?」
大規模な爆発でも起こるのではと身構えていた騎士たちの予想を裏切る形で、大地に着弾した光球は、何事もなかったかのように消失した。しかし…
「おい見ろ!何だアレは!」
「人、か?」
光球が着弾した地点を中心にして、視界が揺らいだ。かと思えば人影らしき者が歩いている様にも見える。
「バカな、何だあの数は!」
「何処から現れた!?」
騎士たちは、口々に現実に起きている非現実的な光景に我が眼を疑った。彼等の視線の先には、人、人、人…数えきれない程の人の海。だがそれらを人として表現して良いのかと迷ってしまう。何故なら
「アレが人だって?…そんな訳があるか、アレ……」
「ゾンビ?」
そう、人の形をして人に非ず。生きている様に見えて既に死んでいる。肉体の一切から生気を感じることは無く、むしろ死の臭いを明確に感じさせるそれは、まさにゾンビという表現が相応しい。
そんな、夥しい量の奴等を目にしていた騎士たちの中に、ある事に気が付いた者が居た。
「おい、まさか……ちょっと待て!アイツら街の方に向かっているぞ!」
大地を埋め尽くす数のゾンビが付近の街に進軍を開始した。その状況に騎士たちは慌てふためいている。
「…ざっと見積もって5万ってところか」
「ごっ!?エンクウ殿、それは誠ですか!?」
パーシアの驚きの声に円空が首肯して応える。彼らが居る位置からゾンビの軍団までの距離はおよそ5キロ程の距離があり、騎士たちが魔術によって強化した視力を通しても黒い集団が闊歩している様にしか見えないが、その程度の距離は円空にとって距離の内に入らない。
「せ、聖騎士長!ご指示を!奴らを放置すれば民の命が!」
「……。」
「「「「聖騎士長!」」」」
騎士たちが口々にシルバリオンの指示を要求する。しかし、シルバリオンは判断に躊躇していた。何故なら現状、シルバリオン率いる騎士団員の数はおよそ200名に対し、ゾンビ軍は5万にも届く数だ。圧倒的に戦力が足りていない。その上、奴らが街に到着するまでに接敵する事に成功したとして、抑える事など物理的に不可能に近い。
そして、もう1つの問題が残っている。それは教会の地下から出現した奈落の入口から感じる悍ましい気配。まるで、これから何か得体の知れないモノが出てくるような予感を覚える。
「…騎士団の諸君、皆は奈落の入口へ向かい、どうにかして穴を塞いでくれ」
「な、…聖騎士長はどうなされるつもりですか?」
収巡した末にシルバリオンが出した結論は、聞くまでも無いことは、団員達にも判り切っていることであった。
「私は、あの死人共を抑える。」
「「「「っ!」」」」
その答えを予想していたとはいえ、実際に自分達の耳で聞くと、どうしても驚きが表情に出てしまう。ただ、現実問題、シルバリオンが行おうとしている事は無謀にも程がある。如何に神の子である使徒でも、5万の兵力を前に勝てるはずがない。使徒は人間を超えた力を発揮できるとはいえ、無敵ではないのだ。
だが、シルバリオンの決断に異議を唱えられるものは居ない。仮に騎士団全員でゾンビ軍と戦ったとして、殲滅兵器並の力を持つシルバリオンの足を引っ張ってしまう。そして、ゾンビの軍団を呼び寄せた奈落の中にいる何かを野放しにすれば、被害は更に拡大する恐れがある。
それを判っているからこそ、シルバリオンの命令に騎士たちは黙って従う他が無いのだ。例え心が納得していなくてもだ。
「案ずるな、ゾンビ共を一掃した後、合流する。まぁ、私が駆けつけた頃には、皆が既に穴を塞ぎ終わっているかもしれんがな。」
「聖騎士長……」
騎士たちの不安を払拭させようと、シルバリオンは微笑を浮かべる。そして踵を返し、ゾンビ共へと向かわんとする。……しかし、そんな彼の歩みを止める者が居た。
「…ステイシー・ゴールド」
覚悟を決めた男の歩みを止めたのは、同じく何かを覚悟した目をした少女であった。
彼女は両手を広げて行かせまいと、通せんぼをしている。そんな彼女の姿に皆が括目している。
最初に彼女を見た時、なんとも脆い存在なのだと思った。その印象は今も変わらず、儚く、そしてか弱い…だが今のシルバリオンになら判る。彼女が目に宿している揺るがない想いを。
「退くのだステイシー・ゴールド。ここから先は、私の…使徒の役目だ。」
真直ぐに見つめてくる少女から視線を逸らし、歩を進める。そして、そんな少女を避けて行こうとするシルバリオンへ向かって、ズイッと前に出て行く手を阻む。
「君は…」
シルバリオンには、目の前の少女が何をしたいのかが、理解出来なかった。ただでさえ言葉を失っていると言うのに、断固として自身を行かせようとしない存在……困り果ててしまったシルバリオンであったが、次の瞬間、唐突にステイシーに手を握られて身体を引っ張られ始める。
「何を?」と疑問符を浮かべた矢先、その答えはすぐ目の前にあった。
佐良志奈円空、使徒である自身を完膚なきまでに圧倒した男が、まるで瞑想するようにして、自然と一体になっていた。
そんな彼に、ステイシーは、縋るように円空の衣服を掴んだ。
