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異形の魔道士  作者: IOTA
35/60

32 払暁




「あばよ、ルイルイ。達者でな」

 火傷の貌を歪めながらニヒルに呟き、フライは丸い握りのついたボルトを上に起こし、手前に引いた。

 九十九ミリ長の薬莢が吐き出され、それが地に落ちる前に、ボルトを戻す。直径半インチ、つまり十二・七ミリという怪物のような大きさの弾丸が弾倉からせり上がり、戻ってきたボルトに咥え込まれ、薬室に挿入、ボルトを倒し、封入される。

 全長隈なく闇に溶け込むような無骨な黒色のその狙撃銃は二脚架を展開し、石造りの縁の上に据えられていた。

 PMG ウルティマラティオ。最期の手段や切り札といった意味を持つ。まさにこの状況に相応しい、とフライは鼻を鳴らす。ただし、それは前身からの同シリーズを一括りにした名であり、大口径モデルチェンジが施されたこの銃の名称ではない。

 フライは知る由もないが、今彼が覗いている八倍の照準眼鏡の中、橙色の炎に照らされている全身を外骨格で被った兵器の名を知れば、あまりにもよくできた皮肉に、彼は噴き出してしまっていたかもしれない。

 照準眼鏡から目を離さず、引き金に指を置いたまま、首に巻いたスロートマイクに声を吹き込む。

「おっさん。わかってると思うけど、動くなよ。誰も動かせるなよ。特に、あんたの後ろのボディアーマーのクソったれな。選抜射手だった俺の腕は知ってると思うし、俺の引き金の軽さは今ご覧に入れた通りさ」

 縦横の十字線に四分割されたフライの視野、左方のヘアに重なる形で館から出てきたサイ達が、右上の空間にはケイル、右下にはシェパドの上半身が映っていた。誰が動いても即座に照準できるよう、十字線の中心は一同の中央の石畳の上で揺れている。

 この時のために多くとった焚火だが、照準眼鏡越しの視界はどうしても暗くなる。射影の多い対象は輪郭がおぼろで決して照準し易いものではなかったが、それでもフライには、一同に手振りで静止を促したシェパドの苦渋の表情が手に取るように伝わった。

『フライ……』耳元からの苦々しい声に、確信に変える。

「俺はついてる。示し合わせたみたいに全員がすっぽりと射角に収まってくれるなんて、くはは、あんたらはほとほとついてない。同情するよ。日頃の行いの差だな」

 早くから単身でこの待ち伏せの構えを採ったフライは、当然、サイ達が広場を横断し館に這入るのを終始見ていた。だが、あえて撃たなかった。主戦力ではない彼らを射殺しても待ち伏せの意味がなかった。大きな銃で狩る獲物は大きくなければ意味がない、と館に潜む部下に彼らが這入った位置を報せ、任せた。だが意に反し彼女は撃破され、仕方がなくフライは出てきたところを撃とうとしたのだが、奇しくもそこに、シェパドとケイルが姿を現した。

 偶然には違いないのだが、その偶然を形成した最大の要因は絶妙な時間差。ダンシング・サイクロプスのオペレーター達の死闘が、命を賭した時間稼ぎがあったからこそである。

『フライ。もうお前一人だけだ。降伏してくれ。終わりにしよう』

 シェパドのその達観したような声に、彼が勝手に郊外にログハウスを建てて町に寄り付かなくなり始めた頃の雰囲気によく似た覇気のない声に、フライは口許を歪める。




『終わりだって? 何を終わらせるんだ。何も始まってないだろうが。わけのわからない世界に飛ばされて、化け物と戦って、助けたと思った町を占拠して、俺達は何をしたんだ? 終わらせなくちゃいけないほど大したことは、まだ何も始めちゃいないだろうが』

 イヤホンからの声は、決して怒鳴っているという風ではなかったが、それでも隠しようのない確かな激情が滲んでいた。

 シェパドは眉根を寄せる。

「お前……」

『俺が何も知らないと思ったか。あんた知ってたんだろ。俺達があの時運んでたのは武器だけじゃなかった。突然部隊に飛び入り参加した三人が、偶然にも森で行方不明になった三人と一緒なのはどういうわけだ? 新人だからトロかったなんて理由で納得すると思うか? 奴ら、あの戦場で活動してたカンパニーのパラミリだったんだろ』

