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異形の魔道士  作者: IOTA
56/60

53 雄姿



 陽が高く昇った。

 例年どおりの収穫祭であれば、浮き足立った雑踏がようやく思い思いのお目当ての場所へと収まって、最初の佳境に沸くころである。平時には稼業開始を報せる二回目の時報の鐘の音を合図に、各区画の広場に設けられた特設会場にて、この日のために研鑽された選りすぐりの出しものが一斉に催されるのだ。

 魔物出現以降、王都デリトはほとんど籠城というに近い状態になっており、繁栄をきわめたかつてと較べれば出しものの規模は控えめになっていたが、それでもそれは豪華絢爛な仮装行列であり、愉快な喜劇であり、たくみな剣劇であり、氷や火の花を咲かせる美しい魔術であり、民草に日々の暗澹を忘れさせ、貴人の目を魅了してやまない催しに違いなかった。

 しかし今、陽射しの祝福は遠く、歓声は一つもない。馳走の準備中にあって放置された屋台や家屋からくすぶった黒煙が街路に重くたれこめ、時折、聞こえるものといえば魔獣のうなり声と断末魔の絶叫だけ。

 虐殺の始点となった王城前広場もまた、むごたらしさを内包した寂寞に押し包まれていた。純白の美麗も今や虚しくそびえる城の麓には、広大な面積の石畳を埋めんばかりのおびただしい数の骸が転がっていた。まるで道に敷かれた砂利のように、人のかたちをした肉塊が折り重なり、うずたかく積もっている。

 もっとも多くの命が奪われその地点に、もはや動くものはないかに見えたが、頻りに姿を隠しながらちょろちょろと忙しなく動きまわる二つの小さな人影があった。

「おい、ヴィナ。戻ろうぜ。やばいって」

「何よ、ゲラルト。情けないわね。あなたも探しなさいよ」

 四囲を占める無惨な屍に泣きだしそうな少年ゲラルトと、目尻に涙をためながらも懸命に何かを探す少女ヴィナ。

 災禍の以前からけっして小奇麗な身なりでなかった彼らは、昨夜、ライアスを地下水道へと導いて、異邦人たちと引きあわせた、孤児集団のなかの二人であった。

「……もう生きてる人なんていないって。ほんとに聞こえたのかよ」

「わからないから探してるんでしょ」

 数奇な巡りあわせが寄せ集めた下水の一団。生存者を救うために奔走する彼らは、今や王都のなかで唯一能動的に働く自警団となっていた。戦うことはできずとも雑用ならばと、助勢の呼び声を求めて彼らについてまわっていたヴィナ少女とゲラルト少年。

 広場の地中を進んでいる時、ヴィナは赤子の泣き声を耳にしたのだ。しかし声はすぐに途絶えた。

 それを告げ、大人たちの足取りを止めることを、少女は躊躇った。もし空耳なら、救助を急く彼らに無駄足を踏ませることになる。ましてや曖昧な聴覚に頼って他者を危険に捲きこむわけにはいかない。かといって生存者がいる可能性に目を瞑ることも容認できず、彼女は一人、勇気を振り絞って竪穴を昇ったのだった。

 それに気づいて引きとめようと続いたゲラルト少年。足の踏み場もなく、目のやり場もない、亡骸の海のような光景にいよいよ怖気を催した彼は、ヴィナの腕に縋りついた。

「もう駄目だって! 俺たちまで喰われちまうよう」

 しかしその時だった。少年の悲痛な涙声に応えるかのように、くぐもった泣き声が彼らのすぐそばで聞こえたのは。

 二人は慌てて足許の遺体をどかす。そこには下半身を失くした女が仰向けで倒れており、とうに絶命した女の胸には大切そうに、護るように、一人の赤子が抱かれていた。

 驚きも忘れ夢中で赤子を取りあげたヴィナとゲラルト。その場にへたりこんだ二人は顔を見あわせ、思わず笑ってしまった。

「はは……。すごい泣いてる。どうしよう」

「へへ……。お前も孤児だな。よろしくな」

 すべてが死に絶えたような世界で見つけた新たな命は、母を亡くした悲愴か、地獄のような世への悲観か、いや、そんな形容に一切合切関わりなく、ただただ元気よくふぎゃあふぎゃあと泣いているのだった。

