第一〇〇話【来訪者Ⅻ】
遅くなって申し訳ありません。
一仕事を終えた熾輝は、深く息を吐き出して、張りつめさせていた心をようやく緩めることが出来た。
刹那の気配を捉えて以降、常に流し込み続けていた呪術の行使によって、彼の疲労は相当なものだ。仮に魔弾の使用を渋り、独自の力のみで魔法の行使をしていたのであれば、披露だけでは済まず、その影響は肉体や精神に多大な負荷を及ぼしていただろう。
そんな事もあって、思わず座り込んでしまいそうになる気持ちをグッと堪えて刹那の捕縛に掛かろうとした矢先である。
ピリリリリリリ♪
何処からともなく聞こえてくる電子音が刹那に対する意識を逸らした。
「・・・・。」
「熾輝さま。」
電子音の正体は、刹那が所持していた携帯電話からの音だった。
双刃は刹那の所持していたバックから携帯電話を拝借すると、熾輝へと手渡してきた。
電話の相手は非通知としか画面に出ていない。本来であれば無視しても構わないのだが、件の女は散々自分達の手を煩わせ、先日にあっては自身に攻撃を仕掛けてきた・・・そんな相手の仲間の可能性もあったことから、電話相手に人質を取ったことを告げて優位に動こうという考えから電話に出る事にした。
「もしもし。」
『・・・。』
電話に出たにも関わらず相手は、数秒ほど無言であった。
そして、そんな相手から開口一番に放たれた台詞は、ある意味で熾輝の良そうどおりのものだった。
『やぁ、始めまして八神熾輝、私の式神はまだ無事かな?』
電話の相手は、声からして大人の声であった。しかし、声質は魔術を使えば簡単に変えられるため、決めつける事はできない。
「・・・あぁ、彼方がこの式神の主か?」
『そのとおりだ。しかし、驚いた。まさか刹那を退いてしまうとはね。彼女はああ見えて式神としての戦闘力は相当なものだったはずなんだが、どうやって倒したのか参考までに教えてくれないか?』
「そんな無駄話をするつもりは無い。聞かれた事だけに答えて貰おうか。」
相手の質問をバッサリと切りすてて、こちらの要求を答えさせようとした熾輝の声は、珍しく怒気が含まれていた。
『・・・随分と偉そうじゃないか。もしかして自分が優位な立場に居るとでも思っているのかな?』
「実際に僕の方が優位に立っているのは間違いない。現に彼方の式神は僕の手中だ。」
『なるほど、刹那は人質ということか・・・しかし、その式神に人質としての価値は、無いとは思わないかな?』
「・・・何を言っている?」
『だって、そうだろ?式神とは言ってしまえば、ただの物だ。敵の手に落ちた時点で、その利用価値は無くなる。いつでも切り捨てる事の出来る便利な道具だ。』
「お前・・・。」
ミシリと手に持っていた携帯電話が軋む。
電話の男は目の前の女を道具だと言った。確かに式神は主の言う事を聞く召使的な存在として多くの魔術師が所有している。だが、式神にも心があり、意思がある。そんな彼らをこの男は道具だと平然と述べている。
熾輝はこの時、電話口の男とは、絶対に相容れないと悟った。
故に男との対話自体が熾輝にとって不快以外のなにものでも無くなった今では、直ぐにでも通話を切断してもおかしくない。
「どうやら、お前と話していても意味が無いらしい。刹那から情報を引き出した後はお前の番だ。覚悟していろ。」
そう言って、通話を切断しようとしていた熾輝だったが、男の声にその行為が中断された。
『結城咲耶、乃木坂可憐、細川燕』
その3人の名前を出され、再び熾輝は電話を耳元へ持っていった。
『キミの友人は随分と可愛い女の子が多いようだね。でも、3人が3人共、きみの様に戦えるわけでは無いようだ。』
「・・・何が言いたい?」
含みを持たせた男の言葉に熾輝は耳を傾けるしかない。そういった状況を男は一瞬で作り上げてしまったのだ。
『おやおや?私との話は無意味だったのでは無かったのかな?』
電話向こうでクスクスと笑う男の声が熾輝の神経を逆なでする。
「3人に手を出したら、お前を殺す。」
見えない相手に対し、熾輝の殺気がその場の空間を支配する。
その状況に傍に控えていた双刃の表情が驚愕に染まる。
