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異形の魔道士  作者: IOTA
49/60

46 眠り姫



 ライガナ王国王政の転位の魔道に関する取り決めは神がかり的に賢明といえた。

 それを魔道という一種独特の理念を省いたシンプルな政治的手段、譬えば、そう、まったく新しい機構の兵器として捉えるなら、繁栄を極めた他大陸の古代文明には比肩するものはなく、ケイルの世界の旧時代にことさら秀逸だったと歴史に名を遺す大文明にも、ここまで慎重な方針はそうそう見られないだろう。

 まず、力を持つ者に権力までもを与えたらどうなるか、心得ているかのように、魔道の血族に直接的な権力を与えず、さりとて露骨に蔑ろにしようとはせず、権力者に仕える高位な身として囲う環境をつくり出した。時には側近の一人として、時には伴侶として、時には子として、その血を受け継ぐ者は常に君主の手中にあった。

 そして能ある鷹は爪を隠すという格言を体現するかのように、かつて自国を戦乱の覇者へ導いた魔道の血族が英雄と祭り上げられることを忌避し、大衆に公言しようとはせず、安穏へと移ろう時勢に伴ってむしろ徐々にその全容を知る者を峻別し、限定し、選ばれしごく少数のみが知る秘中の秘として事実上封印した。

 それでいて戦時下にその脅威を見せつけられた他国の権威者たちに対しては、今をもってしても伝承以上の抑止力として機能しているのだから、そのさじ加減が如何に絶妙だったか、推し量れようものである。

 人智を超えた殊勝性を発揮する体制が概してそうであるように、その一連のしきたりもまた具体的な偉人の功績ではなく、邪な底意や思惑が這入りこむ余地のない民の無意識に則って自然発生したのだろう。

 無意識を導くのは父から子へ刷りこまれるいにしえからの訓示であり、それは時として自由な思考の足枷となる。

 だからこそ、頼る必要がなくなってからも、絶対的な力への信奉がいつしか圧倒的な未知への畏れにすり替わってからも、魔道の力を絶対に手離そうとはしなかったのだろう。忌々しい秘としながらも魔道の血族を政略から逃がそうとはしなかったのだろう。

 このニューカを都とした森の部族の時代から、強迫観念に駆られたように、一種病的なまでに、連綿と。

「この国は……魔道の魔性に憑かれていたといえますね」

 そんな、スーラの話を聞いたケイルは、思わずにはいられない。似ている、と。

 一族の悲観はミレイユ王妃が遺した魔道士の唄のうらめしい歌詞から容易に知れた。便利に使われ、擦り切れるほどに酷使され、その特異さが頼もしさから恐ろしさに変質した途端、人々の心中は豹変し、態度は手の平を返す。褒め称えたその口で陰口を叩き、羨望したその眦で嫌悪をあらわにし、豪奢な棲家は逃げ場のない檻となる。

 そう、それはまるで、ヘカトンケイルのようだった。滅亡への対抗兵器として造られ、その使命に則って忠実に責務を果たそうとも、それを映す人々の瞳に輝きはない。人造の巨人が兵器として無辜の命を護るため機能すればするほど、その背後で堆く積もっていくあらゆる脅威の屍を人は正視に耐えない。生きているだけで背負う己の罪を見つめることになるからだ。だから、正しいやり場を失くした眼差しは白眼視にならざるをえない。

 もっとも、ケイルに同情はない。似ているとは思っても、それを憐れだとは感じない。彼にとって孤立無援は平常運転であり、それ以上も以下もない日常だった。兵器が類似する兵器の背景に何も抱かないように、感傷とは無縁である。

 ただ、だからこそ正解が気になる。他のヘカトンケイルとの邂逅を心待ちにするように。どういった心持ちになれば然るべきなのか。

「転位の魔道士たちは、どんな心境だったんだろうな……」

 音声の外部出力を遮断して、ケイルは姿を見せない相棒に語りかけた。すぐに篤い吐息にマスクを灼く。スーラの背から立ち昇る悲愴感は悪い予感を抱かせるには十分だった。返ってこない相槌を自分で継ぐ。

