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第十話 生きているんだよ 前編

 長いようで短い夏休みが終わり、里美お姉ちゃんは新学期で、朝から忙しなく登校して行った。

 でも、今日は始業式とお掃除だけなので、お昼にはもうお家に戻ってきたのだけど……。

「なに、これ……?」

 里美お姉ちゃんが学校から大事そうに抱えてきた、ダイニングテーブルの上にちょこんと置かれた小さなプラケースを見つめながら、お母さんが呆然と呟いた。

 プラケースの中には、甲長3センチくらいの小さなミドリガメが入っている。

 甲長3センチ。

 大きさから言えば、この子は私と同じくらいの年齢、つまり生後5、6ヶ月のはず。

 でも違う。

 里美お姉ちゃんの話では、この子はクラスの男の子が去年ホームセンターで買ってきたのだそうだ。つまり、少なくても1歳は過ぎている。本当ならもっと甲良が成長していなくちゃおかしいのだ。

「この子、夏休みの間、学校に置きっぱなしにされていたの……」

 ポツリ。

 呟いた里美お姉ちゃんの声は、とても悲しそう。

 って、待ってよ?

 今、なんて言ったの、お姉ちゃん。

「え!?」

 お母さんも驚いたように目を丸くした。

「夏休みの間、学校に置きっぱなし!? この小さなプラケースで!?」

「……うん」

 里美お姉ちゃんの目に、光の粒がゆらゆらとにじみ出した。


 お姉ちゃんの話を良く聞いてみると、こういう事だった。

 夏休みに入る少し前に、クラスの男児生徒が家で世話しきれなくなったミドリガメを学校に持ってきた。

 家で世話を出来ないその子が学校で世話をするわけもなく、動物好きの里美お姉ちゃんが水を換えたり、エサを上げたりしていたのだそうだ。

で、夏休みの前の日、担任の先生がその男の子に『夏休みの間、お家に持って帰ってお世話をしなさい』と言いつけたのだそう。

 でも。

 その子は、ミドリガメを家に持っては帰らなかった。

 それが、故意なのか、単に忘れたのかは定かじゃないけど、その男の子はミドリガメを長い夏休みの間、思い出すこともなく教室に放置したのだ。


 10センチくらいしかない、プラスチックケース。

 夏休み前にそこに入っていた水は、水深2センチほど。

 真夏の、締め切った教室中、ジリジリと蒸発していく水。

 その水も、排泄物で確実に淀んでいく。

 異臭を放ち黒くよどんだ水だけを命の糧に、それでもその子亀が生きていたのは、正直言って奇蹟に近い。

 あと5ミリほどで、水は蒸発しきっていたのだから。


 新学期の教室は、騒然となった。

「どうして家に持って帰らなかったのか?」

 先生は、男の子をしかりつけたそうだけど、その子は悪びれた風もなく『面相なんだもん』と笑って、更に先生にしかられていたそうだ。

「それで、どうしてこの子を里美が連れてきたの?」

 お母さんの質問に、里美お姉ちゃんはぽろぽろと涙をこばしながら、「だって、このままじゃ死んじゃうと思ったんだもん」と、小さく呟いた。

「……先生は、なんて言っていたの?」

「持って帰ってもかまわないって」

「かまわ……ない?」

 悲しげだったお母さんの瞳に、怒りの色が見えた。もちろん、子亀を連れて帰ってきた里美お姉ちゃんに怒っているのじゃない。

「……ったく、『かまない』じゃないっての!」

「お母さん?」

 お母さんが何に対して怒っているのか分からないお姉ちゃんは、驚いて目をしばたたかせた。

 その様子に気づいたお母さんは、里美お姉ちゃんのほっぺをプニっと引っ張ると、

「里美に怒ったんじゃないのよ」と言って笑った。

 それは、何かを決意したような、不適な笑い。その目にはなんだか、熱い炎が燃えているように見えた。

 ――お母さん、何をする気なの?

 

 私は、小さなプラケースの中で、息も絶え絶えにぐったりしている同胞をじっと見詰めた。




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