かつて、熾輝がこのような感情を持ったことは彼女の知る中で一度もなかった。
故に、その感情の変化と空間を支配する、大瀑布の如く降り注ぐ殺気に双刃は主の身を案じる。
何処までも底の見えない黒より深い漆黒の殺意・・・それと同時に、これ程に純粋な殺気は自身ですら放つことが出来るであろうかと考える。
『別に3人をどうこうするつもりは無いよ・・・でもそうか、そういう方法なら君を揺さぶるには十分に効果的なのか。』
「お前っ!」
まるで熾輝の反応を楽しんでいるかのような男の行動に、熾輝は苛立ちを隠せない。
『そう怒るなよ、こちらも条件次第じゃキミと取引をしても良いと思っているんだ。』
「取引だと?」
優位に立っていたハズの自身が、いつの間にか相手にペースを握られ、その取引を受け入れざるを得ない状況を作り出された事に、熾輝は苦虫を嚙みつぶしたような表情を浮かばせていた。
『そうだな、まずは――――』
◇ ◇ ◇
「シキなら居ないわよ。」
開口一番、仁王立ちをした依琳は咲耶達に言い放った。
時刻は、昼間を回ろうとしていたころ、熾輝が住むマンションの扉の前で咲耶達は困った顔を浮かべていた。
なにせ、依琳が熾輝の不在を告げてから話を繋げてくれず、物凄い眼圧で3人を睨み付けていたからだ。
だが、そこに現れた唯一の救い手によって現状が打破された。
「あら?みんな、そんなところで何をしているの?」
病院勤務を終えた葵のご帰宅である。
葵の登場によって、咲耶達は事情を話す事ができた。
熾輝と仲違いしてしまったこと。林間学校で何があったのか、熾輝の過去について・・・それらの事情を聴いた葵は、神妙そうな表情を浮かべていたが、直ぐに表情を柔らかいものへと変えていた。
「―――そう、それで熾輝君の元気が無かったのね。」
「私達、今まで熾輝君と一緒にいたのに、熾輝君の事を何も知ろうとしないで、それで・・・」
咲耶達は、これまでの経緯と自分たちの気持ちを葵に吐露する。
「いいんじゃない?別に友達だからって、何でもかんでも言う必要は無いと思うわよ?」
しかし、葵の答えは意外と淡白なものだった。
「え?で、でもでも!私達がもっと熾輝君の事を知っていれば、喧嘩もしなかったかもだし、私だって、あんな酷い事を言ったりなんか・・・」
『心が無いみたい』・・・林間学校で咲耶が口にした言葉だ。彼女は、あれからずっと、その事を気にしていた。
いくら友人が酷い振られ方をしたといっても、後々になって自分が相当酷い事を言ったと後悔していた。
しかも、その直後に判明した熾輝の感情が失われた事を知り、比喩では済まされなかったことも重なって、彼女の胸はずっと締め付けられていた。
「あのね、咲耶ちゃん達はまだ子供なんだし、喧嘩して当たり前!喧嘩の原因が大きかろうが些細な事だろうが、そんなのは気にしていてもしょうがない事よ。」
葵のあまりにも大雑把な意見に、咲耶と可憐はおろか、年長者であるアリアですら口をポカーンと開けている。
咲耶達からしたら熾輝の件はかなりデリケートなものだという認識であったが、保護者である彼女が全然大した問題だという認識をしていない様に思えてしまう。
「大丈夫!あの熾輝君が林間学校から帰って来てから、落ち込んでいる!それってつまり、裏を返せば相当彼方たちの事を意識しているってこと!」
拳をグッと握って力説する葵の言い分は、聞いてみれば、なるほど一理あるように聞こえる。
「あの子が今まで、そういう風に思ってきた人って、師である私たちを除けば、そこに居る依琳ちゃんや劉邦くん位なのよ。」
そう言われ、横で話を聞いていた2人は、胸を張ったり、照れたりと様々である。
「それに、数ヶ月とはいえ、付き合いの短い間で彼方たちをそこまで意識するって、結構凄い事よ?考え方を変えれば、昔は何に対しても無感情だったあの子を皆が変えたって事だと私は思うの。」
「私たちがですか?」
「そうよ、だから今は――――」
その時、言葉を続けようとした葵の声を遮って家の電話が鳴る。
ちょっと失礼するわね。と席を立った葵が、数刻もしない間に戻ってくると、病院からの呼び出しがあったらしい。
