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異形の魔道士  作者: IOTA
53/60

50 兄弟




 その怪人が何を考え、何をしたいのかは、誰にもわからない。

 およそ余人の知るところではなく、また知るべきことでもない。共感など論外であり、理解でさえも無為だろう。常識の解釈が及ぶ範疇に、もはやそれの自我はない。

 だから、それの具体的な行動から辿った経緯と、上辺から汲める限りの思考だけを端的に述べよう。

 まず最初、怪人はある女と出会った。一連の騒動の発端ともなった事柄、彼をこの世界に召喚した張本人、憎悪の魔道士、王女ミリアとの必然的な対面、運命的な邂逅である。宇宙のことわりを捻じ曲げて、けっして交わるはずのなかった存在を一つの座標で重ね合わせた二人。

「はじめまして。私とお友達になってください」

 そんな、狂おしいほどに場違いな第一声ののちに、ミリアはねつく、己の異能と自らの思惑を語った。魔道の感覚でその鮮烈な存在を知覚していたとはいえ、肉眼では初めて目にするその禍々しい威容に忽然と、あるいは垂涎と圧倒されながら、手の内をすべて詳らかにした。

 もっとも、それは会話として成立しなかった。賊は終始無反応であったと証言したミリア。その点についてだけは、彼女は嘘を吐いていない。見慣れぬ小動物を見るようにじっと立ち尽くす怪人には、現地の言語を解そうなどという殊勝な思考回路はない。

 しかしながら、言葉は通じなくとも、おそらく意思の疎通はできていた。口先だけの言詞など要らなかった。底知れぬ闇に満ちた漆黒の面相と、それを映す所為でなくとも同種の輝きを放つミリアの眸。似た者同士、無限の憎悪に憑かれた両者の思想はあらゆる垣根をなきものとして通じあっていた。まるで大地を抉る底なしの洞がその最果てで怒り狂ったように滾る熔岩で交わるように。

 次に怪人は近衛兵を殺した。王女寝室前の回廊を我が物顔で闊歩するおぞましき異形――。そんな事態に泡を食った近衛兵たちは、続々と駆けつけ、果敢に怪人の行く手を阻み、そして殺された。怪人はたかる蝿を払うほど造作もなく大量殺人をなした。

 姿をくらませることはもっと造作もなかったはずだ。身に纏う光学迷彩の外套を起動するだけで事足りる。だが敵意を向けてくる相手をあえて屠らない理由が、そもそもそんな選択肢を採る必要性が怪人にはなかった。

 そして怪人は感じた。黒衣の骸のいただきで、おもむろに首筋を撫でる。感情に値するもの一切を外観に覗かせないそれが、初めて見せる人間的な所作。きっとそれは己の根幹に相当する大切な何かが己以外の在り処で勝手に動きまわっているような――いくら言葉を重ねようとも常人にはえも知れぬ感覚。一言で表すなら、それは共振。

 果たして怪人はケイルを発見した。共振を頼りに城の屋根をつたい、騒動から身を潜めるもう一体の異形の男の姿を漆黒のバイザーに留めた。

 見初めるように蒼空を仰ぐ自身と等しい境遇にある機械化兵装を身動ぎもせず見つめながら、怪人は小首を傾げた。再び見せた情緒の片鱗、それは怪訝とも、関心ともとれた。どちらにせよ、すぐにその実体は光学迷彩によって可視領域から消失した。

 それからというもの、怪人の行動は変わらない。傍観、傍聴、尾行、それに終始した。対象は無論、ケイルである。

 彼が王都を脱し、ポルミ村を救い、怪人が犯した罪の濡れ衣で王都へ再び連行されるのを見ていた。ミリアによって潔白が証言され、その実、憶えのない異形の男をも彼を転位させた本人である片割れへの刺客として仕向けたミリアの謀略を聞いていた。西へ向かい、盗賊団を殺し、傭兵団を葬り、ブルへリア兵団を屠るのを見つめていた。

 つまり、ケイルが追い求めていた人物は、その実、彼のすぐ背後にいたのだ。けっして短くはなかったその時間、多様な出来事が巻き起こったその道中、気配で気取られぬ付かず離れずの距離を、誰も知らないもう一人の帯同者として、まるで離れた影法師のように、ひたすらに付き纏っていた。

