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異形の魔道士  作者: IOTA
48/60

45 転位の魔道




 神殿と呼ばれる場所には、やはりその厳かな呼称に相応しい建物は陰もかたちも見あたらなかった。

 そうと知ってよくよく目を凝らせば他と較べて少しだけ太い石柱や幾何学的な配置をみせる石畳など、いにしえの大規模な建造物の名残を発見することはできるけれど、むしろそれは文明途絶のうら淋しさを助長する景観でしかない。

 しかしながら、当時はちょっとした演壇があったであろう石台に忽然と現れた地下に続く石段を降りていくと、ようやくかつての文明と現在の生活を感じられるようになる。

 道幅の広い石廊は悠久の時の流れの中でも地下通路としての堅牢な役割を損なわず、壁の随所に設えられたエルフ手製の魔物の油のランプの灯りが行く手を暖色に照らしていた。

 こつりこつりと、一同の響かせる律動的な靴音が延々と延びる正方の闇へと吸いこまれていく。しかしながら、そんな些細な物音は森厳な雰囲気に似つかわしくないかしましさに掻き消されていた。

「――ってな具合で、カボル村を盗賊団から救ったんだよ。あ、途中までライアスぼっちゃんも一緒だったんだ。姉ちゃんも憶えてるだろ? アクエの武家のさ。下級士官になってたけど、昔と全然変わらねえでやんの。あいつったら――」

 持ち前の饒舌さを取り戻したサイが隣を歩むスーラにこれまでのあらましを語り聞かせていたのだ。

 その手振り身振りを交えた大袈裟な口振りはこの旅路で経験したはずの様々な苦労を感じさせないほど愉しげで、お喋りな一人の少女に戻ったかのようだった。

 それは単に姉との再会の高揚に依るものだけではなく、遺跡を眼前に感じ、踏み入ってからは絶えず肌をなでる清らかな空気がそうさせているのかもしれない。

 一方、スーラは時には驚き、時には質問を挿み、聞き上手に終始していた。長身で姉御肌のサイと小柄を際立たせるずぼらな身形のスーラ。外見からすると姉妹が逆転しているような両者だったが、正しく妹でありその姉であることが傍目にも窺える穏やかな会話だった。

 話題がヒルドンで遭遇した異邦の傭兵団に及ぶと、古都の住人である三者はどちらともなく顔を見あわせた。

「ヒルドンの町がそんなことになっていたなんて……。そういえば彼女たちは無事かしら」

「出て行ってから千四百二十二日も経つからね。約四年だね」

「あの女が簡単にくたばるとは思えないが、まだ世界が変わらないことから察するに標的は仕留められないようだ」

 感慨深げに語らい始める三人。積もる話に水を差されたサイは面白くなさそうに唇を尖らせた。

「なんの話だい?」

「お客さまらしからぬお客さまの話よ」

 可愛げのある妹をからかうように冗談半分に答えたスーラは、それ以外の者たちの冗談の通じぬ無表情を順繰りに見やって咳払いをした。

「あなたたちが出会った傭兵団には別組織の仲間がいてね。私たちははぐれてしまった彼らを保護したの。少しの間、ここで生活を共にしていたのよ。そこで彼らは世界の真実を知り、旅立っていったわ」

 ケイルはふと思い出した。ヒルドンでの戦闘の終局、シェパドとそのかつての腹心の無線会話。

 この世界の言語ではなく、ケイルと彼らとの世界での共通言語でおこなわれたそれには、ラングレーやパラミリといった聞き慣れない単語や、連携に合わずはぐれたというような、スーラの言うところの別組織の仲間の存在を示唆するキーワードが含まれていた。

 その者たちこそアカリが頼った王都の知人であり、二人を尋常ならざる企てに巻きこんだ挙句、ライアスを監禁の憂き目に遭わせたなど、現段階では夢にも思わないが。

「その世界の真実とやらを私たちも早く聞き及びたいものです」

 サイ以上に面白くなさそうなリルドがそっぽを向きながら言う。

「そうですね。そのためにまずは時系列に沿って、この国の歴史を紐解かなければなりません」

「歴史? いよいよ世迷言じみてきましたね。いかにも胡散臭い」

 悲しげにふるふるとかぶりを振って、重い口を開こうとしたスーラだったが、ふと石廊の途中で足を止めた。左方の壁面がとある一室へとくり貫かれている。前へ、左へと頻りに視線を低回させる仕草には逡巡の色があった。

