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異形の魔道士  作者: IOTA
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4 ヘカトンケイル




 地は瓦礫、天は曇天。

 あらゆる色彩が燃え尽きて灰色に染まった世界の、あまねく営みが混凝土と鉄骨と砂塵に帰した街路を、一体の兵器が駆けていた。息が詰まるような重苦しさと底冷えを抱かせる背景に、鈍色の保護色に塗装されたそれはさしたる代わり映えをもたらさない。

 しかし、もうもうと粉塵を巻き上げる狂おしいほどの疾駆から、もはや保護色は迷彩としての用をなしておらず、岩を削岩するような跫音きょうおんは底冷えなどを通り越し、身の毛もよだつ危機を思わせる。

『背後に熱源複数。……まずいわね。完全に喰いつかれた』

 鈴を振るような少女の声音に似つかわしくない由々しい言葉が、それの耳朶を打つ。

 それは、生体であるという観点からすれば兵士と呼ぶこともできるだろう。人型であるという外観から人間と呼ぶこともできるかもしれない。だが戦術的には兵器として扱われるそれに個人に由来する名はない。あるのは識別符丁、ホテル09オーナイナーという味気ない記号だけだった。

 ヘカトンケイル・プロジェクト――。

 国を挙げた兵装開発計画が往々にしてそうであるような伏魔殿が如き多種多様な底意を省き、極めて端的かつ乱暴な言葉で片付けてしまえば、それは強化外骨格エグゾスケルトンを纏った人造の兵士の開発計画である。

 そしてH09はくだんの計画の稀有な成功例にして、実戦投入された半有機体機械化兵装のうちの一体だった。

 外殻は軽量かつ強靭な合成金属の積層装甲で覆われ、随所の稼動部位たる関節部は加衝撃時にのみ硬化するダイラタンシー効果を利用した半液状強化繊維でつなぎ止められている。装甲の内部には直線動作が可能なポリマー合成代用組織の人工筋肉が全身くまなく縒り巡らされ、肌を包むのは各種センサーと強化外骨格とのリンクシステムをつかさどるインタフェイスアーマ。

 およそ兵器と呼ばれるものが、概してその機能を形態において示しているように、合成金属の表皮と強化ポリマーの筋骨でかたちづくられ、センサーの神経を有するヘカトンケイルもやはり、兵士というよりも兵器といったほうがほど近い。

 それらの芯に収まるのは生物学上は間違いなくホモサピエンスに分類される人間ではあるが、それとて普通の人間と呼ぶには抵抗を覚えるような特異な存在である。

 強化外骨格が単なる機械式の装甲衣だったのは第三世代までであり、彼らが使う第四世代のそれは、身体の外に纏う強靭な第二の肉体と断じてもなんら遜色のない挙動性能を誇っている。しかしその万能性を得るためには、失わなければならないものが、越えなければならない一線があった。

 膨大な膂力を発揮するために生じる負荷に耐えるには、人体組織の骨格に人工補助腱骨を、また己の躰のように自在に使いこなすためには、細胞レベルからサイバネティック・モジュールを組みこむ必要があったのだ。

 そのために彼らは造られた。強化外骨格のサイバネティック・モジュールに遺伝子レベルで適合するために遺伝子操作を施し、人工授精により産みだされ、人工子宮のなかで急成長したバイオロイドなのである。

 それでもヘカトンケイルの製造の成功率は十パーセントにも満たず、コストは膨大だった。ゆえに費用対効果を満たすために様々な生存率向上装置が組みこまれており、その代表例が長期単身活動用支援システム『アーカーシャ・ガルバ』。謳い文句は、死が二人を別つまで常にそこにいるパートナー――。

『右翼、距離四十メートル、さらに多数の熱源が急接近!』

 相棒たる少女の怒号に、H09は駆けながら小銃の銃把を左手に持ち替えた。利き手を選ばない彼はよどみなく右方に銃口を転じ、即座に引き金を切る。

 照準に重なる標的、はなたれる弾雨の先には、彼らの仇敵たるおぞましき魔獣が大挙して押し寄せていた。地揺れを思わせる跫音、破壊の衝動に躍動する異常発達した筋骨、まるで赤い雪崩のごとくすべてを飲みこみ、迫りくる。