 なんと悲劇的な事実であることか。ケイルは追いかけているつもりが、終始追いかけられていたのだから、発見できるわけがない。

 もっとも、怪人はケイルの背馳を嘲笑っていたわけではけっしてないだろう。嘲笑などという恣意的な感情がそれにあるのであれば、むしろここまで狂的な尾行などできまい。繰り返すが、それが何を考えているのかは到底定かでない。

 ただ一つ、確かなことがあるとするならば、今こうして、実に一月ぶりに外界に姿を現したその理由。

 憎悪の魔道士の所望に応じ、レイアを手にかけたその動機。

 怪人もまた、文明世界の終焉を望んでいる。




 鈍色の残像を残してケイルの隻腕が背へ奔る。脳波操作による武装保持プレートの解除と強化外骨格の迅速無比な体捌きによって可能となる、長身銃のクイックドロウ。

 条件反射の如き据銃姿勢がかたつづくられる最中、銃把に達した右手の親指によって機関部側面のセレクターが弾かれた。途端、レイピアABRの中で微睡んでいた合金製の精緻な悪魔たちが一斉に目覚め、甲斐甲斐しく踊り始める。

 中立位置にあった二連薬室が回転し、並行して旋盤を兼ねた薬室内で近射程加工された矢状弾が、完成と同時に銃身に沿う。機関の心臓部である圧搾装置から送られた空気に血管の如きチューブは張りつめ、引き金を戒めていた安全装置という仮初めの良識が取り去られる。

 それらすべてがコンマ五秒にも満たない刹那、レイアの寝台を隔てて対する正体不明の怪人もまた敏捷な、そして奇妙な動きを見せていた。

 怪人というよりも、それの一部、背後でうねっていた対のマニピュレータの左方が、突如として怪人の前面へと伸び撓り、身体を隠すように蛇行する。その太さからは想像もできない編み物のような複雑な走駆が、瞬時に網状の楯を形成する。

『あいつは――ッ。まずい』

 人間という種の愚かさ。その一例を身に刻むものだけがうかがい知れる、その象徴、あるいは骨頂ともいえる人工の魔人たる姿かたち。一見して背後関係を察したアーシャは訴えた。

『殺して!』

 しかし身体の一部である得物を諸手の延長線上に収め、殺傷の化身として補完されたヘカトンケイルにとっては是非もない。

 逡巡、当惑、疑問、空隙を生むそれら一切を排してフレシェットが射出された。

 転度の絞られた旋条溝を通過した針状の弾丸。通常弾の四倍の弾頭重量を有したそれは、さながら鑽孔刃の如き獰猛な回転を伴って飛翔する。硬目標へは外層突貫を、軟目標には内部破壊を、従来では相容れなかった万能な殺傷をもたらす変形型安定多目的弾は、しかし怪人には届かなかった。

 着弾の瞬間、金属の絡むおぞましい不協和音と紅蓮の火花が噴きあがり、節足状の鱗が拉げ、弾け飛び、人工筋肉が抉れ、赤みがかった溶液が飛び散ったが、触手の楯を貫くには至らない。

 フレシェットはその万能性の代価として硬目標に対しては、戦車砲の徹甲弾同様、シビアな入射角を要求される。T67と交戦した際もわずかな偏流により外骨格の貫徹には及ばなかった。鉄板を貫くのは容易いが、鉄球は困難なのである。丸みを帯びた触手でつくられる防御壁は、矢をいなす流線型丸楯として機能していた。

 だがそれは一時的なその場凌ぎ、何発も耐え得るものでなければ、網に網目がある以上、鉄壁ではない。ケイルが瞬時に照準を微調整し、二の矢を射出、触手の間隙をかすめながらも突破に成功したフレシェットが旋転し怪人の脇腹に引っ掻き疵をつくった――その間、護るべき一縷の希望を失った無念の守護者の怒声が響く。