 迷路然とした地下通路には見合った所作ではあったが、ここで生活していると述べていた当人がまさか迷ったわけではないのだろう、と訝しむ客人一同に向き直ったスーラは「ごめんなさい。少し時間をください」と言い残し、その一室へと足早に這入っていった。

「なんだいスー姉ちゃん。小便かい? だったらあたしも。二十年ぶりの連れションさね」

 きししと粗野に笑ってそそくさとスーラの後に続くサイ。

「……なんと下品な。もはや悪鬼羅刹の域です」

「変哲な女だな。09、貴様に同行しようなどと思うだけはある」

 年頃の女とは思えぬどこまでも奔放な言い草にリルドはぐるりと目をまわし、T67は渇いた失笑をこぼす。初めて気が合った両者はばつが悪そうにすぐさま顔をそむけた。その険悪ではあるがやや子供じみたのどかな一幕に、ケイルとルークは無言で見交わし肩を竦めあう。ゼロットまでもがケイルを真似て小さな肩をひょいとやった。負い紐に吊られた先込め小銃がずり落ちる。

 一時の待機と思われたが、おもむろに進み出たT67が二人の這入った部屋の前で立ち止まり、ケイルに顎をしゃくった。

「小用というわけじゃない。お前も見ておけ」

 こころなしか抑えられた神妙な声音に、残された者たちはそっと室内を窺う。

 何もない、がらんどうな空間。回廊とは異なりこの一室には壁面に照明がなく、中央に置かれた錆で赤茶けた燭台の隠微な光だけが、立ち尽くすサイとその傍で膝を折るスーラの姿をぼんやりと浮かび上がらせていた。

 彼女たちの眼前には複数の小さな石碑が佇んでいた。数は十にも満たないが等間隔に理路整然と並べられ、控え目な草花が供えられていることから、それが墓石であることは明らかだった。頼りなく揺れる蝋燭の光が刻まれた故人の名をちろちろと翳らせている。

 かしづいたスーラは両手を組みあわせ、瞑目し、口許に穏やかな微笑みを宿した。

「みんな、ごめんね。そしてありがとう。私が生きているのはみんなのおかげ。こうして妹と再会できたのは生きているおかげ。妹の友人たちも訪ねてくれました。彼らには真実を説こうと思います。どうか安らかに世界の行く末を見守ってください」

 サイは悼辞にひたる姉に代わってT67とルークを振り返った。

「これは……?」

「反逆者さ。レイアを連れ立って王都を脱したその側近たち。存命なのは今やお前の姉、ただ一人なのだ」

「魔術が遣えるだけで兵士でも何者でもない彼らが古都を目指す旅路は、けっして安全なものではなかったということだね」

「この森での生活もな。私も故人に会ったことはない」

 そっと息を呑んだサイとリルドはスーラの背を見つめた。華奢で寂しげな後姿を見つめる彼女たちの表情は複雑な心中に曇っていた。

 人類文明に反逆を企てた痴れ者、裏切り者の代名詞のように語られるレイアとその側近。そんな大仰な扱いを受ける勢力の実状は、レイア当人を除けば、今やたったの一人だけだったのだ。

 またその事実はサイに姉が途方もない危険に巻きこまれていたことをあらためて認識させ、同時、重すぎる反逆の汚名を共に背負うことで固く結ばれたであろう仲間たちを亡くし、独り生きながらえた彼女の苦悩を我が身の上であるように痛感させた。スーラもまた、一人で親御を看取ったサイと同様に、誰とも共有できない心痛を抱えていたのだ。

