第五話 「あ、ありがとう」
あれから数日が経ち、俺と神崎は毎朝挨拶を交わすくらいの仲になった。
別に特別な進展はないし、雑談を交えるような事もほとんどなかった。
週に2日か3日ほど、収録の関係で公欠をとることがあっても何の変りもなく学校生活を送れている。
神崎を取り囲む野次馬たちも少なくなり、次第に彼女と会話をする人物も特定されてきた。転校生は所詮そんなものだ。
みんなが興味を持たなくなったらそれまで。
ある日の昼休み。俺は珍しく食堂にいた。
今日は珍しく寝坊したからな……弁当も真面に作っている暇もなかった。
食堂に来るのはこれで2回目だ。
光が向かい側に座り、サンドウィッチを手に取っていた時。
「お、うわさの彼女が来たぞ」
それまでは昨日のサッカーの試合の話をしていたり、バラエティ番組に出ていた芸能人が、毒舌芸人に叩かれて醜態をさらす場面を二人で笑いながら話していたところに、彼女は来訪した。
光の向けた視線に、つられて同じ方向を向いてしまった。
噂の彼女、それは神崎燐だった。
食堂にいた全生徒が彼女に視線を寄せる。苦痛じゃないのだろうか、こんなにも大勢の人に見られてと思うが、それに慣れていなければ女優、タレント、歌手、アイドルなど様々な分野で活躍することはできないな。何も気にせずに闊歩する彼女がすごい。
「昨日でまた、告白した奴らが増えたらしいぜ」
小声で光が仕様もない情報を教えてきた。
「野蛮な行動に出る奴らが多すぎるだろ。アイドルと付き合えないっていうこと、そいつらは分かっていないのか?」
「当たって砕けろ。がモットーの部活に入っているんじゃねえのか?」
「後先考えないのは、自業自得の証拠」
「うわ、燿平君厳しいね」
からかうように肘を小突いて来る。
その時だった。
「相席してもいいかしら?」
聞きなれた声だな。
まさかだと思っているからこそ、声に反応を示しちゃいけない。
「あ、神崎さん。もしかして燿平に用? なら席をはずそうか?」
おい、余計なこと言うなよ。
「大丈夫よ。羽鳥君でよければ一緒にいいわよ」
そうだ、誘いに乗るんだ。
「でも、邪魔しちゃ悪いからさ。じゃ、燿平、先行っているからな」
薄情者め。
食器を早々と片付け、光が座っていた場所に神崎は座った。
この光景を見て、どれだけの生徒が俺に向けて憎悪の情を向けているのだろう。
はっきり言って想像したくない。むしろ、関わりたくないんだけれど元凶が目の前にいる時点で、この状況を打破すべく施策はない。
「避ける理由なんてあるの?」
「条件反射だ。お前が来たら咄嗟に下向いちまっただけ」
「見苦しい言い訳ね」
「ほっといてくれ」
どうして購買でパンを買って、屋上で食べていかなかったのか。軽率な行動をした自分が情けない。まあ、雨が降っていたのもあるんだけれど。
「で、突然どうしたんだよ」
「お礼を言おうと思ってね。この前、オムライス作ってくれたじゃない」
「ああ」
そのことか。
「あれから収録とかあったから、なかなかお礼言えなくて。だから」
ポケットから取り出してきたのは、1枚の紙切れ。喧嘩でも売っているのか?
