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異形の魔道士  作者: IOTA
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5 害獣駆除




 オオカミ。ネコ目イヌ科イヌ属に属する哺乳動物。雌雄のペアを中心とした社会的な群れ、ウルフ・パックを形成する。パックは雌雄別の順位制を伴い、通常は繁殖ペアが最上位である。最上位から順にアルファ、ベータと呼び、最下位の個体はオメガと呼ばれる。

『――ばーい、ウィキペディア。便利な世の中になったわねー』

「……お前、時々わけのわからないことを口走るよな」

 ケイルは森林を進んでいた。

 鬱蒼とした道なき道を、走査するようにほのかに赤い眦を注意深く転じながら、それでも素早くひた進む。

 重厚な強化外骨格からは想像できないほど機敏な動作であり、また足音や木々の擦過音など、移動に伴う雑音も驚くほどに小さい。もし物音だけを誰かが耳にしたら小動物か何かだと思いなしてしまうほどだろう。

 いや、そもそもその誰かが物音を聞き咎める距離にまで立ち入ろうものなら、ケイルのセンサーは鋭敏に他者の存在を察知し、動きをぴたりと止めるだろうから、この仮定は正しくない。それらの隠密性能と感知性能は偵察任務に長けたヘカトンケイルならではの特性といえた。

「雨が降らなかったから大丈夫だと思ってはいたが、その安心すら杞憂だったな。歩く広告塔だ」

『そりゃそうでしょ。獣は痕跡なんて意に介さない。だから獣道ってのができるのよ』

 ケイルが往く前方には、何者かが移動した痕跡が残っていた。注視しなければわからないほどのそれは、しかし然るべきものが見れば判然である。不自然に露出した腐葉土、倒れた草、折れた枝、そして人間大の足跡。

 土の上に深く残った足跡の大きさは人間のものと似ているが、かたちはまったく異なる。踵の部分は極端に減りこみ、指の数は四本、その指から伸びる長く鋭い爪。そもそも靴跡ではなく、素足の足跡である時点で、人間のものであるはずがない。つまり狼男の足跡である。

 昨夕、ケイルはポルミ村を襲う狼男の群れを屠った時、最後の一頭を逃していた。それが残した痕跡を狩人よろしく追跡しているのだ。

 両親を亡くした少女と別れた後、ケイルは村の外れに遺棄した狼男の死骸のところに戻った。そして死骸を調べ、ある仮説にいたった。狼男の群れはまだ存在するというものだ。射殺した狼男のなかの一番大きな個体は雄だった。雄のアルファである。そのなかには雌の死骸もあったが、どれも雄のアルファと較べると身体の小さな個体ばかりだったのだ。

 つまり、雌のアルファとおぼしき個体がいなかったのである。そのことから、ポルミ村を襲ったのは狩りに赴いた、いわば先発隊であり、その帰りを待つ雌のアルファ率いる群れが近くに存在しているのではないか、と彼は考えたのだった。

 当然、仮説の域はでなかった。もしかしたら雌のアルファは身体が小さく、あの死骸のなかにあった雌がそうなのかもしれない。そもそも相手はオオカミではなく、狼男である。ケイルたちの旧文明のオオカミの生態が、こちらの世界の狼男に当て嵌まるとは限らないのだ。

 だが、こうして痕跡を追跡しているうちにその仮説は俄然、信憑性を帯びてきた。痕跡から判断するに狼男は右往左往とあてどなく遁走しているわけではなく、どこか明確な目的地へとまっすぐに向かっているのだ。つまり群れの元へと逃げ帰っているのだろう。

『でもさ。狼男の雌っておかしくない? 狼女になるんじゃないの?』

「面倒臭いこというなよ」

 ケイルは鼻から嘆息を吐く。かなりの早足で移動しているというのに、その声音はいたって平坦。呼気には些かの乱れも見受けられない。

「区別する必要はないだろ」

人狼ワーウルフっていう便利な言葉もあるのよ』

「じゃあこれからはそう呼ぶか?」

『……いや、やっぱりやめましょう』

「なぜ?」

『だってなんかカッコいいじゃん、人狼。生意気よ。ムカつくでしょ』

 しているうちに、ケイルの行く手に洞窟が現れた。

 周囲を藪と灌木の茂みに囲まれた、巨大な岩と岩が折り重なりその隙間に生じているような洞穴だ。追跡してきた足跡はそのなかへと続き、周囲にも無数の狼男の足跡が入り乱れていた。ここまでくれば、ヘカトンケイルでなくともそれがよくないものの棲家であると一目でわかるだろう。

