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異形の魔道士  作者: IOTA
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エピローグ 異形の魔道士




 少年は薄闇のなかで絵を描いていた。

 棒状の炭の切れ端を握り締め、両手を真っ黒にしながら、がりがりと床を殴りつけるように描き続ける。

 最近、少年の周りの大人たちの間で、ある噂が絶えなかった。

 四年ほど前、大陸でもっとも強大な国力を有していたライガナ王国が陥落したらしい。それも異形の戦士率いるたった数人の一派によってなされたらしい。同時にその一派は魔物出現への関与が疑われていた反逆者をも討ち滅ぼしたらしい。

 らしい、らしい、らしいだ。少年が現在身を寄せる集落は大陸の最東に位置する小国の辺境だった。二月に一度訪れる行商人や町に農作物を卸しにいく御者が持ちこむ情報といえば、きまって“何年前”という前置きで始まり、“らしい”で結ばれるものばかりだ。

 それでも村人は夢中になり、顔を合わせればその噂についてあれやこれやと憶測を交えた討論で盛りあがった。カビが生えたような噂であっても、ことがことである。魔物出現に纏わる問題は彼らの生命と直結しており、無関心になれる人間などいるはずもなかった。

 そしてそれは単なる空論に留まらず、徐々にではあるが現実の生活に影響を与え始めていた。つまり、魔物による被害の減少である。以前はこの辺境の村でも、例の腐臭ただよう風の噂には必ずといっていいほど他所の集落が壊滅したという凶報が含まれたのに、件の噂が示す四年ほど前から、そういった暗澹とした事件は減っていた。

 ――ただ、それらはあくまでも最近の事情であり、まさに今現在の集落が陥る状況とは大きく異なる。この少年からしたら実感もできず、もはや関係のない話なのであった。彼は二年前に家族と故郷を失っている。魔物の襲撃に遭い、村はほぼ壊滅。生き残った数人で縁故を頼って今の集落に移住してきたのだが。

 がりがりがりがり。狭くて湿った穴ぐらのなかで、隙間から射す微光を頼りに少年は絵を描き続ける。一心不乱に、憑かれたように。外からの叫喚をかき消すために。

 今は、この集落が魔物襲来の渦中にあった。

 減少傾向にある魔物被害だが、なくなったわけではない。それを出現させる根源が消えたとしても、すでにこの世に根をおろした魔物までもがそれに倣ったわけではないのだ。

 二日前、徒党を組んで獲物を狩る大型の魔物の急襲を受けた。男たちは防護柵越しに果敢に抵抗して第一波を退けることに成功したが、辺境にあるこの集落に救援はありえないという内情を知るかのように、魔物は村を包囲し、消耗戦をしかけていた。

 そしてつい先ほど、いよいよ防護柵の一角を突破した魔物は村のなかに雪崩れこみ、虐殺の猛威を振るい始めていた。少年は、彼の母親の代わりをしている優しい小母さんの家屋にて、隠れていろと居間の戸棚のなかに押しこめられた。

 人間の喚声が聞こえる。悲鳴が聞こえる。うめき声が聞こえる。時が経つにつれ減っていくそれと反比例して、魔物の吠え声が響く。叫びが響く。笑いが響く。

 人間の恐怖と絶望、魔物の欲望と狂喜。それらがひっきりなしにこだまする小箱のなか、少年は耳を塞いで絶叫したい衝動を堪えながら、けっして床に絵を殴り描くのをやめようとはしなかった。

 集落で囁かれていた噂には、大人があまり熱心にならなかったものもあった。

 反逆者を討ち倒した一派のなかの一人が魔物討伐の旅を続けているらしい。たった一人で、町から町へ、村から村へ、国を跨いで、魔物の噂を聞きつければ、それがどんなに小さな集落でも見捨てることなく魔物を狩りに現れる。しかも、依頼を受けて戦う傭兵ではなく、金品目当てではないのだそうだ。

 自国ならまだしも他国までとはありえない。そのものにどんな利点があるのだ。子供騙しの英雄譚ではあるまいし。現実的な大人たちはそんな言葉でその噂を一笑にふしたが、少年はそのたった一人の勇者にこそ興味をひかれた。