 ヘカトンケイルの語源はギリシャ神話に登場する巨人たち。五十の頭と百の手を持つ姿をしているという。そのあまりの醜さに封じられたが、ティータノマキアと呼ばれる神々の戦いの際に解きはなたれ、友軍を勝利に導いたとされる。

 そう、彼らには戦うべき敵がいる。ゆえに遺伝子操作の禁忌を犯してまで、造られた。

 それは人類、否、全生物の怨敵にして天敵。

 それは目にした生物に等しく全身の毛穴から生命が抜けでるような恐怖と本能的な死を覚悟させるかたちをしている。

 それは外見が齎す死の恐怖になんら遜色ない行動理念に基づき活動する。すなわち、あらゆる動体を徹底的に、病的なまでに破壊しようとする。

 それは外観に多少の個体差はあれど概して画一的だが体長はまばら、小型のものなら全長二メートル、大型のものでも全長四メートル、けれども異常な体積比からなる膂力は、乗用車を引き千切り、戦車の装甲をも引き剥がす。

 ゆえにそれは、ヘブライ語で破壊、奈落の底、滅ぼす者を意味する“アバドン”と名づけられた。

 アバドンの身体能力は地上のあらゆる動物を凌駕し、また表皮強度は軽火器を寄せつけないほどに強靭、さらに生命力は時として不死身の代名詞として使われるほどにしぶとい。けれども所詮は魔獣。知性も指揮系統も持たずに生身で突進してくる獰猛な獣であり、それだけならば人類はけっして後れを取ることはなかっただろう。

 問題なのはその数と、そして出現方法――。

『左にも熱源! 近い! 熱源感知範囲内に出現!』

 右方への制圧射撃もそこそこに切りやめ、左方に射線を転じたH09は、そのおぞましき巨体のあまりの近さに目を剥いた。マスクの双眸の反射板には、剥きだしにされる数多の牙が、振り回される無数の腕が、赤い奔流の如き魔獣の群れがいっぱいに映っていた。刹那前まではなかったはずの死が、鼻先で犇めいていた。

 アバドンは所構わず、不意に出現する。まるで最初からそこにいたが見えなかっただけという風に、瞬きをして目蓋を開けた瞬間には、大挙としてそこにいるのだ。時には鉄壁に構築された基地の司令室内に、時には軍事活動とはなんの関係もない長閑な田舎町に、時には街を埋め尽くすアバドンの大群に核兵器使用を決定した国の代表者が「神のご加護を」と呟いた瞬間、そのシェルター内に。あらゆる常識を度外視し、幾重もの外的防御策を無視して、忽然と出現する。

 現れた瞬間、アバドンは戸惑うような素振りを見せるのだが、それは最寄りに居合わせた者の驚倒による硬直を鑑みれば、あわれになるほど刹那でしかない。次の一瞬後には目に映る動く物をすべて破壊し、喰らい尽くす。そして不意に現れるアバドンだが、けっして消えることはない。一度現れたら死体となっても留まり続ける。

 生物学者に“破壊という概念の化身”とまで言わしめた如何なる生物にも類似しない恐るべき魔獣ではあるが、それでもその生態については、まさしく腐るほどある死体というサンプルをもとに着々と研究が進められた。しかし、ことその出現方法となると何一つとして解明されていない。ほんの些細な糸口でさえ、見つかっていない。

 これは地球外生命体からの侵略であり、アバドンは彼らによって転送される生体兵器であるとか、出現直後のアバドンが戸惑うような挙動を見せることから、彼らも何者かによって強制的に転送されているだけなのだとか、様々な仮説が飛び交ったがゴシップ記事のような憶測でしかなく、あらゆる物理法則を無視したその出現現象を科学的見地から解明することは不可能だった。

 生態に倣って一人の科学者の言葉を引用するなら、“種のない手品を見抜くことはできない”。もっとも、無神論者だった彼が科学を捨てて破滅論よりの宗教家に鞍替えしたという事実が、どんな言葉よりも雄弁にその栓なき不可解さを物語っていると言えよう。

