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異形の魔道士  作者: IOTA
46/60

43 再会




 この日もまた、千歳の間に繰り返されてきたように、月が上った。

 筋雲ひとつかからず白々と輝く満月は、地上を這う生物たちの織り成す終焉の予兆など与り知らぬようでもあり、あるいはそれを知って世界の命運を左右する今宵の出来事を固唾を呑んで見つめているようでもある。

 もし後者であるならば、その注目の的はこの広い世界でたった一つの大陸、たった一つの国、ただ二つの地点。

 すなわち、ラナ大陸はライガナ王国、王都デリトと古都ニューカ。

 天上からでは幾重もの樹冠に阻まれ客観も難しいであろう混沌の森ではあるが、数少ない例外である一角、辺境にはあまりに不釣合いな複雑な鉄塊――エルフたちは戦女神の鉄碑と呼ぶ――垂直離着陸機クマバチが鎮座する広場にて新たな動きがあった。

 今にも射かけんばかりに弓を引き絞った長耳の亜人たち。整った顔立ちの彼らだからこそ、その表情は感情に染まりやすく、放散される敵愾心は抜き身の刀身のように剣呑だ。

 人間が積み重ねてきた闘争の歴史が証明しているように、文明を異にし意思疎通が困難な両者の間に軋轢が発生した場合、それはとても重く、非常に鋭利にならざるを得ない。文明が違えば、言葉も異なり、考えかたも異なる。恐怖心というものは、突き詰めれば未知への不安に集束する。

 いや、歴史など大仰な言葉を持ち出すまでもなく、彼らにぐるりと取り囲まれたサイたちにとっては、もっとも多くの時間を供にした異邦人であるところのケイルとの間に度々発生していた不理解から、その危うさを経験則として身に刻んでいた。場にわだかまる、会話はもちろん、多少の身動ぎさえも許されぬ気が遠くなりそうな緊張感に、彼女たちは下手に抗おうとはせず、素直に従った。

 しかし、何者かからの遣いであろう慌てて駆けつけたエルフの一言で事態は急変した。

 途端に彼らは泣きだしそうな表情に相貌を崩し、拙い片言で必死に非礼を詫びたかと思うと、遭遇した当初と同様のやや疎ましく感じるほどの厚遇をもって三人をニューカへと導いた。

 促されるがままに進むサイたちはその豹変に面くらいながらも、一方で彼ら長耳の種族の性質はあるいは外見よりも自分たちとは異なる種なのだと痛感させられた。よくいえば純粋、悪くいえば単純。複雑な機微に心を煩わすことがないのであろう極端なその気質もまた、ある種、ケイルに通じる部分がある。

 サイは二人に目配せし、ことにゼロットに視線を定めると力強く頷いた。

「きっとケイルのおかげさ。あいつが誤解を解いてくれたんだろう」

 彼の無事を言外に示唆する物言いに、しかしゼロットは眠たげな半目を持ち上げてみせただけで特別な反応は示さなかった。言われるまでもない、というような態度である。

 ヒルドンでケイルと別行動をとった際には、その感情を映しにくい表情をもってしても終始不安を滲ませていたゼロットだったが、あの時の経験で慣れたのか、あるいは他者には理解できない領域でケイルと通じている節がある彼女だからこそ、無事を確信する何かがあるのか。

 妙に達観した少女の物腰にサイとリルドは顔を見合わせ、肩を竦めあった。

 道なき道を歩むにつれ、そんな彼らの口数は少なくなり、その表情からは他所を気にかける余裕が消えていった。いまや目と鼻の先である目的地は、サイたちにとっては旅の終点でもあるのだ。長耳の亜人たちもまた三者から徒ならぬ緊張を感じ取ったのだろう、粛々と案内を務めるようになった。

