第八話 お父さんと、お留守番
「んじゃ、行って来るね、お父さん。亀さん達のこと、宜しくね!」
そう言って、美智子お母さんは、みーちゃんと里美お姉ちゃんを連れて、『一泊二日の実家にお泊まり』に出かけた。
別に夫婦喧嘩をした訳じゃなくて、毎年、夏の恒例行事みたい。
実家と言っても、徒歩五分だし。
お父さんはお留守番。もちろん私達もお留守番。
お父さんは、日中は仕事に行っちゃうから、夜、帰宅してから私達にご飯をくれる事になっている。
亀のご飯は、一日一回。
飼育書なんかでは、『頭の大きさ位』とか、二、三分で食べきれる量が適当と書かれているけど、正直、それじゃ足りないって言うのが私の本音。
生後四、五年の大人の亀なら、水さえ切らさなければ、一週間位はご飯抜きでも平気なの。
あ、でも、死にはしないと言うだけで、お腹が空かない訳じゃないから、そこの所、誤解の無いように!
私達みたいに生後間もない子亀は、一日でもご飯を抜かれると、すぐ弱っちゃうから、長期のお留守番は無理。その辺は、人間の赤ちゃんと一緒ね。
だから、長期の旅行の時は、親戚か知り合いに頼んで出かけるのが正解。
「今日はご飯、貰えないのー?」
でかでかちゃんが、実に切なそうな声を出す。
「今日は、夜、お父さんが帰ってからだね。ライトもお預けだし」
「えっ? なんで? ベランダで甲羅干しは出来なくても、ライトはOKでしょう?」
「ダメなの。火事になっちゃうからね」
紫外線ライトは蛍光灯だから、そんなに問題無いんだけど、保温ライトは白熱球なので、下手をすると火事になる恐れがある。
温度センサーが付いていて、勝手にON・OFFしてくれる優れものもあるけど、私たちのプラケースには付いていない。
でも、あのお母さんの事だから、水槽のサイズアップの時に、導入してくれるんじゃないかと睨んでいる。
お父さんには内緒だけど、インターネットのお店でこっそり値段を調べているのを見たから、多分間違いないと思う。
それに、「秋に水中ヒーターが必要ね。水槽も、大きいガラス製がいいわねぇ」と昨日のベランダで甲羅干しの時に呟いていたから、ますます私たちの住環境は充実しそうだ。
「今日は、出来るだけ動かないで、体力温存しておいた方がいいよ。でかでかちゃん」
「えーん……」
あなた、子亀にしては大きいからね。そりゃあ、お腹も空くでしょうよ。
「うわっ!?」
突然、でかでかちゃんが大きな声を上げて甲羅に引っ込んだ。
何を慌ててるんだ? 家の中には、猫もカラスもいないよ?
振り返る私の目前に、巨大な目がふたつ――!
「うっ!?」
思わず、甲羅に引っ込むのも忘れて金縛り状態になる私。その巨大な目から、目が離せない。
すると、すっとその目が水槽から遠のいて、その全貌が見えた。
水色の作業服の、背の高い男の人。
お、お父さんじゃん!
「おい。亀!」
お、おい、亀って、お父さん、仕事に行ったんじゃ無かったの?
驚かさないでよ、もうっ!
「ほら、食べなー」
そう言って、プラケースに何かをパラパラ、ばらまいた。
……って、これ、干しエビじゃんっ!!
「ん? この匂いっ! エビ!?」
甲羅に引っ込んでいたでかでかちゃんが、水面を漂う干しエビにむしゃぶりつく。
私? こほん。いっただきまーす!
私たちは、突然のご馳走に、狂喜乱舞した。だって、干しエビよ。干しエビ!
猫にマタタビ、ミドリガメに干しエビってなもので。エビは大のご馳走なの。はっきり言って、理性なんかぶっ飛びます。
お母さんは、『ドライフードを食べなくなるから』って、週に一回、それもドライフードを食べた後にしか、干しエビを食べさせてくれないの。
確かに、ドライフードと干しエビを同時に出されたら、干しエビしか食べないよ、私だって。
すっかり味を占めた私たちは、夜、お父さんがくれたドライフードを食べなかった。
「うん? エビのがいいのか?」
案の定、お父さんは、すぐに干しエビを水槽に入れてくれた。
『夜、一回、頭の大きさ位のドライフードをあげてね』
お母さんの言いつけは何処へやら。
その二日間、私たちは、朝と夜の干しエビを満喫したのであった。
「何これっ? 干しエビ空じゃん! お父さんっ!!」
その後、すっかりドライフードを食べなくなった私たちの様子で、事の次第を察知したお母さんに、みっちりとしかられているお父さんの姿が、そこにあった。