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異形の魔道士  作者: IOTA
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37 血の海




 それにしても意外だったわね、と。

 やや落胆したようにアーシャが肩を竦める。

『銃使いが仲間になるというトト神ばりの的中率を誇った私の予言が外れたばかりか、まさか一人減るなんて。ライアス・アクエ・ハイントン、再起不能リタイアって感じ』

「……別に再起不能ってわけじゃないだろ」

 アーシャの軽口に相槌を返しながら、ともすれば速くなりがちである歩行速度を緩め、ケイルは後ろに続くサイ達を振り返る。

 場所によっては三メートル、平均しても五メートルにも満たない狭い小径を一列になって歩む一向。緩やかな登り勾配が延々と続き、元は農家の家畜であった馬は早い段階でばててしまい、その背には荷物しか載せていない。サイもゼロットも疲労を滲ませながらも、懸命に自分の足で歩み続けている。

 山岳地帯の渓谷、岩山の外周を抉ってつくられたような一葉の緑もない街道を、一同は進んでいた。

 左には絶壁。見上げても頂上を視認できない、ほぼ直角の無骨な岩肌が蛇行しながら脈々と続き、灰色の雲に覆い尽くされた空との境は曖昧である。右には断崖。直角ほどではないにしても足を踏み外せば崖下まで遮るものは何もなく、翳ったようにやや薄暗い眼下では流れの速い濁流がうねっていた。

 ライガナ王国西部を縦に跨ぐ山脈、それを超えた平野は森林地帯であり、深緑に内包される形で古都ニューカは在るという。険しい山脈は障害物にして遮蔽物。まるで東からの進行を阻むようであり、また忌わしき地を封じているようでもあるが、それはあくまでライガナ王国から観測した場合の感傷でしかない。たとえばライガナ王国の西に隣接するブルへリア共和国にとって、ニューカは山も川も挟まない平野続きに在ることになる。

 古都というからには当然、過去にはみやことして栄えた歴史があるからで、なぜそのような辺境の地を都としたのか。ケイルは素朴に疑問に思ったのだが、サイ曰く、ニューカが都として栄えたのは何百年も昔の話になるらしい。

 領土拡大のための戦乱の世、その頃の国土という概念は戦火の優劣に比例して日毎に拡大と縮小を繰り返す、不定的なものだった。豊かな東へと電撃的に支配拡大を果した先達にとって、山脈に隣接した住み難い土地に拘り続ける理由はなく、以降ニューカは徐々に廃れ、いつしか打ち捨てられることになった。

 無人になってからも王国発祥の地への尊崇の念を篭めて古都という名称が受け継がれ、反逆者が逃げ延びた地として忌み嫌われるようになってからも、惰性でその呼称は続いている。数百年前に廃れ、打ち捨てられたとなれば、今となってはもう遺跡と呼んだ方が相応しい様相になっていることは想像に難くない。

「いやー、しんどい。覚悟はしてたけど、しんどいものはしんどいね」足を踏み出す度に膝に手をつきながら、一歩いっぽ大股で歩くサイ。「思い掛けずヒルドンでも山登りさせられたからね、もう腹いっぱいだよ」

 それに対しスムーズな歩行でケイルに続いていたリルドは首だけを振り向かせた。前傾姿勢で強調されるサイの胸元へと冷たい眼差しを投げ掛ける。

「そのような歩き方では余計に疲れますよ。そして私も余計に腹が立ってきます。自重してください」

「シェパドも言ってたけどさ、あんた、意外と粘着質だよね……。あんたが自重するべきだよ」

 最早慣例となった遣り取りだが、付き合う余裕がないのか、サイは鬱陶しげに手を払った。

 その隣ではゼロットが右肩を持ち上げるようにして負い紐で吊った小銃の位置を正していた。アカリよりも更に小柄なゼロットには約四キロの持ち慣れない荷物は如何にも重そうだが、馬に載せようとはせず、ケイルが持つように言っても聞かなかった。

『感心ね。彼女なりに心得ているんじゃない』

「かもな……」ケイルは嘆息混じりに相槌を打つ。

 銃器に限らず、武器を持つにあたって最も基本的で大切な心構え。それは肌身離さず、丁寧に扱うということ。武器は邪魔な荷物などではなく、身を護るための得物なのだ。渓谷に踏み入る前の射撃練習の折、そのように言い含めたらきっとゼロットは小銃をぬいぐるみと同じように病的に手放さなくなる、そう危惧したケイルはあえてその点を指導しなかったのだが、それでも自ずとゼロットは頑として小銃を離そうとしなかった。

 手本であり見本であるところのケイルが、レイピアを背のマグネットプレートに固定しているものだから、そういうものなのだと思いなしているのかもしれない。

 ちなみに、他者から見れば邪魔っけに感じるほど終始胸に抱いていたぬいぐるみだが、今はゼロットの左腰で揺れていた。羽織るようにしているレインコート同様、アカリから譲り受けた皮製のベルトに紐で括り付けられているのだ。そのベルトはただのベルトではなく、装具である。右の腰周りにはポーチが並び、その中には弾丸などの小物が収納されている。一種の弾帯だんたいだ。

 身体的に未発達で上背も低い少女には上半身周りに集中した装具は使い難いだろうとシェパドが考案し、ククルとエバが作製、しかし試用したアカリはレインコートのポケット収納にもう慣れ切ってしまっていたため、逆に使い難いというにべもない評価で一蹴。そのささやかな装備開発計画は半永久的に凍結されたらしい。今はゼロットに受け継がれ、今後の発展に期待といったところか。

