序章Ⅱ
凡人はいくら努力したところで、努力する天才には叶わない。
これは俺が生きてきた上で、何よりも深く実感したことの一つだ。
まず、スタートラインが違う。
ただでさえ歩くスピードが違うというのに、スタートラインすら凡人が後ろとなると、これはもう追いつくのは不可能だ。
ゆえに、そんな相手を上回ろうと思えば、アプローチの仕方を変えるしかない。
一に一を足そうとするから追いつけないのであり、ショートカットの道を探して、仮に一に十や百を足せるのならば、追いつき追い越せる。
そのための手段が俺にとっては魔術であり、悪魔召喚であった。
きっかけは些細な事。
学校の帰り道に俺は本を拾った。
――――初心者でもできる悪魔召喚♪――――
いかにも馬鹿げた表題だが、藁にもすがる思いだった俺はその本を持ち帰り、気まぐれに試してみたのだ。
――――ステップⅠ 魔力を感じてみよう♪――――
その本によると魔力とは生きとし生ける存在ならば多かれ少なかれ誰しもが持っているものであり、誰しもが無意識にかつ自在に使っているのだという。
たとえば人の意識。
人の意識、魂の在処というのは現在も議論されている命題だ。
諸説あるが、大別すると二つ。
脳か心臓か。
この本はその答えを実に簡潔に述べている。
『人の魂というものは魔力によって生まれた副産物。魔力という奇跡の力の源に誰かが「こうありたい」と願った結果生まれた一つの大魔法なのです』
つまり、最初の人類。
ここではアダムとイブとしておこう。
人形やロボットのようであったアダムとイブが何らかの理由により今の人類のようになりたいと願った結果だという。
要は、自意識こそ魔力。
心そのものなのだ。
その信じがたい事実は不思議と俺の魂に浸透していった。
「マジかよ……」
次の瞬間にはご都合主義よろしく俺は魔力の存在を感知していた。
自己が拡大している感触はなんとも心地いいものだった。
――――ステップⅡ 魔術を使ってみよう♪――――
まず、魔法と魔術は別物である。
魔法とは奇跡であり、魔術とは技術だ。
魔法は誰しもが扱えるわけではないか、魔術は魔力の存在さえ認知していれば誰でも訓練次第で使えるようになる。
『まずは初歩的な火系統の魔法から。まず下の図のような陣を頭の中に思い浮かべてください』
文字の下には、いわゆる魔法陣が描かれていた。
「その陣から小さな火が上がるところを想像してください。掌を上に向けて、その上に陣を置くようにイメージするといいでしょう」
俺はわくわくしながら試した。
すると、たちまち掌から火の手が昇り、あやうく家を燃やしてしまう所だった。
『一回でできた人は才能があるかもしれません。頑張りましょう!』
そのページの最後に書かれていた一文。
それに俺は興奮を隠せなかった。
何故なら俺にとって努力する才能以外に初めてできたかもしれない才能だったからだ。
――――ステップⅢ 高度な魔術に挑戦してみよう――――
ステップⅢは物体を浮かす魔術をやってみる、というものだった。
同じく見本の陣が描かれているのだが、さっきの火系統の陣に比べ、遥かに複雑なものだった。
この陣というものは莫大な数式で構成されている魔術式を簡略化したもので、その意味を理解していなくとも、陣さえ思い浮かべれば魔術を発動できるという優れものだ。
求められるのはイメージする力。
想像力。
煩雑な詠唱すら必要ない。
目を閉じ、俺は集中する。
集中して、物体――りんご――が宙に浮かぶ所を想像する。
そして、イメージと同じくらい大事なのは、その現実を疑わない事。
りんごが宙に浮くはずがない、そんな固定概念があるうちは、決して魔術は実現しない。
幸いなことに、それは俺の得意分野であった。
俺は俺を疑わない。
どんなに挫折しても、どんなに無様であっても、自分自身を疑ったことなど一度もない。
俺はなんでもできる!素晴らしい!できないことなどない!
