第一二三話【逃走中Ⅷ】
教会へ抜ける一本道、そこには聖騎士を含めたフランス聖教の騎士たちが円空との戦いに敗れ、皆が一様に倒れ込んでいた。
「おい、しっかりしろ」
「う~ん…アルベルトさん?」
「おお、気が付いたか」
赤い騎士甲冑を身に纏った男がアルベルトに抱き起される。
「まだ頭がクラクラします。…はっ!みんなは!?」
「大丈夫、皆気絶しているだけだ」
アルベルトの言葉に赤い騎士甲冑の男、もとい、パラディンレッドは胸を撫で下ろすが、そのとき、大気を揺らす轟音が幾度も響き渡った。
「な、なんだ!?」
「凄まじいオーラを教会から感じる。これは先程の男ともう一人…シルバリオン聖騎士長の物だ」
「まさか!シルバリオン様が戦っているのか!?」
「おそらく…こうしちゃいられん!寝ている奴らを叩き起こして我らも聖騎士長の元へはせ参じるぞ!」
アルベルトは、そこら辺に横たわっていたブルー以下他のパラディンジャーと騎士たちを叩き起こすなか、皆が殺されず、気絶だけさせられているという妙な状況に気が付いた。
しかし今は、そんな些細な事に気を取られている暇もなく、道中の騎士団員達を叩き起こしながら教会へ向かうのだった。
◇ ◇ ◇
空から降ってきたシルバリオンは、受け身も取らずにドサリと地面に落下してきた。
「し、信じられない。使徒である聖騎士長を倒すなんて」
(エンクウ様!お怪我は!?)
唖然とするパーシアと円空の身を案じて近づくステイシーだったが、背を向けたままの円空が、二人を制した。
「ま、まだだ!俺はまだ負けていない!」
「なっ!あれだけのダメージを受けて尚、立ち上がると言うのですか!?」
「舐めるなよ、俺はお前たちの様な家畜とは格が違うんだ!」
だが、既に満身創痍といった姿からは、誰が見てもこれ以上の戦闘継続が不可能であることは明白である。
「見せてやる、格の違いというやつを!」
シルバリオンの右肩に刻まれた痣が再び光だすと、光が全身を覆い、円空から受けた傷を癒していく。
「バカな!あれ程の怪我を一瞬で癒しただと!?」
「聖痕の力を治癒に回したか…しかし、治ったのは傷だけだ」
円空の言葉を聞いたパーシアが「え?」と声を漏らすと、全ての傷を癒したシルバリオンがフラリと身を揺らした。
「いかに使徒と言えど、聖痕の過剰使用で体が付いてこないじゃろ?」
「ぐ、…黙れ!まだ俺は戦える!さあ!サラシナ、戦いを続けよう!」
「聖騎士長、あなたは―――」
狂気にも等しい眼光を円空に叩きつけるシルバリオンだったが、やはり相当なダメージを受けているため、足元がおぼつかない。だが、再び戦いを続けようと踏み出した彼の前にステイシーが立ちはだかった事にパーシアが驚愕し、「ステイシー様!何を!」と叫び声を上げる。
「…小娘、何のつもりだ?」
「……」
シルバリオンの問いかけにステイシーは答えない。いや、答えることが出来ない。彼女は声を失っているため、他人との意思疎通は筆記を介さなければ伝える事が出来ないのだ。
何も言わないステイシーに苛立ちを覚えたシルバリオンの眼光が彼女を射抜き、凄まじいプレッシャーを放つ。しかし、彼女は決して目の前の狂人から目を逸らさず、臆することなく今も尚立ちはだかっている。
「貴様、家畜の分際で俺の歩みを妨げようというのか……だったら、お前から殺してやろうか?」
