契約
目を開けると、そこは知らない場所だった。
「…………」
どこだ?ここは……?
俺は混乱する。
確かについ先ほどまで自室にいたはずなのだ。
薄暗い空間の中、大きな祭壇が祭られている。
それを見たこともなければ、記憶にもない。
次いで俺は足元を見た。
「これは……」
巨大な陣。
それに俺は見覚えがあった。
淡い光に包まれる前に見たアレと酷似していた。
「勇者様……?」
「えっ?」
呼びかけられて振り返る。
「大丈夫でしょうか?」
気の強そうな美しい少女が心配そうに俺を見ていた。
「問題ない」
その瞬間、俺の中で一つの仮説が生まれた。
想像するだに悍ましい仮説だ。
切に違っていてほしいと願う。
だが、そうもいかないだろうことも、『勇者』という単語で早々に打ち砕かれている。
「ありえない……」
「えっと……」
困惑する少女を無視して、俺は考える。
そして、ふと気づく。
自分の身体に違和感があったのだ。
「――――!?」
目を見開いて俺は驚愕する。
何故なら、俺の身体は肌の色こそ白磁の如く白いものの、あの悪魔のものだったからだ。
鏡など見ずとも分かる。
俺は会話しながら悪魔の身体を隅々まで観察していたのだ。
呆然と俺は自分の身体をペタペタとまさぐる。
どこをどう触っても柔らかく、元の俺とはかけ離れていた。
「勇者様っ!!」
「っ!?」
突然耳元で大声を出され、俺は飛び上がる。
動揺していたとはいえ、とんでもない失態だ。
「あ、あの!?」
「聞こえてる」
続けて大声を出そうとする少女を制して、また一つ確信を得る。
確かに声も鈴の音が鳴る様な、あの悪魔のものだった。
「まずは急にお呼びたてしたこと、深く謝罪致します。私はシュベリア王国第一皇女エミリア・フォン・シュベリアです。気軽にエミリアとお呼びください。今、勇者様は混乱していらっしゃると思います。ですので、まずは私の父と話して頂きたく思います」
俺は一瞬だけ考え、結論を出す。
「案内しろ」
「は、はい!」
腕を組み、傲然と言い放つ。
特別な事情でもない限り、俺は上から目線がデフォだ。
俺は誰よりも高みに昇ることを至上の目的としている。
たとえ僅かな時間であっても誰かに遜り、媚びるという行為は心の劣化の元になってしまう。
これまでの人生において、尊敬の念を抱いたり、敬語を使った相手は数えるほどしかいなかった。
他人に嫌われるのも当然といえよう。
「こ、こちらですっ」
「…………」
俺は無言で少女の後をついていく。
だが、今までとあまりに歩幅が違い、小走り気味にならないと追いつけない。
「く、くそっ」
小さく毒づく。
「……ふふ、可愛らしい勇者様……この方となら上手くやっていけそう……」
微笑みながら小さく呟かれたその言葉を俺は全力で聞かないようにした。
「お父様……勇者様をお連れしました」
「おお、そうか!ご苦労!」
俺が連れられてきたのは中央に玉座が据えられた部屋だった。
左右上下、どこを見ても高価そうに光り輝く備品で溢れている。
地面に敷かれた絨毯など、家にも欲しいくらいである。
「ようこそいらっしゃった。私の名はシュテンゲル・フォン・シュベリア。シュテンゲル王でも王でも好きに呼んでくだされ。ささ、おかけになってくれ」
言われて俺は勧められた椅子を通り過ぎ、玉座にどっしり腰かける。
「「…………」」
唖然とした親子の顔と目が合う。
「どうした?説明してくれるんだろう?」
「あ、ああ……」
シュテンゲルはどうするか迷い、さんざん逡巡した挙句、自身が進めた椅子に座った。
エミリアはその背後に控える。
「えぇと……エミリアにも言われただろうが、急に呼び出したこと改めて謝罪する」
そう言ってシュテンゲルは深く頭を下げる。
申し訳なく思っているのは事実のようだ。
「……呼び出した?」
正直な所、俺は怒っている。
怒鳴り散らしたいくらいだ。
なにせ、これまでの人生の上で最も重大な場面を迎えていた時なのだ。
あまりにもタイミングが悪かった。
だが、いつまでも怒っていては話が進まない。
俺は燃え盛る激情を一旦保留することにした。
「貴殿は異世界の人間だということはこちらも把握しておる。ここはガイアース大陸の北端にある国シュベリア。誠に勝手な話ではあるが、お願いがあって呼び出させて頂いた」
「お願い……だと?」
その言葉に胸が揺さぶられた。
深い部分が疼くのだ。
契約には――――対価を。
「その通り。このガイアースにはいつからか魔王と呼ばれる存在がいる。簡単に言えば災厄を振りまく者だ。魔王は軍勢を率いてやってくる。現れた時は大勢の死傷者が出る。勇者――――召喚された者は一様に大きな力を得ている。その力で魔王を撃退する力を貸しては頂けまいか?」
「ガイアース…シュベリア…召喚…勇者…魔王……」
状況はテンプレというやつだ。
俺とて一度や二度くらいはそういった小説を読んだことはある。
テンプレじゃないのはむしろ俺の方か。
何をどう間違ったら俺を勇者として呼び出すのか……理解に苦しむ。
「で、どうだろうか?」
「…………」
何がどうだろうか……だ。
こんな所に無理矢理呼び出しておいて、断ったからすぐ返してくれるなんて展開があるはずがない。
少なくとも、彼らの中では俺が手を貸すことが既定事実なのだ。
召喚というものに詳しいようだし、俺のような被害者が他に何人もいたのだろう。
そして、その上で魔王は死んでいない。
お察しというわけだ。
「いいだろう。手を貸してやる」
「本当か!?」