『いいわねぇ、彼女はどんどんパワーアップできて。私達は消耗する一方だっていうのに』

 ちょっとした抵抗のつもりなのか、いつの間にかアーシャは麦わらのクロッシェ帽を被っていた。如何にも登山といった趣きの帽子である。ひさしを人差し指でくいと持ち上げて、似合う? と問わんばかりにケイルに得意顔を向ける。

 しかしケイルはちらりと一瞥しただけで、今一度背後のゼロットを振り返っていた。

「パワーアップか……」

 深緑色のレインコートを羽織り、腰には弾帯、肩には小銃。小柄のゼロットには不釣合いな、取って付けたような装備であり、服に着られているという揶揄が相応しい風体ではあったが、その身拵えはケイルに一抹の懸念を抱かせるものでもあった。

「シェパドが望む望まないに関わらず、いつかこの世界でも銃が戦争の主たる武器になるんだろうな」

『そりゃそうでしょうよ』アーシャは帽子のひさしを下げ、目許を隠すようにするが、不満げに突き出した下唇までは隠し切れていない。『斯くして歴史は繰り返す……』

 まるでこの世界の行く末を気遣うような二人の言葉、勿論そうした意味合いも多少は含まれたのだろうが、そこから発展して思い至るのはまったく別種のものだ。銃器武装したゼロットを見て喚起させられるのは、ヘカトンケイルという特殊な存在であるが故の一種独特な懸念だった。

 それはつまり、銃器で武装した戦闘集団との戦闘における、ヘカトンケイルに強いられた改悪について。銃器武装集団とは戦い難いように施されたデチューンについてだった。

 ヒルドンでの傭兵部隊との戦闘、ケイルは徐々に学習し、ヘカトンケイルである己に見合った戦闘方法を見出していったが、それはゼロからの、無知からの向上だった。元よりヘカトンケイルとは、神出であり恐るべき身体能力を有してはいるが知能を有さない獣であるアバドンとの戦闘のために開発された半有機体機械化兵装である。故に強力な銃器で武装して巧みな連携で戦術的に行動する集団との戦闘は、不得手であるのは無理からぬことであろう。どんな魔獣もそつなく仕留める狩人とて、人間同士の戦場に駆り出されたら実力を発揮できないのと同じである。

 しかしそれにしたところで、その無学さは目に見えて過剰で、目に余るほどに執拗で、明らかな他意が要因として存在していた。戦術面における知的集積という点に関して、無知であることが設計上の仕様として組み込まれていた。

『でも、この世界に銃器が広く普及するまでどれぐらいの時間が掛かると思ってるのよ。あなた、それまで長生きするつもり?』

「まあな……」

 もし仮に、シェパドが製造したような旧式の銃器を有した対象と敵対し、戦闘に相成ったとしても、ケイルも後れを取るとは思わない。ヒルドンでの苦戦は、自分達の世界と較べても少し遅れた程度の比較的高い文明レベルを有した傭兵部隊が相手だった故だろう。簡単な言葉で片付けてしまえば、相手が悪かった。この世界が、傭兵部隊の世界と同程度とまではいかないまでも、それに準じる文明レベルに発展するまで、それこそ魔法的な、悪魔的な技術革新でもないかぎり、ケイルが生きていられるとは思えない。

 しかし、かような者達と一度遭遇している以上、二度目がないとは言い切れず、楽観はできない。そして何よりケイルが気掛かりなのは、再び起こりうる苦戦への危惧ではなく、苦戦の根源である限定的な改悪について、ヘカトンケイルである己についてだった。

 ヒルドンで傭兵部隊を殲滅させた直後からずっと続いている奇妙な焦燥感と苛立ち、指先の切り傷のように、決して痛まないが一度気付いてしまえばどうしようもない違和感を生むその感覚が、ヘカトンケイルに強いられた限定的な改悪の根底と関連しているように思えてならなかった。

 漠とした不快な感覚は、設計上忌諱されていた銃器武装集団との戦闘が要因なのではないかと、ケイルは勘繰っている。

「アーシャ。嘘や気遣いはなしで、お前の意見を聞かせてくれ」そう切り出してから、隣を歩むアーシャをまっすぐに見つめて、ケイルは続ける。「他国との戦争準備にとられないため、本当に俺達はそんな理由で改悪されているのか?」

 アーシャは目を見開き、薄く唇を開けてケイルを見つめ返した。ケイルがこの手の質問をするのは、初めてのことだったからだ。兵士や民間人から白眼視されるようになった元の世界でさえ、そういった疑念を口に出したことはなかった。ここにきて初めてその話題を挙げたのは、単にヒルドンでの戦闘が琴線(きんせん)に触れたからというだけではなく、サイ達と、守護すべき対象でしかないはずの民間人と長い間行動を共にしているという設計上意図されていない現状も、心情の変化に関係しているのだろう。

『……精神衛生の観点から情報規制が敷かれていて、ヘカトンケイルに関する情報は私のアーカイブにも保管されていないのよ』目を伏せたアーシャは路上の小石を蹴飛ばすようにする。勿論、彼女は実在していないので足は空を切るばかりだったが。『そして私もヘカトンケイルの一部でしかない。あなたが知らないことを、私は知っているけれど、あなたがわからないことは、私にも大概わからない』