 そうして松明の灯に囲まれながら密林の暗幕からいでた三人は、ついに念願であり悲願だったライガナ王国のいにしえの都へと到着した。

「ここがニューカ……」

「ええ、ようやくですね」

 その趣きは端的にいって遺跡だった。

 篝火の決して広くはない灯りに照らされる範囲に見えるのは、虫食いになった石畳、風化した石柱、半端に残った石壁。すべてが例外なく青々と苔むしており、かつての人々の生活を思わせるものは何一つとして見受けられず、文明の残滓をかろうじて感じ取れる程度だった。

 ただ、奇妙なことに、石畳から先は混沌の森にはいってからというもの絶えず目を苛ませてきた奇形の植物や小動物が一切見当たらない。

 そして魔術に心得のあるサイとリルド、魔術は知らずとも魔蓄鉱小銃を繰れるほどの才覚を有したゼロットは、独特の匂い・・をかぎとっていた。

 灯りの届かぬ無響の夜陰から漏れだし肌を撫でる空気が、三人にとっては浄化されたかのように清らかに感じられていた。

 不快感がねつく首筋を撫でまわす森を背負い、清々しい微風が頬をくすぐる遺跡を眼前に望むその境界では、両者の差異はよりいっそう顕著だった。そこには天と地といってしまえるほどの隔たりがある。

「不思議な感覚を覚えます」

「ああ。なんだろうこの感じ……」

 まずはゼロットが一歩、続いてサイとリルドが神秘的な空気に吸い寄せられるようにそちらに進みかけたが、ファルと名乗った最初の案内役のエルフの女に制止される。

「待って。ここで待つように言われた。先生たち、もうすぐ合流する」

「先生……」エルフの言うところの先生、即ちT67のことを思いだしたリルドは、蛇蝎を掃うような鋭い目つきで周囲に視線を配った。「あの女がじきに現れるのですね」

 その剣呑な風格にエルフたちは戸惑いの表情を見合わせる。おそらく彼らの中では一番言語に長じているのであろう、意思疎通の架け橋となっているファルが気まずそうな上目遣いでリルドを見やった。

「先生、敵じゃない。剣はダメ。あなた、なんでいきなり先生を襲った?」

「敵じゃない? 私にはあの女が突然にケイル氏を襲ったように見受けられましたが」

「それはっ……私たちにもわからない。先生、自分のこと話したがらないから。でも最初に斬りかかったのはあなた。どうして?」

 答えるつもりはないとそっぽを向くリルドだったが、そんな邪険な拒否にもめげないエルフたちの純真な眼差しを受け、やがて観念したように苛立たしげな息を吐いた。

「あの女は私の部下の仇なのです」

「かたき?」

「十日ほど前、王城にて私の部下たちを非業に殺めたのですよ」

 それを聞いた途端、ファルが声高く叫んだ。

「それ違う! ぜったい違う! ありえない」

 その強い否定は、単純な感情だけではなく、何かしらの根拠があるようだった。周囲では簡単な会話を理解できたエルフたちもぶんぶんと首を横に振っている。

「だって先生、ずっとここにいた! 何年も前、私たちがくる前から、ここにいる。森から一歩も外に出てない!」

「……なんですって?」

 リルドが詳しく問いただそうとした。その時、暗晦にうかび上がる松明の焔が待ち人との再会を告げた。

 エルフの一団に導かれるT67とケイル、そして見慣れぬ二つの人影。

 二体の異形の表層に刻まれた外傷は、混沌の森を聾し続けた轟音とその戦闘の激しさを克明に物語っていた。ことに腰部の装甲板が剥落したケイルの姿は見るからに痛々しかったが、重厚な外観に不似合いなするするとした物静かな足取りはいつもとなんら変わらない。

 姿を認めるや否や駆け寄るゼロット。ケイルはわずかに顎を持ち上げ同行者たちの無事を正視することで応じた。その無感情な態度も常態と変わらず、多少の損壊を物ともしない不沈戦艦のようなものであり、一同を改めて安堵させた。

