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異形の魔道士  作者: IOTA
55/60

52 急行




 あらゆる生命を四散させて迫りくる魔獣の鯨波。

 およそこの世のものとは思えない地獄にあっても、人は生にしがみつこうとした。

 血肉の霞みに消えた母の姿を求めて泣きわめく少女に手を差し伸べるものはなく、気のいい力自慢で通っていた大男は行く手で立ち尽くす邪魔な少女をほうり投げてでも逃げようとし、つい先日に生涯を誓い合った伴侶を今しがた亡くした女は仮初めの避難場所の門前で開けてくれと哀願するも、淑女の手本として人望を寄せていた老婦人は人がいることが露見すると喚いて扉越しに槍を突きだし女の胎内に宿った忘れ形見ごと刺し殺し、道をふさぐ焼き菓子を満載にした引き台車は年に一度の祭りで子供たちに無償で菓子を振る舞うことを楽しみにしていた老人のもので、怒り狂った群衆に老人が殴殺されるのを目の当たりにした彼の甥にあたる少年は発狂して剣を振り回し、それに母を斬りつけられた青年は激昂して少年を組み伏せ小さな眼窩に指をうずめる。

 おぞましい喚声とおびただしい形相とが大通りにあふれかえっていた。彼らの心を占めるのは恐怖、憤怒、狂気、慨嘆、喪失、絶望と様々なれど、その画にたった一つの命題を与えるなら、醜悪という一言に尽きた。己と己を足らしめる存在を庇護するために人間性の仮面を脱ぎ捨てた人の本性、亡者の群像がそこにはあった。憎悪の魔道士が憎たらしいと吐き捨てた人の世の真理が、そこにはあった。

 しかし、正気を失って然るべき地獄の渦中にあっても、人として活きようとするものも少なからずいた。

 大通りに面した開放的な飯場。左右の街路からの挟撃によって退路を断たれたその店内には、行き場をなくした都民たちが集まり、身を寄せ合っていた。彼らの生への一縷はすべて、軒先で隊列を組む王国兵に寄せられている。

「楯を並べろ! 槍をだせ! なんとしてもここで食いとめろ!」

 小隊長や分隊長たちの威勢のいい指示が飛び交う。彼らも無駄な足掻き、時間稼ぎにしかならないことは重々承知している。しかしその喚声に虚勢のむなしさはない。

 火砕流のごとく血煙をまき散らしながら刻一刻と迫る魔獣の影。隊伍は素早く楯の壁を築き、槍の密林を形成する。兜のうちを死の恐怖に強張らせながらも、押し寄せる魔獣の気配を鋭く睨むまなこは使命と覚悟に燃えていた。

「恐れるな! 俺たちは兵士だ!」

「おお! 南門での異形の戦士の勇猛を思いだせ!」

「彼はどんな敵からも逃げない! 彼に恥じぬ戦いを! 一人でも多くの民を護るんだ!」

 地揺れをともなう跫音に負けじと雄叫びを湧かせる男たち。そこにはいつぞやの捜索隊の顔ぶれが多くあった。ポルミ村にてケイルを発見し、南門での魔物襲撃の際には共に戦った兵士たちである。

 任務といえば村々からの年貢の徴収と難民の排斥という日々に気勢をそがれ、じわりじわりと心に闇を落としていった彼ら、そんな折に目の当たりにした異形の戦士の勇士。目が醒める思いだった。兵士の本懐、戦士としての在りかたを、ケイルは行動によって示したのだ。

 飯場のなかで絶望に打ちひしがれるばかりだった人々にも、自ずとその熱は伝わった。男たちは武器になりそうなものを探し、女たちは見ず知らずの幼子を胸に抱き、少年は恐怖に腰を砕く老人に肩を貸した。

 押せよ押せよと逃げ惑う人海を液状化させ、できあがった血河の上、とうとう魔獣は隊列の眼前にすがたを現した。おそるべきことに左右の通りに一頭づつ。たった二頭で広場からこの通りに至るまでの生命を奪い尽くしたのだ。その巨躯には、数百人分の生命が血肉の蛞蝓となってうじゅるうじゅると這っている。

 広場に召喚されたのは、果たして何十頭だっただろうか。王都の人口はもはや、死者よりも生存者を数えるほうが早いほどに間引かれてしまったのではないか――兵たちの脳裡ににわかに絶望がたちこめるも、他所の憂慮に気をもむ余裕は彼らに与えられなかった。

