第八話 「歯を食いしばれよ。未練たらし野郎」
第一章はこれで終わりです。
廃工場へとダイブした大型車は、玄さんの見事なドラフトをお見舞いして停止した。
吹っ飛ばされないように、前の座席シートをしっかりつかんで衝撃に兼ね備えた。
そして、目の前には佐々木がいた。
「敵は全部で三人か……しかも佐々木がナイフもちだな」
冷静に久坂先輩が分析する。
神崎はすぐそこで倒れていた。
俺は本能のまま、車から降りて神崎のもとへと駆けつけた。
「大丈夫か?」
「生野君……」
涙目で俺の名前を呼ぶ。
それにしても、えらく複雑に結ばれているな。
カッターナイフか何かあればいいけれど、あいにく都合が悪く持っていない。
「お前ら!! なんでここが分かったんだ!!」
ぎゃあぎゃあ吠えている奴がいた。
俺は紐を解く作業をやめる。
悪い、まずあの野郎を始末してからな。
心の中で謝罪し、荒れ狂っている佐々木に体を向けた。
「今時、携帯にGPSがついているのは当たり前のことだろ? 俺らが何の手がかりもなしに、神崎を探していたと思っているなよ?」
仮にそうだったとしたら、笑えるけど。
「佐々木!!」
俺の言葉に続いて、車から降りてきた玄さんも威勢のいい声で佐々木を威嚇する。
「お前、性懲りもなくまたやらかしているなぁ? 堪忍しやがれ!!」
「うるせえ!! 元はといえば、この女が全ていけねえんだ!! 過去に……こいつが俺をあしらっていなけりゃ、俺は今頃……」
ナイフ刃先を俺らに向けながら、佐々木は一歩後ずさる。
でも、俺はそんなことには動じない。
「今頃どうしてたんだよ」
「ひっ!?」
ドスの効いた声に、一歩引き下がる。
こいつ、何もわかっていねえな。玄さんの言うとおり、拘置所にいた時も出た後も何も反省していない。
「いつまでもグチグチ、おもちゃが買ってもらえなくて喚き散らしている子供みたいに、自己主張しているんじゃねえよ。過去? ふん、そんなもんクソくらえだな。過去なんかに未練かましていたり、神崎を襲ってライブをめちゃくちゃにする暇があるなら、もっと自分を見直せ」
「この……っ」
佐々木のナイフを握る手が、震えあがり歯を食いしばっているように見えた。
そして、
「クソガキが、大の大人に口出ししてんじゃねえぞ!! お前ら!! やれ!!」
佐々木の掛け声とともに、奴の仲間は俺に向かって動き出す。
息を整え、集中力を高める。
「生野君!!」
神崎が、俺の名前を呼ぶ声が聞こえる。
姉ちゃんも、久坂先輩も玄さんも横からそっと見ている。
大丈夫。相手は拳だけで十分だと思っている。
その余裕が、油断になっていることは気づかずに。
手は何のためにあるのか。人を殴るためにあるんじゃない。
知恵を使って導き出した行動によって使われた手が、初めて『手』というモノの存在意義が見いだされる。
「うらぁ!! ……ぐふっ!!」
何も考えていないですよと言わんばかりに、男は拳を大きく振りかぶる。
モーションが大きいんだよ。
拳の軌道をしっかり確認。うまくかわしたところで、鳩尾に肘鉄を入れる。
あ、やべ。ちょっと力入れすぎた。
まあ、いいか。
戦い方が素人な方が悪い。うん。俺正論言ったわ。
「このやろう!!」
次いでもう一人、同じ体格の男が襲ってきた。
おいおい、さっきの見てなかったのかよ。
「学習能力なさすぎ」
「なにっ!?」
しかし、時はすでに遅し。
振り下ろされた拳は空を切る。だが、もう片方から鋭いパンチが入る。
予定だった。
「なっ!?」
それが俺に直撃する前に、男は何かにもつれて激しく転倒し、気絶した。
あ、こっちもちょっとやりすぎたかも。
「さてと」
一息つく。
気を取り直して。
「かかってこいよ。大神事務所、補佐担当、佐々木浩二郎さんよ」
「てめえ……」
サバイバルナイフを突き出す。
しかし、その手は依然として震えている。
慣れないものを持てば、こうなるのは当たり前なのに……
「死にやがれ!!」
こうして突進してくるのも、また人間としての本性の一部だな。
佐々木が言い放つ言葉も、怖くないし勢い任せで言っているようにしか聞こえなかった。
『柔道六段、合気道五段、空手六段』
それが俺のすべて。
ナイフを持っている右手首をまず押さえる。
もちろん、刃先が下に向かないように手首ごと固定して胸倉をつかむ。
一連の運動で自分より多少重い人でも、勢いをつければ投げつけることができる。って、柔道やっていた先輩に教わったことがある。
それが俗にいう『背負い投げ』だ。
見事に決まった柔道技は、綺麗に佐々木を地面にたたき落とした。
ナイフは手から離れ、鈍い音が聞こえる。
「おいおい、大の大人がクソガキに背負い投げされて恥ずかしくないのか?」
「この……やろう」
おいおい、まだやろうっていうのか?
