31 不意打ち
あっけなかった。
館の倉庫のような一室に窓から侵入したサイ達一同は、まず執政室を目指した。アカリの記憶を頼りにし、避けては通れないという玄関広間の両開きの扉を開けた先には、数人の町民達が身を寄せ合っていた。煌々と灯されたオイルランプの明かりの中で酷く怯えた様子で床に腰を下ろしている。その中には昨日、酒場で出会った給仕の女性の姿もあった。サイ達は知る由もないが、人間爆弾に利用された町民の家族である。いや、もう遺族といった方が適切であろう。
彼らはそっと開かれた扉の向こうにサイ達の姿を認めると動揺し、視線で必死に何かを訴えているようだった。猿ぐつわを噛まされているわけではなく、ただ一箇所に密集して屈んでいる状態なので、如何ようにでも警告のしようはあったはずなのだが、彼らはそれができなかった。異国の傭兵の冷酷さを、容赦のなさを、長年心身に刻み付けられている彼らは、微かな態度で示すだけで精一杯だった。
広間に這入り、近付き、その不審に気が付く前に、背後から冷たい声が響いた。
「動くな」
およそ人間味の感じられない平坦な声に、背筋が凍り付く。ゆっくり振り返ると、AK47の銃口を据えた傭兵が一人、背後に立っていた。
サイ達が侵入した通路のどこかの部屋に潜んでいたのだろう。素通りした一同が広間に踏み入るのを、逃げ場のない広い空間へと自ずから誘導されるのを、虎視眈々と待ち伏せていたのだろう。
「武器を棄てろ」その傭兵、血に汚れたような不気味な前掛けをした妙齢の女は、銃口を向けたまま言葉を継ぐ。「その黒い女、剣も棄てろ」
言われた通りに、リルドとアカリは剣とマスケットを床に置くより他になかった。
あまりにもあっけない。相手はたったの一人、しかも自分達と同じ女だというのに、たった一言で無力化されてしまった。人数も性別も言葉も、関係がない。真正面から向けられる奇怪な面構えをした異世界の兵器、その先端のちっぽけな孔が自分の方へと転じられるだけで、エバの唐突な最期が、ククルの無残な亡骸が、ケイルが屠った傭兵達や盗賊団の肉塊が、脳裏を過ぎった。否が応でも、死を連想させられた。
前掛けの女は油断なくAK47の照準を一同に据えながら、左耳を首のスロートマイクに添え、二言、三言、異国の言葉で何かを囁いた。今度は左耳に手を当て、じっと何かを待っているようだったが、やがて短く何事かを吐き捨てる。意味は理解できなかったが、一同にもそれが悪態であるとわかった。
ちらりと硬直したままの一同を一瞥し、言語を切り替えた。
「応答なし……。もう私と中尉、二人だけか……。まったく、お前ら、ふざけたまねをしてくれる」端から険しかった女の顔が、更に怒気を孕んだ形相へと変わる。戻した左手がきつく握り締める前部銃床がみしりと軋んだ。「十八だ。十八人も私の仲間を殺しやがって」
「ふ、ふざけてるのはどっちだ! あんたらが最初に始めたことじゃないか。ライアスぼっちゃんはどこだよッ」
表情を強張らせながらも、物怖じせず睨み返すサイ。今にも掴みかからんばかりの勢いだったが、前掛けの女の心底不愉快そうな低い呻きと、転じられる銃口を受け、口を噤んで後退る。
「なんだお前、死にたいのか。人質がこんなに多くてもしょうがないし、一人二人間引いたって私は一向に構わないんだぞ」
「………」
館に這入った直後に水滴を拭い取ったサイの額の生え際から、冷や汗が一筋流れ落ちた。面白くなさそうに鼻を鳴らし不意に視線を切った前掛けの女は、町民達の方へ銃身を振る。
「お前らもあそこで大人しくしていろ。おかしな動きを見せたら、即座に殺す。動いたやつだけじゃない、全員ね」
踵を返し、横一列でゆっくりと歩み始める一同。その背後、五メートルほどの距離を置いて前掛けの女は追従する。銃口は縫い付けられたようにサイ達の背に固定されていた。
