55 決着
転位の魔道とは、いわばルールを破壊する術である。
チェスにたとえるならば、他所の盤上の駒を無造作につまみあげ、意のままのところに配置できるようなもの。
いや、ミリアの無分別な行使を鑑みれば、持ち駒の箱のなかに手を突っこんで、鷲掴みにしたそれをばら撒くといった感覚のほうが適切かもしれない。
ルールのうちにいるものにとって、抗うすべなど皆無であるかのように思えるだろう。勝利や敗北、以前の問題。戦いにさえもなりはしない。そもそも彼女は対戦席にさえ着いていないのだから。世の理を逸脱した、命ある存在への反則的行為。それを神の力と呼ばずしてなんと呼ぼうか。
だがしかし、ミリアはけっして神ではない。神の力の一端を有した人間でしかなく、そしてその力は万能ではない。
できることとできないことがはっきりしている――
「転位の魔道は他宇宙の存在に自在に干渉できる。でも、自身が存在している次元の生命には干渉することができない」
今やその荘厳さを語るものがついえた純白の回廊。ミリアが最後に目撃された右棟を目指して、サイ、ゼロット、リルド、スーラ、アカリの五人は駆けていた。
負傷者ばかりの生存者、そうでなくとも武芸も魔術も心得のない、いち都民でしかない彼らに戦力など望むべくもなく、結局、満足に動けるのは彼女たちだけだったのだ。
「スー姉ちゃん……。悪い。もうちょっとわかりやすく頼むよ」
「ミリアの魔道はもうすでにこの世界に存在している生命には及ばないということよ」
弾む呼気の合間に継がれる姉妹の声はやや弱々しい。
ライアスをはじめ、生存者のなかには一刻を争う致命傷を負っていたものも多く、彼らに治癒魔術をほどこしたことにより二人は疲労を余儀なくされていた。
一刻を争うというのなら世界の明暗もそうであり、それは時間と体力の浪費と責められても仕方のない行為かもしれないが、確実に救える目の前の命を蔑ろにしてでも大局を優先する冷酷な合理性を、彼らは持ち合わせていなかった。
考えうる最善の結果を勝ちとるために、あえて困難な選択をしたケイルとグレイスの決断に通じるものがある。
そうでなくとも運動が得意ではないスーラは息も絶え絶えになりながらも、レイアの側近として二十年かけて究明した事実を一言でも多く、正確に帯同者たちに伝えようと言葉を続けた。
「つまりね。魔道を使って自分がどこかに逃れたり、私たちをどこかに飛ばすとか、そういったことはできないはずなの」
その推察が真実であることは多くの状況証拠が裏づけていた。
たとえば、仲たがいをしながらもミリアがレイアと世界をともにし続けたこと。レイアを亡きものにするために刺客を送りこむという間接的な方法しか採れなかったこと。そして何より、ミリアにとって邪魔者に違いない彼らが今もまだこうしてこの世界に留まっていること。
それを聞いたサイは眉間に皺をつくり、躊躇いがちに口を開いた。今俎上にのせるべき問題ではないと自覚しつつも、いわずにはいられなかった。
「じゃあ、ケイルたちはもとの世界に帰れないのかい……?」
「そう……。転位の魔道によって導かれ、今やこの世界の存在となった彼らには、もう帰るすべがない」スーラは俯くように首肯して、達観めいたものがまじった苦笑をもらした。「当人たちはそんなことまったく気にしていないようだけれど。ケイルさんにいたっては訊ねようともしなかったわね」
機械化兵装たちは帰郷を望まない。アバドン出現現象の解決策がここにあるという話を聞かされれば、それも当然といえた。しかし、では仮にそういったこの世界にこだわる理由がなければ彼らが帰郷を望むかといえば、それもあやしいところだ。
サイとゼロットが思いだすのは、ずっと心の底に引っかかっていたヒルドンの宿屋での遣り取りだった。親はおらず、魔物と戦うためだけの兵器として製造されたというケイルの冷たい告白。親も、友人も、待ち人もおらず、絶望しか待っていない故郷。彼らが帰りたいと思う理由は一つもない。
