異国
――――ワーグナー共和国。
世界で唯一の中立国であり、世界で最もシュベリアに敬意を示す多国籍国家。
来るもの拒まず、去る者追わずを基本精神として、ワーグナー共和国には実に多彩な種族が共存している。
人間、獣人、エルフはもちろんの事、中にも知性を持った高位の魔物までいる。
この国に入国する条件はただ一つ。
ワーグナー共和国に暮らす人物に紹介してもらう事だ。
他者との『信頼』を掲げるワーグナーは、国民の信ずるに足る存在なら、なんでも受け入れる。
たとえ、それがかつて国に多大な被害を出した魔族であっても……だ。
狂気とも思える国としてはこの上なく危険な思想であるが、民主化してからこっち大きな争いはないというから驚きである。
――――他者を愛せよ、隣人に敬意を。
ワーグナー共和国の民主化を主導した族長の言葉である。
この一言に、ワーグナー共和国がどういう国であるかが詰まっていると言って過言ではない。
まだ成立して日の浅い国ではあるが、そういった思想の中で生まれ育った子供が人の上に立つとき、初めて民主化した意義が見えてくるのではないか――――
俺はエミリアにワーグナー共和国について、そういった説明を受けた。
感想としては至極当然の言葉が口をついて出た。
「そのうち滅ぶな……この国」
「ええええっ!?」
エミリアが驚いたように声を上げる。
頭の中お花畑のこのお姫様は、俺が共感の声を上げるとでも思っていたらしい。
「ど、どうしてですか!?」
「どうしてもこうしてもあるか」
俺達四人はワーグナー共和国内のカフェで俺たちは久々の社会的生活に存分にリラックスしていた。
カフェオレのような味がするドリンクを飲んでいると、自慢げにエミリアが先のとんでも建国秘話を語りだしたわけである。
「そもそも民主化したってことは、その族長は革命家だろ?そんな奴が他者を愛せなんて言って誰が信用するんだよ」
「ぞ、族長はすごくいい人です!重税に苦しむ民たちのために立ち上がったんですよ!?」
普段と違いやけに反論してくるエミリア。
俺の言が相当気に障ったらしい。
顔を真っ赤にして怒っている。
「撤回してください!」
ズイッとエミリアが迫ってくる。
その間に介入してくれたのはヒューイだった。
「まぁまぁ、落ち着いてください姫様」
実に爽やかな笑みを浮かべ、エミリアの怒気を鎮めようと奮闘する。
「勇者様は族長殿と面会したことがないので、無理からぬことと存じます。後日挨拶に向かいますし、ここは抑えてください」
「――――っ!……ごめんなさい勇者様……」
それでも何か言いたげだったエミリアは、ここが人前だという事もあって俺に謝罪する。
しかし、どうにもまだ蟠りがあるようだった。
「……いや別に」
これは何かあると確信する。
俺は隣に座るユーシェリオに小声で話しかけた。
「ユーシェは族長とやらに会ったことある?」
「あっはい。シュベリアに訪問された際に挨拶だけですけど……」
「どんな人だった?」
「……とても優しそうな方でした。エミリア様ともとても親しげで……」
「ほう?」
エミリアはもしかして――――
「エミリアはそいつの事が好きなのかねぇ……」
「あぁ、そうかもしれません。縁談の話もあったとか」
縁談……歳の差はいくつだとか、野暮な事は考えないようにしよう。
「あったということは、もうなくなったのか?」
「はい。詳しくは知らないんですが、他国の王子と婚約したとか。現状では噂の域を出ない話しですけどね」
「婚約……」
婚約していたとは驚きである。
事実だとすれば、エミリアの本意でない婚約なのだろう。
これから起こりうる愛憎劇を想像して、少しワクワクする。
「さて、今日の所はゆっくり休みたいんだけど」
全員が飲み物を飲み終わったのを見計らって提案する。
とにかく、長旅で全員疲れていた。
慣れない馬車のゆれによってお尻も痛い。
「ええ、そうですね」
エミリアがようやく笑顔を見せる。
どうやら、さっきの件は一旦保留ということで肩がついたようだ。
俺はヒューイに目くばせすると、ヒューイは爽やかにウインクを見せる。
ものすごくイラッときたが、右手の感触にすべて吹き飛んだ。
「行きましょう、勇者様」
「あ、ああ」
仲睦まじく、手を繋いで、宿まで向かった。
翌日、俺達は昨日話していた族長に会いに行くことになった。
族長は勇者召喚や今回の旅の資金提供をしてくれた一人で、ご機嫌を伺に行くという訳だ。
「ふん、ふふん、ふーん♪」
朝からやけにエミリアの機嫌がいい。
「どうしたんだ?」
「はいー?」
「やけに機嫌がいいじゃないか」
「そんな事ないですよー♪」
隠しているつもりらしいが、どうしようもなく言葉が弾んでいる。
これにはヒューイとユーシェリオの二人も苦笑いだ。
