第二話 崩壊、そして
「どういうことだ!? この城が売り払われた?王国民の立ち入りを禁ずる? 意味がわからない」
疑問がそのまま口に出ていた。フロゥは書状のサインを睨みつけて、わなわなと震える。
「お爺様は一体何を考えているのだ」
フロゥは城砦都市を治めていた辺境伯の娘だった。母親は国王の娘。つまり城塞都市を売り渡したサインの主は国王である祖父だった。
怒りに震えるフロゥを静かに微笑み見つめるフィル。隣国の王子を名乗った詩人だ。
「ごく単純な取り引きですよ。僕たちにはこの城が必要だった。貴方たちには民を養うだけの穀物が必要だった」
都市ひとつを明け渡すなど通常ならありえない話だ。だが今は非常事態である。ドラゴンや他国からの侵略を防ぐために同盟関係も必要だった。
フィルはそう説明する。理解はすれども納得などできないフロゥ。
「お前たちの侵略を許してしまっているではないか!」
フロゥはスープ皿を投げつけそうになった。拳を握り締め必死で自分を律する。フロゥにとって今日という日は人生で二番目に辛い日になった。
「国を守るための同盟関係だと言うのに、どうして私たちを追放するのだ。残ろうとするものまで罪に問うなど理不尽がすぎる」
フロゥの静かな怒りもフィルは意に介さない。
「僕のやり方は少しばかり過激ですので…… この土地を愛していた方々には見ていただきたくないんです」
生まれ育った土地を追われ骨を埋めることも許されないなど、それ以上に酷な事があろうか。フロゥはどうにもならない苛立ちを噛み締める。
「ならば、この私も処刑しようと言うのか?」
――現国王の孫であるこの私を……
その脅しにも似た挑発にフィルはとんでもないカウンターを放つ。
「貴方には僕と結婚してもらいます。僕の妻になれば貴方はもう同じ国の人間だ。処罰する理由がなくなる。そして一緒に戦ってください。貴方には強くなってもらいたい。もちろん、王の許可も得ていますよ」
祖父への怨嗟が薄汚い言葉になって漏れ出しそうになる。フロゥはギリギリと歯を食いしばり怒りに打ち震えた。
「ほらほら、お肉も焼けたようですし、一緒にいただきましょう。盗賊の皆さんも留まることを決めたようですし、早くしないと食べつくされてしまいますよ?」
子供でもあやす様な態度に嫌気が差した。
――私がこんな、ひょろひょろした得体の知れない男と結婚?
「いらない! 胸焼けがする!」
夢なら早く覚めて欲しかった。強く目を閉じ大きく息を吐き出してみるが現実は変わらなかった。フロゥはたまらずに逃げ出した。自室に戻り、じたばたと暴れるように鎧を脱ぎ捨て、ベッドに飛び込み壁に枕を投げつける。
「わからない。何もかもわからない。お爺様の考えもあのひょろひょろ王子の考えも」
疑問符に押しつぶされるようにベッドに突っ伏して眠りに落ちていった。
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朝も早くから木槌や工具の鳴る音が響いている。否、もう昼を過ぎている。
「やはり夢ではなかったか」
窓から見えたのは昨晩の盗賊たち。城壁に取り付けられたバリスタになにやら手を加えている。
「なんてひどい酔い方をしたんだ私は…… 怒りに我を忘れるなど」
外から響く音に頭痛が加速する。怨嗟の言葉と吐き気を水差しの水で流し込む。よく見れば衛兵の数が増えていた。盗賊たちに大砲の整備を教えるもの。城下の崩れかかった家屋を解体するもの。そこからでた資材を城壁の補強に充てているもの。
今更そんなものを整備して何になるとフロゥは鼻で笑う。どこから襲ってくるかもわからない飛竜には威力の高い兵器も無意味だったのだ。だが作業してる人々の顔には活気があるように思われた。
「異物は私のほうなのだな」
この城の支配者はフィルで自分は不法滞在の罪人なのだと沈んだ気持ちになる。
中庭では指揮を執っているそのフィルの姿も見えた。隣には鮮やかな色の鱗鎧を着た若い男がいて、何やら話し込んでいる。談笑しているところみるに部下の衛兵という感じではない。無論、昨晩捕まった盗賊でもない。幼馴染の友人で冒険者仲間と言ったところだろうか。
「なんだかまた胸焼けが……」
吐き気が増した理由は軽薄そうに笑う鱗鎧の男に対してでも、領地を奪った上に結婚して妻になれと言ってきたフィルに対してでもない。そんな彼らを羨んでいる自分に対してである。
さすがに向かい酒も自棄食いもする気にはなれず、日課である鎧の手入れを始める。武具を磨いているときは自然と無心になれた。オイルの香りに高い鎮静効果があるのも良かったのだろう。
「私は父の遺志を継ぎ、この地を守ると決めたのだ。ドラゴンの脅威に対抗できると言うのなら、この身を捧げて領地を守れると言うのなら」
落ち着いた心で自身を見つめ直し決意を新たにする。
瞑想していく中でフィルの言う「過激なやり方」というものが気になってきていた。気になるともう居ても立ってもいられない。フロゥは肌着の上にそのまま鎧をつけて足早に部屋を飛び出す。思いついたら即行動がフロゥの長所だった。
中庭からは廃墟になった城下の様子が一望できた。かつては城壁が二重に城と城下を囲み外敵から守ってくれていた。それが今では一辺を大きく削られ口を開けてしまっている。
大型の飛竜が荒らしていったのだ。それはあまりにも巨大で凶暴だった。訓練された兵士たちですら追い返すこともままならず、ただその嵐が去るのを待つことしかできなかった。
その結果がこの眼下の廃墟だ。
――そんな強大な相手を前に、どう戦おうというのだ?