 T67に備わった意思伝達補助システムが見せるホログラムであるルークの姿は、初見であり、科学的理屈も理解の外であるサイたちからしたら目を疑うに足るものであったに違いない。

 T67の隣を飄々と歩む存在感というものが希薄な少年の姿はさながら妖精か、幽霊か。本来、他者とのコミュニケーションを円滑に進めるために絶えず頬にうかべた柔らかな微笑も、彼女らには不気味にしか映らない。

 相方に集中する不躾な視線に、T67は嘆息し、かぶりを振った。好奇心旺盛なエルフとの生活でもさんざ繰り返したであろうルークに纏わる問答に、辟易しているのだろう。彼女はケイルを振り返り、顎をしゃくる。

「H09。彼女たちにはお前から説明してくれ」

「……無理を言うな」

 自身の説明でさえままならないケイルに他の機械化兵装の説明を求めるなど、まさしく無茶ぶりというものだ。

 しかし、彼らの杞憂するようにホログラムの少年の存在が議論の俎上に載ることはひとまずはなかった。それは、ついて行くのもやっとという様子で細い体躯をひょこひょこ弾ませ、少し遅れて場に合流したもう一つの人影に意識が割かれたからだ。

 有り触れたというほど一般的な身形ではないものの、その異様さという意味ではルークの足許にも及ばないはずの一人の女に、彼女たちの注意が傾いた。いや、厳密には、その姿を認め、ぽかんと放心したサイの口から期せずしてもれた驚嘆の呟きが、T67への敵愾心もルークの不可思議さも、一時意の外に追いやった。

「スー姉ちゃん……」

 スーラもまた実妹の姿に気がつき、ぴたりと硬直し、煤けた長髪の内で大きく剥いた双眸を何度もしばたいた。

「そんな……まさかっ……。サイなの?」

 疑いを晴らした目からは大粒の涙がぽろぽろとこぼれる。

「サイ……。サイー!」

 名を叫びながら両手を振り回して駆け寄るスーラ。裏返った声と足許の注意も疎かに蹴躓く様子は、きっと今生では諦めていたのであろう生き別れた実妹との再会を果し、狂おしいほどの歓びに満ち溢れていた。

 サイもたまらず表情をくしゃりと泣き笑いにほころばせるが、不意に両のこぶしを握り締め、ぎゅうと下唇を一文字に結んで感情を噛み殺し、面様を艱苦かんくに戒めた。

 姉と再会を果せたら、何をおいても、真っ先にすると決めていたことを、彼女は実行に移した。

 全力で疾走したスーラが抱擁せんとしたまさにその時、その鼻っ柱を殴りつけたのだ。

「ぴぎゅっ」

 何かが潰れたような奇声を発してスーラはもんどりうった。

 T67と遭遇した際、ケイルを追おうとする彼女に向けて、ただ話がしたいだけなんだ、というようなことを真剣に、切実に告げていたサイは、こともあろうに姉の顔面を渾身の右ストレートでぶちぬいたのだ。もしT67が武装解除をされていなければ、きっと咄嗟にサイを照準していたであろう。それほどにその殴打には遠慮容赦というものがなかった。

 呆気にとられる一同を他所に、サイはなおも溜飲下がらぬ様子で固めたこぶしを顔の前で戦慄かせていた。

「ふざけんなよ! この馬鹿姉貴ッ! 勝手ばかりしやがって! 人がどれだけ迷惑したと思ってるんだよ!」

 怒鳴りつけたかと思うと、ふと脱力するように膝を折り、がっくりとこうべを垂れた。細いうなじにかかる跳ね髪が小刻みに震えている。闇に溶かすように俯かせた顔の内から、身内に伝えるべき不幸を息も絶え絶えに圧しだした。

