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異形の魔道士  作者: IOTA
57/60

54 運命




 すべてを託したようにふっつりと意識を手ばなしたライアス。ケイルは彼を片腕で受け止め、アカリに預けると、同郷の仇敵に向き直った。

 骸の海を掻き分けながら市街地から押し寄せるアバドンの大群。路地から出でた先兵たる十数頭は、もうその煮えたぎる体熱を肌で感じられる距離にまで迫っていた。

『久しぶりね。懐かしくて涙がでそう』

「挨拶する間柄じゃないが、来客を知らせてやろう。露払いだ」

『ええ、ど派手にね! 近い順にマークするわよ。蹴散らして!』

 黄、赤。黄、赤、赤、赤、赤――。

 バイオロイドの拡張された視界に映る殺しの優先順位。それは警告色の矢印となって迫りくる魔獣の頭部を示す。

 生存者を背にしたケイルは一歩も引くことが許されない。軽く腰を落とし、左足を踏みだすや否や、諸手のダガーPDWを広い角度で突きだして、縦横無尽に走駆させた。

 短剣の名を持つ短機関銃。地上での戦闘用ではなく、シェルターの防衛用に設計された個人防衛用の圧搾空気銃は減音器を有さない。燃焼を伴わない銃声は純粋な音速突破の破裂音であり、毎分に千回空気の壁を貫くその連射音は割れんばかりの拍手喝采のようだった。

 魔獣の波の前列は、血飛沫の波頭を散らして一頭、また一頭と転がり伏す。さながら二機の旋回式自動砲塔。利き手を選ばないヘカトンケイルの両腕の延長線上にて、正確無比な死が展開していく。

 快音の溢流に肌を打たれ、都民たちは放心して立ち尽くしていた。果たして彼は何者なのか。眼前の光景は現実なのか。彼らには何一つわからない。しかし、顕現した鈍色の奇蹟を凝視するその眸からは、知らず、はらはらと透明な滴がこぼれ落ちていた。

 その上空、VTOL機の操縦席にて。

「まったく。無茶をする」

「びっくりだよ。あんな戦いかたでよく生き残れたものだね」

 先に行く、とたった一言だけ残して着陸を待たずにサイドドアから飛び降りたケイル。我が身をまったく顧みない、狂気と隣り合わせのヘカトンケイルの敢行に、タルタロスはたまらず失笑した。

「逃走ではなく闘争を第一義とする生存本能からの逸脱こそが、むしろ長生きの秘訣になっているのかもね」

「攻撃は最大の防御。無限の憎悪に憑かれた生体兵器が相手ならば、なおのことか」

 かつてであれば嫌悪を含まずに口にすることはできなかったであろう言葉。しかし、ヘカトンケイルH09のなかで構築された“個”を知った今、隻眼となった機械化兵装の口許には美しい微笑みが宿っていた。

 一方、搭乗席のサイたちもケイルの安否を確かめようとサイドドアに群がっていた。慣れない飛行への恐怖も忘れて身を乗りだし、無事どころか、獅子奮迅の大立ち回りを認めると、呆れ雑じりの安堵の吐息を長々と吐く。

「あの野郎……。よくもまあ飽きもせずひやひやさせてくれるもんだよ」

「彼は変わりませんね。きっと何があろうともあの調子でしょう」

 サイの横から顔をのぞかせたリルドがなで肩を竦めると、ゼロットは我がことであるように誇らしげに大きく頷いた。もはや彼女たちのお決まりとなった仕草だった。

「あとで説教だよ」サイは鼻を鳴らしつつも、ケイルの無謀によって救われた命を映すその眸は希望の輝きを取り戻していた。

 王都に到達してからというもの、眼下に拡がる惨劇を目の当たりにした面々の脳裡には昏い翳が降り落ちていた。しかし、まだ生き残りがいたのだ。まだ終わってはいない。自警団が繋げたバトンを、終わらせてはいけない。滅亡の始まりこそを、終わらせなければならない。

 王城の壁面をエンジンの紫炎で焦がすようにして旋廻したクマバチ。機首を広場に向け、そこで拡がる魔境というに相応しい光景をまともに目にしたグレイスの表情から一切の穏やかさが消えた。

「……まさかこの世界でも奴らの相手をすることになるとはな」

「きっとアバドンがミリアの知る限り最悪最強の魔物なのだろうね。……それにしても、まったくなんて数だい!」ルークはほとほと厭になったという風に荒々しく嘆息した。「あれほどの大群、ぼくたちがこの機を使って囮になった時よりも多いんじゃないのかい。ぼくらだけの火力でどうにかなるかな……?」

「どうにかするしかないさ。それに、今回は一人じゃない」

 グレイスは操縦桿を押しこみ、後部の乗員席に横顔を振り向け、大声で告げた。

「中庭に着陸する! お前たちは降りろ!」

 四人の現地人たちは面差しを正して顎を引いた。張りつめた表情の先、土くれと芝生の砕片を舞い上げながら、クマバチはぐんぐんと地表に近づく。

 別れ際、グレイスとスーラは眩しげな微笑みを交わし、互いに頷いた。

「スーラ。世界の面倒を頼んだ。幸運を祈る」

「……ええ。あなたもご武運を。タンゴさん」

 重力と浮遊感の挟撃に両手両足をつっぱりながらも、着陸と同時、彼らは怯むことなく一斉に飛び降りた。クマバチは樽型のエンジンからの青白い噴射をよりいっそう濃くし、粘性の引力に逆らって即座に飛び立とうとする。

