44 いねがての夜
王都デリトにて。
場末の酒場に一人で取り残されていたライアスもまた、遠く離れた辺境の仲間たちと等しく、いねがての夜を過ごしていた。
束縛は思いの外あっけなく解けた。
椅子に腰かけたかたちで両手両足を麻縄で結わえられていたのだが、それにはある盲点があった。縄の結びが如何に固くとも木製の椅子の強度には限界がある。倒れ、転がり、身動ぎし、反動を利用して床や壁に幾度となくぶつけることで破壊できたのだ。
あっけなくというにはその七転八倒には数時間を要し、時刻は深夜を回ってしまっていたが、拘束が自力で解ける時点であっけないといえるだろう。彼がかつてその身をもって体験した宙吊りと較べると、その苦痛も拍子抜けするほどに軽い。
そもそも根本的な前提として束縛は監視下にある者の自由を奪うことを目的としたものであり、虜囚を単独で残す場合には避けるべき悪手なのだ。当然、それは異邦人たちの手抜かりなどではない。
その理由は転がるように酒場を飛び出したライアスの二の足を踏みとどまらせた。
「……どうしよう」
彼らを止める手立てを思いつかないのだ。
ジュディが語った真実を聞かされ、理解できる者がいるだろうか。否だ。ライアスとアカリがそれを理解し、信じられたのは、特異な経験をしたからであり、他の者が聞かされたところで、達の悪い冗談としてさえ受け取られないのは目に見えていた。昨日、彼が目の当りにした説教師の老婆のように傍迷惑な狂人の戯言としてその言葉は無為に鼓膜を通過していくだけだろう。
いわゆる動機にあたるその真実を伏せ、そういった企てがあることだけを告げれば王国は何かしらの対策に動くかもしれないが、それで阻止できるのか。それもまた否。
他ならぬライアス自身がまだ存命であることが何よりの証左だった。本気で口を封じたいのなら命を奪うのがもっとも確実だ。彼らがあえてそうしなかったのは、アカリの手前という理由も勿論あるのだろうが、そこまでする必要がないと判断したからに相違ない。
つまりそれは、仮にたれこまれ、王国側が何かしらの対策に動いたとしても、それで左右されるほど手緩い計画ではないことを残酷なまでに知らしめていた。少なくともそれほどの自信があるということであり、事後、大罪人として追われることなど彼らは憂慮していない。
生物は生に執着するものであり、それがあらゆる思考、あまねく行動の根底にある。それゆえ己の死を厭わないという生物として究極的に非現実的な選択をとる者を止める手立ては限りなく少ない。そういった者らの目的が個人の抹殺、たった一人の殺害となれば、皆無に等しい。
彼らが企てる恐ろしい計画を細部まで理解していれば話は違ってくるのだろうが、ライアスは彼らの目的と、その悲願のために葬らなければならない標的を知るだけで、具体的な内容はもちろん、大まかな概要でさえ知りはしない。それがこちらの世界の常識が通用しない異邦のものの手となると、もはや予想や推測がきく範疇にない。
「どうすれば……」
人通りのない場末で心身共に行き場をなくしてこうべを垂れていたライアスは、ふと近づく人の気配に左右を見渡した。
まるで示し合わせたように路地から一人、また一人と子供たちが姿を現し、六人の少年や少女が酒場の前に集合していた。ここが農村であれば特別に目を引くことはないであろうやや薄汚れた身形は、彼らが浮浪の孤児であることを示していた。
双方の胡乱げな眼差しが自ずと重なる。警戒心をむき出しに遠巻きにあった子供らだったが、意を決したようで年かさと思しき一人の少女が暗澹とした雰囲気を放散する青年に歩み寄り、心配そうに声をかけた。
「おにいちゃん。どうしたの……? どこか具合が悪いの?」
「平気だよ。きみたちこそこんな時間にどうしたんだい? 危ないよ」