 今までその話題に触れなかったのは、バイオロイドとその人為的な別人格であるアーカーシャ・ガルバの二人で如何に議論を重ねようとも詮がなく、答えは出ないことは目に見えていたという理由もある。

 しかしケイルは、わかってる、と尚も言い募った。

「意見と言っただろう、回答じゃない。お前はどう考えているのか、それが知りたい」

『なるほど、違う世界に来て軍規から解放された身の上で思い切って愚痴っちゃおうってわけ』アーシャは含み笑いを漏らしてから、思案顔でおとがいを摘まんで呻る。『……確かに、違和感は覚えるわね』

「ああ、やはりな。目下の脅威はアバドンだろうに、他国との戦争準備もくそもないと思っていたが」

 この世界とケイルの世界は似通っていた。アバドンの脅威から生き残るために国々は自閉し、ほぼ鎖国している。そんな事態の只中に、他国との協調や倫理観を保つためだけに、その脅威に対抗し得る稀有な戦闘兵器であるヘカトンケイルの製造工程にわざわざ手間を加える必要性があるとは思えない、とケイルは言う。

『そうね。それにあのタイミングのよさも気になるわ』

「タイミング?」

『H03の事件があった直後から、計ったように人々の間で囁かれるようになったヘカトンケイルに関する噂。そもそも情報規制が敷かれていたはずなのに、なぜ一介の兵士達がそんな情報を知り得たのか』

 ケイルはアーシャを凝視する。マスクの中では眉間に深い皺を刻んでいた。

「まさか、欺瞞ぎまん情報……?」

 人の口に戸は立てられない。如何に上層部が箝口令を強いたところで、末端の兵が素直に従い続けるはずもなく、H03の事件は尾ひれが付き、曖昧に真相がぼかされ、兵から兵へと、兵から民間人へと、そしてシェルターからシェルターへと流布されていった。時にそうした噂は不安と懐疑心を増長させ、組織を内部から崩壊させる場合がある。そうなる前、そこにもっともらしい嘘の情報を投じてやれば、低きに流れる人々はわかり易い情報に食いつき、探究心を即席に納得させ、致命的な真実から目を逸らすことができる。

09オーナイナーの符丁が付与された私達を含めた初期配備の九体は試験運用型プロトタイプであり、暗に“オーシリーズ”と呼ばれている、という情報にはリアリティがあった。きっとそれは真実よ。けれども戦争準備云々という点に関しては、今になって思えばちょっと眉唾よね。玉石混交ではないけれど、九つの軽い真実に一つの大きな虚偽を混ぜれば、大きな嘘も簡単に信じてしまう。諜報戦の錯乱要員ないし詐欺師の常套手段ね』

 だとしたら、集団銃撃戦闘に限りヘカトンケイルに強いられた改悪の真の理由とはなんなのか。ケイルの世界における武装集団とは兵士に限られる。つまり兵士達と戦闘になっても最終的にはヘカトンケイルが敗北するように調整されているということだ。単にH03が携わってしまったような予期せぬ凄惨な事態への対策なのか。

 オーシリーズ特有の歪さ、その正体とは?

 まあ、とアーシャは鼻を鳴らして、斜に小首を傾げる。

『やっぱり私達が問答したところで答えはでない。謎は深まるばかり。違う世界に来てしまった以上、調べようもないしね』

「まあな」頷いて、ケイルは今一度右隣のアーシャに視線を固定する。「ただ一つだけわかったことがある」

『へえ、なに?』

「今まで避けていたが、お前とこういう話をするのは、まったくの無駄じゃないということさ」

 突然冷や水を浴びせられたようにぽかんとするアーシャだが、かぁと頬を染め、突然崖の方へと駆け出した。そしてジャンプ一番、虚空へと跳躍し、ジェロニモー、と叫びながらそのまま姿を消した。

「………」

 ここまで幻影である己の身をフル活用するアーカーシャ・ガルバも珍しいのではなかろうか、とケイルは思った。

 曲がりくねった渓谷の細道を数刻進み続け、二度ほど小休止を経て、夕暮れが迫った頃、何の契機もなく、唐突にそれは訪れた。

 五十メートルほど先で左へと大きく曲折する道。ちょうど岩山の切れ目に沿った曲がり角であり、先は窺えないのだが、切り立った稜線に隠されたその先の中空を、アーシャは仰ぐ。

『聞こえる? この先、空中から何かが近付いてくる』

 当然、音をアーシャが認識できたのは、ケイルの強化された聴覚が音を拾っているからであり、ケイルはすでに背後に続く一同に向けて右の拳を振り上げていた。停止の合図だ。やや距離を置いて歩んでいたサイ達は緊張の面持ちで硬直する。

「羽音……。飛行型の魔物か?」

『おそらく。大きくて、多いわね。策敵範囲内には少なくとも三つ』ケイルの視野には、岩肌から徐々に空中との境界に迫る三つのコンテナが映し出されていた。『来るわよ』

 そうして現れたのは、黄土色の鱗に被われた表皮を持つ、長い首に長い尻尾、両翼を広げた全長は五メートルにも達するであろう、飛竜だった。

 しかし野生ではない。鋭利な鋸歯が並んだ顎は手綱で戒められており、その胴体には鞍皆具くらかいぐが巻かれ、鎖帷子を纏い兜を被った兵士が跨っていた。それが三つ、傾きかけた日の中で巨大な翼を羽ばたかせながら矢継ぎ早に三騎の飛竜兵が稜線から現れる。