しかし、ただの紙切れではなかった。
「これでこの前のお礼が対等に成り立つか分からないけれど、もしよかったら来てくれる?」
よく見れば、コンサートでよく使われる東武ドームで行われるライブのチケットだ。
中央に神崎の歌っている姿が飄々と映し出されている。
「いや、寧ろオムライスを作っただけでこんなにいいの貰ってもよかったのか?」
S席とか書いてあるし。
しかも、ドームコンサート。
「マネージャーが余ったチケットを友達にでも渡しなさいってうるさく言うのよ。大体、友達なんていないのに渡す人もいるわけないのよ。まあ、マネージャーが学校生活に首を突っ込まないのは規範なのよ」
「だから、俺に受け取ってほしいと?」
「行きたくないならいいわよ? 来るも来ないもあなたの自由。その選択権はあるけれど、チケットを持つ権利はあなたにあるから。……あ、別に誰かに売り捌いてもいいわよ?」
S席のチケットを売り捌くあほがいるのかよ。
値段は……げっ、今のライブチケットってこんなに高いの? S席で7500円かよ。額縁にでも入れておこうかな……
「にしても、びっくりしたぞ。お前が例の客だったなんて」
「客? いったい何のことかしら」
「姉ちゃんが言っていたんだよ。たまたま俺が作った弁当の中身、食べたんだろ?」
「ええ、あの卵焼き。卵焼き如きあれだけおいしく作れるなんて、びっくりしたわ」
「おい、卵焼きさんに謝れよ」
外はフワッと、中はとろっと仕立てあげるのにどれくらいの歳月がかかったことか!!
「でも、ほかの卵焼きとあまり変わらないだろ? なんでおいしいって感じるんだ?」
「私、自炊しているのよ」
「一人暮らしなのか?」
「ええ」
アイドルなのに一人暮らし、自炊。
親御さんもよく許したよな。姉ちゃんだったら確実に反対する。
昔、姉ちゃんが俺にヘッドロックしながら泣いて縋り付かれた過去がよみがえってきた……
「しっかり料理やろうと思っていたけれど、仕事が忙しくて家に帰ればすぐに寝るの。朝もまともにご飯は食べずに学校へ行くの。切り盛りはしっかりできているんだけどね……」
「料理、教えてやろうか?」
「……え?」
あれ、俺今なんて言った?
気づけば、とんでもないことを口にしていた気が……
何を教えるって? え?
「本当に!? 料理、教えてくれるの?」
「……ああ」
「何よ、その間は」
なんでもない。なんでもないんだよ。
マジで、俺、本当にとんでもないこと言っちゃったよ。
女の子と料理? 二人きりで!? 冗談じゃない。蕁麻疹出てきそうだ!?
でもこいつ、不器用じゃないよな?
姉ちゃんなんて……もうベストオブ不器用。20を超えて卵をろくに割れない人、初めて見た気がする。
「……」
「っ!? いやぁ、そんな目で見るなよ。俺の料理の腕前はお前も昨日見ただろ?」
「料理がうまいのは分かっているわ。ただ」
「ただ?」
神崎の表情は、さっきとはまるで違く、どこか辛辣な趣を見せていた。
「さっきの妙な間と、私が不器用じゃないか探りいれている眼をしていたのは、気のせいかしら?」
「だ、大丈夫だよ。不器用でもお前が理解するまで丁寧に教えるつもりだからな」
姉ちゃんみたいに不器用なら、話は別なんだけれど……
「そう……じゃあ、機会があればそうさせてもらうわ。そのチケット、ありがたく受け取って頂戴」
「……そうだな」
折角だし、ありがたく頂戴するとしよう。
「ありがとな。この日、楽しみにしているから」
「あ、ありがとう」
頬を赤らめながらいうのは反則だ。
こんな公のところで見せていい顔じゃねえだろ。
でも、いい顔するじゃねえかよ。
転校してきたばかりの学校で、友達とかそう簡単にできるわけがない。
何しろこいつはアイドルだ。世間を大いに沸かしている超人気アイドル。
有名人が転校してきたとなれば、近寄りがたいのは当然のこと。ここ数日見ていればわかる話だ。
「帰りに美味しいケーキ屋教えてやるよ。この前テレビでケーキが好きって言っていただろ?」
「ありがと。生野君」