 しかし、その威勢のよい泣き声は、まずい。

 生命の証左は、命の仇敵を引き寄せることになる。

 ――ワハハハハハハ。

 嘲るような一つの吼え声。もう忘れることはできず、思い返すたびに首筋を粟立させるであろう魔獣王の哄笑に、少年と少女は息を呑んだ。遠くのそれは呼応するかのように全方位から連続し、やがて地を揺るがす跫音となって迫りくる。

「あ……あいつらがきた」

「逃げなきゃ! 速く!」

 ヴィナは赤子を抱いて立ち上がり、ゲラルトは彼女の手を牽いて走った。遺体を跨ぎ、時には躓きながら、そう遠くない竪穴を死に物狂いで目指す彼らであったが、その行く手を阻むように、一頭の魔獣が家屋の扉を突き破り、木片をまき散らしながら広場に転がりでてきた。

 体長に個体差のあるアバドン。その一頭は比較的小型であったが、人間と比較することに虚しさを覚えるほどの巨躯に違いはない。ましてや、相対するのは齢十そこそこの子供と赤子である。

 視界を遮る赤黒い体躯に悲鳴をはっして足を止めた二人。涙を溢れさせた顔を必死にめぐらせ他の逃げ道を求めるが、もはやあらゆる場所から魔獣の気配は押し寄せていた。

 子供たちの唯一の活路を背にしたアバドンは、二対のかいなを長々と開き、一歩、二歩と、遺体を踏み潰しながら三人に迫った。陽を背負い射影に染まった長身痩躯のその威容たるや、生のさだめである死が肉体をもって佇立しているかのようだった。

 髑髏のような形相の顎から濃密な湯気がこぼれでる。桁外れの運動を可能とする灼熱がごとき体熱から放出された呼気は死肉の腐臭をともなって子供らの前髪を揺らした。

 次の瞬間に四つの魔手から繰りだされる電光石火の抱擁がかすめでもしたら、彼らの小さな体躯は跡形もなく弾け散ってしまうだろう。赤子は泣き止まない。幼い頭でも理解できる抗いようがない終焉の運命に、ヴィナとゲラルトも嗚咽をもらした。

「おい。こっちだ、不細工」

 しかし、男の野太い声が、子供たちの目を見開かせ、アバドンを振り向かせた。

 途端、けたたましい破裂音が鳴り響き、アバドンの頭部に六ミリの子弾群が炸裂した。人間はいうに及ばず、大型獣でさえも仕留める十二番口径の散弾は、子弾が密集した状態でなら、魔獣の頭骨をも砕きえた。

 もんどりうって卒倒するアバドンの背後には、体格に較べて滑稽なほど小ぶりの散弾銃の先台を引いて薬莢を弾き飛ばす、異邦の大男の姿があった。

「ホーバス!」

「あにきぃ!」

 彼に続き、ジュディを筆頭にした仮初めの自警団の面々が続々と竪穴から這いでた。いつの間にか姿を消していた子供たちを心配し、引き返してきたのだ。

 彼らは泣きじゃくる子供たちをなだめ、その胸に新たな生存者を認めて目を瞠った。ジュディはヴィナの頭に口づけし、ホーバスはゲラルトをくしゃくしゃに撫でまわした。

「本当は拳骨をくれてやるところだが、お手柄に免じて許してやる」

「さあ、速く穴のなかへ。他の奴らがく――」

 広場に集結しつつある魔獣の気配に退避を急くジュディだが、ひぅん、と。彼女の言葉は風切り音に遮られた。水を溜めた革袋が裂けるような鈍い濁音がそれ続く。

「く、おおぉぉぉっ」

 ホーバスの苦悶の叫びに顔を振り向けた一同の目が、戦慄に散大する。

 彼の下腹部から鮮血に染まった歪な槍が生えていた。否、それは槍と見紛う長さと鋭さをもつ魔獣の後腕。一同が竪穴に向き直った瞬間、倒れた魔獣の背のかいなが動き、ホーバスの腹を背後から貫いたのだ。

 対人に特化した散弾は、魔獣を卒倒させることはかなっても、その致命には届かなかった。小型とはいえ、滅亡の使者たる生命力に遜色はない。頭骨を多少砕かれただけでは、アバドンは死なない。躰が動く限り、頭蓋のうちで鳴り響く憎悪の唄は虐殺を求めてやまない。

 もう一つの後腕が激しく振るわれる鞭のような動きを見せた。ホーバスの至近にいた亜人たち。一人の首がとび、一人の胴が両断された。ゲラルトの鼻の頭とヴィナの頬に血飛沫がはねる。少年少女の甲高い悲鳴は、武器を持つものたちの怒号と綯交ぜになった。