狂気にも似た自己信仰が魔術においては類まれなる絶大の才能となる。
「…………」
目を開けると、その目線の位置にリンゴが浮かんでいた。
フワフワと揺れている訳ではない。
まるで地面の上にあるかのようにピタリと空中で静止していた。
「…………あぁ」
その事実に対する感慨は特になかった。
ただ、ようやく欠けたものを取り戻したような安堵感があった。
――――ステップⅣ 悪魔を召喚してみよう♪――――
浮遊の魔術を習得した俺はその後も一通りの上級魔術を訓練で身につけた。
そして、いよいよ本題。
悪魔召喚だ。
悪魔召喚に複雑なプロセスは必要ない。
悪魔召喚用の陣にありったけの魔力を注ぎ込む――ある意味それが難しい――だけだ。
その魔力量に見合った悪魔が召喚されるという寸法だ。
そして――――
「我を呼び出したのは貴様か?」
体躯は決して大きくはない。
170センチ程度の俺と比べてもそうなのだから、恐らくは150センチくらいだろう。
抱けば折れそうな程華奢である。
しかし、人間とは迫力が違う、威圧感が違う。
切れ長の瞳に長い黒髪は少女に幼さだけでない妖艶さのようなものを与えている。
目にするだけで心をかき乱され、飲み込まれそうな暗黒の気配に俺は冷や汗を流す。
シンと静まり返った部屋は緊張感で満ちていた。
「そうだ。俺だ」
とりあえずコミュニケーションを図る。
言葉が通じるのは僥倖であった。
「なるほどのぅ……」
鈴の音が鳴る様な可愛らしい声で呟きながら、悪魔の視線が俺の頭の先から爪先までを往復する。
その視線にものすごい圧力を感じ、俺は仰け反りそうになるのを必死で堪える。
「くっくっく……。可愛らしいではないか……」
その言葉に、気圧されたのを悟られたかと屈辱を覚えた。
「そんな願いを持った人間に呼ばれたのは初めてじゃ」
だが、すぐにそれは違ったと知る。
いや、むしろそんなものではなかった。
あの一瞬で――――
「俺のすべてを見たのか……」
「ほう?」
感心したように口笛を鳴らす悪魔。
今となっては分かる。こいつはただ俺を見ていたのではない。
俺の内面に至るまですべてを読み取られたのだ。
「勘のいい餓鬼じゃ。嫌いではないぞ」
「そうかい」
相手をこちらの容量で図ってはいけない。
分かっていたことだが、人型であることで僅かながら油断を抱いていたかもしれない。
改めて気を引き締めなおす。
それに、すべてを悟られているというのなら話が早い。
「まずはそちらの条件を聞こうか」
「条件?」
「悪魔と名乗るくらいだ。願いに応じた代償なりなんなりあるんだろう?」
「まぁ、あるのぅ」
何のリスクもなしに願いが叶えられるなどと、さすがに俺も思っていない。
寿命、命、魂、未来、過去、肉体、何かは知らないが、それを知らぬことには交渉などできはしない。
「そりゃあいろいろあるがのう……。メジャーなとこでは魂かのぉ」
「その魂とやらは俺のものじゃないとダメなのか?」
これは非常に重要な事だった。
「いや、必ずしもそういう訳ではない」
その返答に俺は安堵する。
自分の魂や命を対価にすることはできない。
それは未来永劫俺のものだからだ。
「ただ、我のような悪魔を呼べる程の上質な魂と有象無象の魂を同列に扱うことはできん。そうじゃなお前の魂一に対して……千といった所かのぉ」
「千……」
千人を殺して捧げるという事か。
簡単な事ではないし、俺は決して他人を嫌っている訳ではない。
あまり気は進まなかった。
「まぁ、もっとも……」
「ん?」
その時、悪魔の気配が変わった。
「千の命を捧げた所で貴様の願いは叶わんがのぉ」
悪魔的な笑みというのを俺はその時初めて目にした。
邪悪を絵にかいたような欲望丸出しの相貌。
容姿の幼さなどどこかに吹っ飛んでいた。
ただただ悍ましい。
俺を心底馬鹿にしている。
「どういう意味だ?」
不思議とそれ程恐れは抱かなかった。
むしろ心地よく思えた程だ。
俺は悪意を向けられることに慣れているということなのかもしれない。
まったく喜べはしないが。
そんな俺の反応に悪魔はつまらなそうに鼻を鳴らす。
「悪魔の個体数は決まっておる。現時点での空きはない。ただそれだけじゃ」
「いつ空きができる?」
「さぁ?明日かもしれぬし、一万年後かもしれぬ」
俺の願いとは俺自身が悪魔になることだった。
何故だって?
かっこいいからさ。
暴虐と理不尽の化身であり、あらゆる意味で自由な存在。
何より、願いに代償を求める所が素晴らしい。
リスクゼロなんて俺なら絶対に信じない。
悪魔とは実に俺に相応しい在り方である。
ただ、空きがないというのは如何ともしがたい事実だった。
まさか悠長に待つなんてことはありえない。
悪魔召喚なんてした意味がなくなる。
「悪魔は確かに人を超えた存在じゃ。貴様の願望が誰よりも高みに行きたいというのも承知しておる。だが、それならもっと別の方法もあろう?貴様のスペックを全体的に十割増しにしてやろう。代償は貴様の死後における魂、もしくは生贄を十体。どうじゃ?」
「…………ありえない」
「なんじゃと?」
悪魔の空気が変わる。
きっと俺の心を読んだのだろう。
だが、何度考えてみてもありえない。
この悪魔はあれか?馬鹿なのだろうか?