 二十年前、アバドンの存在が初めて確認されたその日もまた、なんの契機もなく、いささかの予兆もなく、あまりに突然だった。大国の都市に忽然と現れた彼らを最初に目にした誰かの、喉も裂けよと振り絞られたであろう絶叫は、繁栄の断末魔であり、荒廃の産声、同時に未知なる脅威との二十年に及ぶ果てのない戦いの開幕宣言となった。

 そんな、まさしく降って湧いた未曾有の災厄にヘカトンケイルは有効であったが、その製造成功率の低さから総数が少なく、対するアバドンは無尽蔵。いつしか戦争は積極的な敵の殲滅戦ではなく、少しでも生き永らえるための消極的な防衛戦へと変わり果て、文字通り神出鬼没、否、神出であるアバドンの対策として人類は集団で纏まることを避け、規模の小さな長期生活型地下シェルターでの生活を余儀なくされていた。

 現在のヘカトンケイルの任務と言えば、そのシェルター間を行き来し、それの防衛と地上に既存するアバドンの活動範囲を偵察するというものがほとんどだった。長期作戦行動に長けるように造られた彼らの特性は、LRAR(長距離強行偵察)に極めて適していたのだ。

 この瓦礫の尾根を疾駆するヘカトンケイル、H09の任務も、いつも通りの偵察任務のはずであった――。

『まずいっ。熱源、さらに増加。感知範囲内だけでもその数、百四十三ッ……!』

 いつも通りとは言え、その任務はけっして容易はものではない。獰猛な魔獣が大挙して闊歩する地上を単独で彷徨わなければならないのだ。

 対アバドン用として開発されたヘカトンケイルだが、相手が数十、数百となれば、どうにもならない。現にH09の兄弟と呼ぶべき他のヘカトンケイルは月に一体ほどの頻度で、命を落としている――。

『……駄目ね。逃げ切れない。この状態でシェルターに駆けこむわけにもいかない』

 そして今度はH09の番だった。

 H09は脚をつっぱり、慣性に引き摺られ瓦礫の破片を撒き散らしながら身を翻し、立ち止まった。諦めではない。命尽きるまでの徹底抗戦を思わせる、覚悟の仁王立ちであった。

 小銃を跳ね上げ、迎え撃つ。正確無比な頭部への集中砲火で次々と前列のアバドンは薙ぎ倒されるが、それを足蹴にしながら猛り狂ったように全周から押し迫る赤い波。海に沈みつつある孤島にて海水を箒で払おうとするようなものだった。抵抗というにはあまりにむなしい。沈没はもはや避けようがなく、そしてそれはどうやら数十秒の猶予もない。五メートルという目に見える至近に、H09の死は迫っていた。

 死に往く相棒に、少女は切なげに、それでいて安らかに、別れを告げる。

『さよならね。神じゃなく、人に造られたあなたが天国に逝けるかはわからないけど、もし逝けたら、兄弟たちと仲良くね』

 H09は他のヘカトンケイルと会ったことがない。専用訓練施設で同期生だった他のバイオロイドは製造過程で不適合品の烙印を捺されて脱落し、眼鏡にかなった数名もサイバネティック・モジュールに適合できずに命を落とした。実戦配備されてからも強力で貴重なヘカトンケイルを一箇所に複数配置するような積極的な攻撃作戦は採られなかった。

 だからアバドンの牙に、爪に、角に、引き千切られる寸前に彼が思ったのは、他の兄弟たちはどんな姿をし、どんな声で話し、どんなことを考えているのか。

 ただそれだけを知りたかった――。




 サイの住居、ベッドに腰掛けたままの姿勢でケイルは不動であり続けた。

 まさしく鋼鉄製の彫像のようにただじっと座しているその姿からはおよそ計り知れないが、彼は眠っているのである。そして二十分後、おもむろに立ち上がった。これもまたたったの二十分間という短い時間からは推し量るよしもないが、彼は十分に睡眠を摂取し、目覚めたのだ。

 その二十分間にしたところで正体なく眠りこける一般的なそれではなく、些細な物音一つに鋭敏に反応するような、常人の感覚からしたらただ目を瞑っているだけというものに近い。

 長期単身作戦行動を旨とするように設計されたヘカトンケイル。その兵器の根幹たるバイオロイドは疲労の蓄積が少なく、またその少ない疲労にしても短時間の睡眠で回復できるように生体サイクルを調整されていた。一週間程度なら食事を摂らず、排泄さえもおこなわずに不眠不休で動き続けることが可能だった。