・・・・・・・数刻の沈黙
そして、盲目の僧侶は浅く息を吐くと、少女の頭に手を乗せて優しく語り掛けた。
「儂が何とかしてやる」
その瞬間、この場の誰もが円空という男の強さを理解した。
底が知れないと……
◇ ◇ ◇
山々がそびえ立つ山道を1台のパトカーが走行していた。
「結局、さっきの光は何だったんだ?」
「さあな、多分隕石だろう?」
パトカーには、2人の警察官が乗車しており、山道付近を警らしていた彼らは、本部からの指令によって、光の落ちた場所を調査する任務を受けていた。
「これって、俺達の仕事か?隕石とかだったら宇宙科学研究所とかが調査するんじゃないか?」
「だから、それをこれから行って調べるんだろ。仮に現場に行って隕石だったら、担当役所に連絡するし、そうじゃなけりゃ俺達の仕事になるかもしれん」
相勤者の言葉に「確かに」と納得した警官は、本部から送られてきたカーナビのマップ上方を確認する。
「現場は、この先にある山の麓だな」
「よし、車を止めたら山を下りて調査するぞ」
「りょーかい」と飄々と答える警官に対し、まったくと溜息をもらす。
「Ⅿ2から本部…」
『本部です、どうぞ』
「指令のあった現場付近に到着、これより山を下りて調査に向かう」
『了解しました。尚、異常を確認次第、本部に一報ください』
「Ⅿ2了解」
簡単な現場到着の無線を入れた警官は、降車した後に山を下るべく、車道のガードレールに手を掛けた。その直後だった
「おい、あれは…なんだ?」
警官の目に飛び込んできたのは、黒く蠢く何か
「ひと…か?」
「こんな山奥に?それに、アイツらちょっとおかしいぞ」
遠目から見ても人である事は認識出来る。しかし、その数が尋常ではないことに2人は危機感を覚える。
「や、やべえ。何かは判らんが、直ぐにここから離れた方が良さそうだ」
「同感だ、あんな奴らに職務質問はしたくねえ」
己の直感に従う様に、警官はパトカーに乗り込もうと後ずさる。すると―――
ストンッ!
何かが彼らの横に落ちる、否、刺さる音が聞こえた。「何だ?」と思い、2人が音のした方を振り向いたら、そこには一本の矢がアスファルトに突き刺さっていた。
2人が顔を見合わせて空を見上げたのは、ほぼ同時
「「~~ッッ!!?」」
無数の矢が空から2人の警察官に向かって降り注いできた。
「うおおお!!」
「パトカーに乗り込め!!!」
叫びながら、彼らはパトカーに乗り込むとアクセルを思いっきり踏み込んで、その場を急いで離脱しようと試みる。
「ゴー!ゴー!ゴー!ゴー!急げ!ハチの巣にされるぞ!」
急発進によるGによって、警官の身体が座席の背もたれに押し付けられる。だが、そんな事、今はどうでもいい。今まさに彼等は謎の集団から襲撃を受けているのだから。
カツンッ!カツンッ!と矢がパトカーに当たる音が聞こる。天上を突き破って、数発が車内に到達する度に「おおおおおっ!」と阿鼻叫喚を上げながら矢の射程からの離脱に成功した。
「エ、Ⅿ2から本部!」
『本部です。どうした?』
「ぶ、武装集団に襲われた!至急応援、いや!軍に要請を!」
『Ⅿ2落ち着け、武装集団の詳細を教えろ』
「ふざけんな!いいから早く軍に要請しろ!」
『Ⅿ2、詳細が判らなければ軍に要請はできない』
「ばか、貸せ!」
混乱した状態で無線通信を行う相勤者から無線機をもぎ取り、パトカーを運転したまま警官は本部と通信を行う。
「本部、こちらでも状況を把握しかねている。ただ、数えきれない程の武装集団が都市に向かっている。俺達も襲撃を受けた。数からみて、警官隊だけじゃ対処出来ない。市民の避難及び軍への出動要請を請う。」
『……本部了解、Ⅿ2は直ちに現場を離脱し署まで帰還せよ。念のため空域からの偵察要請を行う』
「Ⅿ2了解」
無線を置き、先程から馬鹿みたいに吹かしていたエンジンのギアを調節して、出来るだけ急いでパトカーを走らせる。
「クソッ、何なんだよアレは!」
「判らん…ただエイリアンでは無さそうだったな」
「はは、どうだか。原始的な武器を使うならプレデターって可能性もあるぞ」
そういった冗談を言える余裕が生まれたのか、助手席に座る警官は胸ポケットからタバコを取り出して、火を付ける。
「おい」
「車内禁煙だろ?判っているけど―――」
「俺にも一本くれ」
先ほどからハンドルを握る男の手が僅かに震えていることに気が付いた警官は、相棒の口に1本のタバコを咥えさせて火を付けた。
「まったく、子供が生まれてからタバコを辞めていたっていうのに、帰ったらステファニーに殺されちまう」
深く吸い込んだ煙を一気に吐き出すと同時に、愚痴までも一緒に吐き出された。
「その前に、ヤツ等に殺される方が早いかもしれないぜ」
「冗談、どうせ死ぬなら愛しい妻に殺してほしいね」
などと、軽口を叩きながらパトカーは都市に向かって走る。
軍への要請がされたのは、この1時間後の事で、市民に対する避難命令が出されたのは、奴らが目前に迫ってからのことであった。