「模範解答が訊ける状態にあればいいんだが……」

 他方、通常の稼働状態にあるタルタロス意思伝達補助システムの少年は、並外れた感度を持つ熱源感知センサーが鋭敏に捉えたケイルの嘆息を使用者にだけそっと告げる。

「頭部ユニット吸気部の帯熱がわずかに上昇。彼おそらく何事かを呟いているね」

 熱源を視認するだけではなく、音のように全周から感じられる集熱センサーは指向すれば近距離対象の独白さえも見逃さない。

 心許したわけでは勿論ないが、武装解除から目下の脅威ではないだろうと背を許しているケイルとは対照的に、T67は常にケイルを死角に置こうとはせず、警戒の矛先をけっして解こうとはしなかった。

「独り言……。いや、アーカーシャ・ガルバの彼女とお話ししているのかな」

「どちらにせよ、やつの頭の中のひとり相撲だ。気味が悪い」

「にべもないね。菩薩の名を持つ脳内で隔絶された別人格。ぼくとは似て非なる存在。興味深いじゃないか」

「教育課程で脱落できなかったら私にも同じ施術が施されたと思うと、ぞっとする」

 他者が介入できない内々での会話でも辛辣な態度を崩さない相勤者に、ルークは呆れたように嘆息を吐く。

「まあ、きみがヘカトンケイルを毛嫌いする理由はわかるけど……。彼はそれでも同期生なんだろ? 幼なじみへの親愛はないのかい?」

「……同期生だからこそわかるものがある。やつから同期生だと聞かされて、まっさきにぴんときた。顔を見るまでもなく私の隣に座っていた少年だとわかった」

 T67はヘカトンケイル・オーシリーズ・H09の背中をじっと見つめた。

 その宿命までもを望遠するバイザーから覗く端正な目許は見るに耐えないように顰められながらも、心を縛りつける悲痛にひき歪みながらも、多くの民草が仕向ける我が身可愛さに現実を逃避する白眼視ではけっしてない。彼女だけは人々が正視を拒む大罪を真正面から受け止めているように、その眦をそむけようとはしなかった。

「あの施設の候補の中でも、一際、やつはアレにそっくりだったから……」

 似ているとケイルは考えたが、その実、ヘカトンケイルという計画に隠されたおぞましい真実に較べたら、魔道の血族の悲劇など取るに足らない。比較にならないほど惨たらしく、無数の過ちを繰り返した人類文明の中でも、比類がないほどに愚かしい。

 その凄惨な秘密を、ケイル当人はまだ知らない。気づいてしまったのは、自閉する別人格、彼の頭の中にのみ存在する相棒だけだった。




 スーラの語りによって思考も身体も真実の在る場所へと導かれる一同。

 疲れを知らぬケイルはともかく、旅塵を落とすいとまもない展開と不寝の歩行は常人である現地人たちに疲労を与えないわけもなかったが、それを訴える者は誰もいない。垣間見えつつある真相が足の重さを忘れさせていた。

 時を失ったかのように情景の変化が皆無である地下通路ではつかみようもないが、もうじき長い夜が明けようとしていた。皆がそれを知ったのは石廊の終点に到達した時だった。

 天井に穿たれた大穴から夜の帳に混ざり始めた弱々しい黎明の光がこぼれている。生活感どころか、生命というものが感じられない森厳の中に一つだけ、その隠微な一筋の光芒に照らされるように、天蓋つきのベッドが鎮座していた。場違いには違いなかったが、傷みや補修の目立つ寝台は豪奢というにはほど遠い。

 ベッドの横に立ったスーラは使い古された寝具を見下ろした。その表情は彼女がよく見せる淋しげな微笑みを湛え、穏やかに曇っていた。そこまで気安く近づくことを躊躇った一同は、ベッドの足許から恐るおそる覗きこみ、息を呑んだ。