視線だけで左右を見遣るサイ。左のゼロットは僅かに俯き、床を凝視していた。右のアカリは慙愧の念に駆られたような面持ちで下唇を噛み締め、その向こう側、最右翼のリルドは、一同が広間の中央に達した時、ちらりとサイを見遣った。視線が重なる。
リルドはサイに目配せをし、そして微かに頷いたように、サイには見えた。最初は真意を量りかね、怪訝げに眉を寄せたが、どう考えても何か事を起こす気なのは明白であり、目を剥き唇を開きかけた時、すでにリルドの唇は動いていた。
奇妙な早口、複雑に入り組んだ洞穴が奏でるような風の音、魔術の詠唱である。
次の瞬間には、リルドの身体は吹き飛んでいた。町民達に正対したまま後方へと、前掛けの女に向けて、細くしなやかな躯を向かいの突風に乗せ、飛翔していた。
一同の目が見開かれ、首を回してその黒い残像を辛うじて視界に捉えた頃には、リルドは地上すれすれで背面跳びをするかのように身を翻し、前掛けの女の足許、先ほど自身でこの不意打ちの際に取り易いようにあえて柄を手前にして置いておいた剣へと、手を奔らせる。
前掛けの女も刹那の間に息が掛かるほどの距離に肉薄したリルドを、そのありえない挙動を、驚愕の面持ちで見つめていた。だが常に油断なく腰だめで据銃していた女、反射的な手許の微動さには、どう足掻いても敵わない。AK47の銃口は目前のリルドを捉えており、引き金に載った人差し指は圧迫され、白くなっていた。
銃声。槓杆が後退し、真鍮の空薬莢が弾き出され、淡い硝煙の中をくるくると舞っていた。リルドの脇腹から粉砕された制服の綿埃が散り、真っ赤な飛沫が噴き出す。
槓杆が前進し、次弾を銜え込んで閉じる。フルオートで引き金を引きっ放しにされたAK47が第二弾を放つ。体勢を崩したリルドの背へ向けて必殺の二点射が放たれることは、しかしなかった。
思いもよらない方向からの銃撃。その強大なエネルギーを有した鉄球は前掛けの女の左足に飛び込み、脚払いを喰らう格好で女は前のめりに身を崩す。以降、発射された七・六二ミリの銃弾は、リルドの足許、床に突き刺さった。
前掛けの女と互いに躓きながら衝突しそうになったリルドは、歯を食い縛り、左足を踏み込み、諸手で握った剣を振り上げた。胸部から肩口へと逆の袈裟斬りを浴びた女、鮮やかな鮮血の三日月が虚空に飛び散った。
AK47から排出された最初の空薬莢が、澄んだ音を伴って床で弾む頃には、すでに勝敗は決していた。
先に倒れたのはリルド。うつ伏せで横たえ、身体を起こそうと手を突っ張って震えていた。謎の銃撃でつんのめりそうになったところに振り上げの斬撃を見舞われた前掛けの女は絶妙なバランスで直立し、目を白黒させていたが、前掛けを斜に断裁するような刃傷から血液が筋状に噴き出した時、白目を剥き、仰向けでゆっくり倒れ込んだ。
「ば、バカ野郎ッ」時間を取り戻したサイがリルドに駆け寄る。「ふざけんなよ! 無茶し過ぎだっつーの」
血相を変えながらも、サイの手際は的確だった。リルドの身体を仰向けにすると、膝に頭を載せ、右手を腹部の銃創に当て、左手には雨水を十分に含んだ布切れを持ち、中空に翳すと滴る水滴を右手に垂らすようにした。
途端、光とも蒸気ともつかない奇妙な白い靄がサイの右手を中心にしてリルドの銃創を覆うように、極々淡く球形に膨らんだ。サイは薄く目を瞑り、小声で唄うように囁いている。抑揚のある、童謡を謡うような声音だった。
膝の上からサイの所作を見つめていたリルドは、腹部に生じ始めた鈍痛を和らげるような温もりに、力なく微笑した。
「やはり……、貴女の魔術と我がスパイル家の魔術、ある意味似ていますね……。このような治癒魔術、見たこともありません……」
