第七話 「神崎!!」
「姉ちゃん乗って!!」
マンション前の道路で、俺たちは待ち人が来たのを確認してすぐに車に搭乗する。
最大8人は乗せることのできる大型車は、狭い道などお構いなしに通ってきた車は、その黒塗りのボディを派手に見せにきた。
「え!? ちょっと燿くん?」
姉ちゃんの言い分に付き合っている余裕はない。
そんな意思など無視して俺は姉ちゃんを車に押し込む。
「おはようございます。先輩、玄さん」
「あれ? 伊織ちゃんに玄さんまで? ちょっとどういうこと?」
「説明は後で。燿平、頼まれたやつ。速攻でプリントアウトしてきたぞ」
困惑する姉ちゃんをよそに、久坂先輩は俺にホッチキスで止められた紙の束を手渡す。
「まさか、燿くんが伊織ちゃんたちに連絡したの?」
「ったく。道場には真面に顔を出しに来ねえし、どこかでのたれ死んじまったのかと思ったら、朝一に俺を呼び出すなんて相変わらずいい度胸だな」
運転席には、久坂先輩のお父さん。久坂玄さんがいた。
朝早くから出勤させて、本当に申し訳ない。
「すいません。お詫びとして今度、道場に顔を出させていただきます」
「今回だけだぞ。今回だけ」と、小さくつぶやく。
運転しながら喋る玄さんの表情は、怒っているのかうれしそうなのか分からない。口調はいつも怒っているから、尚更調子が狂いそうだ。
大型車はスピードを維持したまま、国道へと姿を現した。
「何を見ているの?」
渡された資料を見ている俺の横で、姉ちゃんも顔をのぞかせてくる。
「佐々木浩二郎という人物についてだ。燿平が私たちを呼び出したときに、ついでに調べてほしいっていう人物だっていうから、割り出したんです」
「なんでそんな人調べる必要があるの?」
「この前、神崎がうちに来たときに門前でこいつがいたんだよ。昨日も会ってマネージャーとか名乗っていたけれど……」
もしかしてと思って、調査を頼んだのが正解だ。
もっと早く気が付いていればよかったんだけれど……
「だから、男のマネージャーて言っていたのか」
俺の言葉に、姉ちゃんはようやく状況を理解した。
さらに資料のページをめくっていく。
「やっぱりストーカー、誘拐、その他諸々の犯罪犯しているじゃねえか。くっそ、平気で神崎のマネージャーとかパチこきやがって」
「そいつはやたらとめんどくさい事件起こしているんだよ。数か月前も職質を何回もしたって、俺んとこの部下が言っていたな。何でもそいつ、俳優の卵らしいぜ」
玄さんの言葉で、資料の中にそれらしき項目を発見した。
確かに、あまり聞いたことのない事務所だけれどドラマにもちょくちょく出ている。
「この人……どこかで見たことあるんだけど」
佐々木浩二郎の写真を見て、姉ちゃんは首をかしげた。
俳優の卵であるけれど、面識はもしかしたらあるかもしれない。
「あ、そういえば。結構前だけれど、うちの事務所の子とこの人交際していたんだけれどちょっとしたトラブルがあったんだよね。あまり大事にはならなかったんだけれど、なんでもストーカーかな? 相当酷かったらしいわよ」
姉ちゃんの言うとおりだ。
確かに女性との騒動もそれなりに起こしている。裁判まで行ったっていう項目もある。どれだけ警察にお世話になっているんだよ。
「それ以来、確かそこの事務所とは疎遠になったんだっけ」と、だんだん佐々木浩二郎の人物像が見えてきた。
「でも、動機はなんなんだ? 佐々木が神崎を誘拐する理由なんてあるのか?」
「そういえばあの子、以前にストーカーにあっているって相談持ちかけてきたことあったわ」
初耳だ。
「そのせいで、燐ちゃん極度の男性恐怖症になったのよ」
「男性恐怖症?」
これも聞いたことねえぞ? 極度の?
「じゃあ、俺はなんだったんだよ?」
「燿平が昔女装していたっていう先入観を持っているから、向こうも抵抗はなかったんじゃないか?」
めちゃくちゃだな!?