 ケイルが外にでると、強く照り始めた陽とは対照的に、村は静まり返っていた。皆が夜通しの救護作業で疲労困憊し、休んでいるのだ。先ほどケイルを一目見物しようと集まった村民たちにしたところで、好奇心がわずかながらも疲労を上回っただけであり、まさか客人であり恩人である奇怪な男が一刻も経たずに活動し始めるなど、まさしく寝具のなかで夢にも思っていないだろう。

 森閑とした集落をそぞろ歩いていたケイルは、まず狼男の死体を投棄することにした。死体を側に置いておくのは衛生面でも、精神衛生の面でも良くないからだ。研究者でもないかぎり誰もが触れるのを忌み嫌う魔物の死骸、そうでなくとも無数の蝿がたかり、吐き気を催す悪臭をはなっているが、ケイルは躊躇なく担ぎ上げ、郊外の雑木林に運び、一箇所に重ねるように放置した。あとの処理は微生物の仕事である。

『まったく。面倒見がいいことで』センサーから臭気を察したアーシャが顔を顰めて鼻をつまむ。『いい臭いが移っちゃうわよ』

 強化外骨格及び環境適応式マスクには呼気の内循環システムがあり、外気を完全に遮断することも可能だったが、有害なガスにでも曝されないかぎり、ケイルは使わなかった。戦場で生き残るためには臭いも重要な情報なのだ。不快だからという理由だけで、あえて死角を一つ増やすような人間らしさを、ヘカトンケイルは有してはいなかった。

 作業を終えたケイルは、次に家屋のおもてに投げだされている破損した鍬や鋤をいくつか失敬した。もちろん、土いじりをしようというわけではなかった。鉄製の部分のみを取り外し、腰部の後ろに取りつけられた強化繊維製の密封バックパックから取りだした小さな糸鋸のような形状の高熱溶断器を用い、適当な大きさに切断し始めた。鉄製の農機具はたちどころに細長い鉄板状に加工された。

 次に背の小銃を手に移すと、銃床上部のハッチを開け、加工した鉄片をそこに挿しこんだ。すると、小銃がブウウンと微細な振動を始め、銃床がほのかな熱をはっする。悪寒に身を震わせる小動物と譬えればことさらに不可思議に思えるかもしれない。ただその微動は本当にわずかなものであり、それを諸手に握るケイル当人にしか認知できないほどか細いものであった。

 ケイルは自身のサイバネティック・モジュールでウエポン・ステイタスを視界に映す。機関部、銃身、空気圧縮装置、照準センサー、異常なしを意味するグリーンの文字列が忙しなく流れる。装弾数は矢状弾が三十二発、通常弾が九十八発だった。

 ほどなくして小銃の振動が止まると、ハッチ側面に埋めこまれた小さなランプがぽっと緑に点った。ハッチの反対側、銃床下部にある不純物排出孔から砂や細かい鉄粉がぱらぱらと落ちる。

「やはりゴミが多いな」

『金属精製技術も中世レヴェルなのかもね』

 アーシャとぼやきながら小銃側面を叩いて不純物を完全に排出すると、ケイルは再びステータスを確認する。驚くべきことに、装弾数は五十、百二十に増えていた。それが最大装填数である。鉄片を挿しこんだ直後に装弾数が増えたという事実が意味するところは単純明快、農機具のくず鉄が弾丸へと変わったのだ。

 ケイルの持つ長身銃は圧搾空気利用型ニューマチック小銃である。正式名称、MCモデル・レイピアABR2。通称レイピア。エアバトルライフルという制式小銃に分類される。

 形状こそ人間工学に基づいて直感的な操作が可能ないたってシンプルなブルパップタイプであるが、ヘカトンケイルのサイバネティック・モジュールにリンクした各種センサーが内蔵され、さらに長期活動により補給が受けられないことを踏まえ、適当な鉄片があれば弾丸を自動に生成する機能を備えた特別仕様である。

 そのせいで基本モデルよりもかなり大型になり、ブルパップのメリットであるはずの取り回しを活かしきれているとは言い難いが、約十キロという機関銃なみの重量については強化外骨格の人工筋肉によりデメリットにはなりえない。