「あれが巣というわけか。近所じゃないか」

 ポルミ村から洞窟までの道則、アーシャの精確な距離測定にして十七.四キロ。そして出発してから二時間ほどしか経っておらず、木洩れ日はまだ朝特有の眩さを有していた。

 獣道とさえもいえない悪路を息ひとつあげずに一時で踏破する運動能力も、その距離を近所と呼ぶ感覚も常軌を逸脱していたが、あるいは数日間にも及ぶ追跡行脚も想定していたからこそ急いでいたケイルにとっては、確かにその近さは拍子抜けするものだった。同時に、ポルミ村の脅威がまだ去っていないことを確信するには十分だった。

 アーシャは洞穴の縁で、おとぎ話に登場する不思議の国へ誘われた少女のように、腰を曲げて中を覗きこむ。

『感知範囲には熱源はなし。結構深いみたい』

「中は狭そうだな。レイピアには不向きか」

 ケイルは抱えていた全長千二百ミリにも達する長大な小銃を背に固定すると、左胸に装着されていたシースからナイフを引き抜いた。刃渡り二十三センチ、肉厚でヒルトの高いファイティングナイフだ。艶を消した刀身は如何なる反射も伴わない、禍々まがまがしい黒色。

『余裕ねえ。M7H拳銃もあるでしょう』

 ケイルは自分の右大腿部にちらりと視線を落とした。巨大な弾丸を呑んだ大型拳銃の銃把が厳めしい顔を覗かせていた。

「これは弾数に限りがある。レイピアみたいに弾丸を自動生成というわけにもいかない。節約だよ」

『それにアバドンが相手じゃナイフなんて使う機会なかったもんね。試し斬りにはちょうどいいかも』

 薄い唇を歪め、ひひっ、と嫌らしく笑うアーシャを横目に、ケイルは右手に握ったファイティングナイフを左上腕の装甲板に砥ぐようにして撫でつけた。金属同士の鳥肌がたつような擦過音が鳴る。

「始めるぞ」

『りょーかい。で、どうする。サポートは必要?』

「必要ない。逃げそうな奴がいたら教えてくれるだけでいい」

『タイム・トゥ・ハント。狩りの時間ね』

 相棒の喜色に満ちた不敵な言葉を受けながら、けれどもケイルは狩りに往くほどの気負いもなく、知人の宅の敷居を跨ぐほどの気おじもなく、闇に満たされた魔窟に足を踏みいれた。

 客観的に見たら迂闊とさえ思えるその豪胆さ。もし彼ら以外の第三者がこの場に居合わせたら、勇気を讃えるというよりも正気を疑われて然るべきだろう。

 ただ、踏み入ったのちはその足取りはやや慎重になった。それとて気後れしているわけではなく、単純に物理的な問題に過ぎない。自然の洞穴なのだ。人が二人辛うじて並んで通れるほどの広さでしかなく、場所によっては身を屈めたり、樹々の根を掻き分ける必要があった。そして無論光源もない。

 ケイルは外骨格の頭部ユニットに備わった暗視装置ナイトビジョンを起動した。レンズ状の双眼の中心点が、野生動物の瞳孔がそうなるようにきゅうんと縮んだ。

 色彩補整スターライトクラスと呼ばれるそれは、その名の通り僅かな星の光でさえも数万倍に増幅し、明確に見通すことができる。さらにパッシブ遠赤外線可視装置、強化外骨格の各種外部センサー、それにインターフェイスアーマーの演算能力も併用され、ナイトビジョンを介した視界は元来のモノクロなものではなく、色合いまで帯びている。第五世代のナイトビジョンだった。

 ただし、演算能力の限界により色合いは強烈な原色に限られる。壁面は灰色、地面は茶色にと、まるで子供が色鉛筆で塗り分けたような病的なまでの単純色は、現実感覚との齟齬を齎し、使用者にあまりいい使用感は与えないようだった。ケイルは小さくうめく。