「まっ、いいか」
無駄に俺に過保護にされるよりは全然いい。
いつもこの阿呆の様な調子でいてもらいたいくらいだ。
「いっきましょうっ!」
やけにテンションが高い。
「さぁ、皆さんで!いっきましょう!!」
前言撤回。
色惚けたエミリアはそれはそれでうざい。
だが、それを口にすることはできなかった。
不本意ながら、俺にも多少の心当たりはあるからだ。
「ここか……」
そこは見上げる程に高い石造りの建物だった。
――――ワーグナー共和国 総本部――――
大きな入口の上にデカデカと掲げられた看板にはそう記されていた。
石造りという事と、縦に長いという事、その二つからどこかとてつもなく不安感を煽られる。
ここが日本であれば、間違いなく入るのを拒否するだろう。
地震があれば一発で倒壊しそうだった。
「総本部がこんなすぐ壊れそうでいいのか?」
「この国は安全ですから」
自信たっぷりに胸を張るエミリア。
嫌な予感しかしなかった。
入り口をくぐると、すぐに受付に出迎えられる。
「いらっしゃいませっ!」
満面の笑みと元気な声。
褐色の肌に肉付きのいい肢体。
頭の上には猫耳のようなものが生えていた。
何よりもその受付の印象を俺に植え付けたものは、ピッシリとした服装にアンバランスな巨乳である。
貧乳を小馬鹿にするような存在感があった。
「セドリック族長はいらっしゃいますか?」
「アポイントメントは御取りでしょうか?」
「いえ……ただ、シュベリアのエミリアが来たとお伝え頂ければ分かってくださると思います」
「シュベリア王国のエミリア様ですね?少々お待ちください」
皇女らしく、実に堂々とした受け答えだった。
さすがに公私の使い分けはできるらしい。
俺がそんな事を思っている最中、獣人らしき受付嬢は貝殻のようなものを取り出し、そこに開いた穴に向かって何やら話しかけていた。
「あれは魔道具の一種ですね。貝話機といいます」
俺の疑問を察したのか、ユーシェリオが背後から囁く。
「ほう……魔道具もあるのか」
「たくさん種類ありますよ。ちなみにあの貝話機は特定の雄雌同士で魔力の通りがよくなるという性質を持っていまして、それを利用して離れた所からも会話ができるようになっています」
「なるほど、誰とでも会話ができる訳じゃないんだな……」
特定の貝――――たとえば貝の夫婦と考えて、その夫婦同士の貝をそれぞれが持っていると、使えるというものらしい。
携帯を知っていると、恐ろしく使い勝手が悪く思えるが、この世界ではかなり重宝しそうだ。
それにしても貝話機って……ダジャレかよ。
しばらくして、受付嬢の会話が終わる。
「大変お待たせいたしました。族長は最上階の五階でお待ちいたしております」
「いえ、ご丁寧にありがとうございます」
ヒューイが微笑むと、受付嬢の頬にポッと赤みがさす。
俺がヒューイの尻を蹴飛ばすと、皆が一瞬驚き、笑い出した。
五階に向けて階段を上りだそうとしたその時――――
「皆様に最大の敬意を――――エミリア皇女殿下……そして勇者様方……」
受付嬢は頭を深く深く下げていた。
彼女自体にはまったく興味はなかったが、その猫耳に免じて、俺はヒラヒラと後ろ手に手を振った。
「ようこそ、そして申し訳ないね。本来なら僕が出迎えにいかなければならないのに……」
五階にいた人物はエミリアの父であるシュテンゲルと同年代ぐらいのごく普通の中年男性だった。
しかし、シュテンゲルよりは白髪交じりで若干歳を感じさせるが、覇気という面では負けず劣らない。
また、未だ少年のように目を輝かせている。
身体は老いても、心はまだまだ若い。
そう言いたげであった。
「脚さえあれば、行けたんだけど」
「いえいえ!お気になさらいでください!私達は全然若いですからっ!」
「相変わらずエミリアちゃんは手厳しいね」
はっはっはっ、と大人の余裕で笑い飛ばす。
エミリアが首を傾げて、自分がとんでもなく失礼な事を言ったと自覚し、慌て出し、また笑った。
「君が今代の勇者様かい?」
輝く好奇心に満ちた瞳が俺に向けられる。
「ああ」
「これはまた……可愛らしいお嬢さんだ。僕の名はセドリック・ギュンター。よろしくね」
「…………」
そう言われるのも、さすがに慣れた。
一々反応するのにも疲れるというものだ。
何より、俺が天使の如く可愛らしいお嬢さんというのは、厳然たる事実でもある。
セドリックの態度には敬意が見える。
ならば、器の大きさを見せるべきだろう。
「セドリック……私は回りくどいのは嫌いだ。お前は私のどんな役に立つ」
「ゆ、勇者様っ!?」
俺の尊大な物言いに、エミリアが窘めるように口を挟む。
父親の時には何も言わなかったくせに現金なものである。