「そもそも、彼らをこの世界に呼んだのはレイアなのよ。レイアは対象が望まないのに無理やり召喚したりはしない。それは断言できる」
そう。逆にケイルらがこの世界に固執する理由はミリアだけではないはずだった。もとの世界になく、この世界にあるものは、諸悪の根源だけではないのだ。だからこそ二人は決着から遠ざかり、サイたちにこの場を委ねたのだ。
絶望の世界から訪れた機械化兵装たちに、かたちのない大切なそれを与えた彼らは、むしろそのことを誇りに思うべきなのかもしれない。
一拍の会話の寸断にちらりと前方を確認した一同は、怪訝そうに表情を曇らせた。突出して先頭を駆けるリルドは心ここに在らずといった様子で俯いている。彼女は王都の惨状を目にしてからというもの時折、今のように物思いに沈んでいた。
「あんた、大丈夫かい……?」
大丈夫であるはずがない。理解しながらも、サイは控えめに声をかけるしかなかった。
リルドは他のものとは違い、親族や近衛兵団の部下など、多くの親近者をこの王都に持つのだ。ましてや都を地獄絵図に変えた犯人は彼女が信奉していた第一王女なのである。
「ええ……聞いていますよ。ミリア様の魔道によって直接私たちが攻撃されることはないということですね」
振り返って頷くリルド。その動作は急く足取りに反して緩慢であり、けっして目を合わせず、浮かない顔色を仲間たちに見せようとはしない。心痛という言葉では形容しきれない複雑にすぎる彼女の胸のうちは所作からにじみだしていた。
「しかし、魔物を召喚する能力が脅威であることに変わりはないのでは?」
気丈な態度と殊勝な質問。その裏で渦巻く狂おしいほどの激情。それを垣間見たスーラは表情を引き締めて頷いた。
「そのとおりです。でもその脅威はミリア自身にとっても脅威なのです。彼女は猛獣使いではないのですから、魔物はミリアにだって等しく牙を剥くでしょう」
「じゃあ、ある程度近づくことができれば、魔物の召喚を封じることができる?」
リルドの後ろに続くアカリが横顔を振り向けて結論を急いた。しかしその念押しの確認に、スーラは不安そうなうなり声を返す。
「封じるといったら少し楽観的かも……。身の危険を思えば不用意に魔道を行使できないというだけよ。正直なところ、彼女にそこまでの常識が通用するかどうか」
現にミリアはレイアを手にかけた怪人を自身の寝室に召喚しているのだ。魔道士でしか感じえない領域で事前に自身に類似した破滅の思想を、つまり利害の一致を予見していたとしても、あの恐ろしい怪人と密室で二人きりになるなど、常識的に考えたら賭けとしてさえ成立しない。自殺行為である。それをミリアはやってのけたのだ。
サイは渋面をつくって鬱陶しそうに後ろ髪をがりがりと掻いた。
「くそ。何をしでかすかわからない狂人が待ち構えているところに、捨て身覚悟で飛びこむしかないってことかい……。面白くない話だね」
「……でも彼女の力も無尽蔵ではないはず。あれほど強力な魔物を短時間のうちに無数に召喚させたのだから、きっと限界は近いはずよ。……これも希望的推測なのかもしれないけれど」
知識を総動員して魔道士を打倒する糸口を探し、それを口にするスーラであったが、どうしてもその語勢は振るわないまま結ばれてしまう。
立ちはだかる困難な現実に、一同の言は途絶えた。靴音も心なしか勢いを失うも、外からの絶えることのない激しい戦闘音が、女たちの足に次の一歩を急がせた。
ケイルとグレイスの死闘は続いている。彼らの献身によって安全が確保されているうちに、ここにいるものだけで決着をつけなければならないのだ。
サイがはたとアカリを呼んだ。
「そういえば、あんたはどこで事情を知ったんだい?」
「ジュディさんから教えてもらったんだよ。シェパドあにきの仲間の人たちで、王女を暗殺しようとずっと王都で活動してたんだ」