 ケイルの世界では、地上での跋扈を欲しいままにするアバドンの被害により慢性的な資源不足に悩まされていた。それは軍需にまで及び、薬莢や火薬などを極力使わない、いわゆるエコな銃器の開発が急がれた。無薬莢ケースレス弾薬の実用化に始まり、果ては光学兵器や電磁誘導兵器など、様々な有象無象が研究開発されたが、個人運用にもっとも実用的だと結論づけられたのがニューマチック兵器だった。それらは従来から存在していた競技用または狩猟用のエアライフルを元に開発された代物だが、軍用というだけに従来の物とは性能は較べものにならない。火薬を使用する一世代前の銃器に勝るとも劣らない。

『ってゆーか、わざわざそんな薄汚い鉄くずを使わなくても、まだ支給されたレイピア用の弾倉はあるでしょ』

 アーシャは呆れたように言うが、ケイルも呆れたように鼻を鳴らす。腹部に連なったマガジンパウチをぽんぽんと叩く。

「ここは瓦礫の山とは違うんだ。鉄は貴重だろう。長期活動支援用のお前がそんな怠けたことをいうなよ」

『お茶目なこというのもアーカーシャ・ガルバの仕事なの。死が二人を別つまでっつってね』

 ケイルは傷病者が詰めている村中央の大きな家屋に赴いた。うなり声や咳がところどころから聞こえるが、昨夜の慌ただしさが幻であったかのような静謐に包まれていた。付き添いの村人たちの姿もあったが、大半の者が傷病者の側で突っ伏すように寝ていたので、ケイルは代わりに一人ひとりを診て回った。

 圧迫止血を処していた者の患部の血を抜き、再び圧迫し直す。熱病者の頭や脇の下に冷たい水で濡らした布をあてる。例のごとくどこかぎこちない、先の弾丸生成の折に見せた手際からは想像できないような不器用な手つきであった。

 起きていた者は例外なく感謝の言葉を述べるが、ケイルは小さく頷くだけで次の傷病者に向かう。それは慈愛に満ちたものではなく、酷く淡泊な態度だった。介抱をすべきだからそうしているだけというような、いってしまえば事務的な所作である。その外観を加味すれば機械的とさえいえたものであったかもしれない。

 しかし、そんなケイルを見る負傷者の眼差しには否定的な色合いは見いだせない。彼らとて慈愛や憐憫を望んでいるわけではないのだ。ただ助かりたい、ただ楽になりたい。苦境に人が思うのは、そのようなわかりやすい願いであり、不要な言葉を一切吐かず淡々と処置を繰り返すケイルの姿は傷者の願いを体現しているといえた。床に臥せりながらも皆がを何か神々しいものを見るように異形の姿を目で追っていた。

 家からでたケイルはぼやいた。

「やることがないな」

『さっきからまあ細々と、ワーカーホリック丸出しね。ゆっくりすればいいじゃない。あなただってこんなのんびりできるような状況、生まれて初めてでしょうに』

「のんびりできるような状況なのか。お前のスパコンが俺たちの現状に答えをだしたのか?」

『わかんなーい』

 口を半開きにしてだらりと舌をだし、視線を虚空に投げだすアーシャ。思いっ切りアホっぽい。というか馬鹿にしている。顎を下げじっと睨むケイルの視線を受けて、アーシャは鼻を鳴らした。しげしげと周囲を見渡してからあらためて口を開く。常に薄ら笑いを孕んだような不遜な声色は、少しだけ真剣になっていた。

『だって、私のスパコンが“わかんない”って答えを弾きだしちゃってるのよ。慌てたってしょーがないじゃない。知識アーカイブの過去の歴史をさらってみたけど、ここは、私たちの世界のどの時代にも存在していない。文明の発展レベルは中世ヨーロッパと類似するけど差異も多い。そして、ここが私たちの宇宙の違う銀河の惑星だとも考え難いわ』