「はっはっは!いいね!僕も回りくどいのは好きじゃない気が合うじゃないか!」
何がつぼに入ったのか、セドリックは豪快に笑う。
「よいしょっ」
セドリックが動く。
大きなデスクに隠されていた全身が露わになった。
「…………脚が」
片足がなかった。
また、セドリックが座っていたと思われていたのはただの椅子ではなく、車椅子。
「ああ、これかい?内乱の時に少ししくじってしまってね」
その表情に昏い部分は欠片も見えない。
むしろ、誇っているようにすら見えた。
俺以外の全員は周知の事実だったようで、特に反応は見せない。
ただその中で一人だけ、エミリアが痛々しげにセドリックを見つめていた。
「さて、本題に入ろうか」
俺に自らのすべてを晒して信用を得ようとしたのか、同情を誘おうとしたのか、それはともかくとしてセドリックは語る。
「今回の勇者召喚及び、魔王討伐の旅において、我がワーグナー共和国はできる限りの協力をさせてもらう」
「はい。ありがとうございます」
俺達を代表して、エミリアが頭を下げる。
皇族として生まれながら素直に感謝できるのは、シュベリア王家の美徳だ。
好かれ、信用されるのも無理からぬこと。
俺とは正反対である。
「ただ、巻き込んでしまった勇者様にこんな事を言うのはなんだけど、一つだけ条件というか、お願いを聞いてもらいたいんだ」
「却下だ」
「もう!勇者様っ!」
即答で断ると、またしてもエミリアの抗議の声。
セドリックも、断られるとは思っていなかったのか、驚きを表している。
「あらら。今代の勇者様は活きがいいね」
「…………」
チラッとセドリックの黒い部分が垣間見えたような気がする。
一見物腰が柔らかそうでも、その実俺を利用する気満々だ。
「セドリック様、お聞きします!」
エミリアはエミリアで私情丸出しである。
大人と子供。
エミリアの恋路は極めて厳しいと言わざるいおえない。
「…………分かった。聞くだけ聞いてやる」
どうせ聞くまで帰すつもりもないだろう。
旅において当然資金は重要であり、セドリックを無碍にはできない。
「これはこれは……助かるね」
セドリックはニヤリと笑う。
これがまた似合っていた。
「実はうちの国は脅迫されているんだ」
「は?」
「え?」
「ほぇ?」
「はい?」
全員が思い思いの声で呆気にとられる。
あまりに、軽い調子で言われた言葉に、ずっこけそうになる。
「きょ、脅迫!?」
最も早く我に返ったのはエミリア。
「ど、どういう事ですか!?」
同盟国への脅迫にヒューイも戸惑っていた。
何故なら、この時期にやって来る脅迫といえば心当たりは一つしかない。
「これだよ」
デスクからセドリックは一枚の封書を取り出す。
「間違いありません……魔王からのものと同じです」
唯一魔王からの手紙を直に読んだことのあるエミリアが答える。
「で、内容は?」
俺が問うと、セドリックは封書を俺に渡す。
「いいのか?」
「何か問題でも?」
「…………」
穏やかながら人を喰ったような態度を見せるセドリック。
正直、俺の嫌いなタイプだ。
しかし、今はそんなことで争っている場合ではない。
俺は封書を開封する。
中には手紙が一枚。
『三日後の午後十二時までに金貨300枚を用意しろ。さもなくば、ワーグナー共和国族長セドリックの命を貰い受ける 魔王』
簡潔な内容だ。
何の飾りもないが、分かりやすいと言えば分かりやすい。
「金貨か……」
魔王が金を要求するとは初耳だ。
「魔王がお金を求めるなんて聞いたことがありません……」
エミリアも記憶にないらしい。
セドリックに視線を向けると、無言で首を振る。
「偽物か」
断言はできないが、その可能性は高い。
問題は魔王が使う封書をなんで知っているかだ。
「エミリア、魔王の封書を見たことある奴は――――」
「――――あれ?」
エミリアに問おうとすると、ユーシェリオが不思議そうに首をひねる。
「どうした?」
「いえ、今何か……」
違和感があるようで、しきりにユーシェリオは天井を見上げる。
そこに一体何があるのか……。
考えて、俺は嫌な予感に襲われる。
「セドリック……」
「なにかね?」
穏やかに答えるセドリック。
見事なまでに不審な所は見当たらない。
「この脅迫が来たのはいつだ?」
「うーん、そうだなー、確か」
「もったいぶるな」
「三日前だったかな――――」
『上じゃっ!!』
――――ドガン。
衝撃で建物が揺れる。
上を見上げると、そこには大きな風穴が開いていた。
「おい、金は用意できたかよ?」
赤黒い筋肉質な肉体に、血を連想させる真っ赤な翼。
端正な相貌なのに、目が不気味に光って、美しさよりも先に恐怖を人は覚えるだろう。
「魔族――――」
呆然とした声色で、誰かがその名を呼んだ――――