「ジュディ? なるほど。あなたは彼女たちと行動を共にしていたのね」
聞き覚えのある懐かしい名にスーラは声を弾ませた。少女が抱える六連の先込め銃はヒルドンでの経緯を詳しく知らないものにも異邦人との繋がりを思わせるものがあったのだ。
「彼女は無事なのかしら。今どこに?」
しかし、つき先ほどまで王都で繰り広げられていた果敢な救助活動とその結末まで察せられるわけもなく、スーラは気安い調子で問うてしまった。
アカリはさっと視線を進行方向に戻して俯く。皆に背を向けながら、悲痛を噛み殺し、かろうじて声を圧しだした。
「暗殺に失敗して……それでも一人でも多く助けようと頑張ってたんだ。でも、みんなが来るちょっと前に、ホーバスさんも、耳の長い異人の人たちも、あたしを助けて……」
「……そんな」
再び会話が途絶え、より濃密な暗澹が皆の心に重くのしかかりそうになるも、サイの荒っぽくも力強い嘆息がそれを振り払った。
「終わらせなきゃね。もう二度とそんなことが起きないように。あたしたちの手でさ」
一同はやがて東棟の三階に到着した。
白いばかりだった回廊は、赤い絨毯が敷かれ、壁面には絵画や彫刻が並ぶ、落ち着いた雰囲気へと装いを変えていた。居室や客間が連なる居住階である。以前、サイとゼロットがケイルの登城に付き添った時、待機を強いられた客間もここにある。
リルドが足を止めた。右手側に等間隔で並ぶ蔀窓の一つ、大理石の角が粉砕され、破片が散らばっていた。ここはつい先ほどケイルがミリアに牽制射撃を見舞った地点に相違ない。
埃のように薄く積もった粉塵の上には痕跡が二つ。
一人分の足跡と、点々と続く血痕。
邪悪な魔道士の血の導きは、すぐ近くの一つの部屋の前で途切れていた。
「……ここはミレイユ前王妃様の居室だった部屋です」
口にして、リルドは抜刀に備えて腰の刀剣の鯉口を平行にした。ある覚悟に腹を括ったその面持ちは、今や危険なほど血色を失っている。しかし彼女は先頭にあり、その顔色に気づくものは誰もいない。
そもそも、この期に及んで他人のことに気を配る余裕は誰にもなかった。
取手を握って面々に視線を転じるアカリ。ミリアの謀略によって名誉を失い、積年の苦境を強いられた姉妹は深く顎を引いた。
ミリアの魔道によって導かれた魔物に両親を殺され、天涯孤独となった少女は長身銃を持ち上げた。
そして、ミリアが呼びこんだ混沌によって近しいものをことごとく奪われた少女によって、扉は開かれた。
果たしてミリアは、そこにいた。
狂ったような高笑い。肌を粟立たせる呪詛。物を瞥見するような感情の欠片もない視線――それらの予想をすべて裏切り、一同を出迎えたのは無上の静謐だった。想像との乖離に、戸惑いを隠せない。
憎悪の魔道士は、床に膝をつき、寝台に突っ伏していたのだ。疲れ果てくずおれるように、あるいは空の寝台で横になる何者かの寝顔を幻視するように。
大儀そうに身体を起こして招かれざる客人に顔を向ける。それを見て、一同の困惑は加速する。憔悴しきった蒼白い面相。魔道の酷使によって黒ずんで見えるほど充血した目。そこにうかぶ蒼い双眸は、無間の闇に揺蕩う一つの星のようだった。
アカリとゼロットは射線を結びながらも、荒い息遣いを経て、たまらず銃口をわずかにおろした。有無を言わせぬ必殺の速射を叩きこむつもりであっても、心ある少女たちにとって、そのあまりに痛ましい姿は、弱々しい所作は、容易に噛み殺しきれるものではなかった。
「ミリア様……?」
呼びかけつつ先んじて扉をくぐるリルドに倣って、皆が恐るおそる寝室に足を踏みいれた。
直後、ぐにゅり、と。空気が変質するような違和感が彼らに襲いかかった。
一瞬、何が起きたのかわからない。正体は一つしかないというのに、転位の魔道の間近での発現は、魔術に通じるものにとって想像を絶するおぞましさだった。