「おいおい、だんな。こじきに危ないもくそもないぜ」
拗ねた少年が皮肉を言うが、少女が彼の頬を抓って黙らせると、ライアスに向きなおりえくぼをつくった。お転婆ではなく憐れな事情により煤けた頬には不釣り合いなほど眩い、荒んだ環境にあるとは思えない人懐っこい笑顔だった。
「あたしたちこそ平気だよ。この辺りにいればジュディさんとホーバスさんが護ってくれるもの」
出し抜けに発された二人の名に、ライアスは憂慮に翳っていた眼差しを驚きに剥いた。
「きみたちは彼らの知り合いなのかい?」
「うん。友達なの。いつもこの時間にお菓子や食べ物をくれるんだ。こないだなんかね、お客がいないからって店にまであげてくれて、ご馳走をつくってくれたの」
「こないだと言えばさ。達の悪い酔っ払いに絡まれたんだけど、あの二人があっという間にのしちまったんだぜ。きっとだんなよりジュディの姉御のほうがよっぽど強いね」
実際にジュディにのされたライアスは苦笑いするしかなかった。
あの時はこうだった、その時はああだったと、子供たちは自慢するように二人の美談を次々と挙げた。
この広い王都には孤児院もいくつかあるが、すでに定員は許容を超えており、そもそも孤児であれば誰もが受け容れられるわけではない。孤児院とは名ばかりの養子や使用人の育成所に他ならず、素質の有無を峻別され、選ばれた子供だけが屋根のある場所での寝起きを許されるのだ。
その施設を成り立たせている裕福な貴人の寄付にしたところで偽善でさえなく、優秀な身柄を得るための先行投資と言ってしまえるものだった。
そんな利己的な大人たちの曇りきった眼鏡にもかなわず、暇を持て余した憲兵に浮浪児であることを見咎められれば壁外への放逐という死刑宣告に等しい運命は避けられない彼らにとって、純粋な善意で施しを与えてくれる二人の大人がどれほど大きく、如何ほど頼れる存在に映っていることだろうか。
実の親のように慕う彼らの口振りを耳にすれば、崇める英雄を映すように鈴なりに輝く瞳を目にすれば、その一縷へよせる心頼は測り知れない。
小さな口からこぞって飛び出す枚挙に暇がない武勇伝を朗らかな表情で聞いていたライアスだったが、次第にその面持ちは色濃い射影の内へと沈んでいった。二人の異邦人の偽りようのない善性を思いがけないかたちで知った彼は、こう思うのだ。
果たして、彼らは本当に間違っているのだろうか。彼らの信じる真実がその実正しいのだとすれば、それを阻もうとしている自分こそ、世界にとっての大罪人なのではないか。
ジュディから話を聞かされた時点で排したはずの可能性が、ここにいたって彼の頭の中で浮上し、それを頭ごなしに否定させたはずの良識とせめぎ合っていた。答えのない問いは自責の澱となって堆く降り積もり、焦燥だけが嫌にはっきりとその不快な熱でじぶじぶと胸を灼く。
「でも今日はお店暗いね。明日は収穫祭だから仕方ないのかな……」
寂しそうな少女の呟きを契機に、子供たちは項垂れるライアスを残して酒場から離れていった。
こましゃくれた少年が去り際に振り返り、迫力よりも可愛げが勝る眼光でライアスを睨みつけた。
「言っとくけど、この店のこと憲兵にちくったらブチ殺すからな」
「またこの口は! ジュディさんに言われたでしょ! 優しい人には優しくしなくちゃ駄目だって」
すかさず彼の頬を抓みあげる年長の少女。
少年は半べそをかきながら息も絶え絶えに弁明した。
「いて、いてててて。わかってるって! ほら、代わりに秘密を教えるからさ」
ライアスは彼らの楽しげな遣り取りを目にするたびに増殖していく葛藤を顔に出さないよう、儚げに微笑んで申し出に応じた。
「わかった。黙っているよ。秘密ってなんだい?」
