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異形の魔道士  作者: IOTA
42/60

39 混沌



 渓谷を踏破したケイル一行は、一晩の野営の後、古都ニューカを内包する森林、混沌の森へと足を踏み入れていた。

 あまねくものを優しげに薄白く染めあげる黎明の光明は、しかし、森の中には届かない。幾重もの樹冠が朝日を覆い隠し、木洩れ日というにはあまりに隠微な残光が辛うじて明度を保っている。行く手を遮るよう立ち並んだ樹木からは帯状に苔を垂らした蔦が縦横に張り巡らされ、根本には鋭利な棘のような形をした奇妙な隠花植物が剣山のように群生していた。

 まるで黒い鱗のように樹木の蜜にびっしりと群がった、妙に胴体が長い蠅のような羽虫が、付近を通り過ぎる一同に向けて一斉に頭部を向ける。

「雰囲気あるよな。いかにもって感じ」

 無数の複眼からなる怖気が奔るような視線に、引き攣った笑みを返しながら、サイは虚勢を張るように呟いた。

 右手に握った手綱をぐいと引っ張る。森に踏み入ってからというもの、馬の足取りは重くなり、手綱を牽くのも一苦労という様子だった。地形的な問題だけでなく、本能的に前進を拒んでいるようである。

「警戒を惰らないように」リルドは油断なく周囲に視線を這わせながら、言外に無駄口を叱責するような抑えた声音で告げる。「いつ魔物が現れてもおかしくありません」

 その危惧は、ほどなくして現実のものとなる。そしてそれはこの森林が混沌の森と呼ばれる所以であり、かつて多国籍軍を壊滅に追い遣り、異邦の傭兵であるダンシング・サイクロプスをもってしても脱するだけで命からがらという態にまで追い込んだ理由でもあった。

 突如、鉄を引き裂いたような甲高い叫び声が、ケイルを先頭にひた進んでいた一同の耳を聾した。

 反射的に身を強張らせ、最寄りの樹木に隠れる一同。ケイルは隆起した根に置き据えるように前方の音源へゆっくりと据銃し、ゼロットもそれに倣う。

 鬱蒼と茂る立木越しに見えたのは、四足歩行の魔物だった。紫色の短い体毛は躍動する筋骨を怪しく際立てている。怒りにひき歪んだような形相、下顎から天に向かって突き出た犬歯は、猪というよりも、まさしく地獄の鬼のようである。

 だが、少し様子がおかしかった。足取りはおぼつかず、胴体には深い裂傷が奔り、コールタールのような赤黒い血液が滴っている。さながら何かから逃げてきたような有様である。身を仰け反らせて背後を振り向くと、今一度金切り声で吠え立てた。

 次の瞬間には、その頭部が飛んだ。

 背面から飛びついた、巨大な蟷螂かまきりのような魔物が、細く長い腕を一閃、頭部を切り落としたのだ。鎌のような両の前脚を折り畳み、器用に亡骸の胴体を掴みあげると、鋏の刃が幾層にも重なったような顎でみちみちと肉を貪り始める。

 だが、獲物を狩った瞬間がもっとも無防備になる。その食事が叶ったのは数秒にも満たなかった。

 蟷螂のような魔物が触覚をひくつかせ、頭を上げようとした刹那、頭上から振り下ろされた大きな棍棒のような前脚がその頭部を打ち砕いた。自揺れが響き、木々がざわめく。ぬうっと全容を露わにしたのは、黒と灰の斑の表皮を有し、どこが頭部なのかも判別できない巨大な棘皮きょくひ動物のような魔物だった。丸太のような四足で身体を小刻みに痙攣させる二つの死骸を跨ぎ、がま口のように割れた腹部から無数の触手が垂れ下がり、屍を吊り上げ、腹の内に収めてしまう。

「………」

 巨大な魔物同士が犇めき、喰らい合っている。瞬く間に起きたそれはまさしく混沌と呼ぶに相応しいものだった。一同は固唾を呑み、世にもおぞましい生存競争にただただ瞠若していた。

 ふと、棘皮動物のような魔物が巨体を身動ぎさせ、ケイル達へと正対した。頭部が判別できない故に、眼もわからず、果たして本当に正対しているのかはわかりえないが、ただ、睨めつけるようにじっと動かない様を見れば、発見されたのは明らかだった。

