第六話 ちびちび危機一髪・前編
「ホントに酷いことするなぁ!」
居間で、テレビのワイドショーを見ていた美智子お母さんが、憤然と呟いた。
『ミドリガメの甲羅に穴を開けて、ヒモを通して、犬に繋いで、引きずっていたおじさん』のニュースがやっていたから。
その『亀虐待おじさん』は、逮捕されたんだって。
「うわぁ、痛そうだね……。甲羅に穴だってよ。ちびちびちゃん!」
さすがにいつもはのんびりの、でかでかちゃんも、その状況を想像できたみたいで、ぶるるっと身震いをした。
「ホントに! 人間がお腹に穴を開けるのと同じくらい痛いのに!」
私は腹が立った。そのおじさんは、注意したお巡りさんに『俺の亀に何してわるい?』と開き直ったんだって。
亀の甲羅は、人間の骨と同じ。中には内臓が詰まっている。穴を開けたら、そりゃぁ、痛いなんてレベルじゃ無いわよ?
全くもうっ。そのおじさんにも穴を開けてヒモを通して引っ張ってやりゃぁいいのよ!
ぷんっ!
「さて」
ワイドショーが終わったので、テレビを消したお母さんが腰を上げる。
「んじゃ、家の亀さんたち。甲羅干しでもしますか。みーちゃんも手伝ってね」
「うん。いいよー。ちゃんと見張ってる!」
お手伝いがしたい盛りのみーちゃんが、嬉しそうに答える。あ、里美お姉ちゃんは、今日はお友達のお家に遊びに行ってるんだって。
わあい! 甲羅干し。甲羅干し。
むしゃくしゃしていたのも、吹っ飛んじゃった。
ベランダで甲羅干しタイム。
やっぱりこれが一番の楽しみ。嫌なことも忘れてしまう。
洗面器に2センチくらいの水を張り、真ん中には『はんぺん』と言う、薄いレンガを置く。
水を張るのは体温が上がり過ぎないようにするためと、私たちの飲み水でもあるの。
時間にして、2、30分。
あまり熱いとそれこそ『熱中症』になって、悪くするとまだ小さい子ガメの私たちは死んでしまう。
そのことを知っているお母さんは、いつもは側で私たちの様子を見ていてくれるんだ。
「みーちゃん、お腹がいたいよ」
洗面器のセットが終わり、私たちをそこに入れたとき、みーちゃんがせっぱ詰まった様子でそう言った。
「え? お腹が痛いの? おトイレかな?」
慌ててお母さんがみーちゃんをトイレに連れて行った直後だった。
ドン! となんだかイヤーな音が聞こえた。
そう、何かがベランダに飛び降りたような音――。
ト、ト、ト、ト、ト。体重を感じさせない微かな足音。
まさか――。
「ニャー!」
何でこんな予感ばかり当たるんだろう?
洗面器を覗く大きな影。キラリと鋭い視線を向ける凶悪なブルーの瞳。
それは、カラスに次ぐ私たちの天敵。猫だった。
「ち、ちびちびちゃん。か、怪物!?」
まだ猫を見たことがないでかでかちゃんも、敵であることを本能で察知して身体を甲羅に引っ込める。
「猫よっ。動かないで!」
私もそれに習う。
猫は動くものに反応する。食べる訳でなくても、あの鋭い爪で獲物を転がして遊ぶのだ。
こういう時の最善の方法は、じっとして動かないこと。だけど――。
「いやぁ! 怖いっ。怖いよぉっ!」
でかでかちゃんが恐怖のあまりパニックを起こして、洗面器の中を暴走した。
パニック状態の亀の動きは信じられないくらい早い。それは身を守る術なのだけど、この時はそれが裏目に出た。
その動きに興味をひかれた猫のブルーの瞳が、ランランと輝きを増す。頭を低くして攻撃態勢に入る。
ダメ! やられる!
自分でも、何でそんな事をしたのかは分からない。
頭では敵うはず無いと分かっていても、本能がそうさせたのかも。
カプン!!
私は、デカデカちゃんをくわえようとした猫の鼻面に、思いっきり噛みついた。
ブン!
「きやぁっ!?」
驚いた猫が前足で、鼻面に噛み付いていた私を払いのける。
体重の軽い私は、ベランダの外にはじき飛ばされて、屋根伝いにコロコロと転がり落ちる。勢いが付き過ぎて、文字通り手も足も出せない。
ダメだ。落ちる――!
ここは二階で、ベランダの下はコンクリート。
いくら自重の軽い子亀でも、落ちればただでは済むはずがない。
甲羅が割れて、墜落死。
嫌な死に方だなぁ……。
私は、どこか他人事のように、そう考えていた。