第一話 「夏。だね」
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学生にとって、夏休みとは実にいいものだ。
俺ら、高校生には夏休みという一年間で最大の長期休業がある。
ある意味、補習授業があって泣き喚くやつがいれば、部活があって顔をホクホクさせている奴もいる。
だから生徒一人一人、違う休みを過ごすのは当たり前のことだ。
ちなみに、補習授業をとる人は希望者と強制者がいる。
希望者はともかく、強制者の参加条件は期末テストで赤点を三つとること。
聖城学園は学力に見劣りなく、日々着々と文武両道に勤しんでいる学校だ。
まあ、中には部活だけっていう人もいるけれど、そいつらは例外だ。極端に成績が悪くなければ、補習に出されることはまずない。
その極端な奴が、目の前に二名いるけれどな。
「よ~へ~」
顔に似合わず、ひ弱な声を出す親友の羽鳥光。
イケメン。優しい。さわやか。
まさにモテる男子の三大要素をすべて持っているといわれている人物。
実際、どれくらいモテているのか分からないけど。
そんなイケメン三大要素を兼ね備えているプロフェッショナルが、こうして机にすっぷしているのには理由がある。
もちろん。
「補習なんてやだ!! サッカーしたい!! 遊びたい!! 夏休みは休みなんだぞ!! 勉強とかやらせるんじゃねえ!!」
おもちゃを買ってもらえなくて、駄々をこねる子供にか見えない。
突然家に訪問してきて、突然勉強会。好き勝手言う、こいつの脳天に鉄拳制裁を加えたいくらいだ。
無論、こんな狭い場所で暴れたら後々面倒になる。
「燿平と燐ちゃんが家庭教師やるっていうから期待していたけれど、男と男のマンツーマンかよ。つまらないな」
「お前、補習でもヘマこきたくなかったら、俺の言うとおりにやれよ?」
「え、あ、はい」
わがままを言うやつには一喝する。予定通り、従順になった光はシャキッとする。
よし、これでOK。
さて、由見の方は……
神崎と由見も、俺の家に来ている。神崎には悪いと思うが、さすがにこの二人を相手していられるほど、俺の体はタフじゃない。
できない教科が被っているなら、こっちだって教えようがある。
ただ、問題なのはそこだ。
あの二人の苦手科目はまったくの正反対。
由見が文系科目できるのに、数学と理科系がもう壊滅的。点数見たら笑いそうになった。
光……あれはもうしょうがない。サッカーやるために生まれてきたようなものだから、英語が本当に酷かった。
解答欄に英語じゃなくて、イタリア語書いている生徒初めて見た。っていう先生のサッカーボールの絵付きメッセージを見たときは、腹を抱えて笑った。
こうして、二人には全く反対の苦手科目がある。だから、神崎に応援を頼んだんだ。
その二人はは今、リビングの方でマンツーマンをさせている。
「ちょっと由見の方見てくるから、それまでこの問題終わらせろよ。……あ、そうそう。中途半端で適当にやって、携帯なんかいじっていたら潰すからな」
「ひゃ!! 鬼だな!!」
ぎゃあぎゃあ騒ぐ光から距離をとる。
リビングへ行くと、まじめに問題を解いている由見の姿があった。
うわ、誰かさんに見せつけてやりたい。
「はぁー、終わったぁ」
先ほどの集中力とは逆に、すべての問題を解き終えた瞬間の脱力感とのギャップがすごい。サッカーの試合が終わった後もこうだったような気がする。
「あ、生野君。羽鳥君のほうはどう?」
長い黒髪をポニーテールで結わえ、うなじが丸見えのその姿はどうにも俺の目には悪い。
「どうもこうも、あいつ英語とは向き合おうとしないな。イタリア語とかドイツ語なら、一日中机に向かっているんだけど」
それはさすがに無理があるか。
「英語なんて、ほかの言語と比べれば簡単なのに。あいつ、サッカーめっちゃ頑張るのに勉強頑張らないなんて、どうかしているわよ」
「そういうお前も、数学で三点とかテストでハットトリック決めるなよ」
「うあ!! 今、自分でうまいこと言ったって思っているでしょ!! そういう顔しているわよ!!」
「別にうまくねえよ。うまいのはその点を取ったお前だぞ? 3点問題を三角で3つだけって……相手のオウンゴールかよ」
「生野君。さすがに今のたとえは私でも分からないわよ?」
「あ、そうすか」
ちっ、やっぱり素人にはレベルが高すぎる話だったか。
「それよりさぁ、お腹減ったよー」
そういえばもうお昼だよな。
壁に掛けられている時計を確認すると、12時を少し過ぎていた。
「お前ら飯食っていくだろ?」
「あー、うん。でも、何も持ってきてない」
「その様子じゃ、光もそうだろうな。……よし、ちょっと買い物に行くからお前らは待っていろよ」
「えー、そんなぁ」
「その間に問題解いていればいいだろ?」
追試をとりたくなければ、時間がある限り勉強していろよ。夏休み全部補修でつぶれても俺は責任はとらない。当たり前だろ?