「この色彩だけは、いつまで経っても慣れないな」

『身体は軽いけど視界は重いって感じ? 我慢しなさいな。それでも一般歩兵の使ってる前世代の暗視装置よりはずっと使い勝手がいいはずよ』

 同様にいつ接敵するとも知れぬ狭い通路で少女が先導するという齟齬を慮って、アーシャはケイルの視界から姿を消しており、音声だけが彼の耳朶を打った。

 そしてその接敵はやはり不意に訪れた。

 前方の曲り角の先からギャンギャンと、色めき立つような複数の鳴き声が響き、狼男が飛びだしてきた。

 その数は三つ。三頭の魔獣が狭い通路で押し合い圧し合いをするように我先にと迫り来るその光景は、押し寄せる殺意の肉塊とも言うべき身の毛もよだつおぞましさを存分に放散していた。

 常人であれば抗うことはおろか、逃げることも忘れ、この上なく攻撃的な形で目に見える死の恐怖に放心して立ち尽くし、貪婪の食欲の欲しいままに蹂躙されていただろう。

 だが、ケイルとその相棒は、ふん、と。ほぼ同時に鼻を鳴らして、

『あら、かわいい。狼男まっしぐら』

「腹が減ってるみたいだな」

 むしろ、さらに一歩を踏みだした。攻撃の動作のための間合い調整という風でもない。現にケイルは頭上からたれる邪魔っけな樹根にこそ注意を取られているようで、のれんをくぐる要領で払っていた。

 その態度を百戦錬磨の余裕と形容するのは、少し違うだろう。彼らとて狼男の群れと近距離で接敵するのは間違いなく初めてのはずなのだ。

 しかし彼らは知っていた。狼男の死骸を調べた時に、その人間とは較べものにならない強靭な筋骨が、けれども常識の範疇に収まることを、彼らの世界で跋扈する怨敵とは比するのも虚しくなるほど脆弱であることを。

 つまり、問題ない、と。

 早い者勝ちに勝利した一番手前の狼男が三メートルと迫った時、ようやっとケイルは構えを取った。左手を前に翳し、右腕の肘を曲げてナイフを身体に引き寄せる。合成金属で覆われた指がきつく締められ、強化シリコン製の帯を巻かれたナイフの柄がぎゅうぅと鳴った。そして一メートルにまで肉薄した醜い顎に向かって、下から抉りこむように暗黒の刃を繰りだした。

「これでも喰らってろ」

 ずどん、と。およそナイフの刺突によって生じたものだとは思えない、強烈な音だった。影が落ちるほどの速度で放たれた切先はわずかな抵抗もなく顎の下からするりと入り、下顎を貫通、さながらアッパーカットを受けたかのように開口していた顎が閉てきられ、柄は刺傷になかば埋まり、刃の切っ先は脳にまで達した。頭部を串刺しにされた狼男の瞳は眼窩の中で縦方向にぐるんと回転し白目を剥き、強制的に噛み締められたままの鋸刃の間からは断末魔を発することも許されず、代わりに鼻孔から、次に涙腺から、最後に眼窩から、顔面のあらゆる穴から黒い血がぴゅるぴゅると滴り落ちる。

 ナイフを引き抜くケイル。それに伴いその場にくずおれる狼男のすぐ背後、向かって左側の狼男が腕を振り上げる。それが振り下ろされることは、しかしなかった。同属の血により一片の隙もなく赤黒く染まった刃が二度、獲物に喰らいつく蛇が如き速度で肉薄した間合いに血振るいによる残像を描く。喉と胸。疾くそして深く。コンマ五秒にも及ばない刺突で心臓と頚動脈を断ち切られた狼男は、地に伏す前には絶命していた。

 最後尾の狼男が横臥する同属を足蹴にしながら突進し、ケイルの両肩を掴んで組み敷こうとする。獰猛なうなり声が手狭い洞窟内に鳴り渡り、群青色の体毛に覆われた両のかいなは人外の怪力を思わせる尋常ならない膨張をみせた。だが組み敷く以前に、押し倒すことはおろか、微動させることさえ叶わなかった。まるで根を張ったようにケイルの足は大地から離れない。