俺の心を読んだ上であんなゴミのような条件を出してくるなど俺を馬鹿にするにも程がある。
俺は誰よりも高みに行きたいのだ。
悪魔の存在を知るまでなら、先の条件でも良かった。
だが知ってしまった今、先の条件では悪魔を超えられないだろうが!!
悪魔を超えるには、少なくとも同じ土俵に立つ必要があった。
「貴様!何をっ!!」
悪魔は激昂しかけ、しかしすぐに不穏な気配を感じ周囲を伺う。
「なんじゃっ!この気配はっ!」
俺が右手に持っていた本が輝きを放つ。
眼前の悪魔の数倍もの質量と魔力を持った存在が顕現した。
「…………」
「……なるほど」
俺はソレを見据え、納得する。
これを見れば先ほどの悪魔など赤子同然だ。
「貴方が私を?」
「はい」
敬意を示さずにはいられない。
悪魔と呼ばれる存在であるはずのソレは、こうして見ただけでは邪性の欠片も感じることができない。
むしろ神聖でさえあった。
純白の長い髪、細身でスタイルのいい体躯。
笑ってなどいなのに、その表情がどこまでも柔和に見えるのはきっと俺の気のせいではないだろう。
氷のような冷たい目をしているはずなのに、不思議と俺にはそうとは思えないのだ。
溢れ出る威光はおどろおどろしい闇であったが、心に何ら悪影響を及ぼさない。
すべてを委ねたくなる。
彼女のためにすべてを捧げたくなるのだ。
そういった欲求が次から次へと勝手に湧いてくる。
「あ……あ…あぁ」
最初に呼び出した悪魔は震えていた。
信じられないといった表情でソレを見上げる。
「なんで…嘘……ありえない……」
その感情は明確な恐怖。
もうとても悪魔には見えない。
「俺の願いはもう察していただけているかと存じます」
「ですがアレが言っていたことは事実ですよ。空きはないのです」
「分かっています。ですから――――」
俺は怯える悪魔を一瞥して言った。
「俺の願いは一つです。あの悪魔と俺の立ち位置を入れ替えていただきたい」
「…………」
俺とソレの視線が交錯する。
「……ふふふ」
初めてソレに感情らしきものが浮かんだ。
暇つぶしのために見ていた芸が予想外に面白かったというような想定外の笑み。
新しい面白い玩具を見つけた嗜虐の笑み。
男女の機微に疎い俺から見ても鳥肌が立つほど艶めかしかった。
「最初からそれを想定して一度目の召喚では手を抜いたのですか?」
「まさか、ただの保険ですよ。それが存外上手くいきそうというだけです。失礼ですが、名前を聞いても?」
「メフィストフェレス」
「…………それは」
悪魔の反応から想像はしていたが予想以上に大物だった。
「貴方の願い聞き入れましょう。対価は一万の魂」
「スパルタですね」
俺は苦笑する。
「そうですか?難しくはないと思いますよ。時間はたっぷりありますから……」
「ははは、ヘマしないように気をつけたいですね」
俺とメフィストフェレスはヘマをした悪魔へ二人で視線を向ける。
「い、いやぁ……メフィストフェレス様ぁ……お許しを……」
「見苦しい……」
可愛そうなほど怯えている悪魔をメフィストフェレスは冷然とした態度で切り捨てる。
「人間に裏を取られるなど……恥をしりなさい」
「ううぅ……」
メフィストフェレスが片手を掲げると、俺と悪魔の足元に陣が浮かび上がる。
陣に完全に捕捉されているようで、身体が動かない。
「いやだーーーー!ふざけるな――――っ!!我は人間になどなりとうないのじゃーーーーーーーーー!!!」
最早、恥も外聞もなく騒ぐ悪魔に誰も注目しない。
その時だった――――
術式が完了する間際に俺と悪魔の足元にさらに巨大な陣が現れたのだ。
「これは……」
メフィストフェレスが呟く。
どうやら彼女が意図したものではないようだ。
「なんじゃこれわーーーーー!!」
言わずもがな、悪魔も違う。
瞬く間に全身が白光に包まれていく。
あまりの眩しさに俺は目を閉じ――――
「転移魔法ですか」
部屋にただ一人だけ残されたメフィストフェレスは呟く。
「術式はほぼ完了していましたが……はてさて、どうなることやら」
そういうわりに、彼女は実に楽しそうであった。
「ともかく……これからのご活躍を期待してますよ……天野由宇さん」
その瞬間メフィストフェレスはその本性を露わにし、新しい玩具に呪いの祝福を贈ったのだった。