 アカリの先込め銃が吼え、ジュディの拳銃が発射炎を噴き、エルフの長弓と鷹の目団の弩の弦が奔った。起きあがろうとしていたアバドンの下顎が砕け、嘲るようにだらりと垂れた舌に矢が突きたち、赤黒い眼球に銃創が穿たれ、内圧に耐えかねた後頭部がうちから爆ぜて灰色の脳漿が虚空を泳ぐ。

 七人からはなたれた怒濤によって完全に頭部を潰されて、魔獣はようやくその邪悪な生命活動を停止した。

「ホーバス!」叫んで、ジュディとアカリが駆け寄った。

 上半身を起こそうともがいたホーバスだったが、途中でがくりと腕を屈した。急速に色を失っていく唇からもれた罵りは声になっていなかった。

 ジュディとアカリが肩を掴んで竪穴へと引きずっていく。二人のエルフたちは仲間の死への悲歎を省き、加勢する。腹の裂傷からの止めどない出血を抑え、意識を呼びとどめようと涙声で彼の名を喚き続けた。

「ほら、きみたちはこっちへ!」ライアスは立ち尽くすヴィナとゲラルトを抱きかかえ、鷹の目団が手招きする竪穴へと急いだ。耳障りな哄笑が周囲で渦をまいている。銃声に引き寄せられたアバドンの群れは広場に殺到しつつあった。

 ふと、ホーバスの腕が持ち上がった。けっして離そうとしない散弾銃の銃口は、定まらない円を描きながらも王城を指している。じっとりと冷たい脂汗を噴き、蒼白になった彼の顔は、しかし強烈な戦意を湛えて王城の一角を睨み据えていた。

 ジュディも白亜の本館を遠望し、一室にその姿を認め、叫んだ。

「ミリアァァァ!」

 血と死に染まった円形広場を俯瞰する白い白い王城は、まるで巨大な象牙の墓標のよう。ぞっとするほど寒々しいその建造物にたった一人、窓から顔を覗かせ、人間の必死を見下ろして冷たく嗤う人物は、憎悪の魔道士しかありえなかった。

「あら、あらあら。あの人、憶えているわよ。懐かしい。でも、森に転位させたはずなのに、こんな場所にいるということは……そういうことなのね。どんなに冷酷でもしょせんは人間ということか。使えないわ」

 吐き捨てて、ミリアはドレスの袖を左手でつまむと、たおやかな隻腕をついと天に翳した。蠢く五指は、まるで天に向かって伸びる操り糸を手繰っているかのようだった。

「それにしても、なるほど、下水道とは。鼠みたいでほんとうに汚らわしい。ここはひとつ、猫をはなってあげましょう」

 見開いた眼窩のなかでぐるんと虚空へ剥かれる眸。然るべき醜悪な存在を捉えた魔道士は口角を三日月のように歪め、それらを現世へ導く不可視の糸を伸ばす指先は地表へと向けられる。

 直後、広場を席巻する魔獣の哄笑に、地中から響く人の叫喚が加わった。アバドンの巨体では下水道に這入れないが、小型の魔物はその限りではないのだ。そしてミリアは他宇宙の悪しき存在を自在に導くことができる。

 おびただしい肉食蟲、獰猛な水棲動物、生血を吸う動的植物――。いまだ地下道に身を寄せていた生存者たち、王都の外へ脱する試みも難しい負傷者が大半を占めていた彼らは、突如現れた獰猛な魔物たちに襲われ、なすすべもなく逃げ惑った。

 仮初めの安全を一瞬で奪い去られ、狭い通路で押し合い圧し合いをしながら遁走する人波。半狂乱の精神状態に合理的な思考など望むべくもなく、必然、彼らは地上へ続く竪穴に流れた。

 足許の木蓋を押し上げて溢れだす群衆に、鷹の目団の三人は泡を食った。カインは最寄りの男の肩を掴んで引きとめようとする。

「何をやっているんだ! 速く戻れ! ここは危険だ!」

「下だって危険なんだよ! 魔物がそこらじゅうから……。もう地下にはいられない!」

 ふ――と、わらわらと地中から脱する人々の頭上に影がよぎった。

 宙からはっされる耳腔を震わせる咽鳴り。それは雷皷に相似していながら、異常なほどに近かった。不穏な青天の霹靂に幾人かが中空を仰ぎ見るより速く、それはかたちとなって降ってきた。

