51 憎しみの解決
アバドンという未曽有の災厄を語るにおいて、最大にして最悪の争点。揺るぎなき大前提として小児に教えられる質量保存の法則さえも無視したその出現現象には、ついに科学は解答を見いだせなかった。
無理からぬことだ。可能性の大海たる並列世界、その膨大な泡のなかの些末な欠片に過ぎない一人の女、彼女の悪意こそがすべての災厄の原因だなんて、いかに繁栄の輝きで未知の闇をことごとく消し去ってこようとも、言ってしまえばしょせんは自分たちの世界に囚われた井の中の蛙に過ぎない人類に究明できようはずがない。
よって、建設的な打開策はなかった。
だからこそ、無数の対抗策は猛火のごとく生み落された。
戦争が技術躍進の発火点となる側面を有しているのは言を俟たないが、戦況が窮地になればなるだけ、その開発は比例して貪欲となり、また良識は反比例して薄れていく。劣勢に立たされた側が縋る、もっとも即物的で、もっとも効果的な対抗策とは、敵対勢力の兵器の鹵獲と使用、戦術の解析と模倣である。
だから科学者たちは当然のなりゆきとしてそれに着手した。サンプルは文字通り腐るほどあった。アバドンは一度現れたら死骸となっても消えることはないのだから。
悪夢から飛びだしてきたような形状、破壊の化身と恐れられる膂力。それらがどれほど現実離れしていようとも、ものとしてそこにありさえすれば、メスはすべてを切り開き、頭蓋のなかをかきまぜる。
怪生物の生態は着々と究明され、彼らの思考回路は、あるいはその外観以上に生物学的に不自然であることが、すぐに明らかになった。彼らは腹を満たすために他の生物を襲うわけではない。捕食だけが目的であるならば、腹が満たされてなお留まることを知らずに襲いくるわけがない。
必要以外に虐殺に手を染めるのは、多種多様な生物のなかでも人間だけである。すなわち、野性のことわりに反したアバドンの執拗な貪欲さの裏には、人為的な操作が加えられているのは疑いようがなかった。それが意味するところはつまり、争乱の落とし子――生体兵器。
物理法則を無視した出現現象の次に人類を苦しめた、その生体兵器の特異点。何時いかなるときもけっして揺るがない敵意、こう言ってよければ、弛まぬ戦意の源泉には、他の生物に対する飽くなき憎悪があった。生存本能さえも逸した狂的な怨嗟が、彼らを殺戮に駆りたててやまないのだ。
敵勢力の兵器と戦術の解析を終えて、計画は次の段階、その模倣へと進んだ。
そう、計画――。このころから科学者たちははっきりとしたヴィジョンをもって、アバドンの思考を侵す呪縛のような闘争心の模擬応用を推し進めていた。
ヘカトンケイル。
その醜さに封じられるも、身を挺して争いに貢献した愚直なまでに忠実な巨人。計画に付与されたその名は人造の仔らの行く末を暗示しているようであり、禁忌に手を染め、あくまでも秘密裡に事を進めようとした権威者たちの自責の表れであったのかもしれない。
「終わりなきアバドンの襲来。果ての見えない戦いを続けるためには、理由が必要だ。生きるためという動機だけでは不十分だった。生きるためならば、生物は闘争ではなく、まず逃走を考える。勇み足よりも、逃げ足のほうがずっと速いのさ」
スーラの手許がぽうっと淡く光る。治癒魔術の寂光が、激痛の脂汗を玉のようにふくT67の顔を弱々しく染めた。スーラの膝に頭を預け、残った片目を仰臥する怪人の遺体から離すこともできないまま、彼女は噛んで含めるように語り続ける。
それは自身の世界の言語だけではなく、この世界の言語に同時通訳されていた。治療に手を尽くす現地人へのせめてもの誠意であり、文明の鎮護者を手にかけた怪人の身許の推定であり、そして何より自分たちに酷似した存在の兇行への罪悪感がそうさせるのだろう。
多くを物語る切なる声だけが、希望の命がついえた寝室にしんしんと沁みていく。
「望みのない終末戦争を戦い抜く最強の自律兵器に、何よりも必要だった戦い続ける理由、それはアバドンが持ち、人間には持ちえないもの……不退転の闘争心。我が身はおろか、他のすべてを顧みず外敵を屠らんとする狂的な戦意。怪物と戦うための怪物が必要とされたのだ」
「……正義の味方と悪の敵は似て非なる」