 八年前、とおもむろに口を開いたT67の淡々とした声音が静かに闇に染みいっていく。

「打倒反逆者を掲げた大軍勢がこの森へと進攻した。その時、魔物の包囲を突破した少数の精鋭部隊と、レイア側近の魔術士たちは死闘を繰り広げたと聞く。軍配は魔術士たちにあがったが、多くの命が失われた」

 それを安々と聞き流せないのが誰かは、言を俟たないだろう。

「進攻作戦の失敗には反逆者の魔術士たちも一役かっていたということですか……。命を散らしたのは多国籍軍も同じです。多くなんてものではなく、無数の、それも崇高な目的を胸に刻んだ命を非業に奪われました」

 T67は特に反論しなかった。無視に近しい。けれども疎ましげにリルドを軽侮する眼差しは、埋めようのない力の差を知っても脅えを見せなかった近衛兵団長をあらためて怯ませるほどの、これまでにない極低温の眼光を放っていた。

 彼女はおもむろに腕を持ち上げる。リルドは咄嗟に身構えたが、その鈍色の装甲板に覆われたしなやかな諸手は自身の後頭部へと向かい、気密の解かれた擦過音を合図にバイザーを取り去った。

 現れた風変わりな美貌にサイたちは目を瞠る。

 病的なまでに白いキャンバスの内にあるのは、均衡を突き詰めたような些かの偏りもない目鼻立ち。汗で頬に張りつく白銀の長髪が隠微な赤光を受けて精緻に輝くさまは、扇情的を通り越し、芸術的とさえいえた。

 エルフにも負けず劣らない美形。亜人のそれを愛玩人形に喩えるなら、彼女は写実派であるはずの絵師が美を追求して描いた抽象画を思わせる。どちらも作り物めいているという意味で共通しており、事実、彼女の造形は作り物、人工物といえるのかもしれない。

 サイたちが一驚した真の理由は、ケイルの素顔との類似性にこそあった。けっして瓜二つというわけではない。何よりそこには性差がある。にも関わらずその相貌を目にした時に抱く、不健康な迫力、美しい厳めしさ、近寄りがたい親近感といったちぐはぐな印象が、あまりに酷似しているのだ。

 その不自然な相似は、彼らが類似した遺伝子情報をもとに製造され、まったく同じ環境下で育成されたバイオロイドであることを鑑みれば、むしろ自然のことだった。サイたちが思い抱いた印象としては、兄妹といった感覚に近い。

 当のT67は周囲の顔色には頓着せずスーラに倣って墓石に黙礼を捧げると、まっすぐにケイルと向かい合った。もしケイルもマスクを外していれば、正対した神秘的な無表情は鏡映しのようだっただろう。

 しかしタルタロスの双眸は、ヘカトンケイルでは放ち得ない頑強な決意の情に滾り、蒼い炎のように静かに輝いていた。

「そして七年前、ついに二人切りになってしまったスーラと姫さまは、苦肉の策として私を呼んだ。世界を継続させるための守護者として」

「彼女たちが呼んだ……?」

 ケイルもマスク越しにまじまじとT67を見つめ返した。

 その言葉は彼女がたびたび口走っていた召喚といった一連の現象が、人の手による所業であり、また偶発な事故などではなく、明確な意思のもとでとりおこなわれたことを示していた。

 長い黙祷をようやく終えたスーラがすっくと立ち上がり、振り返る。

「深い深い森の中、そこにいたのは一人の魔道士。すべてを見て、すべてを聞き、すべてを知るその魔道士を、皆は頼り、信頼していた」

 その唇が唐突に奏でた穏やかな歌声に皆が傾注した。

「激しく辛い戦乱の中、そこにいたのは一人の魔道士。敵を葬り、味方を増やし、勝利を導くその魔道士を、皆は崇め、酷使していた」

 それは魔道士の唄に違いなかった。けれども王政に禁じられ、執拗に封じられたその唄は、ライアスのようにやや傾倒した知的好奇心とそれを満たすための時間を有していなかったサイたちの知るところではなかった。