「ほら、あそこ」少年が頬をさすりながら指差す方向には、外壁の通用口があった。「あの通路さ、這入ってすぐのところに竪穴があるんだけど、おれたちその地下道を通って王都のどこでも出入りできるんだぜ」
すごいだろ、と胸を反らせる少年。
彼は秘密めかして地下道と呼んだが、それは言葉を知らないだけであり、一般には下水道という。王都ほどの規模の街が成り立っていくためにはなくてはならない生活設備だった。時に用水路、隧道へとかたちを変えて都を血脈のように、迷路のように張り巡らされている。
一介の王国兵であるライアスは当然のように外壁の通用口を利用しており、竪穴とその先に続く下水道の存在を知っていたが、さも感心したというようにうなってみせた。
自尊心を守られた少年は満足げに鼻をぐしぐしとこすって踵を返す。
去りゆく小さな背中を見送っていたライアスの脳裡に、はたと些末な思案の欠片がうかんだ。慌てて呼び止める。
「ねえ。王都のどこでも行けるって言ったかい?」
「まあね。ぽこぽこある竪穴をよじ登って木のふたを開ければ目的地さ。憲兵に追われた時の隠れ家としても最高だよ」
「何が最高よ。汚いし臭いし、最悪もいいところじゃない」
「なにおう! 知ってるんだぜえ。お前この間、売春宿近くの地下道で聞き耳立ててただろ。あそこは声が響くからなあ」
「な、何言ってるのよ! それはあんたでしょ!」
ませた少女はかあと頬を染め頻りにライアスへと狼狽えた視線を逍遥させるが、子供たちの口論がライアスの思考に介入することはなかった。瞬きに割く意識も惜しいと目を見開き、その瞳に闇夜にぼうと佇む通用口を映す彼の思考回路は、探し人の足取りを捉えつつあった。
ジュディという異邦の女。ライアスがそれを手繰る材料は一刻にも満たない会話でしかなかったが、類を見ないほど濃密はその遣り取りは十分すぎるほど鮮烈な印象を彼の脳裡に刻んでいた。
つまり思慮深く、合理的。そんな彼女がこんな場末に酒場を構えるだろうか。土地代という金銭的な問題もあるのだろうが、それだけが理由とは思えない。端から腹に一物を抱えて王都に侵入したものが、さしたる理由もなく辺鄙な場所に本拠地をおくとは考えにくい。
繁華から遠い代わりに、この場所だけにあるものを考えた時、それは通用口以外にありえない。
ライアスは弾かれたように少年に駆け寄り、膝をついて小さな肩を掴んだ。
「城へは!? 地下道を通って王城へは行けるのかい!?」
「な、なんだよ急に。お城は無理だよ。どのルートにも鉄柵があって町の地下道からは近づけないのさ。黒づくめのおっかない連中も見回ってるし」
「そうなのかい……」
地上を警戒するあまり地下をおろそかにするなど、そんな都合のよい手落ちがそうそうあるはずもない。まして賊の侵入騒動はいまだ冷めやらぬのだ。少年の言うところの黒づくめ、王城近衛兵団はかつてないほどの厳戒態勢にあるとみていいだろう。
「そうか。無理か……」
途端にがっくりと落胆する青年に、子供たちは戸惑いの顔を見あわせた。
アカリが痛罵した気の毒に思うほど傍目からも明らかな素直に過ぎる態度は、確かに疎ましいものがあったが、しかし何が幸いするかわからない。その悪癖がなければ、この後の一幕は起こりえなかっただろう。
子供らは責めるような眼差しを少年に向け、謂れのない咎に唇を尖らせた彼は、眼前で項垂れる青年を励ますようにおずおずと述べた。
「まあ、中庭までなら行けるけどね」
「中庭……?」
「そう。城の周りのだだっ広いとこ。鉄柵を避けて中庭まで抜けられるルートは、一つだけさ。きっと黒服たちも知らないぜ」
「ジュディさんにも褒められたんだよね」
下水道を罵った少女もこればかりは自慢げに胸を張った。
ライアスは心に巣食った暗澹を再び即座に掻き消して、顔を跳ね上げる。