「く、来るぞ! 構えろお!」

 ぐろろろろろるるるる。アバドンのうなりは音波の毒虫となって耳から侵入して人の脳幹を粟立たせる。だらりと二対の腕をたらして直立で隊伍を凝視する魔獣の王。他とは違う戦意を認めても、彼らにとってそれは動く肉塊でしかない。それにとって命は等しく憎悪を仕向けるべき標的であり、滅ぼさなければならない害悪なのだ。

 ぐぐぅと上半身を仰け反らせ、咆哮。空間がびりびりと震え、足許の血だまりが波打つ。衝撃波に霧となった返り血が瘴気のごとくその全身から立ち昇った。そして突進。二頭は血煙の軌跡を陽炎のようになびかせながら一心不乱に隊列の両翼へ同時に疾駆し、諸手を一閃させる。

 どう、と血飛沫が吹き荒んだ。最前列の十余名は楯にしがみつき衝撃に身構えるも、苦痛を感じるいとまもなく殴殺された。前腕の横薙ぎで楯ごと腕を持っていかれ、それに追従する鋭利な後腕によって体幹をばっさりと両断される。まるで雑草に鎌を振るうような造作のなさで命が刈りとられる。

 仲間たちの鮮血と臓物と鎖帷子の破片とを頭からかぶりながらも、後列は果敢に槍を突きだす。幾つか突きたてることに成功しても、しかし、厚い表皮に些末な切り傷をこしらえるのがせいぜいだった。

「脚の健を狙って動きを封じろ!」

「目だ! 目玉を狙え!」

「目か口だ! 弱部に狙いを定めるぞ!」

 懸命な指示が飛び交うも、まるでその周囲だけ時が加速しているような桁外れの俊敏さをみせる巨体は、目で追うのがやっと。そんな相手の急所を悠長に狙えるはずがない。二合目で隊列の半数が奪われ、三合目でさらに半数が命を散らした。砂の彫像を崩すかのようにアバドンは隊伍を貪っていく。人海戦術はむしろ、それに多くの生贄を捧げるような無惨な結果となりつつあった。

 ふと、隊列の後方、飯場の軒先にあった下水道へ通じる木蓋がごとりとうちから持ち上がった。砕かんばかりに歯を食いしばっていた小隊長はそれに気づき、ぎょっと目を剥く。ひょっこりと現れた顔を見て、彼の目はさらに見開かれた。

「ハイントン士官!? な、なぜこんなところに!?」

 人の好さそうな糸目を今は決然と吊り上げているが、それはかつて急ごしらえの捜索隊の指揮官として彼らを率いたライアスに違いなかった。

 ライアスが息せき切って這いでると、鷹の目団の面々、アカリとジュディ、ホーバスと亜人たちがそれに続いた。彼らを引き揚げながら、ライアスは唖然と立ち尽くす小隊長に強く告げる。

「都民たちをこの地下道へ避難させるんだ! 急げ!」

 暗殺を企てた異邦人と、それを阻もうとしたライアス率いる鷹の目団。今となっては彼らは手を取りあい、他の生存者たちを救おうと奮闘しているのだった。

 驚きも疑問も呑みこんで飯場に振り向いた小隊長は、声の限り叫んで都民を誘導した。灯台下暗し。彼らの足許に活路があったのだ。都民たちは互いに手を貸しながら一人、また一人と下水道へ身を隠していく。

 その間、現地人には耳慣れない、けたたましい破裂音が争乱に加わった。

「まずは右翼の一頭からよ! 火力を集中させろ!」

 アカリ、ジュディ、ホーバス。銃を繰る三人が防衛戦に加勢したのだ。肉弾となって行く手を阻む隊伍の献身によって速度を削がれたアバドンの頭部に、一発弾の衝撃が、拳銃弾の速射が、散弾の破壊が叩きこまれる。弓使いたちが矢継ぎ早にはなつ鏃も鋭利な暴力となって魔獣に殺到する。王都が陥る災禍は、この時をもってようやく戦闘の体裁を得た。

「装填!」叫んだホーバスが切り詰めた散弾銃に弾を滑りこませながらたまらずうめいた。「硬えなくそが! どんな怪物なんだよあれは!」

 右翼の兵はほぼ息絶え、もはや魔手の一振りが射撃部隊の先頭にたつアカリに届きそうだった。醜い形相の随所を鉛弾につぶし、無数の矢を生やした一頭の魔獣は、ようやく膝を屈し、苦悶の吼え声をはっした。果てることではなく、これ以上の暴虐を尽くせないことへの無念がそうさせるような聞くに堪えないおぞましい遠吠え。

