第十一話
清十郎と葵が五月女家へと向かっている頃、和也は、とある人物を五月女家に招き入れていた。
「ご無沙汰しております。師範」
「まったく、隠居したババアを引っ張り出すなんて、清十郎は何を考えているんだい?」
「申し訳ありません。一刻を争うものでしたから。」
「それで?総司と恵那の子は、何処だい?」
心源流27代目昇雲、それが師範と呼ばれた老人の正体である。
心源流は、生物が等しく持っている生命力を扱う流派であり、生命力とは、己の肉体強化や傷を癒すことにも使われる魔力とは異なる力のことである。
昇雲が通された部屋は、病院設備のような手術室で、数人の医療魔術師が待機しており、手術台の上には、文字通り黒焦げとなった熾輝の姿があった。
「・・・暫く見ないうちに、随分と変わり果てた姿になってしまったねぇ」
「師範の力で、何とかなりませんか?」
「無理だね。私の力は、人間の持つ細胞の働きを活性化させるものだ。炭化するまで焼けているんじゃあ細胞が死んでいるのは明らかだからね。延命と痛みを和らげることくらいしか出来ないよ。」
「それでも構いません。先程、清十郎様から葵様を連れて戻ると連絡が入りましたので、それまで持たせていただきたいのです。」
「・・・」
「師範?」
「何でも無い。まぁ、弟子の忘れ形見だし、出来る範囲で力を貸すよ。」
そう言って、老人は熾輝に手を向けると、掌から生命力という名のエネルギーを送り始めた。
事件が起きてからおよそ一日が経過しようとしていた頃、五月女家の門前に一台の車両が停車された。
「東雲様、よくぞ来てくださいました。」
「挨拶は後で、まずは熾輝君の所へ連れて行って下さい。」
「こちらへ」
案内された大部屋の扉を思いっきり開けて、葵は室内へ入って行き、変わり果てた熾輝の姿を見て、愕然としそうになったが、そこは、医者を生業とするものとして何とか踏ん張りを利かせ、熾輝の元へと歩み寄った。
「熾輝君お待たせ、葵先生が来たわよ。」
「ようやく来たかい。」
「師範、来てくれていたのですね。」
「まあね。それよりも葵、早く準備をしな。」
「はいっ!」
葵は、部屋に待機していた医療術者から手術衣を受け取り、準備を始めた。
「皆さん、執刀医の東雲です。此処からは私が引き継ぎますが、皆さんには、私のサポートをお願いします。」
「「「はい」」」
「それと、師範は、そのまま生命維持と麻酔の役割をお願いします。」
「招致した。」
そして、支度を済ませた葵は、目を閉じて、深呼吸を行い、ゆっくりと瞼を上げる。
「絶対に助けるからね。」
瞬間、葵の集中力が高められ、手術開始を告げた。
手術室の外では、清十郎と和也が落ち着かない様子で、熾輝の無事を祈っていた。
「よく葵様を連れてこれましたね。」
「ああ」
「それにしても、葵様が熾輝様と面識があったなんて知っていましたか?」
「ああ」
「清十郎様?」
「ああ」
まったく聞こえていないのか、さっきから清十郎は、手術室の扉を睨んだまま動かない。
(しょうがない人ですね、まあ熾輝様の事は、あの御二方に任せていれば大丈夫なはずですし、私は二人が休む部屋の準備でもしてきますか。)
和也は、何も聞こえていないであろう男に、席を外す旨を言って、その場から立ち去った。
残された清十郎は、ただ待つことしか出来なかったが、熾輝が助かった場合の今後を考えていた。
(今回の様に、あの子を狙ってくる奴は、これからも出てくる可能性が高い。一族の中でも不満を持っている奴らが居たし、このまま五月女の家で熾輝を匿えば、一族内からも狙われる危険性が出てくる。・・・だったら、暫くの間、身を隠して生活をするしか無いが、いつまでも熾輝を守ってはやれない。俺には時間が無いんだ・・・せめてあの子が自分の身を守れるように鍛える必要がある。)
そうした考え事をしていた時、手術室の扉が開かれ、中から包帯を全身にまかれた熾輝がストレッチャーに乗せられて出てきた。
「熾輝!」
「落ち着きな、清十郎。」
「師範、あの子は助かったのか!?」
「それは、担当医から話を聞いた方がいいだろ。」
手術室の奥からは、疲れ切った顔の葵が出てきた。
「あお・・」
葵と口にしようとしたところで、キッと睨まれてしまい、清十郎は黙り込んでしまった。
「・・・一応、あの子の家族ってことだから説明をするわ。」
「頼む」
「手術は、成功よ。でも油断が出来ない状況が暫く続くわ。身体の内側と骨折した四肢は、回復するだろうけど、問題は火傷の方よ。」
「どういう事だ?」
葵は、熾輝の病状についての説明を開始した。
通常、火傷には1度熱傷から3度熱傷までの程度があり、熾輝の場合は3度熱傷の重度の火傷が全身にある。
しかも、皮膚を形成する細胞が死んでしまっているため、自分で皮膚を作ることが出来なくなっている。
皮膚移植という方法もあるが、熾烈の体表面の細胞が死んでいるため、移植しようとしても、くっつかない可能性がある。
その他にも、汗をかく組織が死んでしまっているため、体温調節が出来ない上に、身体を守る皮膚が無い状態で、感染症にでもかかってしまったら、今度こそ死ぬことは確実である。