「彼女に褒められたって?」
「ちょっと前にね。ジュディの姉御が教えて欲しいって言うから、案内してあげたんだよ。そしたら褒められたんだ。これは使えるってさ。何に使うのか知らないけど」
間違いない――。ライアスは胸の内で確信の呟きを発し、毅然と立ち上がった。
胡乱げに見上げる子供たちの頭を手当たり次第にくしゃくしゃとなで回し、踵を返して走り出す。後ろ手を振り、少年に向けて鳴った。
「すまないけど。ぼくにもそのルートを案内してくれ! すぐに戻るから!」
「はあ!? 嫌だよ! なんであんたにそんなことしなくちゃならないんだよ!」
「頼むよ! 明日の収穫祭で好きなものを好きなだけご馳走するから! きみたち全員に!」
「ほんとかよ!?」
全員に、というつけ加えた言葉が効いたのだろう。子供たちは酒場での施しを諦めたところで降って湧いた幸運に嬌声を発した。少年は握りこぶしを振り上げて遠退く青年の背に向かって叫んだ。
「男の約束だからな!」
「ああ。約束だ!」
言わずもがなで命を懸けなければならない、男の約束。
ジュディが正しいか否か。それはライアスにはまだわからない。けれどもそんなことは関係がなかった。そもそも彼は、ジュディたちが、アカリが、凶行に至る前に、その企てが明るみになる前に、なんとしても説得し、考え直してもらいたいのだ。
信頼していた大人たちの血生臭い所業に子供たちの笑顔を曇らせないためにも。収穫祭が無事に執りおこなわれ、少年との約束を果たすためにも。
そして何より、自分の至らなさの所為で義理の兄を亡くした隔世の相方のためにも。
明くる日の収穫祭を待ち望みうわついた雰囲気の夜の王都。
ライアスはただ一人、一刻も惜しいと死に物狂いで駆け抜けた。
信頼できる数少ない友人の姿を求めて。
初弾をくわえこんだ遊底が閉じられる。
ぞっとするほど甲高く響いた精緻な金属音に、アカリは思わず自身の肩を抱くようにした。ジュディの手に握られたちっぽけな鉄塊は松明の灯りに揺られ、どのような宝石でも、いかなる鍛造物でも放ち得ない見惚れるほどの漆黒に輝いていた。
だがアカリは知っている。その美しさの内にはこの世界の文明では数百年は及ばない殺しの叡智が宿っていることを。それに父と母の命を無慈悲に奪い去られた瞬間から、まなこと脳裡に焼きついて、けっして離れることはない。
アカリの鬼気迫る眼差しは、少女の身に起きた悲劇を詳しく知らない者にも思わせるものがあった。ジュディは翳らせた視線を手中の自動拳銃に落として、隠すように左脇に吊ったホルスターに収めた。
「あまり気持ちのいいものではないでしょうね。でも、ごめんなさいね。酒場でも言ったけれど、これはどうしても避けられない、必要な暴力なのよ」
「……はい。わかっています」
頷いて、アカリは魔蓄鉱小銃を胸に抱くようにした。彼女自身も力に抗うための力を身につけているのだ。弱者が強者に立ち向かうためには、まず弱者のままでいてはいけない。優しさや人情に頼るだけで意志を通せるほどこの世界は甘くないということは、師であり兄でもある男に教えこまれていた。
木箱に腰かけていたホーバスが銃身と銃床を切り詰めた散弾銃に弾を滑りこませ、鼻を鳴らした。
「王都への道程でほとんど弾を使い果たしてな。サイドアームしか残っていないのさ。世界を救うための得物がハンドガンにポンプガンとは、まったく、心許ない限りだぜ」
折り畳み式である棒状の先台が引かれ、拳銃とはまた違った金属の擦過音が煉瓦の石廊で反響した。彼は引き続き二発を筒型弾倉に装填する。拳銃と見紛うほど小型の散弾銃はむくつけき図体の彼が持つとまるで玩具のようであり、円筒形の散弾を見つめる彼自身の眼差しも不満げに顰められていた。