 不可解な顔色を受けて、スーラは静かに語り始める。

「これはミレイユ王妃様が遺した唄。ライガナという王国の発展、その陰にあった一族の悲劇を唄ったものよ」

「一族の悲劇……?」

「そう。この古都ニューカはライガナ王国発祥の地。けれども、そもそもなぜ、こんな森の中のいち部族に過ぎなかった祖先たちは、並みいる他国を打ち倒し大陸の支配国になりえたのか」

 以前ケイルがサイにそのように問うた時、彼女は電撃的に支配拡大を果したと述べただけだった。持ち前の不干渉の姿勢からケイルは特に言及しようとはせず、それでおざなりに納得してしまったが、一般的な感覚からしたらそれは結論でしかなく理由の説明として用をなしていない。

 このような辺境、秘境とさえいっても遜色のない土地を都とする民が戦乱の覇者となり、大陸の軍事的支配権を握るなど、何か理由がない限り不自然なのである。

 ケイルの窺うような視線を受け、サイとリルドは戸惑いの顔を見あわせた。王国でも一般の民に較べればかなりの知識人である彼女たちのその窮するような態度は、ライガナという王国における全国民の歴史的無知を浮き彫りにしていた。

 スーラはさもありなんというように、出来は悪いが愛おしい教え子に手向けるような優しい嘆息を吐いた。

「あなたたちの知る歴史は王政が伝えたもの。そしてそれは酷く大まかで、歴史というのもおこがましいあらましでしかない。でもそれに違和感を覚えないのは無理もないことよ。覚える必要がないもの。満たされた勝者は勝因を考えない。しかし敗者は違う。だからこそ、歴史を知り敗因を知る他国の識者はいまだに反逆者の、私たちの籠絡に兵を割く」

「籠絡を目論む他国の底意には、歴史的な背景があると?」

 半信半疑の厳しさを孕んだリルドの問いに、しかしスーラは微塵も臆さず、その通りです、と首肯した。

「その答えがこの神殿にある。ここで祖先たちが神と崇め奉っていたのは、ある一族なの。その血脈によってのみ受け継がれる、おそろしく、凄まじい異能こそが、ライガナ発展の理由であり、魔物が出現する原因。すべての理由であり、すべての原因」

 つと顎を持ち上げたスーラ。その眼差しは遠く、天井の向こうの夜空、夜空の向こうの虚空を見つめているようだった。

「世界はまるで沙のごとき泡のよう。無量大数に重なりながら、その気泡の内が交わることはけっしてない」

 宇宙という概念さえ定かでないこの世界で、茫漠ながらもかつてから並列宇宙という構図を思い描いていた稀代の魔術士の女は、地上に視線を戻した。

 もったいぶるわけではなく、自身の答えをあらためて認識し、それを聞く者の覚悟を見定めるように各々を見渡す。真実を知る彼女の二の句を今かと待つ一同には、その一拍の間で生じた静謐が闇を一際に濃くしたかに思われた。

「その異能とは、本来ならけっして干渉することのないすべての世界の内なる存在を、意のままに往来させることができる埒外の魔道。私はそれをこう呼んでいる」

 転位の魔道、と。

 淡々とした柔らかな語りは、しかし暴力的な情報量とその重要性をもってして、しばし一同から声と顔色を奪い去った。サイとリルドが何事かを述べようと口を開くが、増殖するばかりで具体性を欠いた膨大な疑問符は言葉にならない。

 そんな、なかば混迷に陥る面々の間をゆっくりと移ろっていたスーラの眼差しが、やがてある一点に固定される。ケイルだった。

 彼女は言いよどむように妹に似たふくよかな唇をそぼめ、T67へと目配せをした。真実を既知する異邦人の鷹揚な首肯を得て、無知なる異邦人に告げる。

「すべてというのは、この世界に限った話ではなく、長耳の亜人たちの世界や傭兵たちの世界、あなたの世界も含まれているという意味です。もちろん、魔物の世界も」

 なぜ特別に自分に向けて述べるのか、なぜ言いよどみ、なぜT67の了承を確認したのか。それらを理解するための一拍の間を置き、時が凍りついたような思考の間断を経て、ケイルは戦慄した。