間接的だけれど、今地味に男のプライドが傷つけられた気がする……
「事務所も『ティーンズ」へ移ったのはちょうど、その事件の後よ。あそこなら男性職員は誰も受け付けていないからね」
「今回、佐々木は単独で犯行を行ったとは考えられないな。神崎燐も一度顔を見ているからな。マネージャーから連絡がきたときと同時に、タクシーの運転手とも連絡は取れなかった。だから」
「タクシーの運転手がグル」
車は忽然と走り続けるだけ。
目的地はどこなのか分からない。
「数年前、佐々木は女子中学生をストーカーして逮捕されていた時があった。動機は、ドラマの収録中にちょっとした考えの違いから、あいつと被害者がやつれたんだよ。それで佐々木はそのドラマの役をあいつは降りた。まだ、芸能界に入って間もないひよっこだったから仕方がないかもしれない。まあ、そんなことはどうでもいい。それでその時、被害にあった女子中学生の名は……神崎燐だ」
別に驚くことではなかった。
ただ、許せない。それだけのこと。
おそらく、あいつが俺の家に来た時も、学校の帰り道からどこへ行くのか尾行していたかもしれない。
あの時俺がいなかったら、もっと前に神崎は誘拐されていたかもしれない。
そう考えると、敢えてかかわろうとしなかった自分が情けない。
あいつが今、どんな立場に身を置いているのか知らずに。
自分と逆の立場だったら、どうするのかも考えずに。
「ちなみに、今どこに向かっているんですか?」
姉ちゃんは後部座席から身を乗り出して、玄さんに目的地を問う。
「特定できてねえから分からねえけど、神崎燐のマネージャーに電話して彼女の携帯番号を教えてもらった。それで今、うちの優秀な部下たちがGPSの位置情報を割り出しているんだけれど……」
カーナビには、それらしきものすら見当たらない。
車は依然として、ライブ会場である東武ドームから遠ざかっている。
携帯のGPSで位置情報が割れないなら、佐々木らしい人物がいたかどうか確認できればいいけれど……
すると、突然カーナビに一個の青い光が浮かび上がった。
その点は一定して、その場から動く気配はまったくない。
同時に、活きのいい演歌歌手の声が聞こえてきた。携帯の着メロだ。
誰なのかははっきりしている。玄さんの携帯からだ。
「もしもし……おう、うん。……そうか。わかった、ありがとう」
部下からかもしれない。なんとなく対応の仕方がそうに見えただけ。
「おい、位置を割り出せたぞ。ここから10分で着く廃工場だ」
その言葉の裏には、「これから飛ばす。しっかり捕まっていろよ」と言っているみたいで、少し背筋がゾクッとした。
□ □ □
「計画どおりでしたね」
「まあ、あの餓鬼が邪魔で少し滞ったけれど、ここまでくればこっちのものだな」
「ライブを控えているアイドルを誘拐し、身代金を要求……そこまで物騒なことはしないが、こいつのライブを壊せばそれでいい」
どこかで聞いた男の声。
そして会話が耳に届く。
そのおかげで覚醒したものの、見慣れない場所にいた。
自分がどこにいるのか、今はどんな状態なのか。認識できるのに数分かかった。
手は猿ぐつわ状態に、足も両方縛られているから自由なのは口だけだ。
だが、この展開で助けを呼べるのか?
どこかわからない場所。人がいるのかどうかすら危うい場所。
最も、人が助けられる範囲にこの人たちは私を連れてこないはずだ。
「おや? ようやくお目覚めか。神崎燐ちゃん」
悪寒が走った。
背中を弄るような言葉に、涙目になってしまう。
助けて。そう叫びたかった。
だが、声が出ない。彼の名前を呼びたいのに呼べない。足がガクガク震えている。
「お兄さんのこと憶えているかな? ほら、よくみなよ。この顔の傷」
悪魔のような笑みを浮かべながら、男は私に近づいていくる。
逃げたい……逃げたい。
心の底から、沸き出てくるものが私のからだ中を駆け巡る。
体が壊れそうだ。汗をかいて、体が冷えていく。
男は右ほおについた、何らかの傷跡を私に見せた。
「それは……」
「思い出してくれた?」
うそでしょ……なんで、なんであんたがここにいるのよ……
男の顔は、悪魔にみえた。私の人生を狂わせようとした、悪魔。
一番会いたくなかった人物。二度と私の前に現れるはずはなかった。
なのにどうして……
「思い出してくれて光栄だよ。燐ちゃん。また、お兄さんと遊んでくれるかい?」
一語一語、こいつが言葉を発するたびに私は吐きそうになる。
悪魔のささやきが、耳の奥で反響しているみたいだ。頭を駆け巡る言葉の羅列は、私の体を縛り付ける拷問でしかない。
佐々木浩二郎。
それが悪魔の名。
「怖がることはないよ。目的は果たせたから、後は君がどうなろうが関係ないんだよね」
悪魔がまた、呟いた。
「なんで……あんたがここにいるのよ」
「決まっているでしょ? ……お前のすべてを奪うためだよ」
ゾクリ。
助けて助けて助けて助けて助けて助けて。
心の中で、そう願うしかない。
神様、どうか助けてください。
「二年前、収録中に調子こいたお前のせいで、俺は役を降りなきゃならなくなったんだよ!! ……ストーカー? バカか!! 腹いせにお前を襲おうとしただけなんだよ!!」
二年前……やっぱりこいつはその復讐をしに来たんだ。
しかも、襲おうと私の後をついて行ったのも立派なストーカーじゃない。 やっぱりこいつは……
そして私は、精一杯強がることを決めた。
「ふん、自分の思い通りにいかないからって他人のせいにする癖、どうにかしたら? ああ、あなたはバカだからそれは一生無理でしょうね。何せ、落ちこぼれだし。自分の方が演技がうまい? 買い被るんじゃないわよ。あなたみたいな三流役者のせいで、あの時騒動を起こしたんじゃない!!」
これでいい。
私にできる精一杯の事だ。
あとは、彼が来るのを待つだけ……
「この女ぁ!!」
佐々木は、胸ポケットからサバイバルナイフを取り出すと、私の頭上に大きくそれをかざした。
まずい。そう思った時に声が出なかった。
ああ、これで私も死ぬのか。
死ぬ前にもう一度、オムライス食べたかったなぁ。
屍は、生野君に見つけてもらおうかな。
必死に命乞いをしたところで、こいつが見逃してくれるわけないよね。
私が諦めかけたその瞬間。
「っ!?」
まるで積み重ねた食器が一斉に崩れるかのように、一台の大型車が突っ込んできた。
車は猛スピードでこっちに向かってきている。
「おい、やばいんじゃねえのか?」
「佐々木さん!!」
佐々木の仲間が狼狽えている。
「止まれぇぇぇぇぇぇ!!」
ナイフの矛先が、私でなく車へと変わった。
しかし、車のスピードは緩むことはなく、寧ろ上がっている気がするんだけれど……
違う意味で絶体絶命になると思っていた。
だが。
大型車がその重量をうまく利用し、キレのいいドリフトをした。
そして、中から出てきたのは……
「神崎!!」
彼―――生野燿平君だった。