「貴様ァァッ!」

 時を取り戻したT67は怪人に向かって突進していた。森でケイルを追い立てた時とは違い、得物という足枷を持たぬ彼女の疾走はそのしなやかな外骨格に相応しく、鋭敏だ。

「スーラ! そこから離れろ!」

 いまだ怪人の付近で譫妄状態にあるスーラへ叫びながら、蒼い眼光の軌跡を残し大きく踏み切って跳躍した気鋭の機械化兵装は、膨張した人工筋肉もそのままに足刀を繰りだす。

 それは、凛々しい雄叫びを迸らせながら左方から怪人に迫る黒い影の抜刀と同時だった。

 時を取り戻したのは彼女だけではない。リルドだ。今度こそ、違えようがない本物の賊。その諸悪の権化たる姿を一見しただけで理解し、確信した。

 その賊を召喚したのが君主であるという葛藤は置き去りに、仇敵を見定めた近衛兵団長は抜き放った剣先を鏃に疾風の飛翔体と化していた。

 寝具を前にする怪人への左右からの挟撃。険悪であった両者によって期せずしてなされた電光石火の連携は、しかし果敢なく防がれた。

 いつかのT67と同じくリルドの刃を片手で受け止めた怪人。だがいつかと違い、放擲などという生温い仕打ちに留まらない。

 ぐいと引き寄せ、強化外骨格の膂力をもって力任せに払いのける。無造作な所作ではあったが、見た目と外力は比例しない。生身の常人にとってそれは鉄の槌での殴打に匹敵する。

 骨折の鈍い音とおびただしい吐血。それだけを残して黒衣の痩躯と意識は無念を感じるいとまもなく弾き飛ばされた。

 一方、T67を阻んだのは右方の触手だった。振り切られた足刀が頭部に炸裂する寸前、待ち構えるように鎌首をもたげていたマニピュレータが目にも留まらぬ速さで伸び、身体に捲きつき、まさしく獲物を圧死させんとする大蛇のように尋常ならざる脹らみをみせた。

 みちみちみちみち。化学由来の腕力による力比べは鉄骨が螺旋状に絡み合うような身の毛もよだつ怪音を伴う。

「っ、あ――! 貴様はッ、いったい、なんだ……? その外骨格、オーシリーズなのか……?」

 胸部と頸部を締めつけられ宙吊りになったT67は必死に抗いながらも声を押しだす。

 至近で怪人の姿を目にした彼女は問わずにはいられなかった。怪人の首から下、配色や細部に違いはあれど、機巧の筋骨が如きその基礎外骨格のヘカトンケイル・オーシリーズとの類似性を。そして特異点を。

「だが、そんな装備は見たことも、聞いたこともない。……その姿は、まるで、アバドンじゃないか……ッ」

 黙らせるかのようにマニピュレーターの先端、三つの爪がT67の頭部に咬みついた。だが潰すことが目的ではないことは明白。鋭利ではあるが、裏を返せば細く華奢であるそのアームにレベルⅥの積層装甲を砕くほどの力はない。ではなんのためか。

 触手の内部を何かが流れる蠕動と、視界を占める端部に何かが迸るであろう管を認めたT67。身に迫るおぞましい危険を感じ取った彼女は、野太い声を発して一際力を振り絞り触手を引き千切ろうとする。

「ケイル!」T67はこの時、初めて人間としてのその名を呼んだ。またそれは、強大な敵を前に初めて彼を仲間と認めた瞬間でもあったかもしれない。

 ようやく身の危険を認め後退り始めたスーラを射線から外すために、怪人を中心に同心円を描くように駆けていたケイルは、それに応えた。

 走駆しながらも触手の楯に五発目のフレシェットを撃ちこんだ彼は、咄嗟に銃身を振る。六発目は、T67を捉える触手、彼女が引き伸ばし人工筋肉が晒された鱗の間隙へと寸分違わず吸いこまれた。

 ばん、と。ゴムがはち切れるような音を発してマニピュレータは断裂。くねくねともだえる触手の断面からは桃色に濁った溶液だけではなく、飴色の液体が霧状に噴きだしていた。

 切り離された蜥蜴の尻尾のようにのたうつ触手ともみ合いながら床に投げだされたT67。一見危機は脱したかに見えたが、遅かった。本体から切除されてもなお頭部に喰らいついてはなれようとしない端部から同様の霧が噴射され、彼女の顔面に襲いかかったのだ。

 途端、水が焼けるような濁音が迸り、爆発的な白煙が渦をまく。触手を振り払ったT67は頭部を押さえて仰け反った。激痛と混乱にひっくり返るうめき声が、惨憺たる音響の裏でノイズのように断続する。