 事態はこの世界に留まらず、エルフやシェパド、ケイルの世界も含まれた、すべての並列世界に関わる、諸悪の根源。そしてT67という同郷の存在が、本来関わりがないはずのこの世界の事情に執拗に肩入れするわけ。

 それらの反逆者たちが物語る点と点とが線で結ばれ、その延長線上にうかび上がる。終点に超然と聳え立つ。

 あるおそろしい結論が。

「……それは、まさか――」

 期せずして驚愕の呟きをもらしたケイルは、強化外骨格の首筋が軋むほど急な動作でT67を振り返った。感情に乏しい彼がここまで露骨にその心中を反応を示すのは珍しい。それがただの会話となれば異例といえる。しかし、ことは彼の存在理由に纏わるものなのだ。いや、纏わるどころか、その解答といっても過言ではない。

 T67は相対した者に脅えを与えて然るべきケイルの徒ならぬ正視を受けても、しかし端整な無表情をぴくりとも崩さず、むしろ見つめ返す眼差しの静謐をよりいっそう深め、神妙に首肯することで藁にもすがるようだったケイルの懐疑の呟きを切り捨てた。

 そして、まるで追いうちをかけるように、はっきりとその答えを口にした。

「つまり、その転位の魔道こそが、我々の世界にアバドンが出現する理由でもあるのだ」

 確かに――共通点はあった。

 この世界では魔物が、ケイルの世界ではアバドンが、まるで示し合わせたようにまったく同じ二十年前を境に出現するようになった。そしてその出現という現象。産まれるのではなく、造られるのでもなく、忽然と無常の世に顕現するという点でも共通していた。

 その奇妙な共通点があったからこそ、こうしてケイルは反逆者のもとを訪れたのだが、瑣末な接点を追い求めた先で自身の世界を苛む破滅の解答に出くわすなど、誰が予想できようか。

 絶句してただただ立ち尽くすケイル。マスクの内では彼にとって唯一確かな意見者である相棒を求めてまなこがきょろきょろと泳いでいた。

「にわかには信じられないよね。まさかこんなところにアバドン出現現象の解答があるなんて」

 そんな彼を見かねて代わりに口を利いたのはルークだった。きっとアーシャ以上に軽薄な声音は却って信憑性を薄弱にしていたが、その発言に含まれた同情に虚偽はなく、かつて彼とその使用者も今のケイルと同じ驚倒に陥ったことを暗示していた。

「スーラが唱える転位の魔道。それに近い概念はぼくらの世界にもあった。概して精神圏と呼ばれる構図だよ。すべての存在は精神、つまりは思考に基づく。存在を意識する思考があるからこそ、存在はかたちとして実在している。つまり存在を統べるのが思考ならば、思考を統べるものがすべての存在を支配できる。精神圏と呼ばれる観測の範囲に並列世界を捉えられれば、そこの存在を意のままにできる――とか」

 ルークは微苦笑をうかべてひょいと肩を竦めた。

「はちゃめちゃな理屈だよね。勿論、科学的なものではなく、哲学的な、いってしまえば宗教的な理論だよ。スーラの証言を頼りに科学的立証を何度試みたか知れないけれど、結局自分たちの世界の科学理論しか知らないぼくたちには、どこまでいっても立証なんてできないのさ。魔術についての理解も覚束ない身の上では考えるだけ無為なんだよ。無体というべきかな。……アバドンの出現現象がそうであったようにね」

 異邦の者たちの深遠を思わせる遣り取りを、すべてを承知したスーラ以外の現地人たちは怪訝そうに、不安そうに見守っていた。

 彼ら現地人たちがケイルやT67が度々見せる科学の粋を結集した技術を理解の外に追いやりながらも、その存在を紛れもない現実として従容と受け止めているように、ケイルら異邦人もまたこの世界の魔術や魔道を自分たちの理屈では究明できずとも、そういうものだと受け入れるより他にないのだ。

 解明しようすること自体が知識の多寡や文明の優劣を笠にきた、いわば軽侮じみた行為であり、そのような根底での思考はまったく無意味なのである。両者を隔てるのは多寡や優劣ではなく、森羅万象、あらゆるものごとの概念の違いなのだ。棲む世界が違うのだから。

