第四話 「あったわよ。でも、あの歌を聞いて確信したわ」
放課後になると、多くの生徒は部活へと向かう。
それ以外の生徒は、教室で友達とダラダラと喋りながら遅くまで残る。
俺はそんなことはせず、まっすぐ家へ帰るつもりだ。
クラスで部活に入っていないのは、俺と神崎の二人だけ。
まあ、部活に入っていないからという理由だけで、そいつの学校生活すべてが決まるわけじゃないからな。
神崎の場合、理由はあるが。
昼休みの一件から、俺と彼女の距離はなんか遠くなるよりも近くなっていく一方だった。やたらと彼女から話を持ちかけてくるし、光から締め出され、周りの男子から反感の眼を向けられる。とんだ災難な日だ。
その本人は、帰りのホームルームが終われば颯爽と帰って行った。
仕事でも入っていたのか、かなり急いでいた。
人気のない廊下を歩きながら、贅沢に二つもあるサッカー場で男女サッカー部は今日も活動していた。
一年生でレギュラーの光と由見は、先輩と一緒に汗を流していた。まだ高校に入ってから一度も試合を見に行っていないな。暇ができたら見に行ってみるか。
「あれ、燿平じゃないか」
歩きながらグラウンドに目を向けていると、声をかけられた。
声と口調だけで誰なのか特定できた。
乱れのない赤い髪を真ん中で分けて、ヘアピンでとめている。一見可愛く見えるけれど、凝視すれば狼みたい。しっかりこの学園の着こなしているせいか、そこらへんの不良とは違うことが分かる。
「どうしたんですか? 久坂先輩」
久坂伊織。この学校の二年生。俺とは中学からの知り合いだ。
「いや、お前もいろいろ大変だなと思ってな」
「何のことかは言いませんけれど、予想外の展開ですよ」
「私はまだ、何もしていないぞ? お前は前々から物事のいざこざが自分に降りかかると、第一に私を疑うよな」
「それは先輩がいろいろと知りつくしているからじゃないですか? こっちは転校した来たやつに正体を見透かされているんですよ?」
「だから大変だな。っていっているじゃないか」
だからその情報、一体どこから入手してきたんだよ。
まったく自分が疑われる理由を知らない人だな。
あんたの周りには、縦横無尽に駆け回る移動監視カメラでも装備されているのか?
「で、用はそれだけですか? ちょっとこれから用事あって早めに帰らなきゃいけないんですよ」
「ああ、実は父さんがな。近いうちにまたあそこに顔を出してくれって、毎日毎日うるさいんだよ。門下生たちも君とまた組手をしたいって言っているしな」
「あー」
正直言うとめんどくさいんだよな。
久坂先輩のお父さん、久坂玄さんは警視庁の警視総監。簡単に言えば偉い人。
この人が開設した武術道場に、ちょっとした理由で俺は数年通っていた。
空手、柔道、合気道などなど。色々な武術を嗜み、警察官として市民を守るべく最低限の護衛法を持ってなければならない為に。
「また10人病院送りとか言ったら、勘弁してくださいよ。動員不足で怒られても俺は責任取りませんから」
「お前が本気でやったらそういう結末になったんだ。だから仕方ないだろ?」
「警官のみんなが本気でかかってきたら、本気で返さなきゃ俺が死にます」
まだこうやって道場に顔を出せって言われればいいが、いつしか警視庁に入らないか!! なんて誘われそうで怖い。もちろん全力で拒否るけど。
「お前も、運動神経がいいから何か部活でもやればいいのに。勿体ないぞ」
「これはこれでも満足はしているんですよ?」
「真面な友達が少ないのにか?」
笑うしかなかった。
本当のことを言われたから仕方ないだろ?