「うっさい」詠唱を中断し、微かに表情を歪めるサイ。「喋るな」
「貴女の治癒魔術を期待してこのような強攻に出てみましたが……まぁ、踏み込みが少し足りなかったですが……、それでも当てが外れなくてよかったです……。カボル村で初めて見た時には、大層驚きました。……本来であれば完治に数日を要するような負傷を、一晩の内に、しかも複数人を治してしまうのですからね……」
「いきなりなんだよ、褒めちぎって。死亡フラグか。つーか喋るな、気が散る」
している内にも、脂汗に塗れ土色だったリルドの顔色は、本来の生気を取り戻し始めていた。貫通銃創から滴っていた血液も徐々にではあるが量が減っている。
リルドの言う通り、サイの水の治癒魔術とスパイル家の風の白兵魔術は、ある意味において似ていた。武家のスパイル家が病的に副次利用が主であるはずの風の魔術の白兵戦利用に腐心し、独自の白兵魔術を編み出したのに対し、サイは基本とされる水の治癒魔術一辺倒、ポルミ村での剣呑な日常生活において研鑽し続けていた。両者共に愚直なまでに基本の魔術を独学で極めていたのだ。
ポルミ村にて魔術の説明を求めたケイルに対し、自分は水を媒体とした治癒魔術が得意と、そのように告げていたサイだが、それはかなり見栄を張った言い方だった。得意には違いない、サイは、それ以外の魔術を知らないのだから。
ミレンの字を持つ代々魔術士の家系のメイフェ家だが、嫁いできた母には魔術の才覚がなく、唯一の師であるはずの父は神童とまでいわれた姉スーラの類稀なる才能にのみ執着し、魔術の修練に限ってサイは蔑ろにされていた。本来であれば自身も学ぶべき多感な年頃にサイがハイントン家のライアスの躾けを言い付かっていたのは、ミレンの字を担うのはスーラであると早くから決め付けられたからという事情も少なくない割合で存在している。悔しさを糧に知識だけを蓄えていたサイだが、ある日、唐突に已む無く王都を離れなければいけなくなった。当時、サイはまだ十歳にもなっていなかった。父から習ったのは基本である水の治癒魔術だけ、その父は処刑され、才覚のない母にそれ以上を望むべくもなく、村に身を寄せてからは自分が知り得るだけを一人で修練する日々だった。魔術士としては異例である。偏屈であり偏執であると、言えるかもしれない。
多様な魔術に精通した魔術士は、彼女のことを嘲笑うだろう。魔術士などと名乗るべきではない、と痛罵するだろう。だが、ただただ基本の治癒魔術のみを只管に極めた彼女のそれを見れば、その努力が成した成果を自身の眼で見れば、きっと誰もサイの魔術を笑い飛ばせなくなる。
もっとも、それでも万能ではない。行き着く先の限界は、どうしようもなく存在している。王都の外壁にて酷く衰弱し虫の息であった難民、ポルミ村やカボル村で致命傷を負っていた村人達、自身の体力の限界。極めたサイだからこそ、痛感している。
その点、リルドはどうやら命に別状はないようだ。詠唱を止め、それでも予断なく右手に魔力を流し続けるサイは、汗を拭い、ふうと息を吐き、アカリを見て笑う。
「それにしても、あんたも大した機転だね。あの咄嗟の状況で床に置いた武器を使うなんて。もしかしてそれを見越してあの女の足を狙って置いたのかい?」
アカリが床に置いたペッパーボックスマスケットが、床の上でくるくると回転していた。ほどなくして止まり、銃口の一つから硝煙がたちのぼる。
思いもよらない方向からの発砲、謎の銃撃、それはマスケットの撃発に他ならない。リルドの剣と横に並べられるようにして置かれたマスケットが、あのタイミングで発砲されたのだ。
