第七話 ちびちび危機一髪・後編
ああ。思えば短い人生だった。
ミドリガメの寿命30年。そのうちのわずか4ヶ月あまり――。
ホーム・センターで、みーちゃんと目があって数週間。たくさんお日様も浴びられたし、そんなに悪い人生でもなかったかも……。
私は、走馬灯のように甦る思い出にひたって……。
「ちびちびちゃ〜ん! 大丈夫〜?」
でかでかちゃん。大丈夫なわけないで……ん?
「あれ?」
身体に痛みがない。重傷過ぎて、痛みを感じないのかしら?
おそるおそる目を開けると、周りがなんだか茶色いツルッとした、ちょうどUの字の形をした壁に囲まれていて、そこに私はいた。
見上げると、気持ちの良い夏の青い空が広がっている。身体にもどうという傷は付いていない。
「なんで?」
首をにょーんと伸ばして周りを見渡すと、ぎりぎり壁の向こうが見えた。目の前には黒い屋根の瓦。その勾配の上にはベランダ。そして、そこにある洗面器。
「ああ、そうか。雨樋に引っかかったのか……」
どうやら、屋根の雨樋にちょうどすっぽりはまって、命拾いしたらしい。私って、結構、悪運強いのかしら?
「ちびちびちゃ〜ん!」
「私は大丈夫。それより、猫はどうしたの!?」
「ちびちびちゃんに噛まれて、びっくりして逃げちゃったー」
あはは。窮鼠猫を噛む、じゃなくて、窮亀猫を噛んじゃった。
「そう!じゃぁ、そっちは大丈夫ね!」
問題は、こっちだ。
この雨樋、塩ビで出来ていて、亀の私の足じゃつるつる滑って登れない。おまけに、太陽の熱を吸収してもの凄く熱くなっていて、じっとしていたら火傷をしそうだ。
ごくん――。
ひりひりに乾き始めた喉を潤そうと、つばを飲み込むけど、何の足しにもならない。
「でかでかちゃん! こっちは何とかするから、あなたは洗面器から出ちゃだめだよっ!」
「うん。わかったー」
取り敢えず、雨樋から出なくっちゃ。亀の日干しにはなりたくないもの。
「壁が登れないなら、とにかく日陰に避難しないと」
自分を励ますように呟くと、私は雨樋の中を、木の陰になっている西側目指してチタチタと、歩き始めた。
「あれ!? ちびちびがいない!」
お母さんの驚いた声が聞こえて、一瞬、戻った方がいいかとも思ったけど、多分死角になってベランダからは見つけられないと思い直した。
まあ、正直言うと、一刻も早く日陰に行きたかったんだけどね。
「みーちゃん、ちびちびいた?」
「お部屋にはいないよ、お母さん」
「う〜ん……。まさか、又、カラスに……」
「えっ? ちびちび、食べられちゃったのっ?」
お母さん。当たらずとも遠からず。
あ、みーちゃん、泣かないでね。『まだ』私、生きてるから。
「さて、これからどうしたものかしら?」
木立の影になっている、西側の角までたどり着いたのは良いけれど、問題はこれから。
やっぱり、雨樋には登れそうな足場は無かった。
道があるとすれば一つだけ。
「ここから落ちたんじゃ、やっぱり『甲羅が割れて墜落死』よね……」
垂直に地面まで伸びている雨樋をおそるおそるのぞき込む。遙か彼方に、出口の明かりが小さく見えた。
「ちびちびー! ちびちびー!」
ベランダから駐車場に落ちた可能性を考えたのだろう。お母さんとみーちゃんが、階下で探し回る声が聞こえる。
両手両足を突っ張って少しずつ降りられない……よね。
喉の渇きと疲労、そして気温と共に、私の体温も急激に上がっていた。
ねっとりとした湿気を含んだ熱い空気が、身体にまとわりついて来る。
だめだ。脳みそ、正常に働かない。
もうこれしかない! 神様、仏様、ご先祖様!
「えいっ!!」
かけ声と共に、私は、地面に垂直に伸びている雨樋に飛び込んだ。
ぱふっ。
「あれ?」
身体を甲羅に引っ込めて、すぐに来るであろう衝撃に備えていたのに、世にも気の抜けた効果音とともに、私の落下は数十センチで止まった。
「な、何、これぇっ!?」
はい。雨樋には落ち葉がみっちり詰まっておりました。
遙か彼方に出口が見えたのは、単に落ち葉が詰まって細まっていたからだったんだ……。
って、これって絶対絶命じゃない!?
狭い雨樋の中、詰まった落ち葉と共に朽ち果てていく自分。残るのは中身のない甲羅だけ――。
ホ、ホラーだ……。
や、いやよっ。冗談じゃない! まだ、墜落死の方がましよっ!
もがもが、もがもが、力の限り手足を動かす。その時――。
ゴロゴロゴロ……ゴロゴロ、ドッカーン!!
ものすごい轟音と共に、ジャージャーと言う、大量の水の流れる音がした。
「わっ、わぷっ! もがっ! もががっ!」
雨樋に流れ込んだ滝のような大量の雨水。その濁流に翻弄されながら、ああ、亀なのに、最後はおぼれ死ぬのね……と悲しくなった。
コロン。
「あ。ちびちび見っけー! お母さん、ちびちびいたよー!」
「あら、まあ」
お母さんの、ほっとしたような、それでいてあきれた声に、私は甲羅に引っ込めていた頭を、目の所まで少し出した。
上がっていた体温が、雨水で一気に下がったために、身体が言うことをきかない。
「雨樋に引っかかっていたのねぇ。雨で流されたから、甲羅が割れずに済んだんだわね……」
お母さんの大きな温かい手のひら。
その温もりを感じて、なんだか涙が出たよ。
こうして、私は九死に一生を得たのだった――。
ぶえっくしょんっ。
あ、あの、このエピソードは実話です。(笑)
本当に、急な雷で大雨が降って、雨樋から『コロン』と出て来たんです。
『事実は、小説よりも奇なり』。
まさにその通りの出来事でした。(@0@)