「触るなよ」

 鬱陶しそうに呟いたケイルは、その平坦な声音からは連想できない激情を思わせる極めて乱暴な所作で狼男の顎を鷲掴みにすると、そのまま壁面に叩きつけた。土ではなく岩の洞窟である。頭部が衝突した壁面には赤い血糊が放射状に広がり、舌を垂らして小刻みに痙攣する狼男は数秒間の失神状態にあったが、意識の回復をケイルのナイフが待つわけもなかった。

 鷲掴みにしていた左手が離され、膝を屈して傾ぎ始めた側頭部を受け止めたのは逆手に握られたナイフの切先。みし、という音は壁面ではなく、刃に貫かれ今一度壁面への衝突という憂き目にあった頭蓋の内から発されたに違いない。ナイフが抜かれ、刹那の磔刑から解放された骸は群青色のずだ袋と化して無造作に崩れ落ちた。

 三頭の狼男が現れてから屠るまでに要した時間は、三秒にも満たない。一頭に一秒もかからなかった。

 ケイルはひょいと死骸を跨ぐと、振り返りもせずに息つく間もなくひた進む。いや、この程度の殺陣でヘカトンケイルに息をつく間など必要ない。ところで、と大立ち回りの直後とは思えないのんびりとした調子でアーシャに訊ねた。

「奴ら、暗闇の中なのにどうして見えるんだ」

『大抵の獣にいえることだけど人間よりも目も耳も感度が優れてるんでしょ。そして何よりイヌ科イヌ属には嗅覚がある』

「嗅覚なんてこの臭いで麻痺しそうなものだけどな」

 洞窟の中は殺人的と言えるほどの悪臭に充ちていた。狼男自身の獣臭は勿論、そこここに散らばる糞尿や動物の骸の腐敗臭が加算されている。人間のものと思しき頭蓋骨も転がっていた。ぴちょんぴちょんと滴る無色透明のしずくでさえ、外界に持ち出せば腐乱死体から摘出したような臭気を放つことを予感させるほどだ。その悪臭は奥に進むにつれ強く、酷くなっていく。

 ほどなくして狭い通路はひらけ、天の高い十畳ほどの広場にでた。洞窟の終点であり、悪臭の根源である。

 そこでは、幾重もの低く重いうなり声が響き合い、こだまし、あたかも地鳴りのように鳴っていた。

 狼男、狼男、狼男……。禍々しさが大気に溶けだしたような厚い紫の闇の中、炯々とあやしく瞬く金色の粒が都合十八。その終点には九頭もの狼男が所狭しと犇めき合っていた。大きな個体から、人間の子供程度の小さな個体まで、すべての狼男が鋭い牙を剥き、眉間に深い皺を刻み、体毛はその下の筋肉の強張りにより逆立っていた。

 殺意と食欲に燃える眦の束は、今にも爆ぜんばかりに機械を纏う男ただ一点に矛先を据えている。

『ビンゴ。随分大所帯なウルフパックだったみたいね。魔的な光景だこと』

「ああ。……そしてアレが雌のアルファか」

 ケイルの視線の先、群れの一番奥には一際大きな個体がいた。誇張なく、その全容を認めるためには見上げなくてはならないほどの体躯は、およそ三メートルはあろうか。まさしく群を抜いて、文字通り比肩なき巨体である。村を襲った一番大きな個体、雄のアルファを優に凌いでいるが、しかし、子を宿しているのであろう異様に脹らんだ腹部を一見すれば雌であることは疑いようがない。その腹の活発な蠕動は、まるで今にも母体の皮膚を突き破りこの世に齎す悪行を急かんばかりである。

『でかっ。もはや怪獣ね。私たちの世界のオオカミは概して雄のアルファのほうが大きいはずなんだけど、狼男には当て嵌まらない生態だったみたい』

 素直に感嘆したように、けれどもその魔物の女王たる姿を目にすれば抱いて然るべき恐怖に準ずる感情は微塵も滲ませずにアーシャはいう。そして彼女の相棒はもっと現実的な、物理的なことが気がかりのようだった。

「それよりも俺はあれがどうやってこの洞窟に這入ったのか気になるんだが……」

 どちらにせよ、やはりそのくぐもった声音から恐怖に類似する色を見出すことはできない。

『細かいことを気にするんじゃないわよ。きっとこの中に這入ってから育ったのよ』

「じゃあどうやって外にでるんだ。ここで生涯を終えるのか?」

『こまけー、細か過ぎるっ。女にもてないわよ』アーシャはうんざりするようにいうが、すぐに口調を引き締めた。『お馬鹿なこといってる内に、来るわよ』

 さながらどのように襲いかかればより多くの肉を腹の内に収められるかと互いに心算するようにしていた狼男たちだが、その獣的には殊勝といえる思案に焦れたようで、じりじりと取り囲む形で距離を詰め始めていた。