シルバリオンから殺気が放たれる。常人であれば、気を失う程の殺気。体中の毛穴が広がり、汗が噴き出る。人としての本能が逃げろと警告を鳴らしている。しかし彼女は、それでも退こうとしない。
「いい加減になさいませ!これ以上の戦いは無益です!聖騎士長、あなたも騎士ならばクロッツォの行いを我らと一緒に正そうとは思わないのですか?」
殺戮の権化を前にして、パーシアもまた、ステイシーと並び立ちシルバリオンに訴えかける。
「くだらない」
しかしシルバリオンは、そんな2人の想いを一言で一蹴した。
「家畜の分際で、神の子である俺に意見するその思い上がり、万死に値するぞ!家畜は家畜らしく地べたを這いずっていればそれでいいんだ!」
もはや目の前の男にはどんな言葉も想いも届かない。
「やれやれ、人を家畜呼ばわりとは、よっぽど自分が特別と思い込んでいるようだな」
これ以上は無駄と判断した円空が、頭を掻きながら深い溜息を吐いた。
「違う、事実だ!俺は天の道を生きる選ばれた存在!それ以外の有象無象など、ただの家畜同然!だから俺は誰にも頼らず、そして誰とも関わらずに生きてきた!唯我独尊、己の身一つで生き抜いてきた俺の道にお前らのような家畜は、何の意味も無い!」
シルバリオンの叫びは、その場に居た者を寄せ付けない拒否感や悲壮などと言った負の感情が混じり合った狂気を感じさせる。
ただ、円空だけは「そうか」と興味無さそうに短く答えると、両の指を絡ませて印を結び、オーラを高め始めた。
「ならば、その天の道とやらを我が漏尽の世界で貫いてみるがいい!」
「―――っ!?」
瞬間、円空を中心に光が世界を覆いつくした。
「―――サラシナ、貴様一体なにを・・・・なんだ、此処は」
光によって目を覆っていたシルバリオン、そして光が和らいだことから再び顔を上げた彼の目の前には、・・・・砂漠の世界が広がっていた。
◇ ◇ ◇
空は雲一つ無い蒼天、そして地の果てまで続く砂漠、シルバリオンは、そんな砂漠の世界にポツリと立ち尽くしていた。
「何なんだ、これはいったい!サラシナ!サラシナエンクウ!貴様の仕業か!」
大声で怒りをあらわにする彼に向けて、否、世界に向けて円空の声が響き渡った。
『喚くな、聖騎士シルバリオン』
「サラシナ、何処だ!どこに隠れている!」
『愚か者、儂は隠れてなどいない。そしてコチラ側から姿を消したのは、お主の方だ』
「なんだと?」
『そこは、儂が創り上げた漏尽の世界。貴様が己の過ちを悔い改めない限り出る事は叶わん』
「…何が創った世界だ。こんな物ただのまやかし!結界に閉じ込めただけだろう!」
シルバリオンは、円空との僅かな会話と状況から、これが何なのかという事を見破ったつもりでいる。
「心象風景を具現化する大魔術、結界魔法の奥義、それがこの世界の正体だ!」
『ほう、現代ではそのような言い方をするのか。しかし、儂の漏尽通は格が違うぞ?』
「フン…だが俺には通じない。忘れたかサラシナ、俺のデュランダルは、あらゆる物を切り裂く力がある!いかに大魔術といえども結界を切り裂けば外に出れる!」
『なるほど…ならば試してみるがいい。切りつけられればの話だがな』
「舐めるな、今すぐこんな結界を破って外に出てやる」
目を血走らせながら己の腰に携えていたデュランダルの柄を握ると、魔力を込めて一閃!