 そこには、一人の少女が横になっていた。

 かつてはきらびやかなプラチナブロンドだったのだろう長髪は、老婆のような艶を失った白髪と化し、髪だけでなく、骨のうく痩けた頬、触れれば折れそうな細過ぎる手足など、無垢なる寝顔にはあまりに不釣合いに体躯が衰えている。微かな胸の上下運動がなければ老衰した遺体だと見紛わんばかりの、まるで燃え尽きてしまったような、白い灰のような少女だった。眠っているのではなく、臥せっているのだと、一見しただけで窺える。

「紹介します。彼女がレイア。レイア、こちらはお客さま。私たちを訪ねてくれたのよ」

 ふとした拍子でかき消えてしまいそうな命を前に息を詰めた一同が見守るなか、スーラはレイアの額にかかった髪をそっと撫でるが、目蓋の裏以外を映すことを拒んでいるかのようにその双眸は固く瞑られたままだった。

「王都を脱してから症状は悪くなるばかり。徐々に眠っている時間が多くなっているの。最近では一日に一度起きるかどうか……。目覚めた時でさえ建設的な会話は難しい状態。彼女の身と心は日に日に衰えていく……」

「なるほど。眠り姫か……」

 ケイルはわずかな落胆をこめてひとりごちる。スーラは彼とT67の戦闘を止めに入った際、久しぶりに姫が目を覚ましたというようなことを述べていたのだ。それにこの部屋を指して病室と揶揄した彼女の物言いは正常な状態でないことを暗示していた。

 一方で、サイとリルドは表情も固く立ち尽くしていた。当然彼女らもスーラの暗示から芳しくない実状を察していたが、それでも、記憶に残る第二王女として寵愛された幼少の姿と、元王女として追われる今の無惨な有様との乖離に、驚きを禁じえない。とりわけ、先の墓所から思い詰めた表情をうかべていたリルドは、人知れず、一際その渋面を強張らせた。諸悪の根源と思い定めてきた対象の痛ましい姿はその先入観を揺るがせるに足るものだったのだ。

 ケイルの促すような目配せに気づいたサイはスーラの隣に移動し、身を乗りだしてレイアの容態を確認する。しかしすぐに遣り切れない心痛に唇を結んで目を翳らせた。

 王国随一の治癒魔術士であるサイをもってしても、受術者の自然治癒力を高めるに過ぎない魔術では極限といっていい衰弱状態にあるレイアの昏睡はどうにかできるものではなかったのだ。どうにかできるとすればそれは魔道の、夢物語である若返り魔法の領域だろう。

 スーラは妹の肩に手を置き、そっと一回だけ首を振って下がらせた。

「サイ、ごめんね。魔術で治せるものじゃないの。そもそもこの衰弱は病によるものじゃない」

「じゃあ、なんだっていうんだよ。レイア王女はまだ二十六、七のはずだろ? いったい何があったらこんな状態になるんだよ……?」

「戦っているのよ。世界の破滅に抗っているの」

 決然と言い切って、スーラは虚空に手を差し延べた。血色の薄い手の平は天から射しこむ儚い光を受け止め、さらにその潔白さを増している。

「古都に立ちいる時、何かを感じなかった? 今もなんだけど、懐かしいとは思わない?」

 サイ、リルド、ゼロットの三人は思い出す。ニューカの遺跡を臨んだ途端に覚えた奇妙な感覚。清らかな魔術の匂い。そしてサイとリルドは納得する。

「ああ。そうか。この感覚は、そう、懐かしい……」

 遺跡に踏み入ってから絶えず揺曳し、地下道の終点であるこの一室に立ちいってからはより濃くなったと思われるその匂いを確かめるように、二人は頻りに視線を彷徨わせた。ゼロットだけは訝しそうに目を細めている。その感懐を知るには齢十そこそこの少女は若すぎたのだ。

