皇女
「ん~、んん~♪ん~♪」
鼻歌を歌いながら、俺は手足、顔にクリームを塗っていく。
このクリームは現在、ガイアース全土の乙女達の間で流行っている美白クリームであった。
最初はエミリアに無理矢理塗られたものだったが、翌日の肌の調子が実に良好だったため、お風呂上がりに毎日塗る事にしていた。
『二週間足らずで女に馴染みすぎではないかのぅ?』
「別に普通だ」
この世界へやってきて二週間。
出立の日は刻々と近づいていた。
エルは今の所役に立っているのだが、如何せん頭が悪いのが問題である。
『普通は女になってもっと戸惑ったりするもんじゃろ?』
「私をありきたりなつまらん人間と一緒にするな」
女になったからなんだというのだろうか。
大事なのは『俺』という自意識であり魂だ。
肉体などは所詮それを入れる器にすぎない。
今までは男だったから、身体を鍛え、たくましい肉体を目指した。
今は女なのだから、肌をケアして美しい肉体を維持すのに何の不思議があるというのか。
無論、それだけではない。
エミリア……はともかくとして、お付のメイドや城にいる女共を参考に所作や女らしい仕草を学んでいる最中である。
「……『私』とな?」
エルはまたしてもくだらない疑問を持つ。
よくこれで悪魔が務まったものだ。
「私がどうした?」
「いやいやいや……昨日まで『俺』じゃったろ?」
「なんだそんなことか……」
エルは当たり前のことを聞く。
一から十まで説明してやらないと理解できない輩との会話は実に面倒だ。
「私は世界で一番愛らしい。そんな私に『俺』なんて見合わんだろう?」
至極当然の事だった。
『俺』なんて言う女がいたら、俺なら殴り飛ばしたくなる。
まして、俺ほど愛らしい女ならばなおさらだ。
『…………』
エルはようやく沈黙した。
俺は会話しながら肌へのクリームを塗り終えて、次の作業に移る。
モミモミモミ……。
モミモミモミモミ……。
モミモミモミモミモミ……。
『……何を……やっとるんじゃ?』
その発言に、俺はイラッとくる。
誰のせいでこんな事をやっていると思っているのか……。
俺は声に不満をのせて端的に答えた。
「マッサージ」
『それは見れば分かるが……』
分かるなら言うなと言いたい。
分かり切ったことだが、俺は胸をマッサージしていた。
それが俺に屈辱を伴わせる行為であることは明確だ。
基本的に俺は俺のすべてをあるがまま愛しているが、だからといって不満がない訳ではない。
最初こそ何も思わなかったが、女について勉強するにあたって、周囲に劣っていたのがこの胸だった。
食べ物の違いか、それともシュベリアの寒い環境で脂肪を溜め込むのか、俺の知る範囲――――ほとんど城の中だけ――――では非常に巨乳が多い。
もちろん、エミリアも巨乳だった。
胸とは女の象徴である。
胸が大きいだけで、母性が強そうとか、女らしいとか言われるのだ。
それに比べ、俺には胸が……凹凸が決定的に不足していた!