『まだお腹空いてるのかしら。くいしんぼうね』

 アーシャの軽口を聞き流しながら、ケイルはレイピアの照準を魔物に重ねた。

「ちょっと待った」しかし、サイの押し殺した声が引き金に向かう指を止めた。「様子がおかしいよ」

 魔物は不意に身体の向きを転じると、樹木の奥深くへと消えた。くぐもったような跫音が遠のいていく。腹が満たされた故に襲ってこなかったというよりも、そそくさと逃げるような反応だった。まるで、敵対してはいけない存在を心得ているような、生態系の頂点に君臨する絶対的な強者に怯えているような。

 訝しげに小首を傾げながら、レイピアを背に収め、前進を再開するケイル。すぐ後ろに続くゼロット。

 サイとリルドはどこか不安げな面持ちで、ケイルの後ろ姿を見つめていた。彼女達は魔物が退いた理由を、薄々ながら理解していた。この西を目指した旅路で魔物との遭遇率が極端に低かったという事実から、おぼろげながらも察していた。魔物は自分達とは比にならないほど強力な存在であるところのケイルを、本能的に恐れているのではないか、と。

 勿論、それは否定的感情を抱くべきことではない。そのお蔭でここまで達することができ、万単位からなる多国籍軍を以てしても突破が叶わなかった混沌の森をこうして進むことができるのだ。ただ、これ重畳と素直に甘受することができないのも、事実だった。

 どちらともなく視線を重ねた二人。鼻を鳴らし肩を竦めるリルドを見て、サイは気分を害したように唇を突き出し、足早にケイルの後を追った。

「ところでケイル。すんごく大事な話があるんだけど」

 サイからの呼び掛けに、ケイルはちらりと振り返るが、すぐに正面に向き直り、歩みを止めないまま応じる。

「なんだ?」

 渓谷地帯でのブルへリア共和国軍残党との戦闘以降、一同の口数は少なくなり、昨晩の野営は以前のカボル村でのものと酷似した雰囲気に満たされていた。サイが朗らかな声音でケイルに話し掛けるのは、数刻振りである。

「実際のところ、あんた、どんな女が好みなんだい?」

 突飛といえばあまりに突飛なその質問に、然しものケイルも足を止めて、まじまじとサイを見遣った。

「……それが凄く大事なのか? 今ここでしなくちゃならないような話なのか?」

「そうだよ。すんごく大事で、今ここでしなくちゃならないような話なんだよ」

 どうやらTPOをわきまえる気はないらしい。ゼロットが何かを期待するような目でケイルを見上げている。

 ケイルは嘆息混じりに俯き、再び歩み始める。ややあって、躊躇するような声色でぼそりと言う。

「別に、好みなんてない」

「それは守備範囲が広いって意味かい?」

「無い、という意味だ」

「なるほど、つまり守備範囲なんて概念が馬鹿らしくなるほど、多様な女を愛するって意味だね」

 したり顔で得心した風に頷くサイ。脅威の解釈だった。

「違う。別に誰も好まないという意味だ」

「ふむふむ。特定の好みではなく、女であれば誰でも受け入れるってわけだ」

「………」

 いったいどこへ誘導したいのか。推し量れずにケイルは閉口した。サイははたと思い至ったように目を白黒させる。

「あっ、まさか、男かい……? 男なのかい!? そっか。あたしの配慮がたりなかったよ。ごめん」

 面目ない、と項垂れるサイ。取ってつけたような閑話は、からかうための冗談でしかないのは明らかだった。だがゼロットは真に受けたようで、しゅんと肩を落とす。

 そして男と聞いた途端、今度はリルドが鼻息荒く口を挟んでくる。

「ほう。衆道しゅどうの気があったのですか。それは素晴らしいことですよ。もう少し早くに明かしてもらえれば、ハイントン下級士官に命令してあんなことや、こんなことを……」

 捲し立てたかと思うと、リルドはくつくつと不気味に笑い始めた。

 不意に樹木の枝に腰を下ろした状態で現れたアーシャが、にやりと笑う。

『お前ら全員オレの嫁、ぐらい言っちゃいなさいよ。そうすれば鉄板ハーレムに返り咲きできるかも』

「……黙れ」

 アーシャはどこぞの森の精霊のようにからからと頭を揺らし、上体を仰け反らせながら消えていった。

 緊張感も何もあったものではなかったが、押し並べて沈んでいた一同の顔色は、僅かに明るさを取り戻していた。ケイルにとってアーシャがそうであるように、サイの軽口が一同にとっての精神保護として役立っていた。