「親父もお袋も、あんたの所為で死んじまったよ……」

 顔を押さえてのたうっていたスーラは、その言葉を受けてがばりと上半身を跳ね起こした。鼻の下から真っ赤に染まった顔面はいたましいが、顔色は痛みも忘れ驚倒に強張っていた。

「お父さんとお母さんが、死んだ……」

 呆然と呟くスーラ。しかしその声音には受け入れ難い現実を拒絶する疑問の色はなく、口にすることによって確認するような響きを帯びていた。王都を脱する折にどこかで覚悟していたのだろう。大罪人たる反逆者の筆頭として追われる内に諦めていたのだろう。

「そっか……。そうだよね。ごめんね。ごめんね、サイ……」

 ひどく力なく頷いて、肩を震わせ静かに泣きはじめた。繰り返される謝罪の言葉は、苦悶の嗚咽に塗れている。

 サイは少女のように泣きじゃくる存命する唯一の肉親を抱き締めた。もう二度と離すまいと、離れさせまいと、きつく、力強く。

 二十年という年月。平穏に過ごした者たちはあっという間だったと、昨日のことのようだと、口を揃えて言うが、誰とも共有できない感情を胸の内で滾らせ、そのくすぶりを封じこめて生きてきた者にとっては、あまりに長い。

 岩が風化し、森が拓け、街ができ、また廃れていくその間、人の容姿も、その思考をも変質させてしまう時の流れ。互いにすっかり見違える大人になってしまった姉妹は、けれども気が遠くなるほどの年月など物ともせず、血縁の絆を少しも揺るがさず、親しげに、切なげに抱き締めあった。

 静かな泣き声が夜の森をしずしずと濡らしていく。不幸を心から共感できる身内とようやく再会することが叶って、ただただ耐え、溜める一方だった感情の堰は切れた。絶えず胸を焦がし続けてきた同胞はらからの安否への憂慮から解放された。熱い涙は止め処なく姉妹の頬を伝い落ちた。

「本当に姉妹だったのか」

 ケイルを追う折のサイの言葉を言い逃れとして受け取っていたらしく、T67が意外そうに呟いた。

「ちなみに、ぼくは彼女がスーラの実妹である可能性、具体的にはその遺伝的特徴の類似点などもきちんと示唆していたんだけどね」

 ケイルを仰ぎ見て苦笑するルーク。まるで我が身を庇うような口振りだが、T67の一部でしかない彼が何を言ったところで実際にT67が追撃をやめなかった以上、言い逃れにもならない。

「別にもういい」ケイルは肩をすくめた。

 その隣ではゼロットが興味深そうにじいとルークを見つめていた。背丈が近く自然とその目線を合わせた二人。ルークは微笑んで見せた。

「はじめまして。ぼくはルーク。きみの名前は?」

「……ゼロット……そう呼ばれている」

 答える気がないのかと思わせるほどの沈黙をおいてから、ゼロットはぽつりと言った。なんだか徒ならぬ者という風な、威厳さえ漂う自己紹介である。

 もう一つの不躾な眼差し、少し距離をおいて佇むリルドのほうへルークは向き直った。リルドは嫌悪感を隠そうともしない渋面で忌々しげに鼻を鳴らした。

「なんと面妖な……。けれども今更驚きませんよ。その女に由来する、私たちには理解の及ばない科学の産物なのでしょう」

「ほう。殊勝なことだ。エルフたちよりよほど理解が早くて助かる」

 T67は感心した風にうなって双眸を喜色に細める。しかしそちらへと眦を転じたリルドの表情は、ルークを瞳に移していた時よりもいっそう険しく顰められていた。

「……貴女に訊きたいことがあります」

「ああ。気が合うな。私もだ。さっきはなぜいきなり剣を抜いた?」

 リルドの目尻が不快げにひき歪む。二者の明け透けな敵意に場の空気がわずかに張り詰めた。

 第一印象は最悪もいいところかもしれないが、それを差し引いても愉しげに談笑している姿はとても想像できない二人。互いが帯びる年頃の女にしては稀有であろう硬質な雰囲気は、近親憎悪に近いものを抱かせるのかもしれない。会話をするには適さない数メートルの距離感は、そのまま彼女たちの心の距離を表しているようでもあり、間合いでもあるようだった。