 驚倒の面持ちで呆然とそれを見上げる一同だったが、飛竜兵の驚愕はそれ以上のようだった。

 進路上の眼下、点在する一同を見る目には明らかな狼狽が見て取れる。そして先頭で一人佇むケイルに、異形の者に視線を定めた瞬間、兵士も飛竜も瞳孔を散大させた。その瞳の色は、驚きではなく、恐怖を色濃く宿していた。

 長い首を持ち上げ、戦慄するように空中で嘶く飛竜。その背の竜騎士も兜の中で大きく口を歪め、背の投げ槍を抜き、ケイルに向けて振り被っていた。躊躇なく、投じる。

「好戦的だな。何なんだ」

 ケイルは背からレイピアを取り外しながらバックステップで一歩後退する。風切り音を発しながら迫った投げ槍は、目前の路上に硬質な音をたてて突き刺さった。

「あれは、ブルヘリア共和国の紋章?」リルドは竜騎士の胸にあしらわれた雄獅子の紋章を認めると、崖に駆け寄り、声を張る。「その方ら、ブルヘリア共和国の者とお見受けする! 何のつもりかっ!? ここはライガナ王国領土であるぞ!」

 しかし三騎の飛竜兵は聞こえていないように、ただただ恐慌に支配されているように、絶壁を背にするケイルを取り囲む形で宙を舞い、次の投げ槍を振り被っていた。

 ふと、飛竜兵が現れたのと同方向、五十メートル先の曲がり角から響いてくる地鳴りに、ケイルは目を剥いた。

『ちょっとちょっと、これマジィ?』

 五メートルにも満たない小径、幾層にも盾を並べた人垣が砂埃を散らしながら押し寄せて来ていた。蟻の子一匹も通れないほどに密集し、槍が林の如く無数に突き出されている。盾の上端からケイルを凝視する歩兵達の形相は、飛竜兵同様、刺すような害意を、問答無用な敵意を放っていた。

 飛竜兵から次々に投擲される投げ槍を躱し、時には腕で弾きながら、ケイルはサイ達を一瞥する。

「下がれ。後退しろ!」

 弾かれたようにケイルを見返したサイは馬の手綱を離し、誰何を続けるリルドの腕を取り、ゼロットを連れ立って逆走し始める。

 ケイルはレイピアの銃口を跳ね上げ、投射型照準器を飛竜兵に重ねた。

「やるしかないな」

 引き金を切る。六ミリのアバドン用ソフトポイント弾を浴びせられた飛竜、小さな轟爆に捲かれたように血煙を伴って肉片が四散、着弾の衝撃で鞍から吹き飛ばされた竜騎士共々、崖下へと墜ちていく。その一騎を視界の隅に認めながら、次の一騎の照準を振り、淀みなく撃った。片翼をもぎ取られた飛竜は錐揉みしながらあらぬ方向へと旋廻し、歩兵団の頭上の岩肌に叩きつけられる。小石と血飛沫を撒き散らしながら転がるように落下し、雲霞のような密集隊形の只中へ墜落。重く、瑞々しい音を伴って人垣が割れ、押し遣られる形で何人かの歩兵が崖下へと滑落していった。

 突然、割れた人垣、舞い上がる粉塵の中から、二頭の双頭の大犬が飛び出してきた。金色の体毛に被われたしなやかな体躯を躍動させながら、ケイルに迫る。

『ケルベロスッ……には頭一つ足りないけど。ファンタジーねぇ、脳の指令系統どうなってんのかしら』

「関係ない。両方潰す」

 迫り来る都合四つのあぎと、左端に照準を重ね、順々になぞる。重なった瞬間に送り込まれた弾丸により、畳み掛けるように四つの頭部は破裂した。慣性に引き摺られる形で胴体は横転し、突っ伏す。

 ガキン、と。右の脇腹に衝撃が奔った。強化外骨格に弾かれた投げ槍がケイルの足許に転がる。残った一騎飛竜兵が投擲したのだ。隙を突き、急所を捉えたはずの快心の一擲を呆気なく弾かれた竜騎士は、絶望の面持ちで硬直していた。次の瞬間には表情が、顔面そのものが血飛沫の中に物理的に消え失せ、飛竜共々墜落する。

 レイピアの銃口を押し寄せる歩兵団に戻したケイル、先頭集団が盾の内に頭部を引っ込め、身を強張らせるのが照準器越しに認めながら、横薙ぎに弾丸を放った。

 木製の盾を紙のように造作もなく貫通した弾丸は、人体に突入する度に爆発的な血煙を生んだ。木片が散り、火花が瞬き、ピンクの飛沫が舞い、赤黒い肉片が跳ねる。鈍い羽音のような銃声を発しながら振動するレイピア、機関部下部に設けられた吸気口が呻り、圧縮空気の白い霞みが銃口から迸り続ける。

 まるで目に見えない大きな大剣で薙がれるように、次から次へとドミノの如く倒れる兵士達だったが、突進は止まらない。斃れた前列の者を足蹴にしながら、虫の息の者を踏み殺しながら、怒涛の奔流となって押し寄せる。どころか、曲がり角の先、未だ途切れない雲霞のような人垣は、押し合い圧し合いをするように我先にと少しでも前進しようとしていた。それは血気盛んに死地に先んじるという殊勝な態度では決してない。まるで、何かに追われるような、更なる恐怖から逃げるような切実な恐慌が鬼気迫る形相に滲んでいた。