この時、ちょっとでも俺と彼女の間柄は大きくステップできたのかもしれない。
□ □ □
翌日の放課後、部活が休みの光と由見を誘って近くの喫茶店に出向いた。
中学校のころから嗜んでいるこの店は、コーヒーがとても美味い。
あまり名を馳せていないと、店長の九重さんは胸を張って言っているけれど、ここのコーヒーを飲んじゃえば他ではもう飲めなくなるくらいおいしい。
店内には、学校帰りの生徒も何人もいる中、俺たちは中に入ってから一番奥の一角へと居座る。
「あー、最近練習しんどい」
練習に明け暮れている由見は、開口一番と共に机に突っ伏した。
「まだインターハイ残っているんだろ?」
「それがしんどいのよ。新人戦とかぶる時期だし、連戦連戦になったら体がいくつあっても足りないわよ」
一年生ながらレギュラーの二人でも、毎日の練習が体に響くのも当然だ。
それに俺が気付かないのは、体のうちに隠しているだけで決して表には出していないからだろう。
「とは言っても、どんなに長くやっても新人戦が始まるのは9月の頭だけれどな」
「今年は四国でやるんでしょ? あー、やだやだ。暑いところでやりたくないわよ」
「四国か。近隣なら応援に行けたんだけど」
「海流に乗って泳いで行けばいいじゃない」
「本気で言っているのかよ」
トビウオになれって言うのかよ……
「ご注文はお決まりでしょうか?」
ちょうどいいタイミングで、ウェイトレスの人がオーダーをとりに来た。
俺はコーヒーとチーズケーキを頼み、光はミルクティーとモンブラン。由見に至ってはジャンボパフェを迷いなくオーダーしやがった。
ウェイトレスさんは困惑した表情を見せず、注文をリピートした。
「そういえば燿平、あんた燐にライブ来てって言われたんでしょ?」
「なんでお前がそんなこと知っているんだよ?」
しかも、知らない間に呼び捨てで呼ぶ仲にまで発展していやがる。
女の子の関係って……
「こう見えても、燐とは毎日メールのやり取りはしているのよ。この前あんたのうちで、オムライス食べたことも言ってたわよ」
「何!? それはまじかよ燿平!!」
あの野郎、ペラペラしゃべりやがって。
「なぜ俺を呼ばなかった!!」など、店内で騒いでいる奴の口におしぼりを捻じ込む。これで少しは大人しくなるだろう。
光には周囲の気遣いというものが足りないな。
尚も、由見は自慢げな顔をして話を続ける。
「ま、何せアイドルと元アイドルだからね。何かこう……複雑なにおいがするのよ。私的に」
「お前変な恋愛小説読みすぎ。もっと現実的なもの読めよ。ワ○ピースとかいいぞ。アニメも両方楽しめる」
「いや、アオ○ライドでしょ? あ、今度燐にお願いして映画でヒロイン役やった人に会わせてもらおうかな?」
いや、それはさすがに無理があると思うな。
「お待たせいたしました」
数分の後、先ほどオーダーをとりに来たウェイトレスさんが注文したものを運んできてくれた。湯気を立てているコーヒーに、スティックシュガーを一本投入する。横にいる光は、猫舌だから冷めるまでじっと待っている。
ジャンボパフェに食いつく由見は、もう獲物を与えられた獣そのものだな。
「そういや、この前部活から帰っている途中にさ、高そうな外車に乗っている人に声かけれたんだよ。そしたら芸能事務所? どこかは忘れたけれど名刺渡されて『神崎燐さんをご存知かな?』って聞かれたからそうですって答えっちゃったんだけれど、大丈夫だったのかな?」
「マネージャーなの?」
「そんな風格だったんだけれどな。確信はないけれど、燐を探していたみたいだったよ」
「外車に乗った芸能界の人なんて怪しくない? ストーカーか何かじゃないの?」
外車……男。何か引っかかる部分がある。
でもあの時の人物とはたぶん違うかもな。
「最近誘拐事件も多いらしいのよね。ああ、やだやだ。私もどこかで狙われているのかな」
『それはないない』
ユニゾンしたその言葉は、由見が残したジャンボパフェの処理するための地獄の引き金となってしまった。