「質問しているのは私です。それに、自分が殺されなければならない理由など、人に訊くまでもないでしょう」

「あいにく心当たりがありすぎる。この森に現れてからというもの恨みを買う一方でな。つい一昨日も姫を狙う軍勢を退けたばかりだ」

「姫……?」

「レイア王女。反逆者と呼んだほうが通りがいいか」

「なんと……。私たちが渓谷で遭遇したブルヘリアの兵は、貴女が差し向けたのですね」

「差し向けたとは人聞きが悪い。私が撃退し、やつらが勝手にライガナ王国のほうへと逃げただけだ」

 なるほど、とケイルはマスクの中でひとりごちる。

 あの敗残兵のような風体は、まさしく敗走の最中だったからであり、ケイルの姿を認めた途端ひどく怯え、問答無用の戦意を向けたのは、類似した異形に蹂躙された直後だったからだ。歳若い兵士の今際の言葉。また悪魔だ。命辛々悪魔から逃げ延びた先で再び悪魔に道を阻まれた彼らには、絶望の戦闘に臨む以外選択肢は残されていなかった。

「ということは、貴様ら、やつらに会ったんだな」

 言って、T67は真っ先にケイルに視線を転じた。会釈ですれ違えるわけもないということは多少の想像力を働かせるば理解の及ぶことだ。荒事となった際に誰が矢面に立つかも然り。

「やつらをどうしたんだ?」

「襲われたからな。全滅させた」

 ケイルは事もなげに淀みなく答えた。

 襲われたという事象に対する論理的帰結というには、全滅という言葉は誰が聞いても強すぎるきらいがある。明らかな過剰防衛だ。だが憎き敵を屠るための兵器である彼からしたら、それは当然であり自然である接続詞だった。

 T67は特に何も言わなかった。ケイルより多くのブルヘリア兵員の命を奪っている彼女には何も言う資格はない。ケイルが平らげたのは彼女が取りこぼした残り物でしかないのだ。

 それでも、薄蒼い輝きの内で冷ややかに細めた眼差しからは穏やかならぬ心中が滲み出ていた。

 負に寄ったものばかりであるにしても目抜きの樽型兜の眼差しだけで豊かに感情を表にするT67。一方、ケイルの甲虫のようなマスクは表情というものを一切映さない。

 兵器に限りなく近い軍人と、軍人型ではあるが紛うことなき兵器。外骨格の頭部ユニットの差異は、両者のありかたの違いを克明に顕示しているかのようでもある。

 陰火のような双眸を交差させる両者。ケイルは蚊帳の外に置かれ色をなすリルドの雰囲気に気づき、話題を修正した。リルドが腐心する賊に纏わる問題は、彼が古都を目指した動機の一つでもあるのだ。

「あんたはいつからこの世界にいるんだ?」

「さて。こんな場所で代わり映えしない日々を送っていると、時間の感覚が曖昧になってな」穏やかな声音でしみじみと述べたT67は中空を仰ぐ。「……もう六、七年になるのか」

「正確には二千四百三十二日前からだね」

 すかさず訂正するルーク。正確にすることにより逆にわかりにくくなってしまってはいるが、約七年。

「それはまた長いな。ずいぶんと……」

 こちらの世界に現れてからまだ一月にも満たないケイルからしたら、驚きを禁じえない。具体的に何に驚くべきなのかも定かでないままに驚嘆に値する。異なる世界で過ごす七年という時間は、彼にとっては想像するにあまりある長さだった。