魔蓄鉱に魔力を流すという動作メカニズムで発砲されるシェパド製のマスケットには、引き金がない。引き金を引かなくとも、発射されるのだ。そして接触していなければ魔蓄鉱に魔力を送れないわけではない。現にシェパドが魔蓄鉱を使って傭兵の銃器を破壊した時には、十分に距離を取ってから行っていた。武装解除を迫られたアカリが、リルドが剣を拾い易くしたのと同じように、射線を計算して置いたのであれば、確かに脱帽ものだ。
しかし、当のアカリはマスケットを拾い上げ、どこにも異常がないか確かめるようにしていた。その表情は胡乱に曇っている。
「いや、あのさ、あたしじゃないよ……? ごめんだけど、そこまで考えられなかったし、そもそもあたし、離れたところにある魔蓄鉱に魔力を送れないんだ……」
接触していなければ魔蓄鉱に魔力を送れないわけではないが、それも誰にでもできることではない。魔蓄鉱に付与された現象ないし魔術を取り出せるにしても、距離を置いて在るものに発現を促すにはそれなりの才覚と研鑽が必要とされる。先のような状況下まで見越せるわけもなく、しっかりと据銃し照準したマスケットを撃てることだけを重要視したシェパドは、アカリにそのような訓練まで行っていない。
つまり、アカリが絶妙な位置にマスケットを置いたのは、全くの僥倖だった。右手で銃把を持って腰を屈めて床に置く時、ただ置き易い位置にそうしただけだ。そもそも、保持も何もない床に直置きされた状態で銃が発砲されれば、果然、生じた激しい反動は銃そのものに反映され、射線のぶれも激しくなる。重く、比較的初速も遅い球状弾を撃ち出すマスケットではより顕著だろう。ただ単に銃口と女の足とが重なった瞬間に撃発しても中るかどうかは甚だ疑問である。そこまで計算して置いたのであれば脱帽ものには違いないが、どちらかといえば到底予測不可能な域だ。掛け値なく奇跡だったといっていい。
しかし、過程がどうであれ成果が偶然であれ、魔力を送った何者かは、確実に存在しているはずである。では誰が。
自ずと、一同の視線がある一点に向かう。
広間の中央、先の位置から微動だにせず佇むゼロットが、無表情で女の死体を凝視している。胸に抱かれた隻眼のぬいぐるみとゼロットの双眸は、床に広がる女の血溜り、赤黒く燃える紅蓮の炎のような真紅を映していた。
誰かに名を呼ばれ、身体を揺すられた気がした。周囲が騒がしい気がした。温かい無数の水滴が全身を包んでいくような気がした。
自らの意思に関係なく明滅を繰り返す意識。戻ったと思われた一瞬も曖昧な夢見心地であり、自分が立っているのか座っているか、歩いているのか走っているか、それすらもおぼろだった。酷く疲弊しながらも横になれない時、頻りに去来する睡魔に似ている。
ライアスは士官学校での夜間訓練の一場面を思い出していた。ほうほうの体で考えるのは、暖かいベッドで横になって眠ることばかり。いや、ベッドでなくても道端でも砂利と泥に塗れた野外でもいいから、今すぐにそれが叶うのなら何でも差し出せる気分だった。
「おい、寝るな、バカ。自分の足で歩きな」
懐かしい声と共に誰かに頭を叩かれた気がしたが、それすらも現実感がない。
ただ、覚えのある匂いと頬に感じるふくよかな膨らみに、感懐は別の場面へと飛ぶ。
机に向かう少年は舟を漕ぐように頭を前後に傾いでいた。昨晩、晩くまで本を読み耽ってしまい、眠くて眠くてしょうがなかった。窓から射し込む暖かい光の中、何度も机に頭をぶつけそうになる。少年の隣には少し年上の少女が佇み、呆れたように苦笑していた。最初こそ、教育係りである彼女は少年を寝かすまいと暴力に訴えていたが、面白がって悪戯をしていたが、やがて少年の睡魔に根負けし、もういいよ、と言った。今日は帰るからもう寝ろ、と。しかしその言葉を聞いた少年は頭を振り、少女を見上げる。眠たげな目だが、声色は真剣だった。僕は大丈夫だから続けてくださいと、頑なだった。その実は、座学の勉強を望んでいたわけではなく、ただ拒んでいただけだった。手前勝手な話だが、少女が帰ってしまうのが嫌なだけだった。