最高の乙女を目指す俺の胸がまな板――――もといスレンダーではあまりに恰好がつかないというもの。
だが、そこに関して俺に落ち度はない。
すべてはエルの責任であった。
『……いや、責任であったとか言われても……』
「何かスタイルをよくする魔術とかないのか?」
『探せばあるかもしれんが……我は知らんのう……』
さすがは人間に嵌められた悪魔。
つかえなかった。
「……おかまに言われたくはないのじゃが……」
「誰がおかまだ!こらぁ!!」
悪魔としての新生活はそれなりに充実していた。
「街へ行って来い?」
「うむ。この国――――ひいてはこの世界についての事を由宇殿はあまり知らぬだろう?出立の前に少し見ておけばどうかと思うのだ」
「ふーん」
玉座に座りながら、俺は気が乗らないのを示すように空返事をする。
別に外に行くのが嫌という訳ではない。
ここ最近は部屋と鍛錬場と風呂を行き来するだけの日々だった。
ここらで羽を伸ばす意味でも、外に行くのは悪くない。
「まっ、いいけど」
「本当か!由宇殿!?」
「あ、ああ」
シュテンゲルの喜びようがすごく、俺はそれを訝しく思う。
「し、失礼。由宇殿は何も考えず、羽を伸ばしてくればよい」
「元よりそのつもりだ」
俺は立ち上がり、歩き出そうとした所で、シュテンゲルの後ろに控えていたエミリアが喜色も露わに忍び寄る。
「では、行きましょうか勇者様?」
「…………お前も行くのか?」
「はい!もちろん!」
急速に行く気が萎えてくるのは何故だろうか。
「……おい」
「はい?」
「何故手を繋ぐ?」
ごく自然な様子で俺はエミリアに手を繋がれていた。
このまま外に出れば母と娘は免れるが、姉と妹のように見られるのは必至だろう。
絶対に嫌だった。
「……離せ」
「……迷子になりますよ?」
本気で心配そうに言われ、軽く殺意が芽生える。
シュテンゲルとは契約者と悪魔という立場もあり、名前を呼ぶことを許してそれなりの関係を築けている。
だが、エミリアは徹頭徹尾俺を子ども扱いしてくる。
どれだけやめろと言っても、同い年――――最近知った事実――――だと言っても、聞く耳を持たない。
そろそろ本気で復讐――――もとい教育が必要かもしれない。
基本的に他人に興味の薄い俺をここまで苛立たせるとはある意味でエミリアはたいした少女であった。
『フラグ立ってるんじゃ?』
「は?」
『なんでもないのじゃ』
ちなみに、俺が堂々と玉座に腰かけているため、シュテンゲルは立ったままだった。
最初こそ戸惑っていたが、最近はそれが当然のような顔をしている。
相変わらず騎士や貴族には見せられない姿だ。
街にいても目立たない服に着替え、なんだかんだ言いながら街に出てきた俺とエミリア、そして護衛のヒューイの三人で、まずは服屋に向かった。
俺が今着ている花柄の刺繍の入ったワンピースも、城で着ているドレスも、どれもエミリアのお下がりである。
質的にもデザイン的にも文句はないのだが、やはり人のお下がりというのを俺は好まない。
そういう訳で俺達一行は服屋への道のりを歩いていた。
「ほー」
俺が街に出たのは初めてだが、思ったよりも綺麗だった。
道は歩きやすいよう舗装されており、通行人のマナーもいいように見える。
思った以上に文明レベルは高いのかもしれない。
「驚きましたか? 他の国はこんなに綺麗じゃないんですよ?」
「そうなのか?」
「ええ、我らがシュベリアは勇者様を輩出する国。この街にも過去の勇者様の意見が大きくとり入れられているんです」
「なるほどな……確かに似てるな」
道路がなく、街路樹もない。
だが、大まかな作りは日本に似ている部分もあった。
車がないため、主な移動手段は馬車や徒歩になる。そのため、道の中央に馬車専用に通路があり、道の両脇が進行方向によって二手に分かれている。
まさか、過去の勇者がすべて日本人という訳でもあるまいが、日本人がいたことは確かなようだ。
俺にもどこか親近感を覚える光景だ。
雪に覆われているため、どこか幻想的な感じもする。
北海道はこんな感じなのだろうか?
