第一〇九話【決裂Ⅳ】
「―――それじゃあ、私は当直だから何かあったら直ぐに呼ぶのよ?」
「はい」
仕事の合間をぬって熾輝の様子を見に来ていた葵がそう言って病室を去ろうとする。時刻はもうすぐ午後8時、入院患者は少しだけ早い就寝時間を迎えようとしていた。
「先生」
「なぁに?」
熾輝に呼び止められた葵が扉の前でクルリと振り返る
「えっと、・・・お休みなさい。」
「うん、お休み。」
柔和な笑みを浮かべて病室を去って行く葵の背中を見つめながら、熾輝は彼女に聞こえない声で『ごめんなさい』とポツリと呟いた。
葵が熾輝の病室から去って、数分の後
「熾輝さま、お待たせしました。」
虚空から現れた双刃の手には熾輝の装備一式がある。
熾輝は、それを受け取ると速やかに着替えを済まして窓に足を掛けると、まだ人が寝るには早すぎる街へと跳び出した。
「・・・行ったか」
「えぇ」
熾輝が入院をしていた病院の部屋から暗闇に紛れて跳び出していった様子を葵と円空が確認した。
「心配か?」
「当たり前です!…昨日、あんな目に遭って、手を引くように言ったのに、それなのに…」
不安そうに語る葵は、唇を噛みながら愛弟子の後ろ姿をジッと見つめていた。
「それも成長の証と見るべきだろうよ。」
椅子に腰かけながら言った男、佐良志奈円空は笑って言い放つ
「それでも、あの子が私の言い付けを破るなんて信じられません。」
「なんじゃ、寂しいのか?」
円空の軽口にジトッと半眼で睨み付ける。
自ら地雷を踏んだことに慌てて謝罪をし、笑いを浮かべていた表情を直ぐに改める。
「坊主の儂らに対する思いは、尊敬を通り越して崇拝と呼んでも良い程の物じゃ。…お前さんもそれは薄々感じていたハズだ。」
「・・・。」
円空の言葉に葵は否定する事が出来なかった。
「その思想はあまりに危険すぎる。崇拝とはそれ即ち狂信と紙一重、坊主が儂等をそのように思っていれば、いつか自分で判断を下す事が出来なくなる。何が善で何が悪なのか、何が正しく、何が間違っているのか・・・儂等も人である以上、間違いは犯す。それを坊主が眼で見て肌で感じ、見定める感性を身に付けさせなければ、いずれ坊主の中で生まれる矛盾が自信を殺す。」
円空は、かつてその様な者を何人も見て来たのであろう。だから熾輝にはそうなってほしくないと願うのだ。
依然、熾輝の心は未熟で歪、彼の成長のために街での生活も許した。
ただ、今回のように熾輝の身に危険が及ぶような事態は、葵としては避けたかった。
「法師が言う事も判ります。ただ、今回に限って、私は私が正しいと思う事をします。」
そう言って、葵は羽織っていた白衣を脱ぎ捨てた。
「行くのか?」
「極力手を出さないように努めます。でも、昨日のようなことになる様だったら介入します。」
珍しくムキになっている葵に、円空も止めるような事は言わない・・・というか言えない。
以前、熾輝が法隆神社で死にかけた時に介入した前例がある以上、葵を止める権限を有していないのだ。
「ま、まぁ今回、坊主が自分の意志でお前さんの言い付けを破ったという成長を見せただけでも良しとするか。」
本当に熾輝には甘い師匠連中だなと思いつつも円空は『ただ』と付け加える。
「お前さんの出番は、無いかもしれんぞ?」
「それならそれで良いんです。ただ・・・あの子が明日もまた、いつもと変わらずに『おはようございます』って、笑顔でいてくれさえすれば」
「・・・そうかい」
それだけ言うと、葵は部屋から出て行ってしまった。
「・・・これも計算の内なのか?ローリー」
残された円空は、見えない眼で虚空を見つめながら、古の魔導士に語り掛ける。
◇ ◇ ◇
「おまたせ、準備は?」
「もう出来てる。いつでも行けるわ。」