「では十五日前、貴女はどこにいたのかっ」

 まるで鏃のように鋭敏なリルドの怒声が異形たちの間に割って入った。

 手間を省いて核心をついた詰問は沈着な彼女らしくなく、やや性急かと思われたが、そんな彼女が発したからこそ、却ってその抑揚を欠いた裂帛には一切の弁明や言い逃れを許さないそら寒い覇気があった。

 T67は冷たい空隙をおいて佇む近衛兵団長へと首を回す。目頭には不審と不快の隠そうともしない縦皺が刻まれていたが、リルドの切羽詰った胸の内を気取ったのだろう、嘆息混じりに重い口を開いた。

「七年前、私はこの森に現れ、それからずっとこの森にいる」

「……そんなッ」

「つまり十五日前もここにいたさ。どうだ。満足か?」

「馬鹿なッ! 嘘を吐くな! 貴女は王城にいたはずだ! 貴女でなければッ、いったい誰が……!」

 歳若き兵団長は艶やかな黒髪を激しく振り乱しながら喚いた。しかしその動作は虚言を糾弾するそれではなく、明らかに受け入れがたい現実を拒むものだった。

 かたやケイルはマスクの中で目を瞑り、熱い溜め息に喉を灼いた。リルドとは志しは違えど目的は同じだったはずの彼だが、大きな隙意のあるその淡白な態度は諦観の顕れだった。

 T67は彼らが追い求めた賊ではなかったのだ。

 ケイルは薄々ながら察していた。反逆者と呼ばれる彼らのこれまでの会話や態度の節々から、彼ら、ひいてはT67が最近の王城の騒動とはあまりに無関係であることは窺えた。そして何より、ケイルがこの世界に現れた直後、賊と最接近した際に感じた“共振”は、T67と遭遇した時のそれとは比にならないほど強烈だった。別物と言ってしまえるほどの隔たりがあった。 

 リルドも頭では理解しているのだろう。亜人の証言やT67の態度から、その言葉が事実であることを。T67がそんなつまらない嘘を吐くような性質でないことを。だが感情が諒解を拒むのだ。

 近衛兵団長に抜擢された彼女を時には娘のように、時には剣術の師として、やるかたない思いもあっただろうにそれをおくびにも出さず迎えてくれた近衛兵団。個人の判別さえ難しい骸に変えられた彼らの無念を晴らすためでもあった旅路の指針は、賊と遭遇した唯一の生き証人であるミリアによってもたらされた、金魚鉢のような頭部と反逆者に興味を示したという二点のみ。

 そんな、もとより頼りなかった手がかりの糸が今、ふっつりと途絶えてしまったのだ。臥薪嘗胆の途則が無に帰してしまったのだ。その事実は簡単に受け入れられるものではない。

 事情を預かり知らぬT67はリルドを蔑むように瞥見した。

「貴様が何を言っているのか、誰を捜しているのか知らないが。嘘だと思うのも斬りかかるのも貴様の自由だ。私は微塵も困らないからな」

 覚えのない嫌疑への意趣返しであることが見え透いた安い挑発だったが、ただでは退けぬとリルドは今にも鯉口を切らんばかりに鞘の上端に左手を添えた。やにわに遠巻きのエルフたちが色めきたつ。

 険悪にすぎて建設性を欠いた両者。ケイルとルークがうんざりした風にそれぞれを諌めようとした時、あのっー、という遠慮がちな、けれども仲裁する意思のみえた割と大きな声が先んじて粟立つ空気に飛びこんだ。

 泣き腫らした目をこすりながらスーラがおずおずと挙手をしていた。

「立ち話もなんだから、神殿へ行きましょう」

「神殿?」彼女の隣で鼻を啜っていたサイが怪訝そうにうなる。

 スーラが手振りで示す方向には、闇に沈む遺跡があるばかりで、少なくとも見える範囲には神殿と呼ぶに相応しい建造物は見当たらない。ケイルの暗視をもってしても同様だった。