「そう。ここだけは二十年前のままなのよ。二十年前から世界を覆い尽くさんとする転位の魔道の不浄の術中、遺跡の敷地内はそのただ一つの例外。結界の内側と言ったほうがわかりやすいかしら。ここには邪悪な他の世界の存在が現れることはない」

 やがてサイらの走査は神聖な空気の発信源を定め、自ずと寝息もたてずに横たえるレイアへと向かった。スーラは俯くように頷いて、再びレイアの額に手を運ぶ。

「なぜならば、ここには唯一不浄に抗えるレイアがいるから。こうしている今も、彼女は懸命に戦っている。世界を満たさんとする悪意に抗っている。己の命を削りながら……」

 さして乱れてもない髪を神経質そうに整える細い指先は、長らく闘病に苦しむ我が子へ手向けるような、どうしてやることもできない無力さに打ちのめされた憔悴が滲んでいた。

「転位の魔道とは世界間で存在を往来させる能力なのだけれど、元来、それを阻んだり戻したりする力ではないのよ。思うに、レイアは悪意をもとに為される転位を感じ取り、その存在の行き先を無害であろう座標へ補正しているに過ぎない。意図されていない力の行使は相当な負担になっているはず……。だから彼女は目覚めない。現世に意識を割く余裕がないから……」

 一方は奔放に散らかすだけ。何がどこにいこうとも関係がない。散らかすという行為によって齎される破壊を目的としているのだから。けれどもそれを防ごうとするもう一方は影響の精査が求められる。行為そのもの阻止するをことが不可能であり、元通りの場所に正すことも難しいのならば、少しでも悪影響のない転位先を吟味して、舵きりをしてやらなければならない。

 両者の労力ではどちらがより負担を強いられるか。無邪気におもちゃ箱をひっくり返す子供とそれを片づける親御の画を思いうかべれば、簡単に想像がつくだろう。それが無邪気からではなく、邪気そのものによって為されているのなら、猶更だ。

「どうしても後手になり、防戦いっぽうの遅れは否めない。古都を囲む森、ひいてはライガナの西方に魔物が多く出現するのは、その取りこぼし。流入を防ぎきれない魔物をこの森や一部の地域に封じようとした結果よ。きっとレイアは極力自分の近くに被害を留めようとしているのでしょうね」

 補足するようにT67がケイルに告げる。

「確かにこの古都はレイアの浄化によって護られているかもしれないが、それは悪意の出現現象が起こらないというだけであって、立ち入ることはできる。私やお前が今こうしてここにいるようにな。だからこそ私やエルフは魔物を彼女たちから遠ざける必要がある」

「今やこの森は混沌と冠されるほど狂暴な異邦の動植物が溢れかえり、独自の生態系が形成されている。私たちの檻になると同時に、期せずして砦としても機能しているのだから、皮肉ですね」

 魔物を反逆者の手先と見做す巷では、まるでそれらが跋扈する深い森は彼らが統べる領地のように語られているが、それは意図されたものではなかったのだ。むしろレイアの尽力があるからこそ被害の拡大は最小限に抑えられている。混沌はニューカを囲む森に留められている。

 水と墨だと、スーラは現状を譬える。

 水に流され続ける墨。その穢れは瞬く間に拡がり、すべてを闇に染めようとする。受け皿を敷こうとも、留まることを知らぬ黒い悪意を前に、すぐに溢流してこぼれ落ちる。果敢に純水を垂らそうとも、それは局所的なものでしかなく、わずかに色を薄めるだけ、齎された穢れが消えることはない。

「そもそも水と墨では、その濃さという点においては勝負にならない」

 T67は嘆息混じりに峻厳に言い伏せた。ルークがケイルを見やり、困ったように柳眉を下げる。

「勿論、ぼくたちの世界にとっても他人事じゃないよ。メーンはこの世界であり、他の世界にまでは十分に手が回らないのだろうけど、それでも姫さまの抵抗があるからこそ、ぼくたちの世界でも人類が生きながらえていられるのだろうね」