「……何が言いたい? あの三人がラングレーだったのは、その通りだ。だが、それだけだ。ただの傭兵に扮してどっかに潜入するつもりだったんだろ。いつものことじゃないか。はぐれたのだって、俺達の連携と合わなかったからでしかない。こっちの世界に飛ばされることを予期してて、異世界侵略とかなんとか、そんな風に悶々と考えてたか? 想像力逞しいな」

『そういう意味じゃねえ。俺達だって生き延びたんだから、パラミリが簡単にくたばるわけがねえ。連中、何か行動を起こしてるんじゃないのか? なのに……俺達はずっとここだ』

 微かな躊躇いの後に発された声は、どことなく沈んでいた。シェパドは僅かに目を剥く。

「フライ、お前、帰りたかったのか……? 元の世界に」

『………』

 イヤホンは沈黙した。考え込むような、自問自答しているような、長い沈黙だった。




 ケイルはレイピアを諸手に携えながら、じっと静止し、シェパドの言葉に耳を傾けていた。流石に耳孔密着型イヤホンから発されるフライの声までは聞こえなかったが、それでも今は沈黙しているであろうことは推測できる。

 誰も微動だにできない長い静寂。一方的な膠着状態。マスクの双眸、ガラス体に付着した霧雨が雫となって筋状に流れ落ち、レイピアの立体投射型照準器を素通りし機関部で弾け、飛散した水滴が一瞬だけ赤い光に染まる。

 マスクの中で、人知れずアーシャを呼んだ。

「アーシャ。銃声が聞こえた方向、マークできるか?」

『諒解。サークルマーク』

 最初の銃撃の際に発射炎が瞬いた辺りに円形の環が表示されるが、やはり見えない。サークルが囲うのは焚火の光が辛うじて届く北北西の家屋の上空、中空の黒色に塗り固められたような闇だった。射手の姿はおろか、おぼろげな建造物の輪郭も見えはしない。暗視装置も、やはり光の多い広場では使えない。遠方から広場を俯瞰できる、他と較べたら少々背の高い建造物に潜んでいるのだろう。

 距離も曖昧だ。発射炎から察するに、五百メートル以上七百メートル未満といったところか。ケイルの不確実な感覚でしかない。相対距離を測定できるレーザー照射機能はマスクではなく、レイピアの銃身下部に収められている。銃口を振り上げるような動作をすれば、測定が終わるより先に銃弾が飛んでくるだろう。そもそも先の爆発によりセンサー類が故障したレイピア、レーザー照射機能が例外かどうかは疑問だった。

 視線を地上に戻す。

 最寄のサイはケイルに正対したまま銃声がした方向に振り返ることもできずに硬直している。その後ろのリルド、ライアス、ゼロットも同様、緊迫の面持ちで停止していた。リルド、ライアス共に立っているのもつらいという様子である。

 ケイルから見て斜め左、東の通り付近のシェパドとアカリもじっと身を強張らせている。彼らの持つマスケットでは到底太刀打ちできない射程であり、シェパドに至っては利き腕の右手を負傷している。満足に据銃することさえ難しいだろう。

 夜明けは近い。空が明らみ始め、自身の位置が視認されるのを狙撃手が待つとは思えない。抵抗でき得る可能性が残っているのはケイルただ一人であり、故に真っ先に狙われるとしたら、それもまたケイルだった。

 ケイルは銃把を握った右手の親指をそっと持ち上げ、発射モードをフレシェットの単射に切り替えた。機関部から発された僅かな機械音に、はっと息を呑んだサイがケイルを凝視する。

 ふと、体側に沿って下げられたシェパドの左手が微かに動いているのに、ケイルは気がついた。




 シェパドは背後のケイルが意図を察してくれることを祈りながら、左手の指で合図を送った。

 長い沈黙を経て、耳元からの声が再開する。

『ああ、認めるよ。俺はこっちの世界が好きじゃねえ。帰れるなら帰りたいさ。別れた女への慰謝料とガキの養育費が待つ世界にな。無頼漢を気取って誰も口にしなかったが、ほとんどの奴らが本心ではそう思ってたはずだ』