 比較的薄い樹冠の狭間から時折顔を覗かせる太陽は、頂点に達しつつあった。昼時であるが、一同は休憩を挟まずに進み続けた。先のような魔物同士の捕食に度々出くわしており、そのような場所で悠長に昼食と洒落込むわけにはいかないという事情も当然あったが、それ以上に、もうすぐ目的地であるという感慨が、皆の足取りを力強く、そして心なしか速めていた。

 十日にも満たない期間ではあったが、徒ならぬ経験を経て、今まさに辿り着かんとしている古都ニューカ。リルドにとっては忌むべき反逆者、サイにとっては生き別れとなった実姉、そしてケイルにとっては本物の賊であるところの金魚鉢の人物、それぞれの動機を胸に、仄暗い叢林を掻き分け、進み続けた。

「半日も進めば、もう見えてきてもいい頃だと思うんだけど」サイはやや当惑したような表情でぼやいた。「ケイル、ずっと西を目指してるんだよな? 迷ったりしてない?」

 ああ、と頷くケイル。

 サイもリルドも、無論ケイルとゼロットも、誰もニューカの正確な位置など知り得ない。これまでの、茶褐色の土が晒された街道を進めばどこぞの村なり町なりに辿り着くことができる道程とはわけが違うのだ。ニューカが都であったかつては幾つも在ったであろう小径はとうに消え失せ、獣道も何もあったものではなかったが、それでも横断する形で西へ進路をとり続ければ森林地帯の中央に達する道理だった。もっとも、中央にニューカが存在するという情報でさえ、定かなものではない。古くからそれが常識であるかのように言い伝えられてきたが、結局のところ漠とした伝承でしかないのだ。

『ここまで来て遭難は勘弁よね。ま、そうなったらそうなったらで、自給自足のハーレム狩猟生活も悪くはないけれど』

「……しつこい」

 ケイルがややうんざりした様子で嘆息した。

 その時だった。

 不意に目前から高速で迫り来る何かを、ケイルの右手が条件反射のように振り上がり、受け止めた。

 突然足を止めたケイルに怪訝げな面持ちを転じたサイ達は、その手に握られている物を見て、目を剥き、息を呑んだ。

 樹木の間隙を縫うようにしてケイルに矛先を向けて飛翔してきたのは、一本の矢だった。魔物に襲われることがあるにしても、何者かに襲撃されることは想定していなかった。胸部に狙いを定めた文明的なそれには、明らかに何者かの必殺の意思が篭められていた。

『全周に熱源! 多い。範囲内だけでも八つ』

「……いつの間にか包囲されていたみたいだな」

 マスクの中で目を据わらせたケイルは、矢を投げ棄て、レイピアを諸手に握った。周囲の微かな動きも見逃さぬよう視線を這わせながら、サイ達に告げる。

「木の陰に隠れろ。どこから射られるかわからない」

 樹木の根元に身を伏せるサイ達。息を殺し、緊迫した表情できょろきょろと瞳だけを彷徨わせた。ただ一人、全ての敵意を引き受けるようにじっと立ち尽くすケイル。その背後では、サイに手綱を下方向にひっぱられた馬が、場違いに下草を食んでいた。

 張り詰めたような静謐が続く。いつまで経っても次の矢が射かけられることはなかった。

『前方、熱源の一つが接近してくる。遅い。歩いてるみたい』

 アーシャに告げられるまでもなく、ケイルは繁みの奥から歩み寄ってくる何者かの輪郭に視線を固定していた。ぴくりと、銃口を持ち上げかけるが、その者のどこか窺うような緩慢な足取りが、据銃を躊躇わせた。

 そうしてケイルの目前で足と止めたのは、奇妙な格好をした人間だった。

 魔物の革から拵えたのであろう、ククル手製の外套によく似た深緑の革鎧を身に纏っている。ところどころがほつれたような造りはお世辞にも立派とは言えなかったが、その服装と反比例するような精巧な長弓を肩にひっかけている。腰の矢筒には、ケイルが受け止めたものと同型の矢が羽の生えた矢筈を並べていた。射かけてきたのは、この者で間違いないようだ。

 しかし、布切れで覆い隠された頭部から唯一覗く青く澄んだ双眸に宿るのは、敵意ではなく、驚倒だった。

 ケイルの姿を爪先から頭まで、まじまじと見渡すと、徐に顔の布切れを取り去った。

 現れた顔立ちに、ケイル達は目を見張った。

 陶磁のような白い肌に、小さな鼻、桃色の唇。整った容姿をした、どうやら女のようであるが、何よりも目を引いたのが、金糸のような長髪と、そこから覗く細く長い耳だった。天を指すようにぴんと鋭く尖っている。