「なんなんだ……」

 呟きながらも新たな弾倉を装填したケイルは、その左手をレイピア銃身下部、グリップも兼ねていた二脚架に代わり、新たに取り付けた装着型拡張銃装アタッチメントの側面に伸ばした。

『お。いよいよロマン武器の出番ね。御誂え向きのシチュエーションじゃない?』

 先頭集団との距離は二十メートルを切っていた。空気を沸騰させるような怒号を肌で感じ、涙混じりに怒り狂う表情を見れば、問答無用であることは明らかだった。

 ある意味、この状況はケイルにとっての本領だ。一種病的なまでの只管な殺意を放散し、無秩序に突進してくる肉の壁は、アバドンとの死闘を彷彿とさせる。

 ああ、とケイルは至極平坦な声音で相槌を打ちながら、ぎりぎりと、まるで弓の弦を番えるように左側面から飛び出したレバーを手前に倒し、レイピア本体の引き金の真下に位置する拡張銃装の引き金に右手中指を置く。

 違和感は覚えたとしても、敵意を向けてくる者に容赦する理由は、躊躇する予断は、ヘカトンケイルにはない。

「細切れになってもらおう」

 用心金一体型の環状の引き金を、くんと引いた。

 限界まで縮めたバネが反発したような濁った破裂音が鳴る。

 レイピアの銃身に平行して延びる直径五十ミリにも達する巨大な砲口から、何か影のようなものが飛びだし、ひゅんひゅんと細かな鋭い風切り音を伴って先頭集団に飛び込むと、さながら豆腐をピアノ線で切るように、鎌鼬かまいたちが疾駆したかの如く、盾が、槍が、兜が鎖帷子が、ばらばらになった。

 刻まれた装具や肉片が宙にばら撒かれ、血液が真っ赤な土砂降りと化して辺り一面に降り注ぐ。

「――――」

 突如として身体を爆散させた十数名の先頭集団、血の雨を、臓物の破片を浴びた背後の横列は何が起きたのか理解できないという様子で暫し足を止め、呆然としていた。息がかかるほどの目前、体温を感じられるほどに密集して犇いていた目前の人垣が瞬く間に肉塊と、いや、塊でさえない肉片と化したのである。頭から血をかぶり全身を赤く染めた彼らは、唯一の例外である見開いた白目の中の小さな瞳を、進路に立ち塞がる一体の異形に向ける。

『おやおや、なんということでしょう。ブラッドバスね』

「存外悪くない」

 ケイルはまるで釣竿のリールを巻くように拡張銃装の右側面に備わったクランクを時計回りに一回転させ、放した。すると、ジジジという機械音を伴いクランクはゆっくりと反時計回りに戻り、弾性に富んだ鋼のぜんまいに連動して拡張銃装後端部のウインチが巻かれる。

 血の海と化した路上に点在する幾つかの肉片がケイルの方向へ引き寄せられるように微動し、虚空に影の残滓を残しながら何かが、粘った血飛沫を撒き散らしながら長い糸状のものが幾つも、拡張銃装の射出口に目にも留まらぬ速度で巻き取られていく。

 射出されたのは、巻き取られたのは、五本のワイヤーだ。

 正式名称、近接用拡散型ブレイドワイヤー射出機、SBWE。その独特な操作方から釣り人の鞭フィッシャーマンズウィップと揶揄される場合もある。射出後に作り上げる凄惨極まる光景から、肉屋の裁断器ブッチャーシュレッダーとも。

 血の雨を浴びず、光景も目の当たりにしなかった後続集団は病的に前進を続けようとし、それに押し遣られる形で望まぬとも次の先頭集団になってしまった兵士達。表情を引き攣らせ頑なに前進を拒む者、盾も槍も放り投げ泣き喚きながら人垣を掻き分けて下がろうとする者、隊列も指揮系統もあったものではない、無様な混迷極まる有様だったが、全体的には止まろうとも退こうともせず、人垣の壁は、雲霞の群集は徐々に徐々に押し寄せてくる。

 SBWEの左側面のポンプレバーを倒し、淀みなく発射準備を完了させたケイルは、横列の最左翼、盾を振り翳していやいやと首を振るまだ二十にもなっていないであろう一人の歳若い兵士の声を聞いた。

「あ、悪魔……。そんな、また、悪魔だ……。助け、助けてぇ、神様ぁ」

 また・・? と。

 まるでこれが初めてではなく、二度目であるような、一度目があったような物言いに違和感を強くさせるケイルだが、繰り返すが問答無用。悠長に事情を訊ねられるような状況ではない。

「……神じゃなく、後ろの連中に退くように頼め」

 引き金を切った。

 ウインチによって巻き取られたワイヤーだが、ウインチに巻き付くわけではなく、付着した不純物の除去も兼ねた逆支弁を通して銃身内の円筒形のシリンダーに収納される。ポンプレバーを倒すことによりシリンダー後部の圧油タンクの内圧が高まり、引き金を引けば内圧が一息に解放、直径三ミリのワイヤーは射出され、五本それぞれが波打つように蛇行しながら飛翔、射出口から扇状に四十五度、射程三十メートルの範囲に存在するあらゆる物質を尽く蹂躙する。

 再び、濃密な血屏風が展張。左の岩肌と路上にはペンキをぶちまけたように血液が飛び散り、崖の縁からは滝のように鮮血が流れ落ちる。一瞬にして微塵に切り刻まれた十数名のむくつけき兵士達の残骸は、旋風に巻かれた枯葉の如く、後続に降りかかる。神に助けを乞うた歳若い兵士の右目だけを残した頭部が断面から脳漿を振り撒きながら誰かの兜の上にべちゃりと載った。