 空を指差すアーシャ。細い指先は淡い光暈こううんの輪をかたどった太陽を示していた。

『だって天体の位置や動き、方位の磁針測定による北極と磁北極のずれ、すべてが私たちのいた惑星と寸分も違わず合致しちゃってる』

「そうか……」と驚いた風もなくケイルは低くうめいた。

 彼も自身の置かれている特殊な状況の正体を察しており、アーシャの言葉でそれを確信に変えたのだった。いや、察するという言葉も確信という言葉も、正しいとはいえない。現状についてすべて隈なく明察しているとは到底いえず、状況を鑑みたときに一つしか思いうかばない科学的理論を脳裡の片隅に抱いていただけなのだから。そしてその科学的理論とて、とても明快といえた代物ではないのだから。

『おそらくここは、並行世界』

「……平行宇宙か」

『パラレルワールドと呼ばれる場合もあるわね。呼びかたは多々あり、仮説も然り』

 アーシャは薄く瞑目し、人差し指を顔の前でぴんとたて、自慢げに語ってみせた。

 137億年前に起こったビッグバン。その過程で無数の、無限に近いほどの同一次元を持つ宇宙が生じた。その同一次元を持ちながら交わることのない無数の世界を並行世界と呼ぶ。

『――というのが代表的な仮説の一つ』

「その言いぶんだと、いまだ証明されてない理論みたいだな」

『そう。人類が自分たちの宇宙の端っこに到達できれば、解明できるかもね』

「それ以前に人類がアバドンの災厄を生き残れるのか……」

 ケイルはぼそりともらす。それは彼らがいた元の世界が陥る危機を切実に言い表した独白であったが、彼の置かれた不可思議極まる現状への諧謔と皮肉が滲んでいた。

『話を並行世界に戻すけど、さっき言った通り、並行世界は無数に存在している。すべてのイフに、あらゆる可能性に対応しているがごとくね。たとえば私たちのいた世界とほぼ同一、差異といえばあなたの身長が一センチ高いだけの世界もあれば、惑星環境は同一なのにその上で起こっていることはまるっきり違う、という世界もある』

「ここのようにか」

『ズバリ。ま、現状を鑑みるとその仮説が一番近いというだけの話。推察でしかないし、証明のしようがないけれど』

 アーシャは煮え切らない態度で嘆息を吐き、栓のない議論を結んだ。

「……あの瞬間、俺は死んだと思ったんだが」

『私もそう思ったんだけどね。でも次の瞬間にはあの部屋にいた』

「そういえば、お前ずいぶん良いこといってたもんな。さよならだとか、天国がどうとか」

 ケイルは頭部を傾げてアーシャの顔を覗きこむと、ややおどけるように肩を竦めた。途端にアーシャはきっとケイルを睨みつける。だが如何せん、恥じらいに染まる白い頬と拗ねるように突きだされた唇は迫力とは無縁であった。

『なんの話よ! そんなくっさいセリフ、一体どこの誰がいったってのよ。私はあの瞬間、真の姿に変身しようとしたんだっつーの!』

「意味がわからん……」

 サイの家屋のある丘を村とは反対方向に下り、薄い雑木林を抜けると、小麦であろう穀物の畑が広がっていた。収穫の時期は近い。膨らんだ小麦は茎もたわわに実っている。微風に撫でられるたびに金色の海のごとく波うち、さらさらと鳴っていた。

 突然、アーシャは駆けだした。ランランララランランラン、と歌いながら小麦畑を跳ね回り始める。それはケイルの意識のなかの出来事であり、彼女は実在していないので、当然、小麦が倒れるようなことはなく、背の高い麦穂が半透明の身体のなかで透けている。

「……なにをしている」

『キャッチャー・イン・ザ・ライ。ライ麦畑でつかまえて。さあ、私をつかまえてごらんあそばせっ』

「あそばせて……。物理的に存在してないお前を捕まえるのは物理的に無理だ」

『真面目かっ!』

「お前、こっちの世界に来てからちょっとおかしくないか? 前はもう少しまともだった気がする」

『心配された!?』

「いや、お前がおかしいということは、俺のサイバネティック・モジュールに異常が……」

『真面目過ぎる!』

 真面目な話、アーシャは壊れてしまったわけではない。ヘカトンケイル専用の長期単身作戦行動用支援システムであるアーカーシャ・ガルバは、その存在理由に則って、ケイルをリラックスさせようとしているのだ。