 それは人間ではなかった。少なくともこちらの世界の人類とは違う身体的特徴を有した文明的存在であった。

『エルフ、きたー……』アーシャの軽口も、明らかな驚嘆と戸惑いを帯びている。

 周囲からも同じような格好をした亜人達が続々と姿を現す。一同はすっかり円陣に取り囲まれるが、やはりその青い双眸には敵意がない。ほぼ全ての者が瞠目するようにケイルを凝視していた。

 顔を晒しケイルに正対していたエルフの女は、唐突に片膝をつき、頭を垂れて何事かを喋った。

 しかし、その言葉は一同に理解できないものだった。アーシャを見遣るケイルだが、アーシャはふるふると首を振る。言語学アーカイブの既存データには該当言語がないようだ。こちらの世界にきた当初のように、パターンから照らし合わせていけば解読も可能だが、それには時間が掛かる。

「あの、ケイル……。知り合いかい?」

 小声で訊ねるサイに、ケイルは、いや、と短い否定の言葉を返す。

 その疑問は然るべきだろう。言葉は理解できずとも、ケイルを敬うような態度だけは如実に伝わってくるのだ。

 何一つも理解できずに、言葉を失い困惑するばかりの一同に、顔を起こしたエルフの女は不思議そうに小首を傾げた。ふと何かを思い至ったように柳眉を持ち上げ、立ち上がると、咳払いを一つ。

「矢、射って、すいません。わたし、敵、違います」

 拙い片言ではあったが、それはラナ大陸に広く普及した共通言語だった。ケイルにもサイ達にも理解できる言葉だ。言葉の数が不足した憶えかけの異国語を紡ぐように、訥々とエルフの女は続ける。

「敵は、殺さないと。でも、あなた、違う」ケイルを手で示すと、上体を傾げ、サイ達を見遣る。「だから、あなた達も、違う。味方の、味方は、味方」

 にっこりと少女のように微笑むエルフの女に、サイ達は当惑混じりの笑みを返すしかない。

 エルフの女は再びケイルに視線を転じる。

「あなたの仲間、わたし達の先生」

「先生……?」脈絡から察すると、まるでサイ達を亜人達が先生と呼んだようだが、決してそうは思えない。拙い片言では理解が難しかった。

「そう、偉大な、先生で、仲間。だから連れてく。ついて来て」

 言うが早いか、ケイルの手を取り、踵を返して進もうとする。はやく、はやく、と急かしながら前進を促す様は親の手を牽く子供のように無邪気だった。サイ達も周囲の優しげな眼差しに後押しされるように続いた。困惑は募る一方だったが、明後日の方角へ進むわけではなく、これまでと同じ西方へ向かうようなので、頑なに拒む理由はなかった。

 ほどなくして達したのは、小さな集落だった。

 杜撰に切り出した木材と椰子のような大きな葉を組み合わせて拵えたような、言ってしまえば粗末な納屋が三十から、比較的木々の密集が少なく高低差も緩やかな拓地に軒を並べていた。

 家々の軒先では、一同を先導する女同様、金髪で碧眼、尖った耳を有した老人や子供が、革をなめしたり食事の準備をしたりと、家事労働に励んでいたが、ケイルの姿を認めると、ぽかんと口を開け、目を点にしていた。しかしそれは刹那。子供達は途端に駆け出し、ケイルの足許に纏わりついてきた。老人も後ろに続くサイ達に歩み寄り、朗らかな笑顔で口々に何事かを述べる。

 輝く瞳で見上げられ、聞き慣れない言葉で捲くし立てられるケイルは、沈黙するしかなかった。

『まさかのエルフハーレム……』状況を理解できない故か、アーシャの軽口もどこか歯切れが悪い。

 まるで自分の手柄であるように、得意然として先導していたエルフの女が振り返る。

「客人、珍しい。というか、初めて。この世界に来てからは。だから、皆、嬉しい」

 その聞き捨てならない言葉に、一同はエルフの女を見遣った。女はたじろぐようにして瞳を泳がせる。

「こちらの世界に来たと、そう言ったのか?」

「そう、来た。助けられた。だからわたし達、この森で、恩人護る。先生と一緒に、外の悪い敵から、護る」端から細切れであった言葉を意図的に区切り、エルフの女は目を伏せた。青い瞳には哀しげな色が宿っている。「でも、先生、わたし達と違う。いつも一人。わたし達来る前から、ずっと一人。だから、あなた来て、とても嬉しい」