 ケイルはクランクを回し、ワイヤーを巻き取り、ポンプレバーを倒し、据銃する。

 ワイヤーの構造は硬鋼線材から成る工業用などで一般的なものだ。細い素線を数十本縒り合わせた小縄ストランド、そのストランドを六本、一本の心鋼に圧着させながら巻き付けた形状である。ただしその表面、素線一本一本の外面には鋸歯状のばり・・が加工されており、触れた物の表皮を裂き、肉を抉る。ブレイドワイヤーたる所以だ。

 一定の距離に踏み入った途端、例外なく身体を解体されるという理解し難いその現実を、けれども嫌というほど目前で見せ付けられた後続の兵士は否応もなく己の運命を察する。着々と順番に訪れる最前列という死場。その恐怖は断頭台に送られる死刑囚というべきか、いや、ベルトコンベアで屠殺場へ運ばれる家畜という比喩の方が相応しいだろう。ただ、後退するには場所が、隊列が悪かった。五メートルにも満たない道幅を密集隊形で動こうとすれば、最前列で何が起こっているのか、後列は気付けない。進め進めと前の者を死刑台へと追い遣り、自分の番になって、何が起こっていたのか己が身を以って知ることになる。恐怖と絶望と死を以って愚行を贖うことになる。

『やれやれ、愚かね。どーじょーするわよ』

 じりじりと、ばしゃばしゃと、二十メートル先の血の海の境界線へと数十人が踏み入る度に、ケイルは予断なくSBWEを射出した。

 三度みたび、血と肉と臓物の嵐が吹き荒ぶ。

 それは点でもなく、面でもなく、横薙ぎので対象を蹂躙する。たとえばトンボのような華奢な節足動物を輪ゴム鉄砲で撃った時のように、対象の表皮を衝撃で弾けさせ、鋭利な刃が如き遠心力で骨ごと切断し、そえでもなお減衰しない推進力で体幹を粉砕するのだ。

 SBWEは大挙して押し寄せる対アバドン用に試作された近接兵器である。ただ、その射程は三十メートルでしかなく、一般歩兵はそこまでアバドンと接近した戦闘を想定されておらず、故にヘカトンケイル専用として試験運用の名目で支給さえたのだが、その実、如何にヘカトンケイルとてアバドンの群に囲まれるような事態になれば生存は絶望的である。ケイルの元の世界での最後の記憶のように、相手が数十、数百になればどうにもならない。だからこそケイルは使えないだろうと思いなしていた。

「………」

 しかし同時に悟ってもいた。この拡張銃装は生存率向上が目的なのではなく、戦闘を続けることが目的なのだろうと、死を覚悟する絶望的な状況でも一体でも多くのアバドンを屠るためだけに渡されたのだろうと。いや、他の装備も装置も、ヘカトンケイルを構成するありとあらゆる兵装とて究極的には同様なのだ。生存率を向上させるのは兵器として有用だからでしかなく、少しでも長く使い続けるためでしかなく、それ以上も以下もない、他の理由が存在する余地などどこにもない。

 迫り来る人海を寸断すること四度目にして、五十人ほど屠ったところで、ようやく曲がり角から現れる人波が途絶えたように見えた。だが、少し距離を置いて出でた巨大な影に、その巨体に、ケイルは瞠目した。

『でかい……。そしてキモい』

「象とトカゲの合いの子だな……」

 全長六メートル、背丈五メートルにも達する象のような魔物だった。しかし象に似ているのは体躯だけであり、それ以外は似ても似つかず、表皮は赤茶けた細かな鱗にびっしりと被われており、頭部は蜥蜴のそれである。一番近い比喩は恐竜であるが、ただ草食恐竜の胴体に肉食恐竜の頭部を有したその形は、やはり面妖な魔物にしか見えない。

 最後尾から現れたその巨体を一見した時、もしかしたら歩兵達はこれから逃げていたのかと、ケイルはちらりと思ったが、その背には櫓が据えられ、三名の兵士の姿が見て取れる。飛竜や双頭の大犬同様、象もこの謎の戦団の一部なのだろう。ただ、後続の者達が病的に前進を続けようとした理由ではあるのかもしれない。狭い道幅を窮屈そうにのっしのっしと巨体を揺らしながら迫る象のすぐ前を往く歩兵達は、明らかに怯えるように少しでも離れようとしていた。

 背の櫓の中には弩弓が設えてあり、二人掛かりで直径五十センチにもなろう大きな岩を射出台に載せ、ハンドルを回して長く太い弦を引いている。指揮者であろう一人が何事か喚きながら、照準地点を指示しているようだったが、その指差す先は、どうやらケイルではなく、その背後。

「まずいッ」

 後ろを振り返るケイル。長い下り坂、遠方にはサイ達三人の後姿が見える。もうすぐ曲がり角に達し、逃げおうせようとしていた。

 謎の戦団にとって敵はケイルだけではないのだ。ケイルの仲間であるサイ達も彼らからしたら敵であり、逃げようとする者から始末するのは道理だろう。

 ケイルは咄嗟に向き直り、櫓にレイピアの照準を振るが、一拍速く、弩弓から大岩が放たれた。

「くそ」放物線を描きながら頭上を豪速で飛翔していく大岩を目で追いながら、ケイルは叫んだ。「逃げろ!」

 駆けながら背後を振り返った三人。目前に迫る大岩を認め、目が丸く見開かれる。その足許で大岩は炸裂した。砕けやすい岩石だったのだろう。着弾と同時に木っ端微塵に拡散し、さながら破片式榴弾の如く、鋭利な破片を周囲に撒き散らす。倒れ込む三人が見えたのは一瞬、直後には舞い上がった厚い粉塵に覆われた。