「お前の持ってきたライフル弾が使えればこの上なく、最低でもAKの一挺もあればごきげんなんだが、あいにく頑固なアンクルディーは世界の行く末にさほど興味がないらしい」
自身の世界の言語をふんだんに交えた言葉は、ほとんどがアカリには理解できなかったが、それでも言わんとしているところとアンクルディーが誰を指すかは克明に伝わった。
太い眉を伝法に吊り上げ、ホーバスを見据える。
「……きっとあにきが一番気にかけていたのは、あんたみたいな男に武器を与えて悪さをしないかだったと思うよ」
「へへ。言うね。ならず者の傭兵たちと一緒にしてもらっちゃ困る……と言いたいところだが、政府公認のならず者であるおれたちはもっとたちが悪いか」
自虐的な言葉に、ジュディも部下と同様の寂しげな自嘲をうかべた。
「同じ穴のむじなと言ったら、きっと怒るのは彼らのほうね」
二人の異邦人の間に降り落ちた寂寥感に、アカリは戸惑いの視線を投げかけた。しかし彼らは卑屈な微笑を濃くするだけで、あえて少女の視線と疑問を受け取ろうとはしなかった。
暗澹たる雰囲気は、いつもの軽やかな態度に戻ったジュディの声音によって霧消した。
「この計画を一言でいえば、ずばり狙撃よ。可能な限り標的に近づいて狙い射つ。だから私たちの装備はあくまでも自衛用でしかない。射程が短すぎるもの。あなたのマスケットも含めてね」
ジュディはアカリの持つ魔蓄鉱小銃をすでに吟味していた。
細部に見受けられるシェパドの拘りと業、そこから窺える並々ならない試行錯誤の苦労。何より魔蓄鉱という超自然的な物質と自分たちの世界の技術の融合に、彼女は終始感服していたが、今回の計画では使えないという評価に落ち着いた。
以前ケイルがゼロットに射撃の稽古をつけた時に述べたように、つるつるの滑空銃身から球状弾を射出するマスケットでは有効射程に限りがある。ジュディの持つ拳銃と比しても、銃身長、弾頭直径、炸薬量ともに勝っているはずではあるが、ライフリングの有無により射程という面において大差はないのだ。
ではどうするのか? という問いをアカリはあえて発さなかった。
ジュディは察しのいい少女の視線の先を追って満足そうに頷く。
体重をかけて曲げた弓幹に弦を張り、矢筒に矢筈を並べ、弦を引き張度を確かめる。四人の亜人たちが長弓の準備と手入れに勤しんでいた。彼らは例外なく緊張した面持ちであり、一見して如才がないと知れる手際もやや落ち着きを欠いている。
「計画の主要を担うのは彼らの弓よ。曲射でもその威力と命中率を存分に保てる長弓は射距離、殺傷能力、隠密性ともに私たちの短銃とは較べものにならない。それに彼らの弓技は凄まじいものがあるわ。ロビン・フッドも真っ蒼よ。半キロ先の甲冑でも貫通できるでしょうね」
紹介にあずかったエルフたちは新参者であるアカリを見やると、緊迫に強張った面持ちを柔和にほぐし、ゆったりと頷いた。つい先ほど酒場で互いに殺意を交えたとは思えない丁寧で穏やかな態度は、彼ら生来の人懐っこい気質を物語っていた。
アカリも微笑みの首肯で応じ、そこではたとジュディを振り返る。
「あの……じゃあ、あたしは何をすればいいんですか?」
こればかりはいくら察しがよくても予測できない疑問だった。
計画の実行部隊でないのなら、他に何かするべきことがあるのか。大それた計画の土壇場で漏洩の危険を冒してまで第三者の介入を望んだジュディの真意はどこにあるのか。
当のジュディは腕を束ね、困惑顔でうなった。そのまるで何も考えていなかったというような態度に、困惑したいのは緊張感を裏切られたアカリのほうであるが、のちに発された言葉はさらに予想だにしないものだった。
「そうねえ。あなたには見ていて欲しいのよ」
「……はい?」