「酸だ! バイザーを外して!」

 ルークの叫びに頭部ユニットを緊急パージさせたT67はそのまま倒れ伏した。勢いよく転がったバイザーはその著しい溶解により制動し、積層装甲などまるで用をなさず放水を浴びた雪細工のようにぐずぐずに崩れた。

 T67自身も無傷では済まなかった。仰臥した姿勢で最後の力を振り絞って顔を起こす。白銀の髪がはらはらと剥落する。その端整だった美貌は、左目から側頭部にかけて、見るも無惨に赤黒く灼け爛れていた。

「まさか、あれは……違う世界の機械化兵装――」

 重苦と外的ショックによる失神の間際、だが彼女の残りわずかな意識は己の容姿にも負傷にも頓着を示さず、いたった真相をうわ言のように喘ぐ。残った右目が湛える悲愴とまでいえる憐憫の色は、怪人だけでなく、ケイルにも注がれていた。

 アーシャと等しく事実を垣間見た異形を模した人間の彼女は、真正の異形たちが担うむごすぎる運命に心を痛めずにはいられなかった。

「違う世界の、ヘカトンケイル・オーシリーズ……」 

 それら痛切な他者の心情を意の外に置くケイルの口から、大丈夫か、などという常套句が発されることはない。何をおいてもまずは標的を屠らんとするヘカトンケイルに、そんな非合理的な博愛精神はなく、そもそもが、倒れた仲間を気遣う余裕は人外同士の戦闘にはありえない。

 怪人と横一直線、射界への他者の介入が認められない位置に並んだケイルは、足をつっぱった。足の裏から突出したスパイクが急制動をもたらし、石床を抉った火花が地に落ちる前には、彼は現在持ち得る最大火力を解きはなった。

 近接用拡張銃装、SBWE。

 膨大な油圧によって鎌鼬と化した五本のワイヤーが不可避の断裂となって怪人を襲う。

『触手内部に異音確認! 酸がくるわよ!』

 アーシャの警告が終わるより早く、残った触手はもだえるように酸の噴霧をまき散らしていた。その目的は攻撃になく、濃密な土色の霧雨が彼我を隔て、その中へ飛びこんだワイヤーは、途端に灰煙に纏われる。

 触れたものを削ぐばりの刃は瞬時に溶解するも、それでも化学反応で物理的な遠心力まで殺しきれるわけがない。牙がなくとも人間の体幹をばらばらにして余りある五匹の細い蛇は、うなるように風を切りながら怪人を獲物に延伸する。

 回避は不能、ならば、防げばいい、と。まるで心得ているかのように、それを迎撃するのは一匹の大蛇。楯に使い疵だらけとなったマニピュレータを故意に根本から脱落させた怪人は、用済みだと言わんばかりに迫るワイヤーにぶつけたのだ。

 異形たちの使い魔は粗暴な対消滅を引き起こす。錆色の礫が四散し、みみずのような筋繊維のくずとワイヤーの素線がばらばらと降り注ぐ。

 怪人は実際に心得ているのだろう。病的にケイルに付き纏い、すべてを目にしてきた怪人は、ヘカトンケイルの手の内を察しているのだろう。

 しかし、この瞬間に限れば、ケイルも怪人の次の手を予見していた。単純な話だ。触手という防御の手段を失った怪人。防御でないのなら、もう攻撃しかありえない。

 戦意という名の救いのない意思疎通を経て、両者の動きはまるで息を合わせたかのようにまったくの同時だった。ケイルは再装填の手間を惜しんでSBWEのワイヤーをたらすレイピアを標的に据えたままに、右大腿部のホルスターに左手を伸ばし、怪人は両の大腿に捲きついた大型ホルスターに諸手を奔らせる。

 もはや二人の戦闘に関与しうる存在はなく、両者を隔てるのは鉄屑の驟雨のみ。あらゆる障害を排して相対した二体が結ぶのは射線であり、その間で往来するのは、掛け値なしの攻め、打算なしの弾幕だった。

 瞬きすら許されない時間の切れ目に、絶え間なく交差する超音速の殺意の応酬。一発、五発、十発、五十発……。数は早々にその意味を失い、ひとつなぎの大音響が大気を打擲する。

 脳幹を痺れさせ、腹の底を揺さぶる、この世のものとは思えぬ音とは名ばかりの衝撃波に、部屋の隅に退避していたサイ、スーラ、ゼロットの三人は頭を抱え、声にならない叫びに喉を震わせた。

