~第十四話~
全ての記憶が失われている訳ではなかった。
本来ならば、全て忘れてしまった方が楽だったのかもしれない。
けれど、それは“一族の王”であるシェル自身が許さなかったのだろう。
最も辛い記憶。
セレスを失った以降の記憶がすっぽりと抜け落ちていた。
勿論、ムーカイトを沈めた事も
オニキスと旅して、彼を愛した事も
シェルの記憶は、クンツァイトが攻めて来る――その直前で途切れていた。
(何という事だ! 真実を知ってしまった衝撃がシェルタイト様の記憶を奪ったのか? それとも、心が壊れる前に自らの記憶を封印されてしまったのか?)
セラフィナイトはシェルを抱きしめた。
そうする事しか出来なかった。
(ラピス女王がシェルに隠そうとした真実。それは、君をここまで追い詰めたのか?)
心が壊れる前に辛い記憶を封印する。
それは自己防衛本能だったのかもしれない。
しかし、それはシェルに大きな犠牲を強いる事になった。
幸せだった記憶。
オニキスを愛して、そして愛された記憶。
この世に産まれてきて良かった……と初めて思えた。
その記憶さえも失う事だったのだから!
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
オニキスとセラフィナイトのただならぬ様子に、シェルも自分の身に何か起こった事を察し始めていた。
「一体何なんだ? 俺は何か変な事、言ってるのか? 覚えてないって? 俺が何を忘れてるって言うんだ!?」
シェルはセラフィナイトしか見てはいなかった。
それはそうだろう。
セレスを失う以前の記憶しかないシェルにとって、オニキスは“何時も自分の周りをウロウロしていた妙な旅の男”でしかなかった。
セレスが信頼している男だという事は知っていたから無碍にはしなかったが、飽くまで“部外者”という認識しか持ってはいない。
「セラフィナイト! セレスは……? セレスは何処に居るんだ? 島が起動してるって事は、セレスも此処に居るんだよな? セレスを此処に連れて来てくれ!」
縋る様な瞳だった。漠然とした不安がシェルを包んでいる。
熱の所為もあるのだろう。身体が震えていた。
「シェルタイト様、それは……」
何と答えればいいのか、セラフィナイトには分からなかった。
(今のシェルタイト様にセレスタイト様が亡くなられた事をお伝えする訳にはいかない! だが、隠し通す事も不可能だ。一体どうすれば……? いや多分、シェルタイト様は分かってらっしゃるんだ。記憶はなくてもセレスタイト様が“もう、いらっしゃらない”事を! だからそれを否定しようとされている……)
その時、床に点々と散らばるどす黒い染みがシェルの目に入った。
「セラフィナイト! ……これは何なんだ? この黒い染みはっ!? これは血の跡……じゃないのかっ!?」
その瞬間、シェルの脳裏に様々な記憶の断片がフラッシュバックした。
赤い記憶。
真っ赤な鮮血が迸る。
誰かが、自分を庇って! そして――っ!!
「うわあぁぁぁああああああーーーーーっっっ!!!」
突然、激しい頭痛がシェルを襲った。
「シェルタイト様っ!?」
「セラフィナイト……。嫌だっ! ……思い出したくない! 怖いんだっ!!」
「シェルタイト様! 何も思い出す必要はありません!」
「セラフィナイト! 俺を……たすけ、て……」
「シェルタイト様……!?」
封印した筈の記憶が蘇ろうとしていた。
しかし、思い出したくない!
……という強烈な想いとの葛藤はシェルの身体に凄まじい負荷をかける!
(胸が痛い。息が、出来な……い……)
「シェルタイト様ーーーーーっ!!」
崩れ落ちそうになるシェルを支えながらセラフィナイトは叫んだ。