「カイン! 逃げろ!」

 逸早く気づいたライアスの叫びは、旧友に届く前に、落下の衝撃音に塗り消された。

 まるで蟻の巣穴を踏み潰すかのように、石畳が粉砕され、竪穴は没し、人海は圧し潰された。重い音響と喚声が荒ぶなか、粉塵と血飛沫を立ち昇らせて、のっそりと起きあがる。

「そんな……」アカリの驚愕。少女の白ちゃけた顔は、陽を覆い隠す巨獣の影に包まれた。

 そのアバドンは王都にはなたれたなかでも一際巨大だった。だらりと肩を落として背を丸めてもなお、頭部は家屋の三階にまで届きそうな魔獣。それを仰ぎ見て、衝撃波に足をすくわれた群衆はそのまま腰を抜かし、立つこともままならなかった。

 石畳の破片に混じって飛散する肉塊に、旧友の血塗れのハンチング帽を認めたライアス。喉を駆けあがった慨歎の叫びもまた、口から迸る前に、巨大な魔獣が繰りだす死の旋風のなかで散り散りになった。

 赤黒い残像が無数の同心円を描く。途轍もない膂力と途方もない遠心力の総和は、鋭利な爪や骨の白刃が載ることにより切断力となって縦横無尽に振りまわされた。一か所に密集していた都民はひとたまりもない。四つの暴力はまるで爆風のように彼らを弾き飛ばし、宙を舞う躯を鎌鼬が切り刻んだ。

 破裂した人命が死体の原に大きな薔薇の花弁を咲かせる。けらけらけらけら。憎悪の魔道士の哄笑が響く。

 自警団の面々にとっても、それは近すぎた。咄嗟に子供らを庇ったライアス。膝をつき、ヴィナとゲラルトを抱き寄せた彼は、腹部の違和にそろりと手をあてた。冷や汗が噴きだす。手は真っ赤に染まっていた。アバドンの爪が臓腑を抉ったのだ。

 アカリ、ジュディ、亜人たちは、ホーバス共々広場の片隅の屋台群にまで吹き飛ばされた。屋台の木枠をへし折り、天幕を潰して、ようやく制動する。身体中の切り傷と打撲痕を除けばアカリは無傷であったが、それは幸運などではない。起きあがったのは彼女だけだった。

「そんな……。またなの?」

 異邦人たちが瞬時に身を挺して楯となったのである。その最前にたった二人のエルフの身体はずたずたに引き裂かれ、蒼い眸からはすでに命の光が失われていた。

 傍らで、ジュディとホーバスは一命をとりとめていたが、ジュディもホーバス同様、その生命は風前の灯火だった。血飛沫の弧を描いて虚空を旋回する肩から切断された自身の腕を、彼女は茫然と仰ぎ見ていた。

 左腕でよかった。呟いて、ジュディは歯を食いしばり上半身を起こした。

「アカリちゃん……。立って。逃げるのよ……」

 絶え絶えの声で告げ、すぐそばの路地から迫る魔獣の群れに、残った右腕の九ミリ口径の拳銃を突きだした。もはや死の翳に目を濁らせたホーバスも、うつ伏せのまま伏射の姿勢らしきものをとってみせる。

「嫌だよぅ……。もう一人は嫌だよぅ……」

 アカリは涙をこぼしながら首を振った。今まで大人顔負けの気丈さを見せていた彼女だったが、絶望的な状況が石の町の郊外でならぶ三つの埋葬塚を想起させた。たった一人で遺される辛さ。それを再び味わうぐらいなら、いっそともに逝ったほうが……。

「アカリ! 立ちなさい! 貴様はシェパード大尉から何を学んだ!」

 そんな少女の甘えを、ジュディは一喝した。

「生きろ! どんなに辛くても生き抜いてみせろ!」

 その言葉が、アカリの脳裡に兄の切望を蘇らせた。うんと生きて欲しい――。少女は弾かれたように立ち上がり、二人の異邦の兵の発砲を号砲に、わずかな生き残りであるライアスたちのほうへと駆けだしていた。

 たった二挺の自衛用小火器だけでは魔獣の進攻を減衰させることさえかなわない。しかし、少女の背を後押しするためだけに、遊底が解放されてもなお、二人の異邦の兵は引き金を絞るのをやめようとはしなかった。

 とうとう力なく突っ伏すも、かすかに空気を震わせ始めた異音に、二人は顔を見あわせた。異邦の身であり、元の世界でそれに類似するものを知っているからこそ、彼らだけは魔獣の喚声のなかからそれを聞きわけられたのだ。