「………」

 一時合図も忘れ、シェパドは思考に沈んだ。

 気が付かなかった。社会から爪弾きにされた成らず者だと決め付けて、隊員達が本当はそのように思っていたなど、気にも留めようとはしなかった。

 シェパドの内心を読み取ったのか、気付かなかっただろ、とフライの嘲笑うような声は続く。

『なあ、おっさん。俺達は結局、何をしたんだ? 森から逃げて、この町に落ち延びて、それから五年。……俺達、この町に閉じ込められてただけじゃねえのか』

「ああ、その通りだよ。お前らも俺も、この町に囚われていただけだ」

 繰り返されるフライの言葉に、シェパドは項垂れ、頷いた。

 歳月を重ねる毎に増加していった町の住人に対する横暴な振る舞いも、成らず者であるならば当然のものだと勝手に諦観し、根源を考えようともしなかった。もし、帰りたくても帰れない、行動すら起こせない、そんな彼らの鬱憤が不合理な形で暴走してしまったのなら。

 シェパドは宙を仰ぎ、唇をきつく結んだ。内から身体を潰そうとする自責の念を噛み殺し、左手では合図を再開する。一度拳を閉じ、全ての指を開いてからゆっくり親指を内に畳む。四。

「フライ、なんで俺が隊を離れて一人で暮らすようになったか、わかるか?」

『……知るか』

「町民との諍いに疲れたという理由も、確かにある。だけどそれだけじゃない。美しい、そう思ったんだよ」

『美しいだと? なにがだ? この世界がか? 目玉がイカレてるんじゃねえか。俺達が見てきたのは魔物や、それに襲われるこの町、そんなもんばっかりだったじゃねえか』

「ああ、まあな。それでもこの世界は美しい」人差し指を折り曲げる。三。「知ってるか。この町の三叉路にある宿屋、朝になるとそのバルコニーに小鳥が集まるんだよ。麦を持って出ると、逃げるでもなく、手の平にとまって啄ばみ始めるんだ」

『なに言ってんだ。そんなの――』

「そんなの俺達の世界でも同じだろうな」今度は中指。二。「でも、そんな当たり前のことに、俺はこっちの世界にきてから初めて気がついたんだ」

『………』

「町に住み始めた最初の頃は諍いもなくて、ほんとにのどかでよ。子供に纏わり付かれたり、結婚式に呼ばれて片言で祝辞を述べたり、館の日当たりのいい部屋で昼寝をしているお前さんを見かけたり、終の棲家にはもってこいの場所だと、そんな風に思っちまった」

 薬指を曲げた。一。残るは小指だけ。

「しかし、今になって思えば間違いだった。あまりにも手前勝手だった。お前達が本心では帰国を望んでいたなら、行動を起こすべきだった。無謀だと知ってももう一度森へ向かって、反逆者とかいう連中と接触すべきだった。この世界を美しいと思うなればこそ、殊更帰る努力をするべきだった。俺達のような存在は、俺達が持ち込んだような代物は、この世界に在ってはならないものなんだからな」

 シェパドは右方のアカリを見遣った。アカリは息を呑み、思わず伸びかけた腕を寸でのところで留める。瞑られた左目から赤い涙を流すシェパドの眼差しは、少し眩しげに遠くを見るような、優しく哀しいものだった。ルイードが見せたものと酷似していた。

「しかし、もう俺達だけになっちまった。悪いがフライ、帰るのは諦めてくれ。となると、やるべきことは一つだけだ」

『おっさん、あんた……』

 小指を閉じ、ぎゅうと握り締めた拳をつくる。零。

「この美しい世界から、消えるしかない」

 言って、シェパドは駆け出した。ちらりと、最寄のアカリに被害が及ぶ可能性が脳裏を過ぎったが、そこはフライの腕を信頼して、暗渠に潜む彼を目指して真っ直ぐに、一同から少しでも遠ざかるように疾駆した。




