第五話 「それはほんとでしょうか!?」
午後の12時とか言ったけれど、どのみち中途半端になるからいつもどおりに。
『新人警官訓練場』と何とも古風な浮彫を施された看板は、まさしく日本の和風イメージを崩さない象徴的なものに見える。
堂々とビルと並列するその道場は、一つのビルで成り立っていない。それぞれ違う階に、英会話教室やヨガ無料体験教室などが併存している。
「骨董な雰囲気を感じる場所かと思ったけれど、意外と普通の場所なのね」
「お前は一体どんな場所を想像していたんだ?」
「全員お寺で座禅を組んでいるのかと」
「お坊さんの修行か!?」
「いつかは出家して……」
「……趣旨がずれていないか?」
「……そうね。さ、早く中へ入りましょ」
「そうだな」
神崎に言われるままに、俺は建物の中へと足を踏み入れた。
入ってすぐに事務の人が受け付けのために待ちわびているけれど、いつもそうとは限らない。その……非常勤。という扱いなわけで、フロントに置かれている用紙に使用する階を書き込めばいい話。なかなかの良心市システムだ。
俺たちの場合、用があって場所をとるためではないから何も手を施す必要はない。
「予想が当たらなくてよかったわ」
「……なんだって?」
「予想が当たらなくてよかった。そう言ったのよ」
「何のことだよ?」
予想? もしかして外見とは裏腹に内装はとてもボロッちくて、蜘蛛の巣がそこら中に張り巡らされているとか思っていたのか?
「入り口にある看板。もしかしてあれはカモフラージュで実は暴力団の本部……嫌な予感がしていたんだけれど、そうでなくてよかったわ」
「今、訓練生がこの場にいたらお前はリンチされていたぞ」
「ごめんなさい。私、お肉より魚派なの」
「ミンチじゃねえからな? お前の耳いったいどうなって……痛い痛い!! すいません!! 俺が悪かったです!!」
キレ気味に入った突っ込みが、かえって返り討ちにあった。
意外と力強いんだね……
「それで、そのインチキがどうしたの?」
「もはや犯罪者化している!?」
こいつ……自分の都合がいいように会話を持っていくよな。
会話のペースメーカーかよ。あだ名は洞房結節か。
……足を踏まれた。しかも、全体重かけて。
「下らない話はやめにして、さっさと上に上がりましょ」
「はいはい」
下らない話を持ちかけてきたのは、どこの誰だか。
「『はい』は三回までよ」
「はいはいはい……って、させてんじゃねえよ!!」
どこかであるネタだな……こいつ、キャラ丸変わりしてんじゃん。
階段を半分上ると、まっすぐ廊下が少し離れた先の扉に繋がっている。ここまでくれば野太い男の掛け声が、嫌でも耳に入ってくる。
扉に近づくにつれて、中で激しくぶつかり合う音がする。怒鳴り声、掛け声、さまざまだ。
「開けるぞ?」
「なんで私に聞くの?」
「心の準備ができていないと思って」
「開けるのは君なのよ?」
左様で。
久しぶりの道場。扉を開けて、そこに見える光景はなんだっけ? 全然覚えていない。
大きく深呼吸をする。手に汗が滲んでいるが、引き戸だから気にしない。
戸を開けると、稽古をしていた全員が俺らに視線を寄せた。
さっきまでとは打って変わっての沈黙。
思わぬ光景に、目を丸くしている人が数人。
体格がいい者同士、襟首をつかんだまま硬直している人。
柔道の寝技の最中だったのか、今朝固めが途中で止まっている人。
その中で、ただ一人だけ。道場の中で雑誌のページをめくる人物がいた。
「よぉ、へい。来るなら連絡の一つくらいよこせや。それと、彼女を連れて来るとはいい度胸だな。あとで腹パンな」
「挨拶したついでに俺の名前を省略しないでください。あと、彼女じゃないです。つれです」
なぜか、二度も神崎に脇腹をつねられた。痛い。まじで痛いです。
「俺の中では、連れ=彼女だからな。……あ、ついでに言っておくけれど、彼女もまた=将来の嫁=旦那が尻敷かれる人。っていう解釈だから」
「喋り方はハードボイルドっぽいですけれど、言っていることがかっこ悪すぎです。もしかして、奥さんのこと言っているんですか?」
「……」
キメ顔で何か言いたそうだけれど、図星だな。
あと神崎さん。脇腹痛いです。抉り取られる……死ぬからマジでやめて!?
「お前ら、このまえ話しただろ? 誘拐犯を一人でフルボッコにした小僧がこいつだ。今日はこいつが面倒を見るからな」
『おねげぇしゃっす!!』
怒号、あるいは拡声器をつかった野球部員みたく、頭が痛くなる挨拶をされた。
中が狭い分、余計反響しているし。
でもあれ? 何か俺がこの人たちの面倒を見るような言葉を言っていなかったかな?