魔術をほどこしながらも、言わんとするところを逸早く理解したスーラの唇から戦慄の呟きがこぼれた。
決着からしばし、硬直してT67の語りに聞き入っていたサイは、姉の核心じみた言葉にはたと我にかえり、ケイルに駆け寄った。
流血おびただしい胸甲の亀裂に手をやるも、ケイルは静かにかぶりを振り、部屋の隅で懸命に身体を起こそうとしているリルドを視線で示した。T67に向き直る。その視界の端で、アーシャはすべてを観念し、きつく目を瞑り、俯いていた。
「その闘争心の源泉とは、憎悪……。貪欲に敵の首を追い求める純粋にして真正の憎しみだ。その対象はアバドンだけに留まらない。排除するべき敵はやつらだけではなかった。悪をなした人もまた、憎悪の標的なのだ」
T67の表情が重苦に歪むのは化学火傷のせいだけではなかった。まるですべてを既知する自分に科せられた使命、罪への罰であるかのように、焼傷以上に深い心の傷に苦しみながらも、彼女は続ける。
「だからこそ、お前たちにはある種のリミッターが設けられている。一定規模の武装集団と敵対した際に抵触する制限、人為的な改悪……。なんという歪さなんだろうな。とどのつまりが、その気になれば人の手で殺せるようにできているのさ。この意味するところがわかるか?」
不意にT67はくつくつと失笑した。無理な諧謔の裏で見え隠れするのは、どこまでも深い空虚と失望だった。
「異邦の生体兵器であることがわかっても、アバドンの出生は依然として不明だ。だが想像はつく。我々と同じだよ。他の世界で何かしらの脅威に対抗するために製造された生体兵器。無尽蔵のようなアバドンの勢力から考えて、その文明はきっともう滅んでいる。あるいは、その種が生き残るために理性を棄てたかたちなのかもしれない」
T67の視線を追って、ケイルは怪人の遺体を見やった。
限りなくケイルに類似した存在。他の世界のヘカトンケイル・オーシリーズ。ならば、果然、彼の世界もまた埒外の脅威にさらされていたことは明白だった。だからこそ、彼のような存在、ケイルのような存在が造られたのだ。アバドンに対抗するための、人造のアバドンが。けれども、その襲来する側のアバドンもまた、もとをただせば人造なのである。
そう、それはまるで――
「まるで流行り病のようじゃないか。滅びの獣という名の、文明を滅ぼす変異ウィルス……。もちろん、それはミリアの憎悪の転位があってこそ伝染する病ではあるが、それにしたところで、とんでもない皮肉だとは思わないか。抵抗するつもりが、せっせと原因になりえる存在を生みだしていたのだから……」
アバドンという現象は、滅亡への恐怖を温床に増殖し、伝播している。少なくとも、怪人とケイルらの世界、二つの世界に感染している。正確な数は知りようもないが、ミリアの無差別な悪意に目をつけられた世界がたったの二つだけということはあるまい。
T67はやおら上体を跳ね起こし、こぶしで床を打った。石床を砕いてもなお、その腕と語勢は晴れることのない憤怒にわなないていた。
「そこまで想像していながらっ、自滅の途を歩んでいるとおののきながらッ、民や犠牲者に他ならぬお前たちを欺き、残酷な改悪をほどこしてまでもッ! 権威者たちはヘカトンケイル・プロジェクトに執着した……ッ」
錆を含んだうめきをはっしたT67は顔に手をやる。激情の形相で固まる表情筋の引きつりもまた、火傷のせいだけではなかった。スーラとともに手振りで彼女を鎮めたルークが、気おくれに目を泳がせながらもケイルを見やり、重い述懐を継いだ。
「……次世代の強化兵士製造プロジェクト、ぼくたちタルタロスの下地ができあがり、その有用性が認められて、ようやくヘカトンケイルは凍結されたんだ。……いや、凍結とはいえないかな。タルタロスまでの二百五十九体は継続運用が決定されたけれど、もっとも色濃くアバドンの闘争心を引き継ぐ君たちオーシリーズは……その……」
「廃棄が決定されたんだな」
言いよどむルークに、はっきりと告げたのは他ならぬケイル自身だった。
アーシャは沈痛おびただしかった白い顔をとうとう絶望に覆い。終始、難しそうに眉根を寄せていたゼロットも、このときばかりは息を詰まらせてまじまじとケイルを見あげた。