 シェパドが動き始めて数瞬後、動体のシェパドに縫い付けられた狙撃手の照準から自分がフェードアウトしたであろう頃合を見計らって、ケイルは銃口を跳ね上げる。

 サークルの中心に照準器の光点を重ね、射程が自分の目算から懸け離れていないことを祈りながら、引き金を切った。

 空気が割れたような澄んだ音が響き渡る。反動により小動物のように腕の中で跳ねるレイピア。付着していた水滴が細かな飛沫となって散った。

 引き金から指を離し、照準をやや上方に修正、射撃姿勢を整えるが、まだ次弾生成を意味する稼働音は止まらない。

 のろい。ケイルは心の中で舌を打つ。フレシェットモードでのファイアレートは毎分三百発。繁雑な工程を経てもなお、一秒に五発撃てると思えば速いのかもしれないが、極限まで研ぎ澄まされた反射神経を有するヘカトンケイルの体感時間は一秒を五分の一以上に細切れにする。ましてやこのような状況では絶望的に長く感じた。

 稼働音が止まるのとまったく同時、弾丸生成の延長線上にある機構の一部であるかのように、すでに遊びを殺していた人差し指は即座に絞られる。

 不可視状態での狙撃。町に這入る前のM2を運用する分隊との戦闘を彷彿とさせる。だが彼らと違い狙撃手はそう簡単には位置を変えないであろうことをケイルは予想していた。広場を恰好のアングルから俯瞰できる地点など、限られているはずである。そして狙撃手の射線と注意は、今はシェパドが我が身を囮にして一身に引き受けている。

 それでも不安は拭えない。狙撃手は最初の地点から本当に移動していないのか、明後日の方向に撃っているのではないか、そもそもこのような状態の射撃で命中弾を得られるのか、不安要素を挙げたらきりがないほどに、ケイルにも自信など皆無。

 しかしその時、視えた。

 照準点にほぼ重なる位置で小さな発射炎が瞬く。闇の中で突如として迸った橙色の閃光が、射手の輪郭を浮かび上がらせる。

 シェパドから血飛沫が散り、足を縺れさせ、前のめりに突っ伏すのを視界の隅に捉えながら、しかしケイルは微動だにせず、彼が身を挺してつくった好機を逃すまいと、一瞬映った標的の姿を視野に焼き付け、次弾の生成を只管に待った。

 大気を震わせた銃声が一同の耳に届く頃、ケイルは三度目の引き金を落とした。




「くそが」

 突然、弾かれたように駆け出したシェパド。広場を真っ直ぐに突進してくる。フライは膝を伸ばして狙撃銃の俯角をより大きくし、シェパドの進路を先読みした地点に照準を載せた。不意に近くを鋭い風切り音が通過したが、意に介さず、標的にのみ集中し、引き金を引く。

 轟音。刹那白濁した視野の向こうで、血煙と肉片を伴ってシェパドが転倒した。

 再び風切り音が飛来する。先よりも近い。側頭部から数十センチも離れていない。石を砕いたけたたましい着弾音と弾けた粉塵を背中で感じながら、フライは照準を戻す。

 十字線の中心には三つの赤い点。そういう形の機械であるような堅実な立射の姿勢を採った異形の戦士の双眸と奇怪な照準器、そして銃口があった。

 超音速の銃弾は、射手と標的の間に空気圧のトンネルを形成する。切り刻まれた刹那の間に、射手には手応えを、標的には全身の毛が逆立つような怖気を伝播するそのトンネルは、死を与える者と死を与えられる者、哀しいほどにかけ離れた立場にある両者に、ある種のシンパシーを齎す。

 ――撃たれる。

「くそが」

 もう一度力なく罵り、フライは引き金からそっと指を放した。

 腰の付近に違和感を覚え、その箇所から躯を支えていた意志が急速に抜け出していくような感覚に襲われる。一瞬にして混濁する意識は、着弾の獰猛な遠心力を認め、諦観し、ただぼんやりと受け入れていた。




 右腕が根元から吹き飛んでいた。

 止め処なく流れ出る鮮血が雨水と混じり合い、石畳を薄い紅色に染めていく。

「お兄ちゃん……。お兄ちゃん!」

 アカリに上半身を起こされる。すぐ脇をケイルが駆け抜けていった。過ぎざまに視線が重なる。シェパドは微笑して見せたが、ケイルがどのような表情をしているのか、マスク越しではわからなかった。

 サイが駆け寄って、傷口に手を添えた。難しそうに眉間に皺を寄せ、治癒魔術の詠唱を始める。

「アカリ……」

 シェパドは朦朧とする意識の中で、残った左手だけでアカリの肩を抱き、耳元に顔を近付ける。二言、三言、アカリにやって欲しいこと、アカリに今後どうして欲しいのかを告げて、最後に謝った。面と向かって心から罪を詫びた。半年前にはできなかったこと、半年間できなかったことだった。