「私も手伝いに行ったほうがいいかしら?」
「そうだな。こいつらだけ残すのも不安だけど、荷物もちょっと多くなるからお願いできるか?」
神崎の首は、迷わず縦に振られる。
俺は支度をするべく、財布を自分の部屋に置いてきたので取りに行く。
光はしっかり勉強しているかな?
さすがのあいつも、夏休みサッカーできないってなればかなりの苦痛になるからな。それなりに頑張っては……
俺が戸を開けた瞬間。
「あ」
「あ?」
声が重なる。
「あ、燿平君。お疲れ様です」
ほほう。
俺は指の骨をしきりに鳴らす。
光の表情が強張る。
「お前って、そんなにM体質だったけ? へぇ、俺の言い分を無視して携帯ゲームかぁ。どこまで進んだ? ん? レアカードは入手できたかな? 光君」
「あー、燿平君? 暑さでちょっと頭おかしくなったんじゃないの? 氷を額に当てた方が……」
「頭を冷やすのはどっちだ!! このボケナス!!」
光の断末魔の叫びが、あたり一帯に響き渡った。
夏休み初日。こうして俺の高校生活最初の長期休業は、幕を開けた。
□ □ □
それから数時間後。
ようやく光と由見に課した課題が片付いた。
これでどうにか補習を乗り切って、その後に行われる追試試験を乗り切ってくれればいいのだが……
いずれにせよ、俺たちはすべてを出し尽くした。しくじったら、あの二人に任せよう。
「ほい、お茶」
「ありがと」
あいつらが帰ってから30分経った後、俺は神崎と二人でお茶を飲んでいた。
テレビはなぜか、昼のニュースで神崎のライブについて取り上げられている。夏になっても、相変わらず人気の上昇は収まらないようだ。
その当の本人が目の前にいるのに、俺は何とも思わないとなると、それは問題だ。ってこの前クラスの誰かに言われた。えっと……三村くんだっけ?
とやかく、芸能人がこんなところにいて騒ぎは起きないのか。こんなところまでどうやってきた? なんて疑いを持つけれど、こいつは先日、俺の隣に引っ越してきた新居人だ。
もう一度言おう。新居人だ。巨人じゃないからそこ注意。
理由はものすごく単純……なのと理にかなっていることだった。
「ほら、この前みたいに燐が誘拐されることなんてあったら大変でしょ? しかも事務所が近々拠点を変えるみたいだからさ。ついでにって思って」
その時の姉ちゃんの顔は、いつにも増して嬉しそうだった
誘拐されて、もしかしたら住所が特定されたかもしれない。
事務所が活動拠点を変え、そこから近いこのマンションを選んだ。
理不尽なようで理不尽じゃない……世界は複雑だねぇ。
というわけで、たまにこうして家に来てご飯食べたりお茶を飲んだりと、まったりしているわけで……
すっかり俺の生活の一部に溶け込んできているような……
「暑いわね」
「……暑いな」
「疲れたね」
「そうだな、疲れたな」
……
なんだ、この意味のない会話。
会話といえばキャッチボールだろ? これ会話じゃないよな。一問一答だよな? やるきねえのかよ!!