発声を躊躇わせる重く苦しい寂寞が部屋にのしかかる。
優秀な魔術士であるスーラに比しても、治癒に関しては専門であるサイの手腕はさすがといえた。たちどころに起きあがれるまでに回復したリルドは、怪人を瞥見した。翳る眼差しに様々な思いをよぎらせながら、それを断ち切らんと二体の異形の遣り取りに傾注する。
「私の知るかぎり、オーシリーズで生き残っているのは、H09、お前が最後の一体なんだ」
厚い被膜のような沈黙は、T67によって破られる。石造りの空間に充溢する粘性の悲愴は、それによりむしろ一際濃度を増すばかりであったが。
「以前の八体の改善点を組みこんだ、最悪にして、ゆえに最強の機械化兵装……。だからこそ生き延びたのだろう。……お前たちに割りあてられた単独での長距離強行偵察。いいか、普通はそれを自殺行為というんだよ……」
粘りを感じるほどに湿った流れに負けじとサイはあえて慌ただしくケイルに取って返し、すぐにその一種独特な詠唱を始める。胸元にそっと身を寄せる姿は親愛を思わせたが、しかしケイルは胸部を包む優しいぬくもりにも、憂慮に曇る眼差しにも気を向けず、赤い眼鏡の視線は部屋の一隅の薄闇にそそがれていた。
「お前はそうとも知らずに、不満の一つもこぼさずに、黙々とこなしてきたのだろう。一体での多くのアバドンを道づれにして、戦死することを望まれた決死の任務の数々を……。血ぬられた夜を越えても、その先にあるのは血まみれの朝だというのに……」
ケイルがもとの世界で帯びる任務は、まるでどれだけの負荷に耐えられるのか、耐久限界を試すかのように、日を追うごとに困難なものになっていった。達成して帰還しても、待っているのはさらなる過酷な任務。ストレステストは、対象が壊れるまで終わらない。
この世界に召喚される直前の任務こそが、その極めつけだった。レイアによって導かれなければ、最期になっていた。
「ほんとうに愚かだ……。果たして人という種は、どこまで残酷で、どれほど醜悪なのだろうか……滅びることは、もはや運命なのだろう……」
語尾を底なしの悲愴を沈没させて、もはやこれ以上口にするのもむなしいとT67の言はついえた。彼女がすべてを知ってなお、ミリアの征伐に向かわなかった理由はそこにあった。ゆるやかな滅びを是と受け容れるしかないほどに深く、昏い、文明への悲観。
アーシャは凍えるように細い腕で躰を抱き、足許に視線を縫いつけたまま声を圧しだした。
『森で彼女に追われたとき、その言葉の端々から、私はすべてを理解した……。あなたには知ってほしくなかった。私たちが憎み、殺し続けてきたアバドンが、その実、すべて私たちの兄弟ともいえる存在だなんて……』
「……アーシャ」少女の震えは収まらない。柔肌が剥落し、脈動する赤黒い表皮が現れつつあった。けっして起こそうとはしない顔は、魔獣のそれに変貌しつつあった。
『私はあなたの精神を保護するためにある……。それはつまり、あなたの憎悪を容認し、増長させるためでもある……。そんな醜い姿を、あなたには見てほしくなかった』
ケイルのために真相を自分だけで抱えこもうとした彼女。しかしそのための手段は真実を知るT67や怪人の抹殺であり、それこそが彼女が必死に隠そうとした、心の隅々にまで滲みついた憎しみの証左、脳髄でうずく憎悪からの命令に他ならない。
大切な人を護るために、隠したい獣性を受け容れるしかないという自家撞着。その名状しがたい歪さは、頭脳を共有しながらその機能を隔てるという彼らの設計に由来する。自閉の禁則を犯し、無知の監獄を脱して、禁断の真実に触れようものなら、僅少の人間性をも奪い去ろうとする貪欲な獣が牙を剥くのだ。
それは意図されたものだった。それによって権威者たちは、殺処分の大義名分をえるのだ。
『もう、どうにもならない……。なぜ別の世界のあなたがレイアを殺したのか。私はわかるのよ。それをなせなかったのが私たちでなかったことを悔いるほどに、ようぅく、わかってしまっている……』
ケイルには、相棒のおぞましい姿を見つめ、痛ましい声を聞くことしかできない。