「俺、面倒見るなんて言ってませんよ?」
「ここに来たってことは、そういうことじゃねえのか?」
「全く持って、違います」
挨拶をしに来ただけです。
「先日、助けてくれたお礼をしに来たのです。燿平君も、久しぶりにこの道場に顔を出しに行くということだったので、ついでとは何ですが、お礼を言いに来たのです」
それまで無言だった神崎が、俺の一歩……いや、二歩前に歩み出た。警察沙汰になった事件で、被害者の身ではあったがこうやって玄さんに向かって堂々としゃべる人は初めて見た。光や由見でさえ、ちびっていたのに……
「いやいやいやいやいや。こちらこそ、佐々木の野郎には手をかけていたんです。それが、俺らの手際の悪さで迷惑かけてどうもすいませんでした」
「……」
おい、急に態度変えてきやがったぞこのおやじ。
「でしたら、何か一つでもお詫びしたいのですけれど……よろしいですか?」
「ちょっと、神崎。なんでお詫びする必要があるんだよ。玄さんたちが早く捕まえていればいい話だっただろ?」
「それはほんとでしょうか!?」
俺を差し押さえて、玄さんは大きな巨体で身を乗り出してきた。
うわ、警察の身もふたもねえ姿だな。部下がドン引きしているぞ。
俺の言葉なんてよそに、玄さんは必死に何を詫びてもらおうか考えている。
この人、事件起きた時もこれくらいの集中力は出しているよね?
「あ!! おい、岡崎。あそこの棚にCDあっただろ? あれもってこい!!」
「CDって……A○Bですか?」
「バカ野郎!! 神崎燐のファーストアルバム『君色ジェネレーション』だ!!」
岡崎と呼ばれた青年は、叱責を浴びながらも棚からアルバムを引っ張り出してきた。可哀想に……俺だったら逃げ出しているぞ。
「これに、サインください!!」
『今までのことはすべて白状するので、命だけは!?』って、泣いて詫びようとする悪人像が俺のビジョンで捉えられたのは、気のせいだな。玄さんがものすごく、情けないただのおっさんに見える。あとで久坂先輩に報告しようかな。
「あ、買ってくれたんですか? うれしいです」
「いやぁ、あの時初めて生で見たんですよ。佐々木を捕まえた後、サインでも貰おうと思ったんですけれど取り調べがまだ残っていましたから。いや、全うしていてよかったです」
仕事を全うしてほしい。
「俺も……実は前からファンだったんです!!」
「お?」
突然、一番前にいた大柄な青年――ジャージの刺繍には『近藤』と施されている。
「実は俺も!!」
「俺もです!!」
「……はい?」
近藤さんに続いて、次から次へと門下生たちが神崎のファンだと名乗り出てきた。
「お前ら……」
あ、玄さんが切れる。
どうにも、隠し事は男の名が廃れるがモットーの四十後半のおっさん。しかし、言っていることは正しい。俺も最初、ここへ来たときにそれを言われてうるっときたのを覚えている。
やっぱここで一発喝を入れるのが、師範として警視総監としての鏡だよな。
「やはりいい眼をしているな!!」
……。
前言撤回。
見た目ハードボイルド。中身ハーフボイルドな、クソ警官。
「じゃあ、みんなの分もサインしますからね」
家族サービスするもとい、道場サービスをする神崎はどことなく迷惑そうには見えなかった。
やっぱり自分が出したCDや、ファンがいるだけでも心の持ちようは違うのかもな。
すっかり除け者にされた俺だが、神崎がこうしてファン(ちょっと意味深だが)に囲まれてうれしそうな表情を見るのは、初めてだった。
□ □ □
あれから門下生たちと他愛のない会話を長々としてから、仕事がある神崎を最寄りの駅まで送っていった。
帰宅してからは、課題を少し片付けてサスペンスドラマの再放送をちょっとだけ見た。
日が暮れてからは冷麦を堪能し、夜風に当たっているとき、姉ちゃんから電話がかかってきた。第一声が『ごめん!!』だ。いきなり謝れても困るんだが……
どうやら、以前約束していたプールには行けないらしい。
その代わり、
「プールから海に変更?」
『そうなのよ。仕事が急きょ入ってプールへ行くことはできないけれど、プロデューサーさんが海ならいいって言われたのよ』
「で、場所は?」
『海の公園』
海の公園……というと神奈川県。毎年めっちゃ混むところじゃなかったかな?
「人が多いところは嫌だぞ?」
『大丈夫よ。VIP待遇で人気のないところで遊ばせるから』
人気のない海水浴場もそれはそれでやだな……
『一泊くらいならいいって言うから、いいでしょ?』
「まあ、神崎がいいっていうなら俺もそうするけど」
『ああ、さっき聞いたらOKもらったわ』
「行動早くね?」
しかし。
人気のない海水浴場に連れてこられてVIP待遇……なんか想像できない。VIP待遇だから閑散とした場所に行くのか? いや、芸能人も多くいるからその配慮もあるのか。
『当日、一時間だけグラビアの撮影あるから終わったら行くわね。あ、ちゃんと交通費も負担してくれるから安心して』
「わかったよ。じゃあ、その日にちゃんと行くから。俺、そろそろ寝るな」
風に当たりすぎて寒くなって来たわ。こんなところで夏風邪は勘弁だな。
窓を閉め、通話を切ろうとしたとき。
『そういえばさ』
何だ? まだ言い残しことでもあるのか?
『燿くん、女の子と一緒に出掛けられるようになったの?』
「え?」
『だから、燐ちゃんと今日お出かけしたんでしょ? よくもまぁ成長したね。おねえちゃん嬉しくて死んじゃいそうだよ』
「ちょっと待て!! 翌日の朝刊に弟が成長したころに喜んで悶え死んだ女優が発見とかやめてくれよ!? 俺が告訴されるから!!」
過剰すぎる!! 俺の姉、過剰すぎるぞ!?
『二人とも似たような境遇持っているからねぇ。燿くんとは波長が合うかもしれないわね』
「境遇?」
『じゃ、私は明日も早いから寝るね。アディオス!!』
訳の分からん挨拶と共に、姉ちゃんとの通話は終了した。
それにしても、似たような境遇って……
さて、SSはどうしようか迷う。
出番の少ないあの二人を出してみよう……