 がりがりがりがり。

 だから絵を描いている。勇者の容姿に関する情報は、筆舌し難い面妖な姿をしているということだけだった。少年の想像は膨らみ、様々な姿の勇者を描き続けた。大剣を担いだたくましい騎士。獲物のトロフィーを腰に鈴なりにした弓手。踊り子のような衣装を纏った妖艶な魔術士。

 ただ、そのどれもが共通して奇妙なかたちの兜を被っていた。以前、子供が遊びで描いたとは思えない凛々しい画を覗きこんだ大人たちは、それを台無しにしている勇者が頭にいただく異物を見て訝ったものだ。少年自身にもなぜだかわからないが、面妖な姿という話を耳にした瞬間、彼の頭のなかに湧きあがった確たるイメージだった。

 ふと、少年は聞こえてくるのが魔物の吠え声だけであることに気がついた。人間の声が聞こえないのだ。もうみんな殺されてしまったのだろうか。それにしては、ただならぬ様子で魔物どもが喚き続けている。

 ――ウオオオオォォン

 一際大きな魔物の怒号と、それに続く扉が突き破られた破壊音に、少年はすくみあがった。けむるほどの獣臭が家のなかを満たし、ずしんずしんと床を踏み鳴らす巨獣の跫音と喉を鳴らすうめきが少年の潜む戸棚に近づく。

 がりがりがりがり。それでも彼は描くのをやめない。涙がこぼれ、炭を持つ真っ黒の手には血が滲み始めていた。

 足音が止まる。血の臭いのまじった荒い息遣いが少年の前髪を揺らした。隙間からの寂光が遮られて手許が見えなくなった少年は、恐るおそる顔を起こした。凍りついた心臓から駆けのぼった細い悲鳴がこぼれでた。

 ぎらぎらと鈍く光る金色の目玉がわずかな隙間から少年を凝視していた。

 がたんと、乱暴に戸棚の引き戸が開けはなたれようとした。

 その瞬間、この世のものとは思えない凄まじい叫びが空間を震わせた。

 一拍の静謐を経て、隙間から見える双眸の瞳孔が見る間に開いていき、やがて床に沈んだ。熱気をはなつ鮮血が流れこんでくる。

 少年は震える手でそっと引き戸を開けた。

 彼の足許には狼と人間を掛けあわせたような大きな魔物が倒れ伏していた。人狼と呼称され、現存するなかではもっとも兇暴であり、傭兵でさえ戦うのを恐れる魔物だった。それが、砕けた脊柱が見えるほど大きな孔を背に穿たれ、死んでいる。

 じゃり、と砂を踏む音に、少年は視線を跳ねあげ、そして見た。

 破壊された扉の外、陽を後光のように背負い、奇妙な杖を携えた一人の少女が立っていた。

 少年よりは年上であろう、おそらく歳は十五ほど。丸みを帯びた鈍色の奇妙な兜は明らかに彼女の頭部に合っておらず、斜に傾がってしまっているが、後端から覗く散切りの黒髪と、首筋や手足といった地肌がさらされている部分の健康的な褐色とが不思議な調和を生み、不似合だとか不格好といった印象は抱きえない。

 腰に巻きつけた幅の広い無骨な装帯、左には面妖なぬいぐるみを、右には奇怪な形状の面頬を括りつけていた。杖のような得物を肩に預け、その腰に手をあてた彼女は、石のような硬質な無表情で少年をじっと見つめていた。少年もまた、ぽかんと口をあけ、身動ぎもできずに見惚れていた。

 そのおかしな姿形と強力な付呪武器を巧みに操り魔物を狩るさまから、『異形の魔道士』と謳われるその少女は、かすかに目を細めて、口許を緩めた。まるで、ずっと大切に仕舞いこみ、必要な時だけ人目に触れさせるような、宝物のような微笑みだった。

 そして、かつて自分がそうされたように、少年にこう問いかけた。

「奴らが憎いの?」

 腰で揺れる奇妙な面頬の双眸が、淡く、赤く、光ったかに見えた。





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[一言] 自分の貧相な語彙力では表せませんがとても心にくる素敵な物語でした。
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