「昔は難民によるスラム街もシュベリアにはいくつかあったそうですが、今は一つもありません。他国から『飢えないシュベリア』なんて呼ばれることもあるんです」
「…………」
嬉しそうに話すエミリア。
自国の事を話すエミリアはいつも楽しそうだった。
だが、その裏で俺も含めて多数の犠牲者もいたはずである。
しかし、それを問い詰めることはしない。
俺が俺を愛しているように、エミリアはシュベリアを愛している。
俺が俺のためなら何でもするように、エミリアはシュベリアのためなら何でもする。
そこにたいした違いはない。
意図や理由を求めるのは無粋である。
朗々と話せる理由などに価値はない。
言葉には変えられない想いにこそ本当の価値があるのだ。
「……なるほどな」
一人で俺は納得し、止めた脚を再び動かした。
「ここが私御用達のブティックです」
さすが王族といった所だろうか。
エミリアに案内された店は外装、内装、どこを見ても一目で高級店であることが見て取れた。
「まぁまぁ! エミリア様! いらっしゃいませっ!」
奥からこの店の主人らしき中年女性が顔を見せる。
「お久しぶりですっ! 今日はこちらの方の服を仕立てて頂きたいのですが」
「あら?エミリア様のご友人ですか? とても可愛らしい方ですね?」
「はいっ!そうなんですよー!」
親しい仲なのか、顔を見せた瞬間からマシンガントークを繰り広げる二人。
俺はそんな二人を無視して、勝手に店内を見て回っていた。
「へぇー」
高級店なので、高価なドレスばかりを扱っているのかと思ったが、そうでもないらしい。
フォーマルからカジュアルまでバランスのよい品ぞろえだ。
「…………!」
手を伸ばし、商品に触れてみて驚いた。
手触りがすごくいいのだ。
シルクのような滑々とした感触。
いったいどんな素材からできているのだろうか?
「これはヤーンスパイダーという魔物の吐き出す糸からできているんですよ?」
気になっていると、俺のすぐ背後から声が掛けられる。
件の女主人であった。
「ヤーンスパイダー?……蜘蛛の糸ってことか……」
蜘蛛の糸が伸縮自在で非常に強靭であることは知っている。
だが、それを使ってここまで見事な服を作れるとは驚きであった。
値札らしきものがついていたので、試しに見てみる。
――――金貨一枚。
「なぁ?金貨一枚ってどの程度のもんなんだ?」
「金貨一枚で庶民が一年暮らせるぐらいですね」
エミリアが答える。
「…………」
ものすごく高かった。
「ヤーンスパイダーは希少な上に、一度にとれる糸の量も限られますから、このくらい貰わないとやっていけないんですよ……」
女主人が苦笑を浮かべながら説明する。
「勇者様? どれか気になった召し物はありましたか? いくらでも買ってさしあげますので遠慮せずに言ってくださいね?」
「あ、ああ」
小声で囁かれる声に、俺はいささか王族というものを舐めていたのかもしれないと思い直す。
さすがは王族御用達と、俺は改めて納得したのだった。
結局俺はこの店で、庶民が一年暮らせるという服を十着ばかり買った。
その過程でさんざんエミリアの着せ替え人形になったのは、言うまでもない。
その帰り道も半ばで、俺たちは横合いから声をかけられた。
「やぁやぁ。姫様ではありませんか!?」
「…………ヨシュア卿」
甲高い下品な声。
そこにいたのは大勢の従者を引き連れたブサイクな脂ぎった男。
エミリアの表情が翳る。
これまで女の買い物に付き合わされて、極めて影の薄かったヒューイがさりげなく俺とエミリアの前に出る。
「そちらにいらっしゃるのは……勇者様ですかな?」
チラリと横目で見られる。
値踏みするような、遠慮のない視線。
「王がいつまで経ってもご紹介してくださらないと思っていたら……なるほど、これは見目麗しいお嬢さんだ」
一通り値踏みし終わると、途端に下卑た視線にとって変わる。
その醜悪を絵に描いたような蛙面といい、極めて不快だった。
「誰だ?」
「あ、勇者様……こちらは伯爵家のブーラン・デュ・ヨシュア卿です。勇者様召還、その他もろもろにおける大手出資者でもあります」
「……貴族……ブーラン……」
始めて見た貴族は、これまた絵に描いたようなテンプレ。
これほど欲望に満ち溢れている人間を見たのはこれで二人目だ。