 先生もきっと嬉しい、とエルフの女は天真な笑顔に戻り、ケイルの腕を更に強く牽いた。

 老人と子供達に手を振られながら集落を抜けると、すぐにそれは在った。

「どうなってる……?」

 予想外の出来事の連続に、ケイルは立ち尽くし、半ば呆れたような吐息を喉の奥から吐き出した。ただ、その驚嘆を共感できたのはアーシャだけだろう。サイ達には目前に聳えるそれが何であるか、皆目見当もつかず、不思議そうにケイルを見つめていた。

 樹木に四周を囲まれた平地の中央に横たえる横幅十メートル大のそれは、無数の蔦が絡まり、腐葉土に半ば埋もれてしまっており、一見すると単なる大岩のようだが、草葉の隙間から覗く幾何学的な模様は自然界では在り得ない。灰色と黒色、暗い背景との境界をぼかすような模様は都市迷彩に他ならない。

 小さなコックピットを有したずんぐりした機体から左右に突き出した両翼、その先端には樽のような円筒形のエンジンが備わっている。

『うそ……。でも間違いない。これ、"クマバチ"よ……』

 疑いようがない。それはいわゆるVTOL機、垂直離着陸機だった。ケイルの世界では一般的な、けれどもアバドンに羽音を聞きつれられる恐れがあるためめったに使用されることのない、クマバチと称される兵員輸送航空機だった。

「先生! 仲間! 先生の仲間!」

 まじろぎもせずに機体を嘱目するケイルを指差し、はしゃぐような声を発するエルフの女の視線の先は、クマバチの頂上。

 ちり、と。

 ケイルは首筋に奇妙な感覚を覚える。それはこの世界に現れた直後に感じた、王城以来、久しく覚えた"共振"に違いなかった。王城の時ほど強烈ではなく、若干稀釈したような感覚だったが、それを追い求めていたケイルが、違えるはずはなかった。

 ケイルは頭を跳ね上げ、そして見た。

 空を見上げて、一体の異形が立っていた。

 身体を包み隠すのは鈍色の機械。四肢を覆う装甲板は流線型を思わせるしなやかな曲線を描き、その背面には基礎骨格を、あるいは神経系を表したような白銀色の機械的な管が指先から爪先まで奔っている。前面の全身装甲フルプレートは金属の筋肉のように隆起していたが、無骨と形容するには躊躇いを覚える程度に、女性の肉付きを思わせる輪郭線が際立っている。

 そして頭部。極端に接合箇所の少ない兜は樽型兜グレートヘルムを連想させるが、そう形容するにしても接合箇所が少な過ぎる。一枚の鉄板から形成したような一つなぎのそれは、強いて譬えるなら、そう、金魚鉢・・・。のっぺらぼうのようなフルフェイスバイザーの双眸にあたる部分だけが、横に広がった鏃型に配色され、淡い青色に反射していた。

 黄色い声をあげ続けるエルフの女に、異形はどこか疎ましげにゆっくりと首を回し、眼下を見遣る。

 見上げるケイルと、視線が重なる。

 赤と青の双眸を交差させたまま、両者共に、戦慄したように、時が止まったように、硬直した。

「賊……ッ!」リルドは刀剣の柄を握り、まさしく仇敵に向けて然るべき鋭い眦で射るように睨めつける。

「あれが?」サイはリルドへ、そして異形へと不安げな眼差しを送る。

 エルフの女もサイと同様、混乱した風に視線を彷徨わせていた。

 ゼロットだけがケイルを見上げており、その無表情の先でケイルは、凍りついたままだった。ケイルだけではなく、異形もまた、彫像のように動かない。いや、両者ともに動けないといった方が近い。他者の如何なる声も届かず、どんな表情も関知しない、二人だけの、否、二体だけの異質な空間ができあがっていた。身体を固め、思考を白く塗り替えるそれは、題するなら邂逅と驚倒、そして二体の幽鬼。

 やがて、異形は震えた声を発する。

「……その強化外骨格。……オーシリーズ?」

 なぜ? とバイザー越しのくぐもった音声には虚脱が滲んでいたが、それは束の間、異形は弾かれたように足許に手を伸ばし、持ち上げた巨大な兵器の砲口を淀みなくケイルに据えた。そして抗すべき鬼門を見咎めたように、喉の奥から絶叫を迸らせた。

「オーシリイィズッ!」

 本当の混沌はここからだった。

 魔物の生存競争も、見慣れぬ種族の登場も、比にならない。ケイルは、この地が混沌の森と呼ばれるに相応しい恐慌を、身を以てして知ることになった。





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