「……バカ、な」
光り輝くデュランダルの斬撃は、虚しく空を切っただけで何も起こらなかった。
『ふははは!愚かなり、いかに聖剣デュランダルといえど、断ち切る物が無ければ鈍と変わらない』
「ちっ…結界の境界を切らねば破れないと言うことか…ならば!」
デュランダルを鞘に納めると、地を蹴り駆け出した。
『ほう、今度は何をするつもりだ?』
「知れたこと!結界は空間を囲む事によって成立する。ならばそこには中と外の境界が存在するハズだ。そこを叩き切れば俺は外に出られる。」
『無駄だ。言ったハズだぞ、この世界から出る方法は己の過ちを悔い改める以外に方法が無いと』
「ふざけるな!俺に悔い改める過ちなど無い!この世界から抜け出し、それを証明してやる!」
『やはり言って理解する事は無いか…ならば、存分に己の我を貫いて見せよ』
それを最後に円空の声が聞こえなくなった――――
それからシルバリオンは走った。灼熱の地獄と化した砂漠を駆け回り、幾つもの砂丘を超え、ひたすらに……だが、いくら走っても視界に映るのは果てしない砂漠の景色のみ。
それでも走った。使徒である自分ならば、この程度の術は敗れて当然。常人にとって不可能な事でも自分は、当たり前のように可能にしてこれた。それは、これからだって変わらない……そう思っていた。
砂漠を走る足が鉛のように重く感じ、息が切れ、身体からは滝のように汗が流れ落ちる。
「ハァ…ハァ…おのれ、一体この結界は、いつになれば境界に辿り着けるというのだ」
このとき既にシルバリオンが走り始めて体感時間で1日が経過していた。
行けども行けども終わる事のない砂漠、砂漠、砂漠・・・・草木の一本すらも生えていないそこは、まさに生物にとっては死の世界を具現化したような場所だ。
大量の汗がとめどなく身体から流れ続ける。次第に目がかすみ、肌から潤いが無くなり、唇にもヒビが入る。要するに極度の脱水症状を起こしているのだ。
「うっ、あっ!」
灼熱の砂漠で走り続けた男は、遂に足を止めて倒れ込むと、砂漠に体を埋めた。
「・・・・み、みず」
喉がカラカラに乾き、声が掠れている。
『無様だな』
今にも力尽きそうな男の耳に忌まわしい男の声が聞こえてきた。
「お、おのれサラシナ…俺をここから出せぇ」
『随分と元気がなくなっているみたいだな』
「だ、まれ」
『ふむ、威勢だけは十分のようだ。そんなお主に差し入れだ』
「…!?」
倒れて動けない男の目の前に、1つのワインボトルが現れた。
「の、飲み物!」
突然出現したワインボトルを目にした瞬間、シルバリオンは残された力を振り絞り、そのボトルに手を伸ばして掴み取った。
水分を失った身体にもはや力はなく、ラベルを外す手が震えている。
『そういえばお主、そのワインがどのように出来るか知っているか?』
円空の声を他所に、中々剝がれないラベルを引き剥がしていく。
『ワインは人が種から葡萄を育てる。実るまでに途方もない年月を重ね収穫したあと、様々な工程を経てワインとなる』
ようやくラベルを剥がし終えたシルバリオンはハッとなる。ボトルはコルクで蓋がされており、手で開ける事が出来ない。
『更に、ワインを入れるボトルは当然、人の手で作られている』
「クソッ!」と毒づいたシルバリオンは、鞘からデュランダルを抜き、ボトルの上部に刃を当てた。
『さて、このような立派なワインをお主は作れるか?』
「何を馬鹿な、そんな物いくらでも家畜どもに作らせれば良いだけの話」と心の中で思った瞬間、手にしていたワインボトルが砂のようにサラサラと崩れ落ち、中に入っていたワインも当然零れ落ちてしまった。
「なっ!?」
目の前で手から零れ落ちてしまったワインを愕然と見つめる。
『はぁ…誰が自分を家畜呼ばわりする者に施しを与えると言うのだ』
「おっ…おのれ!おのれえええ!」
シルバリオンは心底悔しそうな声で叫んだ。
『よいか、人は決して1人で生きている訳ではない。そんな事は子供でも知っている事だ』
「俺に説教か!」
『聞け、お主は確かに大きな力を持っているのは事実。しかし、それだけだ。先ほどの様にワインを作る事が出来る訳でもなく、ましてや入れ物すら作れない。だが、お主が家畜呼ばわりした者達は知恵を絞り、力を合わせる事でどんな困難であろうと乗り越えることが出来る。』
「例えば」と円空が語った矢先、砂漠に小さな穴が空き、綺麗な水が湧き始めた。
「っ!?み、水!」