「なんだよぉ……。なんでそんなこと言うんだよ、お兄ちゃん。やめてよ、そんな最期みたいなこと……」

 不意にサイの手許、僅かな光を伴った白い靄の球が大きく揺らぎ、明滅し、それが包んでいたシェパドの肩の傷口から血が噴き出す。顔に脂汗を滲ませたサイは目をしばたきながら頭を振り、自身の不甲斐なさを短く罵って詠唱を再開するが、一時安定したと思われた白い靄は頼りなく揺れている。出血は止まらない。

 度重なる魔術の多用にサイは限界を迎えつつあった。リルドは致命傷、ライアスは軽症に分類されるのだろうがその傷は全身に及んでおり、そしてシェパドも致命傷。誰もが酷い怪我を負っていて、そしてあまりにも間隔が短過ぎる。サイの体力が回復するまでシェパドの負傷が待ってくれるわけもない。

「いいんだよ……。俺はもういいんだ」

 シェパドは宙を眺めながらうわ言のように言葉を継ぐ。

「あのあんちゃん、ケイル……。彼をしっかり見といてやってくれ。俺達のようにはならないようにな……」

「諦めんなよ! もう少し、もう少しだけ辛抱してくれ」

「だから、俺はもういいって……。そっちの二人だって、まだ治ってないんだろ」

 シェパドはリルドとライアスを見遣る。二人は何もできずに立ち尽し、唇を結んでシェパドを見下ろしていた。

「やめないで!」アカリは涙でぐしゃぐしゃになった顔でサイに訴え、シェパドの肩を揺する。「お兄ちゃん。大丈夫、まだ大丈夫だよ……。きっとすぐ治るから、ね」

 ああ、とシェパドは頷くが、それは同意というよりもただおざなりに、消失しかけた意識で喉を鳴らしただけのようだった。

「へへ、ベッドの上で死ねるとは思ってなかったが……。美しいファンタジーの世界で美女に囲まれて逝けるとは、捨てたもんじゃねえな……」

 雑木林の家にて、一同と初めて会った時のような軽口を叩いて、シェパドは微笑する。

「俺の本当の名前……元、第一特殊部隊デルタ作戦分遣隊、エイドリアン・シェパード大尉。……憶えておいてくれ」

 左目を瞑ったまま、右目を優しげに細め、シェパド、否、シェパード大尉は異界の地で責務を果し、そっと息を引き取った。

 サイクロプスは単眼の巨人。鍛造を生業とし、そして誰よりも人間的な神代の怪物だった。




「よお。……初めまして、だな」

 下腹部から右腰にかけて、大きく抉り取られた裂傷。傷付いた排泄器官から滴る汚物と血液が斑に混じり、澱んだ赤錆色の液体が投げ出した両足の下に溜まっている。

 薄暗い一室、ケイルは、顔面を蒼白にしながらも不敵に口角を持ち上げて見せるフライを見下ろしていた。

 狙撃銃は窓辺に転がり、壁に背を預けるフライのすぐ手許にはAK47が置かれている。フライはちらりとそれを見遣るが、しかし手を伸ばそうとはせず、ケイルを見上げる。

「ずっと考えてた。なんで俺達がこっちの世界に飛ばされたか。もし理由があるのなら、それはなんなのか。……でもあんたを見て、はっきりしたよ」

 ケイルは応じない。フライは構わずに続ける。

「この銃、AK47。俺達の世界じゃあ、世界中に普及しててな。……いや、分布といった方が適切か。あらゆる環境に適応して姿を変え、更に分布範囲を拡げるその様は、ある種の生き物だと、そこまで言われる銃なんだ」

「………」

「生き物というよりも、化け物だよな。……人の生き血を啜り肉を貪り、屍を築く魔物だ」

 フライの言わんとしているところ察し、ケイルはマスクの中で僅かに目元を顰める。

「この世界に現れるのはよ、魔物ばっかりなんだよ。へへ、なんてことはない。俺達は特別で、例外だったわけじゃない。へははははッ。俺達も魔物の一種でしかなかったんだよ」