 アカリは眼前でひらく顎のなかの洞に照準を重ね、撃発の真言を声にだして叫ぶ。

「爆ぜろ!」

 脊椎を破砕され、首筋を内側から破裂させたアバドンは、ゆっくりと斃れ伏した。

 王都でアバドンの撃破が叶った最初の瞬間であった。

 無論、喜びに沸く余地はない。左翼の一頭は健在であり、最後の防衛線を潰しにかかっている。今からではどんなに火力を注いでも埒外にしぶとい魔獣を仕留めることは不可能だった。これ以上の抗戦が意味するところは火を見るよりも明らか、全滅である。

 そう決断したジュディの行動は速かった。

「都民の避難は完了した! 私たちもなかへ!」

「そんな! まだ兵士たちが戦っているのに」

 ライアスの悲痛な訴えには目もくれず、ジュディはアカリと部下たちを早々に退避させた。眼前に死が迫る状況を冷静に分析して、青年の矜持につき合う手間を惜しんだのだった。

「ライアス! ぐずぐずするな!」

 鷹の目団のカインが肩を掴むも、ライアスはそれを振り解いた。

「駄目だ! 彼らが先だ!」

「いいえ。ハイントン士官。ここは我らの死地。あなたのではない」

 剣を拾い上げ戦線に加わろうとする青年の腕を、壮年の小隊長はそっと掴んでかぶりを振った。口髭を蓄えた面差しは優しげな微笑を湛えていた。そのまま下水道の竪穴へと突き飛ばす。

 それでも折れようとはしないライアスを引き受けたのはジュディだった。脚を掴むと穴のなかへ強引に引きずりこむ。

「ハイントン士官。仮初めの部隊ではありましたが、あなたのような人の配下にあれたこと、あのような経験ができたこと、我らは誇りに思います」

 木蓋が閉じられる直前、ライアスは頭上から降り落ちる今際の声を聞いた。そして直後、閉じられた木蓋の隙間から滴った温かい鮮血が彼の顔にぱたぱたと落ちた。

 駆け寄って手を差し伸べるアカリ。ライアスはそれを押し退け、ジュディの胸倉を掴んで壁に押しつけた。その腕に力があったのと血塗れの貌に憤激があったのは一瞬だった。どうしようもなく激しい悲しみに、俯き、歯を食いしばり、涙を流した。

「誇りだなんて……ぼくは彼らに何もしてやれていない……。ただ、下級士官として、指揮の真似事をしていただけだ……。それだって本当は嫌々だったんだ……。ぼくは、ぼくはッ、彼の名も知らないッ……!」

 時として冷酷な決断も辞さなかった異邦の始末屋は、冷たい相貌の眸に底知れない悲愴と諦観を湛えて、項垂れる青年を見つめていた。

 ライアスは腕を解き、その場に跪いた。背を丸め、汚れた石床に額を擦りつける。

「ジュディさん……すいませんでした。あなたが正しかった。ぼくが計画を止めようとしなければ、こんな事態には……」

「いいえ、違うわ。それはちょっと自信過剰よ。あなたが阻もうとしてくることも織りこみ済みだったもの」膝を折ってライアスの肩に手を置いたジュディ。口角を力ない微笑に緩めた彼女は、頭上を睨み据え、唾棄するように続けた。「その上で計画は失敗した。まるで奇蹟みたいな悪運にミリアは護られた。運命なんて言葉を遣うのは癪だけれど……。まあ、神さまはいないってことね。自分たちの力でなんとかするしかない」

「とりあえず今は、この方法で助けられるだけ助けるしかないよ」

 先込め銃に弾丸を挿しこんだアカリが背後の人いきれを窺った。

 その眼差しの先には多くの都民の姿があった。自主的に避難したもの、彼らが先のような手際で誘導したもの。憔悴しきった面差しはの数は百名近い。アバドンの巨体では地下水路への侵入は不可能なのである。奇しくもそれは、魔獣が跋扈するケイルらの世界で、人類が採っているシェルターの理念に近い対応策だった。