「久坂先輩こそ、相変わらず助っ人やっているんですか?」
「まぁな。今度の土曜日は他校からバレーの助っ人を頼まれている。この前はサッカーだったかな? Jリーグ内定の選手の心をボッコボコにしてきた」
うわ、容赦ねえ。
『助っ人万歳』『困っている人を助けるのは当然』がモットーの先輩は、しばしば部活の助っ人をすることが多い。ってか、最近は多すぎる。
この前はソフト部の練習試合の助っ人(他校)に駆り出されたのだが、相手も度肝を抜くほどの結果を出したらしい。
そのおかげか、人との接しも多いしどこから搾取してきたのか分からない情報網まで張り巡らせている。漫画の世界だったら絶対に敵に回したくない人物だな。
「じゃあ近いうちに顔を出しますよ。組手はやりませんが。と、言っておいてください」
「ん。わかった。じゃあ、私は今週助っ人で行くバスケ部の練習でも見に行くから」
もうこの人、掛け持ちすればいいじゃん。
「そうそう」
背を向けたところで、久坂先輩は「一つ忘れていた」といい、
「最近、物騒になっているから燿平も気をつけろよ」
「……はい?」
真面な言葉が出てこない。言っている意味も理解できなかった。
だが久坂先輩は俺に別れを告げて、俺は姉ちゃんからの用事を思い出して、早々と帰路をたどって行った。
□ □ □
姉ちゃんから来たメールの内容は、朝言っていた俺の料理が食べたいという人物が、今日に家に来ることだった。
急な話だけれど、断る理由もない。
近くのスーパーで材料を調達して、自宅へと向かう。
姉ちゃんが言っていた人は一体誰なんだろう。
同じ事務所の子だって言うから、芸能人には間違いないんだけれど、さすがにテレビに出ている人にご馳走を振る舞うとなると、緊張せずにはいられない。
店を出るときに来たメールに、お客が来ているから早急に帰還せよ。なんていう内容だった。
芸能人だから、あまり待たせると相手に失礼。なんていう妙な焦燥感を持ちながらも、早歩きで歩いていると。
俺の住むマンションと平行に連なる道に、一台の車が止まっていた。
よく見ればポルシェだ。運転席も左だし、赤い装甲をまとった高級車が何でこんなところに? しかもそこ駐禁だし。
車に搭乗している人物は男だった。
目の前で立ち止まる俺には気づいていないようで、目線はなぜかマンションの上の階だった。誰かを見張っているのか? それでも見た目が派手すぎるな。
下手にかかわらない方がよさそうだし、ここはあえてスルーしよう。
最善策を見出し、なるべく車と接近しないように遠回りした。
けれど、
「君、ここに住んでいる人?」
その策は無用だった。視線を上に向けたまま、男は俺に声をかけてきた。
ちっ、気づいていたのかよ。
男はサングラスを外すと、カッコつけて髪の毛をなびかせた。
どうでもいいが結構イケメンだった。モデルか何かやっているかもしれない。どうでもいいが。
「そうですけれど」
「神崎燐。って知っているよね?」
「はい?」
いきなりなんだ、このおっさん。
「知っていますけれど……なにか?」
「そうか、ならいいや」
男はボソボソと何かいい、エンジンを何回か蒸かし去って行った。
『最近、物騒になっているから燿平も気をつけろよ』
不意に久坂先輩の言葉が甦った。
「考えすぎだよな」
そうだ。深く考えない方がいい。
しかし、そう考えたときはすでに遅かった。
□ □ □
「え?」
「何よ。『え?』 って」
いやいやいや。
そりゃ、『え?』くらいは言うだろ。お前が俺んちに来ていれば。
「あ、燿君おかえり~。こちら、同じ事務所の神崎燐ちゃん。燿君もちろん知っているよね?」
「あ、あははははははは」
笑いが止まらなかった。
神崎はすまし顔で、最初から分かっていたかのように落ち着いてやがる。