夜の街に少年は、待ち合わせていた人物と合流した
「アリア、緊急の場合はコレを使って」
「これは?」
熾輝は所持していたリュックから魔石がハメ込まれたグローブを取り出してアリアに手渡した。
「魔導演算装置・・・の骨董品」
熾輝から受け取ったグローブの魔石内には、幾何学模様の魔法陣が描かれいている
「これは・・・ディメンション?」
「うん、アリアの魔力に合わせて構築しておいた。演算装置の機能も加われば、30秒くらいで魔術が発動できるハズだ。」
「1日でこれを仕上げたの?」
渡された魔道具を見て驚きを表すアリアに首を縦に振って答える。
「・・・本当は、アリアに怒られると覚悟していたんだけど」
唐突に熾輝がそんなことを口にした。
「なんで?」
「昼間の・・・僕が咲耶に酷い言い方をしたから、それで……」
バツが悪そうに答える熾輝にアリアは軽く溜息を吐く
「謝るのは私の方……熾輝にばかり嫌な役をさせてしまったから、本当は相棒である私の方から話すべきだったのに」
「でも、僕にもっと力があれば、アリアと咲耶を引き裂く様な結果には―――」
「それは違うよ。」
俯く熾輝にアリアは否定し「顔を上げて」と言う。そして彼女の表情は寂しそうであったが、何処か熾輝をいたわる感じさえあった。
「私も咲耶の才能に甘えていた。だから、その内に魔術師としての教示だとか覚悟が身に着くって勝手に思い込んでいた。」
「アリア……」
「考えてみれば、咲耶はまだ11歳の女の子なんだよね。そんな子供に魔導書の封印なんて普通は荷が重すぎたのに、私がもっと早く気が付くべきだった・・・ううん、気が付いていない振りをしていた。」
そう言ったアリアは、「そういえば熾輝も11歳か」と冗談を言えるくらいには、心を落ち着かせていた。
本当は、咲耶と離れたくないハズなのに無理をして笑っているのだと、熾輝にも理解できた。
「そんなことより、熾輝の方は大丈夫なの?」
「?…うん、準備万端だよ。」
「そうじゃなくて、葵先生の言い付けを破ってきたんでしょ?」
アリアの一言に、一瞬固まる
「…もしかしたら、愛想を尽かされたかも」
そう言った熾輝の表情は、どこか弱弱しく、年相応に今にも泣きだしてしまうのではと誰が見ても思う程に頼りない。
それ程、熾輝にとって葵の存在は大きい物なのだ
「それは、無いんじゃない?」
ただ、そんな熾輝の心情を知ってか知らずか、アリアはあっけらかんと応えた
「だって、あの先生の熾輝に対する思いって、相当なものよ?傍から見ても過保護って感じがするもん。」
「そうですよ!葵殿に限って、熾輝様を嫌うなんてあり得ません!」
「そ、そうかな?」
「「そうよ!です!」」
ハモッた二人の言葉に、僅かながらに元気を取り戻す。
「それじゃあ、元気も出たところで・・・反撃と行きますか―――」
「熾輝くん!」
いよいよ異相空間へ殴り込みというときに、自分を呼ぶ女の子の声に熾輝は視線を向けた。
「つばめ?」
「よかった、間に合って!」
息を切らせながら走ってやってくる彼女を迎えに行くように、熾輝もまた彼女へ駆け寄る。
燕の隣にはコマが付き添っており、姿は見えないが、右京と左京の気配も感じる。
「熾輝くん、私ね!あの後、色々と考えたの!それでね!」
「お、落ち着いて、いったいどうしたの?」
呼吸も整わない内から矢継ぎ早に話す燕に、熾輝は一旦落ち着くように促す。
だが、彼女は止まらない。
「やっぱり熾輝くんは間違ってる!」
「・・・燕」
燕の言葉に熾輝は困り顔を浮かべてしまう・・・だが
「だから一緒に考えよう!どうすればいいのか!今度は1人で悩まないで!私が居るから!勝手に諦めたりなんかしないで!」
「っ!?」