 ケイルはナイフを構え、おもむろに前に持ち上げた左手で挑発的に手招きをする。

「来いよ。害獣駆除だ」

 言語を解さない狼男であるが、その言葉を受けて激昂したかのように、咆哮を轟かせて突進した。

 圧壊必至と思わせる雪崩のような全周からの強襲を、ケイルは動じず、真正面から受け止める。

 まず一閃。伸び迫る無数の腕、その間を縫うように影のような刃が一閃した。音はしなかった。傍目から見ればそれは右から左への一閃に違いなかった。延伸する腕も無数に違いなかった。けれども、拡張された動体視力と反射神経、そして冷静という言葉ではとても形容しきれない揺るぎない精神を有したケイルにとっては、どちらも違っていた。

 差し迫る腕は最寄の三頭が突きだした六本だったし、振るったナイフは変則的な軌道を描いていた。一本を無力化したら次の一本へと、手首を腱を尺骨を、もっとも捉えやすい急所を目がけて漆黒の刃は疾駆していた。

 極限まで刻まれた一秒の間に繰り出されたその妙技が生みだした光景は、花弁を並べる細い草花の茎を鎌で掃ったようだと、そんな譬えが相応しいかもしれない。三頭の狼男が伸ばした己の諸手がもう使い物にならないことに気づく前に、その鋭利な裂傷から鮮血が噴きだす寸前に、左に流れた刀身はブレードの向きをやや上方に改め、右にとんぼ帰りする。

 腕にしたことと同じ所業が繰り返される。ただ、単純に数で考えれば腕よりは容易いだろう。血振るいの尾をひきながら黒い軌道がなぞったのは、三つの喉笛だったのだ。今度は音がした。がきゅきゅ、と岩を削るような奇妙な音は頚骨までを抉ったあかしに他ならない。

 身体の主であった生命を爆発的な血煙の形で失くし前のめりに卒倒する三頭。その両翼、遅ばせながら接近した次鋒の二頭が同時に腕を振り下ろした。先端に鉤爪を載せた手刀はまるで槍のようにケイルの頭部と胸部に差し迫るが、矛先が捉えたのは積層合成金属装甲に覆われた手の平と、超高強度金属の刀身だった。硬質な金属音は、瞬間、肉を潰す音と裁つ音、おぞましく濁った音色に変貌する。

 いや、おぞましいというのなら喉も裂けよとはっされる二頭の絶叫であろう。四指を組むようにして止められた左方の狼男の右手は指の間を裂くようにして潰され、刃で受けられた右方の狼男の手刀はそのまま強引に振り抜かれるようにして親指だけを残して手首から飛んだ。

 ケイルは上体の捻りを利用するようにして振り切ったナイフを今一度繰り出し、右方の狼男の首を裂くと同時、拳を潰したままだった左の狼男を手前にぐいと引き寄せて、向かってくる頭部の眼球めがけて人差し指と親指を突きこむ。脱糞するような異音をともなって血液とも硝子体のゼリーともつかない桃色の粘液が深々と根本まで食いこんだ指と眼窩の間から噴出した。

 喉を裂かれた狼男が喧しい慟哭をか細い風の音に変え、自身の血液で溺れるように喉を掻きむしって横臥する頃には、左方の狼男の眼球を抉った鋼鉄の指先は視床下部を貫いて間脳を引っ掻き、指令系統を完膚なきまでに抓みとっていた。

 頭上で展開される殺傷の嵐をどこ吹く風というように、死に往く同属の股下を掻い潜るようにしてケイルに接近した幼体であろう小型の一頭が、ばっくりと大きく開いた顎でケイルの大腿部にかぶりついた。