彼女は、子供たちとの話を打ち切り、申し訳なさそうに自宅を後にした。
部屋に残された子供たちは、再び気まずい状況に息を詰まらせていたが、意外にも声を掛けてきたのは依琳の方だった。
「さっきの話・・・」
「え?」
「葵さんが言っていた事よ。その、・・・貴方たちがシキを変えたって話。」
先程の葵の話に対し、何か思うところでもあったのか、依琳が珍しく難しい顔をしている。
「シキがあなた達の事を意識しているっていうのは本当よ。アナタ達の事を話すシキの顔に元気が無かった。あんなシキの顔、私は知らない。」
中国で1年間を一緒に過ごしてきた彼女にとって、最初はそんな風に熾輝を悩ませる咲耶達の事が気に入らなかった。だから、柄に御なく因縁までつけて怒鳴りつけてしまったのだ。
「私が知っているシキは、無表情だけど優しい・・・そんなヤツよ。」
「うん。…私たちに対しても、いつも気にかけてくれて優しいよ。」
「だから私は知りたい、なんでシキがあんなに辛そうな顔をするのか。…最初は、シキを苦しめる奴だって、私が勝手に思い込んでいただけだったけど、葵さんの話を聞いて、そうじゃないって思ったから、だから・・・私の知らないシキと貴方たちの事を教えてほしいの。」
真直ぐと咲耶達に視線を向ける依琳は、昨日までの怒気がウソのように消え去り、今はただ咲耶達の事を理解しようという意思があった。
というのも、昨日の一件があってから、彼女の幼馴染である劉邦による説得が効果を表していたことを誰も知らない。
依琳が咲耶達と話をしている横では、やれやれと肩の荷を下ろしている彼の姿があった。
◇ ◇ ◇
公園を出た熾輝は、夜の街を走っていた―――
『――まずは、私の式神を解放してもらおうか。』
『式神はどうでもいいんじゃなかったのか?』
『ははは、あれは冗談だよ。彼女には居て貰わなければ今後に支障が出かねない。』
『・・・僕がお前の要求を飲んだとして、3人に手を出さない保証が出来るのか?』
『まぁ、当然の疑問だね。そうだな・・・では、私が所有する魔導書の一つを君にプレゼントしよう。』
『なに?』
聞き間違えでなければ、男は自身が所有する魔導書を譲り渡すと言った。
その直後、熾輝が手にしていた携帯電話の着信音が鳴り響き、メールを受信していた。
『そのメールに魔導書を添付してある。確認してみるといい。』
男の言う通り、メールには魔導書が添付されていた。そして、この方法に熾輝は心当たりがあった。
『隠者を仕組んだのはお前だったのか。』
以前、可憐を襲おうとした犯人が所持していた携帯電話にも同様に魔導書が憑いていた。
事件自体は、熾輝が水際で防いだが、運よく能力の覚醒が起きなければ、どうなっていたかは分からない。
『あはは、あれは、こちらとしても想定外だったんだ。まさか君の友達を狙うとは思っていなかったんでね。』
『・・・お前たちの目的は一体何なんだ?』
『それを今教えるつもりは無いよ。とにかく、私が魔導書を差し出す引き換えに君の信用を得れたかな?』
熾輝は考える。相手も魔導書を収集している以上、本来ならばこのカードは切りたくないハズだ。それなのに式神と引き換えにしてまで差し出したということは、目の前で倒れている刹那には、余程喋ってほしくない情報があるのだろう。ならば、お互いに危険を冒してまで譲歩を拒否するような愚行は冒せない。
『わかった。条件を飲もう。』
『君ならそう言ってくれると思っていたよ。刹那はそのまま放置しておいてくれればこちらで回収しよう。』
結局、熾輝は貯金であるブラックタグを消費したにも関わらず、敵の情報を諦める選択肢をとった。
ブラックタグは、特殊な魔石を利用した魔弾で、1発辺りに力を蓄えるのに1年を要するのだ。しかし、引き換えとして相手が所持していた魔導書の一つを手に入れた。損得勘定的にはトントンだと思うように自身に言い聞かせる。
『ああ、それとこれはサービスなんだが、結城咲耶と乃木坂可憐は今は君の家に厄介になっている中国人の2人と一緒にいるよ。』
―――(2人と?)