「私たちの計画が実行に移され、成功する。それをあなたに見ていて欲しいの」
「えっと。監視ってこと? 彼らが弓を射るのに邪魔がはいらないように警戒するって、そういう意味ですか?」
「あ。それいいわね。そうしましょう。彼らの背中はあなたに任せるわ」
その便乗するような物言いは、ひどく軽薄で杜撰に尽きた。アカリの処遇について具体的に考えていなかったのは明らかであり、ジュディに抱く思慮深い印象や力を貸して欲しいと切々と頼んだ態度からあまりに懸け離れた言い草でもあった。
頭を満たす大量の疑問符にこれでもかと眉根を寄せたアカリが不審を口にしようとするも、それを阻むタイミングでジュディがかしわ手を打った。
「さて、払暁の作戦開始までまだ時間があるし、夜食にしましょうか」
用意されていた木箱からは葡萄酒や保存食が、酒場から持ってきた小包からは弁当が並べられた。下水道を満たす悪臭になかば嗅覚が麻痺した一同でも美味と感じられるよう手を尽くしたものばかりであり、エルフたちは緊張も忘れ、競うように頬張った。
また、現地人との接触を禁じられていた彼らは、唯一の例外として許されたアカリに興味を示し、こぞって話しかけた。
最初こそジュディから感じた不審を拭いきれずよそよそしかったアカリだったが、美男美女ぞろいである長耳の亜人に持て囃されて憮然としていられるわけもなく、瞬く間に彼らの距離は縮まっていった。
それを遠巻きにする二人の異邦人。ジュディは微笑ましげに見ていたが、ホーバスの顔色は晴れない。
「ボス……。ほんとになんであの小娘を引きいれたんだ?」
葡萄酒をずるずるとすする彼の囁きは、注意深く聞き耳をたてていないかぎり聞こえるものではなかったが、さらに念深く自分たちの世界の言語に切り替えられていた。
「わかってるだろ? この計画は決死だ。成功したとしても逃げ切れるとは思えないし、その成果が公然と確認されるまで悠長に処刑を待ってくれるわけもない」
ジュディはふっと笑った。彼がアカリに対して険悪な態度を保ち続ける理由を知ったのだ。情は時として残酷だ。死に逝く運命で新たな情を築き、心の傷を増やすぐらいなら、そんなもの端からないほうがいい。
かつて工作担当官として暗中飛躍していた女は、心優しい部下のコップに葡萄酒を注ぐと、面持ちを神妙にあらため、そっと瞑目し、一度も口にしたことのない本音を告解した。
「……テロリストと思しき人を拉致して拷問して情報を得て殺して。大切な人を私たちの手で奪われた人はテロリストと呼ばれ、私たちはまたその人を拉致して拷問して……その繰り返し。マッチポンプもいいところ。正義の名のもとに私たちが粛々とおこなってきたのは、巨体を持て余した軍の餌を量産するだけの飼育係でしかない」
しかし今回は違う、と。
ジュディは部下にも、自身にも言い聞かせるように毅然と断言し、力強く目を見開いた。
「なぜと問われれば、さっきあの娘に言ったとおり、見ていて欲しいからよ。この世界の人間である彼女と現場を共にして、私たちという異邦の人間が何を考え、どう行動し、何を成し遂げたのか、それを記憶して欲しかった。命を懸けた一世一代の、最初で最後の、罪滅ぼし。その生き証人になって欲しかった」
「その言い分だと、小娘だけは助かる手立てを考えてあるみたいだな」ホーバスは安堵を滲ませた優しげな嘆息を吐くと、ジュディから葡萄酒のボトルを受け取り、返盃した。「その罪滅ぼし、おれものった。贖罪に世界を救おうってんだから、神さまもちったあ大目に見てくれるだろうぜ」
異邦人たちは最期の晩餐に酒を酌み交わす。
少女と亜人たちのささやかな団欒を映す彼らの表情は、元の世界の作戦行動前夜には一度も宿したことのない穏やかな笑みを湛え、その瞳には一点の曇りもなかった。