シルバリオンがその湧き水に近づこうとした矢先、水が湧き出ていた穴が消えてしまう。
「~~っ!!」
『人は水を求め、大地を掘り進め、やがて地下水へと辿り着く』
既に限界が近いシルバリオンは、目眩を起こし、円空の言葉が朧げに聞こえるだけだ。
『天上天下、唯我独尊大いに結構!しかし他者への労りを知らぬ愚者は、いずれその身に抱いた孤独に殺される……今のお主の様にな』
「だ、まれぇ」
追い詰められて尚、彼の姿勢は崩れる事はない。
『…ならば暫しの間、己を見つめ直してみるがよい』
その言葉を最後に、円空の声はシルバリオンに届かなくなり、彼は灼熱の砂漠でたった独りになった。
◇ ◇ ◇
円空の漏尽通により、シルバリオンが姿を消してから現実の世界では1分程の時が経過していた。
「エ、エンクウさま、聖騎士長はどうなったのですか?」
「…少し、己を振り返る機会が必要だったからな、今は反省部屋みたいなところに閉じ込めた。」
パーシアの疑問に、あっさりと答える円空
「閉じ込めた?あの聖騎士長をですか?いったいどうやって―――」
「追いついたぞ悪党!」
円空の漏尽通について詳しい話を聞こうとしたパーシアの言葉を遮った者達がいた。
「あ、貴方達!もう追いついてきたのですか!?」
なんと、そこには道中に3人の行く手を阻んだ聖騎士並びに騎士達が居た。
「貴様等、よもや教会まで辿り付いていたとは!」
「しかし、我らが来たからにはもう貴様等の好きにはさせん!」
あれほど円空に痛い目に遭わされて尚、彼等からは闘志が消えることは無かった。
「やれやれ、次から次へと懲りない連中だ」
「しかしエンクウさま、これ程の人数が相手だと、先程の様にはいかないのでは?」
パーシアのいう事も一理ある。なにせ先程と違い、聖騎士団の殆どがこの場に集まり、円空達を取り囲んでいるのだから。
「心配無用じゃ。パーシア、先程の映像を彼奴等に見せてやれ。聖騎士団の面々が集まっておるのじゃ、お主が危惧していた事にはならん」
「……判りました」
円空に促され、パーシアは傍らに控えていたミゲルに視線で合図を送った。すると先程、クロッツォ達に見せた映像が展開された。
パーシアが今まで、この映像を他の聖騎士に見せなかったのには理由がある。なぜなら、彼女には誰が敵で誰が味方なのかを見極める事が出来なかったからだ。仮に聖騎士団の誰かにクロッツォの悪行を知らせたとして、その者がクロッツォの息が掛かっていないとは言い切れないため、今まで誰にも見せずにいた。
しかし、聖騎士団のほぼ全ての者が揃っている今この時ならば、状況は一変する。
だが、それとは別に円空には、この場に居る聖騎士達が白である事は事前に判っていた。
「―――ば、馬鹿な!クロッツォ卿が教皇様を暗殺したと言うのか!?」
「しかも、一緒に居たのは最近入団したばかりのエギルではないか!?」
「では、ステイシー様とパーシアは奴の悪事を暴くために、ずっと戦っていたのか!?」
現場が騒然とする中、予想以上の反響にパーシアは驚きを隠せない。
正直、騎士団の中に裏切り者がいると予想していたパーシアは、裏切り者がこの記録映像を捏造だと否定しにかかると踏んでいたのだが、誰一人として非難の声を上げる者が居ないのだ。
「やはり、聖騎士団の連中はクロッツォに誑かされていただけの様じゃな」
「まさかエンクウさまは、その事が判っていたから誰一人として殺めなかったのですか?」
「さあな、儂は無駄な殺生はしないと決めているだけじゃよ」
まるで全てを見透かしているような円空の行動にパーシアは先程から驚かされてばかりだ。
幾度となく目の前の僧侶には驚かされ、ステイシーの言う通り目の前の彼こそが古の僧侶、サラティガなのではと自身でも思い始めてきた。
「さて、フランス聖教の聖騎士達よ、これでもまだ我らに剣を向けるか?」
「そ、それは・・・・」
「しかし、何故クロッツォ様が教皇様を?」
円空の言葉に聖騎士達は動揺を隠せない様子だ。無理もない、自分たちが信じていた者に裏切られ、その上、罪もない少女をよってたかって襲っていたのだから。
その事実が彼等の心を締め付けていたその時、彼らの目の前で光が溢れ、1人の騎士が地に倒れた状態で姿を現した。
「どうやら、見つめ直す事が出来たようじゃな」
「「「「「せ、聖騎士長!?」」」」」
そこには、聖騎士長シルバリオンが変わり果てた姿で倒れていた。