 だが、これほどの騒ぎ。彼女・・が黙って傍観しているはずがない。反撃の火種を見過ごすはずがなかった。中庭に面した王城の窓辺にて、人知れず、悪意の魔道が時空を曲げる。

「グレイス! 上だ」

「上空に熱源を確認! 回避して!」

 ケイルからの通信とルークの警告が同時にグレイスの耳に飛びこんだ。

 クマバチの進路を先読みしたその真上、忽然と出現した一頭のアバドン。果然、恐るべき体積比をもつ筋肉の塊は重力に従い自由落下する。グレイスは反射的に操縦桿を左へ倒す。間一髪、機体の右エンジンをかすめながら降下した魔獣の肉弾は、大型投石器の弾着を思わせる衝撃で中庭の四阿を粉砕し、大地を揺さぶった。

「おしい!」嘲弄まじりに指を鳴らすのは、無論ミリアである。

 悪しき存在を導く転位の魔道。いわば間接的に害悪をもたらすばかりの術であるが、それをこんな風に用いて、これこそが極意であるかのように直接的に人を殺そうとする彼女の邪悪は底知れない。

「あらあら、ケイルさんに、スパイル兵団長もいるわね。それにあれはミレンの魔術士スーラさんかしら」眼下から唖然と見上げる人々を睥睨し、魔性の王女は唇だけをにんまりと歪める「うふふ。でも、今更どうしようというの? わざわざ殺されに来てくれるなんて、ご苦労なことね」

 長い睫のなかの底なしの洞のような眼差しの先で、その憎悪に応えるかのように、墜落したアバドンがぐぐぐと上半身を持ち上げた。脚の骨が膝から飛びだし、片腕は歪に折れていたが、至近に獲物を認めた滅びの魔獣に手負いなど関係ない。

 衝撃に足をすくわれ尻もちをついていたサイたちは戦慄した。負傷を度外視してまで命を喰らおうとにじり寄る身の毛もよだつ姿は、彼らの知るどんな魔物にも類似していなかった。リルドとゼロットは得物に手を伸ばすが、それよりも速く、サイはその名を叫んでいた。

「ケイル!」

 奇妙な笛の音のような甲高い飛翔音が空を裂き、醜悪な顔面は横殴りの弾雨に打たれて千切れ飛んだ。鉄柵を隔てた広場にあっても、ケイルは仲間の守護を疎かにしなかった。そして彼の相棒は無防備に身体を晒した諸悪の根源を見逃しはしなかった。

『あそこよ! 右棟の三階』

 アーシャの示す矢印を追って、ケイルは半身で構えた短機関銃をそのまま上方へと転じた。銃口と直線で結ばれたミリアはぎょっと目を剥き、ひくりと口角を痙攣させる。

「きゃ」

 連射の猛威が窓枠を砕き、破片が飛び散る。ミリアは倒れ、艶やかであった藍紫のドレスを粉塵で汚しながら四つん這いで窓から離れた。片手保持の短身銃で命中を狙うにはケイルであっても困難な距離だった。しかし、制圧効果は十分といえた。

 床に積もった白い塵にぱたぱたと落ちる真っ赤な滴にミリアは息を呑んだ。髪飾りはどこかに消え去り、血を吸った白銀の長髪はじわりと黒く滲んでいた。飛散した大理石の欠片が薄く頭皮を裂いたのだ。

「あら? あらあら。血……。血! 私の血ィ!」

 大国の第一王女にとって、真っ向から殺意を向けられるのも、銃撃の脅威に曝されるのも、無論、初めてのことである。ましてや相手は殺傷の化身、機械化兵装。その衝撃は自失に陥って然るべきだが、

「赤いのね。うふ、うふ、うふふふふふふふふ」

 あまねく世の憎悪を内包した 海千山千という言葉では形容しきれない存在である彼女は、失うべき正気というものを端から知らない。赤く染まった貌を引き攣らせながら、よたよたと壁伝いに奥へと逃れていった。

『ちくしょう! 逃がしたわ』

「くそ……。だがこれで、少なくとも狙ってアバドンを降らせることはできないはずだ」

 苦々しげに言いつつ、ケイルは生存者の人垣を割って鉄柵の門を蹴破り、彼らを王城内に退避するように促した。孤児の二人とアカリが絶入したライアスに肩を貸す。サイたちはすかさず駆け寄って皆の避難を助けた。

「ライアスぼっちゃん、アカリ。よかった。生きてたかい」

「みんなも無事で。お願い。ライアスさんを助けてあげて!」

「任せな」アカリに代わってサイがライアスの肩を引き受け、片手を腹部の傷にあてて魔術による治療を始めた。鼻梁にぎゅっと皺をよせ、舌を打つ。「……まったく。また無茶したみたいだね。どいつもこいつも、絶対あとで説教してやるからな」