その問いをフィルぶつけようとした時、脇から声を掛けられた。赤銅のような色あいの鱗鎧を着た軽薄そうな男である。逆立てた明るい色の髪に合わせた装いなのかもしれない。
「おはよーッス姫様、調子はどうッスか? こっちの準備は順調ッスよ。二・三日もすれば最ッ高のショウができると思うッス」
人懐っこい笑顔で馴れ馴れしくフロゥに話しかける。黙っていれば可愛げもあるのだろうがフロゥにとっては今はただ邪魔で鬱陶しい障害だ。
「喋ってないで大砲の試射を手伝ってきて」
フィルはその様子を見かねて、ため息混じりに用事を押し付け追い払う。
それでも粘ろうとする鱗鎧の男はケツを見事に蹴り上げられてしょぼくれながらようやく退散していった。
蹴った当のフィルは何事もなかったように笑顔でフロゥを出迎える。
「おはようございます。昨夜はよく眠れましたか?」
食事の用意ならできていると案内されるがフロゥは首を振る。今欲しいのは詳しい説明だ。笑顔に騙されるものかと自分に渇を入れる。
「貴様は、何をしようというのだ?」
「バリスタ打ち込んで飛竜を倒します」
虚言としか思えぬことを即答される。
城壁をこれ以上崩されまいと配備したバリスタが無駄に終わったのを知らないのかもしれない。ドラゴンの強さを知らずに無為に命を散らしてしまうかもしれない。忠告や疑問が焦りとともに吐き出される。それでもフィルは変わらぬ笑顔で答える。
「餌で釣って罠で捕らえ砲撃で倒す。ね、単純でしょ? ……なんて言っても納得しないですよね」
腕を組んで思案するフィルに指笛の合図が届く。城壁の上から先ほどの鱗鎧の男が手を振っている。
「作業中はあまり見せたくないので、あと数日だけどこかに閉じこもっていてもらえますか? 嫌だと言うなら無理にでも黙らせるしかないんですけど……」
手を振り返し合図に応えながら、冷たくあしらわれる。
次の瞬間、轟音が響く。
城砦に取り付けられた砲台から鉄球が飛び出し、ゆっくりと放物線を描き城下へと吸い込まれていった。一拍置いて伝わってくる地響き。着弾点の民家が崩れ砂埃が舞っている。
「なんてことを!?」
「言いたいことはあるでしょうけど、これも必要なことですから」
恨み言を聞く耳を持たないといった様子で砲弾の行方に意識を向けているフィル。突然の出来事に呆然となり守るべき町並みが崩れていくのを見ているしかできないフロゥ。
轟音はさらに続いた。
次々と砲弾が放たれ、地響きとともに城下の建物が崩れていく。中央通りがただの広場にされていく。朝市が開かれ人々が行き交う活気のある大通りだった。いつかそんな活気が戻るものだと信じていた。
それが今、文字通りに砕かれてしまった。
砲撃の音の身体が竦み、怒るべき状況を目の前にしても頭が真っ白になってしまっている。
しばらく轟音と地響きが続きやっと終わったかたと思うと、今度は衛兵たちが荷車を引いて資材を回収していく。ご丁寧に草食竜を歩かせ地均しまでしている。
「あれらはバリスタの弾にします。荒っぽいですが早急に数を揃える必要がありますし…… そして草食竜はこのまま放し飼いにして飛竜をおびき寄せる餌になってもらいます」
フィルは現場に下りていって鉄材や木材の回収の様子を見ながら説明を加えていくが、フロゥはまだ現実を直視できずにいた。
「顔色がよくないですが大丈夫ですか? 気分が悪いなら部屋に戻って休んだほうがいいですよ」
そこへ幌の付いた馬車が入ってくる。地均しの進む中央通りで荷台を外し、馬はそのまま城の厩舎へと向かうようだ。どうやら資材を載せる目的ではないようだ。残された荷台には身の丈ほどの剣や大槌を背負った数名の兵士が護衛をしていた。上質の武器防具だが高級士官とも違う、どちらかと言えば鱗鎧に近い雰囲気がある。
「なんだよー、来ないって言ってたくせにしっかり護衛してくれてるじゃないか」
フィルは護衛の一人が知人であると知ると飛びついて背中を叩き合い再会を祝っている。
「退屈だったんだよ。それで、あれが件の姫様か。なるほど確かに勇ましそうな顔つきをしている」