「――――」

 ケイルはマスクの中で目を剥き、暫しの間、立ち込める粉塵を呆然と凝視していた。しかしそれは中の三人の安否を見定めようとしている風ではなく、同行者が唐突に害され、傷つけられたというその事象を、まじまじと確認しているようだった。

 ――敵は処理しましょう。

 女の声が聴こえた。真っ黒な靄が腹の底から噴き上がり、四肢を、頭を染め上げていく。唾を呑み、喉が鳴った。クリアだった頭蓋の中は、水に墨汁を垂らしたように翳っていき、終には満たす。

 ――無辜の人々を害する敵は、例外なく容赦なく呵責もなく、みんな排除しましょう。

 脳裏の暗闇に佇むのは、一人の男。まるで睨み付けるようにマスクの双眸を赤く滾らせて、しかし全身の筋肉は狂喜するように脈打っていた。ゆっくりと歩み寄って来る。ぶつかるような距離になっても止まらず、そのままするりと、這入ってくる・・・・・・

 ――それが、あなた達の役割です。それだけが、あなた達の存在理由です。

 体躯の内を満たした男が、思考を支配したH09が、囁くのがわかった。

 憎いだろう、と。

「ああ」

 淀みなくケイルは答え、ぐるんと、淡く光る赤い双眸を戦団に転じた。

 状況的に已む無かった消極的な戦闘が、積極的な殲滅へと、何かに怯えている正体不明の戦団が、憎むべき排除対象へと、ケイルの中で変貌していた。

「殺す」

 レイピアの銃口を跳ね上げ、弩弓象の頭部を照準し、引き金を絞った。巨大な蜥蜴の頭部の随所が矢継ぎ早に爆ぜ、甲高い耳障りな慟哭が響く。突き出た顎を割り悶えるように首を振っていたが、下顎が崩れ落ち、右の眼窩が抉れた時、ふと糸が切れたように前脚を屈し、重い地響きを伴って前のめりに突っ伏した。櫓上の二人は崖下へと滑落し、しがみつき転落を免れた指揮者だったが、次の瞬間には額に弾丸を受け、頭頂部には赤黒い花弁のような出射孔が開花した。その中心から種子や花粉が噴き出すように、灰色の脳漿や桃色の頭骨、毛髪を残した頭皮が、一緒くたになって宙に散る。

『――お父さん、魔王がいるよ。王冠と衣をつけた恐ろしい魔王がいるよ』

 死する害敵を嘲笑うかのように、声高に歌うアーシャの声を聞きながら、ケイルはゆっくり前進しレイピアに弾倉を装填、歩兵に銃撃を浴びせる。

 振り被られた剣を握る手の四指に向かった弾丸が、人差し指から中指までを落とし、弾道を変え、薬指の付け根に減り込み、小指ごとごっそり吹き飛ばす。胸に飛び込んだ弾丸が、身体の中で跳ね回り、脇腹が出て行くことを決め、腸とその内容物を撒き込みながら飛び出す。盾と甲冑を吶喊し威力が減衰した弾丸が太腿に入り、太く硬い大腿骨に根負けし、周囲の血管や筋組織を裁ちながらぐるりと一周、入った入射孔が出入り兼用になり、間欠泉のように血液が噴出する。

 殺傷という事象を無造作にばら撒くような破壊の掣射せいしゃだった。精確な照準ではない故に安らかな死にはほど遠いが、それは堅実な無力化と、磐石なる苦痛を、狂気なる地獄を齎す。

『――お父さん、お父さん! あれが見えないの? 魔王の娘が、あの暗い闇に現れたよ!』

 視界に映る動体、全てに弾丸を叩き込み、ケイルは歩み続ける。ぱしゃりと、踏み出した片足が血の海へと達した頃には、もう戦団の前進は止まっていた。

 半数以上が屠られ薄くなった人垣、後尾付近の兵達も自分の目前で、すぐ隣で、次々と地に伏す同志を目の当たりにし、事態を悟ったのだろう。ようやく後退しようとする。当初とは立場が逆転、たった一人から放たれ、押し寄せる殺傷の弾幕に、押し戻される。だがその先には絶望が、弩弓象の巨体が道を塞ぐ形で聳えていた。

 弩弓象の屍によじ登り、逃げようとしていた兵士の後頭部に刺さった弾丸が、頭蓋の中身を掻き回し、鼻梁に第三の鼻の穴を形成する。誰かの耳を吹き飛ばした弾丸が、女兵士の二つの乳房を串刺しにする。路上の石で弾けた跳弾が、破片を刃に変えて、膝や脛に無数の切り傷を作る。頬に突入した弾丸が食い縛った歯を粉々に砕き、歯の欠片が誰かの目玉に突き刺さる。地べたで腹部をおさえて蹲る誰かの上に、誰かの脳漿で滑って転んだ誰かが乱暴に倒れ込み、下敷きになった誰かは喀血を吐いて事切れる。一か八か、崖へ身投げしようとした兵士は背中に連射を浴び、虚空に臓物をばら撒く。