いつの間にか寝入ってしまっていた少年。ふと目が覚めた時、酷く申し訳ない気持ちと自己嫌悪でいっぱいになったが、その背後、壁に背を預け床に両足を投げ出した少女が寝息を立てているのに気が付いた。
ほっと安堵する少年。だが急に挙動不審に左右を見渡し、密室に少女と二人だけであることを確かめると、静かに歩み寄り、ゆっくり膝をつく。唾を呑み込み、昨晩読んだ大人向けの恋慕物語のように、緊張に震える手を少女の白い頬にそっと伸ばした。
噛み付かれた。
「い、痛い痛い痛い痛い!」
ライアスは手の激痛に覚醒する。
幼少の記憶と同じ、冷やかすようなサイの顔が間近にあった。ライアスはサイに肩を貸してもらって歩いている状態だった。
「さ、サイミュス先生……」
「たくっ。くたばりかけてると思ったら、いきなり薄ら笑いで人の顔撫でつけたりして、たぬき寝入りしてたんじゃないだろうね?」
言いながらも、ライアスの負傷と消耗を気遣って、腕を解こうとしないサイ。
最初は目の前の光景が信じられないというような表情で暫し呆然とサイを見つめていたライアスだが、その面持ちが見るみる涙を堪えるように歪められる。
「サイミュス先生……。僕は……」
「大丈夫だよ。ちょっと血が出過ぎてて朦朧としてるだけさね。死にはしないよ」ちらりとライアスの身体、裸のままの上半身に視線を落とし、サイは唇を噛む。「たださ、なるべく治してやったんだけど……。その傷、どうしても痕が残っちまうよ。悪いね」
上半身を蹂躙していたおぞましい傷口、戒めていた無数の鉄の針はライアスが意識を失っている内に取り除かれ、出血はほとんど止まっていた。傷口も瘡蓋や薄い皮膜で大方塞がっているが、生涯に亘って残るであろうことは明らかだった。
だが、ライアスにとってそんなことはどうでもよかった。
「すいません。ほんとに僕は、迷惑ばかりかけて……」周囲を歩く、ゼロット、脇腹を気遣うようにしているリルド、見慣れぬ同行者であるアカリに、ライアスはきつく両目を瞑りながら頭を下げ、罪を告解するように訥々と言葉を継ぐ。「本当にすいません。……僕、痛みに負けて、みんなのことを奴らに喋って……」
「バカか」
空いた片手でサイにぺしりと頭を叩かれる。今度はしっかりと認識できた。
「あんたの身体を見れば、酷い拷問を受けたのは一目瞭然だっつーの。むしろ、そんな身体にされるまで喋らなかったことに、あたしは腹が立つよ」口調だけでなく、心なしか歩調まで乱暴になるサイ。肩を借りているライアスには、サイが本当に苛立っているのだと伝わった。「あのねえ、あんたといいケイルといい、どうもその辺考えが足りないみたいだけどさ。あんたが死んじまった方がよっぽど迷惑なんだよ。親御さんになんて言えばいいんだよ。あたし達はどんな気分になればいいんだよ。わかるかい」
「………」
ライアスは小さく頷き、そのまま頭を垂れ、嗚咽を漏らさずに涙を流した。
階段を上り、短い通路を経て玄関広間に戻ると、領主ルイードと囚われていた町民数名の姿があった。
リルドの治癒を自力で歩ける程度で切り上げたサイ達は、まず執政室のルイードを訪ね、ライアスの居場所を聞き出していた。おそらくもう館に傭兵はいないと知らされたルイードは、町民達をどこか目立たない場所へ逃がそうと指示を出している。
横目でサイ達の姿を認めたルイードは、複雑な面持ちで何かを考え込むようにしていた。先の短い会話の最中もどこか余所余所しかったルイードだったが、ふと覚悟を決めたように顔を上げる。その眼差しは負傷者の二名、リルドとライアスに向けられていた。
「あ、あの。お怪我は大丈夫ですか?」