 怪人が両の手に掌握する揃いの得物は、近接戦闘に重きをおいたことは瞭然であるこれまでの業前に相応しく、小ぶりの短機関銃であるようだった。薬莢の排出はないが、薄暗い部屋を発射炎で塗り染めるほどにその連射速度は凄まじく、何かしらの無薬莢ケースレス機関銃であることがうかがい知れる。

 ケイルの身体からは研削と見紛う鮮やかな火花が弾け、無数のへこみが穿たれていく。さながら鉄の棺を叩く霰。列車の脱線が如き間断のない衝突に四囲の感覚が圧砕される。

 無論、被害は外殻や感覚だけに留まらない。装甲の間隙を縫った跳弾やその破片が地肌を斬り裂き、ことに腰部、T67との戦闘で欠損していた無防備なそこを紙一重でかすめる銃火は脅威だった。

 一瞬ごとに命を脅かす横殴りの弾雨。それを果たさんとはなたれる銃撃、それを阻むのもまた銃撃。互いの腕の延長線上にある、照準線という不可視の死線を、退けるために撃ち、結ぶために撃つ。

 それは、銃弾による鍔迫り合いとでも形容しようか。制圧射撃で互いの照準を阻み、急所への被弾を退けるという、狂気のような鎬の削り合い。人間では到底不可能な一発いっぱつが即死に値する暴力のぶつけ合いは、桁外れの反射神経と思考と膂力とを、装甲に内包した機械化兵装同士の戦いの象徴ともいえた。

 二挺の連射火器と二挺の単発銃器、手の数は較べものにならないほど怪人が勝っている。

 だが、利がどちらにあるかは灼然だった。

『いける! 撃ち続けて!』

 満身創痍の破片を飛び散らせながらも、右手の圧搾空気小銃を、左手の大型拳銃を、切歯したケイルが応射し、それが命中するたびに、怪人は行動不能の淵へと叩きこまれる。

 十三ミリの軟弾頭が装甲をひしゃげさせてその中身にも甚大な打撃をもたらし、今や阻むものがない六ミリの矢状弾は装甲などものともせず容赦なく体幹を貫く。

 業前は拮抗していたが、埋めようのない得物の性能差が優劣をいちじるしく隔てていた。ケイルにとっての致命はいつかおとずれる有効打、しかし怪人にとっては、たとえ被弾が急所でなくとも、ケイルのはなつ一発いっぱつが致命的。

 球状のバイザーは放射状の亀裂に白濁し、脇腹と腰部に風穴を穿たれ、ゴライアス弾の直撃を受けた左手の指は骨折し珊瑚のように歪に折れ曲がっていた。もはやまだ立っているのが不思議なほどの状態でありながらも、怪人は残された隻腕での連射をやめようとはしない。

 決着はついたかに見えた。だが、やはり、きっと怪人は理解していた。違う世界の機械化兵装の装備を観察していた彼は、おそらくまともな撃ち合いでは不利であることを重々承知していた。

 大口径の都合上、単列弾倉でしかない大型拳銃は早々に顎をだす。空の薬室が晒されたそれをケイルは手放し、とどめの一矢のためにレイピアを両手保持で構えて怪人の顔面を射貫かんとした。

 常人であれば走馬灯に費やすであろう――その隙、まともな繰銃さえ至難だった怒濤の弾幕のかすかな途切れを、怪人は見逃さない。

 三日月がたに割れたバイザー、怪人の口許が微笑のかたちに歪むのを、ケイルは照準器越しに確かに見た。即座に相手の意図を悟るも、小銃内部の悪魔たちは使用者の焦慮までは与り知らず、次弾生成を意味する駆動音が終わることは、恒久的になかった。

 次の瞬間、レイピアは見事な徒花を咲かせた。

『は――? 冗談でしょ……?』

 銃の咆哮の余韻が長くこだまする一転の静寂に、アーシャの放心が虚しく響く。

 制圧効果が薄まったその一瞬、最初で最後の精密射撃で、怪人はケイルの小銃の銃口に弾丸を送りこむという神業をやってのけたのだ。進行方向とは逆に飛翔体が進入するという奇蹟に近しいハプニングは、時として銃腔内の旋条溝を裂き、放射状の花弁を咲かせる。