「姉ちゃん」
「ん? 何?」
わざとらしい質問だな。バカ丸出しに見える。
「なんで神崎がここにいるんだ?」
「燿君のご飯が食べたいから」
そうじゃなくて……
なんとなく嫌な予感はしていたんだ。
昼休みのこいつの言葉、あれはそういう意味だったのか。
アイドルは怖い。テレビに映っているときと普段の生活が真逆な人がいるからな。特にこいつ。今は仕事中じゃないからアイドルじゃない。
「ほら、ぼうっと突っ立てないで早くご飯食べたいな。星野輝夜さん☆」
うぜぇ。
女じゃなかったら包丁で刺殺しているところだ。こいつ、俺を思いっきり遊んでる。むかつく野郎だ。
「オムレツだっけ。ちょっと待ってろ」
しかし、ここで俺が動いたら負けだ。今日は料理を食べに来たんだ。お客さんお客さん。
台所で、買ってきた材料を広げる。
「驚いたでしょ?」
横から姉ちゃんが面白そうに声をかけてきた。
驚かないし寧ろ気分が悪い。
「姉ちゃん、あいつに俺の事話しただろ?」
「何のことかしら?」
「とぼけても無駄。嘘ついているとき、必ず右足をパタパタさせる癖、そろそろやめたら?」
「ちぇっ、ばれたか」
ちぇっじゃねえよ。
やっぱり姉ちゃんの差し金だったのか。
「燐ちゃん、子供のころからあんたのファンでね。で、この前つい口を滑らせちゃったのよ。まあ驚いたのは当たり前だし、逆に食って掛かってきたのよ。どういう人なのか。一目ぼれよね。きっと」
「誰にだよ」
「あんたよ」
笑えない冗談を言うもんだな。
フライパンを二つ取出し、油を敷いていく。
卵と野菜を同時進行で炒めていくのがコツだ。
「でも料理を食べたいって言ったのは本当のことよ?」
「お皿とって」
「ドラマでも一緒に共演したりしてるし」
「スプーンも出して」
「口先ではあれかもしれないけれど、根はいい子よ? 燿くんだって慣れれば仲良くなれるわよ」
「ケチャップも冷蔵庫にあるからだしてきてくれる?」
「ねえ聞いているの!?」
「……今日のしゃべくりの話?」
「ああ、だめだこりゃ」
何をしゃべっていたのかさっぱりわからない。
料理しはじめると、会話が成り立たないことくらい知っているのに。
お皿にふんわり卵のオムライスが盛り付けされる。うん。我ながらいい出来だな。
「私、これから仕事だから二人で仲良くやりなさいよ」
「は? 神崎を置いて仕事に行くのかよ!?」
「しょうがないじゃない。燐ちゃんだって、今日しか空いている日がないんだから」
やっぱり、無防備に予定をぶっこむのはやめよう。
こっちの身が持たない。
リビングに持っていくと、神崎はさっきと変わらぬ姿勢でテレビを見ていた。
「ほれ」
目の前に出来たてのオムライスを出す。
「本当にあなたが作ったの?」
「そうだよ」
「変な物入れていない? 爪楊枝とか」
「入れてねえよ」
「毒とか入っていない?」
「怪しいものはいれていない普通のオムレツだから、冷めないうちに食べてくれ!!」
どんだけ用心深いんだよ。
神崎はスプーンで一口、卵とケチャップライスの組み合わせを口に運ぶ。
「……おいしいわね」
「それはよかった」
また一口。さらに一口。手を休めることはなく、神崎はどんどん食べていった。
お皿が空くまで、俺はずっと彼女がおいしそうに食べる姿を見入ってしまった。
やがて、お皿に盛りつけられた料理は跡形もなく、神崎の胃袋へと吸い込まれていった。
「ふぅ、ごちそうさまでした」
「お粗末さまでした」
食器を片づけ、食後のお茶を淹れる。
「そういえばさ」
無言でテレビを見続けていること数分。この沈黙を断ち切ったのは神崎だった。
俺が帰ってきてからとは打って変わった表情。やっぱり料理の力は偉大だな。オムライスに感謝しよう。
「君ってホモなの?」
「……」
はい?