「では、彼女の命が失われたら……」

 ケイルは後半の言葉を呑みこんだ。あえて口にするまでもなかった。終わるのだ。枷を失くした見境のない悪意は際限なく兇暴な魔獣の軍勢を導くだろう。術中にある世界は例外なく滅びの濁流にのみこまれることになる。

 もっとも、そのささやかな堤防も今や、抜けかけた楔一つで踏みとどまっているに過ぎない。今まさに一同の眼前で風前の灯火は頼りなく揺らいでいる。決壊するのは時間の問題であり、スーラが見せる諦観の理由はそこにあった。彼女は疲れたように、憑かれたように、明日も危うい最後の希望の髪を梳き続けている。それ以上にしてやれることはないのだ。彼女へも、世界へも。

 深く降り落ちた暗澹たる静寂。リルドが久しく口を利いた。

「いい加減にはっきりと言ったらどうですか……?」

 蒼白の面相はひどく昏い。肩を落とした細い体躯は、賊を糾弾した時のわかりやすい憤激とは打って変わって、狂気とまでいえそうな凄愴を隠しようもなく放散させている。

 ゆらりと寝台に詰め寄る黒装束が部屋にこぼれ射す曙光を遠ざけたかにさえ思えた。

「レイア元第二王女が善性の転位の魔道士だというのならば、悪性の魔道士とは誰なのですか……?」

 それは、と唇を開いたスーラだったが、後の言葉は渋面の内に深沈と消えいった。近衛兵団長という肩書からはもちろん、これまでの言動を加味すればこの場にいる誰よりもリルドが王国に、延いては王家に心情を寄せているのは出会って浅い彼女も痛感していた。

「どうしたのですか……? 答えてください」

 T67が鬱陶しそうに舌を打ち、然るべき狭量に濁る幽鬼の眼光を引き受ける。

「貴様もわかっているはずだ。ミレイユ王妃の子は二人だけなのだろう。レイアでないのなら、もう一人しかいない」

 それを受け、果たしてリルドは、ふっと鼻を鳴らした。口許に手を添え、くつくつと笑い始める。不慣れな作り笑いはひどく渇き、ぎこちなかったが、それでも彼女は必至に戯言だと、何かの間違いだと、笑い飛ばそうとしていた。

「ありえない……。何を馬鹿な。そんなわけがないでしょう」

 所作とは裏腹にまったく笑っていない鬼気迫る眼差しは同調を求めて同じ立場にある王国民へと移ろうが、目を合わせることを拒むサイとゼロットの表情に滲むのは苦渋だけだ。必ずしも王政を快く思っていないサイと、そもそもまつりごとなど与り知らぬゼロット。彼女たちには数々の状況証拠が明示する真犯人の正体を頑なに否定する理由はなかった。

 リルドはぴたりと笑いを止めて、口許に添えたままの親指を噛む。かりかりと甘皮を咬み千切る怪音が寂静に沁みいる。冷静な兵団長が一度も見せたことがない悪癖にサイとゼロットはさらに目を伏せた。

「断じてありえません……。彼女には魔術の才もないのですよ? 幼少のみぎりに王城魔術士たちの儀によって確認されています。それなのに魔道など……」

 魔術士の儀。良家に産まれた者は幼少期に魔術の才能の有無を調査される。貴族なら誰もが通る一種のステイタスであり、それが王家及び高位の家柄となれば十数名の高名な術士による徹底的な精査となる。そうして導かれた結論はけっして揺るがず、人生の指針を決定付けるとされていた。

 そうですっ、とリルドは荒々しくレイアを指差し、スーラを睨み据える。

「そのことは貴女が誰よりもよく知っているはずだ。レイア第二王女にはその才があった。だからこそミレンの字を賜るメイフェ家の長女である貴女が、魔術を伸ばすための教育係として選ばれた。違いますか? 彼女は早々に才を見限られたからこそ、特別な側近が就くことはなかった。そうでしょうッ?」