背中から落ちれば結構ダメージ来るんだけれど……どうやらこいつの逆恨みは相当図太い。あと、しつこい。
「まあ、お前がいいなら俺は全力でぼこぼこにしてやるけれど」
「……のかよ」
は?
「いいのかよ……あそこには警察がいるんだぜ。お前が俺をボコれば、傷害罪でお前も牢屋行きだぞ」
何をわけわからないことを。
そんなこと、知ったことか。
俺に殴らせて、共に牢屋行きを目論んでいたようだけれど考えることがチンケ。笑いものにもならないな。
「別にかまわねえよ? お前さえボコボコにして、神崎が無事でいられるくらいなら、俺は牢屋でもどこへでも入ってやるよ」
だから。
「歯を食いしばれよ。未練たらし野郎」
俺の鉄拳制裁が、悪を打ち砕いた。
□ □ □
人間って気持ちが落ち着いたときに改めて周りを見渡すと、あ、やべ。ってなるときがないか?
いや、誰もあると思うんだよ。
たとえば掃除中、長い箒をバット代わりに野球をやっていて、フルスイングした瞬間。窓ガラスがガシャン。気持ちが落ち着けば、あ、やべ。ってならないか?
……たぶん俺だけだな。
ちなみに、その窓ガラスを割った人物は紛れもなく俺です。生活指導の先生、光のせいにしてごめんなさい。
……話をもどそう。
何が言いたいのかというと、俺たちは神崎を誘拐した人物を見事撃退した。したのはいいのだが、その分代償が与えられた。
まず俺。男二人に対してやったことは正当防衛として認められた。(どこからそう判断したんだ?)
だが、誘拐犯の主犯である佐々木浩二郎に与えたダメージは、男たちとの比じゃなかった。それも気持ちが落ち着き、駆けつけてきた警察に事情をうかがったところで気が付いた。
罪状はなかったし、今後危険な目に遭わないようにっていう約束でどうにか解放された。
もう一人を除いて。
「おい!! 私は警視総監、久坂玄だぞ!! お前ら私を知らないのか? 仮にも警視庁の人間だ!! 手荒なことをすればお前らを降級させるぞ!!」
数多の警察員に抑えられ、元気のいい声を張り上げているのは玄さん。
この人も問題を起こした内の一人だ。
何を起こしたか?
スピード違反。ただそれだけ。
ただそれだけ? って思うよな? でも重要なのは犯したことじゃない。
玄さんが警察だっていうこと。
いろいろな意味でこの人はやらかしてくれる。道場でも手本を見せるとか言って、窓ガラス3枚割って『てへ☆悪い見本だね』とかいう人だからな。
警察もこれだけの人数が取り押さえているところを見ると、映画のあるワンシーンように見えてしまう。
まあ、何はともあれ。神崎は無事だった。ライブにはもちろん、遅れた。1時間もね。
予定を繰り上げて行われたライブは、途轍もなかった。
たった一人のために用意された舞台の装飾も、抜かりなく施されているしファンの数も多い。これが一番びっくり。
テレビではアイドル本人が映る。だからファンなんてどれ位いるのか見当もつかない。
こうして現場に来てみれば、熱気で頭が逆上せそうだった。
約二時間行われたライブは、多少のトラブルに見舞われたものの、無事成功を収めることができた。
以上、報告終わり。
□ □ □
――――それから数日後。
普通の日常? が戻ってきた。
今までの日常が非だったのかと聞かれると、はいそうです。なんて答えられるだろうか?