 ヘカトンケイルが単身で長期作戦行動に従事するために造られたのがアーカーシャ・ガルバ。アーカーシャ・ガルバはヘカトンケイルの戦闘を戦術面で支援し、時には雑談し、時には談笑し、時には喧嘩さえもおこなうために存在する。

 アーカーシャ・ガルバの科学的理屈を説明するのはいささか困難である。まず、アーカーシャ・ガルバは単なる人工知能ではない。人工知能を限りなく人間に近づけたとしても、結局は人間に類似する存在でしかなく、所々に齟齬や矛盾が生じ、始めは些末に感じるそのわだかまりが、長期に渡る行動のうちに致命的な決裂を生む。

 そんな、いうなれば相性の問題面をクリアするために採られたのは、ヘカトンケイルの脳にまでインプラントされているサイバネティック・モジュールを利用し、べつの人格を形成するという手法だった。人為的に生みだされた脳内の相棒である。

 しかし、それは二重人格ではない。強化外骨格の下に纏うインタフェイスアーマには膨大な知識と諸々の情報を処理する人工知能に準じる機能が備わっており、アーカーシャ・ガルバはそれと脳内の人格を掛け合わせたハイブリッドである。

 また強化外骨格に備わった様々なセンサーから得られる情報もアーカーシャ・ガルバが処理し、戦術支援に利用する機能から、バイオロイド単身では手に余るヘカトンケイルの全性能を有効に活用するための役割分担といった側面もある。

『まったく。バイオロイドってのはみんなこんなにノリが悪いのかしら。訓練所でノリ突っこみぐらい習得させるべきね』

 アーカーシャ・ガルバの人格はその基礎形成過程において、数十種類のなかから使用者であるバイオロイドに一番適したものが選定される。以降はテスト調整と実際に使用していく過程でもっとも相応しいかたちに自然形成されていく。

 つまりアーカーシャ・ガルバの姿や言動、思考パターンはすべて同一ではなく、バイオロイドによって様々なのである。このアーシャはケイルのオリジナルなのだ。

「……」

 もっとも相応しいかたちのオリジナル。正直、それについては懐疑的にならざるを得ないケイルだった。

 小麦畑に沿った小径を歩いていくと、大きな尾根があり、尾根の頂は墓地だった。墓地といっても墓石も何もない。ただ大地を掘り起こして遺体を埋葬したであろう盛り土が等間隔に広がっているだけだ。しかし墓石の有無は文化の違いでしかなく、まだ摘んできたばかりの瑞々しい花がたむけられている埋葬塚の多さが、この世界の、少なくともこのポルミ村の住民たちの死者を尊ぶ想いの強さを物語っていた。

 墓地には三人の村人の姿があった。シャベルで穴に土を放る壮年の男と、その側で跪き両手を組んで静かに嗚咽をもらす年若い娘。年恰好のぐあいから親子であることが知れる。

 そしてまだ十歳そこそこである一人の少女が、血に塗れた女の遺体を背負って歩いていた。少女よりも背が高く重い遺体、垂れた爪先が地に引き摺られている。少女の膝は加重にがたがたと嗤っていたが、それでも定置に辿り着くと遺体を優しく横たえ、息つく間もなく置いてあったシャベルで土を掘り始めた。

 ケイルは少女に歩み寄り、片手を差し伸べた。

「代わろう」

 あさ黒く陽灼けした黒髪の少女は、呆然と奇怪な大男の爪先から頭までを見つめた。やがて、胡乱の眼差しをきつく吊り上げ、強く唇を結び、激しく首を横に振って拒絶した。

「いや、怪しい者じゃないんだ。大変だろうから代わろう」

 これでもかというほど面妖な者がはっする怪しい者じゃないという言葉に説得力があるかははなはだ怪しいが、ケイルの奇相を差し引いたとしても拒否するであろう強い意志のこもった態度で、少女はシャベルごと腕を胸許に引き寄せ、ぶんぶんとさらに強く首を振る。