 懸命に探し当てた否定の糸口を、しかしスーラは物静かに頷くことで切り捨てた。

「……確かに彼女に魔術の才覚はない。けれども魔術と魔道はまったくの別物です。魔術しか知らない術士たちがいかに頭を寄せ合っても魔道の有無を確認できるはずがありません。魔道の存在を畏れる国王の指示のもと連綿とおこなわれてきた血族への大仰な儀は、まったく無意味なのです。……むしろ、魔術への無才という烙印を彼女は魔物出現の嫌疑をそらす奇貨として利用している」

 まるで地獄の沙汰で聞き苦しく弁明する罪人とすべてを見通す閻魔のような温度差。淀みの有無と情報量の多寡からその遣り取りは口論としてさえ成り立っておらず、静観するケイルの目にもどちらが正しいのか明らかだった。そして彼は思い返し、頬を歪ませる。一度まみえた真犯人のどこまでも穏やかで底知れない微笑みを。

 窮するリルドに追い打ちをかけるように、スーラは続ける。

「そして、魔術はなくとも、彼女には誰もが認める特別な才覚があった。近衛兵団長として王家に近しいあなたなら、よく知っているはずです。それは知略。慕う皆を誑かし、姉妹の片割れを貶めるほどに、彼女は権謀術数に長けている」

 リルドの赤みがかった眼差しが心当たりに揺らぐ。聡明といえば、のちに続くのが彼女の名であるほどに、かの人の智は王国中が周知するところだった。腹心の家臣として誰よりも御身に近いリルドは、スーラの言うとおり、誰よりも称揚している。だからこそ、腹心の家臣には留まらない信頼と思慕を抱いていた。

 スーラはおもむろに自身の肩を抱いた。悪寒に耐えるように、その華奢な体躯は微かに震えている。

「おそらく転位の魔道に伴って発現したであろうその邪悪な知性は、魔道の力そのものがかすんでしまうほどに、おそろしい……。」

 かつては王城に奉公し、その深部を垣間見た女は、空虚な瞳に過去を映す。



 美人薄命というが、天賦の才をもった者も概して短命である。

 転位の魔道の血族もその例にもれず、ことに能力を存分に発現させた者はそのほとんどが三十を数える前に命を落としている。彼らは原因不明の衰弱で痩せ細り、日ごとに多くなる夢境への誘いに抗うのを諦めたように永眠する。強いて死因を挙げるなら、それは老衰。かつてのミレイユ王妃のように、まさしく今のレイアのように。

 並列世界に干渉する能力は精神に多大な負担を強いる。すべからく、個人が有する認識力とは一つの世界、すなわち己が存在する空間のみに限定されるべきであり、無数の世界を認識しようという行為は人間の脳に備わった処理能力の許容を超えているのだ。

 しかしながら、それも能力の一種である以上、個体によって適性の優劣はあり、稀代の適性者というものは必ず産まれる。異常因子というものは何時も発生する。まともな思考をしているのなら耐え切れず、まともな神経をしているのなら擦り切れてしまうそれを、子供がおもちゃ箱を覗くほどの気概で鼻歌混じりに視認し、お気に入りのおもちゃを掴みあげるような調子で得意満面に多用し、それでいてなおも常態を保っていられるのなら、逆説的に、その者は埒外にまともではないということになる。

 利発と称えられ、神童と謳われ、怜悧と冠される成長を遂げた彼女は、確かにまともとはいえず、穿った見かたをすれば十分に異常の資格を備えていた。転位の魔道は彼女を選び、彼女はそれを使役するに足る狂気を粛々と飼い、すくすくと育てていった。

 ミレイユ王妃が逝去し、レイア第二王女の教育係りという栄誉をスーラが授かった直後から、不穏は始まった。

 最初はレイアの不調だった。体調を崩して臥せることが多くなり、時折癇癪とも発作ともつかない言動が目につくようになったのだ。スーラたち側近らは献身的に治療と究明にあたったが、その甲斐もむなしく原因は不明。ミレイユ王妃からの負の遺伝である、生来の虚弱体質なのだろうという安易な結論に落ち着くしかなかった。その実、それは半分は正解だったのだが、その時は知る由もない。