 勝利を確信させ油断を誘ったのちの武装破壊。つまるところそれは、ケイルがT67を撃破した時とまったく同じ手法だった。奇しくも、とはいえない。怪人は、己に類似した二体の巨人が火花を散らすその場面でさえも、まるで足りない経験を補完するかのように、じっと観察していたに違いないのだから。

『まだ拳銃がある! 速く拾っ――』

 間髪を容れずに再開された短連射。まるでアーシャの声が聞こえていたかのように、怪人のその行為の狙いは、またしてもケイルにはなかった。足許に落ちていたM7H拳銃が粉砕され、彼方へと床を滑っていく。

 丸腰。これで、ケイルがこの世界に持ちこんでからというもの、無類の働きをしてくれた物言わぬ相棒は、ことごとく破壊されてしまった。

 しかし、それでもヘカトンケイル。武器を持たずとも、存在そのものが兵器なのだ。拡張銃装と銃身に不様な異物をしつらえた得物は、彼にとってもはや荷物でしかなく、未練も感慨もなく放り棄てながら、その脚は躍動していた。

 被弾面を少なくするために前傾し、装甲の間隙から鮮血滴る左腕で急所である喉元と顔面を護りつつ、右手でファイティングナイフを抜きはなち、鎖から解かれた猟犬のように猛然と怪人に迫る。

 今や不利でしかない距離を一刻も早く詰め、至近戦闘に持ちこもうとした彼だが、思わず、足を止めてしまった。

 それは、ケイルにとっての窮地と思われた怪人の有利が、射程を詰める理由が、なくなったからだった。距離を保ちながらの斉射、それが最良であり採って然るべき戦法であるはずなのに、ケイルを苛んだのは発砲音でなければ、装甲で爆ぜる被弾音でもなかった。

 がらん、と。怪人が流線型の短機関銃を投げ棄てる物音だった。

「……なんのつもりだ」

 その突飛な奇行に、ケイルは初めて怪人に口を利いた。

 弾切れではありえない。その外骨格の腰部には弾倉と思しい円筒形の物体が挿してある。外観から見受けられる限り、他に遠距離火器の類は搭載していない。

 怪人は何もいわない。砕けた腹部の装甲の内で出血おびただしい肉の蕾のような貫通銃創を指先でぐいぐいと腹に押しこむ間も、割れたバイザーから覗く口許、肌の血色は薄く唇の色素も淡いが紛れもなく人間のそれは、無機質に閉てきられたまま開くことはない。

 だが、無言のままに答えはあった。破断したマニピュレータがだらりとたれていた背部ユニットをパージさせると、怪人は腰から柄をのぞかせていた得物へとおもむろに手を伸ばす。

 それは斧だった。力学に基づく意匠と思しいくの字に折れた柄の先に肉厚の刃をいただく手斧。鎌のように鋭い後端は、それでレイアの胸を貫いたのであろう、赤い波紋に曇り、ぞろりと幅の広い涅色の刃はところどころが欠けていたが、それは酷使の経験を物語る。

 物言わぬ代わりに、怪人はすべての思惑を所作で示す。左腕を持ち上げると、骨折した四指の中で唯一まともに残った人差し指をくいくいと屈曲させる。

 かかってこい、と。

『あいつッ』

 勝機を放棄してまで怪人がつくった格闘という舞台。その決着の果てに何を予見したのか。戦闘中であるにも関わらず、白い少女の幻影がケイルの視野の一角を占有した。

『抑えて。あいつのペースに引きこまれては駄目よ』

「抑える? 俺は冷静だ」

『そうじゃない! あなたはあいつを憎んでいる。無力なレイアを手にかけたあいつを冷静に憎んでいる!』

 実体を持ち、身体に縋りつくことが可能であるならばそうしていたであろう。現実への干渉を許されない彼女はそのもどかしさにワンピースの裾を握った。細腕はもどかしさだけではなく、抑えようのない憤激の気休めのはけ口となってわなないていた。