 ケイルが少女から後ずさると、先ほどの親子が埋葬を終え、彼らに近づいた。

「あなたが村を助けてくださったかたですね」父親であろう壮年の男が力ない微笑をうかべる。「ありがとうございます」

「いや、いいんだ」

 ケイルはいいながら、隣の女の鋭い視線にはたと目を留めた。男の娘である彼女は、彼らの足許で墓穴を掘り続ける少女が先に見せたものよりも痛烈な敵意を孕んだ眼光を、その泣き腫れた目許に宿していた。

「なんで……、なんでもっと早く助けてくれなかったの」

「こら! お前はなんてことを言うんだ」

「だって、お母さん死んじゃったんだよ! もっと早く来てくれればお母さんだって」

「やめないか!」

 父親の怒声に娘は口を噤み、村のほうへ走り去った。

「本当にすいません。恩人の魔道士様に向かってとんでもないことを」男はこうべを垂れ、目を伏せる。「母親を失ったのです。どうか許してやってください。後でいって聞かせますから」

 つまり彼の妻でもあるのだ。

「いや……、いいんだ」

 ケイルは同じ科白を繰り返し、黙々と土を掘り返す少女に目をやる。男もその眼差しを追って、憔悴の滲んだ嘆息を吐いてから重々しく口を開いた。

「彼女も今回の襲撃で母親を失ったのです。父親も二月ほど前に魔物に襲われ、亡くなってしまいました」

 見ると、少女が掘っている穴の隣には、もうすでに一つ埋葬跡があった。父親の墓だった。盛り土には昨日のものであるややしなびた草花が供えられている。少女の手によるものなのか、あるいは母親か。どちらにせよ、今日はその上に新たな一輪が重ねられることはないだろう。

「じゃあ彼女は一人なのか?」

「はい。どこか余裕のある家があればいいのですが、おそらくどこも自分の家のことで手一杯でしょうから、彼女は一人で生きていかなくてはならないでしょう」

 しばしの沈黙。うら寂れた墓所には土を突く硬く冷たい音だけが淋しげに響いていた。

 ケイルは男に向き直ると、片手に持っているシャベルを指差した。

「それ、貸してくれるか?」 

 穴の側に立つケイルの姿を認めると少女は再びきつい視線を投げかけたが、その手にシャベルが握られているのを見て取って、表情から敵意が消えた。真意を計りかねるといった半目で、じっと見据える。

「手伝おう。それならいいだろう?」

「……」

 少女は返事をせず、黙って穴掘りを再開した。無言の肯定なのか、追い返すのを諦めたのか。その様子からは判別できなかったが、並んで穴掘りに加勢したケイルを、少女は邪険にしようとはしなかった。

 ケイルの助勢もあり、一時間もかからずに埋葬作業は終了した。墓の側で跪き、両手を組んで黙祷する少女。年齢にそぐわない殊勝な態度と手際は、埋葬に慣れてしまうほどの、たとえそれが自分の両親のものであってもそつなくこなせてしまうほどの残酷な日常を推し量るには十二分であった。

 ケイルは黙祷に倣おうとはせず、黎明のなかで祈る少女をまじろぎもせずに双眸に映していた。

 黙祷を終え、少女は両親の墓前に立ち尽くす。彼女に次に何をすべきか教え、農村での生きかたを導く存在はもういない。ただ俯くしかすべのない少女に、ケイルは小さく問い掛けた。

「奴らが憎いか?」

 突飛な問いに、露骨に不審な表情をする少女。しかしケイルの面頬、淡く赤い光を宿す丸く貫かれた二つの透過体を魅入り、ほどなくして強く頷いた。扼腕した両の小さなこぶしはわななき、唇を噛み切らんばかりに口をきつく結んで、何度も何度も頷いた。目尻に涙をうべているが、眉間には激情を湛える深い皺が刻まれていた。

 少女が初めて見せた感情らしい感情。ケイルはただただそれを見下ろしていた。涙を湛えなければならないほどの、深く、強い、憎しみを、じっと観察するように、辛抱強く確認するように。

 一体と一人、それ以外には誰もいない墓所に、早朝には相応しくない悪魔との契りの完了を告げるような底冷えを覚えさせる風がびゅうと駆け抜けた。そうしてケイルは、何も言わずにその場を去った。

 少女は、優しく、奇妙で、そして恐ろしい何かを孕んでいるような異形の者の後姿を、見えなくなるまで目で追っていた。





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