~第四話~
イリス・アゲートは王都、レムリアン・シードから南に位置する森と湖に囲まれた美しい田舎町だった。
シェルの視察はお忍び……という訳ではなかったが“派手な歓迎セレモニー等は控えるように”という通達が各所に出されてはいた。
しかし、その通達は形骸化されていて、何処に行っても町を挙げての熱烈歓迎ぶりだった。
それほどシェルは一族に愛されていた。
イリス・アゲートの領主、ユナカイト伯の屋敷で催された歓迎の宴の後、屋敷の離れに用意された別邸を訪れたシェルは、変わらぬその佇まいに懐かしい記憶を呼び覚まされた。
そう言えば幼い頃、母であるラピス女王とこの場所を訪れた記憶がある。
ユナカイト伯の母、マイカ・アナテース・ユナカイトはラピス女王の臣下であり、腹心の友でもあった。
その別邸はマイカ・アナテースがラピス女王の為に建てた屋敷であり、ラピスは一年に一度はこの別邸を訪れていた。
三年前、彼女が亡くなった時のラピスの嘆きは尋常ではなかった。
王と臣下……というものを遥かに超えた絆で二人は結ばれている。
“腹心の友”と呼べる存在を持ち得た母は幸せなのだ――とシェルは思っていた。
シェルがマイカ・アナテースに初めて会ったのは彼が六歳の時だった。
しかし、その時の彼女の行動……あれは一体、何だったのか?
妙な違和感と共に心に引っかかっている不思議な思い出。
中庭が見渡せる窓の傍に設えてある椅子に座って美しい庭園を眺めながら、走馬灯のように巡る思い出に浸っていたシェルの意識は、何時しか遠のいていった。
即位してから、ずっと忙しい日々を送っていた。
歓迎の宴を終えて、ホッとしたのもあるかもしれなかった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「俺は、眠ってたみたいだな」
「無理もありません。即位されてから、ずっと激務続きでしたから。明日のご予定をお伝えに参りましたが、お疲れのようですからまた後ほど……」
セラフィナイトはそう言って部屋を辞そうとした。
自分の動揺を隠す為にも、その方がいいと思った。
窓から差し込む陽の光を受けて輝く碧い髪。
普段は心の奥深くに秘めて忘れ去ろうとしている想い。
それを抑えるのに精一杯だった。
……が、その直後! 部屋の扉をノックする音が聞こえた。
セラフィナイトが扉を開けると、其処には一通の手紙を携えたユナカイト伯が立っていた。
「宴の席でお渡しするのはどうか……と思いましたので、こちらにお持ちさせて頂きました」
一週間程前、ユナカイト伯の娘一家が里帰りした折の事、『亡き祖母の形見の宝石箱を見せてやってほしい』と娘に頼まれ、二歳になる孫娘に宝石箱を見せていたユナカイト伯は誤って宝石箱を落下させてしまい、宝石箱の一部が破損してしまった。
王家の紋章である“双頭の龍”が彫られ、無数の宝石が散りばめられたその宝石箱は、ラピス女王から下賜されたもので、マイカ・アナテースはそれを事の外大切にしていた。
ユナカイト伯は一瞬、蒼然とした。
しかし、それがきっかけで伯は宝石箱の底が二重になっている事に気がついたのだ。
「その二重底の中にこの手紙が入っていたのです。宛名は“シェルタイト・シト・リ・ムーカイト様”になっております。亡き母、マイカ・アナテースが陛下に宛てた手紙だと思われます」
正直、シェルは驚いた。
「マイカ・アナテースが、私にっ?」
「はい。母が亡くなって、もう既に三年になります。しかも、誰も気づかない二重底の中に入っていた手紙です。元々、この宝石箱がそうだったのではなく、二重底に細工したのは多分、母マイカ・アナテースではないかと思うのですが。果たして母は、この手紙を陛下にお渡しするつもりがあったのか、なかったのか? それすら定かではありません。……ですから、陛下にお渡しするべきか否か? ……かと言って、このまま黙殺する訳にもいきませんし、陛下への手紙を私どもが勝手に拝見する事も出来ません。悩んでおりましたが、陛下がこちらに視察においで下さるという事でしたので、その時に陛下にお渡しした方が宜しかろうと、お持ちした次第でございます」
三年間、宝石箱の底に眠っていた手紙。
……それは運命の手紙だった。
真実を知る事は果たして幸せな事なのか?
マイカ・アナテースはその手紙に書かれている真実をシェルに伝えるつもりだったのか否か?
彼女が亡くなった今、その真意を知る事は出来ない。
だが、その秘められた真実を……シェルは予期せぬ形で知る事となる。