「今は、あの子の回りに結界を張って、体温調節と感染症を防いでいるけど、正直、厳しいわ。私がここに着くまで生きていたことが不思議なくらいよ。」
「結局、あの子は、助かるのか?」
「取りあえず1週間を乗り切らせてみせる。過去に死んだはずの細胞とは別に新しく生成された細胞によって回復した症例も確かにあるから希望は捨てちゃダメよ。それに、皮膚移植が不可能だと言っている訳じゃないんだからね。」
「わかった。」
「とりあえず、交代であの子を診るわよ。一族の中にもあの子を狙っている者が居ると分かった以上は、一人にさせられないし、何よりも今の病状に少しでも変化があれば対応しなければならないから。」
「助かる。師範もありがとうございました。見送りの車を用意させます。」
「なあに、乗りかかった船だ。最後まで付き合うよ。」
こうして、熾輝の手術は終わったものの、依然として油断の許されない状況が続くこととなった。
熾輝の手術が終わったその夜、清十郎、和也、葵、昇雲は、交代で看病をすることとなり、現在は、葵が看病を行っている。
時刻は、日付がもうじき変わるころ、熾輝の容体を診ていた葵は昔を思い出していた。
それは、熾輝の両親が健在であったころ、熾輝の家族と葵は、時折り会っていたのだ。
これといって、何をするでもなく、ただ一緒に食事をして、話をしてと、他愛無い事を楽しんでいた。
その頃の葵は、五柱に選ばれて間が無く、同じ五柱である熾輝の両親に色々と相談に乗ってもらっていたのだ。
夫妻は、世界最強の一角とされており、人望も厚く誰からも頼られる存在であった。
自分の力は、二人や他の五柱に比べたら大したことは無かったが、それでも、日本で5指に入る実力者だと認められたことが嬉しかった。しかし、同時に回りからは、なぜ自分なんかが五柱に選ばれているなどという声も上がっていた。
夫妻からは、回りから何を言われようと五柱に選ばれたのだから胸を張るようにと言われていたが、どうしても自分と他の五柱と比べられ、何よりも自分自身でそれを意識してしまっていた。
自分は劣っている。
なぜ自分が選ばれたのか、なぜ誰も自分を認めてくれないのか。
こんなことなら、ただの東雲葵のままの方がよかった。
そんな考えが五柱になって暫くしたころからずっと、頭から離れなかった。
元々、自分の両親は、魔法なんていう才能が無い普通の一般人で、家系図を見ても過去に魔法と関わりを持った人間は居なかった。
回りからすれば、ぽっと出の魔術師が五柱に選ばれるなんて、きっと面白くなかった事だろう。
いくら霊災を払っても、いくら外敵から日本を守っても、周りからの評価は変わらなかったし、むしろ悪くなっていた気がしていた。
他の五柱ならもっとスムーズに払えたとか、被害を抑えられたはずだとか、そう言った評価がいつも自分を付きまとってきて、たまらなくなっていた。
次第に心身ともに疲れ果てて、外に出ることさえ出来なくなってきていた。
そんなある日のこと、自分を訪ねてやってきた男の子がいた。
歳はまだ、3歳になったばかりだというのに、とてもやんちゃで、時々両親を冷や冷やさせることが多いその男の子は、自宅から駅4つ分も離れた家まで一人で来たと言っていた。
初めてのおつかいにしては、危険すぎると、男の子の両親に怒りを覚えたが、どうやら両親には黙って来てしまったらしい。
子供は、本当に何をするか分かったものではないと、初めて思った瞬間でもあった。
「それでね、コレが、かあさまが作った唐揚げだよ!美味しかったから、葵お姉ちゃんにもおそそわけしにきたの!」
おそらくは、お裾分けと言いたかったのだろう。
「ありがとう、でもね熾輝君、こんな遠い場所に一人で来ちゃダメでしょ?きっと、お母さんとお父さんが心配しているよ?」
「大丈夫なんです。出掛ける時は、ちゃんと書置きをしなさいって言われていたから僕ちゃんと書置きしてきたの」
「もう字が書けるの?」
「うん!和也おじさんに教えてもらった!みたい!?」
(頭のいい子だとは、思っていたけど、この歳でもう字を書けるなんてすごいなぁ)
「そうだね、お姉ちゃんにも見せて。」
自前の紙とクレヨンを手提げ袋から取り出して、気分よく文字を書き始めたが、その際に紙からクレヨンがはみ出したのは、見て見ぬふりをした。
「出来た!」
「見せて見せて・・・・」
読めなかった。
文字?にはなっているっぽいが、やはり3歳児が書く文字を解読するのは、例えプロの暗号解析者でも無理だと思った。
「なんて書いてあるのかなぁ?」
「お姉ちゃん読めないの?」
あれー?大人なのに?といった感じの顔をしているが、曇りなき眼で見つめてくる男の子に本当の事は言えなかった。
「お、お姉ちゃんは、お医者さんだからドイツ語ばっかり書いていて、最近日本語の勉強が出来ていないんだぁ。」
「・・・そっかぁ、じゃあ、しょうがないなぁ。」
読んでもらえなくって残念な顔をしていたが、答えは教えて貰えた。
どうやら、自宅にも同じ書置きをしてきたらしく、置手紙の内容は、
『からあげおいしかった。あおいおねいちゃんにたべさせます。ゆうがたもどります。』
と書いてあるらしい。
というか、この子の両親は、この文字が読めるのだろうか?