『わかるわよ、私もそうだから……。あいつが憎くて憎くて仕方がない。でもお願いだから堪えて……。その誘いにのっちゃ駄目なの……』

「ではどうしろというんだ」

 相棒の痛切な懇請を、ケイルは酷薄に、頑なに言い伏せる。

 事実、戦闘し、勝利する他、どうしようもないのだ。そのための手段が怪人が誘う肉弾戦しかないのならば、何が待ち構えていようとも、虎穴に入るしか術はない。

「消えていろ」

 きゅっと口を噤んで項垂れる白い姿を視界の外へと置き去りにし、刃を装甲で研ぎながらゆっくりと近づくケイル。いつになくきつい物言いには、躰を内から衝いてやまない激情を、他ならぬ理解者であったはずの少女によって邪魔されたことへの苛立ちが、隠しようもなく滲みでていた。

 冷静だと述べていたケイルは、実際に冷静だった。アーシャの言うとおり、冷静に憎み、沈着に猛り狂っているのだ。

 まるでケイルらの内なる口論の終息を待っていたかのように、結論を歓迎するかのように、くるりと手斧を回して、怪人もまたにじり寄る。

 憎しみに衝き動かされた戦意こそ――彼らの本懐。

 憎悪を糧にした戦闘こそ――兵器としての主眼。

 緩慢な歩み寄りはまるで握手を交わすかに見えたが、急く必要がないからでしかなく、それを為すべき隻手は互いに得物でふさがっている。文明的な装備を失い、原始的な凶器を携えた両者。頭部ユニットの差異に目を瞑れば、二体の機鋼の巨人は、いよいよ類似していた。

 同時に振りかぶり、瞬間、みしん、と、まるで場に充溢する緊迫が憑依したかのように両者の体積は人工筋肉の作用に伴い限界まで膨らんだ。

 そして同時に振り下ろす。

 防御は空いた隻腕の増加装甲が受け持つ。いや、それは防御というよりも損傷を急所以外に移す被害の代替行為に他ならない。己の肉体の一部を楯のように無遠慮に扱う両者。手斧による刎頚の代価に鈍色の装甲板がひしゃげ、肌は引き裂かれ、骨が割れた。短剣による刺殺の犠牲に赤黒い外殻が剥落し、刃が腕を貫き、腹部の銃創から臓腑が噴きだす。

 ただただ疾く、執拗に相手の弱部を狙うその手捌き。肉を切らせて骨を断つ、という語があるが、彼らは無意識のレヴェルで、それを秒間に幾度となく繰り返す。

 ある程度の遣い手たちの手合せはある種の華麗さを帯びて然るべきはずなのに、そこで展開する剣戟はそんな感慨を抱くに値しない。戦車と戦車の正面衝突を見て、優雅だと感じる人間がどこにいるだろう。

 けれども、削られた鋼鉄の火花と染みでた血液の飛沫とが光のつぶてとなって吹き荒ぶ、人ならざる者たちの無骨なる舞踏は、部屋の片隅で肩を寄せ合う現地人たちの眼差しを縫いつけてやまない何かがあった。

 サイは声援をかけようとした。ケイル、と。けれども薄く開いた唇からこぼれたそれは対象はおろか自身の耳にさえ危うい呟きにしかならなかった。

 知らず、きつく握り締めていた姉の腕の震えにはっとして、茫然としたスーラが口ずさむ奇妙な唄に気がついた。

「この世界もまた憎悪に満たされんその時に、混沌の中から戦士が現れる。その戦士が世にもたらすのは、きっと……」

 そんな、傍観者に成り下がった姉妹の傍ら。

「炎が二つ……。二つとも、嬉しそうに、泣いている……?」

 ゼロットはその頬を涙で濡らしていた。

 はらはらとこぼれる不可解な涙を、しかし当人は不思議だと意識することもなく、涙滴を落ちるに任せた眦を決して、魔蓄鉱小銃を肩に吊る負い紐をぎゅっと握った。

 その間も、異形たちの攻防は加速する。

 どちらが斃れるかは知れない。けれども、さながらそれは伐採されんと鋸をひかれる巨木のような今とも知れぬ危うさをもって、着実に訪れる崩壊へ向かって、一心不乱に突き進む。

『――ダ――よッ! しっか――!』

 ケイルの頭蓋で響く少女の声が、去来する暗がりに溶けこんでいく。

 いかに戦闘用の人造人間といえど、生物である以上、そのおびただしい外傷と出血量は、獰猛な勢いで意識を蝕む。だが、生物である以上に兵器である彼らの体躯は、その命が費える最期の瞬間まで、標的を屠らんと働き続ける。

