第十話
人里離れた山奥に、その病院は建てられている。
規模こそ小さいが、病院の設備は、日本トップクラスを誇っており、名だたる名医が務めるこの病院は、普通とは明らかに違う点が、一つだけあった。
「退院おめでとうございます。」
「東雲先生、本当にありがとうございました。」
「半身の麻痺は、魔術的治療でほぼ回復出来ましたが、完全回復するまでは、リハビリを怠らないようにしてくださいね。」
「はい。これでまた一線で仕事ができます。」
「怪我にだけは十分注意してお元気で。」
魔術的治療、現代医学で不可能な事を魔術で補う医術、この病院は、魔術師によって設立された機関であり、ここに通院する殆どの者は魔術を行使する人間、あるいは魔術と関わりを持った人間が殆どだ。
そして東雲葵は、世界でもトップクラスの医療魔術師の一人である。
「先生、昨日の手術もお見事でした。」
「ふふ、ありがとう。」
柔和な笑顔が似合い、母性に溢れたこの女性は、医者という顔以外にもう一つの顔を持つ
「来週からは、また五柱のお仕事ですか?」
「そうね、神災以降、私に出来る仕事は、まだ残っているから」
【五柱】日本において、5指に入る実力者の呼称。
五柱は、如何なる国家、組織に属することは無く、彼らに対する命令系統は存在しない。
よって、彼らはフリーランスの実力者であり、その仕事内容は、彼らが自由に決めているため、実力があっても仕事を行わない五柱も過去に何人も存在する。
では、如何なる国家、組織にも属することのない彼らを誰が五柱と決めるのか。
それは、【別天津神】を祭っている神殿内に奉納された五つの柱に自然と名前が刻まれている事から、神が決めているとされている。
「この半年ずっと被災地とここの往復で先生も休みなく働いていますけど、大丈夫ですか?」
「平気平気、私は人間の身体の事なら誰よりも詳しいお医者様だもの、自分の身体の管理位出来ないようじゃ、医者失格よ」
所々に♪マークやら♡マークが付いているような喋り方ではあるが、それが彼女の性格だと分かっている同僚も特に気にしてはいない。
「ところで、今日はもうお帰りですか?」
「そうね、一昨日から泊まり込みだったから、今日は帰ってゆっくり休むわ。来週からまた被災地だから、次に会うのは再来週かしら。」
バイバイ♪と言い残して、彼女は病院を後にした。
彼女の通勤方法は、最近、バスから車に変わった。
というのも、丁度半年ほど前に免許を取ったばかりなので、運転間隔を磨くために通勤方法を変えた訳だ。
車は、地球に優しいエコカーという物で、コンパクトで丸みのある車に乗っている。
他の先生は、いかにも高級車という様な車に乗っているが、彼女がそういう車を選ばなかったのは、可愛くないという見た目を意識した結果なのだ。
車は、病院近くの月極駐車場に停めている。もちろん病院にも十分な駐車スペースが在るのだが、彼女は、病院へ来る患者さんのためのスペースだからと、病院には停めないのだ。
病院の敷地から出て、アスファルト舗装された道路を歩いていると、自分が契約している駐車場が見えてきたため、肩にかけていたバックの中から鍵を探しながら歩いていると、駐車場から人の気配を感じ、視線を向けてみると、自分の車の前に一人の男が立っていた。
「車上狙い?」
盗られて困るようなものは、車には積んでいないが、見す見す犯罪者を逃がす彼女ではない。
気配を殺し、ゆっくりと男に近づくと、男は不意にこちらを振り向いた。
「久しぶりだな。」
見知った男の顔だった。
「・・・清十郎」
先程までの柔和な顔が嘘のように一変して、あからさまに嫌そうな顔が自然と造られた。
「よく私の前に顔が出せたわね?」
「・・・」
「今更私になんの用?」
「・・・助けてほしい。」
「笑えない冗談ね。仮に冗談じゃ無いにしても、私が彼方からの頼みを聞くとでも思っているの?」
「思っていない。だが、お前しか頼れる奴がいない。」
「帰って、私が彼方を殺そうとしない内に。」
男の横を通って、自分の車に歩き出したとき、ガシッと右手をつかまれた。
「触らないでよ!」
腕を振り払い、振り返った途端、目の前の男は地面に正座をして、額を地面に擦り付けた。
いわゆる土下座だ。
「・・・なんの真似?」
「あの時の事、俺は今でも自分が間違った事をしたとは思っていない。だが、今の俺には、こうする事しか出来ない。」
「私の前で、よくもそんなことが言えるわね。」
「お前が俺を恨んでいる事は、わかっている。水に流せとは言わないし、許してほしいとも言わない。死ねと言われれば、俺の命だったら幾らでもくれてやる。だが今は、俺のためではなく、あの子を、熾輝を助けてくれ!」
瞬間、彼女の思考が停止した。
聞き間違いでは無ければ、目の前の男は、「熾輝を助けてくれ」と言ってきたのである。
「嘘・・・だって、あの子は神災で死んだはずじゃ?」
「死んでいなかったんだ。あの子は、この半年間ずっと魔界に居て、俺が連れ戻してきた。」
耳を疑た。
死でいたと思っていた少年が、実は生きていて、しかもこの半年間を魔界で生きてきたという事実が信じられなかった。
だが、魔界に居たとかは、この際どうでもよかった。
「無事だったの?」
「・・・無事だった。正確に言えば、さっきまではだが。」
「どういう意味?」
「俺の軽率な行動のせいで、今にも死にそうだ。」
「それを早く言いなさいよ!」
彼女は、急いで車に乗り込んでエンジンキーを回した。
「邪魔よ!そんなところで土下座なんてしていないで!」
「助けてくれるのか?」
「あーもう!今だけは、昔の事を忘れておいてあげる!だから、あなたも車に乗りなさい!」
「いいのか?」
「いいわけ無いでしょ!だけど、仕方がないじゃない!」
「・・・すまない。」
車の助手席に座った清十郎を確認すると、葵は自分の愛車のアクセルを目一杯踏み込んで、急発進させた。
「理由は、行きの道中で話して貰うわ。」
「わかった。」
「それで?何処へ向かえばいいの?」
「五月女の本家だ。」
車を更に加速させた葵は、法定速度を余裕で振り切り、目の前を走る車や対向車など、お構いなしに、ぶっちぎって目的地へと疾走を開始した。