『どうやら街の観光を行っているらしい。昨日の今日で、良く仲直りが出来たと感心してしまうよ。・・・だけど、今日の事を彼女等に話をしていれば、王手を掛けられていたのはこっちだったろうね。まったく、君というやつは本当に他人に対して一線を引きたがるんだね。』
『知ったようなことを言うな。』
『・・・そうだね、私は君ついて禄に知らない。でも君の友達よりも君の事は知っている。』
『それはどういう―――』
『それでは八神熾輝、今宵は本当に惜しかった。これからも良いゲームになる事を期待しているよ。』
そう言って、男は通話を切断した。
それからの事は、刹那を言われた通りに、その場に放置すると、急いで帰路についた。
念のため、双刃を法隆神社へと向かわせ、熾輝はといえば、自宅近くまで来たところで、マンション前に居る覚えのある気配を察知していた。
◇ ◇ ◇
熾輝のマンションに残された咲耶達は、今までのことを依琳と劉邦に話した。
熾輝と出会って、どんなことをして来たか。そして、林間学校で何があったのかを・・・
「―――そう、熾輝がそんな事を言ったの・・・」
依琳が聞かされたのは、林間学校の夜、熾輝が燕に告白をされた事についてと、彼の過去を知ったこと。
事情を全て知っている依琳と劉邦にとって、熾輝の答えは、まぁ想像の範囲内だったのだろう、別段驚いてはいないようだ。というよりも、熾輝に告白した女の子が居る事に驚いている様子だ。
「あの熾輝が告白されるとはねぇ。」
「まぁ、その燕っていう子、見る目はあるわね。」
そんな2人の会話を聞いていて、「え?そっち?」とキョトンとしてしまう一同であったが、直ぐに思考を切り替えたのか、依琳が真面目な顔をして咲耶達をみた。
「それで?貴方たちはこれから熾輝とどうしたいの?」
「私は、熾輝君に謝りたい。・・・知らなかった事とはいえ、心が無いみたいなんて、酷いこと言った。」
「私もです。謝って、もっと熾輝君を知りたいと思います。」
「ふーん・・・。」
二人の話を聞いた依琳だが、なにか違和感を感じているのか、納得がいかない様子だ。
「劉邦、アンタはどう思うのよ。」
基本、自分の考えをまとめたり、言葉にする事が苦手な依琳は一先ず隣の幼馴染に話を振った。普段なら彼女の考えなどを翻訳するのは、熾輝の役割なのだが、熾輝が中国に来るまでは劉邦の仕事だったのだ。
「え?別に謝る必要無いと思うぜ。だって、悪いのは明らかにシキじゃん?」
劉邦の話を聞いた2人は、あれれ?と困った顔を覗かせている。
「だって、そうだろ?好きだって言ってくれた女の子をアイツは傷つけたんだ。振るにしても、傷つけないように断る方法なんて、いくらでも考えられるのに・・・しかも泣かせた。それは、絶対にやっちゃいけない事だぜ。友達がそんな風に蔑ろにされて怒るのは当然!むしろ謝るのはシキの方だ。土下座でもさせてやればいい。」
劉邦の話にポカーンっとなりっぱなしの咲耶と可憐。
「・・・まぁ、そういう事よ。」
「あの、お二人は熾輝君の味方をしないのですか?」
「味方よ!だから間違えた時に私たちがシキを叱るんじゃない。」
「熾輝君の事情を知っていても?」
「そりゃあ関係ないよ、アイツの事情が何であれ、女の子を傷つけて良い理由になるのか?」
「それは・・・そうかもしれないけど。」
「アイツはそれだけの事をした。後になって後悔しているようだけど、もっと落ち込めばいいんだよ。そんでもって、燕ちゃんに土下座だ。」
「アンタ、さっきから土下座に拘るわね。」
「当然!男が女の子を泣かすなんて、恥ずべきことだって、羅漢のおっちゃんも言っていたからな!」
羅漢のおっちゃんが誰なのかという疑問を一瞬浮かべるも、今、この時は誰なのかという問いを投げる者はこの場にはいない。
「てなわけで、アイツが泣いて謝るまで咲耶ちゃん達は、許しちゃなんねぇ。」
劉邦の意見に依琳も同意なのか、腕を組んで、首を縦に振っている。
ただ、そうなると、ここへ来た意味を無くしてしまう。
『本当の友達』になるという目的、そしてお互いの事をもっとよく知ろうとすること・・・
「ねぇ、貴方たちは、この後時間ある?」
「え?うん。今日は特に何もすることが無いよ。」
「そう、なら丁度良かったわ。私たち、日本へ観光に来たんだけど、シキが居ないと何処へ行けばいいか判らないのよ。」
「それは、つまり一緒に観光をしようという事ですか?」
「おお!そりゃいいや、ぶっちゃけ観光もシキに全部任せるつもりだったから、目的も何もあったもんじゃ無かったしな。」
あははと笑う劉邦。一体日本に何をしに来たのかという突っ込みを入れたいところだが、それは敢えてしないのが、お互いのためだろう。
「もちろん、頼む以上は、貴方たちに損はさせないわ。」
「ていうと?」
なにか奢って貰えるのだろうかと、最年長のアリアがそんな事を思ってみたが、流石に子供に奢ってもらう訳にはいかないという常識くらいは兼ね備えている。
「シキのこと、知りたいんでしょ?中国での出来事なら私達も話せることがあると思うの。」
なるほど、とポンと手を叩いて、良い安だと依琳の考えに乗っかる意思を示す。
「じゃ、じゃあこの街の事でいいなら案内するよ。」
「「おう・ええ、宜しく!」」
そんなこんなで、中国からの来訪者と咲耶達は、街の観光・・・案内をすることとなった。
その中で知らされた依琳と熾輝との出会い。劉邦が熾輝の弟弟子に至った理由、その中には依琳ですら知らなかった男のドラマが・・・あったりなかったりするのだが、それはまた改めて語られるだろう。