「ああ、命に別状はないよ」二人に代わってサイが答える。
「そうですか、よかった……。それで、あの……」言葉に詰り、再び俯いたルイード。怪訝に思ったサイが口を開こうとした時、不意に跪き、頭を床に擦り付けた。「本当に、本当に申し訳ありませんでした!」
「はあ? いや、ちょっと。どうしたのさ」
意味がわからずに戸惑うサイだが、ルイードの痛切な陳謝が向かう先、王国の軍人であるリルドとライアスは、察したような神妙な表情でルイードを見下ろしていた。
「悪いのは全て私なのです! 彼らの存在を隠匿し続けていたことも、駐屯団の殺害を黙認したのも、捜索隊の殺害を傍観したのも、全て私の指示の下なのです。そればかりか、お、畏れながら、王国兵様達の亡骸を遺棄するように采配したのも私です!」
ルイードは深く頭を下げながら、床に向かって叫ぶように吐露を続ける。五年間の自責の念が堰を切ったように、何も果せなかった自分の役割を思い出したように。
「どうか、町民には咎が及ばぬようご配慮を! 彼らは私の指示に従っていただけに過ぎません。異国の傭兵の力に怯えていて従うより他になかったのです! ……どうか、どうか私一つの身で、この町へと罪を集約させてもらえるよう、何卒、ご配慮を!」
「っておいおい、何だよ、その庇うような言い草。脅されてたのはあんたも同じだろ。悪いのはあいつらだろうが」
そのサイの言葉に、ルイードは顔を起こした。その表情は泣き出しそうな、諦観して苦笑するような、酷く哀しそうな複雑なものだった。
「これは私の責任なのです。領主として町を預かる私が成すべき職務なのです。それに彼らは……彼らはそれでも町を救ってくれた救世主ですから……。意図がどうであるにせよ、魔物から町を護ってくれていた守護者だったのです……」
でもさ、とだけ言うが、それ以降の言葉に詰り視線を落とすサイ。
「先ほど言っておられましたが、もう彼らの隊はほとんど全滅してしまったのでしょう」
「……ああ」広間の中央付近、血溜りで伏す前掛けの女の遺体をちらりと見遣るサイ。「さっきもう二人だけになった、みたいなこと言ってたからね。……もう一人か。たぶん逃げたんじゃないのかい」
だとしたら、とルイードは再び辛そうな面持ちに戻り、リルドに頭を垂れた。
「本当に厚かましい願いで恐縮する限りなのですが、どうか、この町に新たな王国兵を派遣してもらえるよう、具申してもらえないでしょうか……」
脇腹を手で押さえていたリルドは、頬の汗を拭い、きっぱりと言い放つ。
「配慮はしません。私はありのままを報告します」
「おいっ」サイの非難の声には目もくれず、淡々と言葉を継ぐ。
「ただ、町民一人ひとりの罪を具体的に咎めるのは現実的に無理でしょう。誰がどのぐらいのことをさせられていたのか、今となってはわかりようがありませんから。それに、農村や集落とは違い、優れた鉱脈であるこの町を国としてはむざむざ手放すわけにもいかないでしょうから、貴方に言われるまでもなく、私の伝書の後に然るべき規模の兵が派遣されるでしょう。現状、最も王国軍部に近い身として私が進言させてもらうなら、すぐにでも新たな自警団を再結成して、王国兵が来るまでの間、町の防衛に力を注ぐべきです」
「……お心遣い、感謝いたします」
ルイードは更に深く、頭を下げた。
「私に感謝する必要はありません。気遣いも何もなく、自ずとそのようになるだけです。それに、何の咎も及ばないというわけには、やはりいかないでしょう。先ほど自身でも言っていた通り、おそらく責任者である貴方に相応の罰が与えられることになると思います」
相応の罰と言うが、罪状から考えて軽くないことは間違いない。投獄でも済まないだろう。領主一人に罪を集約させるのであれば、おそらく死刑であろうことは明らかだった。それでも立ち上がったルイードは動揺する様子は微塵もなく、むしろそれを望んでいたという風に大きく頷いた。