 しかし、そもそも接近できたのはケイルの隙をついたわけではなく、捨て置かれただけであり、人間の骨をも砕く鋸歯はされど装甲の硬度には文字通り歯が立たなかった。

 たまらず顎を離した幼体、鋭利だった鋸歯は無残に欠け落ち、大時代的な漫画表現に倣うなら振り子のような大粒の涙を流すであろう有様だったが、顎の下に繰り出された膝蹴りと頭頂部に振り落とされた拳骨に頭蓋を砕かれ、眼窩からこぼれ落ちたのは涙よりもよほど振り子らしい眼球だった。

 幼体を中堅と譬えるには抵抗があるが、単純な順番になぞらえれば副将にあたるであろう最後尾の二頭は、先鋒の三頭が死する前には跳躍し、ケイルの頭上から襲っていた。着地ではなく、あたかも着弾という風に身体全体で飛びかかる。

 然しものケイルも不動というわけにはいかなかった。だが、つっぱるように左脚を退く、それだけで二頭の体重と自由落下の衝撃を受け止めた。狂ったように掻きまわされる鉤爪はすでに無数の疵があった装甲に取るに足らない新たな引っ掻き疵をつくるばかり。

 煩わしげに振るわれた鉄棒のようなケイルの腕を前に、防御を知らぬ二頭の獣は転倒するが、しりぞくことも知らぬ獣性を発揮することまでは許されなかった。

 身を起こそうとした一頭が最期に瞳に映したものは、豪速で振り下ろされる無数の鋲が突出した鋼鉄の足の裏。床面に亀裂を生じさせる踏みつけは、洞穴で展開されたこれまでの戦闘、否、殺戮で一番大きな物音であった。頭は熟れた西瓜ほどの抵抗もなく造作もなく潰れ、血と内容物が四散する。

 倒れたもう一頭も起きあがることは許されなかった。しかし、今一度跳躍することは許可された。ただし強制的に。それは放擲といったほうが近い。間髪を容れずに脚を掴んだケイルは、そのけっして軽くはない身体を天に向けて放り投げたのである。

 先に見せた己の脚力による跳躍よりも遥かに高く、較べものにならないほど速く、目まぐるしく回転しながらなす術もなくふき飛ばされる狼男を待ち受けるのは、つらら状にさがった鋭い鍾乳石。剣山と譬えたほうが適切か。そしてそれは文字通りの昇天となった。

 七つの死骸が累々と転がる。痙攣するもの、微動だにしないもの、その有様も様々だったが、切り裂かれた四つの喉笛から流れでた血だまりが一つの大きな血の池となって、それを体毛で吸いあげ赤黒く染まる骸は、群青色の襤褸雑巾ぼろぞうきんのようであるという点で共通している。間違いなく、もう二度と立ちあがることはないという点においても共通している。どちゃり、と鍾乳石に体幹を貫かれた狼男が落下してきて、襤褸雑巾は八つになる。

 ポルミ村から遁走した一頭もこの中に、もしくは先の三頭に含まれたのだろうが、それが果たしてどれであったかはもう誰にもわからず、漏れなく鏖となった今となっては、最早関係がない。

 残るは大将。雌のアルファ。

『さて、ビッグママのお手前拝見ね』

 同胞はらからの屍の山の中心に立つ異形を、巨獣は睨み据えていた。裂けんばかりに皺が刻まれた形相に穿たれた三白眼の双眸は、原初の害意と殺意に煮え滾っている。

 だが、動こうとしない。その獣が目の前で瞬く間に虐殺された家族に心痛しているわけではないのは一目瞭然であったが、目の前の異形がこれまで度々やったような戯れに引き裂いて喰らった人間とは懸け離れた存在であることは、粗暴な脳みそをもってしても理解しているのだろう。

 小動物であればそれだけで心の臓を停めてしまうような灼熱の憎悪を惜しげもなく放散する眦を、まじろぎを知らぬケイルの赤く淡い双眸はただただ受け止め、そしてその甲虫のようなマスクの内では如何なる表情を浮かべているのか、ふん、と鼻を鳴らした。フィルターからもれるその音質は不敵で、どこか満足げな、嬉々としている響きさえあった。

 ぴゅん、と風を切る音。ケイルはナイフの血を掃ってからシースに収めると、おもむろに両腕を持ち上げ、肩幅に両脚を開くと、僅かに膝を屈した。それは徒手空拳のファイティングポーズに他ならない。