言葉もなかった。答えるまでもなかった。T67と同じくすべてを既知していたであろう怪人。憎悪の殺意を介して通じあい、暗黒面のうちに自分のすがたを認めた時点で、彼もすべてを理解していた。
怪人とアバドン、どこが違うのか。憎悪に憑かれた魔獣と魔人。獣か人か。かたちが違うだけでしかない。そう、あるいはこの世界もまたアバドンという病症の毒牙にかかったといえるのだ。末期といえる世界から訪れた怪人、彼の手によってこの世界の希望は閉ざされたのだから。
怪人にあるのは、憎悪だけだった。レイアを手にかけた動機も、憎悪以外にありえない。彼女に対するものではなく、彼女が護る世界への憎悪だった。
彼はアバドンを憎んだ。悪党を憎んだ。アバドンを造りだした文明を憎んだ。憎しみを追及し、憎しみの根源を求め続けて――そうして彼は、とうとうすべての人類を憎んだ。すべての文明を憎んだ。だからこそ彼は、憎むべき対象を並列世界から消し去るために、人類文明の終焉を望んだ。
滅亡を回避するために造られた憎悪の兵器。
それが見いだした憎しみの解決は、滅亡にあった。
ケイルは思わずにはいられない。
巡りあわせが違っていたら、レイアを手にかけていたのは自分だったと。
もし彼がもうすこし恣意的で、もとの世界でヘカトンケイルにまつわるすべてを知っていたら、無限の憎悪の境地に達していたら、ミリアに転位されたのはケイルだったのかもしれない。諸悪の権化であるミリアには目もくれず、世界そのものにこそ滅するべき悪を見いだしていたかもしれない。
ぴしゃり、と。
軽い衝撃がケイルの胸を叩いた。
サイが唐突に手刀をはなったのだ。
まるで息子を叱りつける母親のような微塵も物怖じを感じさせない憤然とした表情で、ケイルを睨めあげながら、ぺちりぺちりと外骨格を殴り、脛に蹴りをはなつ。あまつさえ弱点を狙うように胸の裂傷に頭突きをくらわせる。
「痛いんだが……。やめてくれ」
サイの応急処置によって出血はとまっていたが、たまらずケイルはうめいた。
しかしサイの打擲は止まらない。治癒させた当人とは思えない狼藉だった。
「うるせえ! 治したばかりの身体の殴りぐあいを試させろ!」
『じゃ、ジャイアン……』
あまりの暴言にアーシャは少女のすがたを取り戻しておののいた。
ゼロットが無言のまま懸命に身体に縋りついて止めにはいるも、その頭にもげんこつをはなつ。
「むしゃくしゃしてたとこだ。一発殴らせろ」
『やっぱりジャイアンッ!?』
皆がぽかんと放心して見つめるなか、逆上したゼロットとあろうことか取っ組み合いの喧嘩をおっ始めたサイは、ケイルに腕をつかまえられ、ようやく暴状を鎮めた。けれども今度はゼロットがおさまらない。意趣返しとばかりに封じられたサイの腹に当身を見舞う。
「……あなたたちは一体何をやっているんですか」
嘆息のうちに久しく穏やかな苦笑をにじませたリルドが少女の肩をおさえて、ようやっと客人たちの騒乱は治まりをみせた。
サイはケイルの手を乱暴に振りほどき、がりがりと後ろ髪を掻いた。
「気ぃ遣ってそっとしといてやったけどさ。もう我慢の限界だ。はっきり言わせてもらう。あんたは馬鹿か。さっきから、何を一人でおもっ苦しい雰囲気だしちゃってんのさ。部屋の隅で膝を抱えるガキじゃなし、目障りなんだよ」
言葉を失うケイルの胸元に指を突きつける。
「ようするにあれだろ。敵が憎くて、憎しみを糧に戦っているってだけの話だろ。確かにあんたは度が過ぎるところもあるけどさ……。でもね、いいかい。そんなのは普通のことなんだよ。悪党を憎むのは、当たり前のことなんだよ」
なおも溜飲をさげないサイの怒りの矛先は、今度は姉に指向した。
「姉ちゃん。正義の味方と悪の敵は似て非なるだって? いかにも穿ちたがりなお利口さんの意見だね。正義の味方も悪の敵も、護られるほうからしたら同じことなんだよ。護られた人からすれば、護った人間の動機なんて関係ない。正義の味方も悪の敵も、みんな一括りで良い人間なのさ」
腕を束ねて、つんと顎をあげる。その頬はほのかに紅潮していた。彼女が初めてみせる年頃の女らしい可愛げのある表情だった。