そして、
「こうして自分が汗をかきながら歌っている姿を見ると、余計暑くなってくるのよね」
「いや、それはお前だけじゃないような気が……」
「耀里さん、今日も1日中なの?」
唐突に話を変えてきやがった。
こいつ、自分が興味ない話はしないってか。
「今日から一泊で新潟の方へロケ言っているんだって。夏休み特集だからって調子乗りすぎなのよ。とかあのディレクターとか言っていたって」
ちなみに姉ちゃんが参加するロケは、新潟県の海の幸探しだそうだ。いいなぁ。新潟ならカニだよな。カニ。
お土産で持ってきてくれねえかなぁ。
「カニのことで頭がいっぱいの生野君。私の話を聞いてくれている? もし聞いていなかったら今度、マイクスタンドで君のお腹を潰してあげるから」
「聞いてる聞いてる。大丈夫だから」
うあ、ジト目で見られた。傷つく。
それにしても、新手の拷問だな。マイクスタンドを使ったお仕置き。誰が提案したんだよ。
「じゃあ、今日は泊まっても大丈夫なのね?」
「へ? 泊まり? どこに?」
もう一度ジト目で見られた。「話が違うわね」とでも言っているかのように。
とりあえず、
「あ、お泊り? うん、全然いいぜ。むしろ歓迎。俺も一人だからちょうどさびしかったんだよねぇ」
あれ、おっかしいなぁ。
頭の中では、「いやいや!! 年頃の男女が泊まる? それは世間一般どう見ても許されないよ!! 神崎燐のファンとか関係ないから!?」という予定だった。だが、なぜか勢い任せでこうもあっさり了承してしまった。やっぱり、さっきから感知していたジト目のせいだろう。
「でもお前はいいのか? 俺みたいなやつと泊まるって。マネージャーにバレたらやばいんじゃないのか?」
「大丈夫よ。バレても殺されるのは生野君だけだから」
ですよねぇ。結局は俺が始末されてオッケー見たいだよな。うん。やっぱり世の中は理不尽。
「ってかさ、お前夏休みの予定とかないの? 仕事以外で」
「特にないわよ。仕事が休みなんて、今日とあと4日くらいよ。あとは収録とか写真撮影もあるし。友達と遊んでいる暇あったら、体ぐらい休めているわよ」
「お前友達いたっけ? ……すいませんでした」
弁慶の泣き所を蹴られた。今のはまじで痛かった。
「そういえば、耀里さんからプールに行かないかって誘われたんだけれど……」
なんだよ、その眼は。
今日学校休んでいい? なんて子供みたいな眼しているけれど……察してほしいんですね。はい。
「たぶん、去年の水着は着れないと思うから水着選びも手伝ってくれる?」
「俺を警察に突き出すつもりか!?」
冗談じゃない。女子と……ましてやアイドルと水着選びをしていて、何らかの騒動に巻き込まれて、俺は逮捕。翌日のニュースである意味俺の名前は全国区。
想像するだけで胃が痛くなる……
「いいじゃない。今まではマネージャーの人に意見貰っていたし、一度でいいから男の子の意見も取り入れてみたいのよ」
「グラビア撮影で着る水着じゃダメなのかよ」
「あれは仕事用よ。プライベートで着る水着とは、別物なのよ」
確かに、姉ちゃんと一度海へ行ったことあるけれど、その時来ていた水着は仕事で来ていたのと違っていた気がする。正直、水着なんて身に着けていれば何だっていいんだが。
それでも、水着選びに協力してほしいとなれば、神崎が一体どんな水着が似合うのか、妄想……いやいや。想像してしまう。
黒髪ロングとのコントラストを引き立てる、白いビキニか。はたまた黒で統一し、ランジェリーでも……やべ、想像するだけで腹いっぱいになるな。
「今、ものすごい厭らしい目で見られたんだけれど、気のせいかな?」
殺気が伝わる。
やばいやばい。
てかフォーク持たないで!? 刃先を俺に向けるのやめてくれる!?
「ま、どのみち選んでくれた水着を着るのだからいいけれどね」
持っていたフォークを置き、グラスに残っているお茶を一気に飲み干した。
俺も、彼女に続いてグラスの中を空にする。
渋くて、甘い味がのどの奥を突き通す。
冷たい液体が体中を駆け巡り、すこし涼しくなった気がした。
「夏。だね」
「ああ、夏だな」
また一辺倒の会話。
だが、それだけでも充分意味は通じあい、言葉の折り合いを成している。
「生野君はどうするの? 夏休み」
「俺は特に部活に入っていないし、夏期講習とかも言っている暇もお金もないから。姉ちゃんもロケで忙しいし、家でゴロゴロしていようかなって」
「そっか。いいね、何もない人は」
「好きで何もなく過ごしていないよ。お前だって、嫌々仕事をやっているわけじゃないだろ?」
憧れを持って、夢を持って、そして叶えた芸能界での仕事。
テレビで見ていても、彼女が嫌々やっているわけがない。
「そうね。でも別に嫌々じゃないわ。偶にだけれど、君を見ているとちょっとうらやましいかなって」
「どこがだよ」
「暇そうなところが」
多忙と暇人。比べようがない対象だな。ってか今の言葉、地味に傷ついた。
「だから……さ」
座ったまま、神崎は俺の隣に寄って来た。
おいおい、一体何のつもりだ?
空気的に、ここは離れない方がいいのか? いや、このまま俺がいて何かされて誤解でも受けたら……
賢明な判断を打ち抜こうと、必死に考えていたがもう遅かった。
神崎は、頭を俺の肩に添えてきた。
「……」
どうやら、俺と神崎のお泊りはすでに始まっているようだ。
夏休み初日……勉強会やら、お泊りやら。俺の日常は一体どこへ飛んで行ったのか……