まあ、昨日までヒーローだったりとか宇宙船に乗ってエイリアン退治してきたとか、それくらいの事をしていたなら非と言わざるを得ないよな。
誘拐犯を撃退……うーん。非なのか是なのか。判断しづらいよな。
でも俺みたいな普通の人なら、アイドルが隣に引っ越してきたっていうイベントが起これば、非日常って呼ぶべきだな。まあ、ありえないとは思うけれど。
それが妥当だ。
ちなみに、先日のことはニュース沙汰にはならなかった。
玄さんがもしものために、テレビ局の方にあらかじめ制約させていたんだろう。たぶん脅しで。
佐々木浩二郎の名前も、一切出てこなかった。
結局、彼がしたかったことは神崎への復讐だけなんだろうか。
過去に取りまわっていれば、それだけ今の自分を見失うんだよ。
ああいう大人になりたくないって、姉ちゃんずぅっと言っていたな。
神崎も、昨日の出来事が心的外傷になっていなければいいんだけれど……。
「まだ燐のこと考えているの?」
「え?」
台所から姉ちゃんが顔をのぞかせていた。
昨日のライブで奉仕していたため、今日は1日休みをもらっているそうだ。
だからと言って、朝からビールはやめてほしい。すでに酔っているみたいだし。
「あんたも、男の子になったのねぇ」
「どういう意味だよ」
「そのままの意味よ」
訳の分からんことを。俺は生まれた時から男だし。
「そういえば、燿くんの学校はいつから夏休み?」
「あー……いや、はっきりわからない。二週間くらいすれば、たぶん入ると思う」
そういえば、七月になっていたんか。
ここのところ、色々あったから時間の早さに体がついていけていない。むしろ、もう七月かっていう感じ。あと少しで高校生活初めての夏休みが来るとは、少し……いや、だいぶ油断していた。まだ計画も何も立てていない。こういう時、光陰矢のごとしっていうのか。
「そうそう。今日、隣に引っ越してくる人がいるって、聞いてた?」
唐突な話題転換。
「急だな」
こう反応するしかない。
このマンションには、結構お世話になっている。それなりに、隣人が入れ替わるのもしょっちゅうあることだ。
もちろん、真面に挨拶をしたことないしされた憶えもない。
階段、エレベータなどで鉢合わせれば「ああこの人、何階に住んでいるのかな」と淡泊な興味しか持たないくらいだった。
正直言うと。隣人が誰だろうが、俺には関係ない。
世界が大きく変化する訳でもないし、地球が滅びるわけでもない。……いや、スケールが違うな。もっと読者が分かりやすく、明確な例にすればよかったな。
「で、それがどうしたの?」
「今日挨拶に来るから、ただそれだけの話よ」
ただそれだけの話、か。
雑誌に目を通しながら、煎餅を頬張る姉。
どこからどう見ても、休憩中の主婦にしか象られてこない。
……ん? 挨拶?
珍しい。俺んちの隣に越してくる隣人は皆、挨拶などしてこなかったのに(俺らもここに越して来たときはしていない)今回の住人は、やけに礼儀正しいな。
こういう時、知っている人だったらどういう気持ちになるのだろうか。
今まで隣に○○ちゃんが引っ越してきた!! うひょーい!! なんていうシチュエーションは皆無。ってか、そういう状況に巡り合える人は世界中探しているのだろうか。グーグルで検索してみよう。
女の子……いや、正直うれしくない。てか誰? と、まず質問する。
次いで男。うん。知らない。
いや、この時点で知り合いもクソもないのか。じゃあ、みんな初対面になるわけだ。
「燿くん。あほなこと考えていなくていいから、チャイムなっているわよ。さっさと出て」
エスパーかよ。
突っ込みを直に入れたかった。だが、あほなことを考えていたのは事実だ。事実なのは認めるけれど、チャイムなっているんだから自分で出てくれ。頼むから怠け者にならないで。
仕方なく、俺は客を対応するべく玄関のチェーンをはずした。
「はい、どちらさまですか? ……って、神崎じゃねえかよ」
「私が来客して、随分と不満そうじゃない?」
「失敬。つい本音が出そうになった」
「露骨に下手なウソをつかないでくれると、ありがたいんだけれど」
ジト目で俺の顔を見る。うわあ。アイドルって怖いね。
「それで、家に何の用だ?」
またオムライスでも食べに来たのか?
別に材料はあるし、いつでも食べに来いって言ったのも俺なわけだから、追い返すなんて野蛮なことするわけがない。むしろ、そんな事したら姉ちゃんに惨殺される始末になるだけ。
「いや、その……ちょっとね?」
「……?」
何を恥ずかしがっているのか、さっぱりわからない。
トイレでも貸してほしいのか?
「あ、燐ちゃん!! ちょっと早かったんじゃないの?」
沈黙が流れていく中で、玄関の向こう側から姉ちゃんが顔を出してきた。
おい、さっきまでナマケモノだったくせに神崎が来ると活発になる。
重度のシスコンを持つ姉のように見えるのは、俺の気のせいか?
「耀里さん。すみません、ちょっと予定より早くなって」
「大丈夫大丈夫。それより、荷物の方はいいの?」
「ええ、ある程度積み込みは済ませていますし、何とか寝れるスペースは確保できました」
あれ? 二人して何の会話しているのかな?
すっかり除け者にされた俺。
いつの間にか姉ちゃんが玄関に来て、神崎とマシンガントークを開始した。
会話の筋が全く読めない。この二人、何の話ししているの? 荷物? 積み込み?
「燿くん。そんなところでボケッとしていないで」
姉ちゃんに呼ばれて我に返る。
改めて神崎を見ると、なんか改まったように背筋を伸ばしているし、つま先もそろっている。なんだ、求婚の申し出?
「これから、隣でお世話になります。神崎燐です!!」
「……はい?」
俺の表情、思考が硬直した。
え、隣に越してくる隣人て……
思いもよらぬ出来事に、俺と彼女の関係はまた大きくステップしていった。
第一部 第一章アイドルとSTEP!! 『完』
第二章は2/9から連載します