邪悪な意思によって彼我の空間が魔窟へと通じ、そこから溢れだした死の臭いに脳幹が総毛だつ。
「あはぁ」
ミリアは嗤う。傷心の乙女の顔を豹変させて。頭からの流血もそのままに。気が触れたように。虚ろに。凄惨に。スーラの危惧したとおり、やはり彼女には保身も常識も通用しない。
「う。くそ……!」
ことに幼い二人にその瘴気は強烈にすぎた。魔術の才覚を有していながら無学ゆえに抵抗のすべを知らないアカリとゼロットは意識を失いかけるも、かろうじて踏みとどまり、今一度長身銃の照準をミリアの躰に重ねる。
急所を狙う時間もなく、一拍の遅れは否めない。命中したとしても、即死でなければ魔道完成のほうが速いだろう。刹那後に眼前に出現する魔獣によって、きっと彼女たちは全滅する。
しかし、これですべてが終わる。体幹のどこかに命中さえすれば、治療のすべを持たないミリアはきっと助からない。
たとえ誰も生き残れなくても、悪の根源を断てるのだ。
そんな悲願をこめて、少女たちは発砲の詠唱を頭のなかで叫んだ。
――爆ぜろ。
撃発は果たされた。瞬間燃焼によって生じた膨大な内圧が鉛の礫を圧しだす。しかし、決着の一矢となって銃口から飛びだすより速く、黒い残像が彼我を別った。
銃弾は天井に突き刺さり、払い落とされた二挺の魔蓄鉱銃がくるくると虚空を舞っていた。あるじを失い永久の凍結にあった寝室を劈いた銃声の残響のなか、皆の散大する眸には、刀身を振りあげたリルドの姿が映っていた。
「あんた……なにを……」サイの口から驚愕がこぼれでる。
おぞましき召喚の兆候は霧散していた。ミリアもまた、かつての腹心の奇行に目を丸くしている。
リルドは冷たい光をはなつ白刃と、それ以上に冷たい視線とで仲間たちを牽制しながら、かつての君主を背で庇い、彼女に向けて震える声をひりだした。
「ミリア様……。なぜです? 」
ミリアはぞっとするほど美しく、恐ろしいほど怜悧で、それでいて消えてしまいそうなほど儚く、リルドが剣士として生きるために棄てたすべてをあわせ持っていた。女として生きるのならこうありたいと願う、理想のかたちだった。
「お願いします。答えてください。どうしてこんなことを……?」
二十年来抱き続けたその想いは、忠誠を裏切られ、親しいものをすべて奪われてもなお、簡単に覆るほど浅いものではなかった。もうリルドには奪った張本人であるミリアしか残されていなかった。
「何があなたをそうしてしまったのですか!? 教えてください……。どうか、どうか……」
だから、どうしてもミリアの本意を知らずにはいられなかった。そのうえでリルドは思うのだ。そこに理解できる理由、納得できる動機があるのなら、世界を敵にまわしてでも、自分だけはミリアの味方に――
「うるさい。消えてしまえ」
拒絶。それがミリアの答えだった。
「……消えろ消えろ、みんな消えろおぉぉ」
空虚な哄笑は消え去り、あらゆる世界の負を知ってしまった女の貌があらわになる。いかなる感情も映さない血塗れの能面は、次第に上辺を剥落させ、絶えない憤怒と底なしの絶望と無限の憎悪によってひき歪んでいった。
リルドはたまらずミリアに向き直り、呆然としたまま歩み寄った。
「……ミリア様」
「うるさい! やめろ! 私の頭の中からいなくなれ! 人間なんて大嫌い! 私は色んな世界を見たの! この王城にいながら、数えきれないほどの世界を、目を瞑っても、寝ても覚めても、嫌というほど、見てきたの! 私たちみたいな文明を持った生物がいる世界はすべて、吐き気がするほどッ、眩暈がするほどッ、信じられないほどッ、醜かった……!」
頭蓋のうちで鳴り響く耐えがたい何か、目蓋の裏に焼きつく見るに堪えない何か。稀代の適性者であるからこそ否応なしに知ってしまった世界の闇の深さ。
それらを拒むように、ミリアは両手で頭を押さえつけ、声を裏返して喚き続けた。鼻腔からは血が、黒い眼からは赤い涙が止めどなく流れていた。