「はい。心得ております」ふとサイの隣のアカリに目を留める。「さっき見た時にまさかと思ったんだが、君は、その、以前の自警団の副長の娘、アカリちゃんかい?」
「……はい」気まずそうに頷くアカリ。
ルイードは弱々しく破顔して、腰を落とし、アカリと視線を並べるようにした。
「そうか、そうか。よかった。私はてっきり……」
「お兄ちゃ……、シェパドさんのところでお世話になっていました」
「シェパド……? ああ、彼か。彼も生きているんだね。よかった」
「あのっ、領主様。領主様が一人で罰を受けるなんて、そんなの……」
哀しげな顔をしてルイードとリルドに視線を投げかけ、訴えるアカリ。
「半年しか経っていないのに、大きくなった」ルイードはもう一度笑い、アカリの頭を撫でた。「私は君に、町民達に謝らなくちゃいけない。半年前も今回も、怯えるばかりで何もできなかったんだから。臆病者の弱虫だったんだ。だからいいんだよ。これでいいんだ。むしろ、ありがたいことなんだよ。遅過ぎたけれども、最後にこの身が町の役に立てるなら、本当にありがたいことなんだよ」
自分に言い聞かせるような言葉だったが、ルイードは本心から満足しているという風に優しげに微笑していた。五年間の彼の心痛と自責は推し量るにあまりある。掛けるべき言葉もなく、一同には視線を伏すより他になかった。
「さあ、皆様もこちらへ」玄関へ向かい、両開きの扉を開いて退場を促すルイード。「とりあえず、私の家へ案内します」
館を出ると、一晩中町を濡らし続けていた雨は小降りに鳴りを潜め、身体に纏わりつき芯から冷やすようだった不快な湿気がやや緩和されていた。戦闘音も途絶えてから久しい。
一同が広場の中央に達し、ルイードが扉を閉めた時、東の通りからシェパドが、ほとんど間を置かずに正面、北の大通りからケイルが姿を現した。シェパドは覚束ない足取りで、血と粉塵に酷く汚れていて、杜撰な包帯が巻き付けられた右手からは血が滴っている。ケイルは挙動こそ健常だったが、全身に疵が奔り、焼け焦げたように煤けていた。
安堵し、サイはケイルに、アカリはシェパドに駆け寄る。
焚火の揺れる光の中に一同の姿を認め、同様に歩み寄りながら微笑するシェパドだったが、ふと広場を見渡し、最初に広場に達した時のリルドと同様、全域をくまなく覆うような過剰とも思えるほどに執拗にとられている照明に違和感を覚え、その表情が怪訝に曇る。
「おい! 駄目だ! 戻れ!」
一瞬で察し、一同に館に戻るように怒鳴るシェパドだったが、遅過ぎた。
最後尾、追い縋ろうと駆けていたルイードの腹部が爆ぜ、飛び出した腸に引き摺られるように吹き飛んだ。
五年前、魔物を殲滅したダンシング・サイクロプスがこの広場に集結し、当時の指揮官だったシェパドと領主であるルイードが初めて相対した時と似たような場面。ダンシング・サイクロプスが町に身を寄せるようになってから数年で頻出するようになった町民との諍いを、何とか沈静化しようと働きかけていた二人の責任者。
ルイードは旧友との再会に浮かべた懐かしそうな微笑を石のように硬直させたまま、細い体幹を半分ほど引き裂かれて、石畳の上を無造作に転がった。町のために処刑を望んだ彼は、覚悟を決める暇も自身の最期に満足する予断もなく、即死していた。
雨脚が弱まった空には場違いな鋭い雷鳴が、長く尾をひき、鳴っていた。
『よお、おっさん。久しぶりだな』
耳元からの声に、シェパドは眉間に皺を刻み、歯を食い縛る。
「フライ……」
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