第一一六話【逃走中Ⅰ】
深い森の中を駆け抜ける2人の人影があった。両者とも目深なフードを着込み、顔を隠しているため、容姿は窺えない。
「ハァ、ハァ…ステイシー様、もうすぐで森を抜けられます。ご不便を掛けますが、どうかそれまで頑張ってください。」
「・・・。」
若い男の声で、ステイシーという者に声を掛けると、彼女は黙って首を縦に振った。
そして、もう少しで森を抜けるというところで、前方の草木が音を立てて爆ぜた。
「クソッ、もう追手が!」
「ふははは!そこまでだ大罪人!」
炎によって行く手を阻まれた2人は足を止め、後方から近づいてくる男の方を振り向いた。
「ほう、その声…なるほど、パーシアと結託してその魔女を逃がしたのは貴様かグレン」
目深に被っていたフードを持ち上げ、エギルという男を睨み付ける。
「お前も馬鹿な男だ。そんな魔女なんかの為に命を捨てるとは」
「黙れ!貴様等の悪事など、主はお見通しだ!」
フード付きのコートを脱ぎ捨てたグレンは鞘から剣を抜いて構える。
「なにを馬鹿な事を言っている。魔女を狩るは主の意向!神罰を受けるとしたら、それは貴様等の方だ!」
グレンを見下したような視線を向けてエギルは盛大に笑った。
「それは、お前たちの謀略によるものだろう!ステイシー様を魔女と偽称し、教皇様の命までも…」
「はっ、何の事だかさっぱり判らんな。教皇様を殺したのは、そこの女だ。」
グレンの怒りを笑ってあしらうエギル。そして、嘲笑う様にエギルは剣の柄に手を掛けた。
「なぁグレン、そういえば、お前の上司であるパーシアは、どうなったと思う?」
「っ!?」
エギルの言葉にグレンの口からは「まさか」と声が漏れる。そして、隣にいる者も口元に手を当て、明らかに動揺している。
「あはははは!まったく、あの女も馬鹿な事をしたな!」
「おのれ!絶対に許さん!」
グレンは抜き放った剣を天に翳した。
「主よ、真昼に呼べど御身は応えず、夜もまた沈黙のみ!」
剣から光が生まれる。そして隣に佇む1人に「逃げろ」と視線を送って、グレンは駆け出した。
「その若さで神節を使えるのか…しかし!」
迫るグレンを見据え、エギルもまた剣を抜刀した。
その刀身からは眩い光が溢れている。
「なっ!?それは、まさか!」
「今頃気が付いても遅い!我が聖剣の錆にしてやる!」
お互いが必殺の間合いで剣を振るうと同時に凄まじい爆炎が全てを呑み込んだ。
「―――主よ、どうか彼女を―――」
◇ ◇ ◇
「…チクショウ!魔女め、グレンを囮にまんまと逃げやがった!」
炎に囲まれた一帯を見渡すも、エギルの前には既に誰も居なくなっていた―――――
後ろから響く爆音が1人の逃亡者を置き去りにして森中に鳴り響く。
(もう少し、もう少しで森から―――)
必至に走り、ようやく目の前に森の出口が見えた。
しかし、森を抜けて愕然とする。
(そん、な)
森を抜けたのも束の間、目の前に現れたのは断崖絶壁。
崖の下には激しく流れる川があるだけ。
(主よ、我々を見放したのですか―――)
「どこに言ったアアア!出てこい!」
絶望に染まる顔を天に向けたその時、先程の男、エギルの声が近づいてきた。
このままでは、また捕まってしまう。そうなったら、どんな目に遭わされるかと想像しただけで、身体が震えだした。
(このまま捕まるぐらいなら、いっそのこと・・・)
「見つけたぞ!魔女めえええ!」
エギルが森から出てきたと同時、逃亡者ステイシー・ゴールドは断崖に身を投げた―――
◇ ◇ ◇
(―――生き、てる?)
気が付けば、彼女は川岸に横たわっていた。しかし、身体が動かない。
もはや動くことも出来ない身体は、冷え切っており、次第に生命活動を低下させていった。
「――い、」
徐々に思考を闇に沈めるなか、己の死を覚悟したその時、僅かに聞こえる土を踏む音が耳に入ってきた。
「――い、―――ゃん、――夫か?」
誰かが声を掛けてくれている。だが、彼女に応える力はなく、意識が深い闇の中に落ちていった。