シュテンゲルが身を乗り出す。
エミリアも喜色満面で手を叩いている。
だが、喜ぶのはまだ早い。
話はまだ終わっていないのだ。
「ただし条件がある」
「……!?」
シュテンゲルが緊張した面持ちになる。
その危機察知能力はさすが一国の主といった所だろうか。
「……聞かせてもらおうか」
「……?」
対照的にエミリアはシュテンゲルの様子に不思議そうだ。
全面的な国のバックアップや成功後の報酬の話だとでも思っているのだろう。
単純に頭が悪いのか、経験不足か……それとも俺のような存在が召喚されるはずがないのか。
何にしても、騒がれるのは御免だった。
俺はシュテンゲルに目くばせする。
「エミリアは今日はもう下がっていなさい」
「え?どうしてですか?!」
エミリアは思いっきり不満を表す。
「ここからは大人の話だ」
「納得いきません!彼女もお父様と二人よりも同性の私がいた方が安心できるはずです!」
同性……同性か……それはまぁ後回しだ。
「いいから下がりなさい!!彼女もエミリアの前では言えないこともあるはずだ」
「あっ……」
何かを察したように俺を見るエミリア。
言っていることは事実だが、受け取り方は千差万別。
実に勉強になる。
「大声をあげて申し訳ありませんでした。お話が終わったらまた呼んでください」
俺に対し申し訳なさそうな悲痛な表情を浮かべ、エミリアは退出する。
それと同時にシュテンゲルが溜息を吐く。
「あれも普段はあんな感じではないんだ。ただ、勇者召喚というものに思うところがあるようでね……」
「まぁ、そうだろうな」
気の強そうな顔とは対照的に、悪い事などできそうにないというのがほんの僅か接しただけでも伝わってきた。
そして、シュテンゲルの親馬鹿っぷりも。
そんな事を考えていると、シュテンゲルが居住まいを正し、警戒したように言う。
「では、改めて聞こうか……条件を」
「そう固くならなくてもいい。たいした条件じゃない」
「…………」
せっかく俺が空気を和まそうとギャグを言ったにも関わらず、シュテンゲルは僅かも相好を崩さない。
だから俺も、悪魔らしくいくことにした。
「異世界から呼び出して、その上見ず知らずの人間のために命を張れとはあんまりだとは思わんか?」
「……そのことについては……己を深く恥じている……申し訳ないとしか言えない……」
「で?すべて終わらせたとして、もちろん俺は帰れるんだろうな?」
「…………」
無言で首を振るシュテンゲル。
予想通りだ。
嘘を吐かなかっただけまだマシか。
「勝手に呼び寄せて、命張らせて、挙句帰れない……お前舐めんなよ?」
話をしながら俺は急速に悪魔の自覚を得ていく。
相手を追いつめることに快楽を覚え始めていた。
だが、さすがは王。
シュテンゲルは俺の圧力を受けても震えない。
「私にできる事なら何でもする。どうか力を貸してほしいっ」
「なんでも?」
「……二言はない」
よく言った。
言葉の恐ろしさ、契約の恐ろしさ、骨の髄まで教えてやる。
「自分たちの世界を自分たちの力で守れない存在など滅んだ方がいい。見も知らずの他人を犠牲にするのならなおさらだ」
「…………」
「だが――――今回は特別に力を貸してやる」
「……まことか?」
「ああ。俺は嘘をつかない」
驚き半分、警戒半分といった感じのシュテンゲルに、俺は静かに歩み寄る。
「この国はお前にとってなんだ?」
「私の故郷であり、家族であり、友であり、私自身だ」
「国民を愛しているか?」
「無論だ。彼らがあってこそのシュベリアであり、我がシュテンゲルだ」
「よろしい。ならばシュベリアを俺は命に賭けて守ると誓おう。シュテンゲル……改めて、これが最後だ。何でも差し出すというのに嘘はないな?」
「私の身ならばいかようにも」
シュテンゲルがいなくなっても、王子がいる、娘もいる。
そして何より、国民が残る。
何を惜しむことがあろうか。
「その覚悟、胸を打つ。感服せざるをえない……さぁ、手を出してください国王よ」
俺は心よりの尊敬を表すため、敬語を使い、シュテンゲルを王と認めた。
「あ、ああ」
おずおずと差し出された手を俺は小さくなってしまった手でしっかりと握る。
「国王よ。対価はその誇り高き魂だ」
繋いだ手を陣が包む。
それはメフィストフェレスが俺とこの身体の持ち主に仕掛けたものと似ていた。
俺には自分がどうやってそれを展開しているのかさえ分からない。
正直、自分の身を誰かに操られているような気がして、酷く不快だった。
シュテンゲルはシュテンゲルで『国王』という呼び名に不吉な予感を覚えつつも、手を放すことができないでいた。
掌を覆っていた陣はやがて収縮し、シュテンゲルの手の甲に奇妙な紋様が刻まれた。
刻まれたのはもちろん手の甲だけではない。
彼らの魂には一様に俺の所有物という証が刻まれている。
「あ……え?」
それはともかく、死を悟っていたシュテンゲルは自分がまだ生きているという事実に戸惑っていた。
だから、俺は当然のように嘘をついた。
「冗談ですよ。対価なんてなくても、困っている人を助けるのは当然です!」
可憐な笑み――――シュテンゲルからはそう見えただろう――――を浮かべ、俺は言った。
遜り、媚びるのを忌み嫌っていた俺から、そんな言葉や態度がすらすらと出てくる。
俺は変わってしまったのだろうか?
――――答えは否だ。
上へ、どこまでも続く高みへの道筋を俺は見つけた。
そこへ辿り着くための過程にこれは必要な事だった。
まずはこの世界を一つ残らず食い尽くすために――――