燕の言葉に熾輝は黙って聞くことしか出来なかった。しかし、一生懸命な心に彼の胸に熱い何かが燻っているのを感じた。
その感情がなんなのか、今の熾輝には判らない。ただ言えることは、それは、燻っていただけの物から次第に熱い炎のように燃え上がってきているとさえ錯覚する程に熾輝の心を占めていった。
「だからお願い、無事に帰って来て。・・・ううん、熾輝君は無事に帰ってこなきゃダメなんだからね。」
燕の言葉に何1つとして理論的なものはない。だけど、どうしてだろう、彼女の言葉には、そんな物を壊してしまう程の力があると感じてしまう。
だからなのか、熾輝は初めて自分から燕の手を取って彼女の顔を覗き込みながら囁いた。
「ありがとう………必ず戻って来るから」
そう言った熾輝の表情は、いつもの不器用な作り笑顔などではなく、心の底から笑えているのだと自分でも理解できた。
これから死地へ向かう者の顔ではないと思いつつも、憑き物が少しだけ軽くなったと感じていた。
「う、うん!絶対だからね!」
熾輝に笑顔を向けられて、思わず悶えそうになるのを必死に堪えてはいるが、真っ赤になった顔から、その様子は周りからはバレバレである。
「熾輝、危険を感じたら直ぐに戻ってこい。いざとなれば我々も力を開放できるよう、真白様から許可を貰ってきた。」
「それは、恐いですね。」
神使である彼らは本来、聖域以外では殆ど力を使えない。だが、神との盟約を一時的に解除すれば、彼等本来の力を使うことが可能だ。ただこれには大きなリスクを伴うことは、熾輝はもちろん、彼等も十分に理解している。
だから、そのような事にならないよう、熾輝は改めて己に誓う
「さぁ、行こう!」
アリアによって異相空間のゲートが再び開かれる。
熾輝と双刃、そしてアリアの3人はヤツの居る死地へと再度足を踏み入れた。
◇ ◇ ◇
誰もいない、そして全てがセピア色に染まった空間にソレは居た。
自分はいつから此処にいて、なんのために生まれたのか・・・そんなことを思っていた時期もあった。
しかし、いつの間にかそんな事はどうでもよくなった。
ただ力が欲しい、暴れたい、壊したい。
そういった欲求に突き動かされるまま、刹那的な快楽に身をゆだねていれば楽でいられた。
生前の記憶は、断片的に思い出せる。
だが、どれもこれも嫌な記憶ばかりだ。
妾の子として生まれた自分は、周囲から腫物扱いされ、母親からも汚い物を見るような視線を向けられた。
だからだろうか、死後も成仏できずに、こんな場所をさまよっているのは・・・
気が付けば自分は鬼となり、妖魔と呼ばれる存在になっていた。
本物の妖怪とは違い、魂に巣食う闇によって姿形が鬼になったのだ。
もう、自分を見下す連中はいない。それだけの力を手に入れた・・・そう思っていた。
なのに、アイツは目の前に現れた。
圧倒的な力を前に成す術がなく敗れた。
だが、何もせずに負けるのは嫌だった。
そんな鬼の姿を見て奴は「お前もこちら側に来い」と言ってきた。
正直嬉しかった。
コイツのように強くなれる、力を手に入れられる。
理性を失い本能だけの獣になり果てた鬼は、久しく人らしい感情を思い出した。
だけど、そのためにはアイツを―――
「やぁ、目は治ったようだね。」
再び現れた眼帯の少年が自分を見下ろしている。
「正直、もう少し治癒には時間が掛かると思っていたけど、予想よりも早い。」
壊さなければ、殺さなければ、自分もあちら側に行けない。
「反撃に来たぞ。昨日の様にはいかない。」
再び巡ってきたチャンスに妖魔の口元が引き裂かれたように開く。
歓喜のあまり、妖魔は天に向かって吠える。
それは咆哮などではなく、撃咆
今再び、少年・・・八神熾輝と妖魔の死合いの幕が切って落とされた。