「聞こえる? 天使が舞い降りたわよ……」

「天使だって……? 女神の間違いだろ。戦女神ヴァルキリーのおでましさ……」

 彼らは満足だった。可能なかぎりの人命を救い、そして最後に少女を生かすことができた。命のバトンを繋ぐことができた。国利のために暗躍する冷酷な猟犬であった彼らにとって、それは望外の死様だった。アバドンの突進に轢かれ、事切れる最期の瞬間まで、彼らは満足そうに笑っていた。

 円形広場の随所にある路地という路地から、荒れ狂う赤い怒濤が溢れだす。長い四肢を振り回し、さらに長い後腕を怒張させ、蜘蛛の糸にすがる亡者のごとき貪欲さで生体兵器は迫りくる。

 王城中庭の柵に追いつめられ、抗いようのない現実に頭を抱えるしかすべのない数十名の生き残りたち。声にならない絶叫をあらんかぎり振り絞ってなされるアカリの発砲も、抵抗というにはあまりに虚しい。

「もういや……。ホーバスも、ジュディも。死んでしまった。……みんな、みんな死んでしまうのね」

 心神を手ばなして失禁したヴィナはいっこうに泣きやまない赤子を抱いたままぺたりとくずおれた。ゲラルト少年の蒼くなった唇から唾液と呟きがこぼれる。

「……みんな、ここで死ぬんだ……。そうだよ。あんな怪物と、戦える人間なんていないんだ……」

「いや、いる」

 ライアスは痛みも忘れて子供たちを抱きしめると、耳元で囁いた。

「あいつらと戦って勝てる人を、ぼくは知っている」

「……そんなの、嘘だよ……。もう、駄目だよ……」

「嘘じゃないさ」

 脇腹の出血は腰まで染めつつあった。しかしライアスは朦朧とする意識を繋ぎとめ、力強く告げた。小脇に転がっていた短剣を拾い上げ、何度も膝を折りながらも子供たちを背に立ち上がる。

「彼とはのぞきだってやったんだ。彼はぼくを助けてくれた。彼はぼくの友達だ。彼の名は――」

 赤黒い壁となって押し寄せる滅びの使者。おびただしい跫音が奏でる滅亡の調べ。まるでそれらを率いてるかのように首魁然と聳え立つ巨獣。アカリの銃撃を歯牙にもかけず、巨獣は生き残りの先頭に立つライアスへと躰を開いた。

 天を突く巨体を、短剣を胸にしたライアスは臆さずに真っ向から睨み据えた。滅ぼすものがあぎとを歪め、ちっぽけな命を蹴散らそうと身を低くした――その瞬間。

 終焉の運命を打ち砕く轟音が、王都に舞い降りた。

 家屋の屋根をなめるように到来した鈍色の飛行体。獲物めがけて急降下する猛禽のごときその雄姿は、咽び泣く人々に絶望を忘れさせ、王国に伝わる大鷲を想起させた。胴の開口部から吹かれる白煙は途方もなく巨大な大剣のように大地をわり、一頭一頭が悪夢のように強靭であったはずの魔獣を片っ端から薙ぎ倒し、ばらばらに四散させていく。

 飛行物体が王城中庭の上空、ちょうど生き残りたちの真上に達したとき、開口部からの白煙の掃射の停止と同時、一つの影が分離した。

 ライアスの目前に迫っていた大型のアバドンは、頭上に眼光を転じ、怒り狂ったかのように吠えたてた。四つの腕は何かを阻むように頭部を覆うも、因果応報、落下によって多くの人命を奪った巨獣は、隕石がごとく豪速で墜落してきた鈍色のそれに腕をへし折られ、顔面を踏み砕かれて即死した。

 都民たちは固唾を呑み、子供らと赤子は泣きやんでいた。

 代わって、今度はライアスの目から、涙がとめどなく溢れた。

 もうもうと立ち昇る粉塵のなかに、その姿はあった。全身を隙間なく覆うのは、鍛えぬかれた筋骨がごとき装甲。激戦をしのばせる瑕疵が増えてもその勇猛な立ち姿はいささかも色褪せない。丸い兜のうちの猛る甲虫のような面頬、不屈の狂戦士しかはっしえない鬼火を湛えた双眸は赤く、激しく、輝いていた。

「ライアス。呼んだか?」

「ケイル――!」





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