 王都に降り頻る血の雨が石畳を滲みて汚水を斑な朱色に染めていた。頭蓋をうちから圧すその臭気に咽び、慨嘆にすすり泣く声は、血河のせせらぎのように絶え間ない。そこにはライアスの両親もあった。軍人として戦い負傷した父親とそれを介抱する母親。民の救出に尽力する自警団の先陣に立つ息子の姿を、母は心配そうに、父は誇らしげに見つめていた。

 涙と血のりを拭って立ち上がったライアスは、相方の少女に毅然と頷きを返した。

 ふと西方であろう方角を仰ぎ見て、心うちでこぼす。

 ――あるいは、ぼくたちの奇蹟が訪れるのを祈るしかない。




 空を飛ぶという行為は、古来より人の憧れだった。

 ひらひらと舞う蝶を見て、天高く舞う猛禽を仰ぎ、ロマンチストは自分もそうあれたらどれほど素敵なことだろうかと夢想する。しかし、その憧れを実現するための具体的な試みが噂としても囁かれない時代、人は飛んだらどう感じるのか、豪胆であったサイの乙女のような絶叫が如実に物語っていた。

「きゃあああぁ! 落ちる! 絶対落ちるってこれ! ちびっちまうよう!」

 風を切る轟音、鉄の軋む異音、四基のエンジンからほとばしる爆音。慣れないものの平静を奪う音響が氾濫するなか、それに負けじと絹を裂くような悲鳴に喉を傷めるサイは、開けはなたれたサイドドアの先で目まぐるしく移ろう地上の光景を凝視していた。

「うぐぅぅ……。気持ち悪くなってきた。うえのお口からもなんかでそう……」

 うめいて、離陸してから騒ぎ通しだった彼女はようやくおとなしくなった。

 どこまでも下品な同年輩の女にリルドは暑く嘆息し、スーラは心配そうに妹の背中をさする。サイほどの素直な恐慌は示さないものの、二人も地に足がつかない浮遊感に身体を強張らせていた。ゼロットだけが爛々と目を輝かせ、サイドドアから身を乗りだして豪風を楽しんでいる。

 秋の優しい陽射しが緑葉を赤と黄に色づかせる草原地帯。ケイル一行はかつて歩んできたその道のりの中空を、亜人たちが戦女神の鉄碑と崇める鋼鉄の機構に搭乗して高速で航行しているのだった。両翼のエンジンから蒼白い残光をなびかせて頭上をかすめるずんぐりとした鉄塊に、小動物たちもたまらず首をひっこめる。

 クマバチ。混沌の森の片隅で巨体をうずめていた垂直離着陸機は、密封保管容器の燃料を注ぎ、バッテリーに外骨格のナノマシン給電システムを接続するだけで、驚くべきことにかつての性能をいささかも損なわずに飛行しているのだった。亜人たちを残して古都をあとにした六人は、望外の速度で王都へと急行している。

 窮屈な操縦席で桿を握るT67。隻眼となった彼女はやや苦労しながらも、それでも慣れた様子の手際は如才なかった。

 座席に手をかけて彼女の背後から顔を覗かせたケイルはキャノピーからの流れゆく展望に目を瞠った。これは彼らの世界から持ちこまれた異物だが、アバドンが地表を支配してからというもの、どうしても目立ち彼らを引き寄せてしまう航空機の運用は消極視されていた。初めてではないにしても、彼にとっても新鮮なのである。

「まさか動くとはな」

「七年間の手慰みの成果さ」

 T67はうそぶく。守護者として、静観者として、森からでることを拒んでいた彼女。機体の整備は隠居じみた生活での数少ない作業らしい作業なのだった。

『それにもともと長期保管を想定されて設計された機体だしね』

「もとより非常時の脱出用として埃を被っていた機体だからね」

 ケイルの意識のアーシャの声と、副操縦席に腰を埋めたルークの言が重なった。使用者にしか認識できない彼女なのでそういった不和はしかたのないことだが、無論、アーシャがおとなしく身を引くわけがない。

『ちくしょうっ! ホログラムだからって調子にのって! ちょっと私がラリってるすきに電子幻影少女の地位を脅かしやがって、このショタガキが! つーか弟とかありえない!』

 存在を意識の底に沈めていた間に溜っていた鬱積を晴らそうと、ここぞとばかりに喚き散らすアーシャ。やはり、奔放な相棒が姉弟などと聞いて黙っているわけがなかったかと、ケイルは苦笑いおびただしくかぶりを振った。