「あたしは感謝してるんだよ。あんたはポルミ村を救ってくれた。城壁の難民も、カボル村も、ヒルドンの町も。あんたは敵が憎い一心でそうしたのかもしれないけれど、護られた人たちは感謝してるはずさ。カボル村の人たちだって、きっと今ごろは命があることに感謝してるさ。それなのになんだい。あたしたちの感謝も考慮しないで一人で落ちこむなんて、それこそ身勝手な話さ。あんたがどうあろうとも、あたしたちの好意は嘘じゃないんだよ。だから今もまだこうしてあんたと一緒にいるんだろうが。違うかい?」
答えに窮するケイルを、潤ませた横目でじろりと睨む。
「返事は?」
ケイルは帯同者たちに視線を転じる。
ゼロットはかくんかくんと首を縦に振り、リルドは薄く瞑目して肩を竦めてみせた。
巡りあわせ次第では、怪人はケイルであったかもしれない。
しかし――そうはならなかった。
ケイルはサイと出逢い、ゼロットと出逢い、ライアスに、リルドに、シェパドに、アカリに。彼らに出逢うことができた。それだけで怪人とは異なっていた。そうはならなかった巡りあわせ、両手の指で数えられるほどのちっぽけなつながり、それこそが何よりも大切であり、すべてだった。
「ああ。すまなかった」
そして、誰よりも相棒を想う少女とともにあれたからこそ、憎悪の境地に身を堕とすことはなかった。
ケイルは相棒をまっすぐ見つめ、アーシャは頬に輝きのしずくを伝わせて見つめ返した。いつものように力強く頷き、いつものように軽薄にうそぶく。
「行こう」
『ええ。お転婆王女を調教してやりましょう。お尻ぺんぺんじゃ済まないわよ』
立ち去ろうとする四人を、スーラはあわてて呼び止める。
「どこに行こうというのですか? まさか王都に?」
寝台で永眠につく眠り姫をそろりと見やって、顔中にぎゅっと悲しみを溢れさせるも目尻に理性の一線をひいて、ひどく力なく首を左右に振った。
「唯一の枷から解きはなたれたミリアによって、今ごろ王都は想像を絶する地獄になっていることでしょう。……この世界、いえ、すべての世界は、レイアの命と等しく、もう終わってしまったのですよ……」
「まだ終わっていない」
ケイルの言葉を、サイが引き継ぐ。
「そう。あたしたちが生きてるかぎり、まだ終わりじゃないよ」
別れを惜しんで物寂しげに姉を一顧するも、その声には幾分の揺るぎもなかった。
憎悪の魔道士の計略に易々と陥って無垢な希望を追放した都民。目先の苦痛から逃れるために呪われたさだめを後世におし付けた権威者。人という種への悲観が心の深い部分に根をおろした古都の住人に背を向け、客人は去りゆく。
「待て。待ってくれ」
T67は立ち上がり、ケイルに言い縋った。焦慮に駆られて発された制止は哀願じみた色合いを帯びていた。
「何がお前をそうさせるのだ? ミリアへの憎しみか? それとも……」
「さあな。そうしたいからそうするまでだ。これでも俺は、この世界にきてから、わりと好きなようにやらせてもらっているんだ」
自虐を孕んだかすれるようなものではあったが、その声色に確かな笑いを認めたT67とルークは、絶句して顔を見あわせた。すべてを知ってなお、人を救おうとする憎悪の兵器の諧謔に、彼女たちは設計を超越した何かを見ていた。
何がケイルを次なる戦いへと動かすのか。当人にも正体は知れずとも、そこにあるのが憎悪だけでないことは、誰の目から見ても疑いようがなく明らかだった。
「ほんとうに、何がお前をそうさせるのだろうな……」
T67は噛みしめるように同じ台詞を繰り返した。単眼からもれでる優しい色合いの光はその呟きの答え、ケイルの傍らに立つ女たちに注がれていた。彼の帯同者、いや、仲間たちは誇らしげにそれを受け止めた。
「王都まで歩いて行く気か。ついてこい」
T67の先導で寝室を後にする一行。
サイは足を止め、今一度振り返った。
スーラはもっとも長くの時間をともにした無垢にして無二の主の乱れた髪を整えた。波乱という言葉ではとても表しきれない生涯を終えた彼女の行く先が、せめて穏やかであることを祈って、毛布をそっと被せてやると、妹の無言の懇請を受け容れた。
当初の目的を果たした一同は、旅の終点を始点、始点を終点へと変えて、再び歩き始める。
新たな使命を胸に抱いた彼らの眸に宿るのは、終焉の絶望などではけっしてなかった。