 毎分千発、即ち秒間約十七発の連射速度で射ち出される銃弾。その弾数は、どこかしらの肉体を欠損させた数とイコールで直結している。秒間に約十七回、誰かの何かが、修繕不可能なほどに尽く破壊されていく。

『――お父さん、お父さん! 魔王に連れて行かれるよ! 魔王が僕をひっぱっていくよ!』

 ERLKO”NIG。金切り声で絶叫する少女の歌声は、絶頂に達していた。

 進退維谷まる阿鼻叫喚の地獄絵図が迫る只中で、顔面を蒼白にした一人の兵士が意を決した風に戦斧を振り被り、ケイルに迫った。呼応するように残り兵士も続き、発狂したような絶叫と無数の矛先が俄かに突進を再開させる。散り散りだった兵が密集し、一塊になって迫り来るが、待ち構えていたように、SBWEが射出された。

 裁断。レイピアのソフトポイント弾同様、対アバドン用の兵器を対人に用いるのは、明らかなオーバーキルだった。人間一人をあまりにも過剰に殺し過ぎる。格子状に放たれる不可視の刃、さながら空間が断裂したかのように兵達の必死を、突進という敢行そのものを細かく刻む。叫び声が途切れ、人体の体液と破片が飛散。致命的な負傷を受け、けれども死ねずに地で呻いていた兵もワイヤーにその命を掠め取られ、最後尾にまで達したワイヤーが弩弓象の死骸に無数の裂傷を刻み付けた。

「……ケイル」

 立っている者はもう誰もいなかった。

 坂の中腹から曲がり角である頂点付近の弩弓象の死骸にかけて、四十メートルほどの長さでとろとろと流れる鮮血の川。装具の破片、原型を留める死体、部位として判別できる肉塊、もうどこのパーツかも定かでない肉片、それらが折り重なり、生温かい湯気が放散していた。

「ケイル」

 だが全滅ではない。数名ではあるが、運悪く、まだ死ねずにいる者がいた。無論、虫の息である。うつ伏せで、仰向けになる力もなく、血液の川に溺れるようにする者。裂けた腹部から飛び出した腸を砂塵塗れの他人の物まで含めて腹に戻そうとする者。刹那前まで同志だった残骸を掻き分けるようにして、這って逃れようとする者。

 ワイヤーを巻き取ったケイルは、淀みなく彼らを一人ずつ殺していった。頭部を踏み潰し、頚椎を砕き、崖下へと放り棄てた。

「ケイル!」

 肩を掴まれ、ケイルは振り返った。

 サイがすぐ背後に立っていた。その隣にはゼロットが、少し距離を置いてリルドの姿もある。衣服は埃っぽく汚れ、切り傷が目に付くが、大きな外傷はない。

 弩弓から放たれた大岩だが、破片式榴弾のように爆ぜたとしても、所詮は墜落の衝撃による四散でしかない。致命傷は負わなかったのだ。そして大きな傷はサイが魔術で治癒したのだろう。

「無事だったか」

「あ、ああ……」ケイルのいつもとなんら変わらない平坦な声を受け、サイは俯くように頷く。「……あたし達は大丈夫だよ。だからさ、もう、やめてくれよ……」

「………」

 ケイルは何も答えなかった。しかしすぐに視線を切り、進路へと向き直り歩み始めた。

 岩肌の際に立ち、弩弓象の巨体を押す。ゼロットが駆け寄り、加勢しようとするが、その前にはもうずずずと押し出され、崖下へと転落していった。

 ケイルは一度も振り返らず、開いた道を進み始めた。

 サイは立ち尽し、俯いたまま下唇を噛む。名を呼び、肩を掴んだ時にケイルに向けていた表情が、カボル村での惨劇の直後とまったく同じ色を宿していたことは自覚していた。あの時にケイルが見せた狼狽から、彼がそのような目で見られることを望まないのも知っている。けれども、隠し切れなかった。隠せるわけがなかった。地獄のような様相となった路上を見遣り、サイは更に強く唇を噛み締め、眉間に皺を刻む。

「装具の紋章から彼らはブルヘリア共和国の兵に間違いないようです」サイの隣に並んだリルドが言う。「諸外国が反逆者の篭絡を目論み、様々なアプローチを試みているというおぼろげな噂があります。もしかしたらですが、彼らもその手の者なのかもしれませんね」

「……それが、なんでこんな所にいるんだよ」

「さあ、私にわかるわけがないでしょう。しかし、彼らの風体はまるで敗残兵のそれでした。何らかの理由で篭絡が失敗し、あらぬ方向へ遁走してしまったのか。もし東へ逃げたのなら、この道しかありませんので、渓谷を通って山脈を迂回する形で自国に戻ろうとしていたか。……もう確かめようがないことですが」

 浅く嘆息を吐き肩を竦めてから、リルドは馬の手綱をサイに手渡した。

「行きましょう」

 黙したまま小さく頷いたサイは、手綱を握り、ケイルとゼロットの背を追った。

「………」

 血の海で佇むリルドは、周囲を見渡し、目許を細める。

 その光景は、約二週間前、十数名の近衛兵が屠られた王城での惨状に酷似していた。ケイルがこの世界に現れた直後、城の廊下で目にした本物の賊が創り上げた凄惨な光景と、あまりにも似通っていた。

 けれども一度も振り返らずに曲がり角を折れたケイルが、その本物の賊と自身との抽象的な共通点に、気付くことはなかった。




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