 そして今一度、前にだし、天に手の平を向けた左手を掌屈させ、手招きをした。

 決闘開始の調べは裂帛の咆哮。洞穴の外まで轟き、木々がざわめき、小鳥が飛び立つような大音響。肌を粟立たせる喊声を迸らせ、人間を数人纏めて引き裂くであろう両腕を広げて、上半身を一喰いでもぎ取る汚らしい乱杭歯の顎をばっくりと開け、紫色の舌を旗のようになびかせながら、悪夢から生まれ出でたような巨獣は突進する。その跫音は連続する地震そのものだった。剥落した小石が天から降り、そこここに点在する骸が地で弾む。

 対するケイルは、動じない。その場でさらに腰を落として上半身を捻り、握り固めた右手の拳を腰の辺りで構えた。途端、風船を絞るような奇妙な音が腕からもれ、腕全体が僅かに膨らんだ。腕を覆う合成金属装甲板の隙間が微かに拡がり、その内では白濁した無数の筋が脈打つように蠕動していた。

 使用者たるバイオロイドの腕の筋繊維の収縮をそれに埋めこまれたサイバネティック・モジュールが感知し、強化外骨格の人工筋肉に同様の電気信号を送ったのだ。つまり力を籠めろ、と。それにより飛躍的に向上するヘカトンケイルの身体能力は人間を、人外の狼男ですら超越する。

 このように外的にもその作用が顕著に見て取れるほどになると、もはやその威力は――。

 一メートルに迫った雌のアルファ。踏みこんだ足が同属の骸を踏み潰し、その腕が挟みこむようにケイルを左右から襲い、鉤爪がケイルの頭部に十センチと肉薄した瞬間、それははなたれた。

『しょーりゅーけん』

 アーシャの間の抜けた声が刹那の静寂に響く。

 雌のアルファの巨体は、中空の何かに喰らいつこうとするように顎を真上に向けて宙に浮き上がっていた。否、喰らいつこうとするなどという表現は正しくない。未来永劫、その鋭利な鋸歯が何かに喰らいつくことはないだろう。

 端から醜かった頭部は見るも無残に下顎が付け根から消失しているのだ。熟練した戦槌遣いでも遠く及ばないほどの単純明快な暴力をぶつけられた下顎は肉片と化して弾け飛び、鋭い犬歯やその破片が米を撒いたかのように散っている。

 伸びきった足許には、右の拳を天に向けて振り切ったケイルの姿があった。

 そして雌のアルファが重力の僕と化して落下する前に、ケイルの右手は独自の自我を持った生物であるかのような目にも留まらぬ素早さでナイフを抜刀。荒々しい鞘鳴りが終わるより速く、左手で柄の後端を支え、体勢を低くし、バネのように上体を起こすと同時に切先を振り上げた。落下する自重と上に振り上げる力、二つの力点を得た鋭い刃は雌のアルファの股から喉にかけて、掻っ捌いた。半月のような血飛沫が虚空を彩る。

 鈍い音をともない墜落する雌のアルファ。それには生々しく瑞々しい濁音が混じっていた。真っ直ぐに裂けた腹部から流れでるのは血液や臓物だけでなく、まだ体毛も生え揃っていない三匹の胎児が羊水と一緒に溢れでていた。

『ひひっ。強制帝王切開、リアル赤ずきんちゃんね』

 姿を現し、満足そうに諸手を腰に当て嘯くアーシャ。

 ケイルは首を鳴らした。

「これでクリアだな?」

『ええ、熱源反応なし。オールクリア。親類縁者皆殺しって感じ』

「犬のお巡りさんでも呼べばいい」

 冗談なのか何なのか、如何なる感情も覗かせない抑揚を欠いた声音で応じるケイル。

 どのような意図によるものであるにせよ、魔物の屍山血河と化した酸鼻極まる光景の只中で、ましてやそれを為した立役者が口にするには些か残酷に過ぎる言葉であり、ケイルとその相棒の敵対要因には一切の容赦を持ち得ない冷酷さを推し量るには十二分であった。

 再び血振るいをしようとケイルはナイフを振りかぶるが、ふと何か思い立ったように途中で動きを止め、おもむろに雌のアルファの死骸のそばで屈みこんだ。

 狼男たちが健在の時もたびたびこの洞窟内に響いたであろうおぞましい物音をともなうケイルの作業を眺めながら、アーシャは邪悪に嗤った。

『随分悪趣味なお土産だこと』





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