 包帯が厚く巻かれたT67の後頭部を見つめ、ふと訊ねる。

「この機を操縦している時に、レイアに召喚されたのか?」

「そうだ」

「一人だったのか?」

「まあ、そういうことになるな」ケイルの疑問を察したT67は曖昧に答えた。

 たった一人で輸送用のVTOL機を繰るという状況が、穏やかであるはずがない。そうせざるをえないただならぬ事情、酸鼻極まる事態があったのは、あえて多くを語ろうとしないT67の態度から明らかだった。

 不穏な沈黙が停滞する。ルークは上目遣いで使用者を責めるも口を挿もうとはしない。会話を諦め、曲げていた腰を起こして後部座席にさがろうとするケイルだが、長く気だるげな観念の嘆息が彼を引き留めた。T67は告白する。

「……ある複合シェルターがアバドンの内部出現に遭い、ほぼ壊滅した。私は大挙して押し寄せるアバドンを引き離すために、独断でこの機を駆りシェルターを離れた」

 つまり、身を挺して囮となったということ。結果だけを見れば、その一言に集約される。しかし、その過程には複雑な機微が、レイアの転位の魔道の琴線に触れた彼女自身の切望があったのだ。

「そうか」ケイルは静かに頷き、それ以上、幼なじみの軍人の傷んだ心に無骨な足で踏みこもうとはしなかった。「王都まであとどれぐらいかかる」

「おい。私は指示通りに東へ針路をとっているだけだ。森からでたことがないといっただろ」

「王都から来た君のほうが詳しいはずだよ」

 揃って唇を尖らせるタルタロス。うめいたケイルはアーシャに助け舟を求める。

『ふん。自宅警備員気取りの機械化兵装が。つっかえないわね』存在意義を護られた少女は自慢げに胸を逸らせて数値を弾きだした。『古都から王都まで、直線距離にしておよそ六百四十九キロ。クマバチの速度を鑑みるに、あと三十分ってところね』

「あと三十分だそうだ」

 その人伝のような物言いから、アーカーシャ・ガルバとの遣り取りを察したタルタロスの二人は顔を見あわせ、しげしげとヘカトンケイルの双眸を見つめた。前方に向き直ったT67は息を吐き、ぼそりといった。

「……心ないことをいってすまなかった。彼女にも謝っておいてくれ」

『ごめんで済んだら警察はいらないっつーの! つーか幼なじみとか! なにちゃっかりヒロインレースに参加しようとしちゃってるのよ、このビッチ!』

 H09の脳内で形成された別人格のカオスじみた性格は、知らぬが仏というものである。もし彼女がホログラムであるルークのように他者に認められる存在だったなら……それは想像を絶する想定だった。ケイルは相棒の意見をかなりかいつまんでうめくように告げる。

「……必要ないそうだ」

「そうか、よかった……。ところで、後部座席のキャビンを見てみろ」

「何があるんだ?」

「私は最期までアバドンと戦うためにこの機に乗ったんだ。手ぶらのわけがないだろう」T67は口角をにっと持ち上げる。「ちょっとしたお土産さ。きっと気にいる」

 クマバチ機内のほとんどを占める兵員搭乗スペースの後方はちょっとしたキャビンになっていた。尾翼を有する構造上、搭乗には適さない後端のデッドスペースを格納庫として有効利用しているのである。帯同者たちの芳しくない顔色を窺いながら搭乗席を横切ったケイルは、スライディングドアを開けた。

 転がりでた円筒形の物体がこつりと足にぶつかる。電離焼夷手榴弾だった。

 ぴゅう、とアーシャは口笛を吹く。

『おもちゃがいっぱい。ご機嫌ね』

「悪くない」

 手榴弾を拾い上げたケイルはお手玉のように弾ませながら、くぐもった笑いを転がした。

 正面でずらりと並ぶラックは多様な銃器で埋まり、弾薬や爆薬を意味する物々しい注意書きが記された梱包が左右で平積みになっている。シェルターから持ちだせるだけを積みこんだのであろう、武器庫といっても遜色ない品揃えだった。

 さっそく物色し、身支度を整える。ケイルは短機関銃に手を伸ばした。駐屯部隊用に個人防衛銃器と呼べるサイズにまで小型化されたニューマチック銃器だ。短い銃身に較べて極端に肉厚な扇型の銃床の内部にコンプレッサーを組みこんだ、ダガーPDWと呼称されるブルパップタイプの圧搾空気利用式短機関銃だった。