 城へと急ぎながら、一人で死地に残ったケイルに横顔を振り向け、声の続くかぎり怒鳴った。

「聞こえたかい、ケイル! それまで死ぬんじゃないよ!」

 ケイルは後ろ手を挙げ、深く頷いた。

 手首を支点に両手のPDWを振って機関部を折り、筒型弾倉を排出しながら、低空で旋廻し始めたクマバチをちらりと仰ぎ、通信で呼びかける。

「グレイス。あんたは彼らと行け。ここは俺が食いとめる」

「馬鹿をいうな。数が多すぎる。お前一人の時間稼ぎでは不足だ。一頭でも突破されたら彼女たちは終わりなんだぞ」

「しかし、彼らだけでは――」

「確かに困難かもしれない。だがスーラがついている。転位の魔道について彼女はよく知っている。ミリアも無敵というわけではない。それに……」

 グレイスは一瞬、言いよどんだ。計器の間を泳ぐ右目は重すぎる葛藤にきつく顰められていた。本来は葛藤など許されない。どうすべきかは、議論の余地なく灼然なのだ。それでも彼女は、喉から圧しだすように切なる願望を口にする。

「彼らの世界の未来は、やはり彼らに託したいんだ」

 最優先すべきはミリアの抹殺である。彼女を斃せばすべてに決着がつく。この世界だけでなく、ケイルの世界の、怪人の世界の、すべての世界の悪夢が終わるのだ。そのためにはケイルかグレイス、どちらかが急行したほうが合理的なのは明らかだった。いや、合理的というのならば、彼らが二人でミリアのもとに直行するのが最適解といえた。

 しかし、その場合、対等に渡り合える堰を失った滅びの魔獣の濁流は、サイたちを、生存者たちを、一人も余さず飲みこむだろう。ミリアの討伐が叶っても、後に残るのは血塗られた王都と、二体の機械化兵装だけなのだ。

「すまない……。これは私の我がままだ。お前がどうするかは、自分で決めてくれ」

 グレイスはそれ以上何もいわなかった。

 繰り返すが、最優先すべきはミリアの抹殺。それは揺るがない。目先の数十名の命と世界の未来とでは、天秤が吊りあうはずもない。一も二もなく後者を選ぶべきである。そんなことはわかりきっていた。並行世界がおちいる悪夢によって呪われた定めを強いられた彼らは、誰よりも理解していた。

 しかし、それでいてなお、彼らは第二の選択をした。

「そうだな」ケイルはホルスターに留まっていた新たな弾倉を咬ませると、腕を勢いよく振りあげた。小気味よい音をはっして機関部が閉鎖され、銃床の圧搾空気槽が律動的にうなる。「彼らを信じよう」

 それはつまり、仲間を信じるということ。

 ただの帯同者ではなく、仲間と認めた心ある人々に、すべてをゆだねるということ。

 たった一人ですべてを背負いこんだ怪人が下した決断は万物の破滅だった。それに対し、この局面でケイルはあえて決着から遠ざかることを選んだ。

 非合理的かもしれない。危うい賭けかもしれない。しかし彼はそうしたいと心から思ったのだ。彼はこの時初めて、憎しみではなく、仲間のために銃を握ることを選んだのだ。

『異物は異物の相手というわけね。いいわよ。踊りましょう』

 ケイルの視界の片隅で、好戦的な目つきとなったアーシャだったが、ふと、足許の石畳を染め始めた白い光に気づき、空を見上げた。不敵に吊り上がっていた小さな唇が、たまらず緩む。

 クマバチが巻き起こす旋風によって王都に厚く覆いかぶさっていた黒煙が割れ、初めて彼らがこの世界に訪れた時のような、場違いなほどに牧歌的な陽の光芒がケイルを中心に降り注いでいた。

『……妙な気分ね。きっと私たちは、この日のためにここに来た。そんな気がしてならないわ』

 当初、ケイルは頻りにこぼしていた。なんの因果か、と。怪物と戦い続けて、異なる世界に召喚されてもなお、怪物と戦い続けている現状を、何かしらの報いだと思わずにはいられなかった。

 しかし、報いなどではなく、これは運命だった。憎しみを軸に、無数の兄弟と二人の姉妹が織りなしたさだめの糸が、彼らをここへと導いたのだ。そしてその壮大な織物は、どんな姿になるのであれ、間もなく完成する。

「そうだな。瓦礫の街で拾った命。今度こそケリをつけよう」

 相棒に首肯し、ケイルは憎悪に堕ちた同胞の群れに向き直った。薄闇のうちでひしめく濁った赤い眼が、神々しい光のなかで鮮やかに輝く真紅の眼鏡を妬ましげに凝視していた。

「憎いんだろう?」

 左手のPDWを収め、パウチから電離焼夷手榴弾をもぎ取った。親指で三度、頂点部の安全スイッチを押しこんで、信管に火をいれる。人造の仔らの決戦の調べに相応しい情緒の欠片もない無機質な警告音が甲高く鳴り響く。

「来い。受け止めてやる」




 

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