「正確には神殿跡の地下ね。そこで生活しているのよ。姫さまの様子も気になるし、あなたたちには真実を知ってほしいの」

 それに、とスーラはケイルに正対すると、深々と頭を下げた。彼なくしては旅路の踏破は、妹との再会はあり得なかったということを言わずとも心得ているのだろう、感謝の念がこめられた慇懃な一礼だった。

「せっかく遠路はるばる妹と友人たちが訪ねてくれたのだから、家に招くぐらいはさせてよ。なにせ、この二十年で初めてのお客さまらしいお客さまなんだし」

 不可解な物言いにケイルとサイは顔を見合わせる。わざわざそんな風に言うということは、これまでお客らしからぬお客の来訪はあったということを暗に示唆しているように思えた。

「スーラ・ミレン・メイフェ」

 再びリルドの重々しい呼び声が穏やかな会話を寸断した。眼差しだけではなく、先までT67に突きつけていた敵意もそのままスーラに転じられている。

 先から協調性を乱す言動が多いリルドだったが、ある意味、この場では彼女だけが常識的といえた。魔物という獰猛極まる動植物の襲来、世界への大罪ともいうべきその所業の容疑者とされるレイアを筆頭にした反逆者。有史以来、もっとも厭忌される集団である彼らの、その代表格と、目を見て、口を利き、刃が届く距離にさえいるのだ。唯々諾々と従えるわけもなければ、黙していられるはずがない。

 腰の鞘に左手を副えたまま、リルドは硬質な声音で告げる。

「私はリルド・オルガン・スパイル。いやしくも王城近衛兵団長の任を授かる者です。貴女は――」

「兵団長? すごい!」

 だが素っ頓狂なスーラの嬌声が物静かな述べ口を遮った。

「その服装から近衛兵のかただとは思っていたけど、その若さで、しかも女の身で兵団長だなんて。王国の風潮も久しく見ない間にずいぶんと柔軟になったのかしら。それとも魔物の出現で名より実の主義になったのかな」

 スーラは興味津々という風にきゃいきゃいと捲くし立てる。あまりに場違いな態度にひくりと柳眉を歪めながらもリルドは構わずに続けた。

「その魔物出現の首謀者として貴女は王国から追われています。何か弁明はありますか」

「あら、ごめんなさい。私ったら」照れ笑いに八重歯を覗かせ、スーラはしおらしげにぼさほさの髪を撫でつけた。「……そうですね。その弁明も神殿でさせてください」

 暫しの沈黙が場に降り落ちて、リルドが鞘から手を離したのが無言の同意となった。

 満場一致とは言い難い雰囲気であったが、そこでエルフと別れ、一同はスーラの先導で闇夜の古都を歩み始めた。

 その最後尾、ケイルは目前のT67の背中を見つめ、そっと自身の首筋を撫でた。例の“共振”を思い描こうと。ただ、感じるのはわずかな圧迫感とそれを感知した外骨格が造りだす擬似的な触覚だけだった。

 ケイルは頭上を仰ぐ。まるで彼女のように白く輝く衛星が天上から彼を見返していた。意識を地上へと戻し、視線を彷徨わせるが、意見をくれる相棒は不在のまま。隣にあるのはお喋りな彼女には似てもにつかぬ寡黙な少女の不思議そうな瞳だけだった。

「……誰を捜しているの?」

 ゼロットにしては珍しいはっきりとした意思表示。また心中を見透かしたかのような問いに、ケイルは瞠目しながらも、いや、と小さくかぶりを振って歩みを再会した。

 ゼロットも連れ立って行こうとするが、ふと、まるで呼び止められたように一顧した。

 目を凝らすようにする少女の視線の先には、無限に思えるほどの深い闇が広がるばかりだ。何もないようであり、闇という闇に何者かの瞳が潜んでいるようでもある。

 ゼロットはぶるりと身震いすると、松明が進むにつれじわりじわりと追ってくる闇から逃げるようにしてケイルの背を追った。




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