 もはやそこには思考も自我もない。

 見渡す限りの闇の中、奈落の底で、二体は向かい合い、刃という殺意を介して、通じあっていた。

 ――憎いのだろう。

 怪人の漆黒の装面が語りかける。

 深淵をのぞくケイルを見返して、唯一通じあえる無二の分身に向かって、同意を求める。

 ――お前も憎いのだろう。

 ケイルは混濁する意識の果てに拡がる常闇の境地で、すべてを理解した。

 兄弟たちはどんな姿をし、どんなことを考えているのか。

 彼は死の間際に他のヘカトンケイルとの対面だけを切望した。ミリアは妹を亡き者にするために怪人を召喚した。だからこそ、レイアはケイルの望みを叶えることができた。ちぐはぐな姉妹の反目が、ありえなかったはずの兄弟の邂逅を実現させた。

「ああ。憎いよ」

 そしてケイルは、悲願を成就させるべく、兄弟の声に答えた。

 仲よくすることはできなかったけれど、精一杯親しげに、呪詛を吐きだした。

「俺はお前が憎い。お前は、害悪で、怪物で、人造の魔獣で、俺だからだ……」

 ざこん、と。

 断頭を思わせる、一際鈍く、湿った音が響いた。

 怪人の手斧がケイルの胸甲の間隙を縫って深々と食いこんでいた。

 ケイルは仰臥しかけ踏みとどまるも、電源を切られた機械のようにゆっくりと膝を折った。

 もはや二体の勝敗は完全に決した。怪人が勝利し、ケイルは敗れた。望まれない終息、取り返しのつかない決着であろうとも、その事実は揺るがない。

 だがしかし、それは決闘に限った話だ。戦闘という局面は、まだ終わっていない。決闘は常に一対一だが、戦闘はそうとも限らないのだから。いかに自閉し、望まなくとも、ただともにあるだけで繋がりは生まれるのだから。

 スーラは息を詰まらせ、サイは悲鳴に喉を裂き、そこで、銃声が鳴った。

 怪人は頭部を仰け反らせる。ひび割れ、脆弱になっていた積層グラスバイザーは粉々に砕け散った。

 部屋の隅には、硝煙が揺れる小銃を構えたゼロットの姿があった。

 憎しみのあるべきかたちを教えられた少女が初めて見せた明確な戦意は、けれども、それを教えてくれた想い人を救うためにこそ、解きはなたれた。

 ぐらりと前傾する怪人を、ケイルは膝立ちのまま刃で受け止めた。黒い刀身が静かに脇腹へと沈んでいく。血塗れの二体の異形は、抱き合うように、片割れの命をそっと閉ざした。

 無限の闇を打ち砕かれて露わになった怪人の素顔。

 それを目にして、アーシャはくずおれた。

『ああぁぁっ……。そんな、なんてことなの……。そんなの、嘘よ……』

 相棒にひた隠しにしてきたヘカトンケイルの真相よりも、もっとも残酷な真実に打ちのめされ、運命のいたずらというにはむごすぎる奇蹟の仕打ちに、顔を覆って肩を震わせる。

 ケイルは濁った真赭の眼鏡で、それを確かめた。

 肌は白いというよりも陽の光を一度も浴びたことがないほどに青白く、頬は一切の脂肪を削いだように痩け、奥二重を縁どるのは眼窩をなぞって墨を塗ったのではないかと疑わせるほどの黒々とした隈。

 等しい境遇であり、兄弟であり、それ以上の存在――。

 そこにあるのは、鏡を見るほどに見覚えのある無機なる死に顔。

 限りなく類似した他の世界のヘカトンケイル・オーシリーズ、どこまでも酷似した他の世界のH09。

 怪人は、違う並行世界における、ケイル自身に他ならなかった。

「………」

 ケイルは手斧を拾い上げ、怪人の顔面に打ち降ろした。

 そこにあるのは憎悪ではない。せめてもの手向けだった。

 彼は、分身の殺戮と憎悪に塗り染まった呪われた生涯を、終焉を望まずにはいられない頭蓋のうちの地獄を、徹底的に破壊してやったのだ。

 あるいはそうなっていたかもしれない、己の可能性の一つとして。




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