 それを諸手に一挺ずつ握ったケイルの脳裡に、怪人の姿がよぎった。分身の辿った呪われた生涯を受け容れ、あのおぞましい姿を刻みつけるように、ケイルは二挺を専用のホルスターに収め、両の大腿に捲きつけた。

 八角形の長い銃身が特徴的なレイピアABRは幾つも並んでいたが、弾丸生成機能や外骨格同期システムといった機械化兵装用に拡張されたABR2はなかった。使い慣れたものに較べてやや小ぶりの一般的なサービスライフルであるレイピア突撃銃を手に、手早く点検を済ませたケイルは背に保持した。各種弾倉と手榴弾を持てるだけ腹部のパウチに収めていく。

 最後に、一隅で蹲っていた巨大な得物を担ぎ、搭乗席に戻った。

 その物々しいいでたちを目にしたサイが、脂汗の滲んだ顔でにっと笑う。

「ケイル。ずいぶんと嬉しそうじゃないか。水を得た魚って感じだね」

「わかるか?」

「まあね」

 ケイルはサイドドアの近くではしゃぐゼロットの首根っこをつかまえて脇にどかすと、展開式銃架をひっぱりだして担いでいた得物を固定した。後端のグリップを把持し、電源スイッチを指で弾く。途端、目覚めた巨砲は紫電の体熱を帯び、くぐもった吸気音を律動的にはっする。

 破壊の叡智が詰まった機関部は装甲じみた鉄板に覆われ、八本の細長い鉄板を円形に並べたような異様な砲身がその片鱗を誇示している。弾片電磁投射砲、クレイモア。ドアガンの搭載によってクマバチは、無力な輸送機から対地攻撃機へと昇華したのだ。

『……ねえ。せっかくだから、あの女と繋がってみる?』

 コックピットを親指で示しながら面白くなさそうに提案するアーシャ。

 やきもち焼きの相棒に忍び笑いをもらしながら、ケイルは頷き、操縦席の内壁を叩いた。振り返ったT67に向けて、耳元を指さす。すぐに意図を察したタルタロス。ルークが笑顔満面に首肯した。

「……T67。聞こえるか」

「H09。感度は良好だ」

 やがて、ケイルとT67、符丁を呼び合う硬質な声がそれぞれの耳元で囁かれる。

 インタフェイスアーマに備わった相互通信システムの周波数を同期させたのだ。それは単純に無線の役割を果たす。しかし、ケイルにとって、他の機械化兵装と通信をリンクさせるのは初めてのことだった。というよりも、特定の個人と繋がるのは初めてだ。軍人として幾多の共同軍事作戦に従事し無線慣れしているタルタロスにあっても、忌み嫌われていたヘカトンケイル・オーシリーズと繋がるのはこれが初の試みである。

 それ以降、まるで電話慣れしていないカップルのように会話を途絶えさせる両者だが、ぼそりと、T67は告げた。

「……グレイス」

「なに?」

「軍人として、人としての私の名だ。グレイス」

「そうか……。あんたには名前があるんだな」

「何をいっている。お前にもあるだろう。ケイル。それはもうお前の名前だ」

「ああ……。そうだな」

 確かにそうだ、とグレイスの言葉を噛みしめて、ケイルはマスクのなかでそっと頬を緩めた。アーシャは白目を剥いて鼻をつまんで見せたが、それは微笑みを湛える口角を隠すための彼女なりの照れ隠しに違いなかった。

 他のヘカトンケイルとの邂逅を望んだ彼。その切望は予期せぬかたちで叶い、残酷なまでに裏切られたけれど、その過程があったからこそ達することができたこの現状を、けっして不快だとは思わないのだった。

 かつての営みを取り戻し始めたカボル村を機影が過ぎ去った。天を駆る疾風のごとき鈍色の巨体に以前悪魔と罵った英雄の姿を重ねた女たちは眩しげに頭上を仰ぎ、救われた幼い兄妹は東の空に消えるまで手を振っていた。

 ケイルは表情を引き締め、銃把をきつく握った。ゼロットは元込め銃を胸にかきよせ、サイは震える姉の肩を強く抱き寄せた。刀剣の鯉口を切り、刃の波紋を見つめていたリルドは、断腸の決意に面持ちを起こした。

 王都は近い。




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