「お母様が私にいったの! たくさんの世界の闇を見ろって! 憎しみを知れって! でも私は知っているのよ! お母様はレイアにはこういったのよ! 光を見ろって! 優しさを知れってえぇ!」
魔道士の錯乱に刺衝され、時空は境界を乱した。スーラは小さな悲鳴をはっして膝を折り、ゼロットとアカリは口許を覆ってえずく。その濃度も規模も先の比ではない。
絶えず世界に停滞していた不快な空気が、ぐらぐらと沸騰し、ぐつぐつと泡立っている。人の世と人ならざるものの世界が、渾然一体になろうとしている。
途端、岩石の降雨がごとき凄まじい落下音が王都を揺らした。
サイは激痛をともなう頭を振りながら背後を振り向き、目を見開いた。窓から覗く王都の空には、無数の黒点が出現し、次々と市街へと落下していた。晴天が翳るほどの出現現象。その一粒ひとつぶは、あの恐ろしく強力な魔獣に違いなかった。
「リルド! もう駄目だ! どいてくれ!」
サイの叫びに外の事態を察したアカリとゼロットが床の長身銃に飛びついた。
リルドももう止めようとはしなかった。しかし、射線から退こうともしなかった。
一歩いっぽ、慎重に距離を測りながら、辛抱強く呼びかけ続けた。
「ミリア様」
「二人で文明に審判をくだせって! 存続か、滅亡か! これが魔道を授かってしまった一族の運命なんだって! これが天命だって! お母様がそういったのよ! だからもうお終いなのよ! 私たちなんて、滅んでしまったほうがいいに――」
「わかりました。辛かったのですね」
ミリアの絶叫は、この世で唯一の味方の胸のなかで詰まった。風の白兵魔術によって最後の間合いを一瞬で詰めたリルドは、あるじを抱きしめていた。少しでも人肌の温もりを感じてもらえるように、精一杯、力強く。
「もう苦しむことはありませんよ。ミリア」
「ああぁ……。私はただ、お母様にもこうしてほしかっただけなのに……」
はるか遠く他宇宙の絶望ばかりを見てきたミリアは知ろうともしなかった、知る由もなかった、こんなにも身近にあった人の温かさ。ミリアは両手でその背をかき寄せ、血の涙で赤く染まった頬に一筋の透明な雫をつたわせた。
「私はミレイユ様にはなれません。しかし、ずっとあなたをお慕いしておりました。その想いは今でも変わりません。お互いに不憫ですね」
リルドは左手で愛しげに髪を撫でながら、仲間たちに横顔を振り向けた。それは彼女が初めて見せる女としての優しげな微笑だった。そして口の動きだけで詫びた。申し訳なさそうに別れを告げた。
すいません、と。
「リルド!」そこでようやくリルドの真意を悟り、サイは叫んだ。
リルドにとって、これが唯一の活路だったのだ。出会い頭の魔道から仲間を救うためには一見裏切りと思える奇行でミリアの意表を突くしかなかった。性急な動きがミリアの防衛本能の琴線に触れる危険を排するためには慎重にならざるをえなかった。そして想い人と自身の心を救うためには――
刀剣の白刃を逆手で握った右手が、あるじの背で振り上げられる。
――せめて共にいきましょう。
その言葉を最後に、世界を覆っていた瘴気の霧は晴れ、王城を揺さぶっていた轟雷はふつりと途絶えた。
ケイルらの戦闘音はより一層激しさを増したが、しばらくの間、それが残された一同の意識にのぼることはなかった。彼らは無音の寝室で抱きしめ合ったまま膝を折る二人をただただ見つめていた。
一振りの刃が二人の心を貫き、結びつけていた。
サイとゼロットが我に返ってリルドのもとに駆けだす。つんのめるように膝を滑らせ、その華奢な肩に手を伸ばしかけるも、途中でぱたりと落とし、サイはがっくりと項垂れて、ゼロットは唇を噛みしめて震えていた。
「馬鹿野郎が……。ほんとうに馬鹿野郎だよ……あんたは……」
無数の世界を襲った災禍は、一つの小さな悲劇をもって終息をみた。