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「……そのしょるいは、なんのため、の、ですか?」

 人間が想像できることは人間が必ず実現できる、と言う言葉がある。

 SFの父とも呼ばれるジュール・ヴェルヌの言葉だ。確かに、それがいったい何時になるかはともかく、何時かは実現できるかもしれない。何十年後、何百年後、あるいは何千年後──可能性の上ならいくらでも語ることができるだろう。

 つまり何が言いたいのかというと、私が現在おかれている状況も、あり得なそうに思えて、実はありふれた、日常に満ちあふれている出来事だったのかもしれないということである。




 ──そんなわけで、私が異世界に飛ばされてから、2年の月日が経った。


 最初こそ、言葉も文化も何もかもが分からず散々な状態だったが、流石に2年も経てば人間は慣れることができてしまうらしい。


「ただいま帰った」

「ろべるとさん、おかえりなさーい」


 まるで聞き取れなかった言葉も今ではこの通りである。読み書きは日常生活に困らない程度、聞き取りはともかく喋りには不安が多いものの(言いたいことを瞬時に変換するのは難しいのである)、最低限のラインには達したのではないだろうか。これも拾ってくれたロベルトさんのお陰だ。彼に出会えなかったら、文字通り死んでいたと思う。なので、私はせめてもの恩返しにと、家のお手伝いをしている。お陰で家事能力が飛躍的に向上した。

 そんなロベルトさんはどうやら王宮に勤めているらしい。しかし、しばらく家を空けることもあるとはいえ、基本的には夕ご飯には帰ってくるため、王宮勤めと言ってもいわゆる公務員のような仕事なのではないかと推測している。

 そんな、今日もお疲れであろうロベルトさんから上着を受け取り、食卓へ案内すると、


「……イノリ、これにサインを書いてくれないか」

「これ、なに、ですか?」


 目の前に差し出された紙に私は首を傾げた。いくら日常に困らない程度に言語を取得したといっても、それは本当に“日常に困らない”範囲なのである。故に、やたら小難しそうな単語の並んだその紙の内容を知ることはできなかった。

 そんな私をロベルトさんは相変わらずの鉄仮面で見下ろした。


「これは、──書類だ」


 あ、聞き取れなかった。やっぱり難しい書類のようである。


「そのしょおるいは、なにのためです、ですか?」

「その書類は何のためのものですか、だ」

「……そのしょるいは、なんのため、の、ですか?」


 復唱するとロベルトさんはこくりと頷いた。あまりに間違いが酷いと訂正してくれるのだ。この世界で暮らすことになって、もう2年が経つのに、私のスピーキングは中々向上してくれない。日本語とも英語とも違う文法に私の脳みそはお手上げ状態なのである。

 それでも飽きずに(無表情だけど)、丁寧に(基本的には無口だけど)、付き合ってくれるロベルトさんには本当に頭が上がらない。いい人すぎる。


「そうだな……これは、イノリと俺の関係およびイノリの戸籍を明確にするもの、とでも言えばいいのか、」

「?」

「……俺との関係がはっきりする。その、なんだ、イノリ、俺と、」

「お、アイシーアイシー。わたし、わかたです! たぶん!」


 つまり、養子縁組のようなものだな!? 戸籍取得ということだな!?

 念願のソレに私は沸き立った。自分が今まで果たしてこの国でどのような扱いなのか、いまいち分からなかったのだ。これではっきりするということはつまり、そういうことだろう!

 しかし、テンションがだだ上げる私とは対照的にロベルトさんは実に冷静だった。


「『アイシー』?」

「わかた、いみです!」

「なるほど……俺もアイシー、だ」


 こっくりと神妙に頷いてみせる動作が、何だか可愛い。

 その動物めいた動作が、見た目の怖さをどうにか相殺していたりする。顔立ち自体は割と整っていて、切れ長の眼と左下の泣きぼくろなんかはセクシーだとは思うのだが、如何せん無表情なのである。怖い。しかもやたら体格は良いし。実用的な筋肉とでも言えばいいのだろうか、無駄という無駄を省いたようなしなやかな身体をしているのだ。(推定)公務員なのに。


「ろべるとさん、ありがとうごじゃます!」

「っ、」


 元々この世界の人間ですらない私である、きっと作るのには苦労があったのではないだろうか。そう思えば、本当に感謝の念に堪えない。故に、思わず抱きついてしまったのも仕方がないのである。

 ……決して、筋肉フェチの私が欲望に耐えかねての行為ではない。

 始めは抵抗のあったスキンシップだが、西洋風の文化を持つこの世界ではよく見られる光景だったため、いつしか慣れてしまった。日本人精神ここに極まれり。郷に入れば郷に従うのである。


「むふふー」

「……イノリ」


 しかし、流石に感謝以外の念を感じられたのか、ひっぺがされてしまった。

 内心少し残念に思いつつ、ロベルトさんの顔を見上げる。うむ、無表情である。ただ怒っていたり呆れている雰囲気ではないので、安心した。

 そうと決まればサインである。戸籍取得である。戸籍が手に入れば堂々とアルバイトもできるのだ。つまり、ロベルトさんにもっともっと恩返しができると言うわけである。これしきのことで返せる恩ではないが、しかしこのまま甘んじて受け入れ続けるのは、私のささやかなプライドが許さない!


「ろべるとさん」

「なんだ」

「わたし、かく、さいん、です!」

「サインを書きます、だ」

「ん、わたし、さいんをかきます、よ!」


 そう言うとロベルトさんはちょっとだけ顔を顰めた。

 言語能力の拙さに今更ながら呆れられてしまったのだろうか。


「ろべるとさん、おこった?」

「……まさか」


 しかし、ロベルトさんはふるりと小さく頭を横に振ったかと思えば、うっすらと笑ったのだった。

 この瞬間、私のテンションが最高値を記録したのは言うまでもない。

 だってレアだもの! とんでもなくレアな表情を頂いてしまったんだもの! やべー、可愛い、可愛いよこの人ー! 許されるなら、そこら辺をのたうち回りたいくらいだよー!


「イノリ」

「は、はい!」

「本当にいいんだな?」

「? もちろんでですよ!」

「……そうか」


 そんなわけで、サインをする時も私は割と何も見てなかった。私は何よりも達成感に満ちあふれており、また、心のアルバムにロベルトさんの笑顔を貼付けるのに忙しく、そして色々な意味で舞い上がっていたのだ。

 なので、後にこの書類の正体を知った時に割と本気でびっくりするのはまた別の話だったりする。


初投稿にびくびくしつつ。

基本的に1話完結のシリーズものにしていくつもりです。更新不定期、気が向いた時にゆるゆると書いていこうと思います。

以下人物紹介。



祷さん

異世界トリッパー。

言葉が全部分かっているわけではないので、おおよそのニュアンスで返事したりしてしまう。

言語習得の道はまだまだ長い。


ロベルトさん

祷さんを拾ってくれた、無口で無表情なムキムキ公務員(推定)。

言葉がたまに足りないため、勘違いを生むことがある。

意思疎通の道はまだまだ長い。


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