『一人目はお主か?』
俺ほど清貧な人間はいないと自負しているというのに、失礼な事である。
それにしても、ブーランか……。
どこかでその名に聞き覚えがあった。
「どうですかな勇者様? この後、我が屋敷で夕食でも?」
「断る」
俺は一言そう告げて、ブーランに背を向ける。
ブーランは一瞬唖然とし、すぐに汚い唾を飛ばしながら喚きだした。
「き、貴様ぁ! 私を誰だと思っとるんだ!?」
「ほう?」
これはいい。
極めて『らしい』ではないか。
王も皇女も騎士も、どいつもこいつも物分かりが良すぎて違和感すらあったくらいだ。
ずっと不満があった。
俺に降りかかった理不尽。
それを『悪者』に鬱憤を晴らしたかった所なのだ。
「ヨシュア卿。それ以上はたとえ貴方といえど、許されませんよ」
俺に詰め寄ろうとするブーラン。
俺の間合いに入るのを今か今かと待ち構えていると、横から制止の声が入った。
「…………」
無論ヒューイであった。
騎士の鏡のように、俺を守るために貴族に向き合う。
そのヒューイの冷徹な視線に晒され、ブーランの意気が一気に消沈する。
「くっ……! 卑怯な……っ。仮にも勇者であろう! 恥を知れ!」
「勇者様は勇者である前に一人の乙女です。ヨシュア卿……貴方の行いこそ貴族の長たる紳士のなさることではないのでは?」
「……たかだか騎士の分際でよぉくもぉっ! おい! お前たちっ!」
ブーランの一声で、連れの従者が一斉に戦闘態勢に入る。
俺も是非参加したいが、騎士の役目を果たさしてやるのも乙女の責務かと悩んだ末、隣のエミリアを見る。
すると、そこにエミリアはいなかった。
「ん?」
「姫様!!」
気づけばエミリアはヒューイをすり抜けて、ブーランの従者と対峙していた。
間合いはなきに等しく、すぐにでも相手の剣で切り裂かれかねない。
だが、そこはやはり一国の皇女。
従者たちは攻撃する訳にもいかず、困惑した表情をブーランに向ける。
「ひ、姫様、そ、そこを――――」
「――――恥を知りなさい」
「ひっ!」
空気が凍る。
そう錯覚する程の冷めた声だった。
「ヨシュア卿……貴方の働きには感謝しています。貴方がいなければ、勇者様を召喚できなかったかもしれません」
勇者召喚術式はシュベリア王家にのみ伝わる秘術であるが、それを行使するための膨大な魔力はエミリア一人で賄いきれるものではない。
もちろん、シュベリアの軍にも魔術師はいるが、それでもまだ足りない。
その足りない分の魔力を供給する人材を派遣、若しくは雇ってくれたのがブーランである。
何分、エミリアが扱うのは秘術であり、魔術師なら誰でもいい訳ではない。
ブーランは仕事はできる男だし、シュベリアへの愛もある。
その点は信用できる、とは王の言だ。
数日前、王が退屈そうにしている俺を慰めようとそんな話をしていたのを思い出した。
しかし――――
「勇者様を害そうなどと言語道断っ! 我々シュベリアは私たちのために立ち上がってくれた勇気ある勇者様に心からの誠意を見せなければなりません!!」
「くっ」
ブーランは悔しげに唇を噛む。
「今すぐ矛を納めなさいっ!」
一喝。
効果は絶大であり、従者たちはブーランの指示を待つことなく、一斉に矛を納めた。
「か、帰るぞっ!」
そして、来た時と同じく大勢の従者に囲まれ、ブーランは帰っていく。
「――――――――」
「…………」
その去り際に一瞬だけ垣間見えたブーランの瞳に宿る感情。
――――憎悪。
どんな形であれ、エミリアはブーランに感謝しているようだが、それは必要なさそうだ。
目を見れば分かる。
――――こいつは終わってる。
ブーランの背中に宿る波乱の予兆に俺は小さく嘆息した。
しかし、収穫もあった。
俺はこの日初めて、エミリアという少女の事が分かった気がしたのだ。
俺が勇者であると決めた以上、エミリアと争う必要はない。
俺という人間を貫き、道を違え、矛を突き付けあうその時までこの愚かで俺を苛立たせる少女を受け入れよう。
俺に必要以上に構うのも、何てことはないシュベリアを愛した結果なのだ。
俺とエミリアは完全に分かり合う日は永遠に訪れることはないだろう。
ただ、エミリアの抱く愛が美しいという事だけは、永遠に俺の胸の残り続けることだろう。
そう、少しだけ思った。