「熾輝君のお父さんとお母さんは、文字が読めているの?」
「うん!いつも上手だって誉めてくれるの!」
(ああ、上手ね・・・読めてはいないんだろうなぁ。)
会いに来てくれた事には、正直嬉しかったが、子供が一人で来ていい距離ではないため、少し言い聞かせるつもりで、話をする事にした。
「ねぇ熾輝君、会いに来てくれた事は、すっごく嬉しかったけど、何でお母さんと一緒じゃなかったの?」
「だって、葵お姉ちゃん、父さまと母さまに会いたくないでしょ?」
ドキリとした。
確かにここ最近は、何かと比べられて、嫌な思いをして来ていたが、別に嫌いという訳ではなく、ただ自分が逃げていただけなのだが、そんな自分の気持ちが、こんなにも小さな男の子に見透かされていた。
「僕ね、葵お姉ちゃんのこと大好きだよ。」
「・・・・」
「お父さんとお母さんも好きだし、和也おじさんも好き」
「・・・・」
「だからね、僕の好きな人を葵お姉ちゃんにも好きになってほしいの。」
「嫌いじゃないよ」
「でも、父さまと母さまと一緒にいる時の葵お姉ちゃん、なんだか泣きそうな顔をしているよ?」
初めて知った。男の子の両親と会っていた時の自分は、そんな顔をしていたのかと。
この子が気が付いているのなら、きっと夫妻も気が付いていたに違いないと考えが過った。
夫妻の事は、本当に嫌いでは無い。むしろ頼りにしているし、尊敬もしている。
ただ、五柱でいる限りは、常に他の人達と比べられ、自分を惨めに感じてしまう。
だから、夫妻や他の五柱と距離をとった。
しかし、周りからの評価は変わらないまま、そんな自分が嫌になり、外へ出ることもしなくなってしまっていた。
結局のところ、自分を誰よりも蔑んできていたのは、自分自身だったのだ。
それが、わかった途端、涙が溢れだしてきていた。
「違うの。私は、私自身が嫌いになっちゃっただけなの。だから、熾輝君のお母さん達が悪いわけじゃないよ。」
「僕ね、葵お姉ちゃんが大好き。」
男の子は、今一度言う。
「だから、僕が大好きな葵お姉ちゃんを好きになって。」
「・・・熾輝君」
「葵お姉ちゃんは、僕の事好き?」
「好き・・大好きだよ。」
「じゃぁ、葵お姉ちゃんのことが大好きな僕を好きなら、僕の事が大好きな葵お姉ちゃんは、自分が嫌い?」
「・・大好き。」
「よかったぁ。」
ニッコリと眩しい笑顔を向けた男の子は、とても幸せそうだった。
こんなにも小さな男の子に教えて貰った。
自分を構成するものは、魔法だけではない。
自分が好きな部分、自分が誇れる部分、それら色々なものが揃った全てが自分自身なのだと。
自分が認めていない自分など、誰が認めてくれるのだろうか。
気が付けば、泣きながら男の子を抱きしめていた。
壊れかけていた心が、元通り以上になり、何だか満たされていた事に気が付く。
男の子を家まで送る道すがら、綺麗な夕焼け空を一緒にみた。
その時の鮮やかな空を今でも覚えている。
男の子に教えられるまで、色あせていた世界が嘘のようにキラキラと輝いて見えてきた。
それからだったか、自分を見る周りの眼が気にならなくなり、より一層自分の事が好きになれたのは。
余談であるが、熾輝を探していた母親から、げんこつを貰った熾輝は、暫くギャン泣きしていた。
そんな、過去があったから自分は今ここに居る。
目の前に居る男の子は、自分を救ってくれた。
今度は、自分がこの子を救って見せると心に決めて執刀した。
結果的には、手術は成功したものの、油断が許されない状況が続く中、男の子に取り付けられていた計器を通して、心電図が急激な変化を知らせ、アラームが鳴り始めた。
それに反応して、即座に男の子に近づこうとした矢先、熾輝の身体から紅蓮の炎があがった。
 