「レベルリセットしちゃってるみたいなんだけど使えると思う?」
「上位種が釣れれば一戦で取り戻せるさ。自分の直感を信じてるんだろう?」
何やらフィルと話しているがフロゥには聞き取れない。
抱きつかれたのは大弓を背負ってフードを目深に被った少し陰のある男。弓兵というには少し目立つ装飾。狩人というには少し殺伐な装備。フロゥと目が合うと軽い会釈をしてきた。病弱そうな青白い顔だが表情は柔和で温かそうに感じられる。フロゥはその笑顔に父の面影を感じ懐かしくて切ない気持ちに襲われる。
――父がこの状況を見たら何と言うだろうか。
「死者は何も言わず生者を見守る、か…… 私一人ではいずれこうなっていただろうしな」
だがフロゥはまだ生きている。生きていれば取り戻せるものもある。
ぼんやりと通りを見渡しているとフロゥは何かに吸い寄せられるように荷台を覗き込む。中には頑丈そうな箱が見えた。その装飾は宝箱というのに相応しい外見であった。
もう少しよく見ようと近づくとフィルに視界を遮られる。
「危ないから近づかないでくださいね? あれも飛竜をおびき寄せる餌で周囲には爆薬を仕掛けます。そして、近寄ってきたところをガツン!です」
宝箱は爆破してしまうには惜しい存在感だった。フロゥには何かとても良い物が入っているような予感がしていた。ドラゴンは宝石を好むと伝え聞く。もしやそれなのでは?と……
「貴方には士気を高めるための演説をひとつ打ってもらいたいんですがよろしいですか? 今後の作戦の再確認の意味を込めて兵士全員に説明してもらいたいんです。大まかな台本はこちらで用意しますし、女性の声のほうが響きますから是非に」
フロゥにはやはり絵空事にしか思えなかった。
「それでも、自分をも騙すつもりで確実に勝利すると宣言していただきたい」
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日が落ちて夜になった。戦いの前夜祭という名目で宴が盛り上がっている。
フィルは冒険者たちと一緒にリュートを弾いて雰囲気作りに貢献している。酒を酌み交わす国の衛兵と冒険者、そして盗賊だったもの。この場にいるのは少人数で装備もまばらな混成部隊とその家族たちだけだ。
たったこれだけの人数で何ができると言うのか。そんな曇る気持ちを大きく深呼吸して追い出す。
フロゥは演説した。意気揚々とはいかにまでも気持ちを切り替え台座に上り、兵士たちを射抜くように視線をめぐらせる。
フィルと楽隊が曲調を変え気分が高揚する音楽を奏で始める。
彼らの士気はもとより高いようだ。目に強い光を感じる。それだけフィルのことを信頼しているのだろう。
餌を撒き誘導した飛竜に砲撃を浴びせ打ち倒す。そのために砲弾を運び、照準をつけ、号令をだし、点火する。ひとつひとつは単純作業だ。だが積み重ねれば大きな力になる。各自がそれぞれの仕事をこなせば難しいことではない。必ず成功する。
台本の通り兵士たちを鼓舞する。
「決して恐れるな! 戦いを楽しむくらいでなければダメだ。どんなに強大な力を持つ怪物であろうとも、力を合わせれば必ず撃破できるのだ! 傍若無人なドラゴンどもに我らの魂を見せつけてやれ! 力を合わせ、戦いを楽しみ、必ずや勝利をその手にするのだ! 我らに勝利を!」
「「「我らに勝利を!」」」
フロゥは信じ始めていた。本当にドラゴンを討伐できるのではないかと。士気の高まった部隊を見ていると不思議とそう思えてきたのである。
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鱗鎧の若い男
名前はまだない 通称:鱗鎧の男
隣国の駆け出しハンター
髪の色も頭の中身も明るくて軽い
どんな武器でもすぐに扱えるようになる
実力はピカイチ
大弓を背負ったフードの男
名前はまだない 通称:フードの男
隣国のベテランハンター
顔色が悪く無愛想に見えるが心は温かく芯は熱い
勇者になろうと夢見ていたこともある
辺境伯に雰囲気が似ている