 フライは火傷の相貌に凄絶な笑みを浮かべて、ケタケタと嗤い始めた。肩を揺らす度に噴き出す血も、身を折る毎にはみ出る腸も、気に留めていないようだった。

「わかるか? あんたも同じさ。あんたとこの銃はおんなじなんだよッ。この世界にとって、俺達もあんたも、害悪にしかならねえのさ。俺達はこの町に閉じ込められてた……。この町にしか災厄を齎さなかった……。それで、あんたはこれから、何をするんだ?」

 ケイルは屈み込み、フライの頭部を両手で掴んだ。

「そうだな。とりあえず、あんたを殺すことにしよう」

 下腹部を右足で踏みつけ、押さえつける。奇声と共に、ぶりゅ、と圧迫された腹部から臓物がひり出された。その状態で掴んだままの頭部をぎりぎりと捻り、上に引っ張る。

「ひーははッ。ひー、ひー! いいぞ! 流石は俺達を屠った魔物だッ! 殺せ、ほら、殺せえエェえ!」

 側頭部に皮膚は捲れ、頭蓋を直接保持したケイルの両手の間から粘った血が溢れ出す。頚部の皮が伸び、終にはぶちぶちぶちと音をたてて裂け始めた。頚椎を捻じ切られるまで甲高い嗤い声は止まらずに、胴体からもぎ取られた後もその表情は狂喜しているかのような歪んだ笑顔だった。

 床に転がした頭部を踏み潰し、AK47も同様に破壊した。

 窓辺の狙撃銃に近付く。不意に現れ、腰を屈めておとがいを抓みながらその銃をまじまじと観察するアーシャ。

「どうした?」

 ケイルの問い。その声色は平坦で、他の誰が聞いても常軌との差異に気付かない。しかし彼のマスクの中の表情を知り、彼の表層心理を汲み取れる唯一の存在である彼女は、何も答えずにそっと道を譲った。

 銃身を折り曲げ、照準眼鏡を割り、機関部を潰す。急くように、少々過剰なほどにケイルはそれを破壊し尽くした。その態度が如実に顕しているようだった。フライの今際の呪いの言葉が、確実にケイルの脳裏に刻み付けられているということを。

『………』

 傍らで、その様子を見つめるアーシャは、つまらなそうに鼻を鳴らして視線を切った。ヘカトンケイルの手の中で鉄塊と化していく狙撃銃。PMG ウルティマラティオの五十口径モデルである銃の名はヘカートII。語感の持つ奇妙で皮肉な共通点は今のケイルにわざわざ教える必要のないことだと、ケイルが知っても喜ばないことだと、彼女はそう判断した。

 ケイルは呆然と立ち尽くし、ゆっくりと室内を見渡してから、ぎゅう、と拳を握り締める。

 斃すべき敵、憎むべき悪は殲滅した。なのに落ち着かなかった。元の世界でもこちらに来てからでも、今まで一度も感じたことのない奇妙な感覚に、僅かながらもケイルは気付き始めていた。フライの最期の言葉に起因するものなのか、わからない。戦闘終了後の倦怠感や虚無感といったものなのか、わからない。ただ、漠然とそれらとは別種のものであるような気がした。強いて言うなら、小さな焦燥感とそれに伴う苛立ち。

 自分のしたことは間違ってはいなかった。ライアスを助けるためにも已むを得なかったはずだ。なのに、どうしようもなく落ち着かない。主にアバドンと戦っていた頃には感じたことのない、不可思議で嫌な感覚だった。

「ここで彼らと別れた方がいいのかもな……」

 思わず口を吐いて出たその言葉、なんでそのように思ったのか、明確な理由は自分でも理解できなかったが、ケイルはただなんとなくそう思った。

 窓の外に視線を移す。東の空が明らみ始めている。ヒルドンの長い夜は払暁ふつぎょうを迎えようとしていた。

 ふと眼下の人影に気付く。

 ゼロットが広場を横断し駆けて来ていた。黎明れいめいの光の中、ケイルのいる建物を目指して必死に駆けている。突然、こてんと、躓いて転んだ。立ち上がり、砂塵を払おうともせずに、一刻も早くケイルの隣という自身の居場所に戻りたいというように、走り続けている。

『クーデレ少女が必死よ。ほら、行きましょう』

 アーシャの微笑に、ケイルは苦笑し、頷いた。





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