 その段階で当人以外に事情を悟っていたのは二人だけ。その内の一人は国王ディソウだった。転位の魔道という秘密を先王から受け継いでいた彼だけは、レイアの不調は魔道発現の兆候なのだと吉報として捉えたのだ。魔術の才覚の有無から傍目にもあからさまだった彼の第二王女への寵愛は、ますます傾倒していった。もう一人の事情を知る人物である第一王女を蔑ろにしたままに。

 しかし、それもそう長くは続かなかった。ほぼ間を置かずしてまことしやかに囁かれるようになった魔物という未知の外敵。瑣末な目撃情報と曖昧な被害報告が日ごとにその量と確度を増していき、王都中が不安と混乱に包まれたころ、ある一つの噂がぽつりと投じられた。

 魔物を世に導いているのは第二王女のレイアであるらしい。

 理由も何も明言されていない。まさしく根も葉もない噂。いや、ただの誹謗に近い世迷い言。だが、混迷の極致で正常な判断力を失った人々にとってはそうではなかった。それがどんなに突飛なものであれ判り易いのであれば飛びついて、犯人を指弾し未知の恐怖から逃れたい一心でその噂は口々に流布された。

 国王ディソウも例外ではなかった。むしろ、なまじ魔道の血族の恐るべき異能を知っていた彼は、真っ先に第二王女を召喚し真偽を糾明しようとした。我が子への疑念を公然化することになる行為を憚らなかった。

 もちろんレイアは肯定しなかった。けれども否定しようともしなかった。臥せってからというものかつての活発さは消え失せ、塞ぎこむようになった彼女は、側近たちにも、実の姉以上に慕っていたスーラにも心を明かそうとはしなかった。それが疑惑に拍車をかけるが、聡い側近らの見解は違った。レイアの慈愛を慕う彼らは、彼女が庇う何者かの存在をその健気な態度の裏に見たのだ。

 その頃には、うかされたレイアが口走る不可解な言葉を頼りに秘密裏に調査を進めていた側近たちは転位の魔道という超常を看破しており、王国と魔道の血族の因縁を暴き、伴って噂を偽造した人物、レイアが庇う片割れ、魔物出現の真犯人を見抜くに至るが、遅きに尽きた。

 噂は嫌疑に、嫌疑は容疑に、レイアを邪悪な魔女とする糾弾は王都中を席巻していた。その側近が何を説こうとも魔女の眷属の奇声に耳を貸すものはいなかった。いつの時代も魔女裁判の判決は一つしかなく、残された活路も一つしかない。それが容疑を固めてしまうことになると知りつつも、王都から脱出するより他になかった。

 そうして、人間の脆さを熟知した狡猾な彼女によって、レイアは人の世に仇なす反逆者に祭りあげられてしまった。邪が巧妙に糸をひいたにせよ、世論は自らの口で唯一の正を謗り、自らの手で無二の希望を追放し、自らの運命を滅亡が手ぐすねをひく進路に載せてしまった。

 二十年間、紅蓮地獄の寒苦で生きたまま躯を腐らせるような速度でとろとろと進んださだめの滑車は、いよいよ眼前に終点である奈落を臨むも、制動を知らず転がり続ける。明日とも知れぬ墜落へ向かって。

 ――いや、予断も猶予もない現状を理解しているスーラでさえ、思いも依らないずっと近くに、終わりの期は迫っていた。誰にも見られず、すぐそこに佇んでいた。

 終焉を正しく予見しているのは、彼女だけ。収穫祭の開催宣言を臨み、尖塔の展望台へとゆっくりと歩を進める彼女。ほの暗い通路を往く容のよい彼女の顔立ちは、遠く古都の片割れの魂の脅えを感じとり、陶然と歪んでいる。

 彼女こそ、憎悪の魔道士、王女ミリア――。




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