「もしもし、それは俺に質問しているでしょうか? それとも俺に見えない誰かに話しかけているの?」
「え、ここまでバカだったなんて知らなかったわ。119番した方がいいかしら?」
どうみても俺の顔を見て言ってやがる。
その上多重でバカにされた。
「ホモって……どういう了見でそうなるんだよ」
「あなた、女子と男子とも喋らないでしょ? 寧ろ、男子の方が避けているみたいだから、何か掟破りの関係でも築いているのかなって」
「俺はお前のその掟破りの妄想に目を瞑りたいよ」
転校してきて早速、俺の印象を台無しにしたな。
けれど、ここは誤解を解いておく必要がある。俺がホモだっていうのも、語弊があるからな。
「まぁ今はこんな目つきしているけれど、子供のころはパッチリしていたんだ。……理由は察しているだろうけど、兎に角過去の自分の面影はなくしたかったんだ。そしたら……こんな感じになって周りから不良というレッテルを張られた」
不良なんていうレッテル。本当は張られていません。被害妄想です。
でも、自分で言っていて悲しくなってきたんだけど……
「自己嫌悪からの現実逃避っていうことね」
「ぐふぉ!!」
こいつ、さらに追い打ちかけてきやがった……容赦ねえよ。
アイドルってまさか、テレビの前では笑顔を絶やさない可愛い天使でも、現実と向き合えば本性を現す魔性の悪魔になのか……?
今度姉ちゃんに芸能界の実態を詳しく聞こう。
ふと、神崎を見るとさえない表情をしていた。もしかしてオムライスがおいしくなかったとか?
「やっぱり芸能界をやめた理由って……」
ぽつりと、葉から露が滴り落ちるように呟いた。
視線が窓際に添えている仏壇に移る。
そこには俺の母、生野燿子の遺影が飾られている。
「ああ、母さんも女優でさ。原因は過労死だって。当時人気だった星野輝夜のテレビ出演の準備とかで、毎日徹夜だったらしい。倒れたとき、何が起きたのか分からなかったな」
今も、何で俺のためにあそこまでしてくれていたのか。
自分のことで精一杯だったはずのなのに、我が身を削ってまで手をかけていた。そう考えるだけでも自分に苛立ちを覚える。
こうして16歳になっても、考える日々は続いている。
「私もその時は小学校低学年だったし、なんで彼女はやめちゃったんだろう? ってずっと不思議に思ってた。それでも、私は彼女をめざして、彼女みたいな女優になりたい。今でもそう思っているのよ」
「それで、出会ったのが姉ちゃんか」
「そうよ。中学二年生の時に事務所が変わって、その時に耀里さんと出会ったの。本当は、彼女が星野輝夜じゃないかな? て思っていたの」
言われてみれば、姉ちゃんもやろうと思えば当時俺が来ていた衣装を真似ることができる。姉弟だから顔立ちが似ていることもある。
「ある日、聞いてみたんだ。そしたら『違うわよ。星野輝夜は弟』とか言って、自慢げに言っているのよ?気づくのに相当時間かかったわ」
「さすがに笑えないな。姉ちゃんのボケ」
天然キャラにもほどがありすぎるだろ。
「でも、男だっていうことに拒むことはなかったのか?」
「あったわよ。でも、あの歌を聞いて確信したわ」
「あの歌って……昼休みのか?」
「そうよ。寝ながら歌うってすごいことよ」
「……」
あれは本当だったのかよ……
「だから、会えてよかった」
え? え? え?
何この急展開。
なぜか神崎が眼を瞑りはじめるし、顔は妙に可愛いし、唇も透き通っているし。
でも態度はさっきとずいぶん違うんだな!!
「え、神崎……それはちょっと……」
いくらなんでもその日にあった者同士が……ねえ?
とか言いながらも、俺が心の中で拒み続けていると神崎が強引に手を引っ張ってきやがった。
「ちょっ!?」
まずい!!
しかし。
「なーんてね☆」
「は……はぁ?」
「大体、人気アイドルと普通の高校生がこんなところでそんなことする訳ないじゃない? あれ? まさか期待してた? 期待していたの?」
は、は……は、はははははははははははははははははははははははは。
全然笑えない。
期待もくそもあるわけねえだろ。ばーかばーか。
「オムライスありがとね。また機会があったらよろしくね」
「もう家には来るなよ?」
「ケチだね。じゃないと君の正体、バラしちゃうけれどいい?」
「是非是非!! 今度はビフテキでも何でも作りますので、またの御来店お待ちしておりまーす」
くっ、むかつく野郎だな。
神崎が帰り、俺は後片付けを始めることにした。
静かになった部屋からは、誘拐事件のニュースがしつこくやっていた。