「………」

 それでもケイルは相棒への呼び声をとめることができなかった。

 アーシャ、アーシャと、壮絶な情報に掻き乱された思考の中で繰り返しその名を叫んでいた。転位の魔道や精神圏とやらの精査を求めているわけではない。真偽などよりも、ただただ彼女の勝気な笑顔とその伝法な声音を切望していた。

 元の世界が陥る破滅の原因と自身の存在理由の根底。そんな、重大というにはあまりに重大な情報を聞かされて、それでもなおひたすらに沈黙を保ったままである相棒に、得体の知れない不安が脹らんでいく。彼女はいったい、どうしてしまったというのか。

 傍目から見れば黙視以外の行動を奪われたケイル。それをちらりと横目で窺った同行者たちは憂慮に表情を曇らせる。かつてない彼の驚倒は気安く声をかけるのも憚らせるものがあった。彼の手を牽こうとしたゼロットも、自ずと何かを察して伸ばした手をひっこめた。

 ケイルを慮ったサイが、その鋭い眼差しを逸らせるためにT67に向かっておずおずと述べる。

「つまり、ケイルやあんた、亜人や傭兵、それに魔物がこの世界やケイルの世界に現れるのは、全部その転位の魔道の所為ってことかい?」

 賢しく理解も早い現地人と妹を見て、T67とスーラが同時に深く顎を引いた。

「転位の魔道の術中に収まる世界の住人は誰もが被害者といえるわ。原始の世界の棲家を追われ方々の世界へと野放図に召喚される兇暴な魔物たちもまた、その意味においては被害者ね」

「ならば加害者は何者だというのですかっ? 転位の魔道を受け継ぐある一族とは?」

 間を置かず、噛みつくようにリルドが問うた。

 その核心に、T67とルークが心もち半身を引きスーラに目をやった。先と同じ発言を託すような態度は、けれども立場が逆転しており、ケイルには身に覚えが、サイたちにとっては見覚えのあるものだった。異邦人である自身の領分を弁え、こちらの世界の事情から一線をひいているのだ。

 わずかに視線を沈ませたスーラがそっと口を開く。

「……白い白い城の中、そこにいたのは一人の魔道士。悪意を知り、憎悪を知り、口を閉ざしたその魔道士を、皆は嫌い、幽閉していた」

「それは先ほどのミレイユ王妃様が遺したという唄の続きですか? いったいそれが――」

 予期せぬ返答にリルドは食ってかかるが、途中ではっと言葉を詰らせ、目を丸く見開いた。ライガナ王国躍進の陰にはある一族と彼らに遺伝継承される転位の魔道があったという話を聞き、この場にいる誰よりも王家に近い近衛兵団長の脳裡には、否が応でもシンプルな結論にできあがっていた。

「白い白い城というのは、白妙の王城のことですか? まさかその唄は、ミレイユ王妃様が御自身の身の上を詠んだものだというのですかっ?」

 かつては貴族として教育係りを勤めるほど博学なサイも同様であり、卵型の目を剥いて姉を凝視していた。

「つまり、ある一族っていうのはミレイユ王妃の血縁のことなのかい?」

 スーラはあえて答えなかった。

 後に発された囁くような歌声が、憐れな身上を詠んだ悲壮感の滲む歌詞が、何よりの肯定だった。

「遺されたのは、二人の魔道士。何もかもを知る二人は、何もかもを愛し、何もかもを憎んでいた……」

 遺された二人。

 ミレイユ王妃の血を継ぐ二人の人物。

 それが誰であるか。誰にとっても明らかだった。

 スーラはすっと手振りで部屋の出入り口を示す。

「それじゃあ、案内しましょう。眠り姫の寝室へ」

 いえ、と彼女は眼差しを斜め下へ落とし、そっと口角に隠微な笑みを宿した。その笑顔は未来を諦観し、終焉を達観した、どこまでも深い哀しみに翳っていた。

「病室といったほうが正しいかもしれないわね……」




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